2018年 2月 のアーカイブ

人名用漢字の新字旧字:「集」と「雧」

2018年 2月 22日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第152回 「集」と「雧」

152gather-old.png新字の「集」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「雧」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「集」は出生届に書いてOKですが、「雧」はダメ。新字の「集」には隹が一羽しかおらず、あまり集まっているように見えないのですが、どうしてこんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、隹部に新字の「集」が収録されていました。その一方、旧字の「雧」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「集」だけが含まれていて、旧字の「雧」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、隹部に新字の「集」が含まれていて、旧字の「雧」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、新字の「集」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「集」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には新字の「集」が収録されていたので、「集」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「雧」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、新字の「集」が収録されていましたが、旧字の「雧」はカッコ書きにすら入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「集」は常用漢字になりました。その一方で旧字の「雧」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年4月1日、法務省民事局は『戸籍手続オンラインシステム構築のための標準仕様書』を通達、合わせて戸籍統一文字を発表しました。戸籍統一文字は、電算化戸籍に用いることのできる文字で、当初の時点では、漢字は55255字が準備されていました。この55255字の中に、「集」と「雧」が含まれていたのです。つまり、コンピュータ化された戸籍の氏名には、「集」も「雧」も使えるよう、システム上は設計されているのです。けれども法務省は、出生届には新字の「集」しか許しませんでした。結局、それが現在も続いていて、新字の「集」は子供の名づけに使えますが、旧字の「雧」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第58回『粉河寺縁起』第二話「長者の家」を読み解く

2018年 2月 21日 水曜日 筆者: 倉田 実

第58回『粉河寺縁起』第二話「長者の家」を読み解く

場面:長者の家に童行者が訪れたところ
場所:河内国讃良郡(さららのこおり)の長者の家
時節:ある年の秋

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]童行者 [イ]門番 [ウ]僧  [エ]片立膝の下部 [オ]矢を背負った下部 [カ]刀を持つ下部 [キ]口取(くちとり) [ク][ケ][コ]里人
建物など:Ⓐ長者の家 Ⓑ丸太の橋 Ⓒ竹藪 Ⓓ板塀 Ⓔ櫓門(やぐらもん) Ⓕ板屋根 Ⓖ屋形 Ⓗ帷 Ⓘ深い溝 Ⓙ親柱 Ⓚ丸太 Ⓛ押さえの丸太
持ち物・衣装など:①袈裟 ②数珠 ③萎烏帽子(なええぼし) ④狩衣 ⑤鹿杖(かせづえ) ⑥・⑨矢 ⑦胸当 ⑧水干 ⑩弓 ⑪刀 ⑫馬 ⑬轡(くつわ) ⑭手綱 ⑮鞭(むち) ⑯面懸(おもがい) ⑰胸懸(むながい) ⑱尻懸(しりがい) ⑲腹帯(はるび) ⑳鞍 韉(したぐら) 鐙(あぶみ) 腰刀 小袖  四角の曲物(まげもの)  口紙  壺 鯉  梨か 唐櫃 朸(おうご)

はじめに 今回は『粉河寺縁起』に描かれた河内国(大阪府)の長者の家の様子を読み解きます。この絵巻は、紀伊国の粉河寺(和歌山県紀の川市)の起源譚と、本尊千手観音の霊験譚の二話を描いています。今回扱うのは霊験譚で、次のような話になります。河内国讃良郡(大阪府寝屋川市)に住む長者の難病の一人娘を、訪れた童行者が祈祷によって治癒させ、娘から提鞘(さげざや。下げ緒付きの小刀)と紅の袴だけを受け取り、粉河で会えることを伝えて去ります。翌春、お礼参りに粉河を訪れた長者一行は、見つけた庵の扉を開けると千手観音がおり、娘の提鞘と袴を持っていたので、童行者はその化身と分かり、一行の人々は出家して帰依したという内容になります。

『粉河寺縁起』の成立 この絵巻は12世紀末の後白河院の時代ころに成立したとする説が有力です。近年では、13世紀中ごろから起こった、紀伊国の粉河寺領と高野山領との境界をめぐる争いが背景にあるとする説が出されています。長者の家のある河内国讃良郡は高野山が権利を持っていた地でした。しかし、粉河寺本尊の霊験によってその住人の病が治癒し、粉河で出家するということで、粉河寺の優位を表したとするものです。讃良郡が高野山とかかわるとしたら面白い説になりますね。

 なお、この絵巻は火災で焼け残ったもので、第一話の冒頭が失われています。山の形になっている部分は焼損のあとになります。かなりの損傷がありますが、それでも地方の生活の様子が分かり貴重な絵巻になっています。

