『日本国語大辞典』をよむ

第11回 文豪のことば①:永井荷風が使った語

筆者:
2017年7月2日

2016年9月30日から、永井荷風『来訪者』(1946年、筑摩書房)を読み始めた。いろいろな本を平行して読むことにしているので、なかなか読み進まないが、次のような行りがある。「踊子」という作品であるが、「浅草の楽隊になりさがつてしまつた」男と、「花井花枝と番組に芸名を出してゐるシヤンソン座の踊子」と、その妹の「千代美」との話であるが、あまり露骨な表現は避け、少し短めに文を引用しておく。

1の「楽座」はどういう語を書いたものだろう、とまず思った。読み進むうちに、2にゆきあたり、「ガクザ」という語を書いたものであることがわかった。ほんとうは初めて出て来たところに振仮名を施してほしいが、振仮名があっただけよかったと思うことにしよう。ここで『日本国語大辞典』にあたってみたが、「らくざ(楽座)」は見出しになっているが、「がくざ(楽座)」はなっていなかった。『日本国語大辞典』が大規模な辞典であるだけに、この語は見出しになっているかどうか、ということがつねに気になる。さらに読み進めていくと3にゆきあたった。1と2とから「オーケストラボックス」のような場所が「ガクザ(楽座)」であろうと見当をつけていたが、3をみて、だいたいそれでよさそうだと思った。ところが、さらに読み進めていくと4にゆきあたった。4では漢字列「楽座」に「バンド」という振仮名が施されている。この「楽座(バンド)」で少しわからなくなった。『日本国語大辞典』の見出し「バンド」の〔二〕には「一組の人々。一団。特に楽団。ふつう軽音楽演奏の楽団。また、その演奏」とある。つまり「オーケストラボックス」というような語義の「バンド」は『日本国語大辞典』の記事からは見つけることができない。あるいは楽師がいる場所をも「バンド」と称することがあったのかもしれない。

1 舞台下の楽座から踊子が何十人と並んで腰をふり脚を蹴(け)上げて踊る、(108ページ)

2 楽屋口で田村と別れ、わたしは舞台下の楽座(がくざ)へもぐりこむと、後一回で其日の演芸はしまひになります。(132〜133ページ)

3 やがて入梅になる。暫くすると突然日の照りかゞやく暑い日が来ました。わたし達の家業には暑い時が一番つらいのです。楽師の膝を突合せて並んでゐる芝居の楽座(がくざ)は夏のみならず、冬も楽ではありません。看客の方から見たら楽器さへ鳴らしてゐればいゝやうに見えるかも知れませんが、寒中は舞台下から流れてくる空気の冷さ、足の先が凍つて覚えがなくなりますが、夏の苦しさに較べればまだしもです。(144ページ)

4 夜十二時頃に座元(ざもと)から蕎麦か饂飩(うどん)のかけを一杯づつ出します。蕎麦屋の男がその物を看客席へ持運んで来るのを見るや、舞台にゐる者はわれ先に下りて来て、中には楽座(バンド)の周囲(まはり)に立つたまゝ食べ初めるものもあります。(157ページ)

ここまでは、少々の疑問を含みながら、「ガクザ(楽座)」という語があって、おそらくその語義は「オーケストラボックス」にちかいもので、それが『日本国語大辞典』には見出しとなっていない、という話題であった。

「ガクザ(楽座)」が『日本国語大辞典』に見出しとなっていなかったので、いわばはずみがついて、「踊子」を読みながら、「これはどうだろう」と思う語について、『日本国語大辞典』にあたってみた。すると108ページから160ページの間に使われていた次のような語が『日本国語大辞典』の見出しになっていないことがわかった。

5 当人の述懐によれば十六の時、デパートの食堂ガールになり宝塚少女歌劇を看て舞台にあこがれ、十八の時浅草○○館の舞踊研究生になつた。(109ページ)

6 雪も今朝(けさ)がた積らぬ中にやんでしまつたのを幸、これから姉妹(きやうだい)して公園の映画でも見歩かうと云ふので、三人一緒に表通の支那飯屋で夕飯をたべ、わたしだけ芝居へ行きました。(112〜113ページ)

7 話題を転じようと思つた時、隣のテーブルにゐる事務員らしい女連の二人が、ともども洋髪屋の帰りと見えて壁の鏡に顔をうつして頻に髪を気にしてゐるので、(126ページ)

8 「お前も、もうパマにしたら。きつと似合ふよ。」(126ページ)

9 前以て振附の田村から約束通り月々三十円秘密に送つてくるので、わたしは花枝と相談して千代美を近処の姙婦預り所へ預けて世話をして貰ふことにしました。(160ページ)

6は現在の「チュウカリョウリヤ(中華料理屋)」にあたる語と思われる。「シナ(支那)」は現在では使用しない語であろうが、過去においてこうした語があったということは知っておいてよいだろう。7の「ヨウハツヤ(洋髪屋)」は現在であれば「ビヨウイン(美容院)」であろう。8は現在の「パーマ」であることはすぐわかる。

9などはいわば施設名であるので、そういう施設がなければ語も存在しない。いろいろな施設名をすべて見出しとすることはできないといえばできないのでこの語が『日本国語大辞典』の見出しになっていないことは当然かもしれない。

やはりおもしろいのは5の「ショクドウガール(食堂ガール)」だろう。文脈からすると「エレベーターガール」と同じような、職業名に思われる。

永井荷風の「踊子」は1948年に井原文庫として刊行されている。この頃の語を『日本国語大辞典』が見出しとしていないわけではないと考えるが、まだ歴史的にとらえる時期にはなっていないかもしれない。

今自身が使っている語、自身の身のまわりで使われている語には注意が向きやすい。また「内省」もはたらくので、微細な変化にも気がつきやすい。それゆえ(といっておくが)、現代日本語の観察、分析も盛んに行なわれる。現在は過去の日本語よりも「今、ここ」の日本語に関心が向けられていると(少なくとも筆者には)感じられるが、それでも過去の日本語についての観察、分析も行なわれている。明治時代は「やっと」過去としてとらえられるようになったように思うが、大正時代、昭和時代は明らかな「過去」とはまだ思いにくいかもしれない。そこが『日本国語大辞典』の「エアポケット」なのだろうか。しかしそれはいたしかたないことと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ //japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

筆者プロフィール

今野 真二 ( こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

編集部から

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
 本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。