2017年 11月 のアーカイブ

広告の中のタイプライター(20):Munson No.1

2017年 11月 23日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『National Stenographer』1892年3月号

『National Stenographer』1892年3月号
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「Munson No.1」は、シカゴのサイフリード(Samuel John Seifried)とマンソン(Frederick Woodbury Munson)が、1890年に発売したタイプライターです。上の広告にもあるとおり、発売時点での「Munson No.1」は、単に「The “Munson” Type Writer」と呼ばれていましたが、後に「Munson No.2」や「Munson No.3」が発売されたことから、このモデルは「Munson No.1」と呼ばれるようになりました。

「Munson No.1」の特徴は、タイプ・スリーブ(type sleeve)と呼ばれる金属製の活字円筒にあります。タイプ・スリーブには、90個(5+5個×9列)の活字が埋め込まれていて、30個の各キーに活字が3個ずつ対応しています。タイプ・スリーブと紙の間には、インクリボンと金属製スリットがあります。上段の各キーを押すと、タイプ・スリーブが左右に移動して、スリットの穴の位置に、押されたキーに対応する活字が来ます。その瞬間に、紙の背後からハンマーが打ち込まれ、紙の前面に印字がおこなわれるのです。中段のキーの場合は、左右移動に加えて、タイプ・スリーブが上に40度回転することで、穴の位置に対応する活字が来ます。下段のキーの場合は、左右移動に加えて、タイプ・スリーブが下に40度回転することで、穴の位置に対応する活字が来ます。さらに、「CAP.」(大文字)キーと「FIG.」(記号および数字)キーが、タイプ・スリーブをそれぞれ上下に120度回転することで、90個の活字を打ち分けられるようになっているのです。

「Munson No.1」のキーボードは、いわゆるQWERTY配列に近いものの、30個のキーが独特の並びになっています。上段のキーは、小文字側にwertyuiop?が、大文字側にWERTYUIOP?が、数字側に1234567890が並んでいます。中段のキーは、小文字側にasdfghjklが、大文字側にASDFGHJKLが、記号側に$⅛¼½£’_/()が並んでいます。下段のキーは、小文字側にqzxcvbnm,.が、大文字側にQZXCVBNM,.が、記号側に%¢@#*&”:!;が並んでいます。さらに、上段の左端に「FIG.」キーが、中段の左端に「CAP.」キーが配置されています。

「Munson No.1」は、印字位置をプラテンの前面におくことで、打った文字がオペレータに即座に見えることを目指していました。ただし、タイプ・スリーブやスリットがあるために、打った直後の文字は、オペレータが覗き込んでも見えにくく、何文字か打った後で見えてくるというのが現実でした。また、ハンマーを背後から打ち込む、という機構だったために、印字の濃さが紙の厚みに左右される、という問題もあったようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

『日本国語大辞典』をよむ―第21回 漢字の意味がわかりますか

2017年 11月 19日 日曜日 筆者: 今野 真二

第21回 漢字の意味がわかりますか

 筆者は『漢字からみた日本語の歴史』(2013年、ちくまプリマー新書)において、意味=語義は語がもつものであって、文字は「意味」をもたない、という意味合いで「漢字には「意味」がない」と述べた。漢字が意味をもっているのではなく、漢字が書き表わしている語が意味をもっているということだ。その考えは今でも変わらないが、中国語の場合、1語に対して、それを書き表わす漢字が1つ用意される。そうすると、語と、それを書き表わす文字との対応は原則として、一対一対応ということになる。それゆえ、漢字そのものが意味をもっているように、意識されやすい。それをふまえると、漢字に意味があるといっても、さほど変わらないと思うようになった。筆者は漢字の意味を「漢字字義」と呼んでいるが、ここでは「意味」という用語も使うことにする。これが今回のタイトルについてのいわば「補足説明」だ。

