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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

2016年 12月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

場面:大臣大饗で鷹飼(たかがい)と犬飼(いぬかい)が登場するところ
場所:東三条邸の寝殿とその西側など
時節:1月4日

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建物等:Ⓐ寝殿 Ⓑ五級の御階 Ⓒ塗籠となる部屋 Ⓓ西広廂 Ⓔ妻戸 Ⓕ西北渡殿 Ⓖ休所(やすみどころ)となる部屋 Ⓗ西透渡殿(すきわたどの) Ⓘ西簀子 Ⓙ南廂 Ⓚ親王の座の畳 Ⓛ尊者の座 Ⓜ公卿の座 Ⓝ西廂 Ⓞ弁・少納言の座 Ⓟ外記・史(さかん)の座 Ⓠ西中門廊 Ⓡ千貫(せんかん)の井 Ⓢ溝 Ⓣ透廊(すきろう)
人物:[ア] 鷹飼 [イ]犬飼 [ウ]下役の者 [エ]主人 [オ]尊者の公卿 [カ]非参議大弁
調度など:①折敷 ②屛風 ③軟障(ぜじょう) ④御簾 ⑤・⑦・⑧・⑨・⑪台盤 ⑥茵(しとね) ⑩出雲筵の帖(じょう) ⑫幔門(まんもん) ⑬雉 ⑭鷹 ⑮犬

はじめに 今回は、第54回で扱いました東三条邸を会場とした大臣大饗の続きになります。そこでの東三条邸の図には、Ⓐ寝殿南面のⒷ五級の御階の位置が間違って描かれていました。今回のもそれが踏襲されていて、一間分西側に描かなくてはならないところでした。この他にも史料に照らしておかしな点があります。画面右上の角は二間四方のⒸ塗籠になりますが、区画されてしまっています。また、寝殿Ⓓ西広廂の北側に描かれるⒺ妻戸の西側は、Ⓕ西北渡殿の一間分でⒼ休所にされましたが(後述)、二間分あるようになっていて人物が描かれてしまっています。こうした欠点がありますが、大饗の宴席が描かれたことで、今回の場面は貴重な史料になっています。

絵巻の場面 この場面は[ア]鷹飼と[イ]犬飼が登場するところです(後述)。それと併せて、鳥瞰的な吹抜屋台の技法で、室内の宴席の様子も描いています。高い建物などなかった時代に、よくもこうした鳥瞰図が描けたものと思います。この構図によって、東三条邸の内部と、大臣大饗の宴席に対する視覚的な理解ができますね。

宴席の序列 それでは、東三条邸の構造を確認しながら、宴席の様子を見ていきましょう。画面右側(東)がⒶ寝殿、左側(西)手前がⒽ西透渡殿、奥がⒻ西北渡殿になります。宴は進行していて、西透渡殿に二人、寝殿のⒾ西簀子とⒹ西広廂に一人ずつの、四人の下役の者が料理を運んでいるのが見えます。西簀子の[ウ]人には①折敷を捧げ持っている様子が分かります。

 画面でまず目につくのは、宴席が幾つにも分かれていることです。なぜ分かれているのかは、前々回の拝礼の場面で明らかですね。身分・序列が、宴席の座にも及んでいるのです。そして、寝殿には②屛風、西北渡殿には③軟障が張り巡らされて宴席を区画していることが分かります。この違いも身分差を示し、座席が区別されました。なお、寝殿の屛風の後ろには壁代と④御簾が垂らされますが、画面では一部しか描かれていません。

主人と尊者の座 まず、主人の座を確認しましょう。Ⓙ南廂が[エ]主人の座です。大饗が始まった時には、Ⓚ親王の座とされる二帖敷かれた畳に坐りましたが、途中から朱塗の⑤台盤と菅円座(すげえんざ)を置いて、ここに移りました。藤原氏の氏の長者が行う大饗では、朱器台盤(大盤とも)といって、朱塗の、器と台盤を主客が代々使用しました。朱器大饗という言い方もされ、氏の長者としての威勢を誇示したのです。
 大臣大饗の来客のうち、最も身分が高い二人が尊者とされましたね。Ⓛ尊者の座は、母屋の東側に二つ設けられます。この日の[オ]尊者は一人だけでしたので、南側に坐しています。二人の場合には、南側が上席になります。画面でははっきりしませんが、座の設け方にも作法がありました。板敷の床の上に、長筵・菅円座・地敷・⑥茵の順で重ねられ、⑦台盤が、油単(ゆたん。湿気を防ぐために油をしみ込ませた敷物)の上に置かれました。

公卿の座と弁・少納言の座 尊者の座の西側は、Ⓜ公卿の座になります。⑧台盤十二脚を二列に置いて向かい合って坐る、二行対座にしました。尊者の座と違って、ここは北側が上席です。長筵・菅円座・地敷を重ねて敷き、さらに円座を置きます。公卿は大納言・中納言・参議の身分がありますので、その差を視覚化するために、一番上に敷く円座の縁(へり)の色が変えられました。大納言は紫縁、中納言は青縁、参議は高麗縁とされたのです。

 Ⓝ西廂が、Ⓞ弁・少納言の座です。ここも画面ではっきりしませんが、上席となる北端は、高麗縁の円座が敷かれた[カ]非参議大弁の座とされ、台盤一脚が置かれました。その南に間隔を空けて四脚の⑨台盤が一列に並べられ、円座はなく出雲筵が敷かれました。円座と筵で、身分を違えたのです。

外記・史の座 寝殿から離れた、東西四間となるⒻ西北渡殿の西側三間が、Ⓟ外記・史の座です。ここも二行対座になります。北側が外記、南側が史で、⑩出雲筵の帖(薄い畳)が敷かれ、⑪台盤二脚が置かれました。

 西北渡殿の東端の間(ま)は、臨時に南北二つに区画され、北が公卿、南が尊者のⒼ休所とされましたが、先ほど触れましたように、尊者以外の人物が描かれてしまっています。休所は、用を足すために設けられました。

西中門廊 Ⓕ西北渡殿の西側は、通路を隔ててⓆ西中門廊となりますが、画面では連続したように描かれています。ここにも五人に官人が坐っていますが、本来はもう少し北側に、侍従・諸大夫の座として設けられたのを、ここに描いたのだと思われます。大饗には、この他にも、下級官人の席も設けられましたが、画面にはありませんので、説明は省略させていただきます。

 なお、五人が坐る西中門廊の南端は、地面になっています。ここには『枕草子』に「Ⓡ千貫の井」として登場する井戸があって、京内で有名でした。この井戸を守るために、東三条邸では西の対が設けられなかったとも言われています。

鷹飼と犬飼の登場 宴が進行すると、[イ]犬飼を連れた[ア]鷹飼が、⑫幔門(前々回参照)から南庭に登場します。鷹飼は鷹狩で獲れた⑬雉を木の枝にさし、⑭鷹を左肘に留まらせています。犬飼は、野に隠れる小動物を追い出すために使われる⑮犬を連れています。二人とも天皇の鷹狩に奉仕する蔵人所の下級官人になります。鷹飼は、前々回の場面で描かれていました立作所(料理所)で雉を渡し、ここで酒を勧められ、盃を犬飼に回しました。そして、禄を戴き、退場して行きます。

 二人の登場は大饗での余興であり、退場してからは、さらに舞楽などが行われて、饗宴は続いていくことになります。

 なお、⑮幔門の西側(左側)とⓈ溝とのあいだは土間になるⓉ透廊になっていることが画面で分かります。前々回では、ここは描かれていませんでしたね。この透廊は、南池まで延びています。

この画面の意義 今回は大臣大饗の宴席の様子を中心に見てみました。母屋・廂・渡殿という場所、宴席を囲う屛風・軟障などの屏障具、そして、画面では分からない点も触れましたが、座に敷かれる茵・円座・筵・帖などの座臥具などを違えることで身分差を、さらにそれぞれの座でも上席が決められ序列を視覚化していました。貴族たちが会合する場は、いつでも身分や序列が問題になるのです。それは、後の武士の世でも、あるいは今日でも変わらない光景となりますね。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回扱いました「東三条殿」は、現在でも京都市の中京区押小路通釜座角(京都市営地下鉄烏丸線・地下鉄東西線「烏丸御池駅」から徒歩)に石標があり、その付近が東三条殿の跡地であることを今に伝えています。
 2013年4月に始まり、56回にわたって連載して参りました、倉田実先生の「絵巻で見る 平安時代の暮らし」は、都合により2017年1月から休載期間に入ります。1年後を目処に、また再開の予定ですので、何とぞ引き続きご愛読ください。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第55回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会での右近衛陣の饗」を読み解く

2016年 11月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第55回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会での右近衛陣の饗」を読み解く

場面:御斎会の折、右近衛陣(うこのえのじん)で饗(きょう)が行われているところ
場所:平安京内裏の校書殿(きょうしょでん)東廂・月華門(げっかもん)付近
時節:1月14日?

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建物等:①校書殿 ②月華門 ③安福殿(あんぷくでん) ④紫宸殿南庭 ⑤右近衛陣 ⑥油坏(あぶらつき) ⑦結び灯台 ⑧仮廂 ⑨檜皮葺屋根 ⑩釣り金物 ⑪二枚格子の上部 ⑫下長押 ⑬垂板敷(おちいたじき) ⑭西座 ⑮綱 ⑯半畳(はんじょう) ⑰丸高坏 ⑱机 ⑲溝蓋 ⑳瓶子(へいじ)盃 溝 橋 東土廂 北廂
人物:[ア] 弁か少納言 [イ]次将 [ウ]・[カ]公卿 [エ]親王か [オ]将監(しょうげん) [キ]官人 [ク]近衛府の武官 
着装等:Ⓐ下襲の裾 Ⓑ・Ⓗ太刀 Ⓒ平緒 Ⓓ浅靴 Ⓔ緌(おいかけ)の冠 Ⓕ壷胡簶(つぼやなぐい) Ⓖ弓

はじめに 今回は、内裏の殿舎の一つ、校書殿に置かれた右近衛陣での饗(供応)の様子をみることにします。この饗は、第3940回で扱いました御斎会(ごさいえ)の一環として行われました。御斎会については、これらの回をご参照ください。『年中行事絵巻』で御斎会は巻七に描かれていますが、右近衛陣の饗は、巻六に間違って入っています。

