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『日本国語大辞典』をよむ―第30回 こんなことばがありました

2018年 3月 25日 日曜日 筆者: 今野 真二

第30回 こんなことばがありました

みはり【矉】〔名〕馬の目の上の高くなっているところ。

 「ミハリ」って「見張」じゃなくて? という感じだが、筆者は初めてであった語だ。『日本国語大辞典』は使用例として、「書言字考節用集〔1717〕五「矉 ミハリ 馬両目上小高処」」を示している。「辞書」欄にも「表記」欄にも、この『書言字考節用集』しかあげられていないので、『日本国語大辞典』の語釈は、『書言字考節用集』の「馬両目上小高処」から導き出された可能性が高い。

 こういう語に遭遇すると、いろいろと「妄想」したくなる。まず、18世紀の文献の例しかあげられていないので、この語はいつ頃からあったのだろう、とか、『書言字考節用集』はどこからこの語を見出しとしてとりいれたのだろう、とか、そういう疑問が次々とわいてくる。

 『大漢和辞典』を調べてみると、この「矉」字の字義として、「にらむ」「しかめる」「もつれる」「すみやか」の4つが記されていて、どこにも「馬の目の上の高くなっているところ」という字義は記されていない。『日本国語大辞典』が日本語について調べるための「最後の砦」だとすれば、『大漢和辞典』は漢字、漢語について調べるための「最後の砦」といった趣がある。したがって、ここで少し「あれ?」という感じになる。その一方では、「どうしてこういうことになっているのだろう」という、ちょっとおもしろそうだぞ、という気持ちもむくむくとわいてくる。かくして筆者の心は千々に乱れる。

 しかし、今回は、この「ミハリ」を追究したいのではないので、ここまでにしたいが、何が言いたかったかといえば、『日本国語大辞典』の語釈を認めるとして、「馬の目の上の高くなっているところ」にもちゃんと「呼び名」がある、ということだ。「呼び名」は「物の名前」を思わせる。言語がとらえる対象は「モノ」ばかりではなく、「コト」もとらえるので、「呼び名」は必ずしも適切な表現ではないが、わかりやすいので、仮にそのように表現しておく。日本語が「もっている」語をすべて集めて、それを英語が「もっている」語すべてと対照すれば、当然、日本語にはあるが、英語にはない語、日本語にはないが、英語にはある語があるはずだ。それは、2つの言語が、人間及び人間をとりまく「世界」を言語によってどのように把握しているか、の異なりで、もっといえば、文化の異なり、といってもよい。1つの言語内でも、当然時期によって把握のしかたが異なることもある。

 さて、今回は「こんなことばがありました」という見出しを2つ紹介しよう。

はんしゃい【反射衣】〔名〕夜間、車のライトなどに反射して黄色く光る衣服。夜光チョッキなど。

 こうなると「夜光チョッキ」も気になるが、『日本国語大辞典』では、ちゃんと見出しになっていて、「夜間、自動車のライトの光を反射して光るように作られたチョッキ」と説明されている。筆者は「チョッキ」も気になる。かつて「チョッキ」と呼んでいたものは、現在では「ベスト」と呼ぶことが多いのではないだろうか。『日本国語大辞典』の見出し「チョッキ」には「袖なしで、たけの短い胴衣。普通は背広の三つ揃いの一つとして、上着の下、ワイシャツの上に着る。ベスト。ジレ」とある。最近は「ジレ」も使われているようだ。「ようだ」ははなはだ心許ないが、学生との会話で「チョッキ」「ベスト」「ジレ」の違いが話題になったことがあったことを覚えている。『三省堂国語辞典』第7版は見出し「チョッキ」に「古風な語」をあらわす〔古風〕注記をつけ、「ベスト」と説明している。『三省堂国語辞典』の判断は「チョッキ=ベスト」ということだ。小型の国語辞書などでは、見出しをこれだけ増やした、ということが「売り」になることがある。その際に、こういう新しい語を見出しにしました、ということが謳われることもある。語釈に使われている語も、整備されているのだろうが、『日本国語大辞典』の語釈で使われている語が「古風」ではないかと思ったことが何度かある。これについてはまた別の回に採りあげることにしよう。

 多くの人が見たことがある、しかし、その「呼び名」は知らない、あるいは「呼び名」があることも知らない、というものは少なからずあるだろうが、この「ハンシャイ(反射衣)」はそういうものの1つだ。

はんしょう【帆翔】〔名〕鳥が上昇気流を利用して翼をひろげたままはばたかずに飛ぶこと。鳶(とび)やアホウドリなどに見られる。

 これもちょっと驚いた。「あれに呼び名があるのか!」という感じだ。筆者は鎌倉生まれであるが、鎌倉の由比ガ浜の海岸にはいつの頃からか、トビが非常に多くなった。上空から舞い降りて、観光客が手にもっている食べ物を奪い取る、というようなことがよく起こるようになり、最近はいろいろな所に、注意書きが掲示されている。上の語を使うならば、「帆翔していたトビが急に舞い降りてきて、手にもったサンドイッチを奪って飛び去った」というようなことだろう。

 タカ目タカ科サシバ属に属する小型のタカ、サシバは、秋から冬にかけて渡りをすることでよく知られている。群れを作って渡りをするが、上昇気流に乗って、旋回しながら群れを形成するようすを何度も見たことがある。「タカバシラ(鷹柱)」と呼ばれたりするが、これも「帆翔しながら群れを作る」と表現すればよいことになる。

 語を知ることによって、すっきりと表現することができるということもあるだろう。案外と新しい語を身につけることは難しいかもしれない。『日本国語大辞典』は「はんしょう」の使用例として三島由紀夫の「潮騒〔1954〕」をあげている。『潮騒』はもちろん読んだことがあるが、「ハンショウ(帆翔)」という語が使われていたことは覚えていなかった。『日本国語大辞典』をよんでいくと、「知らない語」に次々とであう。しかも、語義はそこに書いてある。なんとすばらしいことではないか。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

2018年 3月 25日