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日本語・教育・語彙 第9回 「美しい日本語」「正しい日本語」への疑問(4):「木の掃除機(!?)」をめぐって

2016年 6月 24日 金曜日 筆者: 松下達彦

第9回 「美しい日本語」「正しい日本語」への疑問(4):
「木の掃除機(!?)」をめぐって

 前回、留学生の書いた作文に見られた「海に包まれた街」という表現を紹介した。これはおそらく「囲む」という語を知らなかったために「包む」で代用した結果、期せずして生まれたおもしろい隠喩(メタファー)である。街を小包のようなものに見立て、それを「包む」と表現したことで町全体が立体的に青く包まれているイメージを喚起する。

 語彙が不足しているために、他の語で代用した結果、ユニークな表現が生じるのは、母語話者の子どもにも頻繁にみられる。私の娘の幼児期のおもしろい表現に「木の掃除機」「薬の賞味期限」がある。近所の子どもが「男の犬」と言ったのを聞いたこともある。

 「木の掃除機」は箒(ほうき)のことである。彼女は先に掃除機を知っていて、そのあとで箒について学習したために、このような表現が生じた。「掃除機」が「機械」であるということを知らなかった一方で、掃除機が掃除をするために使われるという機能は理解していたのである。「掃除‘器’」と漢字を変えれば通じる表現かもしれないと思わずうなった。

 「薬の賞味期限」は「賞味期限」が「食品」に使われるということを無視して、それを薬に適用したために生まれた表現である。確かにおいしい薬もあるな、とほくそ笑んだ。「男の犬」は言うまでもなく、オスの犬のことだが、「男」が人間であるという意味を無視している。

 これらの例を見てわかるように、ある語の用法の拡張は、その語の意味を構成する複数の意味要素(意義素とも呼ばれる)の一部を回避することによって生じる。

 例えば「そよ風が微笑んでいる」と言えば風を人に見立てる擬人法(これも隠喩の一種)だが、これは「微笑む」は人がすることという意味要素を意図的に回避している。昔(おそらく1970年代)、「頭がピーマン」という表現が少し流行した。「頭が空っぽ」で中身がないという意味だが、「頭がピーマン」も「頭が空っぽ」も隠喩である。前者はピーマンが持つ属性のうち中が空っぽというところだけに着目し、食品であるという意味は完全に回避している。「頭が空っぽ」は頭を箱か何かに見立てた表現だと感じられるが、「空っぽ」が本来使われるべき物理的な空間の意味は回避されているのである。隠喩は類似性に基づく意味の拡張なので、何かと何かが似ていれば、その他の意味要素は回避される。ある部分が回避されて本来のところからズレることで表現としてのおもしろさが出てくるのである。

 自分の知っている語の意味を本来使われるべき文脈以外のところへ拡張することで、言語運用能力の不足を補うというのは、実はかなり優れた能力で、コミュニケーション上の方略[communication strategy]とも呼べるものである。そのようなことができれば、外国語学習の早い段階からその言葉を「使える」ようになる。そうして生まれた新しい表現が社会に広まって定着すると言語変化と呼ばれるようになる。「頭が空っぽ」や「頭の中が白くなる」なども初めは臨時的な表現として誰かが使ったのであろう。それが優れた表現であったために定着したものと思われる。「アクセスする」はコンピュータの普及に伴って用法が拡張している語だが、このように社会の変化に伴って用法が拡張することもある(注1)。

 このような表現を生み出すチャンスは、子どもや、留学生などの非母語話者にも十分にあり得ることであろう。表現をずらすことで言いたいことが何とか伝えられるようになるからである。

 

参考文献

注1:国立国語研究所(2006)「『外来語』言い換え提案 第1回~第4回 総集編」によると、「アクセス」は「定着に向かっている語だと思われ,「アクセス」をそのまま用いることにさほど問題のない場面も多いと思われる。ただし,60歳以上では半数以上が分からない語であり,言い換えや説明付与が望まれる場合も多い。」とされている。

 

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【筆者プロフィール】

松下達彦(まつした・たつひこ)
『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』東京大学グローバルコミュニケーション研究センター准教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

【編集部から】

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
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2016年 6月 24日