絵巻の場面 最初に、場面を確認しましょう。中心的に描かれているのが南北棟となる①校書殿で、②月華門を挟んだ南側(画面左)の③安福殿とともに④紫宸殿南庭の西側に位置していますので、西殿とも呼ばれました。画面はこの殿舎を東から西方向を眺めた構図になっていますので、描かれているのは、東側になります。校書殿東廂の南半分ほどには、⑤右近衛府用の陣(詰所)が置かれ、ここが饗の会場として使用されたのです。

 描かれた日は、七日間にわたった御斎会の最終日です。大極殿での儀(第39回参照)終わり、参加した公卿や運営に携わった官人たちが内裏に戻ってきて、この東廂で饗が供されました。さらに引き続いて清涼殿での内論議(うちろんぎ。第40回参照)となりますので、ここで食事という次第になったのでしょう。しかし、こんな狭い所で官人たち全員の饗などできませんので、多分に儀式的側面があったことになります。

 時間帯は、どうでしょうか。灯りが描かれていれば、夜の時間でしたね。その灯りは描かれています。室内の板敷に、三本の短い棒を結わえて開いた上に火の灯された⑥油坏(油皿)が見えますね。これは⑦結び灯台と言い、宮中の行事などでよく使用されました。

校書殿 続いて、校書殿について触れておきます。九間二間の母屋には、北と南に二間分の塗籠が作られ、中央五間分が納殿(おさめどの)とされました。ここが蔵となります。
 廂は北以外に付き、西廂には、貴重な書物や文書を扱う校書所(きょうしょどころ)があり、その任にも当たる蔵人所(くろうどどころ)も置かれました。校書殿が文殿(ふどの)とも呼ばれるのは、こうしたことに依っています。蔵人所とは、天皇側近として諸処の用をつとめる役所を言います。この一画には、出納(しゅつのう)や小舎人(こどねり)といった納殿の番をする下級職員が控えていました。

 東廂は、右近衛陣の他に、北側は「孔雀の間」と呼ぶ土間があり、以前にここで孔雀が飼われていたからと言われています。この北にさらに二間分の東廂がありました。

 南廂は、東廂の左から二間目の奥になり絵では壁で隔てられています。柱間が他より狭くなっている左端は、⑧仮廂とされています。

右近衛陣 さらに具体的に東廂の右近衛陣を見ていきましょう。⑨檜皮葺屋根の軒下から下ろされたL字形の⑩釣り金物に、⑪二枚格子の上部が掛けられています。下部は、饗のために取りはずされています。

 室内は、少し変わった構造になっていて、三つの部分に区画されているのが、お分かりでしょうか。左側の三間目から床が一段高くなっているのが見えますね。⑫下長押分の段差が作られているのです。しかし、この段差は奥の母屋との境まで届かず、その手前で低くなっています。これによって、⑬垂板敷(下板敷)と呼ぶ、低くなっている左二間分、母屋に沿って低くなった⑭西座の部分、そして、下長押の上の部分に三層化されるのです。これは、何のためでしょうか。もうお分かりですね。身分によって坐る場所を序列化するためでした(後述)。

 下長押の上方には、⑮綱が垂れているのが描かれています。この綱は、上長押の上を通して西廂に続いていて、そこには鈴が付けられていたと思われます。東廂で綱を引くと、西廂の鈴が鳴り、控えている小舎人などを呼ぶ合図にしたのです。これとは別に、西廂から清涼殿南側にも綱が引かれていて、こちらは鈴の綱と呼ばれていました。東廂の綱も、同じように鈴の綱と呼ばれたと思われます。

饗に着く官人たち それでは序列化された室内の官人たちを確認しましょう。坐る場所は、次のように決められていました。⑬垂板敷に北向きに坐るのは三等官の[ア]弁や少納言、⑭西座はここでは空席ですが、四等官の外記(げき)か史(さかん)、垂板敷に西向きに坐るのは二等官の[イ]近衛の次将(中将・少将)、一段高い所で対座するのが[ウ]公卿で、[エ]親王は東向きに坐りました。四等官制の身分の違いが見事に視覚化されていますね。

 官人たちは皆黒袍の束帯姿で、Ⓐ下襲の裾を引き、Ⓑ帯剣している者もいます。それぞれ⑯半畳に坐り、公卿の前には⑰丸高坏、垂板敷に坐る人の前には⑱机が置かれ、料理が並んでいます。この饗では三献後に薯蕷粥(芋粥。いもがゆ)が供されましたが、まだ一献なのかもしれません。

 画面右側には、⑲溝蓋にいる者の⑳瓶子(酒瓶)から盃に酌を受けた様子が描かれています。これを近衛府の[オ]将監(三等官)から次将が酌を受けているとする説がありますが、どうでしょうか。受けているのは[カ]公卿と思われます。四位や五位となる次将は、継酌(つぎしゃく)と言って、身分の低い者にかわって、王卿に献盃することになっていました。ですから酌を受けているのは、次将ではなく公卿と思われます。しかし、献杯しているのは、次将ではなく、将監のようです。

 盃を持つ公卿の左横は壁のように見えますが、ここには壁はなく、左側と続いていたようです。模写した絵師が描き忘れたのかもしれません。

月華門・安福殿 さらに見ていない画面を確認しましょう。二人の[キ]官人が入ってきた門が②月華門で、南庭東側の日華門と相対しています。門内の溝には橋が架けられています。この官人は右近衛陣の饗にこれから加わるのかもしれません。Ⓒ平緒を下げ、Ⓓ浅靴をはいています。

 月華門の左が③安福殿でした。侍医などが控えた薬殿(くすどの)があり、造酒司(みきのつかさ)と主水司(もんどのつかさ)の者が出向していました。手前に見える所は、東土廂、その奥は北廂になります。

 安福殿の手前にたむろしているのは、近衛府の[ク]武官たちです。Ⓔ緌の冠をかぶり、Ⓕ壷胡簶を背負い、Ⓖ弓を持ち、Ⓗ帯剣しています。

この画面の意義 この画面は、校書殿の東廂を描いています。実は、第12回の賭弓でも校書殿が描かれていましたが、幔で隠されて、わずかしか見えませんでした。しかし、今回の場面では東廂だけとは言え、階層化された室内が描かれて貴重でした。

 饗の様子は、第51回の射遺、第52回の中宮大饗でも扱いましたが、これらとは違った席次となっていました。下長押分だけわざわざ高くする室内の仕組みは、貴族社会に身分規制がいかに徹底していたかが窺われるのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、第54回で予告しておりました、「大臣大饗」の場面です。54回では拝礼の場面でしたが、次回は酒宴の途中の場面を採り上げます。ご一緒に、東三条邸の酒宴の場面に参入しましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

2016年 10月 15日 土曜日 筆者: 倉田 実

第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

場面:大臣大饗が始まるところ
場所:東三条邸の寝殿と南庭
時節:1月4日

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建物:Ⓐ五級の御階 Ⓑ寝殿 Ⓒ西広廂 Ⓓ打出(うちで) Ⓔ東南一間分 Ⓕ御簾 Ⓖ簀子 Ⓗ南廂 Ⓘ畳(親王の座) Ⓙ西透渡殿(すきわたどの) Ⓚ西階
人物:[ア] 角髪(みずら)に結った船差童(ふなさしわらわ) [イ]主人 [ウ]尊者 [エ]公卿 [オ]弁・少納言 [カ]外記・史(げき・さかん) [キ]家礼(けらい) [ク]召使 [ケ]随身
庭上:①立作所(たちつくりどころ) ②俎板 ③・④・⑯二階棚 ⑤鯉 ⑥折敷高坏 ⑦・⑰瓶子(へいじ) ⑧・⑱折敷 ⑨・⑩・⑲・⑳床子 ⑪酒部所(さかべどころ) ⑫土器製の酒樽 ⑬柄杓 ⑭火炉 ⑮大釜 幔(まん) 幔門 荒磯 南池 龍頭の舟 鷁首の舟 棹 楽太鼓 下襲の裾 笏 石帯 

はじめに 今回は、第52回で正月の中宮大饗を読み解きましたので、関連した大臣大饗を採り上げることにしました。これまで大内裏・内裏の様子を見てきましたが、貴族邸が絵巻の舞台になります。

寝殿造図の間違い 突然ですが、原典(原本は焼失。現存は模写本)の寝殿造の建物には、おかしなところがあります。お気づきでしょうか。Ⓐ五級の御階を見てください。位置がおかしくはありませんか。御階はⒷ寝殿南面の中央に位置するのが普通でした。しかし、この図では、御階の東側(右側)が三間、西側(左側)が五間になっていますね。御階の位置がおかしく、もう一間西側に移して描けば、両側の東西は四間ずつになりました。絵師が御階の位置を勘違いしたと思われます。

 『年中行事絵巻』巻十には、この大臣大饗の終わりの段階を描いた絵も載っています。その絵では御階の東側は、四間のように見えます。また、この大臣大饗の場となったとされる、藤原氏の氏の長者が主に伝領した東三条邸の構造とも違っています。東三条邸寝殿は六間四面で、北孫廂とⒸ西広廂(吹き放し)が付き、東西九間、南北五間であったことが明らかにされています。そして、御階は中央の五間目にありました。

 やはり御階の位置は、原典の間違いとなりましょう。この他に、四足の机などに一足描き忘れたりしていますので、模写する際に問題があったのでしょう。

絵巻の場面 それでは、絵巻の場面となる大臣大饗について触れておきます。大臣大饗は、摂関や大臣が私邸に王卿や官人たちを招いて饗宴を催すことを言います。毎年正月四日から五日と、大臣任官の際に行われる二通りがありました。ここは正月の大饗で、来訪の挨拶(拝礼)、酒宴、賜禄、退出と続きますが、この間に、幾つか趣向がありました。今回は、拝礼の場面で、次々回に酒宴の途中の場面を採り上げることにします。

東三条邸の室礼 大饗を催す際には、しかるべき準備や室礼がされました。この画面でも、その一端が分かります。Ⓑ寝殿では南面東端二間分に、Ⓓ打出がされています。本来でしたら、Ⓔ東南一間分にも打出がされますが、画面ではよく分かりません。打出は、女性衣装の袖口や褄(つま)などをⒻ御簾の下からⒼ簀子に押し出して飾りとすることでした。

 また、御階西側のⒽ南廂が一段高くなっています。これは、Ⓘ畳二帖が敷かれているためで、親王の座とされました。これも位置的には、御階と共に西側にもう一間ずらされなければなりません。この奥には、来客たちが坐る座が整えられましたが、詳しいことは次々回に触れることにして、南庭に目を転じましょう。

