著者ごとのアーカイブ
2011年 3月 14日 月曜日 筆者: yama
日頃、三省堂デュアル・ディクショナリーをご利用いただきまして、ありがとうございます。
3月14日、東日本大震災にともなう計画停電が予定されるとのことで、停電の対象となる地域にデュアル・ディクショナリーのサーバーがあることから、緊急にサーバーを停止いたしましたが、通電再開後、再起動し、ふたたびサービス可能になっております。
今後、4月まで計画停電が予定されているとのことで、サーバー設置地域の停電に合わせて、サービスをご利用になれない時間が発生いたします。
ご利用の読者の方々には、まことに申し訳ありませんが、事情を鑑み、ご理解をいただけますようお願い申し上げます。
対象となるサービスは、以下です。
- Dual 大辞林
- Dual WISDOM 英和辞典
- Dual WISDOM 和英辞典
- 三省堂用例コーパス
- Dual 必携類語実用辞典
- Dual ビジネス実務総合英和辞典
- クラウン仏和辞典第6版小型版用音声サービス
今後、停電に影響されないようなシステム構築を早急に模索してまいります。
今後とも、どうか三省堂デュアル・ディクショナリーにご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
2008年 9月 15日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「隴を得て蜀を望む」です。
隴(ろう)を得(え)て蜀(しょく)を望(のぞ)む
出典
後漢書(ごかんじょ)・岑彭(しんぽう)伝
意味
一つのものに満足しないで、さらにより以上のものを求め望むこと。欲にはきりがないこと。満足を知らないことをいう。「隴(ろう)」は、隴西(ろうせい)で、今の甘粛(かんしゅく)省にある。「蜀(しょく)」は、今の四川(しせん)省。
原文
両城若下、便可三将レ兵南撃二蜀虜一。人苦レ不レ知レ足。既平レ隴、復望レ蜀。毎二一発一レ兵、頭鬚為白。〔両城若(も)し下らば、便(すなわ)ち兵を将(ひき)いて南のかた蜀虜(しょくりょ)を撃つべし。人、足るを知らざるに苦しむ。既に隴(ろう)を平らげ、復(ま)た蜀を望む。一たび兵を発する毎(ごと)に、頭鬚(とうしゅ)為(ため)に白し、と。〕
訳文
(後漢(ごかん)の光武帝(こうぶてい)は、建武(けんぶ)十年《三四》に全国を統一したが、その間もっとも頑強に抵抗したのは、隴(ろう)の隗囂(かいごう)と蜀(しょく)の公孫述(こうそんじゅつ)であった。建武八年、岑彭(しんぽう)は帝に従って、隗囂を攻めた。公孫述は兵を出して隗囂を助けた。帝はこれを攻撃したが、自分は一たん洛陽(らくよう)に引き揚げることにし、そのとき岑彭に次のような手紙を送った。)「二つの都市(=隗囂の西城(せいじょう)と、公孫述の上邽(じょうけい))がもし落城したら、ただちに兵を率いて南へ進み蜀の賊どもを討て。人間というものは満足するということを知らないから困る。わたしは隴を平定したうえに、さらに蜀の地を望むのである。ただ戦をするたびに、髪の毛が白くなる。」(その後、隗囂は死んでその子は漢に降(くだ)り、公孫述も蜀の成都(せいと)で滅んだ。岑彭は公孫述のために暗殺されたが、光武帝はついに蜀をも平定して、全土を統一した。)
解説
この句は曹操(そうそう)(=魏(ぎ)の武帝(ぶてい))の語としてもよく知られる。『晋書(しんじょ)』宣帝紀(せんていき)に、西晋(せいしん)の宣帝すなわち司馬懿(しばい)は益州(えきしゅう)(=蜀(しょく))を狙(ねら)うべきだと曹操に進言した。それに対して曹操は、「人というものは満足しないことに苦しむものだ。もう隴右(ろうゆう)(=隴)を手に入れているのに、このうえ蜀を手に入れようとするのか。」と言って遂(つい)にその進言に従わなかった。この曹操の語は、光武帝(こうぶてい)の言葉を借りていると推定されるが、その意味するところは光武帝の場合と異なっている。光武帝が積極的にその欲を満たすことを実現したのに対して、曹操は、人間の無限の欲望を戒めたのである。いずれにしても「望蜀(ぼうしょく)」という言葉は、すでに日本語の中でも定着していて、「高望み」という語や、「いっそうの期待」という意味と同じに使われている。必ずしも、悪い意味にのみ、用いられているわけではない。
