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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第60回『信貴山縁起』「山崎長者の巻(飛倉の巻)」の「長者の家」を読み解く

2018年 4月 18日 水曜日 筆者: 倉田 実

第60回『信貴山縁起』「山崎長者の巻(飛倉の巻)」の「長者の家」を読み解く

場面:持っていかれた米俵が飛び戻ってきたところ
場所:山城国山崎の長者の家
時節:ある年の秋

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人物:[ア]里人の男か [イ]僧侶 [ウ]衵姿の童女  [エ]袿姿の妻 [オ]侍女 [カ][ク][ケ]小袖姿の侍女 [キ]袿姿の侍女
建物など: ①門扉 ②門 ③控柱 ④閾(しきみ) ⑤羽目板の板塀 ⑥簀子 ⑦束(つか) ⑧・礎石 ⑨・⑮・下長押 ⑩板敷 ⑪西廂 ⑫簾 ⑬妻戸 ⑭北廂 ⑯踏板 ⑰脇障子 ⑱竹の節欄間(たけのふしらんま) ⑲楣(まぐさ) ⑳くぐり 二枚格子の上部  釣金具 上長押 暖簾(のれん) 方形の柱  畳 いろり  母屋 腰長押 土壁 踏石 きりかけ
衣装・道具など:Ⓐ四手(しで) Ⓑ五徳 Ⓒ炭 Ⓓ米俵 Ⓔ鉢 Ⓕ袖細(そでぼそ) Ⓖ指貫 Ⓗ萎烏帽子 Ⓘ草鞋(わらじ) Ⓙ刀 Ⓚ袈裟 Ⓛ硯 Ⓜ墨 Ⓝ筆 Ⓞ巻紙 Ⓟ巻物 Ⓠ巻物と冊子を載せた経机 Ⓡ布類 Ⓢ二階棚 Ⓣ瓜を入れた四角の曲物(まげもの) Ⓤ元結 Ⓥ褶(しびら) Ⓦ調理台 Ⓧ鉢 Ⓨ椀 Ⓩ曲物の水桶

はじめに 今回は第41回で見ました、僧命蓮(みょうれん)の奇跡を描いた『信貴山縁起』の第一話「山崎長者の巻」の長者の家を採り上げます。この絵巻については、その回を参照してください。

「山崎長者の巻」 この巻頭部分は失われていますが、同話を収めた説話集などで補えます。それに拠りますと、信濃国出身の命蓮は東大寺で授戒してから信貴山に籠り、毘沙門天像を安置した小堂を建てて修業に励みます。命蓮は長者の家に鉢を飛ばして布施を受けていましたが、それを疎ましく思った長者は、その鉢を米倉の中に鍵をかけて閉じ込めてしまいます。しばらくしますと、その倉がゆさゆさと揺れ、中から鉢が出てきて、倉を載せて飛び立ちます。現存絵巻はここから始まります。

 後を追った長者たちは信貴山にたどり着き、命蓮に事情を話しますと、倉はお返しできないが、米俵は返しましょうと言われます。大量の米俵をどうして運べますかと尋ねると、命蓮は鉢の上に一俵を載せなさいと命じます。すると一俵を載せた鉢が飛び立ち、残った米俵も続いて次々と舞い上がり、長者の家に落ちたのでした。今回の場面は、米俵が戻ってきたことに驚いた長者の家に残っていた女性たちの様子になります。

 なお、長者の家の場所は、信貴山の麓近くのように思われますが、後世の史料では、山城国乙訓郡大山崎町とされています。この地は灯油に使用される荏胡麻(えごま)油の集積地でした。長者の家には油を搾る道具が最初の場面で描かれていますので、製油で長者になったと考えられたのです。ですから、この巻名がつけられましたが、話の内容からは「飛倉の巻」とも呼ばれています。

長者の家 それでは長者の家の様子を左側から見ていきましょう。東西南北は不明ですが、奥向きの台所設備が見えますので、画面下を仮に北としておきます。そうしますと、①門扉が開いている②門は西門となります。③控柱が付き、地面には門柱を固定させる④閾があり、車が通れるように窪みがあります。門以外は⑤羽目板の板塀で厳重に囲まれています。当然、侵入者を阻むためで、財産のある証でしょう。門の手前の板塀の上に吊り下げられているのはⒶ四手です。注連縄(しめなわ)のようなもので、魔除けになります。