南庭の準備 南庭にもこの日のための準備がなされます。まず目につくのが、二つの幄舎です。東側にある幄舎は、①立作所で、ここで雉や鯉などを調理します。中央には大きな②俎板を二つ載せた台が置かれています。この左右には、③④二階棚があります。③左側の上段手前には、絵では⑤鯉が描かれていますが、本来は下段に置かれました。奥には二つの⑥折敷高坏が二つ見え、中に蘇(そ。チーズのような食べ物)と甘栗とが壺に入れられているようです。これは、宮中から蘇甘栗使によって、大饗のために贈られました。大饗は公的な儀式であったことを思わせます。④右側の棚の上段手前には、⑦瓶子(酒と酢を入れた)が見え、奥にお盆の役をする⑧折敷が置かれています。折敷は本来、塩などと共に下段に置かれました。俎板台の手前と奥には、包丁人(料理人)用の⑨⑩床子が置かれています。手前の⑨床子には一足が描き忘れられていて、⑩奥のは俎板台の下に置かれているように見えますが、これでは坐れませんね。画面ではカットしましたが、この幄舎の東側には、釜を据えた火炉が置かれました。

 西側の幄舎は、⑪酒部所といって、お酒のお燗をします。右側には、大きな⑫土器製の酒樽に⑬柄杓が添えられています。中央には台(足の一本が描かれていません)に載せた⑭火炉があり、⑮大釜が二つ据えられています。ここでお燗するわけです。左側には⑯二階棚が置かれ、上段には⑰瓶子が四つ置かれているのが見えます。下段には、絵でははっきりしませんが、⑱折敷が置かれていて、これに瓶子や盃を載せて、宴席まで運びます。幄の手前と奥には、酒番をする人用の⑲⑳床子が見えますが、手前に二脚置いたようです。

 この幄舎の西側には、幔が張られ、幔門が作られています。東三条邸では、この幔に沿って左側に釣殿に続く透廊がありましたが、絵巻では省略されています。幔の奥の内側に見えるのはⒿ西透渡殿で、西端にここに上がるためのⓀ西階が見えます。なお、東三条邸には、西の対がなく、特殊な構造になっていますが、これも次々回で触れます。

 荒磯のある南池には、龍頭の舟と鷁首の舟が見えます。棹で漕ぐのは[ア]角髪に結った船差童四人ずつです。鷁首の舟には楽太鼓が見え、船楽が奏せられます。

拝礼の仕方 次は、儀式の次第です。Ⓐ御階手前の東側に立つのが[イ]主人です。一人歩んできたのは、この日の最も高位の人で、[ウ]尊者と言います。下襲の裾を長く引いた二人は揖(ゆう)と言って、笏を両手で持ち、上体を前に傾けて礼をしています。

 この揖以前、三列に整列した時点で、主客は拝礼しています。各列は東が上で、一列目に[エ]公卿(三位以上)、二列目に[オ]弁・少納言(四、五位相当)、三列目に[カ]外記・史(六、七位相当)となります。整列は、二列目の先頭が一列目の三人目の後ろから、三列目は二列目の二人目からとなっていましたが、この絵では三列とも先頭は揃っていますね。

 整列している人たちは束帯姿ですが、黒く描かれた人と、そうでない人に分かれています。袍の色は11世紀にもなると、一位から四位までは限りなく黒くなりますので、この絵でも四位以上が黒で、五位以下の人とわざと区別しているのでしょう。[カ]外記・史たちは下襲の裾を引いていませんが、これは畳んで石帯にはさんでいることになります。

宴席への移動 宴席への移動の仕方にも身分に応じて作法がありました。主人と尊者は御階の前で三譲(さんじょう)といって昇殿を三度譲り会ってから、沓を脱いで並んで上がります。主人はⒾ親王座、尊者は、奥の尊者座に着きます。それに続いて、公卿たちも御階を上がり母屋の座に着きました。

 弁・少納言は、幔の北のⒿ西透渡殿のⓀ西階からに上がり、寝殿西廂の座に着きます。外記・史は一端幔門の外に出て、描かれてはいませんが西北渡殿に上がり、そこの座に着きます。さらに、幔門に待機する束帯姿は、東三条邸に普段から出入りしている [キ]家礼(家来)たちで、拝礼なしで西透渡殿から上がりました。貴族社会では、昇殿の仕方にも身分差があったのでした。なお、幔門の外側にいるのは、昇殿した主人の沓を取る[ク]召使たちのようです。また、南庭にいる武官姿は、[ケ]随身たちです。

この画面の意義 今回は大臣大饗の拝礼の場面を見てみました。寝殿造や整列の仕方などにおかしさがあるとはいえ、拝礼する様子が分かり貴重でした。さらに次々回も大臣大饗を採り上げて、理解を深めたいと思います。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』より、儀式関連についての解説が続きます。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

2016年 9月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏南門の承明門(じょうめいもん)から建礼門(けんれいもん)にかけて
時節:1月2日?

(画像はクリックで拡大)

建物:①承明門 ②建礼門 ③・⑩石の基壇 ④・⑯檜皮葺の屋根 ⑤棟瓦 ⑥・⑨三級の石階 ⑦・⑮築地 ⑧複廊 ⑪瓦屋根 ⑫檜皮葺の廂屋根(出廂) ⑬三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)の妻 ⑭瓦 ⑰仗舎(じょうしゃ) ⑱妻戸 ⑲連子(れんじ) ⑳白壁
人物:[ア] 黒袍束帯姿の右兵衛督 [イ] ・[エ]褐衣(かちえ)姿の舎人(とねり) [ウ] 黒袍束帯姿の左兵衛督  [オ] 黒袍束帯姿の文官 [カ] 童 [キ] 黒袍束帯姿の右衛門督  [ク] 口取りの白張(はくちょう)
着装:Ⓐ緌(おいかけ) Ⓑ券纓(けんえい)の冠 Ⓒ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓓ・Ⓗ弓  Ⓔ靴(かのくつ) Ⓕ平緒(ひらお) Ⓖ壷胡簶 Ⓘ藁靴

はじめに 今回は、第46回で扱いました『年中行事絵巻』の朝覲行幸に出発する場面の続きを採り上げます。朝覲行幸は、天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会することでした。今回の場面は、高倉天皇が紫宸殿を出発するところで、これから平安京の東外、七条末路辺に建てられた父の後白河上皇が住む法住寺南殿に向かいます。この邸第も第17回第18回で扱っていますので、ご参照ください。

内裏の内郭と外郭 最初に平安京内裏の区画について改めて触れておきます。内裏は、二重の障壁によって囲まれていました。外側は外郭といい、築地と六つの門などからなり、内側は内郭といい、回廊と十二の門からなっています。外郭の門を宮門(きゅうもん)、内郭の門を閤門(こうもん)と呼ぶこともあります。これから見ます画面には、内郭南面の正門となる承明門と、外郭南面の正門となる建礼門が描かれているのです。

これらの門を警護したり、開閉したりするのは、衛府と呼ばれる官司の武官たちです。平安時代には六衛府制となり、近衛府・衛門府・兵衛府の三つに整備され、それぞれ左右に分かれました。そして、守備する場所が分担されたのです。内郭は近衛府、外郭は衛門府、中郭は兵衛府、というように担当が決められました。門の開閉は内側からしますので、承明門は近衛府、建礼門は兵衛府が当たります。

これから読み解きます場面は、第46回で見ました内郭を守備する近衛府に続いて、兵衛府と衛門府の分担が表現されていますので、以上のことを念頭に置いて見るようにしてください。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。東から西を眺めた構図になっています。画面右方向(北)には紫宸殿があり、天皇は鳳輦(ほうれん。天皇専用の輿)に乗って、これから南の①承明門・②建礼門をくぐって行くことになります。

 この場面では、人々の様子が二通りになっているのがお分かりですか。画面上部に居並ぶ武官たちは静止していますが、手前の人たちはあわただしく動いていますね。これはどうしたことでしょうか。これも六衛府の役割分担にかかわっているのです。

行幸の行列は、天皇の鳳輦を中心として前後に分かれます。前に位置するのが左の衛府、後ろが右の衛府となります。画面手前の武官は南面する天皇から見て左となりますので、鳳輦の前に位置しようとして動いているのです。画面上部の右の衛府は、行列の後ろですので、鳳輦が通過するのを待っているのです。だから静止しています。この点だけでも、行幸の次第や衛府の役割が分かりますね。

承明門 話は反れますが、京都御所の拝観をしたことがありますか。その拝観ルートで、回廊の門の外側から、内部の紫宸殿南面を見ることができます。その門が、画面右側にある①承明門なのです。拝観ルートは外郭と内郭のあいだを通っているわけです。

 承明門は、③石の基壇の上に建てられます。④檜皮葺の屋根に⑤棟瓦を載せ、五間三戸(第50回参照)になっていますが、この図では、はっきりと分かりません。基壇には、北側に二級、南側に⑥三級の石階が付いています。

 承明門の東西は、中央の⑦築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれる⑧複廊の回廊になっています(第52回参照)。

兵衛たち 次に承明門の南側にいる人々を見てみましょう。二人の黒袍の束帯姿の武官が目立つようにやや大きく描かれています。[ア]西側(画面上部)の人で確認しましょう。Ⓐ緌の付いたⒷ巻纓の冠にⒸ平胡簶を背負ってⒹ弓を持ち、履いているのは縁を赤地で飾ったⒺ靴(第10回参照)です。Ⓕ平緒が下がっていますので、画面には見えませんが太刀を佩いています。典型的な武官の正装ですね。その横に並ぶ人たちとは、あきらかに身分が異なっています。これらの人々は兵衛府の[イ]舎人(下級の武官)で、褐衣姿にⒼ壷胡簶を背負ってⒽ弓を持ち、Ⓘ藁靴になっています。

 それでは、この黒袍の人は誰になるのでしょうか。もうお分かりですね。この場所を守備するのは兵衛府で、西側が右でしたので、この人は長官の[ア]右兵衛督となります。そうしますと、東側で移動している同じ装束の人が[ウ]左兵衛督になります。こちらの[エ]舎人たちは、一緒に移動していますね。

 承明門で建礼門の方を見ている[オ]黒袍の人が見えます。この人は、緌や胡簶が見えませんので文官になり、行幸の進行役になるのでしょうか。階段を駆け上がっている[カ]童は、様子を見に来た衛門督に従う使いでしょう。その他の人たちも行幸の行列が出発しますので、あわただしく往来しています。