類句
◆望蜀(ぼうしょく)
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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2008年 9月 8日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「洛陽の紙価を貴む」です。
洛陽(らくよう)の紙価(しか)を貴(たか)む
出典
晋書(しんじょ)・左思(さし)伝
意味
出版した本がよく売れること。「洛陽(らくよう)」は、晋(しん)の都で、今の河南(かなん)省洛陽市。「紙価」は、紙の値段。原文には「価」の字はない。「貴」は、値段が高くなること。評判の作品はみな争って筆写したので、紙の値段が高騰したということ。紙は、晋のころは、まだ貴重品だったことを思うと、この句の意味がいっそう深く理解できよう。
原文
司空張華見而歎曰、班張之流也。使二読レ之者尽而有レ余、久而更新一。於レ是豪貴之家競相伝写、洛陽為レ之紙貴。〔司空(しくう)の張華(ちょうか)見て歎(たん)じて曰(いわ)く、班(はん)・張(ちょう)の流(りゅう)なし。これを読む者をして尽くして余り有り、久しくして更に新ならしむ、と。是(ここ)に於(おい)て豪貴の家、競いて相(あい)伝写し、洛陽(らくよう)これが為(ため)に紙貴(たか)し。〕
訳文
(晋(しん)の文人左思(さし)は、あらゆる芸術にすぐれた才能をあらわしていた。口は重く、容貌(ようぼう)も醜かったが、とくに辞賦(じぶ)という文体にすぐれた才を発揮していた。かつて後漢(ごかん)のころ、班固(はんこ)が「二都(にと)の賦(ふ)」を作り、張衡(ちょうこう)が「二京(にけい)の賦」を作って評判になったが、彼は、蜀(しょく)の都成都(せいと)、呉(ご)の都建業(けんぎょう)、魏(ぎ)の都?(ぎょう)の三つの都のことをうたった「三都の賦」を作ろうとし、十年の間努力して、これを書き上げた。当時の人々は、最初あまりこの作品を重視しなかったが、皇甫謐(こうほひつ)という学者をはじめ多くの人々が、しだいにその価値を認めるようになった。そして、当時の宰相張華(ちょうか)が、これを絶賛してから、大いに世にもてはやされた。)宰相の張華はこの作品を読んで感嘆して言った。「これは班固の『二都賦』、張衡の『二京賦』に比肩するものだ。これを読む者は、読み終わって余韻が残り、しばらく日がたって、また感銘を新たにすることができる。」と。これを聞いた上流の人々は、先を争って互いに筆写し合った。そのため、洛陽(らくよう)の町では紙の値段が急激に高くなった。
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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2008年 9月 1日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「孟母三遷」です。
孟母(もうぼ)三遷(さんせん)
出典
列女伝(れつじょでん)・母儀(ぼぎ)・鄒(すうノ)孟軻(もうかノ)母(はは)
意味
幼児の教育には環境がたいせつであるという教え。孟子(もうし)の母が、孟子を教育するのに、最適の環境を選んで三たび住居を移したという故事に基づく。
原文
其舎近レ墓。孟子之少也、嬉遊為二墓間之事一、踴躍築埋。孟母曰、此非四吾所三以居二処子一。及去舎二市傍一。其嬉戯二賈人衒売之事一。孟母又曰、此非四吾所三以居二処子一也。復徙舎二学宮之傍一。其嬉遊、及設二俎豆一、揖譲進退。孟母曰、真可三以居二吾子一矣。遂居レ之。及二孟子長一、学二六芸一、卒成二大儒之名一。〔その舎、墓に近し。孟子(もうし)の少(わか)きとき、嬉遊(きゆう)するに墓間(ぼかん)の事を為(な)し、踴躍(ようやく)築(ちく)埋(まい)す。孟母曰(いわ)く、これ吾(われ)の子を居処(きょしょ)せしむる所以(ゆえん)に非(あら)ず、と。及(すなわ)ち去りて市の傍らに舎す。その嬉戯するに賈人(こじん)衒売(げんばい)の事を為す。孟母又曰く、これ吾の子を居処せしむる所以に非ざるなり、と。復(ま)た徙(うつ)りて学宮(がくきゅう)の傍らに舎す。その嬉遊するに、及ち俎豆(そとう)を設け、揖譲(ゆうじょう)進退す。孟母曰く、真(まこと)に以(もっ)て吾(わ)が子を居(お)らしむべし、と。遂(つい)にこれに居る。孟子、長ずるに及び、六芸(りくげい)を学び、卒(つい)に大儒(たいじゅ)の名を成せり。〕