 漢語「ロウバイ(狼狽)」について、『日本国語大辞典』は次のように記している。

ろうばい【狼狽】〔名〕(「狼」も「狽」もオオカミの一種。「狼」は前足が長く後足は短いが、「狽」はその逆で、常にともに行き、離れれば倒れるので、あわてうろたえるというところから)思いがけない出来事にあわてふためくこと。どうしてよいかわからず、うろたえ騒ぐこと。

 「オオカミの一種」というと、実際にそういう動物がいるように理解してしまいそうで、「伝説上の」などという表現があったほうがよいように思う。漢語「ロウバイ(狼狽)」は現代でも使う語であるが、「狼」はともかくとして「狽」も動物名であることは通常は意識しにくい。よく考えれば、「狽」が獣篇の字であるので、わかってもいいはずであるが、そうはなかなか考えない。このように、漢語として使っている語を構成している個々の漢字の意味はあまり意識しないように思う。そういう「情報」も『日本国語大辞典』には記されている。ここではあまり使わない漢語も含めて、話題として採りあげていくことにする。

きゅうしゃ【休舎】〔名〕(「休」「舎」ともに、やすむの意)やすむこと。休息すること。休養すること。

きゅうせき【休戚】〔名〕(「休」は喜び、「戚」は悲しみの意)喜びと悲しみ。よいことと悪いこと。

きゅうめい【休明】〔名〕(「休」は大きい庇護の意)性格が寛容で、聰明なこと。

きょいん【許允】〔名〕(「許」「允」ともに、ゆるす、承認する意)願いごとなどに対して、承知し、ゆるすこと。許可。允許。允可。また、承認。

ぎょうそ【翹楚】〔名〕(形動タリ)(「翹」はしげり盛んなさま。「楚」は薪中の最も秀でたもの。「詩経-周南・漢広」の「翹翹錯薪、言刈 其楚 (注:「一」「二」は返り点) 」の句から)衆にぬきんでてすぐれること。また、そのものや、そのさま。俊秀。抜群。

きょきょう【駏蛩】〔名〕駏虚(きょきょ)と蛩蛩(きょうきょう)という二獣の名。「駏虚」は、騾馬(らば)のめすと牡馬のあいのこ、「蛩蛩」は、北海に住むという馬に似た想像上の動物をさす。ともに蟨(けつ)という獣に養われ、人が来ると蟨を背負って走るといい、常に共に居るもののたとえに用いられる。

 「休」に〈喜び〉という意味があることがわかると、「きゅうちょう(休徴)」の語義は「よいしるし。めでたいしるし」であることがわかることになる。しかし、その一方で、「キュウメイ(休明)」の場合の「休」は〈大きい庇護〉で、単純ではない。

 「キョイン(許允)」の場合は、「キョカ(許可)」「インキョ(允許)」「インカ(允可)」などの語が思い浮かべば、「キョイン(許允)」の語義も推測できる。そもそも「キョイン(許允)」は「インキョ(允許)」と字順が逆になったかたちをしている。このように、漢語の語義の理解は、他の漢語の語義理解を援用しながら行なわれていると思われる。当然、その漢語を構成する単漢字についての「情報」も援用されているはずだ。

 そうなってくると、「ギョウソ(翹楚)」はすぐには語義が推測しにくい。なぜなら、「翹」から始まる他の漢語がすぐには思い浮かばない。春先に黄色い花を咲かせる植物のレンギョウ(連翹)に使われている字であることはわかるが、これはあまり参考になりそうにない。「楚」も「四面楚歌」などから、中国の国名であることはわかるが、「楚」から始まる漢語というと、これもすぐには思い浮かびにくい。また、「翹」も「楚」も「常用漢字表」に載せられておらず、「和訓」もすぐには思いつかない。こういう場合は、漢語の語義の推測がきわめてしにくい。「和訓」を援用して漢語の語義を理解するというのは、日本において、長く行なわれてきた「方法」であると思う。さきほどの「キョイン(許允)」であれば、「許」字も「允」字も字義は〈ゆるす〉であるので、「キョイン(許允)」全体の語義は〈ゆるす+ゆるす〉で結局〈ゆるす〉となる。漢語を構成する上の字も下の字もどちらも〈ゆるす〉なのだから、字順を入れ換えてもよい。