建礼門 続いて②建礼門を見ましょう。これも⑨三級の石階のある⑩基壇の上に建っていますが、屋根は違います。⑪瓦屋根で、南側には⑫檜皮葺の廂屋根が付いています。これを出廂と呼びます。屋根の下の妻(側面)は、複雑な飾りとなっています。これは第50回で見ました待賢門の⑬三重虹梁蟇股という構造と同じになりますね。ただし、待賢門は桁(横木)が突き出ていますので、見た目は同じではありません。

 建礼門の東西は⑭瓦を載せた⑮築地になっています。内裏をしっかり区画しているのです。門前の東西にある⑯檜皮葺の小さな建物は、⑰仗舎と呼ぶ左右衛門府の守衛所です。正面に⑱妻戸、その両側の上部は格子状の窓となる⑲連子(檑子とも)、下部は⑳白壁(粉壁とも。ふんぺき)になっています。残り三面も⑳白壁です。

外郭の衛門たち 西の仗舎の横に立つ黒袍の武官は、先の兵衛督と同じ装束ですね。こちらは外郭の外にいますので、[キ]右衛門督になります。左衛門督は、カットした画面左側にいて、すでに騎乗して出発しています。門前には七頭の馬が描かれていますが、五位以上の武官が騎乗することになっていました。馬たちは、何かに驚いたのか、前脚を上げたりして興奮した様子です。それを必死に押さえつけようとしている[ク]口取りたちは、主に白布の狩衣を着た白張と呼ぶ下部たちです。馬のいななきや、叱咤する白張たちの喧騒が聞こえてきそうな門前となっていますね。こうした光景を描くのは『年中行事絵巻』の特徴の一つでした。

 なお、馬具一式を鞍と呼び、当時は様式の違いから唐鞍・大和鞍・移鞍(うつしくら)の三種がありました。ここは移鞍になりますが、その詳細は割愛して、いつか触れることにしたいと思っています。

この画面の意義 今回は第46回の画面の続きでした。二つを並べてみますと、左右の、近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかりますね。それぞれの長官が目立つように描かれていました。そして、役割の違いは、内裏の構造とかかわっていたのでした。絵巻は行幸の次第を描こうとして、おのずと六衛府のことを表現していたのです。衛府の違いも分かるところにこの画面の意義があることになります。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『年中行事絵巻』の中の、東三条殿での「大臣大饗」のシーンを取り上げる予定です。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

2016年 8月 20日 土曜日 筆者: 倉田 実

第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

場面:中宮大饗で饗宴をするところ
場所:平安京内裏の玄輝門の西廊北面
時節:1月2日の夜

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ玄輝門(げんきもん) Ⓑ檜皮葺の屋根 Ⓒ腰屋根 Ⓓ半蔀(はじとみ) Ⓔ回廊 Ⓕ築地 Ⓖ徽安門(きあんもん) Ⓗ四間二面の幄舎 Ⓘ二間二面の幄舎
室礼・装束:①軟障(ぜじょう) ②灯炉(とうろ) ③・⑪打敷 ④・⑤台盤 ⑥・⑦兀子(ごっし) ⑧長床子(ながしょうじ) ⑨御簾 ⑩几帳の裾 ⑫・⑬幔 ⑭大釜 ⑮火炉(かろ) ⑯案(あん) ⑰水注(すいちゅう) ⑱大皿 ⑲机 ⑳山盛りの飯 小皿 笏 太刀 下襲(したがさね)の裾 靴(かのくつ) 浅沓 松明 紐か 松明の束 弓 弦巻 壷胡簶(つぼやなぐい) 尻鞘(しりさや)の太刀 緌(おいかけ)の冠
人物:[ア]・[セ]童 [イ]・[ウ]束帯姿の公卿 [エ]束帯姿の四位の殿上人 [オ]束帯姿の五位の殿上人 [カ]下級官人 [キ]褐衣姿の下人(かちえすがたのしもびと) [ク]額烏帽子の童 [ケ]白張姿の下人 [コ]水干姿 [サ]・[シ]随身  [ス]狩衣姿の男  [ソ]束帯姿の六位か [タ]冠直衣姿 [チ]狩衣姿 [ツ]女性 

絵巻の場面 今回は『年中行事絵巻』の新年恒例の儀式「中宮大饗」の場面を読み解きます。新年二日に群臣たちが、中宮(皇后)と東宮に拝礼して、饗宴と禄を賜わる儀式を「二宮大饗」と呼び、それぞれ「中宮大饗」「東宮大饗」とされました。この場合の「中宮」は、皇后・皇太后・太皇太后などになりますが、多くは皇后か母后のいずれか一人が主催しましました。群臣たちが「中宮」の御所で拝礼した後、内裏内郭(後述)の北面中央の正門となりますⒶ玄輝門(玄暉門・玄亀門とも)北側に移動して、その西の回廊などで饗宴を行うのが、今回の場面になります。したがって、絵巻の画面は北から南を眺めた構図になり、右が西、左が東になります。時間は、松明が描かれていますので、夜になっていますね。なお、東宮大饗は中宮大饗の後、玄輝門の東回廊で行われます。

玄輝門 最初にⒶ玄輝門について見ておきましょう。この門については、第42回で扱っていて、そこでは南側が描かれていました。今回は、北側となります。Ⓑ檜皮葺の屋根から分かりますように三間の門になり、通行できるのは中央一間分で、絵では[ア]童が追い出されて手前に走って来る所になります。その両側はⒸ腰屋根のつく部屋が張り出しています。格子状になっているのは、Ⓓ半蔀です。ここは内裏中郭(内側の囲いと外側の囲いの間)を守る左右兵衛府の佐(すけ。次官)の宿所に充てられます。反対側の南面は、内郭(内側の囲いの中)を守る近衛府の次将や将監(三等官)の宿所になります。

回廊と徽安門 門の東西は複廊のⒺ回廊になり、中央のⒻ築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれます。画面上部が外側になり、右上に見える扉は、築地に開けられたⒼ徽安門と呼ぶ玄輝門の掖門(えきもん。脇の小門)です。玄輝門東側にも、徽安門に対して安喜門と呼ぶ掖門がありました。それぞれ一間分の小門です。

宴席の室礼 それでは饗宴の室礼を見てみましょう。大和絵が描かれた①軟障が回廊中央のⒻ築地に沿って張り巡らされ、宴席としています。各軟障の間には、照明のために垂木(たるき)に懸けて下げられた②灯炉が見えます。③打敷(敷物)の上にはテーブルとなる④⑤台盤と腰掛けとなる⑥⑦兀子や⑧長床子が置かれています。宴席の左方の部屋からは、⑨御簾が下ろされ、⑩几帳の裾が押し出されています。ここには中宮の代わりとして内侍が控え、宴の終わりに官人たちに禄を下賜しました。御簾の右方に方形の⑪打敷が置かれているのは、ここで戴くためです。

 庭にも大饗のための用意がされています。玄輝門の右手前には⑫幔が引かれ、Ⓗ四間二面の幄舎(後述)の右側にも⑬幔が張られました。玄輝門西側の庭の一画が区画されたのです。この幄舎に並んで、Ⓘ二間二面の幄舎も張られています。ここは酒部所(さかべどころ)で、お燗するための⑭大釜が見えますね。釜は⑮火炉と呼ぶ囲炉裏のようなものに据えられています。その右方の⑯案(台)の上には、酒瓶となる⑰水注や⑱大皿などが並んでいます。

宴席の席次 貴族社会は身分社会ですので、宴席でも席次の違いが視覚化されていました。身分によって座が違うのです。お分かりでしょうか。衣装に違いはありませんが、台盤と、腰掛けが違っていますね。[イ]左端の人の④台盤は小さめで、⑥兀子は原画では坐る面に朱色の文様があります。その右横には長い⑤台盤があり、手前に四脚見える⑦兀子は彩色されていません。さらにその右横は、台盤は同じですが、⑧長床子になっています。ここだけで、三ランクあることが分かりますね。左端(東)が上座で、兀子は参議(宰相)以上が使用しますので、これに坐るのは三位以上の[イ] [ウ]公卿(上達部)たち、長床子は[エ]四位の殿上人となります。ただし、四位はⒼ徽安門西側に坐ったようですが、絵ではそこに宴席は描かれていません。どうしたことでしょうか。さらに宴席は、先のⒽ四間二面の幄舎も使用されました。⑲机が六脚ほど並べられ、ここには[オ]五位の殿上人が坐ることになっていました。回廊に坐るのと随分差がありますね。なお、宴は進行しており、⑤台盤の上には、⑳山盛りの飯や小皿が並べられています。

参集した人々 続いて人々の様子を見ていきましょう。[イ] [ウ] [エ] [オ]宴席の官人たちは束帯姿で、笏を持ち、帯剣し、下襲の裾を引き、靴を履き、向かい合って坐っています。唱平(しょうへい)といって、杯を勧めて相手の長寿を祝うのが作法でした。

 庭の中央には浅沓を履いた[カ]下級官人や裸足で[キ]褐衣姿の下人たちが松明を持って照明しています。[ク]額烏帽子の童が、新しい松明を手渡していますね。右手の下に見えるのは、束ねていた紐でしょうか。松明は長く持ちませんので、玄輝門手前には、[ケ]白張姿(白布の狩衣)の男に連れられて、[コ]水干姿の男が松明の束を背負って補充しに来る様子が描かれています。リアルですね。

 ⑫幔の右側にいるのは[サ]随身たちです。弓を持ち、弦巻をさげ、壷胡簶を背負い、太刀は尻鞘に入れられ、緌のついた冠で、武官姿です。そのうちの[シ]一人が走っていますが、これは、中に入ろうとした[ス]狩衣姿の男や[セ]童を幔の外に追い払っている様子でしょう。

 幔の左側にいる人々は見物人たちです。様々な姿で興味深そうに覗いていたり、見に来たりしています。その中に、[ソ]束帯姿が見えますが、大饗に参加できない六位になるでしょうか。この他に[タ]冠直衣姿や[チ]狩衣姿、あるいは[ツ]女性や、割愛した部分には女童たちも描かれています。原画では様々に色分けされていますので、是非ご覧になってください。

貴族の行事と京の住人 画面左側に描かれた人々は、下級官人や京の住人たちになります。内裏には内郭までは入れなかったでしょうが、中郭までは自由に通行できたようです。現在の皇居や御所の警備の厳しさでは考えられないほど、当時の内裏は開放的だったのです。だから、何かの儀式や行事があると、見物に訪れたのです。このことによって『年中行事絵巻』は、貴族の行事を描きながら、多様な京の住人たちの様子が描かれることとなったわけです。「中宮大饗」一つを取っても、こんな人々の様子まで生き生きと描かれるところに、この絵巻の面白さと価値があるのです。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

