2017年 10月 のアーカイブ

第45回金田一京助博士記念賞決定

2017年 10月 31日 火曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

孫在賢氏『韓国語諸方言のアクセント体系と分布』に対して

 第45回金田一京助博士記念賞が孫在賢氏『韓国語諸方言のアクセント体系と分布』(2017年3月 Chaek-Sarang(大韓民国)刊)に対して贈られることに決定いたしました。

 記念賞贈呈式は2017年12月17日(日)の予定です。

 詳しくは「金田一京助博士記念賞」のウェブサイト(http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/affil/kkprize/)をご覧ください。

(*)「金田一京助博士記念賞」は、日本および周辺諸民族の言語ならびに関連文化についての研究・業績を顕彰することを目的とし、金田一京助博士記念会が主催して、1973(昭和48)年以来、年1度記念賞を授与しているものです。

広告の中のタイプライター(18):Wellington No.2

2017年 10月 26日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Asa Gray Bulletin』1900年2月号

『Asa Gray Bulletin』1900年2月号
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「Wellington No.2」は、ボストンのキダー(Wellington Parker Kidder)が発明したタイプライターで、ニューヨーク州プラッツバーグのウィリアムズ・マニュファクチャリング社が、1896年頃に製造・販売を開始しました。コルビー(Charles Carroll Colby)率いるウィリアムズ・マニュファクチャリング社は、カナダのモントリオールにも生産拠点を持っていたのですが、そちらでは「Empire Typewriter」という名称で販売していたようです。

「Wellington No.2」の最大の特徴は、スラスト・アクションと呼ばれる印字機構にあります。各キーを押すと、対応する活字棒(type bar)が、まっすぐプラテンに向かって飛び出します。プラテンの前面には紙が挟まれており、そのさらに前にはインクリボンがあって、まっすぐに飛び出した活字棒は、紙の前面に印字をおこないます。これがスラスト・アクションという印字機構で、打った瞬間の文字を、オペレータが即座に見ることができるのです。

28本の活字棒には、それぞれ活字が上下に3つずつ埋め込まれていて、プラテン・シフト機構により80種類の文字が印字されます。「Z」の左側にある「Caps」を押すと、プラテンが沈んで、大文字が印字されるようになります。その左の「Figs」を押すと、プラテンがさらに沈んで、数字や記号が印字されるようになります。「Wellington No.2」のキーボードは、基本的にはQWERTY配列ですが、「V」と「B」の間に、逆T字形のスペースキーが入り込んでいます。上段のキーには、小文字側にqwertyuiopが、大文字側にQWERTYUIOPが、記号側に1234567890が、それぞれ配置されています。中段のキーには、小文字側にasdfghjkl,が、大文字側にASDFGHJKL,が、記号側に#$¢”?@-%&,が配置されています。下段のキーには、小文字側にzxcvbnm.が、大文字側にZXCVBNM.が、記号側に()/:’;_.が配置されています。28本の活字棒に、それぞれ3種類の活字が埋め込まれているので、最大84種類の文字を印字可能なのですが、コンマとピリオドがダブっているため、80種類となっているのです。

「Wellington No.2」は、日本では丸善(Z. P. Maruya & Co., Ltd.)が、輸入代理店となっていました。ただ、「Wellington No.2」のスラスト・アクションは故障が多く、かなり頻繁にメンテナンスを必要としたため、丸善ではタイプライター教室を開くとともに、メンテナンス指導もおこなっていたようです。

『學の燈』1900年10月号

『學の燈』1900年10月号
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【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

『日本国語大辞典』をよむ―第19回 夜光の貝と夜光貝

2017年 10月 22日 日曜日 筆者: 今野 真二

第19回 夜光の貝と夜光貝

 『日本国語大辞典』には次のようにある。見出し「やくがい」も併せて示す。

やこうがい【夜光貝】〔名〕リュウテンサザエ科の大形の巻き貝。奄美諸島以南から太平洋熱帯域のサンゴ礁に分布する。殻はサザエ形で厚く、殻径約二五センチメートルの大きさになる。(略)「夜光」の名はあるが発光することはなく、屋久島から献上されたところから「やくがい」といい、それが変化した語といわれる。殻は古くから螺鈿(らでん)細工に使われ、正倉院宝物の中にもこれを用いたものがある。肉は食用になる。やこうのかい。