 「駏虚(きょきょ)と蛩蛩(きょうきょう)という二獣の名」というのも驚く。このような語には『日本国語大辞典』を端からよまないと出会えなかったと思う。しかし、使用例には「山陽遺稿〔1841〕詩集」があげられていて、さすが頼山陽、こういう語もちゃんと承知していた。頼山陽の「心的辞書(mental lexicon)」(=言語使用者が脳内に備えていると考えられている架空の辞書)には、もしかしたら『日本国語大辞典』が見出しにしているすべての漢語が収められていたかもしれないなどと思ってしまう。そういうことを想像するのも楽しい。

 上に示した漢語は、現在ではほとんど、あるいはまったく使われなくなっているかもしれない。それでも、そういう語が中国で使われ、日本でもかつては使われたことがあった、ということも『日本国語大辞典』をよむとわかる。使わない語のことについて知ってもしかたがない、という考え方もあるだろう。しかし、どういう「発想」で語がつくられているか、ということを知ることにはおもしろさがあるのではないだろうか。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第2回 南の楽園? ザンジバルってどんなとこ?(その1)

2017年 11月 17日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第2回 南の楽園? ザンジバルってどんなとこ?(その1)

 フィールド言語学の舞台となるフィールドとはいかなるところなのでしょうか。今回は、私のフィールド、ザンジバルの、特に地理と気候、そして歴史と政治について紹介したいと思います。

 ザンジバルは、タンザニア連合共和国の主にウングジャとペンバという二つの島からなる地域の呼称です。南半球の赤道の比較的近くに位置しており[注1]、一年を通じて温暖湿潤、というか暑いです。特に12月から3月にかけての最も暑い時期は、扇風機すらない田舎の家では、夜眠ることができないほどです。気候は細かく見ると島内でも違いがあって、例えば、私がよく滞在しているウングジャ島南部のマクンドゥチは比較的雨が少なく、「最近は雨が少なくて、農業がやりにくくなった」なんて声が聞かれる一方、そこから15kmほど離れた、ムユニはより降雨量が多く農業ももっと盛んに行われているようです[注2]


ウングジャ島(中央)とペンバ島(右上)(クリックで拡大)

 ザンジバルで最も有名なものの一つは「ストーンタウン」でしょう。ウングジャ島中西部の迷路のようなこの街は、19世紀中ごろ、オマーン出身のスルタン、サイードの治世期に、クローブによってもたらされた繁栄を謳歌するザンジバルの都として発展を遂げました。街の建設には、この時代にやってきたインド系移民も大きく寄与しています。またザンジバルがイギリス保護領となっていた時代 (1890-1963) には、ヨーロッパ風の建築物が建てられました。現在まで残る独特の景観は、こうした歴史的経緯があって形作られています。


ストーンタウンの位置

 ザンジバルの街や村の中を歩いていると、槌(つち)と鍬(くわ)が描かれた緑の旗、あるいは白地で水色と赤の線で縁取られた旗がやたらと掲げられているところに遭遇します。


左が地方にある革命党の事務所の看板、
右が市民統一戦線の支持者が集まるストーンタウンの一角

 前者は、1964年のザンジバル革命で実権を握ったアフロ・シラジ党にルーツをもち、今なお政権を握る革命党 (CCM) の旗、後者は1992年の複数政党制が認められたあとに結成された市民統一戦線 (CUF) の旗です。掲げられた旗から、その土地でどちらの支持者が多いのかがわかります。フィールドワークをしていると、「お前はどっちを支持するんだ」(無論どっちもしていません)とか「一緒に○○(政治家)の集会に行きましょう」なんて言われることもあります。政治に関する積極的な発言は、必要がない限り控えたほうがいいと思いますが、政治に関するおしゃべりに耳を傾けると、現地の人が何を考えているのか、生活にどんな問題を抱えているのかが見えてきたりするかもしれません[注3]

