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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第50回『年中行事絵巻』巻四「射遺の参内」を読み解く

2016年 6月 18日 土曜日 筆者: 倉田 実

第50回『年中行事絵巻』巻四「射遺の参内」を読み解く

場面:射遺(いのこし)のために公卿が参内するところ
場所:平安京大内裏東側の待賢門(たいけんもん)付近
時節:1月18日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ待賢門、Ⓑ柱、Ⓒ・Ⓜ白壁、Ⓓ戸、Ⓔ三級の石階、Ⓕ基壇、Ⓖ瓦葺き屋根、Ⓗ鴟尾(しび)、Ⓘ妻、Ⓙ三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)、Ⓚ瓦、Ⓛ・Ⓞ・Ⓡ築地(ついじ)、Ⓝ大膳職(だいぜんしき)、Ⓟ四脚門(よつあしもん)、Ⓠ東雅院(とうがいん)、Ⓢ土門
地上・衣装:①大宮大路、②中御門(なかみかど)大路、③溝、④高欄、⑤橋、⑥物見、⑦檳榔毛車(びろうげのくるま)、⑧文(もん)の車、⑨牛、⑩轅(ながえ)、⑪飾り紐の付いた軛(くびき)、⑫榻(しじ)、⑬馬、⑭立烏帽子(たてえぼし)、⑮端折傘(つまおりがさ)を入れた袋、⑯置道(おきみち)、⑰・⑳太刀、⑱壷胡簶、⑲弓、桶、荷、揉(なえ)烏帽子、
人物: [ア] [サ]童、[イ]口取り、[ウ]牛飼童(うしかいわらわ)、[エ]傘持ち、[オ]上卿(しょうけい)の参議、[カ]随身、[キ]矢取り、[ク]沓(くつ)持ち、[ケ] 布衣小袴(ほいこばかま)姿の男、[コ] 壷装束の女性

絵巻の場面 今回と次回で『年中行事絵巻』の「射遺」を読み解くことにします。今回は、射遺のために公卿が参内する様子を描いた「射遺の参内」を見ます。

 射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった武官が、改めて射る儀式です。実際に射る場面は次回になりますので、射遺や射礼の説明はそこですることにして、早速この場面を見ていくことにしましょう。

絵巻の場所 まず場所を確認します。画面中央に見える立派な門は、大内裏の東側に設けられた、宮城門の一つのⒶ待賢門になります。画面は南方向から描いていて、門の左側が大内裏の内側、右が外側になります。大内裏の外側(東側)は、南北に通る①大宮大路に面します。待賢門の東方向(画面右方向)は②中御門大路になりますので、この門を中御門とも言いました。

待賢門 それでは、待賢門を詳しく見てみましょう。門の大きさは、何間で幾つ戸(扉)があるかで表されます。待賢門はどうでしょうか。何間かは、右側のⒷ柱(原画では朱塗)を数えればいいわけでしたね。六本ありますので、五間の門となります。全面が戸でないことは、原画でⒸ白壁になっている所が北側に一間分見え、南側も同じことですので、Ⓓ戸は三つになります。そうしますと、五間三戸になり、大きな門と言えます。これだけの大きさですので、Ⓔ三級の石階が付いた、頑丈な石のⒻ基壇の上に建てられています。

 屋根はⒼ瓦葺きでⒽ鴟尾が置かれ、Ⓘ妻(側面)は、装飾的になっていて立派な門であることも分かります。屋根の下の妻は、Ⓙ三重虹梁蟇股式という複雑な構造になっています。虹梁は、化粧をした梁のことで、これが三重になっていて、その間に蟇股がある構造を言います。蟇股は上下二つの横木(ここでは虹梁)の間に置かれた部材で、上部の横木を受け、蛙が股を開いた形になりますので、こう言います。装飾用にもなりますね。画面では分かりにくいのですが、『信貴山縁起』「尼公の巻」にも待賢門が描かれていて、それを見ますと、この構造がよく分かります。ぜひご覧になってください。なお、待賢門は、『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸」、『平治物語絵詞』「信西巻」にも描かれています。

待賢門大路側 今度は、門の右側の大路側を見ましょう。Ⓔ三級の石階を上がろうとしている[ア]童の後ろ側は、雨水を流す③溝に架けられた、④高欄の付いた⑤橋になります。門の南北はⓀ瓦を載せたⓁ築地で、Ⓜ白壁で描かれています。

