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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第62回『信貴山縁起』「尼君巻」の「東大寺大仏殿参籠」を読み解く

2018年 6月 20日 水曜日 筆者: 倉田 実

第62回『信貴山縁起』「尼君巻」の「東大寺大仏殿参籠」を読み解く

場面:尼君が弟命蓮との再会を祈願しているところ
場所:山和国、東大寺大仏殿
時節:ある年の春か。

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]懇願する尼君 [イ]夢想する尼君 [ウ]祈る尼君  [エ]臥す尼君  [オ]立ち上がった尼君 [カ]歩き出す尼君
建物など:①壇正積み(だんじょうづみ)の基壇 ②束石(つかいし) ③高欄 ④葛石(かつらいし) ⑤回廊 ⑥瓦屋根 ⑦連子窓(れんじまど) ⑧石段 ⑨金銅八角燈籠 ⑩大仏殿 ⑪・⑳扉 ⑫白壁 ⑬鋲金具 ⑭釘隠 ⑮上長押 ⑯斗組 ⑰間斗束(けんとつか) ⑱唐草模様の蟇股(かえるまた) ⑲尾垂木(おだるき)
仏像・道具など:㋐廬舎那仏(るしゃなぶつ) ㋑施無畏印(せむいいん) ㋒与願印 ㋓二重円の光背 ㋔・㋝蓮弁の台座 ㋕燈籠 ㋖水晶玉 ㋗香炉 ㋘礼盤(らいばん) ㋙如意輪観音像 ㋚多聞天像 ㋛左の掌 ㋜・㋠足 ㋞岩 ㋟天邪鬼 ㋡杖 ㋢数珠 ㋣市女傘 ㋤脚絆 ㋥草鞋

はじめに 今回も『信貴山縁起』「尼君巻」を採り上げます。前回に続き弟命蓮に再会するために旅する尼君が東大寺大仏殿にたどり着いた場面になります。なお、大仏殿は伽藍配置からは金堂になりますが、この呼称が定着していますので、それに従うことにします。

東大寺 最初に奈良大仏でお馴染みの東大寺について確認しておきましょう。奈良時代、聖武天皇の発願によって創建された華厳宗の総本山です。行基(ぎょうき)が勧進、良弁(ろうべん)が開基となります。天平勝宝4年(752)に大仏開眼供養が催され総国分寺となりました。

 東大寺は、二度焼亡して再建されています。一度目は、治承4年(1180)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き打ちによるもので、鎌倉時代になって再建されました。二度目は戦国時代の合戦で焼亡し、江戸中期になって再建され、今日に続いています。

 『信貴山縁起』に描かれた東大寺大仏殿は、創建時の形を写しており、今日見る形とは違っています。今回は現在の大仏殿の写真などを横に置いて読んでいただくと、創建時との違いが分かって面白いかもしれません。ウェブ上で画像は簡単に得られますので試してみてください。この場面は、創建時の大仏殿を描いた唯一のものとして貴重なのです。

大仏殿の基壇 それでは大仏殿の①基壇から見ていきましょう。壇正積みと呼ばれる基壇の上に建てられています(第39回参照)。②束石がきれいに並んでいます。基壇の端には③高欄が見えます。画面左上に梯子のように見えるのは、基壇の④葛石になります。

 この葛石の左に見える建物は⑤回廊で、⑥瓦屋根や⑦連子窓を見せています。

 基壇正面には⑧石段が五間(ごけん)分付いています。現在の大仏殿の石段は三間分ですので、創建時はもっと大きかったことが察せられます。

 石段の中央に見えるのは⑨金銅八角燈籠で、現在に引き継がれて国宝になっています。画面は退色して、燈籠の背後の石段の線が透けて見えています。

大仏殿 ⑩大仏殿の建物に移りましょう。大きさはどうでしょうか。間数(けんすう)を数えてみましょう。⑪扉が付くのは七間分です。左側には⑫白壁の二間分が見えますので、右側も同じになり、両端を合わせると四間です。そうしますと、大仏殿の正面は十一間となりますね。約86mです。

 現在の大仏殿はどうでしょうか。扉が付くのは三間分だけで、合わせて七間しかありません。約57mです。現在の大仏殿は、創建時の三分の二くらいの大きさにしか過ぎないのです。現在よりもはるかに大きかった創建時の景観はどうだったでしょうか。

 大仏殿の扉には、⑬鋲金具が打たれ、⑭釘隠は横長の金物になっています。どちらも金銅製でした。

 土壁を見てみましょう。ここも現在の形とは違っています。現在の形は、内側の一間は十字に仕切られ、外側の一間は上半分が窓になっています。しかし、絵巻では、全面が壁になっていますね。

