2018年 4月 のアーカイブ

広告の中のタイプライター(31):Emerson No.3

2018年 4月 26日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Popular Mechanics』1911年8月号

『Popular Mechanics』1911年8月号
(写真はクリックで拡大)

「Emerson No.3」は、エマーソン・タイプライター社が1909年に発売したタイプライターです。設計はウーリッグ(Richard William Uhlig)がおこなったのですが、上の広告の時点では、ウーリッグはエマーソン・タイプライター社を離れており、シアーズ・ローバック社のローバック(Alvah Curtis Roebuck)がエマーソン・タイプライター社を率いていました。

「Emerson No.3」の特徴は、ロータリー・アクションと呼ばれる独特の印字機構にあります。プラテンの前には、左右に14本ずつ、合わせて28本の活字棒(type bar)が配置されています。各キーを押すと、対応する活字棒が真横に飛び出して、円弧を描きながらプラテンへと向かいます。プラテンの前面には紙が挟まれており、そのさらに前にはインクリボンがあります。飛び出した活字棒は、中心角が約90度の円弧軌道を描きつつ、プラテンの中央の印字点で、紙の前面に印字をおこなうのです。

活字棒の先には、それぞれ上中下3つずつの活字が、ほぼ真横を向いて埋め込まれています。上段の活字は大文字、中段の活字は小文字、下段の活字は数字や記号です。通常の状態では小文字が印字されるのですが、キーボード左端の「CAPS」キーを押すと、活字棒全体が下がって、大文字が印字されるようになります。あるいは「FIG」キーを押すと、活字棒全体が上がって、数字や記号が印字されるようになります。この機構により、28本の活字棒で、最大84種類の文字が打てるようになっているのです。

「Emerson No.3」のキーボードは、基本的にはQWERTY配列で、上段の記号側には1234567890が、中段の記号側には@$%&#£/-_が、下段の記号側には()?’”:;,.が、それぞれ並んでいます。コンマとピリオドは、大文字や小文字でも下段の同じキーに配置されており、結果として80種類の文字が収録されています。「L」のすぐ右にあるのは、バックスペースキーです。上段のさらに上にある「70」「60」「50」「30」「20」「10」はタブキーで、数字で示された文字数のカラム位置へ、プラテンを移動させます。真ん中の「R.S.」キーは、黒赤インクリボンの切り替えです。

上の広告の直後に、ローバックは、エマーソン・タイプライターを社名変更し、ローバック・タイプライター社としました。その後もローバック・タイプライター社は、「Emerson No.3」を製造販売し続けましたが、1914年にウッドストック・タイプライター社へと社名変更するに至って、「Emerson No.3」の製造を終了したようです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

『日本国語大辞典』をよむ―第32回 謎の専門用語[機織り編]

2018年 4月 22日 日曜日 筆者: 今野 真二

第32回 謎の専門用語[機織り編]

 明治24年に完結した、近代的な国語辞書の嚆矢として知られる『言海』の「凡例」54条には『言海』中の「文章ニ見ハレタル程ノ語ハ、即チ此辞書ニテ引キ得ルヤウナラデハ不都合ナリ、因テ、務メテ其等ノ脱漏齟齬ナキヤウニハシタリ、然レトモ、凡ソ万有ノ言語ノ、此篇ニ漏レタルモ、固ヨリ多カラム、殊ニ、漢語ノ限リ無キ、編輯ノ際ニ、是ハ普通用ノ語ナラズトテ棄テタルモノノ、知ラズ識ラズ釈文中ニ見ハレタルモアラムカ、唯看ル者ノ諒察ヲ請フ」と述べられている。ここでは、語釈中に使った語が見出しになっていないことがあることについて、「看ル者ノ諒察ヲ請フ」と述べる。

 『言海』は辞書冒頭に置いた「本書編纂ノ大意」の、その冒頭で「此書ハ、日本普通語ノ辞書ナリ」といわば言挙げをし、「普通語ノ辞書」であることをつよく意識して編纂されていると思われる。「普通語」を見出しとして採りあげ、その「普通語」に語釈を附すにあたって、見出しとした「普通語」をわかりやすく説明するのだから、見出しよりも「難しい」語を使うことはないともいえようが、必ずしもそうとばかりはいえないだろう。わかりやすい語で説明することには自ずと限界があって、漢語による置き換えをしなければ説明できないということもあるのがむしろ自然ではないかと考える。

 辞書編纂者が、「釈文中」(=語釈中)に使った語が見出しにないことを気にするのは、辞書が「語を説明するツール」として完結していることを「理想の姿」として意識することがある、ということを示していると考える。山田忠雄は『近代国語辞書の歩み』(1981年、三省堂)において、自身が編集主幹を務めていた『新明解国語辞典』の名前を挙げ、「最も進歩していると評される 新明解国語辞典 といえども、語釈に使用した かなりの語は見出しから欠落せざるを得なかった」(563ページ)と述べており、上のことを意識していることを窺わせる。

 筆者は、ある辞書において、語釈中で使われている語がすべて見出しになっているということは、「理想」ではあろうし、それを目指すことももちろん「尊い」と考えるが、それを完全に実行することは難しいだろうと思う。今回はそうしたことにかかわることを話題にしてみたい。

ゆみしかけ【弓仕掛】〔名〕竹を弓のようにたわめ、その弾力を利用して、杼道(ひみち)を作る綜絖装置を上昇させる手織機の一部分。

 語釈中の「ヒミチ(杼道)」はなんとなくわかるにしても、「綜絖(装置)」とは何だろうと思って、『日本国語大辞典』の見出しを調べてみると、次のような見出しがあった。

そうこう【綜絖】〔名〕織機器具の一つ。緯(よこいと)を通す杼口(ひぐち=杼道)をつくるために、経(たていと)を引き上げるためのしかけ。主要部を絹糸・カタン糸・毛糸・針金で作る。綜(あぜ)。ヘルド。