 築地の前には、牛車が描かれていますが、車種は二つになるのがお分かりでしょうか。右端の車には、車輪の上に⑥物見(窓)が見えていますが、左の二両には、ありませんね。物見のないのが屋形を檳榔という植物で編んだ⑦檳榔毛車、あるのが網代(あじろ)で覆った網代車の一種となる⑧文の車で、線描では省略しましたが、花の文様が描かれています。檳榔毛車が高い身分の人の乗る高級車とすれば、文の車は殿上人が常用する普及車と言えましょう。牛車も身分によって、車種が違っていたのです。今は、降車していますので、⑨牛は放たれて、長く伸びた⑩轅の先端の⑪飾り紐の付いた軛を、乗降時の踏み台となる⑫榻に置いています。

 牛車の回りでたむろしているのは、車に従う供人たちです。また、⑬馬を引く役の[イ]口取りもいます。これらの人たちの中で一人だけ姿が違う者がいますね。そう、牛を引いている者は⑭立烏帽子をかぶっていません。これは、牛を扱う[ウ]牛飼童と言い、成人しても童姿で狩衣を着ました。

 Ⓜ白壁際も見てみましょう。ここには、長い袋のような物を持っている人が何にもいますが、これは何でしょうか。本シリーズをご覧いただいている方は、見たことがありますね。これは長い柄の⑮端折傘を入れた袋で、第9回で扱いました。供人の[エ]傘持ちたちの姿が描かれているのです。

 さて、なぜここに牛車が置かれ、供人たちが待機しているのでしょう。それは、大内裏の中には、特別な勅許(牛車宣旨。ぎっしゃのせんじ)がないと牛車で通ることができなかったからです。ですから、ここで降車して大内裏に入ったのです。宣旨があって、乗車したまま門を通過する場合、ひどく揺れることは請け合いで、『枕草子』「正月一日は」段に、その様子が記されています。大臣や后妃などの高い身分の者で、輦車宣旨(てぐるまのせんじ)を受けている場合は、人力で引く輦車に乗り換えて、内裏の春華門(しゅんかもん)の外側まで行くことができました。

大内裏の内側 続いて、大内裏の内側に目を転じましょう。門から西に、少し高く、長く伸びた道が作られていますね。これを⑯置道と言い、勅使や上卿(しょうけい。儀式などを指揮する中納言以上の公卿。時に参議の場合も)だけが通ることができました。そうしますと、⑰帯剣した束帯姿の人は、射遺の[オ]上卿となる参議になります。

 上卿の後ろに従う者たちは置道を避けて両側を歩くことになります。すぐ後ろの二人は[カ]随身で、⑱壷胡簶を背負い、⑲弓を持ち、⑳帯剣しています。その後ろの二人は、[キ]矢取りと[ク]沓持ち役のようです。

 置道の手前に見える建物は、饗膳などを司るⓃ大膳職と呼ぶ役所です。Ⓞ築地に、北門となるⓅ四脚門(二本の主柱にそれぞれ二本の副柱がある門)が描かれています。

 置道の向こう側は、Ⓠ東雅院で、西雅院と並んでいました。Ⓡ築地と、その中にあけたⓈ土門が見えます。雅院は以前には前坊(東前坊・西前坊)と呼ばれ、平安時代初期には、東宮の居所となっていて、妃もここに局を置くことがありました。

 東雅院の前には、桶や荷を担いで揉烏帽子をかぶった[ケ]布衣小袴姿の男に犬が吠えかかっています。後ろの、頭に荷を載せた[コ]壷装束の女性は、連れ合いでしょうか、その様子を指差して笑っているようです。犬は男を怪しいと見たのでしょう。[サ]童二人が、犬を追い掛けてはしゃいでいますね。

画面の構図 射遺は、連続式絵巻で描かれています。画面右側には牛車や人々の待機する様子が描かれて、待賢門を入ると置道が左方向に長く続いています。この長い置道によって、絵巻を見る人にも、そこを歩ませ、射遺への興味をかきたてているという構図と言えます。今回は、これくらいにして、次回で置道の先で行われる射遺をみることにしましょう。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、今回取り上げた「置道」の先にある、射遺のシーンへと続きます。どうぞお楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

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2016年 6月 18日