訳文
(孟子(もうし)の)家は墓地の近くにあった。孟子は幼いころ、墓地で行われる躍り上がって悲しみを表す追悼の儀式や埋葬のまねをして遊んでいた。孟子の母は「ここに子供を住まわせるわけにはいかない。」と言って、市場のそばに居を移した。(すると孟子は)商人が商売のやりとりをするのをまねして遊んだ。孟子の母は「ここは子供の住むのによくない。」と言って、学校のそばに転居した。(孟子は学校で行われる)祖先を祭る儀礼や、礼儀作法のまねごとをして遊ぶようになった。孟子の母は「ここならわたしの子供を住まわしてもよい。」と安心して、ここに住居を定めた。孟子は成長すると、六芸(りくげい)(=儒教の基本経典(けいてん))を学び、立派な儒者になった。
類句
◆三遷(さんせん)◇三遷(さんせん)の教(おし)え
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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2008年 8月 25日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「矛盾」です。
矛盾(むじゅん)
出典
韓非子(かんぴし)・難(なん)
意味
前後のつじつまが合わないこと。両立しないこと。論理が一貫しないことをいう。撞着(どうちゃく)。「矛」は、ほこ・やり。「盾」は、たて。「楯(じゅん)」とも書く。
原文
楚人有下鬻二楯与一レ矛者上、誉レ之曰、吾楯之堅、莫二能陥一也。又誉二其矛一曰、吾矛之利、於レ物無レ不レ陥也。或曰、以二子之矛一、陥二子之楯一何如。其人弗レ能レ応也。〔楚人(そひと)に楯(たて)と矛(ほこ)とを鬻(ひさ)ぐ者有り。これを誉(ほ)めて曰(いわ)く、吾(わ)が楯の堅きこと、能(よ)く陥(とお)すもの莫(な)きなり、と。又その矛を誉めて曰く、吾が矛の利なること、物に於(おい)て陥さざる無きなり、と。或(あ)るひと曰く、子(し)の矛を以(もっ)て、子の楯を陥さば何如(いかん)、と。その人応(こた)うる能(あた)わざるなり。〕
訳文
戦国(せんごく)時代、楚(そ)の国の人で盾(たて)と矛(ほこ)とを売っていた者がいた。盾を自慢して、「わたしの盾の堅いことといったら、どんなものでも突き通すことはできない。」と言った。次に矛を自慢して、「私の矛の鋭いことといったら、どんなものでも突き通せないものはない。」と言った。するとある人が「それでは君の矛で、君の盾を突いたら、どうなるのか。」と言うと、その人は答えることができなかった。
解説
この句に続いて、「突き通せない楯(たて)と、何でも突き通す矛(ほこ)とは両立しない。儒家(じゅか)のように尭(ぎょう)と舜(しゅん)を二人とも聖人としてほめるのは、これと同じだ。」という韓非(かんぴ)の説が述べられている。これはこの故事の直前の次の一節をうけている。儒者が、舜が、農業・漁業・陶芸の分野などで大きな改革を行い、弊風を一掃したことを、孔子(こうし)の言葉を引いてほめた。それに対して、ある人が、もし舜の仕えた尭がほんとうに聖人なら、舜が改革することはなかったはずだ。舜が改革したのがほんとうだとすれば、尭は聖人ではなかったはずだ。尭と舜が二人とも聖人だという説は両立しない、と言ったという。同じような話は『韓非子(かんぴし)』「難勢(なんせい)」にもある。ここでも楯と矛の物語を引いているが、「難」とほとんど同じである。賢人と権力とが両立しないものであることのたとえとして引いている。
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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2008年 8月 11日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「先ず隗より始めよ」です。
先(ま)ず隗(かい)より始(はじ)めよ
出典