門を入った正面には⑥簀子(縁)があり、支える⑦束はしっかりと⑧礎石に乗っています。簀子に接するのは⑨下長押分高くなった⑩板敷の⑪西廂です。⑫簾が垂れて開いている⑬妻戸の奥は⑭北廂になります。妻戸は⑮下長押に作られていて、奥はさらに一段高くなる感じですが、妻戸を設けるために置かれたようで、内側は高くならないようです。

 簀子は北側(下側)に回り、その下に⑯踏板があります。寝殿造では沓脱でした。北側の簀子は⑰脇障子で仕切られています。これには上部に⑱竹の節欄間が付けられます。片開きの戸になっているのでしょう。

 脇障子は⑤板塀に接していて、奥の庭と仕切られていますが、中に入れるのでしょうか。板塀が直角に折れている箇所を見てください。太めの横板が一つ見えますね。これは出入口の上に水平に渡された⑲楣ですので、その下が⑳くぐりになります。

 画面左側に移りましょう。二枚格子の上部三間分が釣金具で上長押の高さまで引き上げられています。左側一間分にだけ暖簾が巻き上げられていて、これは簾の代用なのでしょう。この家の方形の柱は、いずれも面取りされています。

 内部は⑭北廂で、右二間分は一続きになり、畳が敷かれ、いろりがあり、その中にⒷ五徳が置かれてⒸ炭がいけてあります。この奥は下長押分高くなった母屋で寝所になります。それは、この場面以前に枕と枕刀が描かれていましたので、それと分かります。

 暖簾のある畳が敷かれた間は、その左隣の、腰長押の下が土壁となる部屋とつながっています。境に見えるのは、これもいろりと思われ、主に調理に使用されるのでしょう。土壁の手前には簀子に上がるための踏石が見えます。

 一番左端には、垣となるきりかけが見えます。この奥は物置になっているのでしょう。

 以上、奥向きの部分と想定して長者の家を見てみました。全体像は分かりませんが、平安時代末の長者の家の奥向きの様子が分かりますね。

庭に下りた飛鉢 続いて、庭に目を転じましょう。Ⓓ米俵を載せて飛んできたⒺ鉢がちょうど地面に着いたところです。地面には礎石が直角に置かれているのが分かります。ここに米倉が建っていたのでした。鉢はきちんと元の場所に米俵を戻しているのです。次々と俵が飛来する光景が、この絵の面白さになります。鉢は俵が乗るほどの大きさで描かれているのは、飛鉢法(ひはつほう)の霊験を描くために、大きく誇張されているのです。なお、飛鉢法は、千手観音の秘法として知られていて、命蓮が信仰した毘沙門天はその同体とされていました。命蓮がこの法を使うのには謂れがあるのです。

人々の表情 最期に、人々の様子や調度品を見ていきます。門を入った所に、Ⓕ袖細にⒼ指貫、Ⓗ萎烏帽子にⒾ草鞋の、Ⓙ刀を差した[ア]男がしゃがんで大きな口を開けています。里人でしょうか。視線は⑪西廂に坐る[イ]僧侶には向いていませんね。視線の先には、Ⓓ米俵が空から落ちてきています。その光景に驚愕して口を開けているのです。

 Ⓚ袈裟を着けた[イ]僧侶はⓁ硯とⓂ墨を前に置いて、Ⓝ筆でⓄ巻紙に何かを書いています。それを[ウ]衵姿の童女が熱心に見つめています。字でも習っているのでしょうか。その前にはⓅ巻物が開かれています。僧侶の右側にはⓆ巻物と冊子を載せた経机が置かれています。平安時代末頃にもなりますと、この僧侶のように、長者の家などに寄食して半俗生活する者が現れてきます。この僧侶は、米倉が飛び立つ場面で描かれた赤鼻の僧侶と同一と思われ、命蓮の法力には適わなかったことになります。寄食する僧侶の無力さを暗示しているのかもしれません。

 画面左、母屋の寝所で横坐りしている[エ]袿姿はこの家の妻でしょう。引目鉤鼻に近い容貌で描かれていて、はっきりと喜んでいる表情になっています。その左横にはⓇ布類が束ねられて積み重ねられています。寝所は物置のように使用されるようです。廂にあるのはⓈ二階棚で、膳棚として使用しています。上の層(こし)の奥にⓉ四角の曲物に入れられているのは瓜のようですが、その他の物はよく分かりません。

