絵巻で見る 平安時代の暮らし

第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

筆者:
2016年12月17日

場面:大臣大饗で鷹飼(たかがい)と犬飼(いぬかい)が登場するところ
場所:東三条邸の寝殿とその西側など
時節:1月4日

建物等:Ⓐ寝殿 Ⓑ五級の御階 Ⓒ塗籠となる部屋 Ⓓ西広廂 Ⓔ妻戸 Ⓕ西北渡殿 Ⓖ休所(やすみどころ)となる部屋 Ⓗ西透渡殿(すきわたどの) Ⓘ西簀子 Ⓙ南廂 Ⓚ親王の座の畳 Ⓛ尊者の座 Ⓜ公卿の座 Ⓝ西廂 Ⓞ弁・少納言の座 Ⓟ外記・史(さかん)の座 Ⓠ西中門廊 Ⓡ千貫(せんかん)の井 Ⓢ溝 Ⓣ透廊(すきろう)
人物:[ア] 鷹飼 [イ]犬飼 [ウ]下役の者 [エ]主人 [オ]尊者の公卿 [カ]非参議大弁
調度など:①折敷 ②屛風 ③軟障(ぜじょう) ④御簾 ⑤・⑦・⑧・⑨・⑪台盤 ⑥茵(しとね) ⑩出雲筵の帖(じょう) ⑫幔門(まんもん) ⑬雉 ⑭鷹 ⑮犬

はじめに 今回は、第54回で扱いました東三条邸を会場とした大臣大饗の続きになります。そこでの東三条邸の図には、Ⓐ寝殿南面のⒷ五級の御階の位置が間違って描かれていました。今回のもそれが踏襲されていて、一間分西側に描かなくてはならないところでした。この他にも史料に照らしておかしな点があります。画面右上の角は二間四方のⒸ塗籠になりますが、区画されてしまっています。また、寝殿Ⓓ西広廂の北側に描かれるⒺ妻戸の西側は、Ⓕ西北渡殿の一間分でⒼ休所にされましたが(後述)、二間分あるようになっていて人物が描かれてしまっています。こうした欠点がありますが、大饗の宴席が描かれたことで、今回の場面は貴重な史料になっています。

絵巻の場面 この場面は[ア]鷹飼と[イ]犬飼が登場するところです(後述)。それと併せて、鳥瞰的な吹抜屋台の技法で、室内の宴席の様子も描いています。高い建物などなかった時代に、よくもこうした鳥瞰図が描けたものと思います。この構図によって、東三条邸の内部と、大臣大饗の宴席に対する視覚的な理解ができますね。

宴席の序列 それでは、東三条邸の構造を確認しながら、宴席の様子を見ていきましょう。画面右側(東)がⒶ寝殿、左側(西)手前がⒽ西透渡殿、奥がⒻ西北渡殿になります。宴は進行していて、西透渡殿に二人、寝殿のⒾ西簀子とⒹ西広廂に一人ずつの、四人の下役の者が料理を運んでいるのが見えます。西簀子の[ウ]人には①折敷を捧げ持っている様子が分かります。

画面でまず目につくのは、宴席が幾つにも分かれていることです。なぜ分かれているのかは、前々回の拝礼の場面で明らかですね。身分・序列が、宴席の座にも及んでいるのです。そして、寝殿には②屛風、西北渡殿には③軟障が張り巡らされて宴席を区画していることが分かります。この違いも身分差を示し、座席が区別されました。なお、寝殿の屛風の後ろには壁代と④御簾が垂らされますが、画面では一部しか描かれていません。

主人と尊者の座 まず、主人の座を確認しましょう。Ⓙ南廂が[エ]主人の座です。大饗が始まった時には、Ⓚ親王の座とされる二帖敷かれた畳に坐りましたが、途中から朱塗の⑤台盤と菅円座(すげえんざ)を置いて、ここに移りました。藤原氏の氏の長者が行う大饗では、朱器台盤(大盤とも)といって、朱塗の、器と台盤を主客が代々使用しました。朱器大饗という言い方もされ、氏の長者としての威勢を誇示したのです。

大臣大饗の来客のうち、最も身分が高い二人が尊者とされましたね。Ⓛ尊者の座は、母屋の東側に二つ設けられます。この日の[オ]尊者は一人だけでしたので、南側に坐しています。二人の場合には、南側が上席になります。画面でははっきりしませんが、座の設け方にも作法がありました。板敷の床の上に、長筵・菅円座・地敷・⑥茵の順で重ねられ、⑦台盤が、油単(ゆたん。湿気を防ぐために油をしみ込ませた敷物)の上に置かれました。