2016年 7月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

場面:射遺(いのこし)をするところ
場所:平安京内裏南面の建礼門の門前
時節:1月18日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ建礼門(けんれいもん)、Ⓑ幄舎(あくしゃ)、Ⓒ三級の石階、Ⓓ基壇、Ⓔ檜皮葺の廂屋根、Ⓕ壁、Ⓖ扉、Ⓗ瓦、Ⓘ築地、Ⓙ溝、Ⓚ仗舎(じょうしゃ)、Ⓛ妻戸、Ⓜ連子(れんじ)、Ⓝ白壁、Ⓞ檜皮葺、Ⓟ棟瓦、Ⓠ幔、Ⓡ幕、
室礼・装束:①筵(むしろ)、②半畳(はんじょう)、③台盤、④下襲の裾、⑤石帯、⑥・⑬矢、⑦鼓(こ)、⑧鉦鼓(しょうこ)、⑨丸い的(まと)、⑩候(こう)、⑪太刀、⑫弓、⑭弦巻(つるまき)、⑮鞆(とも)、⑯鞭(むち)、⑰烏帽子、⑱浅靴、⑲足駄
人物:[ア]・[イ]殿上人か、[ウ]・[エ]・[オ] 公卿か、[カ]・[キ]・[ク] 弁と少納言か、[ケ]・ [コ]射手、[サ][シ]衛府の下級官人

射遺とは 前回は射遺の為に公卿が参内する場面を扱いましたので、今回は射遺そのものを見ることにします。射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった六衛府の武官が、改めて射る儀式でした。いずれも、内裏の南正門となる建礼門の南面で行われました。したがって、射礼と同じ次第になりますが、それよりは簡略化されていました。公卿の中から参議一人だけが遣わされて儀式に当たり、観覧・饗饌に使用される幄舎(テント)は諸大夫(四位・五位の官人)用が撤去され、左右の陣(陣営)も置かれませんでした。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。南から北を見る構図になっていて、画面右に見えるのがⒶ建礼門です。その奥の内側にはさらに承明門があって紫宸殿の南庭になりますね。

 建礼門の門前は、広くとられて大庭(おおば)と言われることもあります。ここにⒷ幄舎が置かれ、西側が弓場(ゆば)として使用されました。建礼門の門前が儀式の場とされたのです。

建礼門 さらに建礼門を詳しく見ましょう。建礼門はⒸ三級の石階のあるⒹ基壇の上に建っています。見えている屋根はⒺ檜皮葺の廂屋根で、この奥に瓦葺の屋根がありました。大きさは、右端をカットしましましたが、原画では五間三戸に描かれています。線描では、左端のⒻ壁とⒼ扉が二つ見えますね。

 建礼門の両側はⒽ瓦を載せた高いⒾ築地になっていて内裏を区画しています。手前の地面に見えるのは、雨水を流すⒿ溝です。築地に直角に建てられているのは、内裏の外側を守備する右衛門府の守衛所となるⓀ仗舎です。門の右側(東側)には、左衛門府用のものがありました。共に内側中央部がⓁ妻戸になっていて、その両側の上部は格子状の窓となるⓂ連子(檑子とも)になっています。ただし、北側は絵師が描き忘れたのか、格子状になっていませんね。これら以外は、Ⓝ白壁となります。屋根はⓄ檜皮葺で、Ⓟ棟瓦が載っています。なお、建礼門については、次回にも扱う予定でいますので、再度触れたいと思っています。

幄舎 続いてⒷ幄舎の様子です。

 回りをⓆ幔で囲った、七間もある大きな幄舎が立てられています。Ⓡ幕が結び上げられていますので、内部の観覧席を兼ねた宴席の様子が分かります。地面に①筵を敷き、②半畳を重ねて、広い③台盤が置かれています。その上には、料理が並べられていて、すでに宴は始まっています。弓を射る儀式ですが、内裏で行われる場合は、饗饌(きょうせん)が欠かせないのです。

 貴族は身分社会ですので、この場でも席次が決められていました。前日の射礼の席次では、西側(左側)が上座とされました。席は西三間で東西に分かれ、西側の南面する上席に親王、向かい合って北面するのが公卿とされました。その東側の三間分には衛府の佐(すけ。二等官)が北、太政官の弁と少納言(三等官)が南に坐ります。さらに、右端一間分には、外記(げき)・史(さかん。共に四等官)が西面しました。

 しかし、この射遺の場面では、そのようには坐っていないようです。何よりも北側に坐っている[ア][イ]二人の場所は、衛府の佐の席になりますが、武官姿ではありません。殿上人のようです。射遺は略儀ですので、射礼とは変わっていたのかもしれません。なお、この二人の西側の上席は空席になっていますので、親王の臨席がなかったことになるようです。

 幄舎に坐る人たちは、④下襲の裾を引いた束帯姿ですが、この日らしい物を身に付けています。画面では見にくいのですが、⑤石帯に⑥矢を挟んでいるのです。これで射遺に参加していることを示しているわけです。

 左側の[ウ][エ][オ]三人は公卿のようで、横向きに視線を外に向けています。後で確認しますが、見物人たちが追い払われているのを見ているのかもしれません。北側の[ア][イ] と手前の[カ] [キ][ク]五人は、何やら話に興じているようにも見えます。絵巻はリアルにこの場を表現していますね。

弓場(ゆば) 次に弓を射る場、弓場を見ましょう。画面下に端だけ見えるのは、太鼓の類の、⑦鼓と⑧鉦鼓で、合図として鳴らされます。古代では太鼓の類は、戦乱の際の合図となりますので、「軍器」とされていました。

 射る場所は決められていて、射手は牛皮などを敷いた射席(いむしろ)に立ちますが、原画では描かれていません。射席から36歩の所に⑨丸い的を掛けた⑩候が置かれます。20㍍を超えるほどの距離になりますね。的は木製で大きさは二尺五寸(75㌢位)と定められ、候は木枠に鹿皮が張られました。線描では省略しましたが、候の後ろ3㍍ほどの所に山形(やまがた)と呼ばれた流れ矢を防ぐものが置かれました。これらはそれぞれ南北に二か所ずつ設けられ、六衛府に割り当てられました。

射手 射手は、北側が左近衛・右近衛・左兵衛、南側が右兵衛・左衛門・右衛門の順になり、それぞれ番(つが)われて射っていました。この画面では、どの衛府になるのかは分かりません。北側の[ケ]射手は腕がいいようで、一本目の矢が的の中央を射貫いていますね。二本目の矢は弓につがえられています。南側の[コ]射手は、まさに射ようとするところで、もう一本の矢を保持しています。

 射手は四等官の将漕(しょうそう)・志(さかん)たちになります。射礼や射遺では、⑪太刀を佩き、胡簶は背負わずに、⑫弓と⑬矢だけを持ったようです。腰には予備の弓弦を巻いた⑭弦巻が下げられます。左腕には、弦が手首を打つのを防ぐための革製の⑮鞆が巻かれています。

見物人たち 画面左上には、⑯鞭でもって見物人たちを追い払っている[サ][シ]衛府の下級官人が描かれています。物見高い京の住人たちは、儀式などがあれば、見物に訪れたのです。内裏の中は無理ですが、大内裏には自由に通行できたからです。ここは流れ矢の危険もあって追い立てているのでしょう。あわてた見物人たちは、逃げ惑っていて、地面にはその際に落ちた⑰烏帽子や、脱げた⑱浅靴や⑲足駄が転がっています。こんな光景をわざわざ描くのが、『年中行事絵巻』の面白さでした。

絵巻の意義 射遺は射手たちに禄が与えられて終了となります。そして、その後に内裏内の弓場において賭弓(のりゆみ)が行われました。『年中行事絵巻』はこの儀式も描いていて、第12回ですでに見ています。弓矢は、古代において最も重要な武器でした。ですから、弓を射ることは武力を誇示することであり、重要な儀式となったのです。現存する『年中行事絵巻』には射礼はありませんが、射遺から賭弓に続く一日の儀式が、こうして描かれていることは、とても意義深いのです。

※2017年2月22日に一部、修正を行いました。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
*本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』を取り上げます。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第50回『年中行事絵巻』巻四「射遺の参内」を読み解く

2016年 6月 18日 土曜日 筆者: 倉田 実

第50回『年中行事絵巻』巻四「射遺の参内」を読み解く

場面:射遺(いのこし)のために公卿が参内するところ
場所:平安京大内裏東側の待賢門(たいけんもん)付近
時節:1月18日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ待賢門、Ⓑ柱、Ⓒ・Ⓜ白壁、Ⓓ戸、Ⓔ三級の石階、Ⓕ基壇、Ⓖ瓦葺き屋根、Ⓗ鴟尾(しび)、Ⓘ妻、Ⓙ三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)、Ⓚ瓦、Ⓛ・Ⓞ・Ⓡ築地(ついじ)、Ⓝ大膳職(だいぜんしき)、Ⓟ四脚門(よつあしもん)、Ⓠ東雅院(とうがいん)、Ⓢ土門
地上・衣装:①大宮大路、②中御門(なかみかど)大路、③溝、④高欄、⑤橋、⑥物見、⑦檳榔毛車(びろうげのくるま)、⑧文(もん)の車、⑨牛、⑩轅(ながえ)、⑪飾り紐の付いた軛(くびき)、⑫榻(しじ)、⑬馬、⑭立烏帽子(たてえぼし)、⑮端折傘(つまおりがさ)を入れた袋、⑯置道(おきみち)、⑰・⑳太刀、⑱壷胡簶、⑲弓、桶、荷、揉(なえ)烏帽子、
人物: [ア] [サ]童、[イ]口取り、[ウ]牛飼童(うしかいわらわ)、[エ]傘持ち、[オ]上卿(しょうけい)の参議、[カ]随身、[キ]矢取り、[ク]沓(くつ)持ち、[ケ] 布衣小袴(ほいこばかま)姿の男、[コ] 壷装束の女性

絵巻の場面 今回と次回で『年中行事絵巻』の「射遺」を読み解くことにします。今回は、射遺のために公卿が参内する様子を描いた「射遺の参内」を見ます。

 射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった武官が、改めて射る儀式です。実際に射る場面は次回になりますので、射遺や射礼の説明はそこですることにして、早速この場面を見ていくことにしましょう。

絵巻の場所 まず場所を確認します。画面中央に見える立派な門は、大内裏の東側に設けられた、宮城門の一つのⒶ待賢門になります。画面は南方向から描いていて、門の左側が大内裏の内側、右が外側になります。大内裏の外側(東側)は、南北に通る①大宮大路に面します。待賢門の東方向(画面右方向)は②中御門大路になりますので、この門を中御門とも言いました。

