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フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第6回 フィールドワークは準備が大事

2018年 3月 16日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第6回 フィールドワークは準備が大事

 フィールド言語学の教科書や授業では必ずといっていいほど、準備(と計画)の大切さが説かれています。もちろん、前回までにお話した道具の用意や話者探し、あるいはお金の工面といったことも大事な準備の一部です。しかし、フィールドワークには、こうした物理的な準備だけでなく、「頭の準備」も求められます。それは、フィールドワークの目的が、調査・研究だからです。今回は、私のはじめてのフィールドワークにおける失敗を反面教師としながら、どのような「頭の準備」が必要となるかをお話させていただきます。

 2012年3月、調査のためにはじめてザンジバルを訪れた私は、日本の先生に言われた通り、マクンドゥチ方言の調査を渋々ながら行うことにしました(渋々なのはこの時はマクンドゥチ方言よりも街で話されるスワヒリ語に興味があったから)。最初はフィールド言語学の定石通り語彙調査。先生に渡された語彙調査票[注1]を使いながら、ストーンタウンの外れにある大学の教室で、マクンドゥチ郡出身の用務員さんに方言を教えてもらいます。調査票の最初の語彙は「身体」。標準スワヒリ語(街のスワヒリ語)ではmwiliと言います。「マクンドゥチ方言でmwiliは何と言いますか」と聞くと、返ってきた答えはmaungo。明らかに違います。私は、この最初の単語を聞いて初めてマクンドゥチ方言が、日本で勉強してきたスワヒリ語とは大きく異なることに気づきました。しかし、調査を始めてからそんなことに気づくというのはまったくダメなフィールドワークの典型です。言語調査をする場合は、フィールドワークに出かける前に、その言語(方言)についてどんな研究があるのか調べたうえで、そのフィールドワークで調べる課題を明確にしておかなければなりません。私がフィールドワークを始めてから知った語彙の違いというのは、ずっと昔から知られた事実であり、本来であれば日本を出発する前に把握しておかなければならないことだったのです。

 もう一つ失敗のお話をしましょう。フィールドワークに取り組む際は、媒介言語を事前に流暢に話せるまでに習得していることが必要条件となります。媒介言語というのは話者とコミュニケーションをとるための言語で、私の場合は、標準スワヒリ語がこの媒介言語となります[注2]。2012年の時点では、私は標準スワヒリ語を片言しか話すことができませんでした。では、媒介言語が話せないとどのような問題があるのでしょうか。上で述べたような語彙調査に取り組むと、語彙だけでなく文法についても少しずつ分かってきます。例えば、「食べる」という動詞が知りたくて、「食べること」を何と言うか聞くと、「食べること」ではなくて、「食べた」であったり「食べよう」という別の活用形が答えとして返って来ることがしばしばあります[注3]。つまり、動詞について正確な語彙調査をしようと思えば、その言語の動詞活用形を作る規則を調べるための文法調査も並行して行う必要があります。文法調査は、文法調査票[注4]にのっとって行われることが一般的ですが、この文法調査票は多くの場合、英語や日本語で書かれています。媒介言語が英語でも日本語でもない場合は、それを自分で翻訳しなくてはいけません。当時の私のスワヒリ語能力では、この翻訳がうまくできず、マクンドゥチ方言の文法を調べたくても調べることすらままならないという問題にぶち当たってしまいました(なお、この問題は、幸いにして豊富に用意されている標準スワヒリ語の語学の教科書の例文をマクンドゥチ方言に翻訳してもらうという方法をとることで回避できました)。

 フィールドワークに準備は不可欠です。もしこれからフィールドワークに行こうと思っている人は、その言語に関する下調べと媒介言語の習得を怠ってはいけません。決して私の真似はしないでください。ただし、どんなに入念に準備をしても、予想外の困難にぶつかるというのもフィールドワークの醍醐味。そんな状況を打開していく能力というのもフィールドワークでは(そして研究でも)必要となるのかもしれません。

* * *

[注]

  1. 私はある先生の作成した非公開の調査票を用いたが、「言語調査票 2000年版」(峰岸 2000)http://www.aa.tufs.ac.jp/~mmine/kiki_gen/query/aaquery-1.htm(最終確認日 2018年1月15日)のような一般に公開されたものを用いることもある。
  2. 調査する地域や、協力してくれる話者によって、英語、フランス語、日本語などほかの言語が媒介言語になることもありうる。
  3. 英語のeatingをなんというか聞いたら、ateやLet’s eatという答えが返ってきた状況を想像してほしい。
  4. オンライン上で公開されている日本語で書かれた文法調査票としては「南アジア諸言語調査のための文法調査票」(澤田 2003)http://www.aa.tufs.ac.jp/~sawadah/raokaken/(最終確認日 2018年1月15日)がある。また、マックスプランク進化人類学研究所のHP上https://www.eva.mpg.de/lingua/tools-at-lingboard/questionnaires.php(最終確認日 2018年1月15日)でも、多くの文法調査票が公開されている。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

今回は「頭の準備」、フィールドワーカー自身に必要なことについて教えていただきました。媒介言語の習得、調査対象の言語・方言の情報収集というのは、短時間でできるものではありません。こうした事前の準備の話から、フィールドワーカーがフィールドにいないときの日々の活動も垣間見えてきますね。次回はフィールドの人たちとの付き合い方についてお話をしていただきます。

2018年 3月 16日