絵巻の場面 それでは絵巻を見ていきましょう。場面は第二話の始めの部分で[ア]童行者がⒶ長者の家を訪れたところです。Ⓑ丸太の橋の上にいる、①袈裟を付け②数珠を手にした垂髪の人物が童行者です。長者の娘の病を聞いて訪れ、③萎烏帽子に④狩衣を着て⑤鹿杖(上端に手をそえる物を付けた杖)を持つ[イ]門番に取り次ぎを頼んでいます。門番は家の中を指差して応接しています。この後、病室に入れられ七日間祈祷をすることになります。娘は三年も病んでいて、これまでの治療の効果もなかったので、長者としては藁にもすがる思いがあったのでしょう。

長者の家 この長者の家は、Ⓒ竹藪の外をⒹ板塀で囲み、Ⓔ櫓門を構えた武士の館を思わせます。櫓門のⒻ板屋根のⒼ屋形には、⑥矢の束が見えていて、ここから武力を行使することになります。この日は問題がないのでしょう、屋形にはⒽ帷が垂らされています。櫓門は、『一遍上人絵伝』巻四の筑前の武士の館や、巻七の京四条京極の町屋などにも描かれています。中世にもなると京内でも武力が必要になっていたのです。『粉河寺縁起』は櫓門が描かれた最も古い史料になっています。

 門前にはⒾ深い溝が掘られていて、これは城の堀と同じ役目をします。溝に渡されたⒷ橋は、両岸に打ち込んだⒿ親柱をつなぐ丸太を渡し、その上にⓀ丸太を横に並べ、固定するためにさらにⓁ押さえの丸太を渡した粗末な作りになっています。争乱になれば、この橋を壊し、敵の侵入を防ぐことができます。

櫓門警護の下部たち 櫓門には法衣の[ウ]僧と警護の下部三人が坐っています。この僧は、もしかしたら娘の祈祷に当たっていたのに童行者が来たので、ここに退避しているのかもしれません。何となくしょぼくれた顔をしていませんか。

 奥の[エ]片立膝の下部は鎧の一種の⑦胸当を⑧水干の下に着込んでいます。手前の⑨矢を背負った[オ]下部は⑩弓を板塀に立て掛け、その手前の[カ]者は⑪刀を膝に置いています。いずれも武装し、事が起きると武力を行使することになります。長者の家の門前は暴力的なのです。不審な人物が来れば、容赦なく殺害することもあったようです。

 橋の右側に坐る男は、[キ]口取(馬の轡を取って引く者)でしょう。⑫馬はいつでも乗れるように馬具一式を装備しています。⑬轡に付けた⑭手綱は木に結わえられ、⑮鞭が差し込んであります。顔の部分の飾りの⑯面懸の他、⑰胸懸と⑱尻懸が付き、⑲腹帯が締められ、⑳鞍は韉と呼ぶ敷物に置かれて、鐙が下がっています。水干鞍(すいかんぐら)と呼ぶ馬具になるようです。この馬も長者の武力の一環になるのです。

里の人々 警護の者たちの他に荷物を運んでいるのは、里人たちです。貢物を運んでいるのです。腰刀を差した小袖の[ク]男は、頭に四角の曲物を載せています。その中には口紙で覆った壺・鯉・梨(あるいは里芋か)が入っています。

 この前を行く小袖の [ケ]男は、唐櫃二つを朸と呼ぶ棒で吊り下げて肩で背負っています。この中にも貢物が入っていることになります。

 門内にも結わえた四角の曲物を担いだ腰刀の[コ]男が見えますね。さらに画面に続く左側にも長唐櫃で運び込まれた山海の幸や米俵が描かれています。

 これらの産物が長者の富になります。里人たちは、武力によって生業を保証される代わりに、様々な貢物が要求されるのです。この長者の家には倉が建てられており、そこに仕舞われます。支配・非支配の構図がここにあると言えましょう。

長者一家のその後 豊かな長者であっても、娘の不治の病は大きな痛手でした。それが千手観音の霊験で治癒したことを知って、一家と郎党たちは出家を遂げています。権力を持ち、冨を得るよりも、仏にすがる道を選んだのです。こうした人物を描いて霊験あらたかな粉河寺の縁起にしているのです。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。前回から、貧乏貴族や庶民の生活を主に取り上げて頂いております。月1回のペースで連載の予定ですので、引き続きご愛読ください。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第5回 調査準備2:話者に出会うまで

2018年 2月 16日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第5回 調査準備2:話者に出会うまで

 スーツケースに必要な物を詰め込んで、フィールドに乗り込んだとしても、すぐさまフィールドワークを始められるわけではありません。フィールド言語学にとって最も重要なもの、その言語を教えてくれる話者[注1]はどのように探し出せばいいのでしょうか。今回は、私がいかにしてフィールドにたどり着き、話者に出会ったのかについてお話ししたいと思います。

 ザンジバルでの調査は、調査許可と在留許可[注2]の2つの政府からの許可を取得するところから始まります[注3]。公式に調査をするためには、こうした許可が必ず必要となります。この2つは高い、時間がかかる(2つ合わせて取得に1か月以上)、手続きのプロセスが不明瞭というデメリット[注4]ばかりでなく、話者を紹介してもらえる(かもしれない)というメリットもあります。