 残りの五人の女性は、働きやすいようにいずれも垂髪をⓊ元結で束ねていますので、侍女たちになります。五人ともお歯黒の口を大きく開け、目が飛び出したかのように見開いて驚愕した表情をしています。また、廂の[オ]侍女は手を叩き、簀子の[カ][キ] [ク]三人は両手を開いています。これも驚愕した時の仕草になりますね。簀子の右側の、裳の一種となるⓋ褶を巻いた[カ]小袖姿の侍女は女主人に事態を注進に行こうとし、真ん中の[キ]袿姿の侍女は胸をはだけて大仰な仕草になっています。簀子に踏み出した[ク]小袖姿の侍女は、手招きで女主人にこの事態を見てと言っているようです。

 左端の[ケ]小袖姿の侍女もⓋ褶を巻き、Ⓦ調理台に向かって炊事をしています。手にしたⓍ鉢から水がこぼれていて、これは洗っているのではなく、驚愕して思わずこぼしたのでしょう。そばには同じような鉢とⓎ椀、それにⓏ曲物の水桶が見えます。五人の侍女たちの様子は、まことに見ごたえがありますね。

絵巻の意義 絵巻の主題は富や名声を求めない命蓮の生き方とその法力による奇跡です。ですから、絵巻全体からすれば、この場面は副次的です。しかし、女性たちの様子は、何と生き生きしていることでしょう。男たちは信貴山からまだ戻っていませんので、主に女性たちが描かれたわけですが、その為にその姿が活写されたことになります。こうしたところにも、この絵巻の意義があるのです。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、同じく『信貴山縁起』を見ながら、庶民の家や生活について読み解きます。お楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第59回『粉河寺縁起』第一話「猟師の家」を読み解く

2018年 3月 21日 水曜日 筆者: 倉田 実

第59回『粉河寺縁起』第一話「猟師の家」を読み解く

場面:猟師一家が食事するところ
場所:紀伊国那賀郡(なかぐん)の大伴孔子古(おおとものくすこ)の家
時節:ある年の秋

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人物:[ア]童行者 [イ]猟師 [ウ]猟師の妻  [エ]赤子 [オ]子ども
建物など:Ⓐ猟師の家 Ⓑ・Ⓛ柴垣 Ⓒ網代(あじろ)の木戸 Ⓓ小川 Ⓔ板橋 Ⓕ上がり框(かまち) Ⓖ・Ⓘ菅の筵 Ⓗ・Ⓠ板壁 Ⓙ柱 Ⓚ横木 Ⓜ藁葺屋根 Ⓝ板敷 Ⓞ板屋根 Ⓟ押さえ木 Ⓠ板壁 Ⓡ板戸 Ⓢ・Ⓥ土壁 Ⓣ木舞(こまい) Ⓤ踏板 
衣装・道具など:①首輪 ②・犬 ③垂髪 ④元結 ⑤袈裟 ⑥数珠 ⑦口髭 ⑧萎烏帽子(なええぼし) ⑨腰刀 ⑩折敷板 ⑪・⑰椀 ⑫・⑱小袖 ⑬俎板 ⑭鹿肉 ⑮箸 ⑯小刀 ⑲・肉片を刺した串 ⑳置石 矢  鍋  肉片  鹿皮 木枠 据木(すわりぎ、あるいは、すえぎ)

はじめに 前回に続き『粉河寺縁起』を採り上げます。今回は第一話で、猟師の大伴孔子古が童行者の援助によって粉河寺を創建した話です。

 この絵巻は前回も触れましたように火災によって損傷され、第一話冒頭部などは残された断片をつなぎ合わせて修復されています。ですから、画面は連続していません。今回扱います段も、断続した五つの断片(Ⅰ~Ⅴ)がつなげられています。しかし、それなりに絵巻の内容をたどることができますので、具体的に見ていきましょう。断片ごとに見ていきます。

絵巻Ⅰの場面 Ⅰの場面は、山里の風情を見せるⒶ猟師の家の門前です。Ⓑ柴垣にⒸ網代の木戸が作られ、その前にはⒹ小川が流れ、Ⓔ板橋が掛けられています。そこに①首輪を付けた②犬が飛び出して来て、何かに向かって吠えたてています。右側は焼損していますが、多分、ここに訪れて来た童行者が描かれていたことでしょう。