やこうのかい【夜光貝】〔名〕「やこうがい(夜光貝)」に同じ。

やくがい【夜久貝】〔名〕「やこうがい(夜光貝)」の異名。

 見出し「やこうがい」の語釈中で使われている「殻径」という語は、貝を見出しとする見出しの語釈中で、30回使われているが、それ自体は見出しとなっていない。「殻」の音は「カク」「コク」であるので、「殻径」が漢語であるとすれば、考えられるのは「カクケイ」「コクケイ」という語形であるが、そのいずれも見出しとなっていない。オンライン版で漢字列「殻径」を検索しても、語釈中で使われた30例しかヒットしないので、見出しにはなっていないのだろう。また現在刊行されている最大規模の漢和辞典といってよい『大漢和辞典』も「殻」字の条中に「殻径」をあげていない。語義はわかるので、「謎」ということはないが、発音がわからないので、「ちょっと謎な語」ではある。

 さて、見出し「やこうのかい」の「辞書」欄、「表記」欄には『言海』があげられている。そこで『言海』を調べてみると、次のように記されている。見出し「やくがひ」も併せて示す。

やくわうのかひ(名) 夜光貝 螺ノ類、盃トス、大隅屋久ノ島ニ産ズ。(屋久ノ貝ノ訛カトモ云)

やくがひ(名) 屋久貝 螺(ニシ)ノ類、大隅ノ屋久ノ島ニ産ズ、殻、厚ク、外、青シ、磨キテ器トスベシ。青螺

 『日本国語大辞典』の見出し「やくがい」の「補注」には平安時代、934年頃に成立したと推測されている辞書、『和名類聚抄』(20巻本)の記事が紹介されている。『和名類聚抄』は巻19の「鱗介部」の「亀介類」の中で、「錦貝」を見出しとし、その語釈中で、この「錦貝」を「夜久乃斑貝」であることを述べ、俗説であることを断りながら、「西海有夜久島彼島所出也」(西海に夜久島があって、そこで産出する)と述べる。「夜久島」は現在の屋久島と考えることができそうだ。筆者は「夜久乃斑貝」の「斑貝」はどう発音するのだろう、つまりどういう発音の語を書いたものなのだろうとまず考えるが、『日本国語大辞典』には「やくのまだらがい」という見出しがある。つまり、『日本国語大辞典』は「斑貝」は「まだらがい」という語を書いたものと判断していることになる。

やくのまだらがい【夜久斑貝・屋久斑貝】〔名〕貝「にしきがい(錦貝)」の異名。

 こうやって、次々とわからないことを調べ、確認していくと、いつのまにか、今自分が調べていることは何か、明らかにすべきことは何か、ということを見失うことがある。そんなばかな、と思われるかもしれないが、案外そういうことはあるし、日本語について書いてある本の中にも、そういう「傾向」のものはあるように感じる。

 筆者が思ったことは、屋久島で採れる貝であれば、「屋久の貝(やくのかい)」という語形が自然なものだろうということで、この「ヤクノカイ」が「ヤコウノカイ」へと変化した「道筋」は単純には説明しにくいが、「ヤク」の部分が長音化していくというような「道筋」でさらなる音変化が起こったと考えることはできそうだ。そうやって「ヤコウノカイ」という語形ができ、それを漢字で「夜光貝」と書いていた。この「夜光貝」を漢字そのままに発音するようになって、「ヤコウガイ」という語形が発生する、という「順番」があるだろうということだ。もしもこの推測があたっているとすれば、「ヤコウノカイ」と「ヤコウガイ」とは語義はまったく同じということになり、かつ語形もほとんど同じで、両語形が併存しにくい。「ヤコウガイ」がうまれると「ヤコウノカイ」は消えてしまいやすいと思われる。そういう語形も辞書には残る。

