日本語・教育・語彙

第11回 「美しい日本語」「正しい日本語」への疑問(6):ことばの音の美しさとは

筆者:
2016年8月26日

今度はことばの「美しさ」について考えてみたい。言語には基本的に形と意味がある。形には音と文字がある。文字の美しさは極めれば書道になるのであろうが、これはもう一般の言語使用を越えた芸術領域であるので、ここでは論じる用意がない。

音の美しさについては、例えば母音の多く含まれる言語は柔らく聞こえるとか、子音が多ければリズミカルに聞こえやすいといったことがあるかもしれない。明治安田生命のウェブサイトによれば、2015年の女の子との名前(読み方)のトップ5はハナ、ユイ、メイ、アオイ、コハルで、k, t, s といった破裂や摩擦を含む音が非常に少ない。アオイに至ってはすべて母音である。(漢字の「葵」はすべての女の子の名前の中でトップである。)男の子の方のトップ5はハルト、ソウタ、ユウト、ハルキ、ユイトである。男の子の名前もさほど硬い感じはしないが、女の子に比べると明らかにk, t, sの割合は多い。女と男のどちらが「美しい」かということを論じるつもりはないが、性別の印象が音の印象と関係しているということは言えるであろう(音の印象に関する研究は間違いなく存在するが、それを正しく引用できるだけの知識はないのでやめておく)。

ただ、音に対する印象がどの程度普遍的なものか、というのは、ちょっと怪しい。先日、日本語非母語の芥川賞作家の楊逸(ヤン・イー)が、シリン・ネザマフィ(作品が芥川賞候補になったイラン人作家)との対談で「日本語って、すごく速い」「速い分、リズム感が強くて、非常に響きがいい」(『文學界』2009年11月号)と語っているのを読み、驚いた。私はむしろ、楊逸の母語である中国語にそのような印象を持っていたからだ(ネザマフィも「中国語のほうが速い気がする」と述べている)。結局わかりにくいものはより速く聞こえるということなのだろうか。

「○○語は美しい」とか「○○語は歌のように聞こえる」といったことを様々な言語について聞いたことがある。日本語を勉強している中国人が日本語についてそういうのを聞いたことがあるし、中国語を勉強している日本人から中国語についてそういうのを聞いたこともある。どちらも美しくて歌のような言語なのかもしれないが、音韻の体系は全くと言ってよいほど似ていない。

結局のところ、音そのものがもっている美しさよりも、その言葉につながっている何かのイメージがそうさせているか、美しいものに触れていると思いたいという願望がそうさせているのではないかという気がする。例えば、フランスのファッションを美しいと思えば、フランス語まで美しく聞こえるというようなことではないかという気がしてならない。それと同じで、ナショナリストが「日本語を美しい」と称えたところで、そうかなと疑念を抱くわけである。言葉を美しいと思うこと自体に大した罪はない。むしろ好ましい面もあるだろう。それぞれの言語にそれなりの美しさがあるのかもしれない。しかし、根拠もなくある言語をほかの言語よりも美しいと外に向かって主張する態度には政治的なものを感じるのである。

 

参考文献

「【特別対談】私たちはなぜ日本語で書くのか/ 楊逸×シリン・ネザマフィ」『文學界』2009年11月号

筆者プロフィール

松下 達彦 ( まつした・たつひこ)

東京大学グローバルコミュニケーション研究センター准教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)、『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』

編集部から

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は不定期の金曜日を予定しております。