 私の本格的なフィールドワークは、調査許可取得のために訪れた古文書館から始まりました。調査計画書のKimakunduchi(マクンドゥチ方言)という単語を目にした古文書館のおばちゃんスタッフは突然笑い出し、何をするかと思えば、マクンドゥチ郡出身の両親をもつという別の女性スタッフを呼びに行ってくれました。そしてこの女性スタッフの第一声は「じゃあ、マクンドゥチにはいつ一緒に行くの?」。私がフィールドにたどり着くことができたのは、彼女が連れて行ってくれたからだし、私の今の滞在先(この女性スタッフの姉の夫の弟の家)は、彼女が幾人もの人に連絡して探し出してくれたものです。つまり、今の私のフィールドワークはこの出会い(というかこの女性スタッフ)がなければ、なかったと言っても過言ではありません。

 ここでおもしろいのは、この古文書館、その名の通り、古文書を保存、管理する機関で、本来フィールドワークとはまったく関係がないというところです(そのことには、だいぶあとになってから気づきました)。ザンジバルの人は初対面のときはとてもシャイですが、悪いやつじゃない、おもしろそうなやつだと分かれば、とたんに心を開いて、自分の本当の仕事でなくても、親身になって助けてくれます。私の場合は、マクンドゥチ方言を調査したいということがポイントだったのかもしれません。外国人が、普通のスワヒリ語のみならず、方言を話すというのは相当に現地の人の興味を引くようです。


マクンドゥチへ向かうバス

 そして、ザンジバルの人は、人と人とのつながりを非常に重視します。いったんある人との間に信頼関係が出来れば、そのあとの話者探しは、その人からの紹介で非常にスムーズにいきます。「こんな感じ(昔話が上手、暇 etc.…)の人を探してるんだけど」なんて滞在してる家のお父さんやお母さんに言えばすぐに近所で探してきてくれます。それどころか、「トゥンバトゥ(ウングジャ島の北側にある小島)に行きたいと思ってるんだけど、まだ泊めてくれる人みつかってないんだよね」とマクンドゥチ(ウングジャ島の南側)の家のお母さんに言ったら、おそらく唯一のつてをたどり、滞在先を探して「日本人があんたんとこに行くけど、こいつは長く泊まるんだよ。食べ物は何でも食べるよ。スワヒリ語もしゃべれるよ。」と頼んでくれたこともあります(ちなみに、マクンドゥチとトゥンバトゥの間で人の交流はほとんどなく、知り合いがいることは非常にまれ)。


トゥンバトゥ島とマクンドゥチの位置

 ある一人の話者に出会うまでに、何人もの人を介すなんてことはよくあります。その人たちと信頼関係を築けるかどうかにフィールドワークの成否はかかっていると言っても過言ではありません。ただ、難しく考えずとも、気づかぬうちに彼らと仲良くなってしまうのがフィールドワークの醍醐味なのかもしれません。久しぶりにフィールドのお母さんにWhatsApp[注5]メッセージでも送ってみようかな(返事はたぶん1か月後だけど)。

コラム3:スワヒリ語にも方言がある

日本の各地域で、その土地ならではの方言が話されているのと同じように、スワヒリ語にも方言があります。その数は、大体20くらいと言われていて、多くは東アフリカの沿岸部で話されています。私が調査しているマクンドゥチ方言もこうした方言の一つです。マクンドゥチ方言は、標準語との間に共通点もたくさんありますが、違う点もたくさんあります。標準語しか話せない街出身の人にとっては理解が難しいことも多いようです。以下によく使う表現を挙げましょう。( ) のなかには、標準語の表現を挙げますので比べてみてください。Jaje? (Vipi)「調子はどう?」(友達との挨拶で)、Siviji (Sijui)「私は知らない」、Sikwebu (Sikutaki)「あんたなんかいらない」(夫婦喧嘩で)、Lya (Kula)「食べろ」。実は、Jajeという表現は、先ほどのバスの中に書かれていたのですが、見つけられましたか?


マクンドゥチへ向かうバスに書かれた方言

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[注]

  1. 話者のことをコンサルタント (consultant) とかインフォーマント (informant) と呼ぶことがある。私は、現地ではどちらも使わず、「○○方言を話して教えてくれる人」とか「○○方言の先生」と呼んでいる。
  2. ザンジバルでの調査許可取得、在留許可取得については、http://www.jspsnairobi.org/tanzania(最終確認日 2018年1月5日)参照。なお、2017年2月時点で、古文書館と関わりのない調査については古文書館が調査許可取得の窓口とならないこと、滞在が3か月以内であれば、250ドルの在留許可が取得できることをここに補足しておく。
  3. タンザニア(ザンジバル含む)以外でも、調査に際して公的な許可が必要となる国はある。ちなみに、タンザニアでは、許可がないと、地方の役人に賄賂を要求されたり、調査を妨害されたりすることもあるらしい。
  4. 現地の人も、同じように許可地獄の中で日々生活している。ザンジバルはこういうものなんだと受け入れる態度、役所の人との雑談を楽しんだり感謝を伝える余裕をもつこと、許可取得を考慮して旅程を組むことが重要。
  5. LINEに似たメッセージ用アプリ。近年、ザンジバルでもスマートフォンの普及が進んでおり、このWhatAppを使うことで、日本からも簡単にザンジバルの人と連絡が取れるようになりつつある。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

