ネット座談会「ことばとキャラ」

第9回 定延 利之さん

筆者:
2016年8月12日

【発言者】定延利之

瀬沼さんのお話をうかがって,「若者たちが口にする「キャラ」」について,改めて考えてみる必要があると思うようになりました。

いま日本にはさまざまな分野で,さまざまな論者たちが,さまざまな「キャラ」論を展開していますが,それらは大きく三つに分けることができると私は考えています。

第1の「キャラ」は,英語の“character”に訳せるような「登場人物」の意味の「キャラ」です。第2の「キャラ」はマンガ論の中で伊藤剛氏が提出した「キャラ」で,これを第1の「キャラ」とはっきり区別するために伊藤氏は“Kyara”という綴りを当てはめています。そして第3の「キャラ」は,日本のことばやコミュニケーションを分析するために私が使っている用語です。第2の「キャラ」つまり伊藤氏のKyaraは,分野を超えてさまざまな論者にインパクトを与えてきましたが,このKyaraを拡大適用して日本語社会を分析しようとする試みは,(その試みの意義自体は別として)どうにも無理があるのではないかということを私は述べてきました(補遺第84回第87回)。これは,日本のことばやコミュニケーションを分析するには,第1・第2の「キャラ」とは別の概念が必要だということです。この認識のもと,私は日本語話者たち,特に若者たちが日常生活の中で口にする「キャラ」に目を付け,専らこれを意味する専門用語として自身の「キャラ」を定義しました。匿名性の高い電子掲示板・2ちゃんねるに,「オレは実は学校とバイト先でキャラが違うんだ」と書き込んだり,「この人たちと一緒にいると,私はいつのまにか姉御キャラになってしまって,若い男の子たちが寄ってこない。悲しい」とブログでぼやいたりするような「キャラ」,これが第3の「キャラ」です。私はこれを「本当は変えられるが,変わらない,変えられないことになっているもの。それが変わっていることが露見すると,見られた方だけでなく見た方も,それが何事であるかわかるものの,気まずいもの」と定義しています。

第3の「キャラ」の最大の特徴は,これが研究者によって作り出されたものではないということです。これを作ったのは日本語社会に暮らす人々,特に若者であり,私はただそれを専門用語として採用しただけ,と考えていたのですが,しかしながら瀬沼さんのお話をうかがうと,若者たちが語る「キャラ」には広がりがあり,私が定義したのはその一部ということになりそうです。

瀬沼さんのお話をうかがって私が感じるのは,若者たちの語る「キャラ」には,「主人役」「笑いを誘う道化役」「わざと議論を挑む敵役」のような,山崎正和『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』の「役割」(本編第36回)と近いものがあるということです。これは,若者の語る「キャラ」は,「キャラ」という名称はともかく実質だけを考えれば,昔から意識されてきたものとあまり違わない場合もあるということでもあります。私は若者の「キャラ」のうち,新しい部分にかぎって目を向けているけれども,瀬沼さんはとにかく全般をおさえようとされている,そんなことを感じますがどうでしょうか。

筆者プロフィール

定延 利之 ( さだのぶ・としゆき)

神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「人物像に応じた音声文法」の研究や「日本語・英語・中国語の対照に基づく、日本語の音声言語の教育に役立つ基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店、2000)、『ささやく恋人、りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店、2005)、『日本語不思議図鑑』(大修館書店、2006)、『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書、2008)などがある。

最新刊『煩悩の文法』(ちくま新書)

編集部から

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。