絵巻Ⅱの場面 Ⅱの場面では、すでに猟師の家に入った[ア]童行者に[イ]猟師が対面しています。童行者は③垂髪を④元結で束ね、⑤袈裟を掛け、⑥数珠を持って片膝をⒻ上がり框に載せています。引目鉤鼻で上品に描かれていますね。対する猟師は、⑦口髭を生やして⑧萎烏帽子をかぶり、⑨腰刀を差して武骨な感じです。片膝を立てて坐り、両手を擦り合わせてお礼をしているようです。

 ここの会話は、それを記した詞書が焼失していますが、他の史料から次のように想定されています。猟師は狩りをしていて地面が光る場所を見つけ、霊験を感じてそこに柴の庵を建てていましたが、まだ本尊がありませんでした。童行者は、その話を聞いて、自分が仏像を七日で造りましょうといって庵に籠ります。会話はこのあたりのことを話題にしていることになります。猟師は童行者の申し出をありがたがっているのです。

 この後、猟師が庵を覗いてみると童行者はおらず、千手観音が一体鎮座していました。猟師はこの事を妻や近辺の者たちに語り、再び連れだって庵に向かい、千手観音に帰依したという展開になっています。

絵巻Ⅲの場面 Ⅲは猟師一家の食事風景になっています。Ⓖ菅の筵を敷いた上に坐るのが[ウ] 猟師の妻です。⑩折敷板に載せた⑪椀を前にして、⑫小袖をはだけて[エ]赤子に乳を含ませています。

 向かい側に片肌を脱いで、あぐらをかいて坐っているのが[イ]猟師です。大きな⑬俎板の上には刻まれた⑭鹿肉があり、その肉片を左手に持った⑮箸でつまもうとしています。⑯小刀が見えますので、食事の際に刻んだのでしょう。右手には妻と同じ⑰椀を持っています。汁物でも入っているのでしょうか。

 ⑱小袖を着た[オ]子どもはⒽ板壁に背中を押しあて、両足を投げ出して坐り、⑲肉片を刺した串を両手に持ってほおばっています。そんな様子を父親の猟師は満足そうに眺めているようです。母親も話しかけているようですね。

 庭先を見てみましょう。猟師の獲った獲物の肉を干肉(乾肉)にするため、Ⓘ菅の筵の上に並べています。風であおられないように⑳置石されていますね。矢が突き立てられていますが、何らかのお呪(まじな)いでしょうか。

 筵の左側にあるのは薪のようです。肉片を刺した串の左横には鍋が見えていますので、ここで煮炊きをするのでしょう。なお、子どもの左側には、Ⓙ柱に結わえたⓀ横木に肉片が下げられているのが見えます。猟師一家の食材は肉が主となるようです。また、干肉は売られたり、物々交換されたりしたことでしょう。猟師としての生業を示しています。

絵巻Ⅳの場面 Ⅳは猟師の家の裏側と思われます。Ⓛ柴垣には、鹿皮を干すために、紐を編んで付けた木枠に張られて立て掛けられています。後の場面では鹿皮の表側が描かれていますので、ここはその裏側だと分かります。なめし革にしているのです。これは衣類にされるほか、靴や馬の鞍にされますので、干肉とともに猟師の主要な収入源になることでしょう。

 柴垣の手前には犬が何かを食べています。鹿皮から削ぎ落した肉片でも貰ったのでしょう。首輪は見えませんが、門前にいた犬と同じかもしれません。

絵巻Ⅴの場面 最後のⅤは猟師の狩の工夫を描いています。股になった木の間に材木を渡したものがそれです。獣道(けものみち)の上に設けられた、据木と呼ばれる足場で、ここから下を通る獣を弓で射りました。

 以上、Ⅰ~Ⅴまで、猟師の生業や生活がリアルに描かれていましたね。

猟師の家 さらに猟師の家を確認しておきましょう。Ⓜ藁葺屋根で、室内はⓃ板敷です。Ⅱの童行者が坐っている所は廂のようになっていて、上部はⓄ板屋根になっており、固定するためにⓅ押さえ木が置かれています。童行者の奥には横に渡したⓆ板壁があり、その左横はⓇ板戸になっていて、その奥に部屋があります。ただし、後の場面で描かれるこの家では、板壁が描かれていません。

 Ⅱの猟師の背後はⓈ土壁です。一部は剥げ落ちて下地のⓉ木舞が見えていて、Ⅲにも認められます。壁の向こう側には部屋がないのかもしれません。庭前にはⓊ踏板が床より低く渡されています。床下側面はⓋ土壁で囲まれていて、それは後の場面で木舞が描かれていることで分かります。