 さらに土壁上部の⑮上長押のさらに上を較べて見てください。現在は上長押の上部も一間分が細長い壁になっています。絵巻では、そこが、桁や軒を支えるために入れられた組物となる⑯斗組(斗栱とも。ときょう)になっています。また、絵巻では、斗組のあいだにある⑰間斗束には何の造作もされていませんが、現在では間斗束にも斗組が施されています。さらに、絵巻では⑱唐草模様の蟇股が描かれています。斗組から突き出て見える柱は⑲尾垂木と呼びます。

 少し細か過ぎたかもしれませんが、較べて見ますと、建築の意匠に歴史的な違いがあることが分かりますね。さらに、大仏も現在と変わっていたようです。大仏を見ることにしましょう。

盧舎那仏 大仏は、正式には㋐廬舎那仏と言います。鎌倉の大仏は阿弥陀如来ですので、印の形が違います。鎌倉大仏は上品上生(じょうぽんじょうしょう)の印、奈良大仏は右手が、衆生の畏怖を無くして救うという功徳を表す㋑施無畏印、左手が、衆生の願いを実現してくれることを表す㋒与願印です。絵巻ではこの印は柱に隠れて少ししか見えませんが、掌は膝に置かれて上に向けています。

 お顔の形はどうでしょうか。現在の大仏は四角い顔ですが、絵巻では丸顔で、おちょぼ口に朱がさしてあります。しかし、絵巻は、写実を基本としませんので、実際はどうであったかは分かりません。建築も同じことになりますね。

 大仏は、大きな㋓二重円の光背の前に、㋔蓮弁の台座で結跏趺坐(けっかふざ)しています。光背や台座に施される仏や文様が、細かに描かれているのが分かります。すでに奈良時代に優れた工芸の技術があったことを思わせます。光背の形も現在とは違っていますが、連弁の台座は焼け残った部分があり、創建時の様子を伝えているようです。

 仏具も見ておきましょう。大仏の前にあるのは㋕燈籠と、一対の㋖水晶玉です。台座の手前に置かれているのは㋗香炉と、一対の㋘礼盤で、これは僧の座になります。仏具の配置も現在と変わっています。

開いた扉の隙間 大仏から目を転じましょう。画面右側に、少し開いた⑳扉の奥に何かが見えますね。これは何でしょうか。画面下に見えるのは、大仏の脇侍(わきじ)となる㋙如意輪観音像の一部、上部は㋚多聞天像の一部です。

 如意輪観音像には㋛左の掌と㋜足、㋝蓮弁の台座がはっきりと分かります。左手は大仏と同じ与願印ですが、足が見えるというのは結跏趺坐しているのではなく、坐って左足だけを踏み下げていることになります。如意輪観音像のこの形は仏像史でも興味深いものとされています。

 多聞天像は、㋞岩の上で㋟天邪鬼を㋠足で踏みつけているのが分かります。

 それでは、なぜこの二体の仏像を絵巻は見せているのでしょうか。それは、多聞天像を見せたかったからと思われます。多聞天は、本尊などになる時、毘沙門天(びしゃもんてん)と呼称されます。もうお分かりですね。命蓮が修業している信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)の本尊が毘沙門天でした。その霊験を暗示させるかのように、わざと扉を開けて見えるように工夫したと言えましょう。

尼君の姿 最後に尼君の様子を見ることにしましょう。原画では、先の燈籠と同じように建物の輪郭と重なって見えています。これでは分かりにくいので、尼君に関しては、背後の線を除いて描いてもらいました。六人の尼君が描かれています。よく見てみますと、六人とも同じ姿で、立っている二人は共に㋡杖を持っていますね。これは、どうしたことでしょう。実は、六人とも、絵巻の主人公の尼君になるのです。一つの場面に、同一人物を複数描くことで、時間の経過を表す絵巻の技法、異時同図法が用いられているのです。この技法については、第9回の『伴大納言絵巻』で触れましたので参照してください。

 ここの異時同図法は、尼君が懸命に大仏に祈願して一晩過ごし、そのお告げによって信貴山に向かう様子を表現しています。仮に、[ア]懇願する尼君、[イ]夢想する尼君、[ウ]祈る尼君、[エ]臥す尼君、[オ]立ち上がった尼君、[カ]歩き出す尼君としてみましたが、いかがでしょうか。[ア] [ウ] は、手に㋢数珠を持っているようです。[エ]の手前には㋣市女傘が見えます。[オ]は㋤脚絆に㋥草鞋です。前回見ました場面の尼君と同じ姿ですね。[カ]は信貴山に向かって歩み出した姿です。異時同図法によって、弟と再会したい尼君の思いが伝わってくるようです。なお、[オ]は、原画では、頭部と右袖のあたりが剥落していますが、ここは線を補ってもらいました。

 なお、当時の大仏殿は女人禁制でした。しかし、絵巻では尼君は堂内に入っています。この点が絵巻の謎となっています。大仏殿に入って祈る姿は、尼君の幻影なのでしょうか。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、『石山寺縁起』から、今回と同じく「参籠」の場面を読み解きます。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
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2018年 6月 20日