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『日本国語大辞典』をよむ―第33回 用意と準備

2018年 5月 6日 日曜日 筆者: 今野 真二

第33回 用意と準備

 『日本国語大辞典』は見出し「ようい(用意)」を次のように説明している。

(1)よく気をつけること。深い心づかいのあること。意を用いること。

(2)ある事を行なうにあたり、前もって備えておくこと。準備しておくこと。したく。

(3)競技などをはじめる前に、準備をうながすためにかける掛け声。

 上の語釈の中に漢語「ジュンビ(準備)」「シタク(支度)」が使われているので、それらがどのように説明されているかもみてみよう。

じゅんび【準備・准備】〔名〕ある事を行なうにあたり、前もって用意をすること。したく。そなえ。

したく【支度・仕度】〔名〕(1)(―する)計り数えること。計算すること。見積もりすること。(2)(―する)あらかじめ計画を立てること。心づもり。思わく。心じたく。(3)(―する)予定、計画などに従って、その準備をすること。用意。(4)(―する)服装をととのえること。きちんとした服装に改めること。身じたく。(5)(―する)食事をすること。(6)嫁入りのために整える道具類など。嫁入り道具。また、支度金。

 漢語「ヨウイ(用意)」の語釈の中に漢語「ジュンビ(準備)」「シタク(支度)」が使われ、漢語「ジュンビ(準備)」の語釈の中に漢語「ヨウイ(用意)」「シタク(支度)」が使われ、漢語「シタク(支度)」の語釈中に「ジュンビ(準備)」「ヨウイ(用意)」が使われている。このことからすれば、「シタク」「ヨウイ」「ジュンビ」には結びつきがあることが窺われる。

 小型の国語辞書をみてみると、例えば『岩波国語辞典』第7版新版(2011年)には次のようにある。

したく【支度・仕度】〘名・ス他〙準備。用意。(略)㋐外出の時、身なりを整えること。㋑食事を整えること。▽本来は見積もり測る意の漢語。「仕度」は当て字。

じゅんび【準備】〘名・ス他〙ある事にすぐ取りかかれる状態にすること。用意。したく。(略)

ようい【用意】〘名・ス自他〙ある事に備えて気を配ること。用心。また、準備。支度(したく)。(略)

 見出し「したく」の語釈には「ジュンビ」「ヨウイ」が使われ、見出し「じゅんび」の語釈には「ヨウイ」「シタク」が使われ、見出し「ようい」の語釈には「ジュンビ」「シタク」が使われており、やはりこの3つの漢語の結びつきが窺われる。つまり『日本国語大辞典』の語釈を書いた人がそうした、ということではなく、誰が語釈を考えてもそのようになりやすい、ということになる。

 辞書の語釈はいわば「語を語で説明する」ということなので、場合によっては、上のように、Aという語を説明するためにBという語を使い、Bという語の説明にはどうしてもAという語を使う、ということがありそうだ。それはAという語のあとに使い始めたBという語の語義をAとの「かねあい」で理解しているということだろう。「かねあい」は「距離」といってもよい。AとBとの語義の違いがあまりないということになれば、それは両語の「距離」があまりないということだ。そうなると、自分の脳内で、新しくよく目にするBという語の語義は? という問いに、「Aという語とだいたい同じ」という答えをだして、それを蓄積するということがありそうだ。こうやって、AとBとが結びつく。そうであるとすれば、辞書の語釈が循環的になることも(忌避しなければならないとまではいえず)場合によってはやむを得ないこと、あるいはあえていえば自然なこととみることもできる。

 『日本国語大辞典』は見出し「したく」の使用例として「竹取物語〔9C末~10C初〕」「石つくりの御子は、心のしたくある人にて、天竺に二となき鉢を、百千万里の程行きたりとも、いかでか取るべきと思ひて」をあげている。見出し「ようい」の使用例として一番最初にあげられているのは、「宇津保物語〔970~999頃〕国譲下「その日は題いだして、用意しつつふみつくり給ふ」」で、これは10世紀末頃の例ということになる。見出し「じゅんび」の使用例としてあげられているのは、「五山堂詩話〔1807~16〕」や「舎密開宗〔1837~47〕」の例で、こちらは19世紀を遡る使用例があげられていない。このことからすれば、3つの漢語が借用された順は、「シタク」「ヨウイ」「ジュンビ」であると推測できそうだ。

 さて、明治20年頃までに、ボール紙を表紙にした本が相当点数出版されている。それを「ボール表紙本」と呼ぶことがあるが、そうしたボール表紙本をみていると、「準備」に「ようい/ようゐ」と振仮名が施されていることが少なくない。「書き手」の立場に立って表現すれば、漢語「ヨウイ」に漢字列「準備」をあてた例ということになる。例えば、明治20年に出版されている『五大洲中海底旅行』には「「リンコルン」艦(かん)は最早(もはや)(こう)海の准備(ようい)(とゝの)ひ」(39ページ)という行りがある。あるいは同じ明治20年に出版されている『恋情花之嵐』には「有司(ゆうし)(ども)夫々(それ/\)に準備(ようい)をなし」(83ページ)とある。

 振仮名を施さずに「準備」と書けば、それは漢語「ジュンビ」を書いたものとみるのが自然であるので、漢語「ヨウイ」を「準備」と書くためには、振仮名が必須になる。したがって、こうした書き方は振仮名によって支えられていることになるが、そもそも、こうした書き方ができる、あるいはこうした書き方をしようと思う、のは漢語「ヨウイ(用意)」と漢語「ジュンビ(準備)」とがしっかりと結びついているからだ。

 現在出版されている辞書の語釈が日本語の歴史や漢語の歴史を、しらずしらずのうちに反映していることもある。「現在」は突然そこに現われたのではなく、過去との結びつきの上にある。そう考えれば、上で述べたようなことは当然といえば当然であるが、しかしそこになかなか気づきにくい。時にはゆっくり辞書をよむのもわるくはないと思う。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

2018年 5月 6日