 ⅡとⅢの間には断絶がありますが、そこも他の場面で描かれていて、半蔀(はじとみ)が上げられた一部屋が見えます。この部屋より奥まって、食事をしている部屋が作られており、ⅡとⅢの屋根がずれているのは、そのためだと思われます。子どもの後ろのⒽ板壁は、外部との隔てになっています。

 室内の調度品は筵と俎板などの他には描かれていません。調理も庭前でしたようですが、雨が降ったらどうしたのでしょうか。猟師の家は、食が足りればそれでよかったのかもしれません。

絵巻の意義 今回採り上げました場面は、不連続ながら猟師の生活や生業が描かれて貴重でした。住まいの様子だけでなく、他の絵巻では見られない肉食も描かれていました。平安貴族は四つ足の獣は汚れとして忌まわれ、仏教の殺生を禁じる教えもあって鳥肉以外の肉食をほとんどしませんでした。しかし、庶民たちは肉食をしていたのでした。

 生き物を狩り、それを食するのが猟師です。仏教の教えに背く生業ですが、粉河寺の縁起に描かれることによって、そうした者でも信心を持ち、救われる存在であることを示しています。本尊の千手観音は、千の手それぞれに眼があり、すべての人を救うとされています。慈悲ゆたかな粉河寺の霊験が絵巻に表現されたのだと思われます。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、第41回で見ました、僧命蓮の奇跡を描いた『信貴山縁起』の第一話「山崎長者の巻(飛倉の巻)」を取り上げます。引き続きご愛読ください。

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全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第58回『粉河寺縁起』第二話「長者の家」を読み解く

2018年 2月 21日 水曜日 筆者: 倉田 実

第58回『粉河寺縁起』第二話「長者の家」を読み解く

場面:長者の家に童行者が訪れたところ
場所:河内国讃良郡(さららのこおり)の長者の家
時節:ある年の秋

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人物:[ア]童行者 [イ]門番 [ウ]僧  [エ]片立膝の下部 [オ]矢を背負った下部 [カ]刀を持つ下部 [キ]口取(くちとり) [ク][ケ][コ]里人
建物など:Ⓐ長者の家 Ⓑ丸太の橋 Ⓒ竹藪 Ⓓ板塀 Ⓔ櫓門(やぐらもん) Ⓕ板屋根 Ⓖ屋形 Ⓗ帷 Ⓘ深い溝 Ⓙ親柱 Ⓚ丸太 Ⓛ押さえの丸太
持ち物・衣装など:①袈裟 ②数珠 ③萎烏帽子(なええぼし) ④狩衣 ⑤鹿杖(かせづえ) ⑥・⑨矢 ⑦胸当 ⑧水干 ⑩弓 ⑪刀 ⑫馬 ⑬轡(くつわ) ⑭手綱 ⑮鞭(むち) ⑯面懸(おもがい) ⑰胸懸(むながい) ⑱尻懸(しりがい) ⑲腹帯(はるび) ⑳鞍 韉(したぐら) 鐙(あぶみ) 腰刀 小袖  四角の曲物(まげもの)  口紙  壺 鯉  梨か 唐櫃 朸(おうご)

はじめに 今回は『粉河寺縁起』に描かれた河内国(大阪府)の長者の家の様子を読み解きます。この絵巻は、紀伊国の粉河寺(和歌山県紀の川市)の起源譚と、本尊千手観音の霊験譚の二話を描いています。今回扱うのは霊験譚で、次のような話になります。河内国讃良郡(大阪府寝屋川市)に住む長者の難病の一人娘を、訪れた童行者が祈祷によって治癒させ、娘から提鞘(さげざや。下げ緒付きの小刀)と紅の袴だけを受け取り、粉河で会えることを伝えて去ります。翌春、お礼参りに粉河を訪れた長者一行は、見つけた庵の扉を開けると千手観音がおり、娘の提鞘と袴を持っていたので、童行者はその化身と分かり、一行の人々は出家して帰依したという内容になります。

『粉河寺縁起』の成立 この絵巻は12世紀末の後白河院の時代ころに成立したとする説が有力です。近年では、13世紀中ごろから起こった、紀伊国の粉河寺領と高野山領との境界をめぐる争いが背景にあるとする説が出されています。長者の家のある河内国讃良郡は高野山が権利を持っていた地でした。しかし、粉河寺本尊の霊験によってその住人の病が治癒し、粉河で出家するということで、粉河寺の優位を表したとするものです。讃良郡が高野山とかかわるとしたら面白い説になりますね。