 さて、少し観点が違うが、「菜花」はどんな語形を書いたものだと思いますか。『三省堂国語辞典』第7版は見出し「なのはな」を「アブラナ(の花)。春、畑一面に黄色く さく」と説明し、見出し「なばな」を「ナノハナの、食材としての呼び名」と説明している。「なのはな」の語釈の「畑一面」は雰囲気がでていていいなと思う一方で、畑だけに咲くわけではないのでは? と思ったりもするが、そんなことをいうのは野暮でござんしょう。これはもともとは「ナノハナ」という語形のみだった。それを「菜の花」ではなくて「菜花」と書く書き方がうまれた。その「菜花」が食材としての菜の花の表記によく使われ、それを文字通り「ナバナ」と発音するようになった。それから「ナノハナ」と「ナバナ」との「すみわけ」が起こった、というような「道筋」ではないかと推測している。さらにいえば、「サイカ(菜花)」という漢語も存在している。これも『日本国語大辞典』は見出しとしている。

 「タラノコ」を「タラコ(鱈子)」といい、「フカノヒレ」を「フカヒレ」という。「タラノコ」「フカノヒレ」はもはやほとんど使わない語形になっている。『日本国語大辞典』は見出し「たら(鱈)」の後ろに「たらのこ」をあげており、そこには17世紀の使用例があげられている。また「ふかのひれ」はちゃんと見出しになっている。『言海』も「ふかのひれ」を見出しとしているので、『言海』が完結した明治24(1891)年には確実に存在した語であることがわかる。『日本国語大辞典』は見出し「ふかひれ」の使用例としては、「英和商業新辞彙〔1904〕」をあげている。ちなみにいえば、『三省堂国語辞典』第7版は「タラノコ」「フカノヒレ」を見出しとせず、見出し「ふかひれ」の語釈末尾に「ふかのひれ」と記している。

 ことばは変化していくものだ。それを歎くつもりはない。ただ、その変化の過程は知っておきたいと思う。そんなことも辞書をよむとわかってくる。

 * 

※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第1回 フィールドワーカーの苦悩:フィールド言語学とは何か

2017年 10月 20日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第1回フィールドワーカーの苦悩:フィールド言語学とは何か


著者とフィールドの家族

 「専門は言語学です。フィールドワークをしています」と自己紹介をすると、どこかとても不便なところへと足を運んで、誰も聞いたことがないような言語の調査をしていると思われることがままあります。これは、相手が言語学者であってもありうることです。そして、このイメージというのは、言語調査を行うフィールドワーク、フィールドワーカーの多くにあてはまるものかもしれません。

 実際、私はタンザニアのザンジバルという地域で、スワヒリ語[注1]の方言を調査しています。ザンジバルはストーンタウンの歴史ある街並みやきれいなビーチで有名なところですが、私が訪れるのは、そんな魅力的なものがなく、観光客は見向きもしないような土地です。多くの日本人にとっては、不便で暮らしにくいところかもしれません。スワヒリ語というのも、メジャー言語と呼んでも差し支えないくらい、多くの人に知られた言語ですが(みなさんはそうは思わないかもしれませんが![注2])、その方言については、存在すらほとんど知られていないでしょう。


タンザニアおよびザンジバル諸島の位置(クリックで拡大)

 こうしたイメージに当てはまるフィールドワークというのは何か特別なものなのでしょうか。フィールドワーカーは、主に自分が母語としない言語[注3]のデータをその言語の話者から集めています。もう少し具体的な例として、私が調査で取り組んでいることを挙げましょう。

・例文を作ってその正しさを話者に判断してもらう[注4]
・「音」を分析するために、同じ語を繰り返し発音してもらって録音する。
・話者のおしゃべりを文字で読めるテキストにして分析する。

このどれも、言語学研究の手法としては一般的なものです。例えば、文の正しさの判断は、どこか特別な辺境の地ではなく、大学のキャンパスの中で行われることがしばしばあります。音声の録音も、大学や研究機関に特別に設えられた防音室で行われうるものです。また、テキストからデータを集めるというのは、現在話者のいない「死んだ」言語の研究で一般に用いられるデータ収集方法です。

 つまり、「フィールドワーカー」がやっていることは、そうではない言語学者と大差はなく、フィールドワーカーと呼ばれる人たちは、その枠に押し込められることに対して、ときとして、違和感であったり、恥ずかしさを感じています(全員ではないかもしれませんが)。

 「フィールド言語学」という分野をたてる意味があるとすれば[注5]、分析の対象となるデータにたどり着くまでに、他の言語学の分野、あるいは言語学以外のフィールドワークとは異なる特別な配慮が必要となるからかもしれません。ここでいうデータとは、人間の口から発せられる言語です。

