絵巻で見る 平安時代の暮らし

第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

筆者:
2016年10月15日

建物:Ⓐ五級の御階 Ⓑ寝殿 Ⓒ西広廂 Ⓓ打出(うちで) Ⓔ東南一間分 Ⓕ御簾 Ⓖ簀子 Ⓗ南廂 Ⓘ畳(親王の座) Ⓙ西透渡殿(すきわたどの) Ⓚ西階
人物:[ア] 角髪(みずら)に結った船差童(ふなさしわらわ) [イ]主人 [ウ]尊者 [エ]公卿 [オ]弁・少納言 [カ]外記・史(げき・さかん) [キ]家礼(けらい) [ク]召使 [ケ]随身
庭上:①立作所(たちつくりどころ) ②俎板 ③・④・⑯二階棚 ⑤鯉 ⑥折敷高坏 ⑦・⑰瓶子(へいじ) ⑧・⑱折敷 ⑨・⑩・⑲・⑳床子 ⑪酒部所(さかべどころ) ⑫土器製の酒樽 ⑬柄杓 ⑭火炉 ⑮大釜 幔(まん) 幔門 荒磯 南池 龍頭の舟 鷁首の舟 棹 楽太鼓 下襲の裾 笏 石帯 

はじめに 今回は、第52回で正月の中宮大饗を読み解きましたので、関連した大臣大饗を採り上げることにしました。これまで大内裏・内裏の様子を見てきましたが、貴族邸が絵巻の舞台になります。

寝殿造図の間違い 突然ですが、原典(原本は焼失。現存は模写本)の寝殿造の建物には、おかしなところがあります。お気づきでしょうか。Ⓐ五級の御階を見てください。位置がおかしくはありませんか。御階はⒷ寝殿南面の中央に位置するのが普通でした。しかし、この図では、御階の東側(右側)が三間、西側(左側)が五間になっていますね。御階の位置がおかしく、もう一間西側に移して描けば、両側の東西は四間ずつになりました。絵師が御階の位置を勘違いしたと思われます。

『年中行事絵巻』巻十には、この大臣大饗の終わりの段階を描いた絵も載っています。その絵では御階の東側は、四間のように見えます。また、この大臣大饗の場となったとされる、藤原氏の氏の長者が主に伝領した東三条邸の構造とも違っています。東三条邸寝殿は六間四面で、北孫廂とⒸ西広廂(吹き放し)が付き、東西九間、南北五間であったことが明らかにされています。そして、御階は中央の五間目にありました。

やはり御階の位置は、原典の間違いとなりましょう。この他に、四足の机などに一足描き忘れたりしていますので、模写する際に問題があったのでしょう。

絵巻の場面 それでは、絵巻の場面となる大臣大饗について触れておきます。大臣大饗は、摂関や大臣が私邸に王卿や官人たちを招いて饗宴を催すことを言います。毎年正月四日から五日と、大臣任官の際に行われる二通りがありました。ここは正月の大饗で、来訪の挨拶(拝礼)、酒宴、賜禄、退出と続きますが、この間に、幾つか趣向がありました。今回は、拝礼の場面で、次々回に酒宴の途中の場面を採り上げることにします。

東三条邸の室礼 大饗を催す際には、しかるべき準備や室礼がされました。この画面でも、その一端が分かります。Ⓑ寝殿では南面東端二間分に、Ⓓ打出がされています。本来でしたら、Ⓔ東南一間分にも打出がされますが、画面ではよく分かりません。打出は、女性衣装の袖口や褄(つま)などをⒻ御簾の下からⒼ簀子に押し出して飾りとすることでした。

また、御階西側のⒽ南廂が一段高くなっています。これは、Ⓘ畳二帖が敷かれているためで、親王の座とされました。これも位置的には、御階と共に西側にもう一間ずらされなければなりません。この奥には、来客たちが坐る座が整えられましたが、詳しいことは次々回に触れることにして、南庭に目を転じましょう。

