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『日本国語大辞典』をよむ―第17回 できないこと

2017年 9月 24日 日曜日 筆者: 今野 真二

第17回 できないこと

 『日本国語大辞典』は慣用句・ことわざの類も豊富に載せている。見出し「やきぐり(焼栗)」の後ろには次のようにある。

やきぐりが芽(め)を出(だ)す 不可能なことのたとえ。また、不可能であるとされていたことが、不思議な力によって実現することをいう。枯木に花咲く。

 使用例として、「浮世草子・諸道聴耳世間猿(筆者注:しょどうききみみせけんざる)〔1766〕」があげられているので、江戸時代には使われていたことがわかる。「枯木に花咲く」は見出し「かれき(枯木)」の後ろに載せられている。「枯れ木に花を咲かせましょう」というと、「花咲爺(花咲かじいさん)」を思わせる。

かれきに花(はな)咲(さ)く (1)衰えはてたものが再び栄える時を迎えることのたとえ。こぼくに花咲く。枯れたる木にも花咲く。(2)望んでも不可能なことのたとえ。転じて、本来、不可能と思われることが不思議の力によって実現することのたとえにいう。枯れたる木にも花咲く。(以下略)

 他にも「不可能なこと」を表現する慣用句はかなりある。どうやってその「不可能」を表現するかがおもしろい。

あごで背中(せなか)搔(か)くよう 不可能なことにいう。

あざぶの祭(まつり)を本所(ほんじょ)で見(み)る 麻布権現の祭礼を本所(東京都台東区)から見るの意で、不可能なことのたとえ。

あひるの木登(きのぼり) あり得ないこと、不可能なことのたとえ。

あみのめに風(かぜ)=たまる[=とまる] (1)ありえないこと、不可能なこと、かいのないことのたとえにいう。(2)わずかばかりでも効果が期待できることの意にいう。

いしうすを箸(はし)にさす (石臼を箸で突き刺すのは不可能なことから)無理なことをいうことのたとえ。だだをこねる。

おおうみを手(て)で堰(せ)く しようとしても不可能なこと、人力ではどうしようもないことにいう。大川を手で堰く。

おととい=来(こ)い[=お出(い)で] もう二度と来るな。不可能なことをいって、いやな虫を捨てたり、人をののしり追い返すときにいう。「おとといおじゃれ」「おとといござい」「おとといごんせ」などとも。おとつい来い。

かの睫(まつげ)に巣(す)をくう (略)きわめて微小なこと。また不可能なことのたとえ。

かかとで巾着(きんちゃく)を切(き)る かかとを使って巾着をすり取る意。不可能なことのたとえ。

かわむかいの立聞(たちぎき) (大きな川の向こう側で話している内容を、こちら側で立ち聞きしても聞こえるはずがないところから)とうてい不可能でむだなことのたとえ。

こうがの水(みず)の澄(す)むのを待(ま)つ 濁った大河の水がきれいになるのを待つ。気の長いことや不可能なことのたとえ。百年河清(かせい)を俟(ま)つ。

こおりを叩(たた)いて火(ひ)を求(もと)む 方法を誤っては、事の成就の困難なこと。また、不可能なことを望むことのたとえ。木に縁(よ)りて魚を求む。

さおだけで星(ほし)を打(う)つ 竹竿で星を払い落とす。不可能な事をする愚かさ、また、思う所に届かないもどかしさをたとえていう。竿で星かつ。竿で星。

しゃくしで腹(はら)を切(き)る できるはずのないことをする。不可能なことをする。また、形式だけのことをすることのたとえ。
 たまごの殻(から)で海(うみ)を渡(わた)る 非常に危険なこと、また、不可能なことのたとえ。

つなぎうまに鞭(むち)を打(う)つ (つないだ馬に鞭を打って走らせようとしても不可能であるところから)しても、むだであること、するのがむりだということのたとえにいう。

はたけに蛤(はまぐり) 畑で蛤を得ることはできない。全く見当違いなこと、また、不可能なことを望むことなどのたとえ。木によって魚を求む。

みずにて物(もの)を焼(や)く  不可能なこと。ありえないことのたとえ。

 「おとといおいで」は子供の頃に耳にして、どういう意味だろう、と思ったものだ。「おとといには来られないじゃないか」と。まあその理解でよかったわけですね。

 「かの睫(まつげ)に巣(す)をくう」の「(略)」としたところには、中国の道家の書物である『列子(れつし)』の、「焦螟」という虫が群れ飛んで蚊の睫に集まるという記事が紹介されている。こうしたことが、日本の室町時代頃に成立した易林本『節用集』(1597)にちゃんととりこまれているのですね。易林本では、この虫は「ショウメイ(蟭螟)」という名前になっている。こういうことも『日本国語大辞典』をよみ、使用例を丁寧にみることによってわかる。やはり『日本国語大辞典』をよむことはおもしろい。

 「こうが(黄河)」は改めていうまでもなく、中国の華北を流れる大河の名前で、固有名詞だ。川の水が黄土を大量に含んでいるため、黄色く濁っているところからそう名づけられているわけだが、つまり濁った川である。それが澄むのを待っても永久にそんなことはない、ということだ。

 「しゃくし(杓子)」は現在では「杓子定規(しゃくしじょうぎ)」という場合には使うが、一般的には「しゃもじ」だろう。『日本国語大辞典』の見出し「しゃもじ(杓文字)」には「(1)(「しゃくし(杓子)」の後半を略し「文字」を添えた女房詞が一般化したもの)汁や飯などをすくう道具。めしじゃくし。いいがい」とある。しゃくし=しゃもじは身近な道具だけに、「しゃくし」を含む慣用句は「しゃくしで芋を盛る」=「道具をとりちがえて事を行ない失敗する。あわてて事を行なう様子をいう」や「しゃくしは耳搔にならず」=「大きい物が、必ずしも小さい物の代用になるとは限らないことのたとえ」などいろいろある。

 それにしても、いろいろな「不可能」表現があるものだ。「雪中のカブトムシ」なんてどうでしょう? そんなことを考えるのも楽しいかもしれません。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

2017年 9月 24日