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モノが語る明治教育維新 第21回―明治期の花形筆記具・石盤

2018年 2月 13日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第21回―明治期の花形筆記具・石盤

 近代小学校の始まりとともに、子どもたちが学習に用いた代表的な筆記具が、石盤(石板とも書きます)です。日本最初の国語教科書、明治6年版『小学読本』には、「学校には、石盤と布(ふ)き物(石盤拭きのこと)と、書物あり」との一文があり、学校を象徴するものとして、石盤が教科書以上に重要であったことが分かります。

 石盤は、ハンディタイプの黒板のようなもの。スレートという板状の粘板岩で、壊れないように木枠がついており、ろう石をペンシル状に加工した石筆で文字や数字を書いては布切れなどで消し、何度でも繰り返し使えました。18世紀末に欧米の学校で使われ始めたものを、明治5年に師範学校教師M. M. スコットがアメリカから取り寄せ、初等教育用に用いる方法を伝授したのが、日本の教育現場に導入された最初です。

 ところで、貴重な和紙を消費することなく学習ができる工夫は、日本でも古くから見られました。例えば、二宮尊徳は子どもの頃に砂書き用手文庫(砂を文箱に詰め、指や棒で字の練習をするもの)を使っていましたし、当館所蔵の「手習板(てなりやァいた【注】)」と呼ばれる秋田県毛馬内で使われていたB4サイズの赤みを帯びた板は、墨書きした文字をぬれた布でふき取ることで半永久的に何度でも使えました。しかし、西洋からもたらされた石盤はくっきりとした字画や数字が書け、携帯に便利という点で、使い勝手が格段に優れていました。そのため小学校で使われる筆記具として注目を集め、長きにわたり定着したのです。


(写真はクリックで拡大)

 「石盤」という名称は、文明開化とともに舶来品の代表的な物品名として多くの人に知られていました。第8回でご紹介した慶応2年発行の英語辞書『英吉利単語篇』には、最初のページに「A slate」の単語が載っていますし、その絵入り対訳本『英国単語図解』(明治5年)には「slate スレート 石盤 セキバン」と日本語名が読みとともに記されています。子ども用図書では学制期の教科書としても使われた『絵入智慧の環』が、明治3年に早くもペンと鉛筆と並んで石盤と石筆を1ページ大で紹介しています。ただ、詳しい説明はされず「石板 すれいとともいふ」、「石筆 すれいとぺんしるともいふ」とだけ書かれています。

 学制期に出版された教授本は、どれも石盤を用いた授業の進め方を熱心に説明しています。特に初学者が用いるのに適しており、いろいろな教科でこの石盤が活躍しています。算術では算用数字の書き方や筆算、習字では石筆の持ち方や基本的な字の練習、書取では口頭で出題された文字を石盤に書き、黒板に書かれた答えと照合するといった使われ方をしていました。

その他、文字を教える際は教師が黒板に縦横に線を引き、マス目を作ったうえで文字を書き、それを石盤にも写させるようになどと、使用の仕方を丁寧に指導しています。

 いつでも、どこでも、すぐ書ける石盤の登場は、西洋の教授法の波に乗り学習方法を格段に進歩させたのです。

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[注]手習板

  1. 一般的には「てならいいた」だと思われますが、本館所蔵品は、手習板を入れる袋に「てなりやァいた」と書かれています。これを使っていた方が書かれたものです。

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

2018年 2月 13日