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[注]

  1. ウングジャ島は南緯5.7~6.5度の間に位置する。
  2. ちなみに、ムユニはマンゴーの産地としてザンジバルでは有名。筆者の知る限り、ザンジバルのマンゴーが世界一うまい。
  3. ザンジバルの最近の政治情勢については
    https://jatatours.intafrica.com/habari168.html(最終確認日 2017年9月19日)が参考になる。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

第2回の今回は古本さんのフィールド(調査地)のザンジバルを地理と気候、歴史と政治の点から紹介していただきました。フィールドで調査したり、人々と知り合いになるうえで、地域の特徴を知ることも必要です。次回は宗教やなりわいを通して、ザンジバルの人々の生活について紹介していただきます。

人名用漢字の新字旧字:「温」と「溫」

2017年 11月 16日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第145回 「温」と「溫」

新字の「温」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「溫」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。つまり、新字の「温」も旧字の「溫」も、出生届に書いてOK。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、水部に新字の「温」が含まれていました。ところが昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、水部に旧字の「溫」が含まれていて、新字の「温」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「溫」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「溫」は当用漢字になりました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「溫」を「温」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「溫」が収録されていたので、「溫」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「温」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「温」が収録されていました。活字字体整理案に従った結果、新字の「温」が当用漢字となり、旧字の「溫」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「溫」と、当用漢字字体表にある新字の「温」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「溫」も新字の「温」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「溫」も新字の「温」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「温(溫)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、「温」は常用漢字になりました。同時に「溫」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、旧字の「溫」も新字の「温」も、どちらも子供の名づけに使えるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

モノが語る明治教育維新 第18回―進級試験問題をのぞいてみると・・・(1)

2017年 11月 14日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第18回―進級試験問題をのぞいてみると・・・(1)

 第16回で、進級試験に合格することがいかに大変か、在籍比率を例にお話しましたが、はたしてその試験はどのようなものだったのでしょうか。『師範学校 小学試験成規』(明治8年)の中から一部、ご紹介しましょう。


(写真はクリックで拡大)

 この本は、東京師範学校を明治7年6月に卒業し、神奈川県師範学校教員となった小林義則が、下等小学の試験法と例題を記したものです。明治7年の段階では、近代的な教授法を学んだ東京師範学校卒業生は小林を含めわずか37名しかおらず、江戸期以来の旧来の教育関係者が講習所に通い、にわか教師として雇用されていました。規則に定められた進級試験の仕方にも戸惑う教師が多い中、小林が一つの指針として自ら執筆、出版したと考えられます。

 凡例によれば各級の科目と配点は、次の通りです。算術20点、読物・摘書(てきしょ)20点、講義10点、書取(第五級からは作文に変更)20点、問答15点、習字15点。評価は減点方式ですが、作文と習字はそれぞれ4段階評価(甲20点、乙15点、丙10点、丁5点)と3段階評価(大佳15点、佳々10点、佳5点)です。100点満点で、50点以上が及第とされています。答えは記されていませんので、以下の答えは私の試算、私見です。

 まず、算術問題から。第八級(小学1年前期)は以下の4問です。(1)~(3)は漢数字を算用数字に、算用数字を漢数字になおす問題、(4)は暗算問題です。

 (1)七十七 (2)九十 (3)69 (4)6+5+4+2+7+5=

これは簡単なので答えは割愛しますが、漢数字を常用していた日本人が算用数字を学ぶには、教師も生徒もだいぶ苦労し、「1は一の倒立」「3はだるま」などと言いつつ覚えたそうです。第七級(小学1年後期)では、ローマ数字「CLXXII」を算用数字になおす問題が出題されています。現代では時計の文字盤ぐらいでしか馴染みがありませんが、当時は漢数字、算用数字と並び、ローマ数字も学んでいました。ちなみにCが100、Lが50、Xが10を表すので、答えは172となります。

 第六級(小学2年前期)以上は、筆算2問、文章問題1問、暗算1問の構成ですが、第一級(小学4年後期)ともなると筆算もかなり複雑です。


ずいぶん込み入った「分数ぶんの分数」問題で、解くには根気が必要ですが、ぜひ挑戦してみてください。答えは文末に記します。

 読物・摘書は、合わせて20点。読物は学習した掛図や教科書の中から指示された範囲を朗読します。摘書は、黒板に抜き書きされた単語の読み方を口頭で答え、○が付いたものはその意味も述べます。各級かなりの難問揃いですが、例えば第三級(小学3年後期)は以下の8問です。

 (1)峠 (2)纔 (3)○磽确 (4)○職分田 (5)香美 (6)律令 (7)藺席 (8)甲奴

難しい漢字がありますが、「纔」は「わず(か)」もしくは「ひたた」、「磽确」は「こうかく」、「藺席」はイ草で作られた筵(むしろ) のことで「いむしろ」と読むと思われます。○の付いた「磽确」は石の多いやせた土地、「職分田」(しきぶんでん) は、律令制で官職に支給した田のこと、などと言葉の意味を説明しなくてはいけません。「香美」と「甲奴」は地名で、それぞれ高知県の「かみ」、広島県の「こうぬ」のことです。明治の小学生はこんな難しい言葉を勉強していたのですね。

 講義は、読物で朗読した部分の内容を簡潔に説明します。正しければ10点、一つ間違えるごとに第八級は2点半、それより上の級では5点ずつ引かれます。

 算術の答え・・・7100/7189

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第八回:トナカイが魚を食べる!?

2017年 11月 10日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第八回: トナカイが魚を食べる!?


雪上に魚が置かれている漁場の風景

 一般的に、トナカイは「草食動物」といわれます。確かに植物食性が強い動物ではありますが、まったく動物等を食べないというわけではありません。彼らにとってたんぱく質も必要であるし、動物性たんぱく質の消化も可能です。野生トナカイも家畜トナカイも、通常、ツンドラゴケや樹木に生えるコケ、草、ベリー、キノコなどを主に採食しますが、まれにレミング(キヌゲネズミ科)等を捕食することもあります。また、動物園ではトナカイに魚粉を含んだ配合飼料が与えられています。そもそも、トナカイは繊維の多い草本を消化するために反芻(はんすう)するので、植物と一緒に自らの第1胃の微生物も食べています。このように、自然は「肉食動物」に対する「草食動物」というように、明確な二項対立にはなっていません。

 さて、トナカイが動物を食べることもあるということが分かったところで、今回は西シベリアのオビ川中流において、トナカイが魚を食べるという興味深い事例を紹介したいと思います。魚を食べるといっても、トナカイが自ら魚を捕食しているのではなく、人間が漁撈(ぎょろう)を行って獲得した魚を家畜トナカイに与えています。なぜそのようなことをするかというと、それはトナカイの群れを管理しやすくするためです。


魚を入れた袋を持つ人を追うトナカイ

 西シベリアには低地が広がり、湖沼が無数に分布し、そのあいだを河川が蛇行しています。その内水面域には淡水魚が豊かに繁殖しています。ハンティたちはその淡水産資源を重要な糧として生活してきました。現在でも森に暮らす人々の多くは家庭で食べるために漁撈を行っています。そうして得た魚の余剰をトナカイに給餌しています。

 基本的にはトナカイは放牧中にツンドラゴケや草を採食しますが、群れが放牧から帰ってきたときや群れを誘導するときなどに、カワカマスやフナ類の淡水魚をトナカイに与えます。与える魚は、生魚、凍った魚、燻製や干し魚です。前回、放牧作業は意外とたいへんな仕事と言いましたが、魚を餌付けすることによって放牧活動がしやすくなります。例えば、群れを牧柵の中に誘導するとき、バケツ一杯の魚を牧柵の中へ投げ入れます。そうするとトナカイたちがスムーズに牧柵に入っていきます。別の例では、特定のトナカイに日頃から優先的に魚を与えておき、そのトナカイ自身に群れを先導させます。この先導トナカイは飼い主の住処に帰れば魚を与えられることが分かっているため、牧夫が放牧した群れを探しに行かなくても、群れを連れ帰ることがあります。


