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『日本国語大辞典』をよむ―第20回 ギロッポンでシースー

2017年 11月 5日 日曜日 筆者: 今野 真二

第20回 ギロッポンでシースー

 『日本国語大辞典』は俗語、隠語の類も見出しとしている。

おうみょうどうふ【王明動不】〔名〕不動明王の像をさかさまにして、人を呪詛(じゅそ)するところから、その名を逆にしたのろいのことば。

 「オウミョウドウフ」ってどんな豆腐? と思ったら、いやはや恐ろしいものでした。使用例には「雑俳・川傍柳〔1780~83〕」があがっているので、江戸時代にはあった語であることがわかる。こうした「さかさことば」の類は少なくない。

さかさことば【逆言葉】〔名〕(1)反対の意味でつかうことば。「かわいい」を「憎い」という類。さかごと。さかことば。(2)語の順序や、単語の音の順序を逆にして言うこと。「はまぐり」を「ぐりはま」、「たね」を「ねた」という類。さかごと。さかことば。

 「ネタ」は現在でも使う語だ。『日本国語大辞典』は「ネタ」を次のように説明している。

ねた〔名〕(「たね(種)」を逆に読んだ隠語)(1)たね。原料。また、材料。(2)(略)(3)新聞・雑誌の記事の特別な材料。(以下略)

 語義(3)の使用例として「新しき用語の泉〔1921〕〈小林花眠〉」の「ねた 種を逆に言ったもので、新聞記事の材料のこと。三面記者などの仲間に用ひられる」があげられている。「ネタ」は小型の国語辞書、例えば『三省堂国語辞典』第7版も見出しにしている。

 『日本国語大辞典』をよみすすめていくと、いろいろな「さかさことば」にであう。

おか〔名〕(「かお」を逆にした語)顔をいう、人形浄瑠璃社会および盗人・てきや仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕

おも〔名〕(牛の鳴き声「もお」を逆にした語か)牛をいう、盗人仲間の隠語。〔特殊語百科辞典{1931}〕

かいわもの【―者】〔名〕(「かいわ」は「わかい(若)」を逆にしたもの)若い者、ばくち仲間の子分をいう、博徒仲間の隠語。〔特殊語百科辞典{1931}〕

かけおい【駆追】〔名〕(「おいかけ」の「おい」と「かけ」を逆にした語)追跡されることをいう、盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{1892}〕

かやましい〔形口〕(「やかましい」の「やか」を逆にしたもの)官吏、役人などの監督が厳格である、という意を表わす、てきや・盗人仲間の隠語。〔日本隠語集{1892}〕

きなこみ〔名〕(「きな」は「なき」を逆にした語で、「泣き込み」の意)でたらめの泣きごとを訴えて同情を得、金品を恵んでもらうことをいう、てきや仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕

ぐりはま〔名〕(「はまぐり(蛤)」の「はま」と「ぐり」を逆にした語)(1)かわりばえのしないこと。たいした違いがないこと。ぐりはまはまぐり。(2)物事の手順、結果がくいちがうこと。意味をなさなくなること。ぐりはまはまぐり。ぐれはま。ぐれはまぐり。

げんきょ【言虚】〔名〕(「虚言(きょげん)」を逆にした語)詐欺的行為をいう、盗人・てきや仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕

げんきょう〔名〕(「きょうげん(狂言)」の「きょう」と「げん」を逆にした語)芝居のことをいう、盗人・てきや仲間の隠語。〔日本隠語集{1892}〕

ごうざい【郷在】〔名〕(「在郷」を逆にした語で、もと、人形浄瑠璃社会の隠語)いなか。または、いなか者。

 「ぐりはま」の使用例には「玉塵抄〔1563〕」があげられており、16世紀にはすでにあった語であることがわかる。「さかさことば」にも歴史がある。「ごうざい」の使用例には「滑稽本・戯場粋言幕の外〔1806〕」がまずあげられているので、19世紀初頭にはあった語であることがわかる。

 どうしても細かいところが気になる性分なので、いささか細かいことを述べるが、見出し「かやましい」では「てきや・盗人仲間の隠語」とあって、見出し「げんきょ」「げんきょう」では「盗人・てきや仲間の隠語」とあることには何か意図があるのだろうかなどと思ってしまう。また見出し「げんきょ」と「ごうざい」とでは、「言虚」「郷在」という漢字列を示しているが、見出し「げんきょう」では「言狂」を示していない。また見出し「げんきょう」と「ごうざい」とはともに4拍語で、語の成り立ちが似ているように思うが、見出し「げんきょう」を「ごうざい」と同じように、「「狂言」を逆にした語」と説明することはできないのだろうか。それぞれ何か意図があるのかもしれないが、それがうまくよみとれない。

 上にあげた見出しの語釈では「逆にした」という表現が使われているが、その「逆」の内実はさまざまである。「もお」の逆が「おも」であるという場合は、仮名で書かれている文字列を文字通り逆からよむ、というようなことであるが、「「かいわ」は「わかい(若)」を逆にした」という場合の逆は、そうではない。「わかい」を下からよめば「いかわ」になってしまうので、「文字を入れ替えた」というような表現があるいはふさわしいかもしれない。

 筆者は、見出し「げんきょ」をみて、「ほお」と思った。それは漢語「キョゲン(虚言)」のさかさことばだったからだ。当たり前のことであるが、さかさことばが理解されるためには、もとのことばがわかっていなければならない。「キョゲン(虚言)」をひっくりかえして使うことができる「(文字)社会」では「キョゲン(虚言)」という漢語が使われていた可能性がたかい。「げんきょう」や「ごうざい」も同じように考えることができる。どのような漢語がどのような「(文字)社会」で使われていたかを考えることは、最近、筆者が取り組んでいることであるが、そういうこととかかわりがある。

 上で出典となっているのは『隠語輯覧』『特殊語百科辞典』『日本隠語集』である。今までこういう「方面」のことを調べたことがなかったので、手始めにと思って、『隠語輯覧』と『日本隠語集』とを入手した。いろいろな隠語が載せられていて、おもしろかった。

 さて、最近バブル期をネタにしている女性の芸人がいて、「ギロッポンでシースー」などと言っている。いうまでもなく「六本木で鮨」ということだが、筆者などは(冗談ではなく)ほんとうにこんな語が使われていたのだろうか、と思ったりもする。『日本国語大辞典』には「ギロッポン」も「シースー」も見出しになっていない。それは「新語に強い」ことを謳う『三省堂国語辞典』第7版も同じだ。はたして、これらの語が辞書の見出しになる日は来るのか来ないのか。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

2017年 11月 5日