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モノが語る明治教育維新 第22回―五十音図の不思議な文字

2018年 3月 13日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第22回―五十音図の不思議な文字

 明治期のモノコトを調べるうえで重宝するのが、石井研堂が著した『明治事物起原』です。文明開化とともに激変した身の回りの事物を総覧した百科事典のような本ですが、慶応元年生まれの著者自身が経験したことも記されています。その中に「五十音中の奇字」という話があります。

 「著者が寺子屋より、新設の小学校に転学せしは、明治七年なりと思ふ。新入の初等八級生として所要の教科書を一冊買へり。本の名は、今記憶に無きも、喜びて之を自宅に持ち帰り、一枚を開き見て驚けり。今までに習ひし、いろはにあらずして、片かなの五十韻なり。そして、そのヤ行には、見なれざる字あり、これはたしかに本が違ひ、文字が逆さになつているものと速断し、早速さきの本屋に往き『この本は、字が逆さになって居るから、取り換へて下さい』とかけ合へり」


(写真はクリックで拡大)無断利用を固く禁じます。

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 この石井少年が逆さ文字と早合点したものが、明治6年に師範学校が作成した「五十音図」の中にあります。確かにヤ行の「イ」が上下逆さまに書かれていますし、ヤ行の「エ」、ワ行の「ウ」の字も変です。しかし、これは誤植ではなかったのです。

 寺子屋の初学者は、もっぱら「いろは」四十七文字を学びましたので、「五十音図」は近代の産物と思われがちですが、その歴史をたどると平安時代にまでさかのぼります。ただし、それは学者うちのことで、子ども用図書に載ったのは、やはり明治になってからのこと。初出は古川正雄著『絵入智慧の環』で、明治3年版には「いつらのこゑ(五十連音の意味)」として、カタカナ表記の五十音が並べられています。ここでもヤ行の「イ」が石井が奇字と称した逆さ文字にわざわざ書き換えられ、ヤ行の「エ」、ワ行の「ウ」も師範学校の五十音図と同じに直されています。

 これは、江戸後期から続く音義派と呼ばれる人々の学説を、洋学派の古川や師範学校彫刻本の実質責任者・田中義廉などが取り入れたことによります。音義派はヤ行の「イ」「エ」、ワ行の「ウ」は、本来ア行の「イ・エ・ウ」とは違う音であると主張していました。そこで、旧来のいろは四十七文字を五十音に当てはめたときに足りなかった3文字を新しく工夫して作り出した文字がこれらなのです。

 しかし、ほぼ同時期に国学者・榊原芳野が編集した『小学読本』では、例言に「五十音韻中也(ヤ) 行のイエ和(ワ) 行のウは皇国古より別用せず 故にこれを省く」とあるように、ヤ行の「イ」「エ」、ワ行「ウ」はア行と同じ文字を使っています。結局、これ以降の教科書でも榊原式が定着し、この奇字が実際に用いられることはありませんでした。

 本屋に交換を申し出た石井少年は、「どの本もさうだから、違っては居ません」と言われ、顔を赤らめすごすご帰ってきたとあります。学校揺籃(ようらん)期のほんの束の間登場した不思議な文字は、良くも悪くも一生の思い出となったようですね。

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

2018年 3月 13日