戦国策(せんごくさく)・燕(えん)策―史記(しき)・燕召公世家(えんしょうこうせいか)
意味
事を始めるには、自分からやりださなければならない。人に言いつける前に自分が積極的に着手せよ、という意味。「隗(かい)」は戦国(せんごく)時代の燕(えん)の人で、郭隗(かくかい)という人。この句の意味は、現在では少し異なり、大事を始めるには、小事から手をつけよ、大事業には、呼び水となる小さなことから始めるのが必要だという意味にも用いる。また我が国では、「まず、あなたがやりなさい」という意味に使うことが多い。
原文
今王誠欲レ致レ士、先従レ隗始。隗且見レ事。況賢二於隗一者乎。豈遠二千里一哉。〔今、王誠(まこと)に士を致さんと欲(ほっ)せば、先(ま)ず隗(かい)より始めよ。隗すら且(か)つ事(つか)えらる。況(いわん)や隗より賢なる者をや。豈(あ)に千里を遠しとせんや。〕
訳文
<戦国策(せんごくさく)>(燕(えん)の昭王(しょうおう)に郭隗(かくかい)という食客がいた。王がすぐれた人材を求めているのを聞き、次のような話をしてきかせた。昔、よい馬を求める人がいて、使者に大金を与えて買いにやらせた。そのよい馬は死んでいた。すると使者はその死んだ馬の骨を五百金で買ってきた。主人が怒ると、使者は、死んだ馬さえ大金で買うという評判がたてば、生きた馬なら、もっといい値段で買ってくれるという評判がたつでしょうと言った。果たしてその後よい馬が三頭も手に入ったという。郭隗はこの話を昭王にして、次のように言った。)「もし王様が、今ほんとうにすぐれた人材を広く集めようとなさっているのなら、まずわたくしのような取り柄もない人間を重用してください。わたくしのようなものさえ抜擢(ばってき)してくれるという評判がたてば、もっとすぐれた人間は、千里の道のりを遠しとせず、集まってくるにきまっています。」
解説
『史記(しき)』燕召公世家(えんしょうこうせいか)にもほぼ同じ語句が出てくるが、ずっと簡略で、死馬の骨を買う故事はない。
類句
◆隗(かい)より始(はじ)めよ◆死馬(しば)の骨(ほね)を買(か)う
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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2008年 8月 8日 金曜日 筆者: yama
三省堂の辞書・事典、2008年8月に出版が予定されているものは…

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石井米雄 編
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天野成昭・笠原 要・近藤公久 編著
NTTコミュニケーション科学基礎研究所 監修
B5判 288ページ(全1冊+CD-ROM1枚)¥26,250円 ISBN 978-4-385-35896-3
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⇒『日本語の語彙特性 第4期(第9巻)』のページへ
2008年 8月 5日 火曜日 筆者: yama
下記の募集は定員に達しましたので、締め切りました。
ご応募ありがとうございました。
あらためて募集の際は掲示いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
詳しくは、以下のリンク先をご確認ください。
2008年 8月 4日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「刎頸の交わり」です。
刎頸(ふんけい)の交(まじ)わり
出典
史記(しき)・廉頗(れんぱ)藺相如(りんしょうじょ)列伝
意味
親しい交際。心からの深い交わり。「刎(ふん)」は、首をはねること。頸(けい)は、首。友のためには、たとえ自分の首をはねられても悔いないほどの、親しい結びつきということ。
原文
廉頗聞之、肉袒負レ荊、因二賓客一至二藺相如門一謝レ罪曰、鄙賤之人、不レ知二将軍寛之至一レ此也。卒相与驩、為二刎頸之交一。〔廉頗(れんぱ)これを聞き、肉袒(にくたん)して荊(いばら)を負い、賓客(ひんかく)に因(よ)りて藺相如(りんしょうじょ)の門に至り罪を謝して曰(いわ)く、鄙賤(ひせん)の人、将軍の寛(かん)のここに至れるを知らざるなり、と。卒(つい)に相与(あいとも)に驩(かん)し、刎頸(ふんけい)の交わりを為(な)す。〕