 「ゆみしかけ」の語釈と「そうこう」の語釈とを組み合わせると、「よこいとを通す杼口=杼道をつくるために、たていとを引き上げるためのしかけを上昇させる」のが「ゆみしかけ」ということになるはずだが、それでも筆者などには「全貌」がつかみにくい。専門用語を説明することは難しそうだ。それは、結局、専門用語や学術用語は、一般的に使われている語で単純には説明しにくいから「専門」であり「学術用」であるという、いってみれば当然のことであるが、そういう語だからであろう。専門語による専門語の説明という「環」からなかなか抜け出すことができない。

 見出し「そうこう」の語釈末尾に置かれている「ヘルド」は外来語による置き換え説明であろうが、(別の語義の「ヘルド」は見出しになっているが)この語義の「ヘルド」は見出しになっていない。やはり、語釈中で使う語をもれなく見出しにすることは難しいことがわかる。

 さて、『日本国語大辞典』のオンライン版が備えている検索機能を使うと、「そうこう(綜絖)」が語釈あるいはあげられている使用例中に使われている見出しを探し出すことができる。16の見出しの語釈中、使用例中で使われていることがわかる。幾つかあげてみよう。

あぜ【綜】〔名〕機(はた)の、経(たていと)をまとめる用具。綜絖(そうこう)。

あやとおし【綾通】〔名〕機(はた)の綜絖(そうこう)の目に経(たていと)を引き込むのに用いる器具。また、その作業。

せいやく【正訳】〔名〕正しく翻訳すること。また、正しい翻訳。(略)*女工哀史〔1925〕〈細井和喜蔵〉一六・五四「原名のHeldは之れを正訳すれば綜絖となるのだが京都府地方では『綜』、〈略〉名古屋以東では『綾』と称へて居るのである」

へ【綜】〔名〕(動詞「へる(綜)」の連用形の名詞化)機(はた)の経(たていと)を引きのばしてかけておくもの。綜絖。

 見出し「あぜ」と「へ」の語釈からすれば、この2つの和語が漢語「そうこう(綜絖)」に対応しているようにみえる。そうであった場合は、「あぜ」と「へ」とは同義かどうかが気になる。見出し「あやとおし」は「そうこう(綜絖)」に「経(たていと)を引き込む」器具というものが(まだ)あることを示している。機織りは奥が深い。見出し「せいやく(正訳)」の使用例の中に「原名のHeld」がでてくる。これが先の「ヘルド」だろう。思わぬところに「ヘルド」があった。ここではオンライン版の検索機能を使ったので、この使用例を見つけ出すことができたが、通常はここにはたどり着くことはできないと思われる。『女工哀史』は岩波文庫で読むことができる。

 さて、そういうことを実際に行なうかどうかは別のこととして、オンライン版の検索機能を活用すれば、『日本国語大辞典』における見出しと語釈内、使用例内で使われている語との結びつきをさらに強化することは可能ということだ。オンライン版は辞書使用者のために提供されているものであることはいうまでもないが、辞書編集者がそれを使うこともできる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第7回 フィールドの人たちと仲良くなろう

2018年 4月 20日 金曜日 筆者: 古本 真

フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 第7回 フィールドの人たちと仲良くなろう

 フィールドワーク中は、その言語を教えてくれる人だけでなく、滞在先の家の人、近所に暮らす人と多くの時間を過ごすことになります。彼らと良好な関係を築くことができれば、フィールドワークはとても楽しいものになります。今回は、私がフィールドの人たちに信頼してもらうため、あるいは彼らと仲良くなるためにどんなことをしているかをお話します。あらかじめ断っておきますが、特別なこと、難しいことなど何もしていません。みなさんも、自分だったらどうするか想像しながら読んでみてください。

調査のとき

 言語調査でインフォーマントとなる人(調査に協力してくれる話者)は、普段の生活で聞かれることもないようなことを聞かれたり、やることもないようなことをやらされたりします。例えば、みなさんも「虫を殺したけど死ななかった」という文が自然であるか考えたり[注1]、「彼が明日来る」という文を何回も繰り返し発音するということは、したことがないでしょう。なぜこんな奇妙なことをするのかと、インフォーマントが疑問に思うこともしばしばあります。そんなときは、できるだけわかりやすく、調査の目的や理由を説明しなければなりません。私は「街のスワヒリ語とここの方言は発音が違うから比べてみたいんだけど、そのためには何回も発音してもらわなければならないんだよね」なんて言ったりしています。

 こんなことをひたすらやり続ける言語調査というのは、インフォーマントにとって(そして研究者にとっても)、とても退屈でつらいものです。インフォーマントは調査の途中で必ずといっていいほどウトウトします。あまりに調査が退屈だと、インフォーマントは不自然なはずの例文を自然だといったり、普段通り発音してくれなかったりするかもしれません。それどころか、明日以降の調査に協力してくれなくなるかもしれません。私は調査を苦行としないために、調査を長時間行わないようにしたり(大体2時間以内)、途中で休憩をはさんで水を飲んだりしてもらっています。こちらが用意した質問だけでなく、調査の途中ででてきた方言特有の語や表現を説明してもらったり、インフォーマントが調査中に思いついた物語を語ってもらうのもいいでしょう。こんな風にして得られたデータのなかに予想もしなかった表現や語が隠れているかもしれません。