今回はその言語について教えてくれる話者との出会いについてのお話でした。現地に知り合いがいるととても心強いものです。古本さんは今回のエピソードに出てきた古文書館の女性スタッフに、在留許可取得のための入国管理局での交渉(とっても怖いのだとか)でこの間に入ってもらったこともあるそうです。次回はフィールド調査の「頭の」準備についてのお話をしていただきます。

広告の中のタイプライター(26):Underwood Golden Touch Electric

2018年 2月 15日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Life』1956年11月26日号

『Life』1956年11月26日号
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「Underwood Golden Touch Electric」は、アンダーウッド社が1956年に発売した電動タイプライターです。この当時、アンダーウッド社の主力製品は、「Underwood Golden Touch Portable」「Underwood Golden Touch Standard」「Underwood Golden Touch Electric」といずれもGolden Touchを売りにしていて、「Underwood Golden Touch Electric」は、その最上位機種にあたるものでした。

「Underwood Golden Touch Electric」の特徴は、各キーの形にあります。半月形というか、ハート型を少し丸めたようなキートップは、爪を長くしていてもキーにひっかからない、という考慮のもとでデザインされています。各キーのストロークは、かなり小さ目に設計されていて、その意味でも「指に優しい」タイプライターです。キー配列は基本的にQWERTYで、最上段のキーは、小文字側に234567890-=が、大文字側に“#$%*&’()_+が配置されています。すなわち「2」のシフト側に「」があり、その一方「@」は、キーボード中段の大文字側にASDFGHJKL:@と並んでいます。

「Underwood Golden Touch Electric」は、電動タイプライターですが、印字機構そのものはフロントストライク式です。プラテンの手前には、43本の活字棒(type arm)が扇状に配置されていて、各キーを押すと、対応する活字棒が電動でプラテンの前面を叩き、印字がおこなわれます。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていました。また、キーボードの左右の端には、キャリッジ・リターン・レバーがあり、電動でプラテンを戻す仕掛けになっていました。空白、タブ、バック・スペース、黒赤インク・リボンの切り替えなど、ほぼ全ての機構が電動だったのです。ただし、シフト機構に関しては、左右のシフトキーを押すことで、タイプ・バスケット全体が下がる仕掛けになっていました。

なお、翌1957年、アンダーウッド社は、GoldenとTouchの間にハイフンを入れ、「Underwood Golden Touch Electric」を「Underwood Golden-Touch Electric」に改称しています。ハイフン無しの「Golden Touch」では商標を登録できなかったらしく、下の広告も含め、これ以後「Golden-Touch」で統一したようです。

『Life』1957年4月1日号

『Life』1957年4月1日号
(写真はクリックで拡大)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

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モノが語る明治教育維新 第21回―明治期の花形筆記具・石盤

2018年 2月 13日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第21回―明治期の花形筆記具・石盤

 近代小学校の始まりとともに、子どもたちが学習に用いた代表的な筆記具が、石盤(石板とも書きます)です。日本最初の国語教科書、明治6年版『小学読本』には、「学校には、石盤と布(ふ)き物(石盤拭きのこと)と、書物あり」との一文があり、学校を象徴するものとして、石盤が教科書以上に重要であったことが分かります。

 石盤は、ハンディタイプの黒板のようなもの。スレートという板状の粘板岩で、壊れないように木枠がついており、ろう石をペンシル状に加工した石筆で文字や数字を書いては布切れなどで消し、何度でも繰り返し使えました。18世紀末に欧米の学校で使われ始めたものを、明治5年に師範学校教師M. M. スコットがアメリカから取り寄せ、初等教育用に用いる方法を伝授したのが、日本の教育現場に導入された最初です。

 ところで、貴重な和紙を消費することなく学習ができる工夫は、日本でも古くから見られました。例えば、二宮尊徳は子どもの頃に砂書き用手文庫(砂を文箱に詰め、指や棒で字の練習をするもの)を使っていましたし、当館所蔵の「手習板(てなりやァいた【注】)」と呼ばれる秋田県毛馬内で使われていたB4サイズの赤みを帯びた板は、墨書きした文字をぬれた布でふき取ることで半永久的に何度でも使えました。しかし、西洋からもたらされた石盤はくっきりとした字画や数字が書け、携帯に便利という点で、使い勝手が格段に優れていました。そのため小学校で使われる筆記具として注目を集め、長きにわたり定着したのです。