訳文
(趙(ちょう)の恵文王(けいぶんおう)の家臣に廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)がいた。そのころ秦(しん)の昭王(しょうおう)が趙を攻めて、大いに破り、河南(かなん)省澠池(べんち)で和平交渉をしようと申し入れてきた。恐れて行きたがらぬ趙王を励まし、藺相如が随行し、廉頗が留守を守った。藺相如は趙王を侮辱しようとする秦王と堂々とわたり合い、趙の名誉を守った。廉頗も留守を固く守り秦を寄せつけなかった。趙王は帰国すると、藺相如の功を第一とし、廉頗よりも上位に任じた。廉頗はこれを怒って、相如を侮辱してやると放言していた。相如はいつも廉頗と顔を合わせるのを避けていた。相如の部下がこれを歯がゆく思い、相如に、なぜ廉頗を恐れるのかと責めた。相如は言った。「秦でさえ恐れぬわたしが廉頗将軍を恐れるはずはない。ただ、強国秦が趙を攻めないのは、廉将軍とわたしがいるためだ。今この二人《=両虎(りょうこ)》が争ったら、共に滅びるだろう。国家の大事を前にして、私事の争いは避けるべきだ。」)廉頗はこれを聞いて大いに恥じ、肌脱ぎになり荊(いばら)の杖(つえ)を背負って、(自らを罰する気持ちを示し)食客に仲立ちを頼んで藺相如の家に行き、罪を謝して言った。「つまらぬ、いやしいわたしのようなものに対して藺将軍がこれほどまでにお心が広いとは知りませんでした。」と。ついに二人は心を許しあい、首をはねられても恨みに思わず、生死を共にする交わりを結んだ。
類句
◆管鮑(かんぽう)の交(まじ)わり◆金石(きんせき)の交(まじ)わり◆金蘭(きんらん)の契(ちぎ)り◆断金(だんきん)の契(ちぎ)り◆莫逆(ばくぎゃく)の友(とも)
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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2008年 7月 28日 月曜日 筆者: yama
今週のことわざは「白髪三千丈」です。
白髪(はくはつ)三千丈(さんぜんじょう)
出典
李白(りはく)詩・秋浦歌(しゅうほノうた)・其十五
意味
大げさな誇張した表現の形容。本来は、憂いが重なって毛髪が白くなったという意味で、日本において、冒頭にあげたような意味に用いられるように変化したものと思われる。「三千丈」は、約九〇〇〇メートル、もちろん、多い、長いということを示す形容で実際の長さをいうのではない。このような表現から、誇張した言い方の代表となったのであろう。
原文
白髪三千丈、縁愁似箇長。不知明鏡裏、何処得秋霜。〔白髪(はくはつ)三千丈、愁いに縁(よ)りて箇(か)くの似(ごと)く長し。知らず明鏡の裏(うち)、何(いず)れの処(ところ)よりか秋霜(しゅうそう)を得たる。〕
訳文
乱れて伸びたこの白髪(しらが)、これも心の憂さのため、鏡に映る己(おの)が顔、どこから来たか霜(しも)のおく老いの影。
解説
李白(りはく)の晩年の作。「秋浦歌(しゅうほノうた)」は全十七首。安史(あんし)の乱(らん)のとき、李白は玄宗(げんそう)の子永王(えいおう)の部下となったが、永王と兄の粛宗(しゅくそう)とは骨肉の争いを起こし、李白も流刑となった。その折の気持ちを歌ったものと思われる。李白六十歳のころのことである。「三千丈」は単に髪の長さをいうのではなく、憂いが綿々として尽きないという意味をこめているという解釈もある。晋(しん)の時代にも、左思(さし)の「白髪賦(はくはつノふ)」、陳后山(ちんこうざん)の「白髪縁レ愁百尺長(はくはつよリテうれイニひゃくせきながシ)」のように類似の表現が多い。現在では憂愁の意に用いることはほとんどなく、「あの人の言い方は、万事オーバーで白髪三千丈式だ」というように、誇張したという意味に用いることが多い。原文の「似箇」は「如此」と同じで、このようにの意。「箇」は、これ、このの意味に用いる俗語である。
三省堂「中国故事成語辞典」金岡照光編より
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