調査中の著者とインフォーマント

 調査の際、インフォーマントに確認しなければならないことが2つあります。1つは録音、録画の許可。言語調査では、調べたことをノートにメモするだけでなく、その様子を録音、録画することがよくありますが、レコーダーのスイッチをいれる前には、必ず録音や録画の許可をとらなくてはいけません。いきなり無断でレコーダーやビデオのスイッチがいれられたら、誰だって不快な気持ちになります。調査の途中で、電話がかかってきたり、他の人が何か用事で訪ねて来たときは、レコーダーを止めるという配慮も必要となります。もう1つ確認すべきことは、データ公開の許可。調査で得られたデータ(例文、音声、写真、動画)は、学会や論文で公開することになりますが、その公開の可否についても許可を得なければなりません。論文の謝辞(お世話になった人への感謝の言葉)にインフォーマントの名前を書いていいかも尋ねるべきでしょう。調査によって得られた成果は、あなた一人のものではなくて、データを提供してくれたインフォーマントのものでもあることを忘れてはいけません。

謝礼とおみやげ

 私がザンジバルで調査をする際は、インフォーマントに謝礼としてお金を渡しています。謝礼については、調査地の物価や文化・風習を考慮して、渡すべきか[注2]、渡すとすればいくら位が適当か、渡す方法はどうすればいいか、ということを考えなければなりません。私は、1, 2時間程度の調査の最後に、コカ・コーラが数本買える程度の額[注3]のお札を小さく折りたたんで、他の人に見えないようにこっそりと手渡しています。この額や渡し方は、私を村に連れて行ってくれた古文書館のスタッフに教えてもらったものです。

 フィールドには、謝礼(お金)だけでなくおみやげも持って行きます。定番は、キャンディやビスケットのようなお菓子。フィールドで撮った写真[注4]や私がいつも使っている牛乳石鹸や綿棒、バスタオルなんかも喜ばれます。街にいったん戻るときは、村では手に入りにくい大きな玉ねぎやトマトなんかを持っていくこともあります。普段の生活をよく観察して、どんなものがフィールドの人たちに喜ばれるか調べておくといいでしょう。ちなみに、日本的なおみやげは、必ずしも歓迎されるわけではないということも覚えておいてください。

 フィールド滞在中は、調査をしていない時間のほうがずっと長く、その間はインフォーマント以外の地域の人々(つまりご近所さん)と過ごすことになります。研究者は、その地域コミュニティのメンバーの一人として、どうふるまうべきか、どんな役割を果たすことができるのかということも頭の片隅に置くべきでしょう。私は、進級試験前の中学生に数学を教えたり[注5]、家のお母さんや近所のお母さん[注6]のお使いとして、お米や野菜を買いに行ったりしています。調査をするだけがフィールドワークではありません。

コラム4:名づけの方法

ザンジバルの人の名前は、多くの場合、他のイスラム圏でもみられるものですが、中には変わり種もあります。例えば、私の調査協力者の女性には、「私はまだ信じない (Sijaamini)」「私はまだ同意していない (Sijadumba)」という名前の双子の子供がいます。彼女は、死産や自分の子供の夭逝(ようせい)(若くして死ぬこと)を経験したのちに、この双子を出産したため、彼らがちゃんと育ってくれるか不安に思い、このように命名したそうです。ちなみに、彼らは今では立派に成長しています。これ以外にも、「あなたたち私を笑いなさい (Nchekani)」や、「あなたたち置きなさい(Tuani)」と言った名前も耳にしたことがあります。

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[注]

  1. この文を自然であると感じる日本語母語話者もいれば、不自然であると感じる日本語母語話者もいる。
  2. 日本での調査では渡さないことが多いようである。
  3. 日本円で約300円程度。現地の物価や平均収入を考慮すると、若干高額となる。
  4. 最近では、私が写真を撮って、あとで渡すことが知られていて、写真を撮りにくるよう呼ばれることもしばしばある。際限なく写真を要求されることもあるため、「2枚目以降は有料」と言っている。ただし払ってもらえるとは限らない。
  5. ザンジバルの中学生はあまり数学が得意ではない。
  6. 自分の家の子供だけでなく、近所の家の子供をお使いにやるということはよくある。

◆この連載の目次は⇒「フィールド言語学への誘い:ザンジバル編 」目次へ

【筆者プロフィール】

■古本真(ふるもと・まこと)

1986年生まれ、静岡県出身。大阪大学・日本学術振興会特別研究員PD。専門はフィールド言語学。2012年からタンザニアのザンジバル・ウングジャ島でのフィールドワークを始め、スワヒリ語の地域変種(方言)について調査・研究を行っている。
最近嬉しかったことは、自分の写真がフィールドのママのWhatsApp(ショートメッセージのアプリ)のプロフィールになっていたこと。

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【編集部から】

今回はフィールドの人たちとの付き合い方についてのお話でした。第5回に登場した古文書館の女性スタッフやホームステイ先のマクンドゥチの家のお母さん、また、今回の記事の写真のインフォーマントなど、古本さんの調査が多くの人の協力と彼らとの信頼関係から成り立っていることが分かります。次回は村でのある1日を紹介していただきます。お楽しみに。

人名用漢字の新字旧字:「楽」と「樂」

2018年 4月 19日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第156回 「楽」と「樂」

新字の「楽」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「樂」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。新字の「楽」も旧字の「樂」も、出生届に書いてOK。どうして、こんなことになったのでしょう。

大日本帝国陸軍が昭和15年2月29日に通牒した兵器名称用制限漢字表は、兵器の名に使える漢字を1235字に制限したものでした。三省堂編輯所の『常用漢字新辞典』をもとに、おおむね尋常小学校4年生までに習う漢字959字を一級漢字とし、これに兵器用の二級漢字276字を加えて、合計1235字を兵器の名に使える漢字として定めたのです。この一級漢字の中に、新字の「楽」が含まれていて、カッコ書きで旧字の「樂」が添えられていました。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されており、木部に旧字の「樂」が含まれていました。新字の「楽」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字でも、木部に旧字の「樂」が含まれていて、新字の「楽」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、旧字の「樂」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、旧字の「樂」は当用漢字になりました。ただし、当用漢字表のまえがきには「字体と音訓の整理については、調査中である」と書かれていました。当用漢字表の字体は、まだ変更される可能性があったのです。

