モノが語る明治教育維新

第10回―世界、そして地球を学ぶ (2)

2017年5月9日

教育内容の近代化が急務である草創期の学校では、地理教育の比重はとても重いものでした。師範学校制定の下等小学教則によると、第六級(2年生前期)の「読物」と「問答」、第五・四級(2年生後期・3年生前期)の「問答」という教科で、特に「地球儀」という時間を設けていたほどです。文部省はこの授業で使う教材として、「文部省定正 新訂地球儀」(明治8年)と箱書きされた地球儀を作製しました。新訂とあるところを見ると、これ以前に作られたものがあったようですが、大切に木箱に収められ140年以上たったとは思えない状態の良さです。

地球儀は開化を象徴する教材として世間から注目され錦絵にも多く登場しますが、どれも生徒たちが取り囲んで見るほどの大きなものとして描かれています。

ところがこの実物は、地球が直径10.5センチほどの小さなもので、木製の支柱と台座を含めても生徒が囲んで見るような大きさではありません。教材としてどのように利用されたのか謎ですが、問答の授業がどのように進められたかは、『文部省新訂地球儀略解』(明治8年)のような民間の教科書が発行されていたのでおおよそ分かります。その緒言には「此書ハ文部省新訂ノ地球儀ノ色分ケ及ヒ地勢気候ノ概略ヲ解キ専ラ幼童地理ヲ学フモノゝ一助ニ供スル」とあります。内容の一例を引くと

(問)地球儀とは何てあるや
(答)地球儀とは一個の球を造り其前面に世界のありさまを記載したる者であります
(問)陸地の大洲を何々に分つるや
(答)六大洲にして即ち亜細亜、欧羅巴、亜非利加、墺太利亜、北亜墨利加、南亜墨利加等であります
(以上、原文ママ)といった具合です。

地球儀は12枚の船形地図を貼り合わせて作られおり、一見して3本の三重線(赤道、本初子午線、黄道)と4本の点線(夏至線・冬至線・北圏線・南圏線)が目につきます。

太陽の見かけ上の通り道(黄道)などを地球上に引くことで、世界地理 だけでなく、天文学的な内容も含めて、地球儀を用いて学ばせたのでしょう。『師範学校 改正小学教授方法』(明治9年)にも地球儀は「地球の自転して昼夜の変をなし 太陽の周辺を公運して四時寒暑の節をなす理 ・・を瞭然目撃せしむるの器械なり」とあります。ちょうど前回ご紹介した福澤諭吉の『世界国盡(せかいくにづくし)』と『訓蒙窮理図解(くんもうきゅうりずかい)』の内容を合わせたような地球儀の時間だったと思われます。

維新から8年、村の名や東海道往来を学んでいた子どもたちが、はるか遠くの世界の国々や天体としての地球まで、この地球儀で学識を広めることが出来るようになったのです。

★おまけ

日本は「日本諸島」とあり、エソ(蝦夷)、東京、四国、九州、長サキ、ヲキ(隠岐)、サド、八丈島、琉球の地名が記されています。樺太・千島交換条約締結(明治8年5月)の数か月前にこの地球儀が作成されたため、カラフト(サハリン)は日本領土として全土赤く塗られています。

筆者プロフィール

唐澤 るり子 ( からさわ・るりこ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

『図説 近代百年の教育』

編集部から

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。