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 「石盤」という名称は、文明開化とともに舶来品の代表的な物品名として多くの人に知られていました。第8回でご紹介した慶応2年発行の英語辞書『英吉利単語篇』には、最初のページに「A slate」の単語が載っていますし、その絵入り対訳本『英国単語図解』(明治5年)には「slate スレート 石盤 セキバン」と日本語名が読みとともに記されています。子ども用図書では学制期の教科書としても使われた『絵入智慧の環』が、明治3年に早くもペンと鉛筆と並んで石盤と石筆を1ページ大で紹介しています。ただ、詳しい説明はされず「石板 すれいとともいふ」、「石筆 すれいとぺんしるともいふ」とだけ書かれています。

 学制期に出版された教授本は、どれも石盤を用いた授業の進め方を熱心に説明しています。特に初学者が用いるのに適しており、いろいろな教科でこの石盤が活躍しています。算術では算用数字の書き方や筆算、習字では石筆の持ち方や基本的な字の練習、書取では口頭で出題された文字を石盤に書き、黒板に書かれた答えと照合するといった使われ方をしていました。

その他、文字を教える際は教師が黒板に縦横に線を引き、マス目を作ったうえで文字を書き、それを石盤にも写させるようになどと、使用の仕方を丁寧に指導しています。

 いつでも、どこでも、すぐ書ける石盤の登場は、西洋の教授法の波に乗り学習方法を格段に進歩させたのです。

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[注]手習板

  1. 一般的には「てならいいた」だと思われますが、本館所蔵品は、手習板を入れる袋に「てなりやァいた」と書かれています。これを使っていた方が書かれたものです。

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◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

『日本国語大辞典』をよむ―第27回 発音が先か文字が先か?

2018年 2月 11日 日曜日 筆者: 今野 真二

第27回 発音が先か文字が先か?

 『日本国語大辞典』の見出し「ゆいごん」には次のように記されている。

ゆいごん【遺言】〔名〕(1)死後のために生前に言いのこすことば。いげん。いごん。ゆいげん。(2)自分の死後に法律上の効力を発生させる目的で、遺贈、相続分の指定、認知などにつき、一定の方式に従ってする単独の意思表示。現代の法律では習慣として「いごん」と読む。語誌(1)古くから現在に至るまで、呉音よみのユイゴンが使われているが、中世の辞書「運歩色葉集」「いろは字」などには呉音と漢音を組み合わせたユイゲンの形が見える。(2)近世の文献ではユイゴンが主だが、ユイゲンも使われており、時に漢音よみのイゲンも見られる。明治時代にもこの三種併用の状態は続くが、一般にはユイゴンが用いられた。(3)現在、法律用語として慣用されるイゴンという言い方は、最も一般的なユイゴンをもとにして、「遺書」「遺産」など、「遺」の読み方として最も普通な、漢音のイを組み合わせた形で、法律上の厳密な意味を担わせる語として明治末年ごろから使われ始めた。

 「語誌」欄において述べられていることについていえば、「呉音よみ」「漢音よみ」「三種」「言い方」「組み合わせた」「厳密な意味を担わせる(注:ゴチは筆者)など、説明のしかた、用語がまちまちである点に不満がないではない。しかし、述べられていることがらはゆきとどいているといえよう。

 「ユイゲン」「イゲン」「イゴン」はいずれも見出しになっている。その他に、見出し「いげん」の語釈中にみられる語形「イイゴン」、その見出し「イイゴン」の語釈中にみられる語形「イイゲン」も見出しとして採用されている。結局、「イゲン」「イゴン」「イイゲン」「イイゴン」「ユイゲン」「ユイゴン」という6つの語が存在することになる。

ゆいげん【遺言】〔名〕「ゆいごん(遺言)」に同じ。

いいげん【遺言】〔名〕(「ゆいげん(遺言)」の変化した語)「いいごん(遺言)」に同じ。

いいごん【遺言】〔名〕(「ゆいごん(遺言)」の変化した語)死後に言い残すこと。また、そのことば。いいげん。→遺言(いげん)(1)。

いげん【遺言】〔名〕①死にぎわに言葉を残すこと。また、その言葉。いごん。いいごん。ゆいごん。ゆいげん。(2)先人が生前言ったこと。また、その言葉。後世の人の立場からいう。(3)⇨いごん(遺言)(2)。

いごん【遺言】〔名〕(1)「いげん(遺言)」に同じ。(2)法律で、人が、死亡後に法律上の効力を生じさせる目的で、遺贈、相続分の指定、認知などにつき、一定の方式に従って単独に行なう最終意思の表示。一般では「ゆいごん」という。