字体の整理をおこなうべく、文部省教科書局国語課は昭和22年7月15日、活字字体整理に関する協議会を発足させました。活字字体整理に関する協議会は、昭和22年10月10日に活字字体整理案を国語審議会に報告しました。この活字字体整理案では、「樂」を「楽」へと整理することが提案されていました。報告を受けた国語審議会では、昭和22年12月から昭和23年5月にかけて、字体整理に関する主査委員会を組織しました。この間、昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「樂」が収録されていたので、「樂」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。新字の「楽」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和24年4月28日に内閣告示された当用漢字字体表では、新字の「楽」が収録されていました。活字字体整理案に従った結果、新字の「楽」が当用漢字となり、旧字の「樂」は当用漢字ではなくなってしまったのです。当用漢字表にある旧字の「樂」と、当用漢字字体表にある新字の「楽」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「樂」も新字の「楽」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。つまり、昭和24年の時点で、旧字の「樂」も新字の「楽」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、「楽(樂)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、「楽」は常用漢字になりました。同時に「樂」は人名用漢字になりました。それが現在も続いていて、旧字の「樂」も新字の「楽」も、どちらも子供の名づけに使えるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第60回『信貴山縁起』「山崎長者の巻(飛倉の巻)」の「長者の家」を読み解く

2018年 4月 18日 水曜日 筆者: 倉田 実

第60回『信貴山縁起』「山崎長者の巻(飛倉の巻)」の「長者の家」を読み解く

場面:持っていかれた米俵が飛び戻ってきたところ
場所:山城国山崎の長者の家
時節:ある年の秋

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]里人の男か [イ]僧侶 [ウ]衵姿の童女  [エ]袿姿の妻 [オ]侍女 [カ][ク][ケ]小袖姿の侍女 [キ]袿姿の侍女
建物など: ①門扉 ②門 ③控柱 ④閾(しきみ) ⑤羽目板の板塀 ⑥簀子 ⑦束(つか) ⑧・礎石 ⑨・⑮・下長押 ⑩板敷 ⑪西廂 ⑫簾 ⑬妻戸 ⑭北廂 ⑯踏板 ⑰脇障子 ⑱竹の節欄間(たけのふしらんま) ⑲楣(まぐさ) ⑳くぐり 二枚格子の上部  釣金具 上長押 暖簾(のれん) 方形の柱  畳 いろり  母屋 腰長押 土壁 踏石 きりかけ
衣装・道具など:Ⓐ四手(しで) Ⓑ五徳 Ⓒ炭 Ⓓ米俵 Ⓔ鉢 Ⓕ袖細(そでぼそ) Ⓖ指貫 Ⓗ萎烏帽子 Ⓘ草鞋(わらじ) Ⓙ刀 Ⓚ袈裟 Ⓛ硯 Ⓜ墨 Ⓝ筆 Ⓞ巻紙 Ⓟ巻物 Ⓠ巻物と冊子を載せた経机 Ⓡ布類 Ⓢ二階棚 Ⓣ瓜を入れた四角の曲物(まげもの) Ⓤ元結 Ⓥ褶(しびら) Ⓦ調理台 Ⓧ鉢 Ⓨ椀 Ⓩ曲物の水桶

はじめに 今回は第41回で見ました、僧命蓮(みょうれん)の奇跡を描いた『信貴山縁起』の第一話「山崎長者の巻」の長者の家を採り上げます。この絵巻については、その回を参照してください。

「山崎長者の巻」 この巻頭部分は失われていますが、同話を収めた説話集などで補えます。それに拠りますと、信濃国出身の命蓮は東大寺で授戒してから信貴山に籠り、毘沙門天像を安置した小堂を建てて修業に励みます。命蓮は長者の家に鉢を飛ばして布施を受けていましたが、それを疎ましく思った長者は、その鉢を米倉の中に鍵をかけて閉じ込めてしまいます。しばらくしますと、その倉がゆさゆさと揺れ、中から鉢が出てきて、倉を載せて飛び立ちます。現存絵巻はここから始まります。

 後を追った長者たちは信貴山にたどり着き、命蓮に事情を話しますと、倉はお返しできないが、米俵は返しましょうと言われます。大量の米俵をどうして運べますかと尋ねると、命蓮は鉢の上に一俵を載せなさいと命じます。すると一俵を載せた鉢が飛び立ち、残った米俵も続いて次々と舞い上がり、長者の家に落ちたのでした。今回の場面は、米俵が戻ってきたことに驚いた長者の家に残っていた女性たちの様子になります。

 なお、長者の家の場所は、信貴山の麓近くのように思われますが、後世の史料では、山城国乙訓郡大山崎町とされています。この地は灯油に使用される荏胡麻(えごま)油の集積地でした。長者の家には油を搾る道具が最初の場面で描かれていますので、製油で長者になったと考えられたのです。ですから、この巻名がつけられましたが、話の内容からは「飛倉の巻」とも呼ばれています。

長者の家 それでは長者の家の様子を左側から見ていきましょう。東西南北は不明ですが、奥向きの台所設備が見えますので、画面下を仮に北としておきます。そうしますと、①門扉が開いている②門は西門となります。③控柱が付き、地面には門柱を固定させる④閾があり、車が通れるように窪みがあります。門以外は⑤羽目板の板塀で厳重に囲まれています。当然、侵入者を阻むためで、財産のある証でしょう。門の手前の板塀の上に吊り下げられているのはⒶ四手です。注連縄(しめなわ)のようなもので、魔除けになります。

門を入った正面には⑥簀子(縁)があり、支える⑦束はしっかりと⑧礎石に乗っています。簀子に接するのは⑨下長押分高くなった⑩板敷の⑪西廂です。⑫簾が垂れて開いている⑬妻戸の奥は⑭北廂になります。妻戸は⑮下長押に作られていて、奥はさらに一段高くなる感じですが、妻戸を設けるために置かれたようで、内側は高くならないようです。