 この連載では、私の目から見た、私が経験したフィールドワークについてお話をさせていただきます。それを通じて、フィールド言語学とはなんなのか、みなさんも考えてみてください。

コラム1:スワヒリ語と日本語

「サファリパーク」という名の動物園が日本国内にはいくつもありますが、この中の「サファリ」という語は、スワヒリ語で「旅」を意味するsafariに由来します。
また、私が聞いたザンジバルのおばあさんの物語の中に、chirimeniという布を指す語がでてきたことがあります。このchirimeniは日本語のちりめんに由来していると考えられますが、いわずもがな、このおばあさんは日本語を全く知りません。
スワヒリ語と聞くと、まったく未知の言語のように思ってしまうかもしれませんが、このように、思いがけないところで日本語との間につながりがあったりします。

* * *

[注]

  1. スワヒリ語は、東アフリカのケニア・タンザニアを中心とした地域で広く話されている。第二言語話者も含めれば、1億人近くの話者がいるとされる。
    https://www.ethnologue.com/language/swh(2017年9月19日参照)。
  2. 例えば、日本にはスワヒリ語を専門的に学べる大学がある。また、アマゾンで「スワヒリ語」と検索すれば、日本語で読めるスワヒリ語の辞書、教科書がみつかる。世界にはおよそ6~7000の言語が存在すると言われるが、日本の大学で学べる、あるいは日本語で書かれた辞書、教科書があるのは、そのなかのごく一部にすぎない。
  3. 自分の母語のデータを他の話者から集めるということもあり得る。
  4. このような文の正しさの確認は、容認性判断と呼ばれる。
  5. 実際、“Linguistic Fieldwork(言語学のフィールドワーク)”とか、“Field Linguistics(フィールド言語学)”というタイトルの本が何冊も出版されている。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

* * *

【編集部から】

フィールド言語学の実際をフィールドワーカーの目からながめる『フィールド言語学への誘い』の連載が始まりました。私たちひとりひとりが違った人間であるように、研究対象のことばが話されている土地もことばの話し手もさまざまで、調査の進め方も一様ではありません。古本さんのフィールドワークを通じて、フィールド言語学の楽しさにふれてみてください。

人名用漢字の新字旧字:「亰」と「京」

2017年 10月 19日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第143回 「亰」と「京」

旧字の「京」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「亰」は、人名用漢字でも常用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「京」は出生届に書いてOKですが、「亰」はダメ。なお、「亰」と「京」の新旧には議論があるのですが、ここでは「亰」を新字、「京」を旧字としておきましょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、亠部に旧字の「京」が収録されていました。その一方、新字の「亰」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「京」だけが含まれていて、新字の「亰」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、亠部に旧字の「京」が含まれていて、新字の「亰」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「京」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「京」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には旧字の「京」が収録されていたので、「京」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「亰」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、旧字の「京」が収録されていましたが、新字の「亰」は含まれていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、旧字の「京」は常用漢字になりました。その一方で新字の「亰」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、「常用平易」な漢字であればどんな漢字でも人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「亰」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS X 0213の第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が0回でした。この結果、新字の「亰」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

その一方で法務省は、平成23年12月26日、入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、旧字の「京」に加えて、新字の「亰」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、旧字の「京」はOKですが、新字の「亰」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

【締め切りました】アルバイト募集のお知らせ

2017年 10月 18日 水曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

以下の募集は締め切りました。

*

アルバイト募集のお知らせページより転載)

下記業務にてアルバイトを募集しております。

【業務内容】

辞書編集補助・データ編集補助諸業務

【募集職種】

①編集補助作業[資料作成・点検等、辞書編集の補助的作業]
②データ編集補助[諸データ編集・修正・チェック作業]

【募集対象者】

上記業務に興味・関心・技能のある方(学生可)。
※②に関して、 Word Excel等のPC作業に慣れた方を優遇します。

【待遇】

時給1,200円以上(応相談)、交通費支給

【勤務地】

東京都千代田区三崎町2-22-14 三省堂本社
(JR水道橋駅 徒歩1分/都営地下鉄 水道橋駅 徒歩2分/東京メトロ 神保町駅 徒歩8分)

【勤務時間】

平日(月~金)午前10時~午後6時を基本として、週2~5日(応相談)。

【応募方法】

履歴書(写真貼付)を下記宛先にご郵送ください。書類審査のうえ、通過者には面接日をご連絡いたします。

【締め切り】

募集は随時行いますが、人員が決定し次第締め切ります。

【連絡先】

〒101-8371 東京都千代田区三崎町2-22-14
株式会社三省堂 辞書出版部「アルバイト応募係」担当 荻野
※本件に関するお問い合わせは本サイトの「お問い合わせ」フォームからお願いします。

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第七回:トナカイの放牧

2017年 10月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第七回: トナカイの放牧


トナカイを追うためにスキー板を履いた牧夫

 前回のエッセイで述べたとおり、野生トナカイも家畜トナカイも季節移動を行います。牧夫たちは一年をとおしてトナカイ群とともに移動して群れを管理していますが、彼らの仕事はそれだけではありません。牧夫たちには毎日トナカイが餌を食べられるようにするという仕事もあります。宿舎の中で飼育し、配合飼料や干草等の餌を与える現代の畜産業とは異なり、シベリアではトナカイたちを囲いのない牧野に放ち、自ら餌を探して食べてもらうようにします。毎日トナカイたちは草やコケを食べるために森の中やツンドラをあちこち歩き回ります。牧夫たちは、夕方トナカイを牧柵や橇(そり)をひく役目から解放して、翌朝トナカイを迎えに行きます。解放されたトナカイ群たちは群れで行動します。彼らは一晩中自由によい草やコケ等を探して歩いたり、それらを食べたり、反芻(はんすう)したり、寝たりします。このようにトナカイに採食行動させるために牧野に放つことを放牧といいます。

 ヒツジやウシ等の放牧では、ふつう日中に牧夫が群れにずっと付いて放牧を行い、夜間は住居近くの牧柵にいれておきます。しかしトナカイ放牧の場合、牧夫は群れに付いて行きません。柵のない広大な森に放つだけです。トナカイは天幕や家屋から数キロメートルから数十キロメートルという広い範囲で採食行動します。そのため、トナカイの群れを探し出して自宅の牧柵や決めた場所まで連れて行くことは誰にでもすぐできるような易しいことではなく、知識と経験が必要です。


採食するトナカイたち

 解放されたトナカイは好きな方向へ好きな距離を行くため、群れがいる場所は毎朝異なります。どのように群れの場所を突き止めるかというと、冬は徒歩で雪上の足跡をたどってトナカイを探します。毎日トナカイは歩き回るので、雪上に足跡が数多くあります。その中から昨晩ついた新しい足跡を見つけます。新しい足跡はまだ固まっていないため柔らかいのが特徴です。しかし、天候によっては見分けが難しく、牧夫ですら正しく見極めることができないことがあります。また、正しく見極めたとしてもトナカイたちがさらに遠くへ高速で走り去ってしまう場合もあります。さらに、西シベリアは平坦な土地と見通しの悪い常緑針葉樹林帯が広がっているため、高い丘に登って群れを探すということもできません。そのため、5時間以上も深い雪上を歩かねばならないときもあります。群れが遠くへ行ってしまった際には厳冬期でも3、4日間野宿して探すことも珍しくありません。


群の後ろを歩いて帰宅をうながす

 群れを発見した後は、トナカイを自宅の方へ連れて行きます。トナカイを追い立てる作業の基本は、群れの後ろから歩くことです。トナカイは後ろから追われると反対に前に進みます。それと同時に声や口笛で進む方向を支持したり、牧畜犬に群れの周囲を見張らせて、群れがバラバラにならないように密集させたりします。トナカイの群れはちょっとした刺激ですぐに分散してしまったり、遠くへ走り去ってしまったりします。牧柵の手前でトナカイが逃げてどこかへ去ってしまうこともよくあります。牧畜というと田舎ののどかなイメージがあるかもしれませんが、このようにトナカイの放牧は意外と肉体的にも精神的にも疲労する緊張感のある仕事という側面もあります。

ひとことハンティ語

単語:Щити ям!
読み方:シーティ ヤム!
意味:とても良いです!
使い方:相手が言ったことに対して、賛成や称賛、肯定、好感などを表すときに使います。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