南庭の準備 南庭にもこの日のための準備がなされます。まず目につくのが、二つの幄舎です。東側にある幄舎は、①立作所で、ここで雉や鯉などを調理します。中央には大きな②俎板を二つ載せた台が置かれています。この左右には、③④二階棚があります。③左側の上段手前には、絵では⑤鯉が描かれていますが、本来は下段に置かれました。奥には二つの⑥折敷高坏が二つ見え、中に蘇(そ。チーズのような食べ物)と甘栗とが壺に入れられているようです。これは、宮中から蘇甘栗使によって、大饗のために贈られました。大饗は公的な儀式であったことを思わせます。④右側の棚の上段手前には、⑦瓶子(酒と酢を入れた)が見え、奥にお盆の役をする⑧折敷が置かれています。折敷は本来、塩などと共に下段に置かれました。俎板台の手前と奥には、包丁人(料理人)用の⑨⑩床子が置かれています。手前の⑨床子には一足が描き忘れられていて、⑩奥のは俎板台の下に置かれているように見えますが、これでは坐れませんね。画面ではカットしましたが、この幄舎の東側には、釜を据えた火炉が置かれました。

西側の幄舎は、⑪酒部所といって、お酒のお燗をします。右側には、大きな⑫土器製の酒樽に⑬柄杓が添えられています。中央には台(足の一本が描かれていません)に載せた⑭火炉があり、⑮大釜が二つ据えられています。ここでお燗するわけです。左側には⑯二階棚が置かれ、上段には⑰瓶子が四つ置かれているのが見えます。下段には、絵でははっきりしませんが、⑱折敷が置かれていて、これに瓶子や盃を載せて、宴席まで運びます。幄の手前と奥には、酒番をする人用の⑲⑳床子が見えますが、手前に二脚置いたようです。

この幄舎の西側には、幔が張られ、幔門が作られています。東三条邸では、この幔に沿って左側に釣殿に続く透廊がありましたが、絵巻では省略されています。幔の奥の内側に見えるのはⒿ西透渡殿で、西端にここに上がるためのⓀ西階が見えます。なお、東三条邸には、西の対がなく、特殊な構造になっていますが、これも次々回で触れます。

荒磯のある南池には、龍頭の舟と鷁首の舟が見えます。棹で漕ぐのは[ア]角髪に結った船差童四人ずつです。鷁首の舟には楽太鼓が見え、船楽が奏せられます。

拝礼の仕方 次は、儀式の次第です。Ⓐ御階手前の東側に立つのが[イ]主人です。一人歩んできたのは、この日の最も高位の人で、[ウ]尊者と言います。下襲の裾を長く引いた二人は揖(ゆう)と言って、笏を両手で持ち、上体を前に傾けて礼をしています。

この揖以前、三列に整列した時点で、主客は拝礼しています。各列は東が上で、一列目に[エ]公卿(三位以上)、二列目に[オ]弁・少納言(四、五位相当)、三列目に[カ]外記・史(六、七位相当)となります。整列は、二列目の先頭が一列目の三人目の後ろから、三列目は二列目の二人目からとなっていましたが、この絵では三列とも先頭は揃っていますね。

整列している人たちは束帯姿ですが、黒く描かれた人と、そうでない人に分かれています。袍の色は11世紀にもなると、一位から四位までは限りなく黒くなりますので、この絵でも四位以上が黒で、五位以下の人とわざと区別しているのでしょう。[カ]外記・史たちは下襲の裾を引いていませんが、これは畳んで石帯にはさんでいることになります。

宴席への移動 宴席への移動の仕方にも身分に応じて作法がありました。主人と尊者は御階の前で三譲(さんじょう)といって昇殿を三度譲り会ってから、沓を脱いで並んで上がります。主人はⒾ親王座、尊者は、奥の尊者座に着きます。それに続いて、公卿たちも御階を上がり母屋の座に着きました。

弁・少納言は、幔の北のⒿ西透渡殿のⓀ西階からに上がり、寝殿西廂の座に着きます。外記・史は一端幔門の外に出て、描かれてはいませんが西北渡殿に上がり、そこの座に着きます。さらに、幔門に待機する束帯姿は、東三条邸に普段から出入りしている [キ]家礼(家来)たちで、拝礼なしで西透渡殿から上がりました。貴族社会では、昇殿の仕方にも身分差があったのでした。なお、幔門の外側にいるのは、昇殿した主人の沓を取る[ク]召使たちのようです。また、南庭にいる武官姿は、[ケ]随身たちです。

この画面の意義 今回は大臣大饗の拝礼の場面を見てみました。寝殿造や整列の仕方などにおかしさがあるとはいえ、拝礼する様子が分かり貴重でした。さらに次々回も大臣大饗を採り上げて、理解を深めたいと思います。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』より、儀式関連についての解説が続きます。どうぞお楽しみに。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております