2017年 12月 のアーカイブ

『日本国語大辞典』をよむ―第24回 バリアント②:だいぶ違うぞ

2017年 12月 31日 日曜日 筆者: 今野 真二

第24回 バリアント②:だいぶ違うぞ

 前回の最後で「カエルデ」から「カエデ」になったと述べた。『日本国語大辞典』は見出し「かえで【楓・槭樹・鶏冠木】〔名〕」に「(「かえるで(蝦手)」の変化した語)」と記している。『万葉集』巻8に収められている1623番歌「吾屋戸尓 黄変蝦手 毎見 妹乎懸管 不恋日者無」は現在「我(わ)がやどにもみつかへるで見るごとに妹をかけつつ恋ひぬ日はなし」(=我が家の庭に色づくかえでを見るたびに、あなたを心にかけて、恋しく思わない日はない)と詠まれており、「蝦手」が「かへるて(かへるで)」を書いたものと推測されている。

 「カヘルデ」から一気に「カエデ」になったとは考えにくく、おそらく「ル」が撥音化した「カヘンデ」というような語形を経て、その撥音が脱落して「カエデ」になったものと思われる。「クスシ」は「薬師」と書くことからわかるように、「クスリシ」が変化した語であるが、やはり「クスリシ」→「クスンシ」→「クスシ」と変化したと推測できそうだ。「カエデ」「クスシ」はもとの語形「カエルデ」「クスリシ」から一気に到達する語形ではない点で、「だいぶ違う」といえるように思う。今回はそのような、もとの語形からすると、「おお!」と思うような変異形を話題にしてみよう。

 「カッタルイ」という語がある。『日本国語大辞典』は語義(1)として「体がだるく、ものうい。疲れた感じでだるい」、語義(3)として「まわりくどくてめんどうだの意の俗語」と説明している。この「カッタルイ」は「カイダルイ」の変化した語とある。そこで見出し「かいだるい」をみると次のようにある。

かいだるい【腕弛】〔形口〕[文] かひだるし〔形ク〕(「かいなだるい(腕弛)」の変化した語)(1)腕がくたびれてだるい。(2)身体や身体の一部が疲れてだるい。かったるい。

かいなだるい【腕弛】〔形口〕[文] かひなだるし〔形ク〕腕が疲れた感じで力がない。かいなだゆし。かいだゆし。かいだるい。

 これらの記事を整理すると、「カイナダルイ」→「カイダルイ」→「カッタルイ」と変化したことになる。「カッタルイ」はいうなれば「三代目」ということになる。さて、筆者は神奈川県の出身であるが、中学生の頃には「カッタルイ」あるいは「ケッタルイ」という語形を耳にしていたし、自身でも使っていたような記憶がある。『日本国語大辞典』は見出し「かいだるい」の方言欄に千葉県夷隅郡の「けったりい」、千葉県香取郡の「けえたりい」をあげているので、こうした語形にちかいものと思われる。

 次のような語形もあった。

かねがん【金勘】〔名〕「かねかんじょう(金勘定)」の変化した語。

 使用例として「浮世草子・忠義太平記大全〔1717〕」があげられているので、江戸時代にはあった語であることがわかる。「カネカンジョウ」と「カネガン」もすぐには繫がらない。変化のプロセスを推測すれば、「カネカンジョウ」が「カネカン」という語形に省略されて、それがさらに「カネガン」となったものとみるのがもっとも自然であろう。漢字で「金勘」と書いてあれば、なんとか「カネカンジョウ(金勘定)」という語とかかわりがあるかな、ぐらいはわかりそうだが、耳で「カネガン」と聞いてもなかなか「カネカンジョウ」には繫がりにくそうだが、それは現代人の「感覚」なのかもしれない。とにかく、だいぶ違う。

くちびら【唇】〔名〕「くちびる(唇)」の変化した語。

くちびる【唇・脣・吻】〔名〕(1)(「口縁(くちべり)」の意。上代は「くちひる」か)

くちべろ【唇・口舌】〔名〕「くちびる(唇)」に同じ。

 「くちべろ」の使用例として「夢酔独言〔1843〕」があげられている。現在でも「シタ(舌)」のことを「ベロ」ということがあるが、『日本国語大辞典』は見出し「べろ」の使用例として「物類称呼〔1775〕」をあげているので、「ベロ」は18世紀には使われていたことがわかる。そうすると、「クチベロ」の語形をうみだすプロセスにこの「ベロ」が干渉していないかどうかということになりそうだ。見出し「くちびる」に記されている「「口縁(くちべり)」の意」はいわば語源の説明であって、上代に「クチベリ」という語形の存在が確認されているわけではないと思われる。「クチベリ」をスタート地点に置くと、「クチビル」もすでにだいぶ変化しているように思われるが、その「クチビル」をスタートとすると、「クチビラ」は母音[u]が母音[a]に替わった、母音交替形にあたる。まあ耳で聞いた印象はちかいといえばちかい。「クチベロ」は「クチビル」の「ビ」の母音が[i]から[e]に、「ル」の母音が[u]から[o]に替わっており、母音が2つ替わっているので、耳で聞いた印象は少しとおくなる。「クチベリ・クチビル・クチビラ・クチベロ」と連続して発音すると早口言葉のようだ。