前回はトナカイの習性や生活についてでしたので、今回はトナカイ牧夫の仕事です。牧夫の作業はのどかでのんびりしたイメージがありましたが、柵のない広大な森に放したトナカイを管理するのは想像以上に知識と経験、そして体力と精神力が必要ですね。トナカイと自然と共存するために、それぞれの特性を受け入れながら生きる牧夫たちの様子を紹介していただきました。次回の更新は11月10日を予定しています。

広告の中のタイプライター(17):Daugherty Typewriter

2017年 10月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Southern Magazine』1895年2月号

『Southern Magazine』1895年2月号
(写真はクリックで拡大)

「Daugherty Typewriter」は、ペンシルバニア州キッタニングのドーアティー(James Denny Daugherty)が、ピッツバーグで1893年頃から生産・販売を開始したタイプライターです。「Daugherty Typewriter」の特徴は、キーボードとプラテンの間に配置された38本のタイプ・アーム(type arm)にあります。タイプ・アームは、それぞれ対応するキーにつながっています。キーを押すと、プラテン側を支点として、タイプ・アームの先(キーボード側)が持ち上がり、プラテンの前面めがけて打ち下ろされます。タイプ・アームがプラテンに到達する直前に、インク・リボンが下からせりあがって来ます。タイプ・アームの先には、活字が2つずつ付いていて、通常の状態では小文字が、プラテンに挟まれた紙の前面に印字されます。キーを離すと、タイプ・アームとインク・リボンは元の位置に戻り、紙の前面に印字された文字が、オペレータから直接見えるようになります。つまり、打った文字がすぐ読めるのです。これが、フロントストライク式という印字機構で、「Daugherty Typewriter」が初めて実用化したものなのです。

「Daugherty Typewriter」のキーボードは、いわゆるQWERTY配列です。キーボードの最上段は、大文字側に“#$%_&’()が、小文字側に23456789-が配置されています。その次の段は、大文字側にQWERTYUIOPが、小文字側にqwertyuiopが配置されています。そのまた次の段は、大文字側にASDFGHJKL:が、小文字側にasdfghjkl;が配置されています。最下段は、大文字側にZXCVBNM?.が、小文字側にzxcvbnm,/が配置されています。「Daugherty Typewriter」では、スペースキーの左右にある「大文字キー」によって、大文字と小文字を打ち分けます。「大文字キー」を押すと、タイプ・アームとキーボード全体が少し手前に傾き、プラテンとの相対的な角度が変わることで、大文字が印字されます。「大文字キー」を離すと小文字が印字されます。プラテンを動かすのではなく、タイプ・アーム全体を傾けるという機構だったために、「Daugherty Typewriter」の「大文字キー」は、押すのが非常に重い、という問題がありました。

この重い「大文字キー」を正常に動作させるために、「Daugherty Typewriter」は、頻繁にメンテナンスをおこなう必要がありました。また、フロントストライク式そのものは良いアイデアだったのですが、結果として、複数のタイプ・アームが印字点でひっかかってしまう(いわゆるジャミング)現象が多発しました。「Daugherty Typewriter」のフロントストライク式は、最初から完成していたわけではなく、まだまだ改良を必要としていたのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

モノが語る明治教育維新 第17回―日本最初(!?)の卒業証書 (2)

2017年 10月 10日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第17回―日本最初(!?)の卒業証書(2)

 第16回に引き続き、草山直吉の卒業証書から当時の学校の様子をあきらかにしていきます。

 明治5年に頒布された「学制」には、「大中小学区ノ事」として日本全国を8つの大学区に分け、一つの大学区を32の中学区に分け、更に一つの中学区を210の小学区に分けるとあります。これが実践されれば全国で5万3760校(8×32×210)の小学校を設けることとなり、それは人口600人を以て1小学区とすることを目的としたものでした。実際ははるかに及びませんでしたが、明治6年に1万2558校、明治7年には現代とほぼ同数の約2万校の小学校が存在しました(もっとも立派な校舎をもつ学校は少なく、寺子屋が学校と名を変えただけのものも多かったのですが)。