 簀子は北側(下側)に回り、その下に⑯踏板があります。寝殿造では沓脱でした。北側の簀子は⑰脇障子で仕切られています。これには上部に⑱竹の節欄間が付けられます。片開きの戸になっているのでしょう。

 脇障子は⑤板塀に接していて、奥の庭と仕切られていますが、中に入れるのでしょうか。板塀が直角に折れている箇所を見てください。太めの横板が一つ見えますね。これは出入口の上に水平に渡された⑲楣ですので、その下が⑳くぐりになります。

 画面左側に移りましょう。二枚格子の上部三間分が釣金具で上長押の高さまで引き上げられています。左側一間分にだけ暖簾が巻き上げられていて、これは簾の代用なのでしょう。この家の方形の柱は、いずれも面取りされています。

 内部は⑭北廂で、右二間分は一続きになり、畳が敷かれ、いろりがあり、その中にⒷ五徳が置かれてⒸ炭がいけてあります。この奥は下長押分高くなった母屋で寝所になります。それは、この場面以前に枕と枕刀が描かれていましたので、それと分かります。

 暖簾のある畳が敷かれた間は、その左隣の、腰長押の下が土壁となる部屋とつながっています。境に見えるのは、これもいろりと思われ、主に調理に使用されるのでしょう。土壁の手前には簀子に上がるための踏石が見えます。

 一番左端には、垣となるきりかけが見えます。この奥は物置になっているのでしょう。

 以上、奥向きの部分と想定して長者の家を見てみました。全体像は分かりませんが、平安時代末の長者の家の奥向きの様子が分かりますね。

庭に下りた飛鉢 続いて、庭に目を転じましょう。Ⓓ米俵を載せて飛んできたⒺ鉢がちょうど地面に着いたところです。地面には礎石が直角に置かれているのが分かります。ここに米倉が建っていたのでした。鉢はきちんと元の場所に米俵を戻しているのです。次々と俵が飛来する光景が、この絵の面白さになります。鉢は俵が乗るほどの大きさで描かれているのは、飛鉢法(ひはつほう)の霊験を描くために、大きく誇張されているのです。なお、飛鉢法は、千手観音の秘法として知られていて、命蓮が信仰した毘沙門天はその同体とされていました。命蓮がこの法を使うのには謂れがあるのです。

人々の表情 最期に、人々の様子や調度品を見ていきます。門を入った所に、Ⓕ袖細にⒼ指貫、Ⓗ萎烏帽子にⒾ草鞋の、Ⓙ刀を差した[ア]男がしゃがんで大きな口を開けています。里人でしょうか。視線は⑪西廂に坐る[イ]僧侶には向いていませんね。視線の先には、Ⓓ米俵が空から落ちてきています。その光景に驚愕して口を開けているのです。

 Ⓚ袈裟を着けた[イ]僧侶はⓁ硯とⓂ墨を前に置いて、Ⓝ筆でⓄ巻紙に何かを書いています。それを[ウ]衵姿の童女が熱心に見つめています。字でも習っているのでしょうか。その前にはⓅ巻物が開かれています。僧侶の右側にはⓆ巻物と冊子を載せた経机が置かれています。平安時代末頃にもなりますと、この僧侶のように、長者の家などに寄食して半俗生活する者が現れてきます。この僧侶は、米倉が飛び立つ場面で描かれた赤鼻の僧侶と同一と思われ、命蓮の法力には適わなかったことになります。寄食する僧侶の無力さを暗示しているのかもしれません。

 画面左、母屋の寝所で横坐りしている[エ]袿姿はこの家の妻でしょう。引目鉤鼻に近い容貌で描かれていて、はっきりと喜んでいる表情になっています。その左横にはⓇ布類が束ねられて積み重ねられています。寝所は物置のように使用されるようです。廂にあるのはⓈ二階棚で、膳棚として使用しています。上の層(こし)の奥にⓉ四角の曲物に入れられているのは瓜のようですが、その他の物はよく分かりません。

 残りの五人の女性は、働きやすいようにいずれも垂髪をⓊ元結で束ねていますので、侍女たちになります。五人ともお歯黒の口を大きく開け、目が飛び出したかのように見開いて驚愕した表情をしています。また、廂の[オ]侍女は手を叩き、簀子の[カ][キ] [ク]三人は両手を開いています。これも驚愕した時の仕草になりますね。簀子の右側の、裳の一種となるⓋ褶を巻いた[カ]小袖姿の侍女は女主人に事態を注進に行こうとし、真ん中の[キ]袿姿の侍女は胸をはだけて大仰な仕草になっています。簀子に踏み出した[ク]小袖姿の侍女は、手招きで女主人にこの事態を見てと言っているようです。

 左端の[ケ]小袖姿の侍女もⓋ褶を巻き、Ⓦ調理台に向かって炊事をしています。手にしたⓍ鉢から水がこぼれていて、これは洗っているのではなく、驚愕して思わずこぼしたのでしょう。そばには同じような鉢とⓎ椀、それにⓏ曲物の水桶が見えます。五人の侍女たちの様子は、まことに見ごたえがありますね。

絵巻の意義 絵巻の主題は富や名声を求めない命蓮の生き方とその法力による奇跡です。ですから、絵巻全体からすれば、この場面は副次的です。しかし、女性たちの様子は、何と生き生きしていることでしょう。男たちは信貴山からまだ戻っていませんので、主に女性たちが描かれたわけですが、その為にその姿が活写されたことになります。こうしたところにも、この絵巻の意義があるのです。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、同じく『信貴山縁起』を見ながら、庶民の家や生活について読み解きます。お楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十三回:フィールドワークでの振舞い