 語について考える場合、まず発音があって、次にそれを文字化するという「順序」があるとみるのが自然なみかただ。現代日本語の場合でいえば、文字化するための文字として、漢字、仮名(平仮名・片仮名)がある。「ユイゴン」は漢語だから、中国語を日本語が借りて用いている=借用している。だから通常は「ユイゴン」という発音とともに漢字「遺言」も日本語の中に入ってくる。読み方がわからない漢字「遺言」が日本語の中に入ってきて、それを呉音でよんだ、ということではなく、呉音で発音していた「ユイゴン」という語が入ってきた、ということだ。一方、遣隋使、遣唐使が中国で学んで日本に伝えたのが漢音だ。平安時代に編纂された『日本紀略』の延暦11(792)年閏11月の記事には、「呉音を習うべからず」「漢音に熟習せよ」とある。また『類聚国史』に記されている、延暦17(798)年4月の勅では「正音」という表現が使われており、このことからすれば、この頃には朝廷が漢音=長安音を「正音」として奨励し、呉音を排除しようとしていたことが窺われる。

 「ユイゴン」と(呉音で)発音していた語が中国から日本に入ってくる。漢字では「遺言」と書く。それが、漢字は漢音でよみなさい、ということになると、この「遺言」を「イゲン」とよむ=発音することになる。そして、それは「イゲン」という「ユイゴン」とは異なる語とみることができる。呉音と漢音とは、いわば体系が異なる。したがって、漢字二字で書いている漢語の上の字を呉音で発音し、下の字を漢音で発音するということは通常はあり得ない。中国で、そういう組み合わせが発生するはずがないからだ。ところが、日本ではそれが起こる。「発音が先か文字が先か?」が今回のタイトルだが、先に述べたように、通常は「発音が先」である。しかし、日本においては、漢字で書かれている語を「よむ」ということがあり、そのよみかたに、漢音でよむ、呉音でよむ、など複数のよみかたがある。漢音、呉音とここまで書いてきたが、このよみかたは漢音、このよみかたは呉音、というようなことを通常は意識しない。漢和辞典を調べれば、ちゃんとそれは書いてある。例えば「希」であれば、漢音が「キ」で呉音が「ケ」だ。「ケウ(希有)」という語は呉音で構成されている。「キボウ(希望)」は漢音で構成されている。日本語を母語としている人は、漢音、呉音をそれほど意識しない。そうなると、他の漢語からの類推で、「イショ(遺書)」という語では「遺」を「イ」と発⾳しているのだから、「遺」は「イ」とよめばいいなと思い、 「言」は「ゴンベン(言偏)」だから「ゴン」だなと思う。かくして漢音+呉音の「イゴン(遺言)」という語形ができあがる。あるいは呉音+漢音の「ユイゲン」という語形ができあがる。「語誌」欄がこうしたいわば「ちゃんぽん語形」が中世期に成った辞書にみられると指摘していることはおもしろい。筆者は、大量に借用された漢語が、話しことばの中でも使われるようになってきたのが中世だと推測している。その結果、漢語もいわば「一皮むけてきた」。日本語の中に溶け込んできた、といってもよいかもしれない。

 漢字で書かれた形から新たな語形がうまれるというのは、「文字が先」ということだ。現在では一般的な「カジ(火事)」や「ダイコン(大根)」はそれぞれ「ヒノコト(火の事)」「オオネ(大根)」という和語の漢字書き形からうまれたと考えられている。『日本国語大辞典』をよんでいるといろいろなことを考える。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十一回:いろいろなトナカイ料理

2018年 2月 9日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十一回: いろいろなトナカイ料理


トナカイ脂肪の燻製(左)とトナカイの煮こごり(右)

 トナカイは橇(そり)をひく家畜というイメージが強いかもしれません。しかし、トナカイ牧夫は、橇をひかせるためだけでなく、肉や毛皮を利用するためにもトナカイを飼育しています。橇をひかせたり、人を騎乗させたり、荷物を運ばせたりするための家畜を役畜(えきちく)、肉を利用するための家畜を肉畜といいます。トナカイは役畜であり、肉畜でもあります。今回は、牧夫たちはどのようなトナカイ料理を食べているかについて書いてみたいと思います。

 屠畜(とちく)は外気温での長期保存が可能な10月~3月に集中しています。屠畜後には、保存方法や部位によって食べ方が異なります。屠畜直後には、顔の肉、脳、肝臓、あばら骨に付いている肉を食べます。肉を一口大にナイフで切り取って塩をつけて食べます。唇や目の周り、頬の肉は繊維が強くなかなかかみ切れないので、数十分かけて噛んで楽しみます。血の滴るぷりぷりした新鮮な肝臓も生のまま食べます。血液も生のまま飲みます。パンや肝臓に血液をつけて食べることもあります。残った血液は凝固しないように塩を入れ、外気で凍らせて保存します。