 直吉の卒業証書を見ると、学校名がこの学制期のナンバリングで記載されています。足柄県は第1大学区に指定された1府12県(東京府と関東近県)の中の1つでしたので、この第1⼤学区内の第28の中学区、その中の第145番の小学校(第三級以降は学区変更のためか第140番小学となっています)である、と記しているのです。 証書に押された校印も何々学校ではなく、このナンバリングで記されています。手書きの証書に「第何大学区 第何中学区 第何番小学」といちいち書き込むのは大変だと思いますが、「学制」が廃止される明治12年まではどの卒業証書も同様の体裁をとっています。そして、第一級卒業、つまり下等小学卒業の証書にだけ、「平澤学校」と校名が併記されています。

 氏名の右肩には、在住する県や村の名称と共に族称(維新後に定められた国民の身分上の呼称)が記されています。直吉の族称は平民で、明治5年の壬申戸籍によれば人口の93パーセントをこの平民が占めています。当館が所蔵する明治6年から12年までの卒業証書のうち、族称が記載された28人を調べたところ、平民22人に対して、士族が6人もいました。確認した数が少ないためはっきりしたことは言えませんが、人口比率のわりに士族が就学・卒業した割合が多かったと推察されます。

 氏名の左下には年齢が記されています。第八級卒業証書にある「当年十二月九年十月」とは、今年12月で満9歳と10カ月であるという意味です。旧来の数え年(誕生月に関わらず、新年を迎えると一つ年を加えて数える年齢)をとらず、西洋風に満年齢を採用したところが開化的ですね。直吉は第八級を9歳10か月で終えたということは、入学年齢も9歳だったことになります。これは何も直吉の入学が遅れたというのではなく、明治6年は学校がスタートした年でもあり、入学者は6歳未満から10代後半までと年齢層が幅広かったのが実情だったのです。

 日本最初の、と言っていいかはわかりません(これ以前のものをご存知の方は、ぜひお知らせください)が、近代小学校揺籃(ようらん) 期の姿を知るうえで、とても意味のある卒業証書です。

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

『日本国語大辞典』をよむ―第18回 ガトフフセグダア

2017年 10月 8日 日曜日 筆者: 今野 真二

第18回 ガトフフセグダア

 タイトル「ガトフフセグダア」が何のことかおわかりになるでしょうか。筆者は『日本国語大辞典』をよんでいて、このことばにであった。

あごつかい【顎使】〔名〕高慢、横柄な態度で人を使うこと。あごさしず。*ガトフ・フセグダア〔1928〕〈岩藤雪夫〉二「気弱で温純だといふ点からメーツ等に寵愛されてナンバンにまで成り上った彼には下の人間をすら余り頤使(アゴヅカ)ひ能(でき)る勇気の持合せがなかった」

 『日本国語大辞典』のオンライン版で検索してみると、『日本国語大辞典』全体では、この岩藤雪夫「ガトフフセグダア」が221回、使用例としてあげられていることがわかる。今回の「『日本国語大辞典』をよむ」の「よむ」には使用例をよむということは含めないと最初に述べたが、それは「必ずよむ」ことにはしないということであって、当然使用例をよむこともあるし、「出典」をみることもある。最初は気にならなかったが、何度か目にするうちに、この「ガトフフセグダア」が気になってきた。作品名であることはわかるが、不思議な作品名である。

 そこで、グーグルで検索をしてみると、なんと3件しかヒットしない。古本サイトなども使って、この作品が「現代日本文学全集86」『昭和小説集(一)』(1957年、筑摩書房)と「日本現代文学全集69」『プロレタリア文学集』(1969年、講談社)に収められていることがわかり、その両方を注文して、購入した。

 「ガトフフセグダア」は作品の中に次のようにでてくる。

「やい山。」と彼は一寸踊を止めて私を眺めた。「ガトフ・フセグダアてことを知つてるかい?」

「何、ガトフヽヽヽガトフヽヽヽ何だいそれは、まさか火星の言葉でもあるまいし。」

「ロシア語だよ、俺がサガレンの漁場にゐる時に教はつたんだ。ね君は知つてるかい、レニンて怪物を。」と彼は節くぶしに毛の密生した右手の親指を突き出して言葉の調子を改めた。

「レニン、知つてるさ、それあ……」

「さうさ、知つてるだらう、吾々の恩人レニン。な、彼が云つたんださうだ。『ガトフ・フセグダア』つてね。上(うは)つ面(つら)は何んな間抜面をしてゐてもいい。然しいいか、『ガトフ・フセグダア』だ。『常に用意せよ。』ていふんだ。ね解つたかい。此船で君となら先づ話が出来さうだ。解つたかい、解つたらお終ひと、こらさつと。」