2018年 4月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十三回:フィールドワークでの振舞い


薪割りをする筆者。
このとき、使用してはならない家の主人の所有物である斧を使っている

 筆者が初めてハンティのところへフィールドワークに行ったときには、彼らの家でどのように振舞えばよいのか、まったく知りませんでした。どのような服装をしたらよいか、どのような行為が無礼なのか、どこに座ればよいのか、誰と話してよいのか、生活のすべてが疑問でした。

 彼らには日本人とは異なる習慣やマナーがあります。生活を送る上で男女の区別があり、性別によって、家の中・外で行ってはならない場所やしてはならない仕事等があります。また、信仰に関係することでは、女性が触れてはならないもの、食べてはならないもの等があります。例えば、クマの毛皮で作られた牽引(けんいん)具を使用したトナカイ橇(そり)に女性が乗ることは禁じられています。あまりハンティの風習を尊重しない若者にそそのかされ、筆者はその橇に乗ってしまったことがあります。そのときは、筆者は年配の方々に叱られ、浄化儀礼を行いました。儀礼の際にはさらに男女の区別が厳しくなります。そして、儀礼の際にはさらに男女の区別が厳しくなります。例えば、調査者である筆者は女性であるため、見ることのできない部分や触ることができない儀礼道具があります。

 加えて、マナーやエチケットも日本とは異なっており、知らず知らずに無礼なことをしてしまっていることもあります。例えば、日本では目上の方の前を通ることが失礼とされていますが、ハンティでは後ろを通ることが失礼とされています。さらに、その地域のハンティ全体で共有している禁止事項もあれば、各親族や家で異なるような禁止事項や習慣もあります。


クマの毛皮の牽引具をつけたトナカイ

 このような禁止事項やマナー違反がまるで網目のように生活のあちこちに張り巡らされています。一歩けば、その網目にひっかかってしまいそうで、なかなか自由に振舞うことができず、フィールドワーク当初は筆者もとても窮屈に感じていました。お世話になる家庭の奥さんは、親切に「分からないことがあれば、何でも聞いてください」と言ってくださいましたが、最初は何を聞けばよいのかも分からない状態でした。ことあるごとに筆者は叱られたり、嫌な顔をされたり、陰で文句を言われたりして、落ち込んだこともあります。


女性は家の裏側に行ってはならない。また、屋根に登ってもいけない

 フィールドワークにおいてこうしたことは、慣れないうちは、かなりストレスです。しかし、ハンティの振舞い方と同じことをして当然と思われているということは、裏を返せば、彼らは筆者を一時滞在の外国のお客さんではなく、ハンティの家に同じように一緒に住まう者として扱おうとしているということです。生活習慣の違いによって叱られるときは、大きなストレスを感じますが、現地の方々に表面的ではなく深く受け入れられているようで、嬉しくも感じます。

ひとことハンティ語

単語:Пуна!
読み方:プーナ!
意味:注いでください。
使い方:年長者がお茶を注いでもらいたいときに、このように言って若者に催促します。お茶を注ぐのは年少者の役割です。また、年少者は年長者やお客さんお茶が空になったら、とにかく注ぎに行きます。このとき「もう一杯いかがですか」と聞いてはなりません。不要な場合は、お客さんが断ります。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

旅行者や部外者ではなくその地域の一員として扱ってもらう。これは信頼関係がないと難しいことですが、大石先生は第三回 フィールドワークの旅支度②:装備編で紹介されていたような物を準備した上で、コミュニケーションを取り合っているのでしょうね。
冒頭の写真は家の主人の所有物の斧だから使用はしてはいけなかったようです。小さな道具類は個人所有で家族でも共有しない一方で、食べ物やタバコなどの消耗品は分け合わないといけなかったりするようです。どこからどこまでが個人所有なのか、集団所有、共有なのかは文化によってかなり異なりますね。次回は5月11日更新を予定しています。

広告の中のタイプライター(30):Brother Valiant JPI-121

2018年 4月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『朝日ジャーナル』1964年4月26日号

『朝日ジャーナル』1964年4月26日号
(写真はクリックで拡大)

「Brother Valiant JPI-121」は、ブラザー工業が1961年に発売した「Brother Valiant JPI-111」の後継機にあたります。元々は輸出用に開発された「Brother Valiant JPI-111」ですが、日本国内でのタイプライター需要も高まってきたことから、改良型の「Brother Valiant JPI-121」を1962年に発売したのです。

「Brother Valiant JPI-121」は、44キーのフロントストライク式タイプライターです。プラテンの手前に44本の活字棒(type arm)が配置されていて、各キーを押すと、対応する活字棒がプラテンの前面を叩き、印字がおこなわれます。複数のキーを同時に押すと、複数の活字棒が印字点で衝突して引っかかってしまい、そのまま動かなくなるという欠点はあったものの、印字の強さを左端のレバーで設定(HはHeavy、LはLight)できるなど、小型の機械式タイプライターとしては、かなり高い性能を誇っていたようです。

「Brother Valiant JPI-121」のキー配列は、上の広告に見える英文標準配列が基本です。これに加え、ユニバーサル配列(英・独・仏語兼用)、ドイツ語配列、スペイン語配列、ローマ字配列、カナ英文コンビ配列なども、受注生産していました。中でもカナ英文コンビ配列は、カタカナ46字と濁点・半濁点・長音・句点・読点に加え、英大文字26字・数字8字・左カッコ・右カッコ・スラッシュからなる88字のキー配列で、日本国内での需要に合わせたものです。カナ英文コンビ配列の最上段は、シフト側がム23456789()-と、カタカナ側がメフアウエオヤユヨワホヘと並んでいます。次の段は、左端にマージンリリースキー、右端にバックスペースキーがあって、シフト側がQWERTYUIOP゚と、カタカナ側がタテイスカンナニラゼと並んでいます。その次の段は、左端にシフトロックキーがあって、シフト側がASDFGHJKLソ/と、カタカナ側がチトシハキクマノリレケと並んでいます。最下段は、両端にシフトキーがあって、シフト側がZXCVBNMヌロ,と、カタカナ側がツサヲヒコミモネル.と並んでいます。カナ英文コンビ配列では、数字の「1」は英大文字の「I」で、数字の「0」は英大文字の「O」で、それぞれ代用することが想定されていたようです。

