漢字の現在

第299回 皇帝が書かせた手書きの『康煕字典』―前編

筆者:
2017年5月8日

「四庫全書」を調べ直してみようと思った。

これは、清朝の勅撰の一大叢書であり、世界史の教科書にも登場する。時の乾隆帝が、全国から書籍を取り寄せて、学者たちに選りすぐらせたものである。原本は接収して、提供者には写本を返したと聞く。清朝に都合の悪い内容を検閲したため、禁書に指定して焼いたり、本文の字を別の字に改変したりすることもあった。

中国の学者の中には、手っ取り早くこれを用いて調べごとを済ませるだけでなく、論考に本文をそこから引用する人までいる。電子版も流布しており、そこには誤入力もあるのだが、とにかく3500点余りの典籍に記された延べ10億文字がすでにデータとして打ち込まれているので、全文検索が可能となり、画像もわりと簡単に入手できるためであろう。さらに、これを包含して余りあるデータベースも、すでに刊行されている。

文献学を学べば、あるいは文献研究をしている人と話すと、これは写本として政治色を帯びているため、研究用の資料としては使わない方が良いという話を繰り返し聞く。私もそう習ったため、その巨体をどこか軽蔑するような目で、そこにしかないときには仕方ない思いで扱っていた。

しかし、この叢書は、その性質をよく理解した上で扱うならば、実に多くの未開拓の情報に満ちていることを教えてくれると気づいた。

その統治のためのテキストの改変などの政治色については、最近、集中的に調べたことをまとめた小著『謎の漢字』に触れた。本を執筆し、刊行するとなると改めて勉強し、情報を整理しなくてはならず、そしてその過程で新しいことも次々と分かる。そこから新たな疑問も次々と派生し、新規の課題にも恵まれる。謎は謎を呼ぶのだ。解決のためには、また図書を読み、足を運んで調べていかなくてはならない。それは、今も続いている。

「四庫全書」の政策的な面にも面白味があるのだが、公式な書籍としてこれを見たときに、もっと興味深い事実が次々と顔を出すのである。こうした文献も、資料性をふまえたうえで検討をしていかなくてはなるまい。以前、「龍」の伝承古文について、一つの字形が書籍や写本に転記されていく中で、何がどのように、どこまで変化していくのかを追って、『墨』誌に連載したときから、これは楷書でも、と感じ始めていた。そして最近、とみに気になってきた。

「四庫全書」は、手書きによって書写、編纂された叢書であり、そこから活字にされた聚珍版と呼ばれる書物はごく一部に過ぎない。文淵閣本に対して副本が作られ、7種類も中国各地に配置されたが、清末の数々の騒乱によって半分以上がこの世から失われてしまった。

いま日本では、文淵閣本、文津閣本、そして編纂過程で作られたダイジェスト版の「四庫全書薈要(かいよう)」の影印版を、図書館で閲覧することができる。ネット上や書籍でも、それらの一部を見ることはできる。膨大な資料に飛び込む環境ならば、実は整っている。

先日、白川静記念東洋文字文化賞の授賞式のために、立命館大学に伺った。地味な調査研究にも励ましを与えて下さる方々には感謝するばかりである。衣笠キャンパスに向かうバスの車内では、そういうものがないかと探していた用例がたまたま見つかった(図)。

バスの車内で 「つぎ止まります」「次とまります」

【「つぎ止まります」「次とまります」】

表記の不統一、表示を制作した会社の違いと言えばそれまでだが、どうして「次止まります」「つぎとまります」としないのか。読みやすくしてあげようという配慮が、そこに感じられないだろうか。

空が広いキャンパスは、高校時代に憧れた時計台のほかに、新設の図書館があり、そのガラス越しの吹き抜けに面して、「四庫全書」の一本が書棚一杯に堂々と配架されていた。中国の温家宝氏から寄贈されたものだそうだ。表彰式のあと、後ろ髪を引かれながら一旦会場を離れ、そこへと向かった。

見慣れた文淵閣本と比べると、冒頭に付された提要が古く、総編纂官の紀昀(きいん)の直しが入っていないものかと、興味を引かれる。清代ともなると資料がたくさん残されており、これも朱で書き込まれた原稿が残され、刊行されている。私は、学部は中国文学専修だったので懐かしいが、国字を研究するには漢文・中国語と漢字を広く捕捉しておくことが前提となるわけで、細々とだが膨大な漢籍を調べることも続けている。

これらは、清朝に最盛期をもたらした皇帝である乾隆帝が編纂を命じ、みずから閲覧(御覧)したものである。つまり勅撰であり、さらに小著に記したとおり、漢字の字形にうるさいこの皇帝が、完成後も目を光らせていた本である。当時の科挙を受けたり、合格したりした人たち数千人の筆になる筆跡が、その紙面に残されているわけであり、当時の公的な字体・字形を反映していると見ることができる。

実は、この叢書には、康煕帝が編ませた『康煕字典』まですっぽりと収められている。類書(百科事典)もそういうことをしてきたが、大部の字書まで取り込むのはさすが国家規模の叢書である。よく旧字体のことを「康煕字典体」のように呼ぶが、それは直接には明朝体のような書体で版本に印刷された字体を指す。「四庫全書」の編纂時には、おそらく殿版つまり内府本の『康煕字典』(1716)を眺めながら、一字一字書写されたのだろう。つまり、清朝の役人やそれに準ずる筆耕たちが毛筆で書いた『康煕字典』の字形、という唯一無二の価値を有するのである。最近まで、その存在や意義をきちんと認識していなかったのだが、やっと小著を執筆する中で、そこに思い至ることができた。(つづく)


付記 台湾の故宮博物院図書館には「四庫全書」と「四庫全書薈要」に『康煕字典』があるという言及が谷本玲大氏の「康煕字典DVD-ROM解説・マニュアル」(2007)と、それに基づく「概説康煕字典」(2015)に見られた。それらは、中国での先行研究より、北京の故宮博物院に、殿版に基づく、印刷本と見紛うばかりの出来映えとされる康煕年中内府朱墨精抄本があるとの指摘を引く。康煕帝は、一旦献上された『字典』に納得がいかずに、追補を命じたとされるが、それがどの時点のものか、気になるところである。

筆者プロフィール

笹原 宏之 ( ささはら・ひろゆき)

早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』、この連載がもととなった『漢字の現在』(以上2点 三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、『日本人と漢字』(集英社インターナショナル)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。『漢字の現在』は『漢字的現在』として中国語版が刊行された。最新刊は、『謎の漢字 由来と変遷を調べてみれば』(中公新書)。

『国字の位相と展開』 『漢字の現在 リアルな文字生活と日本語』

編集部から

漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。