魚を食べるトナカイ

 このように、ハンティたちはトナカイ牧畜と漁撈の両方を営み、豊富な淡水産資源を牧畜に利用しています。この地域ならではの牧畜技術によって、自然界ではなかなか結びつかないトナカイと魚が人を介して結びつくという面白い事象がつくりだされています。

ひとことハンティ語

単語:
読み方:エプセン!
意味:おいしい!
使い方:食べたものがおいしかったときに言います。「Ям!」(読み方:ヤム、意味:良い)だけでも、何か食べたときに使用すれば、「おいしい」という意味になります。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

今回は「トナカイが魚を食べる?!」という興味深いタイトルです。自ら捕食するのかな、と予想しながら読み進めましたが、トナカイを管理するために人間が余剰を給餌しているのですね。意外な事実でした。次回は12月8日に更新予定です。

広告の中のタイプライター(19):Smith-Corona Coronet

2017年 11月 9日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Ebony』1964年6月号

『Ebony』1964年6月号
(写真はクリックで拡大)

「Smith-Corona Coronet」は、SCMが1960年に発売したフロントストライク式の電動タイプライターです。上の広告にある「The quick brown fox」は、「THE QUICK BROWN FOX JUMPS OVER A LAZY DOG.」という文の一部です。タイプライターの教本に、ほぼ必ずと言っていいほど出てくるこの文は、A~Zを全て使うことから、キー配列を覚えるのに使われたり、あるいは、活字欠けやアラインメントのズレを見つけるのに使われたりする文です。ただ、この広告の「The quick brown fox has met his master」という文には、dもgもjもlもpもvもyもzも現れないので、そういう用途には使えないようです。

「Smith-Corona Coronet」のキーボードは、基本的にQWERTY配列ですが、最上段に数字が1234567890-=と並んでいて、そのシフト側に記号が!@#$%¢&*()_+と並んでいます。特に、「@」が「2」のシフト側にあるという点が「IBM Electromatic」の流れを汲んでいて、これが当時の電動タイプライターのキー配列の主流になりつつあったのです。なお「Smith-Corona Coronet」は44キーですが、ピリオドとコンマがシフト側にもダブっており、収録文字数は86種類でした。

「Smith-Corona Coronet」の特徴は、キーボード左端下の「COPY SET」ダイヤルにあります。通常は「1」にセットしておくのですが、数字を大きくすると、プラテンを叩く活字棒(type arm)の力が強くなります。これにより、カーボン紙を挟んだ複数枚の紙に対して、印字の濃さをコントロールできるようになっているのです。「COPY SET」ダイヤルの奥にあるのが「RIB REV」スイッチで、インクリボンの進行方向を逆転させるためのスイッチです。リボンのインクを無駄にしないよう、インクリボンを何往復も使えるようになっているのです。一方、キーボード右端下には「ON/OFF」のダイヤルスイッチがあり、その奥にはインクリボンの赤と黒を切り替えるスイッチがあります。最上段のキーのさらに奥には、「SET」と「CLEAR」の大きなキーがあり、マージン位置の設定と解除を、自由におこなえるようになっていました。

「Smith-Corona Coronet」は、電動タイプライターですが、印字機構はフロントストライク式でした。活字棒がプラテンの前面を叩くことで印字をおこなう、という点は、それ以前の機械式タイプライターと基本的に変わっておらず、印字機構を電動にしただけだったのです。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

