『日本国語大辞典』をよむ

第9回 わたしは誰でしょう?②:東洋編

筆者:
2017年6月4日

「私は誰でしょう?①」は「西洋物」だったので、今回の②は「東洋物」にしてみましょう。みなさんは次の人名をご存じでしょうか。

1 めみょう【馬鳴】

2 もくあんしょうとう【木庵性瑫】

3 もくあんりょうえん【黙庵霊淵】

4 もくかんかかん【木杆可汗】

5 もちやのお福

5は実在の人物ではなさそうだ、ということがすぐにわかってしまいそうなので、5から説明してみましょう。『日本国語大辞典』には次のようにあります。

もちやのお福(ふく) 江戸時代、看板として餅屋の門口に置いた、木馬にかぶせたお多福の面。また、そのように醜い女のたとえ。木馬は「あらうまし」または「見かけよりうまし」のしゃれで、お多福の面は、餅に息がかからないよう「ふく面して製す」のしゃれという。

そして挿絵が添えられています。「おたふく」が醜いとばかりはいえないと思うが、醜いというとらえかたがなされていたことは確実といってよい。『日本国語大辞典』の見出し「おたふく」には次のようにある。見出し「おたふくめん」も併せてあげておく。

おたふく【阿多福】〔名〕(1)「おたふくめん(阿多福面)」の略。(2)(1)のような醜い顔の女。多くは女をあざけっていう。おかめ。三平二満(さんぺいじまん)。(3)((2)から転じて)自分の妻のことを謙遜していう。(以下略)

おたふくめん【阿多福面】〔名〕面の一種。丸顔で、ひたいが高く、ほおがふくれ、鼻の低い女の顔の面。おたふく。おかめ。乙御前(おとごぜ)。

「醜いとばかりはいえない」は筆者の個人的な見解というわけではない。見出し「おたふくがお」の使用例に太宰治の「満願〔1938〕」が示されているが、そこには「奥さんは、小がらの、おたふくがほであったが、色が白く上品であった」とあるからだ。これは「器量はよくないが、色白で上品」ということを述べているととれなくもないが、「丸顔でほおがふくれ気味」ぐらいに理解すれば、「醜い」とまでいっていないことになる。まあ「おたふく」が醜いかどうかはこれぐらいにしておきましょう。

さて、1~4について『日本国語大辞典』は次のように説明しています。

1 めみょう【馬鳴】({梵}Aśvaghoṣaの訳)一世紀後半から二世紀にかけてのインドの仏教詩人。中インドの出身という。はじめバラモン教のすぐれた論師であったが、のち仏教に帰依し、カニシカ王の保護を受けて、仏教の興隆に尽力した。知恵・弁舌の才にすぐれ、特に豊かな文学的才能をもって仏の生涯をうたった叙事詩「ブッダチャリタ(仏所行讚)」は著名。その他に「大荘厳論経」などがあるが、「大乗起信論」を著わしたとする伝承には疑問があり、五世紀ころ同名の別人がいたとする学説もある。生没年未詳。馬鳴菩薩。

2 もくあんしょうとう【木庵性瑫】江戸前期に来日した黄檗(おうばく)宗の中国僧。勅諡は慧明国師。明暦元年(一六五五)師の隠元とともに来日し、寛文四年(一六六四)黄檗山第二世を継ぎ、また江戸に瑞聖寺などを開いた。貞享元年(一六八四)没。黄檗三筆の一人。著「紫雲山草」「紫雲開士伝」など。(一六一一~八四)

3 もくあんりょうえん【黙庵霊淵】南北朝時代の禅僧。日本水墨画の草分けの一人。嘉暦二年(一三二七)前後に入元し、月江正印に参じ、貞和元年(一三四五)頃中国で没した。

4 もくかんかかん【木杆可汗】突厥第三代の可汗(在位五五三~五七二年)。柔然を滅ぼし、東は契丹、北はキルギスを討ち、また西方ではエフタル(嚈噠)を撃破して突厥の基礎を確立した。五七二年没。

1~4は高等学校の世界史の時間に学習した記憶がないが、現在ではどうなのだろうか。「私は誰でしょう?」という話題からは少し離れるが、上の1~4をみて、気づいたこと、思ったことなどを記しておきたい。まず1の語釈中に「論師」という語が使われている。語釈中に使われている語がわからないこともあるから、同じ辞書にそれが見出しとなっていることが理想ではあるが、それはなかなか難しい。しかし、この「論師」は『日本国語大辞典』の見出しになっており、「論(経典の注釈書の類)を作った人。また、論蔵に通じた学者」と説明されている。この語釈中の「論蔵」を調べてみると、これもちゃんと見出しになっていて、「三蔵の一つ。経蔵、律蔵に対して、経典や律法について解釈・敷衍(ふえん)した著述の類、俱舎論、成実論等の総称」と説明されている。さすが、大規模な辞書。

3の語釈中の「参じ」は少しわかりにくいのではないかと思う。『日本国語大辞典』で「さんじる」を調べると、「「さんずる(参)」に同じ」とあって、見出し「さんずる」の語釈【一】の(5)「禅寺で、坐禅の行をする。参禅する」にあたると思われるが、さすがの『日本国語大辞典』も「月江正印(げっこうしょういん)」を見出しとしていないので、これが中国、元の禅僧であることがわからないと全体が理解しにくいように思う。「にっとう・にゅうとう(入唐)」や「にっそう・にゅうそう(入宋)」からの類推で「入元」がわかるかどうかということもある。案外こういう類推がはたらきにくくなっているようにも感じる。ちなみにいえば、「にっとう」「にゅうとう」「にっそう」「にゅうそう」は見出しとなっているが、「にゅうげん(入元)」は見出しになっていない。「入元」は「いちょう(銀杏・公孫樹)」と「てっしゅうとくさい(鉄舟徳済)」の語釈中でも使われている。

『日本国語大辞典』は日本人の名前もかなりとりあげている。例えば「もり【森】姓氏の一つ」と説明して、その後ろに「森」を姓としている人物を並べる。

もりありのり【森有礼】

もりありまさ【森有正】

もりおうがい【森鷗外】

もりかいなん【森槐南】

もりかく【森恪】

もりかんさい[森寛斎】

もりきえん【森枳園】

もりぎょうこう【森暁紅】

もりしゅんとう【森春濤】

もりそせん【森狙仙】

もりまり【森茉莉】

もりらんまる【森蘭丸】

歴史好きな方は「森蘭丸」をご存じだろう。そのように、自分の興味のある分野であれば、知っているということになる。上の中で「?」という人物がいるでしょうか。それは興味のありどころのバロメーターかもしれません。そしてそれは個人ということを超えて、現代社会の興味のありどころのバロメーターかもしれません。人名からもいろいろなことがみえてきそうです。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ //japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
 本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。