絵巻で見る 平安時代の暮らし

第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

筆者:
2016年9月17日

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏南門の承明門(じょうめいもん)から建礼門(けんれいもん)にかけて
時節:1月2日?

建物:①承明門 ②建礼門 ③・⑩石の基壇 ④・⑯檜皮葺の屋根 ⑤棟瓦 ⑥・⑨三級の石階 ⑦・⑮築地 ⑧複廊 ⑪瓦屋根 ⑫檜皮葺の廂屋根(出廂) ⑬三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)の妻 ⑭瓦 ⑰仗舎(じょうしゃ) ⑱妻戸 ⑲連子(れんじ) ⑳白壁
人物:[ア] 黒袍束帯姿の右兵衛督 [イ] ・[エ]褐衣(かちえ)姿の舎人(とねり) [ウ] 黒袍束帯姿の左兵衛督  [オ] 黒袍束帯姿の文官 [カ] 童 [キ] 黒袍束帯姿の右衛門督  [ク] 口取りの白張(はくちょう)
着装:Ⓐ緌(おいかけ) Ⓑ券纓(けんえい)の冠 Ⓒ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓓ・Ⓗ弓  Ⓔ靴(かのくつ) Ⓕ平緒(ひらお) Ⓖ壷胡簶 Ⓘ藁靴

はじめに 今回は、第46回で扱いました『年中行事絵巻』の朝覲行幸に出発する場面の続きを採り上げます。朝覲行幸は、天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会することでした。今回の場面は、高倉天皇が紫宸殿を出発するところで、これから平安京の東外、七条末路辺に建てられた父の後白河上皇が住む法住寺南殿に向かいます。この邸第も第17回第18回で扱っていますので、ご参照ください。

内裏の内郭と外郭 最初に平安京内裏の区画について改めて触れておきます。内裏は、二重の障壁によって囲まれていました。外側は外郭といい、築地と六つの門などからなり、内側は内郭といい、回廊と十二の門からなっています。外郭の門を宮門(きゅうもん)、内郭の門を閤門(こうもん)と呼ぶこともあります。これから見ます画面には、内郭南面の正門となる承明門と、外郭南面の正門となる建礼門が描かれているのです。

これらの門を警護したり、開閉したりするのは、衛府と呼ばれる官司の武官たちです。平安時代には六衛府制となり、近衛府・衛門府・兵衛府の三つに整備され、それぞれ左右に分かれました。そして、守備する場所が分担されたのです。内郭は近衛府、外郭は衛門府、中郭は兵衛府、というように担当が決められました。門の開閉は内側からしますので、承明門は近衛府、建礼門は兵衛府が当たります。

これから読み解きます場面は、第46回で見ました内郭を守備する近衛府に続いて、兵衛府と衛門府の分担が表現されていますので、以上のことを念頭に置いて見るようにしてください。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。東から西を眺めた構図になっています。画面右方向(北)には紫宸殿があり、天皇は鳳輦(ほうれん。天皇専用の輿)に乗って、これから南の①承明門・②建礼門をくぐって行くことになります。

この場面では、人々の様子が二通りになっているのがお分かりですか。画面上部に居並ぶ武官たちは静止していますが、手前の人たちはあわただしく動いていますね。これはどうしたことでしょうか。これも六衛府の役割分担にかかわっているのです。

行幸の行列は、天皇の鳳輦を中心として前後に分かれます。前に位置するのが左の衛府、後ろが右の衛府となります。画面手前の武官は南面する天皇から見て左となりますので、鳳輦の前に位置しようとして動いているのです。画面上部の右の衛府は、行列の後ろですので、鳳輦が通過するのを待っているのです。だから静止しています。この点だけでも、行幸の次第や衛府の役割が分かりますね。

承明門 話は反れますが、京都御所の拝観をしたことがありますか。その拝観ルートで、回廊の門の外側から、内部の紫宸殿南面を見ることができます。その門が、画面右側にある①承明門なのです。拝観ルートは外郭と内郭のあいだを通っているわけです。

承明門は、③石の基壇の上に建てられます。④檜皮葺の屋根に⑤棟瓦を載せ、五間三戸(第50回参照)になっていますが、この図では、はっきりと分かりません。基壇には、北側に二級、南側に⑥三級の石階が付いています。