待賢門 それでは、待賢門を詳しく見てみましょう。門の大きさは、何間で幾つ戸(扉)があるかで表されます。待賢門はどうでしょうか。何間かは、右側のⒷ柱(原画では朱塗)を数えればいいわけでしたね。六本ありますので、五間の門となります。全面が戸でないことは、原画でⒸ白壁になっている所が北側に一間分見え、南側も同じことですので、Ⓓ戸は三つになります。そうしますと、五間三戸になり、大きな門と言えます。これだけの大きさですので、Ⓔ三級の石階が付いた、頑丈な石のⒻ基壇の上に建てられています。

 屋根はⒼ瓦葺きでⒽ鴟尾が置かれ、Ⓘ妻(側面)は、装飾的になっていて立派な門であることも分かります。屋根の下の妻は、Ⓙ三重虹梁蟇股式という複雑な構造になっています。虹梁は、化粧をした梁のことで、これが三重になっていて、その間に蟇股がある構造を言います。蟇股は上下二つの横木(ここでは虹梁)の間に置かれた部材で、上部の横木を受け、蛙が股を開いた形になりますので、こう言います。装飾用にもなりますね。画面では分かりにくいのですが、『信貴山縁起』「尼公の巻」にも待賢門が描かれていて、それを見ますと、この構造がよく分かります。ぜひご覧になってください。なお、待賢門は、『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸」、『平治物語絵詞』「信西巻」にも描かれています。

待賢門大路側 今度は、門の右側の大路側を見ましょう。Ⓔ三級の石階を上がろうとしている[ア]童の後ろ側は、雨水を流す③溝に架けられた、④高欄の付いた⑤橋になります。門の南北はⓀ瓦を載せたⓁ築地で、Ⓜ白壁で描かれています。

 築地の前には、牛車が描かれていますが、車種は二つになるのがお分かりでしょうか。右端の車には、車輪の上に⑥物見(窓)が見えていますが、左の二両には、ありませんね。物見のないのが屋形を檳榔という植物で編んだ⑦檳榔毛車、あるのが網代(あじろ)で覆った網代車の一種となる⑧文の車で、線描では省略しましたが、花の文様が描かれています。檳榔毛車が高い身分の人の乗る高級車とすれば、文の車は殿上人が常用する普及車と言えましょう。牛車も身分によって、車種が違っていたのです。今は、降車していますので、⑨牛は放たれて、長く伸びた⑩轅の先端の⑪飾り紐の付いた軛を、乗降時の踏み台となる⑫榻に置いています。

 牛車の回りでたむろしているのは、車に従う供人たちです。また、⑬馬を引く役の[イ]口取りもいます。これらの人たちの中で一人だけ姿が違う者がいますね。そう、牛を引いている者は⑭立烏帽子をかぶっていません。これは、牛を扱う[ウ]牛飼童と言い、成人しても童姿で狩衣を着ました。

 Ⓜ白壁際も見てみましょう。ここには、長い袋のような物を持っている人が何にもいますが、これは何でしょうか。本シリーズをご覧いただいている方は、見たことがありますね。これは長い柄の⑮端折傘を入れた袋で、第9回で扱いました。供人の[エ]傘持ちたちの姿が描かれているのです。

 さて、なぜここに牛車が置かれ、供人たちが待機しているのでしょう。それは、大内裏の中には、特別な勅許(牛車宣旨。ぎっしゃのせんじ)がないと牛車で通ることができなかったからです。ですから、ここで降車して大内裏に入ったのです。宣旨があって、乗車したまま門を通過する場合、ひどく揺れることは請け合いで、『枕草子』「正月一日は」段に、その様子が記されています。大臣や后妃などの高い身分の者で、輦車宣旨(てぐるまのせんじ)を受けている場合は、人力で引く輦車に乗り換えて、内裏の春華門(しゅんかもん)の外側まで行くことができました。

大内裏の内側 続いて、大内裏の内側に目を転じましょう。門から西に、少し高く、長く伸びた道が作られていますね。これを⑯置道と言い、勅使や上卿(しょうけい。儀式などを指揮する中納言以上の公卿。時に参議の場合も)だけが通ることができました。そうしますと、⑰帯剣した束帯姿の人は、射遺の[オ]上卿となる参議になります。

 上卿の後ろに従う者たちは置道を避けて両側を歩くことになります。すぐ後ろの二人は[カ]随身で、⑱壷胡簶を背負い、⑲弓を持ち、⑳帯剣しています。その後ろの二人は、[キ]矢取りと[ク]沓持ち役のようです。

 置道の手前に見える建物は、饗膳などを司るⓃ大膳職と呼ぶ役所です。Ⓞ築地に、北門となるⓅ四脚門(二本の主柱にそれぞれ二本の副柱がある門)が描かれています。

 置道の向こう側は、Ⓠ東雅院で、西雅院と並んでいました。Ⓡ築地と、その中にあけたⓈ土門が見えます。雅院は以前には前坊(東前坊・西前坊)と呼ばれ、平安時代初期には、東宮の居所となっていて、妃もここに局を置くことがありました。

 東雅院の前には、桶や荷を担いで揉烏帽子をかぶった[ケ]布衣小袴姿の男に犬が吠えかかっています。後ろの、頭に荷を載せた[コ]壷装束の女性は、連れ合いでしょうか、その様子を指差して笑っているようです。犬は男を怪しいと見たのでしょう。[サ]童二人が、犬を追い掛けてはしゃいでいますね。

画面の構図 射遺は、連続式絵巻で描かれています。画面右側には牛車や人々の待機する様子が描かれて、待賢門を入ると置道が左方向に長く続いています。この長い置道によって、絵巻を見る人にも、そこを歩ませ、射遺への興味をかきたてているという構図と言えます。今回は、これくらいにして、次回で置道の先で行われる射遺をみることにしましょう。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、今回取り上げた「置道」の先にある、射遺のシーンへと続きます。どうぞお楽しみに。

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全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第49回 『年中行事絵巻』巻十「女踏歌」を読み解く

2016年 5月 21日 土曜日 筆者: 倉田 実

第49回 『年中行事絵巻』巻十「女踏歌」を読み解く

場面:女踏歌(おんなとうか)で妓女が舞うところ
場所:平安京内裏の紫宸殿南庭
時節:1月16日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ御階 Ⓑ紫宸殿 Ⓒ南庭 Ⓓ左近の桜 Ⓔ右近の橘 Ⓕ高欄 Ⓖ南簀子 Ⓗ半畳 Ⓘ筵道
装束:①笏 ②緌の冠 ③太刀 ④櫛 ⑤扇 ⑥畳紙
人物:[ア]束帯姿の文官 [イ]近衛府の武官 [ウ][エ]唐装束の舞妓 [オ]舞の師か

絵巻の場面 前回に続いて、女舞の様子を見ることにします。今回は、女踏歌といい、正月十六日の「踏歌節会(せちえ)」として行われました。

 踏歌とは、集団で大地を踏み鳴らして歌い舞う儀礼を言います。中国から伝えられて、日本の歌垣(うたがき)という男女が集団で歌を詠み交わし、舞踏などをして楽しんだ行事と結びついたものとされています。奈良時代から行われ、当初は男女の別がありませんでしたが、平安時代になって女踏歌だけになり、さらに十四日に男踏歌もされるようになりました。しかし、男踏歌は十世紀後半に廃絶し、以後は女踏歌だけになっています。

 なお、十一世紀初頭に成立した『源氏物語』に男踏歌の様子が語られていますが、それは物語が十世紀初頭あたりに時代設定をしたためで、紫式部は何らかの記録によって語っていることになります。

女踏歌の場と時間 最初に、女踏歌の場と時間を確認しましょう。画面には十八級のⒶ御階が描かれていますので、Ⓑ紫宸殿のⒸ南庭で行われたことが分かりますね。画面右には、Ⓓ左近の桜、左側はⒺ右近の橘でした。これは南面する天皇から見ての左右でしたね。紫宸殿はⒻ高欄からⒼ南簀子までしか描かれていませんが、この奥には天皇が出御(しゅつぎょ)していて、王卿(おうけい。親王や公卿)が控えました。

 紫宸殿の床下にはⒽ半畳が敷かれ、東側には儀式の進行役となる二人の[ア]束帯姿の文官が①笏を手にして坐っています。この二人は弁官・少納言・内記(中務省の官人)などの身分で、西側は蔵人所の官人が坐りました。桜の木の下にいるのは、②緌の冠で③帯剣していますので、[イ]近衛府の下級武官でしょう。

 この場面の時間は、松明などが描かれていませんので昼間と思われるかもしれません。しかし、当時の記録を調べてみますと、平安時代初期には夕刻ころに終わっていますが、中期以降は、夕刻から始まって照明が用意されていますので、昼間ではないことになります。篝火や松明などは、この画面で描き忘れたのでしょうか。

女踏歌の次第 続いて儀式の次第を確認しましょう。天皇の紫宸殿出御から始まります。王卿が参入して昇殿し、御膳が供されて、三献となります。一献で国栖(くず。大和国吉野群国栖地方の住人)が承明門(じょうめいもん)の外で歌笛を奏します。二献で御酒勅使(みきのちょくし)が天皇から御酒を賜った旨を伝え、三献で雅楽寮の楽人が承明門内側で立楽(立ったままでの奏楽)を奏します。そして、舞妓による踏歌となります。

舞妓たち それでは踏歌の様子を見てみましょう。[ウ]舞妓たちは、前回と同じく内教坊の妓女たちのほか、中宮や東宮に属する女蔵人(にょくろうど。下臈の女官)などが当たりました。女踏歌では四十人が選ばれたようです。舞用の唐装束で、髪上げして④櫛を挿し、右手に⑤扇、左手には薄様を重ねた⑥畳紙をかざしています。舞の列から外れている二人の女性は、[オ]舞の師と思われます。

 舞妓たちは、控室となった校書殿(きょうしょでん)の西側を通って、南端の月華門(げっかもん)から南庭に入ります。今回の線描では割愛しましたが、原典ではこの参入の様子が描かれています。南庭からは、いったん南行してから向きを変えて北行し、御階の前に到りました。画面で上半身だけ描かれる[エ]舞妓は、南行しているところになります。

 画面には、「口」の字形のⒾ筵道が敷かれ、その上を舞妓たちが舞いながら右回りに歩を進めています。『中右記』と呼ばれる平安時代後期の日記には、その様子を「厳霜ヲ踏ムガゴトシ」と記しています。着実に地を踏みしめている様子が彷彿としますね。