 新鮮で濃厚な血液を飲むことは、寒さに強いトナカイの体をめぐっていた栄養をそのまま取り入れることです。現地の人々は、冬季の屠畜で湯気の立つ血液を飲むと「力が出る」、「寒さが厳しいときにとても欲しくなる」と言います。トナカイの血液をパン生地に混ぜ込み、フライパンで焼いて、血のパンケーキを作ることもあります。


茹でたトナカイの心臓

 肝臓や血液を食べている間に、消化器系の内臓と心臓を塩で茹でて食べます。消化器系の内臓の内容物を取り出しきれいに洗い、こぶし大に切ってから茹でます。そのまま食べるには大きいので、食卓で各自好きな部位を手に取ってナイフで切りながら食べます。

 冬には外気温ですぐに肉が凍るので、屋根の上や小屋、橇の上などで保存します。暖かくなるまで、凍ったトナカイ肉をナイフで削りながら食べます。とくに脛(すね)やあばらの骨に付いた肉をこの方法で食べます。脛の骨を割って、中の骨髄を食べます。そのまま、あるいはパンにのせて食べます。骨髄は油分が多く、「ちょうどパンにバターを塗るようなもの」と言います。また、骨髄だけでなく、トナカイの脂やクマの脂を溶かしてパンにつけて食べることもあります。内臓周りの網脂(あみあぶら)は乾燥させて保存します。


トナカイ肉のスープ

 腿(もも)や肩などの大きな部分は凍らせて保存しておき、随時のこぎりで切断・解凍して食べます。削ってそのまま食べるほか、スープやプロフ(炊き込みご飯)に入れたり、ミンチにしてカツレツやピロシキにして食べたりします。スープには、マカロニや米、ソバの実、ジャガイモを入れることがあります。そのほか、玉ねぎ、にんにく、にんじんを少量入れることもあります。調味料は塩のみか、あれば胡椒や化学調味料等を使用します。ジャガイモ以外の野菜や穀類、調味料、サラダ油は村や町で購入します。また、春にはトナカイの肉を乾燥させて干し肉をつくり、保存食とします。

 このように、部位や季節によってさまざまな方法で調理して楽しみます。しかし、現地の方々の一番のごちそうは生肉です。牧夫のところに客人が来訪したとき、親戚が集まったときには、凍った生肉と血液でもてなします。苦労して育てたトナカイ肉をそのまま味わうのが最高のごちそうなのです。

ひとことハンティ語

単語:Щи. / Атән.
読み方:シ/アートン
意味:はい、そうです。/いいえ、ちがいます。良くない(悪い)と思います。
使い方:はい、いいえで答えられる質問に対する答えで使用します。「アートン」は、否定的な意見を言うときにも使用します。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

トナカイ料理、というタイトルから「トナカイステーキ」「トナカイハンバーグ」「トナカイのロースト」などの料理を想像しましたが、トナカイの調理法とその食べ方を詳しく紹介をしてもらいました。それぞれの部位を季節ごとに調理法を変えて味わうトナカイ牧夫たちは、トナカイの活用法を熟知していると感じました。
大石先生の最後の文「苦労して育てたトナカイ肉をそのまま味わうのが最高のごちそうなのです」に全てが凝縮されていますね。次回の更新は3月9日(金)を予定しています。

人名用漢字の新字旧字:「鴬」と「鶯」

2018年 2月 8日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第151回 「鴬」と「鶯」

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の鳥部には「鶯」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「鴬」が添えられていました。「鶯(鴬)」となっていたわけです。簡易字体の「鴬」は、「鶯」の代わりに使っても差し支えない字、ということになっていました。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでは旧字の「鶯」だけが含まれていて、新字の「鴬」は含まれていませんでした。

昭和21年11月5日、国語審議会は当用漢字表1850字を、文部大臣に答申しました。この当用漢字表で、国語審議会は、「鴬」も「鶯」も削除してしまいました。当用漢字表は「使用上の注意事項」で「動植物の名称は、かな書きにする」としており、このルールに従えば、新字の「鴬」も旧字の「鶯」も、当用漢字表には不要だと判断されたのです。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「鴬」も「鶯」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「鴬」も「鶯」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「鴬」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第1水準漢字で、出現頻度数調査の結果が22回でした。旧字の「鶯」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が574回でした。この結果、新字の「鴬」も旧字の「鶯」も、「常用平易」とはみなされず、人名用漢字には追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「鴬」も旧字の「鶯」も書けることになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「鴬」も旧字の「鶯」もダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

三省堂辞書の歩み 日華会話辞典

2018年 2月 7日 水曜日 筆者: 境田 稔信

三省堂辞書の歩み 第55回

日華会話辞典

昭和15年(1940)6月25日刊行
三省堂編輯所編/本文338頁/三五判(縦146mm)


左:【日華会話辞典】1版(昭和15年)
右:【本文1ページめ】(クリックで拡大)

