漢字の現在

第293回 薄れゆく風呂屋の文字

筆者:
2016年4月18日

丸みのある赤い字で「ケロリン」と底に書かれた風呂桶は、この湯屋にも置いてあった。軟らかみのあるこの桶は、50個、100個という単位でなければ買えないそうだ。古くなると、しまってあるそれと取り換えているとのこと。漫画では、床に置く「カポーン」という擬音語が書き込まれる。以前、芝居で使うから1つ貸してほしい、と依頼が来たという。あげようと思っていたら、手に入ったとのことでそのままとなったそうだが、演劇で銭湯のシーンか、昭和の雰囲気を出そうとする演出でもあったのだろう。

今回、看板に対する取材の必要から、上記(前々回前回)のように女湯にも入れてもらえた。もちろん、開店前でまだ誰もいない。あの幼稚園に通う前後のとき以来だろう。広々としているが、こぢんまりしているようにも感じられた。女湯には富士山の絵がなく、西伊豆の海岸の風景が広がっていた。聞くところによると、富士山の絵はどちらか1つにしかなく、男湯と女湯とで順番に描かれるものだそうだ。まず真っ白に塗りつぶしてから書き直したものだが、いきなり前の絵の上から描くようになったので、だんだんと厚みが出てくる。ベニヤがペンキを吸うのでなかなか乾かず、2日がかりとなって、家を空けられなくなったと嘆かれる。知らないところのものでも、短いスパンでの大きな変化は免れないものだ。

そして、「身体をよく拭いて」「手拭い、足拭き」と書かれた注意書きがそこにはない。それは、男性たちだけに向けた掲示だと分かった。

【服の右上をはねずに曲げるところが面白い。】

【手書きされた「質、・(中黒・と黒丸●か)、販」の特徴ある字体・字形が印象的。】

ついでなので、ご主人に入口の料金表に書かれている「大人、中人、小人」という表記について、読み方も尋ねてみた。(私は、)「おとな」「ちゅうにん」「しょうにん」と読んでいる、とのことだった。確かに我が子は一目見て、小学生だから「ちゅうにん」、と言われた。オトナは「だいにん」でもいいんだけど、とのことで、「位相読み」の大らかさがうかがえた。前に行った風呂屋も、「ちゅうにん」と言っていた。なんとなく意味は伝わる、漢字の表意性を利用した文字列が残る。

1937年の東京の渡船場の看板に「大人三銭(丶は2つ) 小人三銭(同)」など書かれ(銭は金偏を省くものも)、また翌1938年のサーカス小屋の風景にも「大人十銭(字体もこのまま) 小人五銭」と料金が記された写真があった。これは、同僚の方に教えてもらった桑原甲子雄の『私的昭和史』『東京 1934~1993』などに載っていた。ほかに「大人 子供」と書いた表示も写っているが、今の銭湯やテーマパークなどよりも広く用いられていたようだ。桑原氏の写真は、撮った看板を通して時代のことばだけでなく空気や風俗まで分かると評されるが、言語景観そして個々の文字についても多くの事実を教えてくれる。

そしてこれは、韓国にも伝播し、今ではあちこちの料金表でハングルによってsoinという発音だけが今なお表記されている。日本での、文字によって発音は不明瞭だが意味だけが何となく分かるという状況とは対極にあることがうかがえよう。

区内で最古の地図に、すでにその風呂屋は載っていたという。その風呂屋を買って建て替えて開業したのが昭和28年(1953)11月頃。その当時の写真があり、銭湯70か80周年の本に提供して載せたという。お話しして下さっているおじいさんは、そのときまだ2、3歳だったそうだ。それより古い写真は、さすがに家にはないという。

明治、大正、戦前の時代のその浴室内の風景がどうだったのか、そういう写真は日本のどこかには残されているのだろうか。その本がどこかにあるから、時間があるときに見つけたら教える、と言って下さった。しまった、取材に大荷物はいけないと整理したときに、名刺ケースまで置いてきてしまった。電話番号は、○○(娘さんの名)に聞けば分かるでしょ? ネッ?と微笑まれたが、今は学校も人々の交流を促進させられないように世知辛くなっている。浴場を見渡せた番台もまた、すでに改築されてなくなっていた。

この名湯を継ぐ人もいないそうだ。たとえ下宿であっても、内風呂はとうに普通のこととなった。ここの周りの商店街も、開いている店は2軒だけとなっている。新たに、味のある手書きの広告が掲げられることはない。ちょうど、研究室のコピーの山がずれて、『建築写真文庫66 温泉浴場』が出てきた。しかし、そううまくはいかない。昭和33年に刊行されたその冊子に、その当時の銭湯の内部の写真など、収められていなかった。

景色は10年も経てば一変するのは世の常だが、やはり変化のスピードが速くなった。過去の漢字政策や文字コード論争の深層など文字にまつわる伝承だって、もう聞く耳をもってくれる人は周りにはほとんどいない。

風景に溢れていた位相性豊かな手書き文字は、歴史の中へと閉ざされていくようだ。うまいな、下手だな、誤字だ、略字だ、と考えさせてくれたあの昭和の字形の残照を、せめて消えゆく街の銭湯とともに、目に焼き付けておきたい。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。