ぐんて【軍手】〔名〕白の太いもめん糸で編んだ手袋。もと軍隊用につくられたための呼称。軍隊手袋。

ぐんたいてぶくろ【軍隊手袋】〔名〕「ぐんて(軍手)」に同じ。

ぐんそく【軍足】〔名〕軍用の靴下。太い白もめんの糸で織った靴下。

 見出し「ぐんたいてぶくろ」には龍胆寺雄の「放浪時代〔1928〕」の使用例があげられている。冷静に考えれば、「ぐんて(軍手)」の「ぐん(軍)」は「軍隊」ぐらいしか考えられないが、身近な存在となっているので、そこに気がまわらなかった。「ぐんそく(軍足)」は両親のいずれかが使った語であったと記憶しているが、どういう場面で使われたかまでは覚えていない。「ぐんたいてぶくろ」を略した「ぐんて」、これもだいぶ違う語形に思われる。さて最後にもう1つ。

ことよろ【殊宜】〔名〕ことによろしいの意で用いる近世通人の語。

 使用例として「洒落本・素見数子〔1802〕」があげられているので、19世紀初頭には存在した語であることがわかる。筆者は「あけおめ」が最初わからなかった。いつ知った語か、いまでは記憶にないが、学生との会話の中で知ったような気がする。ちなみにいえば、『日本国語大辞典』は「あけおめ」を見出しとしていない。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

冬期休業のお知らせ

2017年 12月 28日 木曜日 筆者: 辞書ウェブ 編集部

12/29~1/4 冬期休業

小社では年末年始にあたり、上記期間中、冬期休業となります。
この期間中にいただいたお問い合わせなどは、1月5日以降の対応となりますので、ご了承いただけますよう、お願い申し上げます。

来る年の皆様のご多幸を祈念いたしますとともに、引き続き当サイトをご愛読いただけますよう、お願い申し上げます。

人名用漢字の新字旧字:「験」と「驗」

2017年 12月 28日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第148回 「験」と「驗」

大日本帝国陸軍が昭和15年2月29日に通牒した兵器名称用制限漢字表は、兵器の名に使える漢字を1235字に制限したものでした。陸軍では、おおむね尋常小学校4年生までに習う漢字959字を一級漢字とし、これに兵器用の二級漢字276字を加えて、合計1235字を兵器の名に使える漢字として定めたのです。この二級漢字の中に、旧字の「驗」が含まれていました。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、馬部に旧字の「驗」が含まれていました。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字でも、馬部に旧字の「驗」が含まれていて、新字の「験」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「驗」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「驗」は当用漢字になりました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「驗」を「験」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「驗」が収録されていたので、「驗」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「験」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「験」が収録されていました。活字字体整理案に従った結果、新字の「験」が当用漢字となり、旧字の「驗」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「驗」と、当用漢字字体表にある新字の「験」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「驗」も新字の「験」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「驗」も新字の「験」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「験(驗)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、「験」は常用漢字になりました。同時に「驗」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、旧字の「驗」も新字の「験」も、どちらも子供の名づけに使えるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

日本語・教育・語彙 第14回 ことばの時事問題(1):なぜ「漢字ドリル」なのか

2017年 12月 22日 金曜日 筆者: 松下達彦

第14回 ことばの時事問題(1):なぜ「漢字ドリル」なのか

 これまで語彙教育の立場から、言語教育の民主化や「美しい日本語」「正しい日本語」といった言説に見る言語ナショナリズムの問題点について論じてきた。本当はこの流れで暗誦教育の問題点などを論じたいと思っていたところへ、今年の「新語・流行語大賞」に「うんこ漢字ドリル」がノミネートされるという時事的な話題が入ってきた。そこで、これからは「ことばの時事問題」と称して、何かタイムリーな話題があるときは、それを取り上げてみよう。

 

 さて、「うんこ漢字ドリル」である。ここでは、この漢字ドリルの功罪について、大真面目に応用言語学的な観点から論じてみたい。初めに研究者的な慎重さで言っておきたいが、この教材の良し悪しを確かめようと思ったら本当は実験をしなければならない。例えば、同じ材料語でうんこの例文を使った場合とそうでない場合で、その他の条件をそろえて(これがなかなか大変)、学習してもらった後、習得できたかどうかをテストして統計処理をするわけである。それも直後だけでなく、数週間後に遅延テストを行うべきであろう。

 しかし、現実にはそれは難しい。できるかもしれないが、私には時間も条件もそろわない。そこで、とりあえず先行研究で言われていることを参照しつつ、うんこ漢字ドリルの効果を予測してみたいと思うわけである。

 そう思って、まず書店へ出かけてみると、漢字ドリルのコーナーには「うんこ漢字ドリル」のほかにもおもしろそうな漢字ドリルが並んでいる。考えてみると、うんこ漢字ドリルだけを取り上げるのはフェアでない気もするし、どんな漢字ドリルがよいのかを考えてみることは、語彙教育に携わるものとして大切なことのような気もしてきた。これから数回にわたって、いくつかの漢字ドリルを取り上げて、どんな漢字ドリルがよいのかを論じてみたい。

 

 まず初めに、漢字ドリルを眺めていて一番に感じた疑問は、なぜ「単語ドリル」でなく「漢字ドリル」なのだろうか、ということである。意味・用法の基本単位は語であって字ではない。英単語の学習で、語の一部(例えばpre- や -tion)を取り出して、それを含む語をまとめて学習した人は多くないであろう(実は語構成成分を学習することには効果があるのだが)。しかし、日本語の学習では、語の一部であることの多い漢字を一つの重要な単位として学習するのである。

 漢字は形を覚えるのが大変である。しかも、一つ一つの字に意味がある。だからそれを練習したくなるのはある程度理解できる。しかし、「海」「町」のように単漢字が同時に一つの語であるケースもあれば、「非」「冊」のように単独では語にならない字も多い。「読」「聞」のように単漢字に語と同じような意味があるが、語となるために送り仮名を必要とするものもある。実際に漢字を使うときには必ず語の単位で使うはずだ。一つの字が全く異なるいくつもの用法を持っていることもある。用法を身につけるのは文の中での使い方を知らなければならない。そしてそれは漢字語に限ったことではない。

 例えば「それから」のような接続語や「しばしば」のような副詞、活用語である動詞、形容詞などにも、かな表記しかない語や通常はかな表記にする語も少なくない(「もたらす」「つぶやく」「きつい」「しつこい」など)。名詞には漢字語が多いが、外来語はカタカナであるし、「あきらめ」「いざこざ」のように普通はひらがなで書く名詞も少しはある。このようなかな表記の語について、漢字ドリル以外のところでドリル的に例文を学ぶことがどれぐらいあるだろうか。本当はそれも大切なのではないかと思う。

 それでも単語ドリルがあまりないのは、おそらく母語話者であれば話し言葉として大量の語彙を有するから漢字さえ学習すればそれを使えるようになるという前提が潜んでいるからであろう。しかし、それは本当だろうか。おそらくそうではないだろう。いや、おそらくではなく、まちがいなくその前提は誤っている。日常語であれば漢字の学習だけで使えるようになるが、学術語彙や文芸的な語彙などの非日常語になると意識的に学習しないと身につかない語も多い。大人向けの語彙本が売れ続けていることがそれを示しているようにも思う。それに、いまや学校教育の現場には日本語が母語ではない子どもがたくさんいるし、これからも増え続けるだろう。

 つまり、漢字を上位概念に立てるのではなく、意味・用法のより基本的な単位である語を上位概念にしてドリルを作成して、その中で必要に応じて漢字を学ぶというやり方を検討すべきである。事実、第二言語/外国語として日本語を学ぶ現場には(日本語話者が英語を学ぶときと同じように)単語の参考書や問題集がたくさんある。しかし、学習指導要領の中には学年別の漢字配当はあっても語彙配当はない。それをやると教科書に採録する文章を選ぶのに制限が多すぎて難しくなってしまうからかもしれない。しかし、制約ではなく基準として語彙を示すことぐらいはできるのではないだろうか。いずれにしても、どうも意味・用法の基本的な単位である語よりも、その一部でしかない漢字の方に意識が向きすぎていると思われるのである。

 

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【筆者プロフィール】

松下達彦(まつした・たつひこ)
『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』東京大学グローバルコミュニケーション研究センター准教授。PhD
研究分野は応用言語学・日本語教育・グローバル教育。
第二言語としての日本語の語彙学習・語彙教育、語彙習得への母語の影響、言語教育プログラムの諸問題の研究とその応用、日本の国際化と多言語・多文化化にともなう諸問題について関心を持つ。
共著に『自律を目指すことばの学習―さくら先生のチュートリアル』(凡人社 2007)『日本語学習・生活ハンドブック』(文化庁 2009)、共訳に『学習者オートノミー―日本語教育と外国語教育の未来のために』(ひつじ書房 2011)などがある。
URL:http://www17408ui.sakura.ne.jp/tatsum/
上記サイトでは、文章の語彙や漢字の頻度レベルを分析する「日本語テキスト語彙分析器 J-LEX」や、語彙や漢字の学習・教育に役立つ「日本語を読むための語彙データベース」「現代日本語文字データベース」「日本語学術共通語彙リスト」「日本語文芸語彙リスト」などを公開している。

【編集部から】

第二言語としての日本語を学習・教育する方たちを支える松下達彦先生から、日本語教育全般のことや、語彙学習のこと、学習を支えるツール……などなど、様々にお書きいただきます。
公開は不定期の金曜日を予定しております。

広告の中のタイプライター(22):Bar-Lock No.2

2017年 12月 21日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『The Author』1891年1月号

『The Author』1891年1月号
(写真はクリックで拡大)

「Bar-Lock No.2」は、スピロ(Charles Spiro)が発明したダウンストライク式タイプライターで、ニューヨークのコロンビア・タイプライター社が1890年に発売したものです。コロンビア・タイプライター社は、ヨーロッパへの輸出も精力的におこなっていて、上の広告の時点では、ロンドンのタイプ・ライター社を中心とする販売網を展開していました。この頃のコロンビア・タイプライター社の主力製品は、「Bar-Lock No.2」と「Bar-Lock No.3」だったのですが、「Bar-Lock No.3」はプラテンの幅が14インチで、本体幅より長いプラテンを搭載していました。その点を考えると、上の広告は「Bar-Lock No.2」を描いていると思われます。

「Bar-Lock No.2」の特徴は、プラテンの手前に屹立した72本の活字棒(type bar)にあります。活字棒は、それぞれがキーに繋がっていて、キーを押すと、対応する活字棒がプラテンの上面に打ち下ろされます(ダウンストライク式)。プラテンの上面には紙とインクリボンが置かれていて、印字の瞬間には、インクリボンごと活字棒が打ち下ろされるのです。打ち下ろされた活字棒は、バネの力で元の位置に戻ります。すなわち、プラテンの上面で印字がおこなわれるので、オペレータが少し上から覗き込めば、印字された文字が直接見えるのです。

「Bar-Lock No.2」のキーボードは、12字×6列=72字が収録されており、大文字小文字が、全て別々のキーに配置されています。標準のキー配列では、キーボードの最上段は2QWERTYUIO67と、その次の段は3ASDFGHJKL89と、その次の段は45ZXCVBNMP-£と、その次の段は&qwertyuio?;と、その次の段は()asdfghjkl_と、最下段は/’zxcvbnmp,.と並んでいました。数字の「0」は大文字の「O」で、数字の「1」は大文字の「I」で、それぞれ代用することが想定されていたようです。

「Bar-Lock No.2」のプラテン幅は9インチ(23センチメートル)あり、筐体の高さもほぼ9インチです。筐体は全て鉄製で、重さは26ポンド(約12キログラム)もありました。そう考えると、上の広告に描かれている「Bar-Lock No.2」は、実際の大きさに較べると、少し小さ過ぎるように思えます。「Bar-Lock No.2」は、女性一人で持ち運ぶには、かなり重たいタイプライターだったのです。

『Business』1891年10月号

『Business』1891年10月号
(写真はクリックで拡大)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

『日本国語大辞典』をよむ―第23回 バリアント①:ちょっと違うぞ

2017年 12月 17日 日曜日 筆者: 今野 真二

第23回 バリアント①:ちょっと違うぞ

 言語学では、ある語の「変異形」を「バリアント(variant)」と呼ぶ。現代日本語では「ヤハリ」「ヤッパリ」を使う。場合によっては「ヤッパ」や「ヤッパシ」を使うこともあるかもしれない。「ヤハリ」を標準語形と考えれば、他の語形は「変異形」ということになる。『日本国語大辞典』は「ヤッパリ」「ヤッパシ」「ヤッパ」すべて見出しとしている。「ヤッパシ」の使用例には安原貞室の著わした「かた言〔1650〕」があげられているので、「ヤッパシ」も江戸時代には使われていたことがわかる。

 「ヤハリ」に促音が入ったのが「ヤッパリ」で、その末尾の「リ」が「シ」に替わったものが「ヤッパシ」で、これらの末尾の「リ」あるいは「シ」が脱落したのが「ヤッパ」だとみることができる。変化すればするほど、もとの語形からは離れていく。したがって、変異形には「ちょっと違う語形だな」と思うようなものから、「だいぶ違った語形だな」と思うようなものまである。今回はその「ちょっと違う語形」を話題にしてみたい。変異形を話題にするので、方言もとりあげていくことにする。方言の地点番号は省いた。

あぼちゃ 方言 〔名〕(1)植物、カボチャ(南瓜)。《あぼちゃ》出羽置賜郡 島根県(以下略)

 『日本国語大辞典』の見出し「カボチャ」には「({ポルトガル}Cambodiaから)」とあり、語義【二】(1)の語釈末には「本種ははじめカンボジア原産と考えられていたので、この名があるという」と記されている。そうであれば、「カボチャ」はもともとポルトガル語の「Cambodia」の変異形であったことになる。その「カボチャ」の最初の子音[k]が脱落した語形が「アボチャ」で、変化としては頭子音が脱落したということであるが、「アボチャ」と「カボチャ」は「ちょっと違う語形」を少し超えているような気もする。それは語に形を与えている最初の音が異なるからだろう。

あらうる〔連体〕「あらゆる(所有)」に同じ。

あらえる〔連体〕「あらゆる(所有)」の変化した語。

 前者の使用例として、「御伽草子・熊野の本地(室町時代物語集所収)〔室町末〕」と「日葡辞書〔1603~04〕」、後者の使用例として、「史料編纂所本人天眼目抄〔1471~73〕」と「サントスの御作業〔1591〕」があげられているので、両語形とも、室町時代には確実にあった語形であることがわかる。「アラユル」と「アラウル」、「アラエル」とをそれぞれ仮名で書くと、「ユ」が「ウ」、「エ」に替わった語形のようにみえてしまうが、室町時代の「エ」はヤ行の「エ」、すなわちヤ行子音がついた[je]という音だと考えられている。そうであれば、「ウ」は「ユ」=[ju]の頭子音[j]が脱落したものということになる。また、「エ」は[je]で、「ユ」は[ju]なので、こちらは母音[u]が母音[e]に替わった「母音交替形」であることになる。

いごく【動】〔自カ五(四)〕(「うごく(動)」の変化した語)(以下略)

おごく【動】〔自カ四〕(「うごく(動)」の変化した語)(以下略)

 見出し「うごく」の末尾には、「福島・栃木・埼玉方言・千葉・信州上田・鳥取・島根」で「エゴク」ということが示されており、この「エゴク」を含めると、「イゴク」「エゴク」「ウゴク」「オゴク」が存在することになり、「アゴク」以外が揃っていておもしろい。

インテレ〔名〕「インテリ」に同じ。

インテリ〔名〕(「インテリゲンチャ」の略)(1)「インテリゲンチャ」に同じ。(2)知識、学問、教養のある人。知識人。

 見出し「インテレ」の使用例として髙見順の「いやな感じ〔1960~63〕」の次のようなくだりがあげられている。オンライン版で検索をかけると、髙見順『いやな感じ』は419件がヒットする。ある程度使われている資料だ。そんなこともあり、この本も購入した。ここではそれを使って、『日本国語大辞典』よりも少し長く引用する。

「勉強だ?」

丸万はせせら笑って、

「勉強で革命ができるかよ」

「そりゃ、そうだが」

「おめえは生じっか、中学なんか出てるもんだから、大分、インテレかぶれのところがあるな」

インテリをインテレと丸万が言ったのは、インテリのなまりではなく、その頃は一般にインテレとも言っていたのだ。

 「intelligentsia」は外来語であるので、その外来語をどのような語形として(日本語の語彙体系内に)受け止めるかということがまずある。だから「インテレ」は「インテリ」が変化したものではないが、「インテリ」を一方に置くと、「インテレ」は「母音交替形」すなわち変異形にみえる。

うえさ【噂】〔名〕「うわさ(噂)」の変化した語。

うしろい【白粉】〔名〕「おしろい(白粉)」の変化した語。

うちゃすれる【打忘】 方言 〔動〕(「うちわすれる」の転)忘れる。

うっとら〔副〕(「と」を伴う場合が多い)「うっとり【一】」に同じ。

うらいましい【羨】〔形口〕[文] うらいまし〔形シク〕「うらやましい(羨)」の変化した語。

うるこ【鱗】〔名〕「うろこ(鱗)」の変化した語。

うるしい【嬉】〔形口〕六方詞。「うれしい(嬉)」の変化した語。

おがい【嗽】〔名〕「うがい(嗽)」の変化した語。

おしろ【後】〔名〕(「うしろ」の変化した語)

かいつばた【燕子花】〔名〕(1)「かきつばた(燕子花)(1)」に同じ。(以下略)

がいと【外套】〔名〕「がいとう(外套)」の変化した語。

かいべつ 方言 〔名〕植物、キャベツ。

かえら〔名〕「かえる(蛙)」に同じ。

 それにしてもいろいろな変異形がある。書物を読んでいるだけでは、変異形にはなかなかであうことはないが、こうして辞書をよんでいると、かなりある(あった)ことがわかる。「カエラ・カエル」も活用みたいだ。そういえば、植物の「カエデ」は葉が蛙の手のようだから「カエルデ(蛙手)」だったが、それが「カエデ」に変化したものだった。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第3回 南の楽園? ザンジバルってどんなとこ?(その2)

2017年 12月 15日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第3回 南の楽園? ザンジバルってどんなとこ?(その2)

 前回は、私がフィールドとするザンジバルの地理と気候、そして歴史と政治について述べました。今回は、ザンジバルの宗教となりわいを紹介したいと思います。

 ザンジバルの人口はおよそ130万人ですが[注1]、その99パーセントがイスラム教徒と言われています[注2]。私も、都市部を離れて、イスラム教徒でない現地出身の人に会ったことはほとんどありません[注3]。イスラム教であることは、ザンジバルの人の生活の中にも色濃く反映されています。ちょうど日本の寝る前の歯磨きのような感じで、お母さんが子供に「お祈りしたの?お祈りしなさい」という場面は毎日のように目にします(ちなみに、ザンジバルの人はきちんと歯磨きをしません)。普段の言葉遣いでも、オフィスやバスで「アッサラームアライクム(あなたに平安を)」、若い娘がごはんを食べ終わって「アルハムドリッラー(神に讃えあれ)」(ゲップをしながら)、「明日朝9時に会おう」と約束をして「インシャアッラー(神の思し召しがあれば)[注4]」、なんていうイスラム圏では一般的なアラビア語の表現がよく聞かれます。

 なりわいとして、私の周りでよくみられるものは、農業、漁業、公務員(教師、警察含む)[注5]といったところでしょうか。農産物としては、キャッサバ、バナナ、マンゴーなどのいかにもトロピカルなものだけでなく、サツマイモ、トマト、みかんなど、日本の人にもなじみのあるものも挙げられます。これ以外に、海藻を浜辺で育てている人(主に女性)もたくさんいます[注6]。漁業は、陸からそう離れずに行われる小規模なものから、タンザニアの大陸部まで渡ってそこに数か月滞在して行うような大規模なものまであります。これは地域によって異なるようです。例えば、私がよく滞在しているマクンドゥチの人が行うのは前者のタイプですが、ウングジャ島の北にあるトゥンバトゥ島の人たちは、後者のタイプの漁業を行っています。


海藻を育てる女性たち

 男性がかぶる帽子、ココナツの繊維を手でよったロープやヤシの繊維を編んだカバンもよくある現金収入を得る手段の一つです。また、観光も重要な産業の一つとなっています。観光資源としては、ウングジャ島北部のヌングイに代表される美しい海と砂浜、クローブをはじめとするスパイス、前回紹介したストーンタウンの街並みが有名です。現地の人が、ホテルの掃除の仕事に行って、観光客の置いて帰った日焼け止めや歯磨き粉を、何か分からず持って帰ってくるなんてこともよくあります。


自分で編んだ帽子をかぶる女性

 「フィールド言語学」に取り組む際は、研究対象となる言語だけでなく、フィールドの環境、歴史や政治、人々の暮らしにも注意深く目を向けなくてはなりません。なぜ、そんな必要があるのかについては、次回以降、少しずつ話していきたいと思います。

コラム2:「アッサラームアライクム」はスワヒリ語?

本文中で、「アッサラームアライクム」などのアラビア語の挨拶を紹介しましたが、スワヒリ語の語彙の中には、アラビア語由来のものがたくさんあります。実は、第一回のコラムで紹介したサファリ (safari) も元々はアラビア語です。以前、ザンジバルの中学生たちがスワヒリ語(国語)のテスト勉強をしているところをのぞいたことがあるのですが、興味深いことに、英語由来の語は外来語とみなされている一方で、アラビア語由来の語の多くは、外来語とは認識されていませんでした。彼らにとって、アラビア語由来の語というのは、私たちにとっての漢語のようなもので、より深くスワヒリ語に根差しているのかもしれません。

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[注]

  1. ザンジバルを構成するウングジャとペンバの合計。2012年タンザニア国勢調査http://www.nbs.go.tz/(最終確認日 2017年10月29日)を参照。
  2. アメリカ国務省の報告https://www.state.gov/j/drl/rls/irf/2007/90124.htm/(最終確認日 2017年10月24日)を参照。
  3. タンザニアの大陸部から出稼ぎに来ているマサイ人はこの限りではないと思われる。
  4. 他の国や地域で、この表現は守られない約束の際に使われることも多いようだが、ザンジバルでは、この表現の有無と約束が守られるかは関係ないようである。
  5. ちなみに、現地の人曰く、一番儲かるのは「政府の仕事」(公務員)らしい。
  6. アジアやヨーロッパへ輸出され、化粧品や歯磨き粉の原材料として使われる。ザンジバルで海藻を育てている人たち自身は、どのような目的で使われるのか必ずしも正確に理解しているわけではなさそうである。http://www.bbc.com/news/world-africa-26770151(最終確認日 2017年10月24日)を参照。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

今回はザンジバルの人々の宗教となりわいについて紹介していただきました。次回からは調査準備編ということで、古本さんの荷造りの方法を教えていただきます。ザンジバルでの長期滞在に必要なものは何でしょうか?そして、研究室を離れた調査には何が必要でしょうか?

人名用漢字の新字旧字:「声」と「聲」

2017年 12月 14日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第147回 「声」と「聲」

新字の「声」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「聲」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の耳部には「聲」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「声」が添えられていました。「聲(声)」となっていたわけです。簡易字体の「声」は、「聲」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、耳部に「声」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「聲」が添えられていました。「声(聲)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「声」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「声」が収録されていたので、「声」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「聲」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「声(聲)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「声」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「聲」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「聲」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「聲」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が63回でした。この結果、旧字の「聲」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「声」と旧字の「聲」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「声」に加え、旧字の「聲」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「声」はOKですが、旧字の「聲」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

モノが語る明治教育維新 第19回―進級試験問題をのぞいてみると・・・(2)

2017年 12月 12日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第19回―進級試験問題をのぞいてみると・・・(2)

 第18回に続き、『師範学校 小学試験成規』(明治8年)に掲載された問題を見ていきます。

 書取は、教師が口頭で2回繰り返す言葉を石盤(ハンディタイプの黒板)に綴り、更に紙に清書します。第七級(小学1年後期)では、以下の漢字が書けなくてはいけません。

 (1)着物 (2)襦袢 (3)牽牛花 (4)栄螺

『小学入門』の単語図からの出題ですが、今では読むことさえ難しい漢字があります。「襦袢」は和装の下に着る「ジュバン」です。「アサガホ」は「牽牛花」、「サザエ」は「栄螺」と当て字で書くように指導されていました。


(写真はクリックで拡大)

 第五級(小学2年後期)からは、書取がなくなり作文となります。当時の作文指導は、特に低い級では、課題に対し形式的な文例を学ぶことに終始していました。例えば第五級の出題例と模範解答は次の通りです。

 例題「小学校」

 答え「士民一般幼稚ノトキヨリ勉励シテ、普通学科ヲ修ムル所ナリ」

作文の教授法はすべてこの調子で、ある時「教師」をテーマに作らせたところ、「教師は骨と皮にて作り、人を教ふる道具なり」と書いて名文と褒められた、などといったエピソードが残されています。作文では、このように子どもの個性も独創性も必要とされませんでしたが、これは次の問答でも同様です。

 問答は、質問されたことに口頭で答えるのですが、第八級(小学1年前期)では単語図の中から三つ選び(例示は時計・着物・雁(がん))、その性質と用法を質問しています。それぞれ、

「時計は金銀等にて拵(こしら)へ大小種々あり 長針短針 又秒を計る針あり みな時を計る器なり」

「着物は衣服の総名にて絹、木綿、麻等の反物を裁縫し人の着る物なり 其製長短各種あり」

「雁は水禽の類にて秋は北より来たり 春は北へ去る 寒を好むものなり」

(『師範学校改正小学教授方法』明治9年より)

などと答えれば、合格でしょう。


(写真はクリックで拡大)

 第七級は、「下等小学教則」(明治6年 師範学校制定)で定められた「色ノ図」「人体ノ部分」「通常物(日常問題)」からの出題です。色に関する問題2問は、茶色とカナリア色のカードを見せてそれぞれ何色かを問います。当時は、色図を使い40色以上の名称を覚えさせられました。人体に関する問題2問は、人体図上か、教師が自らの手と眉間を指し、その名称を問います。通常物2問は、男女別に出題され、男児には、一里の丁(町)数と八畳敷きの坪数、女児には、布絹一匹の尺数と昼夜の時間などが質問されます。一つ間違えるごとに2点半ずつ減点です。

 最後に習字ですが、第八級は仮名文字、第七級から第三級までは漢字楷書、第二級からは手紙文を草書体で書きます。

 こういった難度の高い暗記重視の試験が、時には官員や町村の名士らの立会いの下、厳正に行われました。無事に及第した生徒には、わざわざ官員が出張の上、卒業証書を与え、優秀な子どもには賞状や賞品を贈る決まりになっていました。勉強好きな上昇志向の強い子どもは誉れと喜ぶその一方、教室の席次や名札まで成績順で決められるなど、不得意な子どもにとっては何かと負担が大きなものでした。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第九回:ハンティの暦と年末年始の過ごし方

2017年 12月 8日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第九回: ハンティの暦と年末年始の過ごし方


年末年始に親元に戻ってきた寄宿制学校の子供たち

 ハンティの新年の始まりは、伝統的には初雪が降ったときでした。したがって、気候によって毎年新年の日が異なります。現代の西暦とは異なり、ハンティの暦は太陽の動きや季節的な気候の変化、野生動物の様子、トナカイ牧畜や漁撈(ろう)、狩猟等の季節的な仕事内容などをもとに考えられていました。よって、必ずしも確固とした日付や時間があり、それに合わせて行事や儀礼が行われるというわけではありません。このような自然の変化に合わせて流れ巡るようなハンティの暦は、ロシア正教やソ連・ロシアの統治、義務教育、マスメディア等の影響を受け変化してきました。現在では1月1日を新年の始まりとしています。

 今回は、現代のハンティの年末年始の過ごし方について紹介します。ちなみに、年末の行事というとクリスマスを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ロシアで普及しているロシア正教の聖誕祭は1月7日に行われます。ハンティの中にもロシア正教を信仰する人はいますが、あまり盛大にお祝いする習慣はありません。

 年末年始には村や森で暮らす人たちのところに親戚が集まります。親戚の家を互いに訪ね合うだけでなく、町や都市部で暮らす家族も森に暮らす実家に帰省します。年末年始には町の学校や仕事は休暇になるので、遠く行きにくい場所にある実家でも行くことができます。森での暮らしは、普段とても静かですが、年末年始は家族や親戚たちが集い、にぎやかに楽しく過ごします。


曲がってしまった漁道具の修理

 日中は、町から来た孫たちと狩猟や漁撈、トナカイ群探しに出かけます。祖父母や両親たちは数日間でも孫たちに森に暮らすハンティの生業技術を見せて学ばせようとします。また、人手のあるこの機会に普段後回しにしてしまっている仕事を済ませようとします。橇(そり)や牽引具、漁道具の修理や薪の貯蔵作りなどを分担して手際よく終わらせます。したがって、年末年始の休暇といえども日中はみんな良く働いています。

 日本のお節料理やお雑煮のような新年の行事食は特にありません。新年に特別に行う習慣ではありませんが、トナカイを所有する世帯では新鮮な肉と血を親戚たちに振舞うために、前年に生まれた雄の仔トナカイを屠畜して食べることがあります。また、親戚たちはたいてい何か食べ物やアルコール飲料のお土産を持って来るので、年末年始の食卓はとても豊かになります。

 夜は語りの時間です。日照時間が最も短い時期のため、午後5時くらいには寝床に横になります。すぐに眠るのではなく、何時間も真っ暗な中で話します。一人が話して他の人々が静かに聞き入ります。森での面白いできごとや町の生活、共通の知人や親戚たちについて、旅行のこと、祖父母がその祖父母から聞いた民話など、たくさんのことを話したり聞いたりして、情報を共有し共感します。

 このように、現在のハンティの新年はいわゆる「伝統的」な暦や行事の意味と異なっています。しかし、森にも村にも町にも家族や親戚がいるという現代的状況の中では、年末年始を共に過ごし、親族のつながりを再確認するという点で重要な機会になっていると、筆者は考えます。


トナカイ探しに出かける父子と筆者

ひとことハンティ語

単語:Тӑӆа йис.
読み方:タラ イイス。
意味:冬が来ましたね。
使い方: 雪が降り、寒くなってきたときに使います。тӑӆには、「冬」という意味と「年」という二つの意味があります。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

新年の始まりが毎年異なっていたというのは現代の日本では想像しづらいですが、ハンティの人々にとって重要なのは、季節や気候、動植物の様子・変化を理解することのようです。日本もかつてはそうだったのかもしれませんね。大石先生からは「大宗教の暦、学校教育、労働者の管理、国民(納税・徴兵)の管理などによって、現代人の暦や年中行事はより強化されているのだと思います。国家や宗教によって管理されているのとは異なった仕組みで、ハンティは一年を認識し、秩序づけています」というお話もいただきました。次回は1月12日の更新を予定しています。

広告の中のタイプライター(21):Monarch No.2

2017年 12月 7日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『International Studio』1910年7月号

『International Studio』1910年7月号
(写真はクリックで拡大)

「Monarch No.2」は、モナーク・タイプライター社が1905年頃に発売したタイプライターです。フロントストライク式タイプライターを開発すべく、ユニオン・タイプライター社の配下で創立されたモナーク・タイプライター社でしたが、売上においては非常に苦戦しており、この広告の時点では、製造部門をレミントン・タイプライター社と統合せざるを得なくなっていたようです。

「Monarch No.2」は、42キーのフロントストライク式タイプライターで、円弧状に配置された42本の活字棒(type arm)が、ライバルの「Underwood Standard Typewriter No.5」に酷似しています。各キーを押すと、対応する活字棒が立ち上がって、プラテンの前面に置かれた紙の上にインクリボンごと叩きつけられ、紙の前面に印字がおこなわれます。通常の印字は小文字ですが、キーボード最下段の左右端にある「SHIFT KEY」を押した状態では、タイプ・バスケット全体が持ち上がって、大文字が印字されるようになります。また、キーボード最上段の左端には「SHIFT LOCK」キーがあって、タイプ・バスケットを持ち上げたままにすることができます。

「Monarch No.2」のキー配列は、ユニオン・タイプライター社の標準であるQWERTY配列です。キーボードの最上段は、234567890-が小文字側に、“#$%_&’()¾が大文字側に並んでいます。次の段は、qwertyuiop½が小文字側に、QWERTYUIOP¼が大文字側に並んでいます。その次の段は、asdfghjkl;¢が小文字側に、ASDFGHJKL:@が大文字側に並んでいます。最下段は、zxcvbnm,./が小文字側に、ZXCVBNM,.?が大文字側に並んでいます。数字の「1」は、小文字の「l」で代用することが想定されていたようです。最上段の右端には「BACK SPACE」キーがあり、そのさらに右上には「TAB KEY」と「MARGIN RELEASE」キーが配置されていました。

「Monarch No.2」は、赤黒2色のインクリボンに加え、タビュレーション機構や、タイプ・バスケットの上下によるシフト機構など、当時としては画期的なフロントストライク式タイプライターでした。しかしながら、先行する「Underwood Standard Typewriter No.5」のシェアを奪うには至らず、かなり苦戦を強いられていたようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

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