『日本国語大辞典』をよむ―第20回 ギロッポンでシースー

2017年 11月 5日 日曜日 筆者: 今野 真二

第20回 ギロッポンでシースー

 『日本国語大辞典』は俗語、隠語の類も見出しとしている。

おうみょうどうふ【王明動不】〔名〕不動明王の像をさかさまにして、人を呪詛(じゅそ)するところから、その名を逆にしたのろいのことば。

 「オウミョウドウフ」ってどんな豆腐? と思ったら、いやはや恐ろしいものでした。使用例には「雑俳・川傍柳〔1780~83〕」があがっているので、江戸時代にはあった語であることがわかる。こうした「さかさことば」の類は少なくない。

さかさことば【逆言葉】〔名〕(1)反対の意味でつかうことば。「かわいい」を「憎い」という類。さかごと。さかことば。(2)語の順序や、単語の音の順序を逆にして言うこと。「はまぐり」を「ぐりはま」、「たね」を「ねた」という類。さかごと。さかことば。

 「ネタ」は現在でも使う語だ。『日本国語大辞典』は「ネタ」を次のように説明している。

ねた〔名〕(「たね(種)」を逆に読んだ隠語)(1)たね。原料。また、材料。(2)(略)(3)新聞・雑誌の記事の特別な材料。(以下略)

 語義(3)の使用例として「新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉」の「ねた 種を逆に言ったもので、新聞記事の材料のこと。三面記者などの仲間に用ひられる」があげられている。「ネタ」は小型の国語辞書、例えば『三省堂国語辞典』第7版も見出しにしている。

 『日本国語大辞典』をよみすすめていくと、いろいろな「さかさことば」にであう。

おか〔名〕(「かお」を逆にした語)顔をいう、人形浄瑠璃社会および盗人・てきや仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕

おも〔名〕(牛の鳴き声「もお」を逆にした語か)牛をいう、盗人仲間の隠語。〔特殊語百科辞典{1931}〕

かいわもの【―者】〔名〕(「かいわ」は「わかい(若)」を逆にしたもの)若い者、ばくち仲間の子分をいう、博徒仲間の隠語。〔特殊語百科辞典{1931}〕

かけおい【駆追】〔名〕(「おいかけ」の「おい」と「かけ」を逆にした語)追跡されることをいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{1892}〕

かやましい〔形口〕(「やかましい」の「やか」を逆にしたもの)官吏、役人などの監督が厳格である、という意を表わす、てきや・盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{1892}〕

きなこみ〔名〕(「きな」は「なき」を逆にした語で、「泣き込み」の意)でたらめの泣きごとを訴えて同情を得、金品を恵んでもらうことをいう、てきや仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕

ぐりはま〔名〕(「はまぐり(蛤)」の「はま」と「ぐり」を逆にした語)(1)かわりばえのしないこと。たいした違いがないこと。ぐりはまはまぐり。(2)物事の手順、結果がくいちがうこと。意味をなさなくなること。ぐりはまはまぐり。ぐれはま。ぐれはまぐり。

げんきょ【言虚】〔名〕(「虚言(きょげん)」を逆にした語)詐欺的行為をいう、盗人・てきや仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕

げんきょう〔名〕(「きょうげん(狂言)」の「きょう」と「げん」を逆にした語)芝居のことをいう、盗人・てきや仲間の隠語。〔日本隠語集{1892}〕

ごうざい【郷在】〔名〕(「在郷」を逆にした語で、もと、人形浄瑠璃社会の隠語)いなか。または、いなか者。

 「ぐりはま」の使用例には「玉塵抄〔1563〕」があげられており、16世紀にはすでにあった語であることがわかる。「さかさことば」にも歴史がある。「ごうざい」の使用例には「滑稽本・戯場粋言幕の外〔1806〕」がまずあげられているので、19世紀初頭にはあった語であることがわかる。