 踏歌は、三周するのが作法でしたので、画面を見るかぎり、そのまま回り続けたように見えます。しかし、『江家次第(ごうけしだい)』という有職故実書には、舞妓たちは二列に分かれて進み、大輪を描くように一周した後に、再び分かれて南行してから北行して回ると記されています。図は、これとは違った回り方になるようです。

 舞が終わりますと舞妓たちは校書殿東側に整列し、歌を唱えました。この折の歌詞は、天皇在位を延ばし、豊年を祈る漢詩で、音読しました。その合間に「万年阿良礼(よろずよあられ)」という囃しを入れたので、踏歌のことを「あられはしり」とも言いました。

 唱歌してから南庭を退出し、中宮のもとで饗応され、禄をもらいました。

 早くに廃絶した男踏歌は、宮中での踏歌が終わってから、京内の主要な邸宅を回りましたが、女踏歌ではそれがありません。ここが大きな違いとなっています。

画面の意義 最後に画面の意義について触れておきます。正月には三節(みおり)といって、「元日節会」「白馬節会(あおうまのせちえ)」「踏歌節会」という公式の饗宴が行なわれました。踏歌節会は重要な儀礼であったわけです。ですから、女踏歌がこうして描かれたのは、他に例がないので、きわめて貴重なのです。

 なお、踏歌節会は断続的に明治初期まで続きました。現在では、宮中のほかに奈良の興福寺、名古屋の熱田神宮、大阪の住吉大社などでも行われていますので、往時を偲ぶことができます。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第48回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の妓女の舞」を読み解く

2016年 4月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第48回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の妓女の舞」を読み解く

場面:内宴(ないえん)で妓女が舞うところ
場所:平安京内裏の仁寿殿(じじゅうでん)から綾綺殿(りょうきでん)にかけて
時節:1月21日ごろの夜

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建物:Ⓐ・Ⓘ・Ⓚ階 Ⓑ仁寿殿 Ⓒ片階 Ⓓ紫宸殿北面 Ⓔ仁寿殿東庭 Ⓕ舞台 Ⓖ東北軒廊(こんろう) Ⓗ綾綺殿 Ⓙ仮橋 Ⓛ上長押 Ⓜ綾綺殿の額 Ⓝ西廂 Ⓞ・Ⓟ壁 Ⓠ北廂 Ⓡ東廂 Ⓢ母屋 Ⓣ・Ⓤ妻戸 Ⓥ東簀子 Ⓦ遣戸 Ⓧ左青璅門(ひだりせいさもん)の額 Ⓨ陣座(じんのざ)の北戸 Ⓩ恭礼門(きょうれいもん)の額
室礼・装束:①・下ろされた御簾 ②松明 ③柳の小枝 ④挿頭(かざし)の花を付けた天冠 ⑤幔(まん) ⑥平胡簶(ひらやなぐい) ⑦弓 ⑧下襲の裾(したがさねのきょ) ⑨緌(おいかけ)の冠 ⑩笏 ⑪・琵琶 ⑫・箏の琴 ⑬笙(しょう) ⑭篳篥(ひちりき) ⑮横笛 ⑯三ノ鼓(さんのこ) ⑰鞨鼓(かっこ) ⑱・方磬(ほうけい) ⑲鉦鼓(しょうこ) ⑳楽太鼓 軟障(ぜじょう) 挿櫛(さしぐし) 帽額 巻き上げた御簾 畳 円鏡 巻紙 扇 櫛箱か 屏風 裳の裾
人物:[ア]束帯姿の官人 [イ]・[ク]・[ケ] 内教坊(ないきょうぼう)の舞妓 [ウ]束帯姿の文人 [エ]出居(でい)の武官 [オ]近衛府の目(さかん)の楽人 [カ]黒袍の束帯姿の楽人 [キ]内教坊の女楽人 [コ]介添えの女房 [サ][セ]黒袍の束帯姿の殿上人  [シ][ス]烏帽子狩衣姿の従者

絵巻の場面 今回は第47回で見ました『年中行事絵巻』の「内宴」の様子をさらに読み解くことにします。「内宴」については、先の回をご参照ください。ここで採り上げますのは、その回で見ました「献詩披講」の直前に行われた女舞の舞楽が催される場面です。

 場所と時間を確認しておきましょう。画面右側が西、上部が南になります。右手前の七級のⒶ階に続くのが、①御簾の下ろされたⒷ仁寿殿、右上のⒸ片階に続くのがⒹ紫宸殿北面でした。この建物のことも第47回をご参照ください。画面中央がⒺ仁寿殿東庭で、設置されたⒻ舞台の上で舞楽が行われています。その上部は紫宸殿のⒼ東北軒廊になります。画面左側は内宴や相撲(すまい)などに使用されたⒽ綾綺殿です。時間帯はお分かりですね。②松明を持った[ア]束帯姿の官人などがいますので、夜になっています。

女舞の舞楽 それでは女舞の様子から具体的に見ていきましょう。女舞は、内教坊と呼ぶ教習所に属する妓女(ぎじょ)が当たりました。舞台の四隅にあるのは③柳の小枝で、これは柳花苑(りゅうかえん)という曲を舞う舞台であることを示しています。この曲は『信西古楽図(しんぜいこがくず)』という古代舞楽の図絵には四人の女舞となっていますが、この内宴では六人の[イ]舞妓が舞っています。衣装は、舞楽で着用される唐装束で、髪上げして④挿頭の花を付けた天冠をかぶっています。

 舞台の西側を除く三方には、⑤幔と呼ぶ幕が引かれ、北と南側は、間隔を置いて並置されていて門のようになりますので、幔門と呼ばれます。東側は、幔門になっていませんね。舞台には五級のⒾ階が二つあってⒿ仮橋に続き、さらに四級のⓀ階で綾綺殿に昇降できるようにするためです。舞妓の通り道になります。綾綺殿に上がった所のⓁ上長押にあるのは、Ⓜ綾綺殿の額です。舞台正面は幔のない西側になります。

舞姿を見る者 この舞台正面から舞を見ている人は何人描かれているでしょうか。Ⓓ紫宸殿北面に六人いるのは分かりますね。奥の四人は献詩披講に携わる[ウ]文人、⑥平胡簶や⑦弓を持った二人は、[エ]出居(役務にあたる者)の武官になります。その右横には、宴席にいる公卿たちの⑧下襲の裾が見えますので、振り向いて見ている者もいることでしょう。この他に、もう一人いるのですが、お分かりですか。Ⓑ仁寿殿の下ろされた①御簾の、その記号の下を見てください。御簾の間が横に裂けていますね。その内側で、添えられた几帳の上から一人覗いているのです。線描では分かりませんが、衣装の色からして天皇が覗いていると思われます。

楽人たち 舞楽には楽人たちが付きます。どこにいるでしょうか。舞台の左下と手前左側の⑤幔の裏手にいるのが楽人たちです。⑨緌の冠をしている人たちは、[オ]近衛府の目(四等官)の楽人で、[カ]黒袍の束帯姿の楽人は、文官になります。

 楽人たちの前には、楽器があるのが分かりますか。Ⓙ仮橋の手前の人から見ていきましょう。最初の人は手に板のような物を保持していますので、これは⑩笏を半分に割って打ち合わす笏拍子担当です。次の人は⑪琵琶で、ここから弦楽器になります。三番目の人はよく分かりませんが、楽器編成からして⑫箏の琴と思われます。四番目の人から管楽器になり、⑬笙、⑭篳篥が二人、⑮横笛一人となっています。角の人もよく分かりませんが、⑯三ノ鼓(鼓の一種)で、ここから右は打楽器になり、⑰鞨鼓(同)、⑱方磬(小鉄板を上下二段に十六枚ならべて槌で打つ)、⑲鉦鼓(吊るした銅製の皿形を桴で打つ)、⑳楽太鼓(釣太鼓とも)となっています。

 この他にⒽ綾綺殿の内部のⓃ西廂にも[キ]女楽人がいますね。Ⓞ・Ⓟ壁に沿って唐絵の軟障が廻らされた室内に、上部から琵琶・箏の琴・方磬の順に担当する女楽人が座しています。この女楽人たちは、軟障を背にした[ク]舞妓たちと違って、天冠をかぶらず、挿櫛をしています。

綾綺殿 続いてこの綾綺殿を見ていきましょう。この殿舎は、九間三面とも九間四面(第14回参照)ともされています。絵では、どちらに描かれているでしょうか。

 まずⓆ北廂は、画面ですと、左下の突き出た部分になり、殿舎南面(画面左上部)はⓄ壁になっていますので、南廂がありませんね。Ⓝ西廂は先ほど触れた場所で、Ⓡ東廂は、画面左上になります。廂は四面ではなく、三面になりますね。

 桁行(けたゆき)は、どうでしょうか。綾綺殿の場合は、Ⓝ西廂の桁行は、母屋と同じになりますので、西廂右側の柱間を数えればいいわけです。帽額の下に巻き上げた御簾があるのは五間分、下ろされた御簾は四間分になっていますので、母屋は九間になります。綾綺殿は、九間三面の殿舎に描かれていると言えます。

 なお、この御簾は建物の外側にありますので、外御簾となり、吹抜屋台の技法によって省略された格子は、一枚格子ということになります。

綾綺殿の西廂と東廂 今度は、綾綺殿内部を見ましょう。Ⓝ西廂を見て下さい。東西の梁行(はりゆき)はどうでしょうか。廂は一間が普通なのに二間になっていますね。ここは西廂とⓈ母屋が一体化されているのです。母屋の梁行は二間になりますが、西廂と一体になっているのは一間分だけですので、[キ]女楽人の背後の、Ⓣ妻戸に続くⓅ壁と軟障との間が、もう一間分になり、わざと狭められて描かれたのだと思われます。

 Ⓡ東廂には、巻き上げた御簾と、下ろされた御簾があり、その手前もⓊ妻戸になっていて、Ⓥ東簀子との隔てとなっています。東廂には畳が敷かれて、妓女の装束所になります。円鏡を手にして化粧を確認している[ケ]舞妓が二人、介添えの[コ]女房が三人います。男たちも介添えでしょう。[サ]黒袍の束帯姿の殿上人が四人いて、一人は巻紙を持ち、扇で、[シ]烏帽子狩衣姿の従者に何やら指示しています。[ス]もう一人の烏帽子姿が持っているのは、化粧道具を入れる櫛箱と思われます。黒袍以外の者たちは、下級官人になります。