 本書は中国語会話のための辞典である。約5000の単語や短文が収録された。

 扉とカバーには「両国人共用」と記してある。ページの左側に日本語、右側に中国語を載せ、両方ともカタカナを振って読み方を示す。中国語にはローマ字も添えられ、正確な発音が分かるようになっている。また、四声(アクセント)を表す記号も付けられた。


【日華会話辞典】1版のカバー
(クリックで拡大)

 従来の会話書などでは、場面ごとに使う会話が分類されていた。本書では、五十音順で単語ないし句を引けば、それを含む短文や関連した短文も引けるようにしてある。アイディアを出したのは三省堂編輯所の所長だった平井四郎、監修は東京高等師範学校教授の魚返善雄である。

 昭和15年は、三省堂の創業60年にあたり、年間出版点数は同社の最高を記録した。三省堂による中国関係の語学書は、昭和13年に『華語要訣』、14年に『興亜支那語読本』、15年に『支那時文研究』、16年に『華語基礎読本』『双訳華日語法読本』『支那言語学概論』、17年に『現代支那語法入門』『支那語の発音と記号』、18年に『支那文法講話』が刊行されている。

●最終項目(画像はクリックで拡大)

●「猫」の項目(画像はクリックで拡大)

●「犬」の項目(画像はクリックで拡大)

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「三省堂辞書の歩み」目次へ

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【筆者プロフィール】

境田稔信(さかいだ・としのぶ)

1959年千葉県生まれ。辞書研究家、フリー校正者、日本エディタースクール講師。
共著・共編に『明治期国語辞書大系』(大空社、1997~)、『タイポグラフィの基礎』(誠文堂新光社、2010)がある。

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【編集部から】

2011年11月、三省堂創業130周年を記念し三省堂書店神保町本店にて開催した「三省堂 近代辞書の歴史展」では、たくさんの方からご来場いただきましたこと、企画に関わった側としてお礼申し上げます。期間限定、東京のみの開催でしたので、いらっしゃることができなかった方も多かったのではと思います。また、ご紹介できなかったものもございます。
そこで、このたび、三省堂の辞書の歩みをウェブ上でご覧いただく連載を始めることとしました。
ご執筆は、この方しかいません。
境田稔信さんから、毎月1冊(または1セット)ずつご紹介いただきます。
現在、実物を確認することが難しい資料のため、本文から、最終項目と「猫」「犬」の項目(これらの項目がないものの場合は、適宜別の項目)を引用していただくとともに、ウェブ上で本文を見ることができるものには、できるだけリンクを示すこととしました。辞書の世界をぜひお楽しみください。
不定期の水曜日の公開を予定しております。

古代語のしるべ 第5回 「疫(え)と伇(え)」

2018年 2月 3日 土曜日 筆者: 尾山 慎

古代語のしるべ 第5回 「疫(え)と伇(え)」

この連載は、PDFデータを別画面でご覧いただきます。
タイトルをクリックしていただくと、PDF画面が開きます。

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◆この連載の目次は⇒「古代語のしるべ」目次へ

【筆者プロフィール】

■上代語研究会
乾善彦・内田賢德・尾山慎・佐野宏・蜂矢真郷(五十音順)の5名。上代日本語の未詳語彙の解明を目指し、資料批判を踏まえて形態論と語彙論の両面からその方法の探求と実践を進めている。
■尾山 慎(おやま しん) 1975年生まれ。大阪市立大学卒業、大阪市立大学大学院文学研究科言語文化学専攻修了、博士(文学)。大阪市立大学特任講師、京都大学非常勤講師などを経て、2013年より奈良女子大学准教授。2007年、新村出賞研究奨励賞受賞、2008年、萬葉学会奨励賞受賞、2014年、漢検漢字文化研究論文賞佳作。共著書:『古代の文字文化』(犬飼隆編 竹林舎 2017)、論文「訓字主体表記と略音仮名」(『萬葉集研究』三十五 塙書房 2014)など。古代を中心に現代まで、文字、表記を巡る研究を行っている。

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【編集部より】
 昭和42(1967)年以来、約50年の長きにわたって発行しております『時代別国語大辞典 上代編』。おかげさまで、上代の日本語を体系的に記述した辞書として高くご評価いただき、今も広くお使いいただいています。しかし、この50年の間にはさまざまな研究の進展がありました。木簡をはじめとして上代日本語に関する資料が多数発見されたばかりでなく、さまざまな新しい研究の成果は、『万葉集』や『古事記』をはじめとした上代文献の注釈・テキスト、また関連の研究書の刊行など、大きな蓄積を成しています。
 そこで、未詳語彙の解明をはじめ、新たな資料を踏まえて上代日本語の記述の見直しを進めていらっしゃる「上代語研究会」の先生方に、リレー連載をお願いいたしました。研究を通して明らかになってきた上代日本語の新たな姿を、さまざまな角度から記していただきます。辞書では十分に説明し尽くせない部分まで読者の皆さんにお届けするとともに、次の時代の新たな辞書の記述へとつなげていくことを願っています。

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