そして彼は又踊つた。(昭和小説集(一)132ページ)

 「ガトフフセグダア」はロシア語で「常に用意せよ」という意味だった。このことについて、インディペンデント・キュレーターとして、国内外の美術館・ギャラリー・企業の依頼で、展覧会の企画などを行い、翻訳もしている高等学校時の同級生にたずねてみた。すると、「ピオネール」という、ボーイスカウトに倣ったソ連の少年団のスローガンが、ボーイスカウトの「Be prepared(備えよ常に)」に倣った「フシェグダー・ガトーフ(何時でも準備よし!)」であることを教えてくれた。「ピオネール」のシンボルマークに、レーニンの横顔とこのスローガンが書かれていることも、ネットの検索でわかった。

 さて、作者の岩藤雪夫は明治35(1902)年生まれで、平成元(1989)年に没している。他の作品も読んでみたくなったので、日本プロレタリア傑作選集の1冊となっている『血』(1930年、日本評論社)、新鋭文学叢書の1冊となっている『屍の海』(1930年、改造社)も入手した。後者の表紙見返しページには「労働者を友とせよ 鷲目原」という書き込みがされ、それに赤鉛筆で×をして「中村廣二」と書かれている。奥付の前のページには赤鉛筆で「示威運動」、ペンで「爆発」と書かれていて、こうした本が出版されていた時期の「熱」のようなものを感じる。

 『日本国語大辞典』を丁寧によんでいくと、自分が知らない「出典」が数多くあげられている。それは古典文学作品でもそうだ。「知らない」ということはこれまであまり接点がなかったということであり、それは自身の限定された興味に起因するということもあるだろう。そうした自身の「偏り」を知り、修正する機会を与えてもくれる。「これはおもしろそうだな」と思った作品をよんでみる、というようなことも『日本国語大辞典』をよむ楽しさの1つであろう。

 筆者が岩藤雪夫の作品を少し読んでみようと思ったのは「プロレタリア文学」というくくりに、ちょっと「反応」したからだ。中学校や高等学校の、おそらく文学史で聞いたことばだろうと思うが、「プロレタリア文学」といえば、小林多喜二の『蟹工船』、あとは徳永直の『太陽のない街』だろうか。黒島伝治の名前もそういう中で知ったように思う。しかし、実際にこれらの作品を読んだかというと、そうでもないことに今回気づいた。「プロレタリア文学」とくくられる文学作品が文学史に足跡を刻んでいることはたしかなことであろうが、それを「今、ここ」のものとしてとらえることはほとんどないだろう。そういうことを考えさせられた。

 入手した『血』におさめられている『ガトフ・フセグダア』の冒頭(6行目)には次のようにある。

エンヂン場(ば)は夕暮(ゆふぐれ)の牢獄程(らうごくほど)に暗(くら)かつた。「持出(もちだ)しワッチ」に当(あた)つた私達(わたしたち)フィアマンは赤鬼(あかおに)みたいにスライスバアやスコップを振(ふ)り廻(まは)して圧力計(プレシユアゲージ)と睨(にら)めつこをしてゐた。

 『日本国語大辞典』は上にみられる「フィアマン」や「プレシユアゲージ」も見出しとはなっていない。見出し「ファイアマン」の語釈中に「フィアマン」があり、「プレッシャーゲージ」を見出しとしている。ただし、使用例としては、上の箇所をあげているので、語形としては小異とみているのだろう。その一方で、「エンジンバ(エンジン場)」や「モチダシワッチ(持出しワッチ)」、「スライスバア」は見出しとしていない。外来語を見出しにするのには限界があるだろうから、それは当然のこととして、筆者としては、「エンジンバ(エンジン場)」のような複合語は、できるだけ見出しになっているといいと思う。この場合は「エンジン」に和語「バ(場)」が複合した複合語であるので、「バ」がそうした造語力をもっていたことを窺わせる語の例ということになる。どうしても、そのような「日本語の歴史」を思い浮かべながら『日本国語大辞典』をよんでしまうが、あれこれと想像しながらよむのはやはり楽しい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

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