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『日本国語大辞典』をよむ―第18回 ガトフフセグダア

2017年 10月 8日 日曜日 筆者: 今野 真二

第18回 ガトフフセグダア

 タイトル「ガトフフセグダア」が何のことかおわかりになるでしょうか。筆者は『日本国語大辞典』をよんでいて、このことばにであった。

あごつかい【顎使】〔名〕高慢、横柄な態度で人を使うこと。あごさしず。*ガトフ・フセグダア〔1928〕〈岩藤雪夫〉二「気弱で温純だといふ点からメーツ等に寵愛されてナンバンにまで成り上った彼には下の人間をすら余り頤使(アゴヅカ)ひ能(でき)る勇気の持合せがなかった」

 『日本国語大辞典』のオンライン版で検索してみると、『日本国語大辞典』全体では、この岩藤雪夫「ガトフフセグダア」が221回、使用例としてあげられていることがわかる。今回の「『日本国語大辞典』をよむ」の「よむ」には使用例をよむということは含めないと最初に述べたが、それは「必ずよむ」ことにはしないということであって、当然使用例をよむこともあるし、「出典」をみることもある。最初は気にならなかったが、何度か目にするうちに、この「ガトフフセグダア」が気になってきた。作品名であることはわかるが、不思議な作品名である。

 そこで、グーグルで検索をしてみると、なんと3件しかヒットしない。古本サイトなども使って、この作品が「現代日本文学全集86」『昭和小説集(一)』(1957年、筑摩書房)と「日本現代文学全集69」『プロレタリア文学集』(1969年、講談社)に収められていることがわかり、その両方を注文して、購入した。

 「ガトフフセグダア」は作品の中に次のようにでてくる。

「やい山。」と彼は一寸踊を止めて私を眺めた。「ガトフ・フセグダアてことを知つてるかい?」

「何、ガトフヽヽヽガトフヽヽヽ何だいそれは、まさか火星の言葉でもあるまいし。」

「ロシア語だよ、俺がサガレンの漁場にゐる時に教はつたんだ。ね君は知つてるかい、レニンて怪物を。」と彼は節くぶしに毛の密生した右手の親指を突き出して言葉の調子を改めた。

「レニン、知つてるさ、それあ……」

「さうさ、知つてるだらう、吾々の恩人レニン。な、彼が云つたんださうだ。『ガトフ・フセグダア』つてね。上(うは)つ面(つら)は何んな間抜面をしてゐてもいい。然しいいか、『ガトフ・フセグダア』だ。『常に用意せよ。』ていふんだ。ね解つたかい。此船で君となら先づ話が出来さうだ。解つたかい、解つたらお終ひと、こらさつと。」

そして彼は又踊つた。(昭和小説集(一)132ページ)

 「ガトフフセグダア」はロシア語で「常に用意せよ」という意味だった。このことについて、インディペンデント・キュレーターとして、国内外の美術館・ギャラリー・企業の依頼で、展覧会の企画などを行い、翻訳もしている高等学校時の同級生にたずねてみた。すると、「ピオネール」という、ボーイスカウトに倣ったソ連の少年団のスローガンが、ボーイスカウトの「Be prepared(備えよ常に)」に倣った「フシェグダー・ガトーフ(何時でも準備よし!)」であることを教えてくれた。「ピオネール」のシンボルマークに、レーニンの横顔とこのスローガンが書かれていることも、ネットの検索でわかった。

 さて、作者の岩藤雪夫は明治35(1902)年生まれで、平成元(1989)年に没している。他の作品も読んでみたくなったので、日本プロレタリア傑作選集の1冊となっている『血』(1930年、日本評論社)、新鋭文学叢書の1冊となっている『屍の海』(1930年、改造社)も入手した。後者の表紙見返しページには「労働者を友とせよ 鷲目原」という書き込みがされ、それに赤鉛筆で×をして「中村廣二」と書かれている。奥付の前のページには赤鉛筆で「示威運動」、ペンで「爆発」と書かれていて、こうした本が出版されていた時期の「熱」のようなものを感じる。

 『日本国語大辞典』を丁寧によんでいくと、自分が知らない「出典」が数多くあげられている。それは古典文学作品でもそうだ。「知らない」ということはこれまであまり接点がなかったということであり、それは自身の限定された興味に起因するということもあるだろう。そうした自身の「偏り」を知り、修正する機会を与えてもくれる。「これはおもしろそうだな」と思った作品をよんでみる、というようなことも『日本国語大辞典』をよむ楽しさの1つであろう。

 筆者が岩藤雪夫の作品を少し読んでみようと思ったのは「プロレタリア文学」というくくりに、ちょっと「反応」したからだ。中学校や高等学校の、おそらく文学史で聞いたことばだろうと思うが、「プロレタリア文学」といえば、小林多喜二の『蟹工船』、あとは徳永直の『太陽のない街』だろうか。黒島伝治の名前もそういう中で知ったように思う。しかし、実際にこれらの作品を読んだかというと、そうでもないことに今回気づいた。「プロレタリア文学」とくくられる文学作品が文学史に足跡を刻んでいることはたしかなことであろうが、それを「今、ここ」のものとしてとらえることはほとんどないだろう。そういうことを考えさせられた。

 入手した『血』におさめられている『ガトフ・フセグダア』の冒頭(6行目)には次のようにある。

エンヂン場(ば)は夕暮(ゆふぐれ)の牢獄程(らうごくほど)に暗(くら)かつた。「持出(もちだ)しワッチ」に当(あた)つた私達(わたしたち)フィアマンは赤鬼(あかおに)みたいにスライスバアやスコップを振(ふ)り廻(まは)して圧力計(プレシユアゲージ)と睨(にら)めつこをしてゐた。

 『日本国語大辞典』は上にみられる「フィアマン」や「プレシユアゲージ」も見出しとはなっていない。見出し「ファイアマン」の語釈中に「フィアマン」があり、「プレッシャーゲージ」を見出しとしている。ただし、使用例としては、上の箇所をあげているので、語形としては小異とみているのだろう。その一方で、「エンジンバ(エンジン場)」や「モチダシワッチ(持出しワッチ)」、「スライスバア」は見出しとしていない。外来語を見出しにするのには限界があるだろうから、それは当然のこととして、筆者としては、「エンジンバ(エンジン場)」のような複合語は、できるだけ見出しになっているといいと思う。この場合は「エンジン」に和語「バ(場)」が複合した複合語であるので、「バ」がそうした造語力をもっていたことを窺わせる語の例ということになる。どうしても、そのような「日本語の歴史」を思い浮かべながら『日本国語大辞典』をよんでしまうが、あれこれと想像しながらよむのはやはり楽しい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

2017年 10月 8日