公卿の座と弁・少納言の座 尊者の座の西側は、Ⓜ公卿の座になります。⑧台盤十二脚を二列に置いて向かい合って坐る、二行対座にしました。尊者の座と違って、ここは北側が上席です。長筵・菅円座・地敷を重ねて敷き、さらに円座を置きます。公卿は大納言・中納言・参議の身分がありますので、その差を視覚化するために、一番上に敷く円座の縁(へり)の色が変えられました。大納言は紫縁、中納言は青縁、参議は高麗縁とされたのです。

Ⓝ西廂が、Ⓞ弁・少納言の座です。ここも画面ではっきりしませんが、上席となる北端は、高麗縁の円座が敷かれた[カ]非参議大弁の座とされ、台盤一脚が置かれました。その南に間隔を空けて四脚の⑨台盤が一列に並べられ、円座はなく出雲筵が敷かれました。円座と筵で、身分を違えたのです。

外記・史の座 寝殿から離れた、東西四間となるⒻ西北渡殿の西側三間が、Ⓟ外記・史の座です。ここも二行対座になります。北側が外記、南側が史で、⑩出雲筵の帖(薄い畳)が敷かれ、⑪台盤二脚が置かれました。

西北渡殿の東端の間(ま)は、臨時に南北二つに区画され、北が公卿、南が尊者のⒼ休所とされましたが、先ほど触れましたように、尊者以外の人物が描かれてしまっています。休所は、用を足すために設けられました。

西中門廊 Ⓕ西北渡殿の西側は、通路を隔ててⓆ西中門廊となりますが、画面では連続したように描かれています。ここにも五人に官人が坐っていますが、本来はもう少し北側に、侍従・諸大夫の座として設けられたのを、ここに描いたのだと思われます。大饗には、この他にも、下級官人の席も設けられましたが、画面にはありませんので、説明は省略させていただきます。

なお、五人が坐る西中門廊の南端は、地面になっています。ここには『枕草子』に「Ⓡ千貫の井」として登場する井戸があって、京内で有名でした。この井戸を守るために、東三条邸では西の対が設けられなかったとも言われています。

鷹飼と犬飼の登場 宴が進行すると、[イ]犬飼を連れた[ア]鷹飼が、⑫幔門(前々回参照)から南庭に登場します。鷹飼は鷹狩で獲れた⑬雉を木の枝にさし、⑭鷹を左肘に留まらせています。犬飼は、野に隠れる小動物を追い出すために使われる⑮犬を連れています。二人とも天皇の鷹狩に奉仕する蔵人所の下級官人になります。鷹飼は、前々回の場面で描かれていました立作所(料理所)で雉を渡し、ここで酒を勧められ、盃を犬飼に回しました。そして、禄を戴き、退場して行きます。

二人の登場は大饗での余興であり、退場してからは、さらに舞楽などが行われて、饗宴は続いていくことになります。

なお、⑮幔門の西側(左側)とⓈ溝とのあいだは土間になるⓉ透廊になっていることが画面で分かります。前々回では、ここは描かれていませんでしたね。この透廊は、南池まで延びています。

この画面の意義 今回は大臣大饗の宴席の様子を中心に見てみました。母屋・廂・渡殿という場所、宴席を囲う屛風・軟障などの屏障具、そして、画面では分からない点も触れましたが、座に敷かれる茵・円座・筵・帖などの座臥具などを違えることで身分差を、さらにそれぞれの座でも上席が決められ序列を視覚化していました。貴族たちが会合する場は、いつでも身分や序列が問題になるのです。それは、後の武士の世でも、あるいは今日でも変わらない光景となりますね。

筆者プロフィール

倉田 実 ( くらた・みのる)

大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
『三省堂全訳読解古語辞典』〈第四版〉、『日本国語大辞典』(小学館)、『新編日本古典文学全集』(小学館)、『角川古語大辞典』(角川書店)、『源氏物語図典』(小学館)などをはじめ、数多くの辞書事典類の図版や絵巻描き起こしを手がける。

『全訳読解古語辞典』

編集部から

三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回扱いました「東三条殿」は、現在でも京都市の中京区押小路通釜座角(京都市営地下鉄烏丸線・地下鉄東西線「烏丸御池駅」から徒歩)に石標があり、その付近が東三条殿の跡地であることを今に伝えています。

2013年4月に始まり、56回にわたって連載して参りました、倉田実先生の「絵巻で見る 平安時代の暮らし」は、都合により2017年1月から休載期間に入ります。1年後を目処に、また再開の予定ですので、何とぞ引き続きご愛読ください。

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