綾綺殿の北面 さらに画面下の北面を見ましょう。西廂と母屋の手前(北側)が、Ⓦ遣戸で隔てられて一室になっています。ちょっと変わった内部構造になっていますね。ここは、陪席する女房の控室で唐絵の屏風が置かれ、裳の裾が見えています。北側の御簾の外にいるのは、雑役に携わる下級官人たちです。

東北軒廊 次は、画面上部のⒼ東北軒廊です。綾綺殿南面のⓄ壁の奥は、この日には官人の座になっていて、東側のⓍ左青璅門の額の下から、[セ]殿上人が姿を現わしています。正面に見えるのはⓎ陣座の北戸になり、そこを入った所で日常の政務に関する会議が行われました。西側はⓏ恭礼門の額のかかった扉が見えます。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。手前を広く、奥を狭くする遠近法で描かれていて、八の字になる線で区画された構図になっていますね。中心になるのが、舞台で舞う妓女たちで、背丈が高めにされて強調されています。そして、綾綺殿は吹き抜き屋台の技法によって、内部にいる人々の様子が描かれています。絵柄自体に間違いがあるのかもしれませんが、綾綺殿がこうして描かれているのは、きわめて貴重なのです。

 これだけの広さを一点から眺めることは難しいでしょう。しかし、絵巻は複数の視点で画面を合成して作られるのでした。パノラマのように映し出される光景が堪能できるように構図が仕組まれているのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『年中行事絵巻』の中の、女踏歌(おんなとうか)で妓女が舞うシーンを取り上げます。舞台は平安京内裏の紫宸殿南庭です。ご一緒に、絵を通じて、貴重な女踏歌の様子を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第47回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の献詩披講」を読み解く

2016年 3月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第47回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の献詩披講」を読み解く

場面:内宴(ないえん)で天皇に献詩披講(ひこう)されるところ
場所:平安京内裏の紫宸殿北面から仁寿殿にかけてと東庭
時節:1月21日ごろの夜

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建物:①仁寿殿 ②紫宸殿 ③南広廂 ④母屋 ⑤母屋の柱 ⑥・⑧・⑯上長押 ⑦簀子 ⑨下長押 ⑩石灰壇(いしばいだん) ⑪階 ⑫基壇 ⑬石階 ⑭出廂 ⑮柱 ⑰砌(みぎり) ⑱・高欄 ⑲東簀子 ⑳紅梅 直方体の枠組み(東渡殿) 枠組み(中渡殿) 露台 北簀子 壁 片階 格子 妻戸 東庭 舞台 東北軒廊(こんろう) 恭礼門(きょうれいもん)
室礼・装束:Ⓐ松明 Ⓑ屏風 Ⓒ倚子(いし) Ⓓ緌(おいかけ)の冠 Ⓔ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓕ脂燭(しそく) Ⓖ漆箱 Ⓗ蓋 Ⓘ笏 Ⓙ・Ⓛ御簾 Ⓚ鉤丸緒(こまるお) Ⓜ几帳の裾 Ⓝ野筋 Ⓞ台盤 Ⓟ・Ⓢ草墪(そうとん) Ⓠ打敷(うちしき) Ⓡ灯台 Ⓣ虎皮の敷物 Ⓤ文台(ぶんだい) Ⓥ帽額(もこう) Ⓦ組緒 Ⓧ柳の小枝 Ⓨ幔(まん)
人物:[ア]束帯姿の外記 [イ]褐衣(かちえ)姿の近衛府の舎人(とねり) [ウ]束帯姿の天皇 [エ]束帯姿の近衛府の次将 [オ]束帯姿の大臣 [カ]束帯姿の講師 [キ]束帯姿の読師  [ク]束帯姿の公卿 [ケ]束帯姿の文人

内宴 今回は『年中行事絵巻』から内宴の様子を読み解くことにします。内宴とは正月二十一日ころに天皇が仁寿殿に出御(しゅつぎょ)し、漢詩文に堪能な公卿や文人を召して行う内々の宴のことです。『年中行事絵巻』には、⑴内宴に赴く公卿たちの様子、⑵仁寿殿東庭での拝礼、⑶昇殿しての宴、⑷女舞の観覧、今回採り上げる⑸献詩披講、そして、⑹公卿たちの御遊(ぎょゆう)などの一連の様子が描かれています。ただし、現存の『年中行事絵巻』には錯簡があって、⑴⑵⑸⑶⑹⑷の順になっていますので、ご注意ください。献詩披講とは、召された公卿や文人たちが、与えられた題によって漢詩を作り、天皇に献上して披講(読み上げて披露する)することを言います。

絵巻の構図 最初に絵巻の構図と時間を確認しておきましょう。構図は内裏の北東から①仁寿殿と②紫宸殿を見るようになっていますので、画面左側が東、上部が南です。仁寿殿の南側(画面右上)などは吹抜屋台の方法によって、この行事の様子を描いています。なお、線描にあたっては、献詩披講の段の上下左右それぞれをカットしていることをお断りしておきます。

 この折の時間は、すでにお分かりですね。Ⓐ松明を持った[ア]束帯姿と[イ]褐衣姿(狩衣の一種)の人がいますので夜になっています。前者は外記(げき。太政官の少納言の下の官人)で、後者は近衛府の舎人(下級官人)になります。

漢詩の披講 それでは献詩披講の様子を見ることにしましょう。画面右側です。並べたⒷ屏風の向こう側でⒸ倚子に坐って背を向けているのが[ウ]天皇です。場所は、仁寿殿の③南廂(南広廂とも)で、屏風の手前は④母屋になりますね。⑤母屋の柱と⑥上長押が見えます。本来でしたら、廂との境には御簾が下ろされますが、絵では省略されています。天皇の両側にいるのは、Ⓓ緌の冠にⒺ平胡簶を背負った[エ]近衛府の次将で、Ⓕ脂燭をかざして天皇の前を照らしています。天皇の左側にあるのがⒼ漆箱とそのⒽ蓋です。箱には漢詩の題が書かれた紙、蓋には作られた漢詩を載せています。

 天皇の前でⒾ笏を持って坐っているのは[オ]大臣と[カ]講師で、横向きが[キ]読師になるでしょうか。読み上げているのでしょう。この後ろの⑦南簀子に坐る前列四人は[ク]公卿、後列は[ケ]文人です。廂の⑧上長押には、巻き上げられたⒿ御簾と、それを留めるⓀ鉤丸緒が描かれています。こうした配置で漢詩が天皇に披講されたわけです。

仁寿殿 披講の場となる仁寿殿をさらに見ておきましょう。東南の隅の廂は、その西側(右側)よりも⑨下長押分低くなっていて、漆喰で塗られた⑩石灰壇(神事を行う壇)になっています。これがあるのは、かつて天皇の常御殿だった名残とされています。石灰壇との境は格子になりますが、吹抜屋台の技法によって描かれていません。石灰壇の東(左側)には七級の⑪階が⑫基壇に下ろされ、さらに二級の⑬石階が続いています(基壇を含めると三級)。下りた所は⑭出廂といい、構造的には土廂になります。ここに立つ五本の⑮柱と⑯上長押の上に廂屋根があることになります。この柱の左側の地面は、水を流す⑰砌になっています。

 東面にはⓁ御簾が下ろされ、添えられたⓂ几帳の裾とⓃ野筋が、⑱高欄のついた⑲東簀子に押し出されています。南一間分だけは短めに押し出されていますね。簀子の左の木は⑳紅梅です。

渡殿と露台 続いて仁寿殿と紫宸殿とのあいだを見ましょう。斜めに置かれた机はⓄ台盤で、その上には宴の料理が並んでいます。台盤の両側に並ぶのは、腰掛けとなるⓅ草墪です。手前には、夜になっていますので、Ⓠ打敷(敷物)に置いたⓇ灯台が見えます。

 台盤の右端は、直方体の枠組みのような内部に入りこんでいます。ここは東渡殿になり、やはり戸などは省略されています。吹抜屋台という技法を知らなければ、不思議な絵になりますね。右側にも枠組みがあり、こちらは中渡殿になります。渡殿以外の部分は、榑(くれ。薄板)を敷いた露台になっています。ですから、Ⓞ台盤は露台から東渡殿にかけて置かれていることになります。

 露台は南北四間で、北一間は仁寿殿の⑦南簀子、南一間は紫宸殿の北簀子になります。東面には高欄があり、その左にも二つのⓈ草墪が置かれ、この上部にも六つあります。二つの方は、出居の座(でいのざ。役務にあたる官人の座)、六つは文人の座とされます。文人の座の右にもⓆ打敷に置かれたⓇ灯台がありますね。

紫宸殿北面 文人の座は紫宸殿北簀子でした。紫宸殿の北面を見ましょう。北簀子の画面中央にあるⓉ虎皮の敷物に置かれた机はⓊ文台と呼ばれ、漢詩の題を書いた紙が納められる箱が載せられました。この箱は、今は天皇の前に運ばれています。

 北簀子の東端からは、壁に沿って片側だけに高欄がついた片階が⑪基壇に下りています。文台の後ろに見えるのは三間分の格子で、その両側は妻戸になります。

東庭の舞台 最後に東庭を見ましょう。舞台がありますね。錦が敷かれています。ここで女舞が行われていたのですが、もう終わっています。舞は、内教坊(ないきょうぼう)と呼ぶ教習所に属する妓女(ぎじょ)が当たりました。舞台は高欄をめぐらし、その下にはⓋ帽額を引き回しています。垂れた紐のように見えるのは、Ⓦ組緒です。舞台の角にあるのはⓍ柳の小枝で、これは柳花苑(りゅうかえん)という曲を舞う舞台であることを示しています。

 舞台の画面上部には、Ⓨ幔と呼ぶ幕が引かれ、絵のように間隔を置いて並置されると門のようになりますので、幔門と呼ばれます。

 幔の奥は紫宸殿の東北軒廊と呼ぶ所になります。絵でははっきりしませんが、恭礼門があります。

『年中行事絵巻』「内宴」の意義 嵯峨天皇から始まった内宴は後一条天皇の長元七年(1034)以後に中絶し、保元三年(1158)になって内裏新造に伴い再興され、翌平治元年にも行われましたが、以後廃絶しました。ですから、この絵巻の内宴は、保元・平治の時代のものになります。当時わずか二回しか行われませんでしたので、こうして絵画化されたのは、きわめて貴重なのです。なお、舞の場面は、次回で採り上げる予定ですので、ご期待ください。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、引き続き『年中行事絵巻』を見て参ります。どうぞお楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

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