 どうしても細かいところが気になる性分なので、いささか細かいことを述べるが、見出し「かやましい」では「てきや・盗人仲間の隠語」とあって、見出し「げんきょ」「げんきょう」では「盗人・てきや仲間の隠語」とあることには何か意図があるのだろうかなどと思ってしまう。また見出し「げんきょ」と「ごうざい」とでは、「言虚」「郷在」という漢字列を示しているが、見出し「げんきょう」では「言狂」を示していない。また見出し「げんきょう」と「ごうざい」とはともに4拍語で、語の成り立ちが似ているように思うが、見出し「げんきょう」を「ごうざい」と同じように、「「狂言」を逆にした語」と説明することはできないのだろうか。それぞれ何か意図があるのかもしれないが、それがうまくよみとれない。

 上にあげた見出しの語釈では「逆にした」という表現が使われているが、その「逆」の内実はさまざまである。「もお」の逆が「おも」であるという場合は、仮名で書かれている文字列を文字通り逆からよむ、というようなことであるが、「「かいわ」は「わかい(若)」を逆にした」という場合の逆は、そうではない。「わかい」を下からよめば「いかわ」になってしまうので、「文字を入れ替えた」というような表現があるいはふさわしいかもしれない。

 筆者は、見出し「げんきょ」をみて、「ほお」と思った。それは漢語「キョゲン(虚言)」のさかさことばだったからだ。当たり前のことであるが、さかさことばが理解されるためには、もとのことばがわかっていなければならない。「キョゲン(虚言)」をひっくりかえして使うことができる「(文字)社会」では「キョゲン(虚言)」という漢語が使われていた可能性がたかい。「げんきょう」や「ごうざい」も同じように考えることができる。どのような漢語がどのような「(文字)社会」で使われていたかを考えることは、最近、筆者が取り組んでいることであるが、そういうこととかかわりがある。

 上で出典となっているのは『隠語輯覧』『特殊語百科辞典』『日本隠語集』である。今までこういう「方面」のことを調べたことがなかったので、手始めにと思って、『隠語輯覧』と『日本隠語集』とを入手した。いろいろな隠語が載せられていて、おもしろかった。

 さて、最近バブル期をネタにしている女性の芸人がいて、「ギロッポンでシースー」などと言っている。いうまでもなく「六本木で鮨」ということだが、筆者などは(冗談ではなく)ほんとうにこんな語が使われていたのだろうか、と思ったりもする。『日本国語大辞典』には「ギロッポン」も「シースー」も見出しになっていない。それは「新語に強い」ことを謳う『三省堂国語辞典』第7版も同じだ。はたして、これらの語が辞書の見出しになる日は来るのか来ないのか。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

人名用漢字の新字旧字:「褐」と「褐」

2017年 11月 2日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第144回 「褐」と「褐」

新字の「褐」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「褐」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「褐」は出生届に書いてOKですが、「褐」はダメ。どうして、こんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の衣部には、旧字の「褐」が収録されていましたが、新字の「褐」は収録されていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも旧字の「褐」だけが含まれていて、新字の「褐」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、旧字の「褐」を削除してしまいました。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「褐」も「褐」も収録されていませんでした。昭和23年1月1日、戸籍法が改正され、子供の名づけは当用漢字1850字に制限されました。この時点で、新字の「褐」も旧字の「褐」も、子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

昭和52年1月21日、国語審議会は新漢字表試案を発表しました。新漢字表試案は、当用漢字に83字を追加し33字を削除する案で、1900字を収録していました。この追加案83字の中に、新字の「褐」が含まれており、さらに「褐」の康熙字典体として、旧字の「褐」がカッコ書きで添えられていました。つまり、「褐(褐)」となっていたわけです。昭和56年3月23日、国語審議会は常用漢字表1945字を答申しました。この常用漢字表にも、「褐(褐)」が含まれていました。

これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「褐」は常用漢字になりました。この時点で、新字の「褐」は、子供の名づけに使えるようになりました。しかし、旧字の「褐」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「褐」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

30年後の平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、13287字を収録していました。この13287字の中に、新字の「褐」と旧字の「褐」が、両方とも含まれていました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「褐」に加えて、旧字の「褐」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「褐」はOKですが、旧字の「褐」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

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