ブラザー工業は、1964年に開催された東京オリンピックのプレスセンターで、「Brother Valiant JPI-121」など約300台のタイプライターを、外国人記者たちに無償で提供しました。その後もブラザー工業は、新たなモデルの発表を続け、国産タイプライターのトップシェアを、維持し続けたのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

モノが語る明治教育維新 第23回―双六から見えてくる東京小学校事情 (1)

2018年 4月 10日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第23回―双六から見えてくる東京小学校事情 (1)

 今回から連載でご紹介するのは、開化絵で有名な三代歌川広重の作品「東京小学校教授双六」です。

文明開化は、身の回りの景色や文物を急速に西洋風にしていきましたが、その一瞬を見事に切り取って錦絵にしたものが開化絵です。この錦絵が描かれた明治10年前後の東京では、耳目を集めるような小学校の開校があいつぎ、報道マンの役目も担った当時の浮世絵師としての広重の血もさぞ騒いだことでしょう。振り出しの「師範学校」から上がりの「華族学校」まで、東京府内にある43もの小学校が、サイコロを振って出た目の数だけ進む回り双六(すごろく)の形を借りて紹介されています。


(写真はクリックで拡大)

 「東京」と題目にはありますが、当時の行政区画は「大区小区制」と呼ばれるもので、現在の23区にあたる範囲が11大区103小区(各大区がそれぞれいくつかの小区に分けられている)に編成されていました。錦絵で紹介されている学校は、その中でも皇居に近い第1大区から第6大区までの、今の千代田区(9校)、中央区(10校)、港区(5校)、台東区(4校)、江東区(3校)、墨田区(5校)、新宿区(4校)、文京区(3校)の8区内に創設されたものばかりです。振り出しの「師範学校」は、神田宮本町、現在の千代田区外神田に明治6年1月に創設された官立師範学校の付属小学校のことで、いわば教師を目指す学生のための練習学校です。絵図中、唯一の外国人と思われる洋装の女性が描かれているところが、欧米式の教授法を学ぶ学校の特徴を表しています。

 ところで、当初、東京の公立小学校の設置は他の府県に比べ出遅れたといわれています。これは、「私学家塾開業ノ者学舎大凡千五百ヶ所」というように寺子屋や私塾などが東京には多く存在しており、これらの者に講習会を開いて新しい授業法を伝授し、私立学校などの名称を与え、活用すればいいとしたからです。政府のお膝元である東京は国のかじ取りに気を取られ、学校建設にあまり熱心ではなかったともいえます。明治6年12月までの段階で公立校はたった29校しかありませんでした。が、4年後の明治10年の調査では公立校は142校に増えています。つまり、錦絵が描かれたこの頃は、爆発的な小学校建設ラッシュだったのです。そして、何よりもこの絵を描かせた理由は、明治10年にひときわ豪華な校舎が神田錦町に完成した「華族学校」の開校にあったことは、間違いないでしょう。


(写真はクリックで拡大)

 ひとつひとつのコマを細かく見ることで、面白い発見があります。例えば、学校名がナンバリングで呼称された時代、その第1番であった第一大学区第一中学区第一番小学の「坂本学校」は現在の中央区日本橋兜町に明治6年に開校しましたが、国立第一銀行間近の、いわば近代的企業の発生地にありました。そんな場所柄を示しているのが手前左に描かれた白い柱です。これは電信線を引いた電信柱です。近くに開局した日本橋電信局の線かと思われますが、見落としそうになる思わぬところに文明開化の面白い情報が隠されています。

 次回からは学校沿革史や当時の新聞記事なども参考にしつつ、明治10年頃に東京にあった小学校の様子をつぶさに見ていきたいと思います。

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◆画像の無断利⽤を固く禁じます。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

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【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

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【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

『日本国語大辞典』をよむ―第31回 ユニセフとユネスコ

2018年 4月 8日 日曜日 筆者: 今野 真二

第31回 ユニセフとユネスコ

 筆者が勤める大学はJR品川駅からも五反田駅からも、大崎駅からも歩いて行くことができる。筆者は、帰りは品川に向かうことが多い。品川から大学へ行く道の途中に「ユニセフハウス」がある。調べてみると、2001年7月にオープンした施設で、開発途上国の保健センターや小学校の教室、緊急支援の現場などを再現した常設展示がされ、ミニシアターやホールを備えていることがわかる。時々中学生ぐらいの集団が入っていくのを見たような記憶がある。

 「ユニセフハウス」は施設の名だから、『日本国語大辞典』には見出しになっていないが、「ユニセフ」は見出しになっている。

ユニセフ【UNICEF】({英}United Nations International Children’s Emergency Fundの略)国際連合国際児童緊急基金の略称。一九四六年設立。第二次世界大戦の犠牲となった児童の救済を主な仕事としたが、のち開発のおくれた国などの児童養護計画援助を行なう。一九五三年に国際連合児童基金(United Nations Children’s Fund)と改称、国連の常設機関となった。略称はそのまま使用。五九年に国連総会で採択された国際連合児童権利宣言を指導原則としている。本部ニューヨーク。

 上の説明からすれば、1953年の改称をうけて略称を「UNCF」としてもよかったことになるが、そうはしないで当初の略称をそのまま使っているということになる。「ユニセフ」は日本においてもひろく使われる略称であるので、省略しないもともとの語形を耳にしたり目にしたりすることがほとんどないが、それ以上に「国際連合国際児童緊急基金」という、いわば訳語形にはふれることがない。「緊急基金」だったのか、と思った。こうなると「ユネスコ」についても知りたくなる。