承明門の東西は、中央の⑦築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれる⑧複廊の回廊になっています(第52回参照)。

兵衛たち 次に承明門の南側にいる人々を見てみましょう。二人の黒袍の束帯姿の武官が目立つようにやや大きく描かれています。[ア]西側(画面上部)の人で確認しましょう。Ⓐ緌の付いたⒷ巻纓の冠にⒸ平胡簶を背負ってⒹ弓を持ち、履いているのは縁を赤地で飾ったⒺ靴(第10回参照)です。Ⓕ平緒が下がっていますので、画面には見えませんが太刀を佩いています。典型的な武官の正装ですね。その横に並ぶ人たちとは、あきらかに身分が異なっています。これらの人々は兵衛府の[イ]舎人(下級の武官)で、褐衣姿にⒼ壷胡簶を背負ってⒽ弓を持ち、Ⓘ藁靴になっています。

それでは、この黒袍の人は誰になるのでしょうか。もうお分かりですね。この場所を守備するのは兵衛府で、西側が右でしたので、この人は長官の[ア]右兵衛督となります。そうしますと、東側で移動している同じ装束の人が[ウ]左兵衛督になります。こちらの[エ]舎人たちは、一緒に移動していますね。

承明門で建礼門の方を見ている[オ]黒袍の人が見えます。この人は、緌や胡簶が見えませんので文官になり、行幸の進行役になるのでしょうか。階段を駆け上がっている[カ]童は、様子を見に来た衛門督に従う使いでしょう。その他の人たちも行幸の行列が出発しますので、あわただしく往来しています。

建礼門 続いて②建礼門を見ましょう。これも⑨三級の石階のある⑩基壇の上に建っていますが、屋根は違います。⑪瓦屋根で、南側には⑫檜皮葺の廂屋根が付いています。これを出廂と呼びます。屋根の下の妻(側面)は、複雑な飾りとなっています。これは第50回で見ました待賢門の⑬三重虹梁蟇股という構造と同じになりますね。ただし、待賢門は桁(横木)が突き出ていますので、見た目は同じではありません。

建礼門の東西は⑭瓦を載せた⑮築地になっています。内裏をしっかり区画しているのです。門前の東西にある⑯檜皮葺の小さな建物は、⑰仗舎と呼ぶ左右衛門府の守衛所です。正面に⑱妻戸、その両側の上部は格子状の窓となる⑲連子(檑子とも)、下部は⑳白壁(粉壁とも。ふんぺき)になっています。残り三面も⑳白壁です。

外郭の衛門たち 西の仗舎の横に立つ黒袍の武官は、先の兵衛督と同じ装束ですね。こちらは外郭の外にいますので、[キ]右衛門督になります。左衛門督は、カットした画面左側にいて、すでに騎乗して出発しています。門前には七頭の馬が描かれていますが、五位以上の武官が騎乗することになっていました。馬たちは、何かに驚いたのか、前脚を上げたりして興奮した様子です。それを必死に押さえつけようとしている[ク]口取りたちは、主に白布の狩衣を着た白張と呼ぶ下部たちです。馬のいななきや、叱咤する白張たちの喧騒が聞こえてきそうな門前となっていますね。こうした光景を描くのは『年中行事絵巻』の特徴の一つでした。

なお、馬具一式を鞍と呼び、当時は様式の違いから唐鞍・大和鞍・移鞍(うつしくら)の三種がありました。ここは移鞍になりますが、その詳細は割愛して、いつか触れることにしたいと思っています。

この画面の意義 今回は第46回の画面の続きでした。二つを並べてみますと、左右の、近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかりますね。それぞれの長官が目立つように描かれていました。そして、役割の違いは、内裏の構造とかかわっていたのでした。絵巻は行幸の次第を描こうとして、おのずと六衛府のことを表現していたのです。衛府の違いも分かるところにこの画面の意義があることになります。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

■大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『年中行事絵巻』の中の、東三条殿での「大臣大饗」のシーンを取り上げる予定です。どうぞお楽しみに。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております