« 広告の中のタイプライター(23):Smith Premier No.1 - 人名用漢字の新字旧字:「㐂」と「喜」 »

モノが語る明治教育維新 第20回―就学督促、京都の場合

2018年 1月 9日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第20回―就学督促、京都の場合

 文明開化の風に乗り、明治6年には全国的に開校した学校ですが、実際のところ、国民の賛同は得られていたのでしょうか。答えは否です。就学率を見ても、明治7年では男児約46%、女児約17%と、平均すると3人に1人しか小学校に通っていなかったことになります。当時の庶民、特に地方の農民には貧しい者が多く、学校の授業料や学用品の購入は家庭にとって大きな負担でした。しかも、子どもは貴重な家内労働力、これが失われるのは大きな損失でした。新しい学校で学ぶことのできる学問の成就こそが、身分や階級、男女にかかわらず、人生の成功を約束するものである、つまり、「学問は身を立るの財本」(学制頒布前日に出された太政官趣意書の中の言葉)であるといくら政府が鼓吹しても、過重な負担を強いられた国民の理解はなかなか得られなかったのが実情です。

 そこで就学率をアップさせるため、各地で様々な工夫が凝らされるのですが、京都府では不就学児童と区別をする目的で「就学牌(しゅうがくはい)」なるバッジを作成し、学校に通っている児童に付けさせました。

 もとは一教員の建言によって実現したのですが、おおよそ以下のことを提言しています。形状は、直径5分(約15ミリメートル)、厚さ5厘(約1.5ミリメートル)、表面に桜花、背面に何々校生の4字を刻んだ真鍮(しんちゅう)製の円形品。これを入学した者に授与し、襟間に付けさせ入学生であることを表す。そして、大検査卒業(進級)ごとに1個ずつ加懸(懸けるバッジを増やす意か)させれば、子弟は栄誉を得ようといっそう勉強に励むようになる。すると、学ぶものと学ばざるものと(の力の差)が判然とし、(子どもを学校に通わせない)頑固な父兄も近傍の子弟の誉れを羨み、満6歳で就学させることが人生最大の急務であることを認めることになる。このことが学校を盛んにする一助となるでしょう。

 バッジ一つにそれだけ絶大な効果が期待できるのかは疑問ですが、目の付け所は面白い。徽章(きしょう) の歴史を見てみますと、建言がなされた前年の明治8年に太政官布告により賞牌が制定され、わが国最初の叙勲がなされたとあります。この案を考えた教員も、きっとこの報賞ブームに乗って、バッジのアイデアを思いついたのではないでしょうか。

 建言がなされた3か月後の明治9年9月に、京都府は就学牌を各校の区費で鋳造するようにと布達を出します。就学牌の形状を雛形にして示していますが、地金は真鍮、直径1寸1分、厚さ5厘、表面の中央に「学」の文字と学校名、裏面に姓名を彫るとあります。大きさが直径約3.3センチと建言の倍ほどとなり、表面は桜花の代わりに「学」の1文字となりました。付ける位置も襟間ではなく、鎖や紐を付け、袴や帯に掛けたそうです。

 上の写真の就学牌はこの布達に応じて作られたもので、校名は「上京第三十校」、つまり明治2年に開校した京都府64の番組小学校【注】のうち、一番早く開校式を挙げた柳池校のものであることを示しています。なかなか丁寧につくられていますが、実はこれとは別に素朴な作りの、同じ京都の就学牌(何鹿(いかるが) 郡龍川校)があります。

写真の二つを見比べてみてください。右奥の何鹿郡のものには、柳池校にある10円硬貨のギザじゅうのような縁の刻みもなく、「学」の文字を囲む細かな点の打ち出しもありません。担当した学校の財力の差による違いかもしれませんが、簡単な作りであるところを見ると、これがちまたで出回ったとされる偽造品とも推察できるのです。

 就学牌はあくまでも不就学生を見極めるために考え出されたもので、役人が就学を督促するのが目的です。その役人の目をごまかすために、類似のバッジを作り売り出す者も出現しました。そのことは、この偽バッジを必要とする、つまり、子どもを学校に通わせることができない、もしくは通わせたくない親がかなりの数いたことを物語ってもいるのです。

*

[注]番組小学校

  1. 京都では、室町時代からの自治組織「町組」が明治時代に入って改組され、小学校区としても機能しました。明治2年、町組ごとに町組会所を兼ねた小学校が作られ始め、これが番組小学校と呼ばれています。
  2. * * *

    ◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

    * * *

    【筆者プロフィール】

    『図説 近代百年の教育』

    唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

    唐澤富太郎三女
    昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
    平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
    唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
    唐澤富太郎については第1回記事へ。

    ※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

    *

    【編集部から】

    東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
    更新は毎月第二火曜日の予定です。

    2018年 1月 9日