ユネスコ【UNESCO】({英}United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの略)国際連合教育科学文化機構の略称。国連の一専門機関。一九四五年議決されたユネスコ憲章に基づいて翌年成立。平和の精神こそ安全保障に寄与するという主張のもとに、教育・科学・文化を通じて諸国民間に協力を促し、世界の平和と繁栄に貢献することを目的としている。本部パリ。日本は昭和二六年(一九五一)加盟。

 こちらも1946年に設立されている。ただし説明では「成立」という語が使われている。「ユニセフ」には「設立」、「ユネスコ」には「成立」という語を使ったことに何らかの意図があるかどうか。いずれにしても、第二次世界大戦を顧みての設立である。教育や科学、文化を通じて世界の平和をめざす、という考え方は「王道」だと思うが、現在はそうした考え方からどんどん離れていっているように感じる。

 「UNICEF」や「UNESCO」は「アルファベット略語」と呼ばれることがあり、カタカナ語辞典に載せられていることが多い。もとになっている語が長くて記憶しにくいから略語が使われるのだろうから、もとの語は「知らない」ことも少なくないだろう。近時「iPS細胞」という語がよく使われたことがあった。「iPS」は「induced pluripotent stem cell」の略で、「誘導多能性幹細胞」と訳されている。「iPS(細胞)」は(当然のことと思うが)『日本国語大辞典』は見出しとしていない。

 「IT」もよく使われる語である。これは見出しとなっている。

アイティー【IT】〔名〕({英}information technologyの略)情報技術。「IT革命」「IT産業」

 しかし、語釈が少し寂しい感じだ。『コンサイスカタカナ語辞典』第4版(2010年、三省堂)を調べてみると、語釈には「情報技術. 特にコンピューターとネットワークを利用したデータ収集や処理の技術・処方. 工学的技術から企業経営,人文・社会科学,コミュニケーションまでその応用範囲を広げている」とある。実際的な技術の拡大により、応用範囲が広まり、それに伴って、そのように呼ばれる対象も広くなり、といういわば「相乗的な」「動き」を背景に、頻繁に使われるようになった語といえよう。古くからある語には、そうした語の「歴史」があり、新しく使われるようになった語には、そうした語の(またひと味違う)「歴史」がある。「歴史」は古いものにしかない、ということでもない。『コンサイスカタカナ語辞典』には「IT移民」「IT革命」「IT基本法」「IT砂漠」「IT産業」「ITスキル標準」「ITバブル」「IT不況」という見出しもあった。「IT基本法」は平成12(2000)年に制定された法律であるが、正式名称は「高度情報通信ネットワーク社会形成基本法」であるので、この正式名称の略称ということでもなく、「通称」ということになりそうだ。

 見出し「ユネスコ」の少し先に「ユネスコむら」があった。

ユネスコむら【―村】埼玉県所沢市にある遊園地。昭和二六年(一九五一)日本のユネスコ加盟を記念してつくられ、世界各国の住居などを展示していたが、平成五年(一九九三)に大恐龍探検館に作り替えられた。

 この見出しをみて、小学生の頃に、遠足でユネスコ村に行ったことがあったことを思い出した。細かいことはほとんど何も覚えていない。小学校5年生ぐらいだっただろうか、それもはっきりしない。遠足に行った後で、遠足の時のことを絵に描くことが多かったように思うが、その絵にトーテムポールを描いたおぼろげな記憶がある。あるいは他の人が描いたのかもしれない。「世界各国の住居などを展示していた」とあるので、そうした住居の中で印象が強かったのだろう。そのユネスコ村が大恐竜探検館になっていたことを、『日本国語大辞典』で知るというのも、何か不思議な驚きだった。『日本国語大辞典』をよんでいるとこんなこともわかる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

人名用漢字の新字旧字:「竪」と「豎」

2018年 4月 5日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第155回 「竪」と「豎」

新字の「竪」は人名用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「豎」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「竪」と「豎」の新旧には議論があるのですが、ここでは「竪」を新字、「豎」を旧字としておきましょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したものでしたが、新字の「竪」も旧字の「豎」も含まれていませんでした。国語審議会は、昭和21年11月5日に当用漢字表を答申しましたが、やはり「竪」も「豎」も収録されていませんでした。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「竪」も「豎」も収録されていませんでした。昭和23年1月1日、戸籍法が改正され、子供の名づけは当用漢字1850字に制限されました。この時点で、新字の「竪」も旧字の「豎」も、子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

半世紀後の平成12年12月8日、国語審議会は表外漢字字体表を答申しました。表外漢字字体表は、常用漢字(および当時の人名用漢字)以外の漢字に対して、印刷に用いる字体のよりどころを示したもので、1022字の印刷標準字体が収録されていました。この中に、新字の「竪」が含まれていました。印刷物には、旧字の「豎」ではなく、新字の「竪」を用いるべきだ、と、国語審議会は文部大臣に答申したのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。新字の「竪」は、全国50法務局のうち2つの管区で出生届を拒否されていて、JIS第1水準漢字で、出現頻度数調査の結果が223回でした。旧字の「豎」は、全国50法務局のうち1つの管区で出生届を拒否されていて、JIS第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が4回でした。この結果、新字の「竪」は人名用漢字の追加候補となり、旧字の「豎」は追加候補になりませんでした。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

平成16年9月8日、法制審議会は人名用漢字の追加候補488字を答申し、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、新字の「竪」は人名用漢字になり、子供の名づけに使えるようになったのです。しかし、旧字の「豎」は、人名用漢字になれませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、JIS第1~4水準漢字を全て含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「竪」に加えて、旧字の「豎」も書けるようになりました。でも、日本人の子供の出生届には、新字の「竪」はOKですが、旧字の「豎」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

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