 なお、この絵巻は火災で焼け残ったもので、第一話の冒頭が失われています。山の形になっている部分は焼損のあとになります。かなりの損傷がありますが、それでも地方の生活の様子が分かり貴重な絵巻になっています。

絵巻の場面 それでは絵巻を見ていきましょう。場面は第二話の始めの部分で[ア]童行者がⒶ長者の家を訪れたところです。Ⓑ丸太の橋の上にいる、①袈裟を付け②数珠を手にした垂髪の人物が童行者です。長者の娘の病を聞いて訪れ、③萎烏帽子に④狩衣を着て⑤鹿杖(上端に手をそえる物を付けた杖)を持つ[イ]門番に取り次ぎを頼んでいます。門番は家の中を指差して応接しています。この後、病室に入れられ七日間祈祷をすることになります。娘は三年も病んでいて、これまでの治療の効果もなかったので、長者としては藁にもすがる思いがあったのでしょう。

長者の家 この長者の家は、Ⓒ竹藪の外をⒹ板塀で囲み、Ⓔ櫓門を構えた武士の館を思わせます。櫓門のⒻ板屋根のⒼ屋形には、⑥矢の束が見えていて、ここから武力を行使することになります。この日は問題がないのでしょう、屋形にはⒽ帷が垂らされています。櫓門は、『一遍上人絵伝』巻四の筑前の武士の館や、巻七の京四条京極の町屋などにも描かれています。中世にもなると京内でも武力が必要になっていたのです。『粉河寺縁起』は櫓門が描かれた最も古い史料になっています。

 門前にはⒾ深い溝が掘られていて、これは城の堀と同じ役目をします。溝に渡されたⒷ橋は、両岸に打ち込んだⒿ親柱をつなぐ丸太を渡し、その上にⓀ丸太を横に並べ、固定するためにさらにⓁ押さえの丸太を渡した粗末な作りになっています。争乱になれば、この橋を壊し、敵の侵入を防ぐことができます。

櫓門警護の下部たち 櫓門には法衣の[ウ]僧と警護の下部三人が坐っています。この僧は、もしかしたら娘の祈祷に当たっていたのに童行者が来たので、ここに退避しているのかもしれません。何となくしょぼくれた顔をしていませんか。

 奥の[エ]片立膝の下部は鎧の一種の⑦胸当を⑧水干の下に着込んでいます。手前の⑨矢を背負った[オ]下部は⑩弓を板塀に立て掛け、その手前の[カ]者は⑪刀を膝に置いています。いずれも武装し、事が起きると武力を行使することになります。長者の家の門前は暴力的なのです。不審な人物が来れば、容赦なく殺害することもあったようです。

 橋の右側に坐る男は、[キ]口取(馬の轡を取って引く者)でしょう。⑫馬はいつでも乗れるように馬具一式を装備しています。⑬轡に付けた⑭手綱は木に結わえられ、⑮鞭が差し込んであります。顔の部分の飾りの⑯面懸の他、⑰胸懸と⑱尻懸が付き、⑲腹帯が締められ、⑳鞍は韉と呼ぶ敷物に置かれて、鐙が下がっています。水干鞍(すいかんぐら)と呼ぶ馬具になるようです。この馬も長者の武力の一環になるのです。

里の人々 警護の者たちの他に荷物を運んでいるのは、里人たちです。貢物を運んでいるのです。腰刀を差した小袖の[ク]男は、頭に四角の曲物を載せています。その中には口紙で覆った壺・鯉・梨(あるいは里芋か)が入っています。

 この前を行く小袖の [ケ]男は、唐櫃二つを朸と呼ぶ棒で吊り下げて肩で背負っています。この中にも貢物が入っていることになります。

 門内にも結わえた四角の曲物を担いだ腰刀の[コ]男が見えますね。さらに画面に続く左側にも長唐櫃で運び込まれた山海の幸や米俵が描かれています。

 これらの産物が長者の富になります。里人たちは、武力によって生業を保証される代わりに、様々な貢物が要求されるのです。この長者の家には倉が建てられており、そこに仕舞われます。支配・非支配の構図がここにあると言えましょう。

長者一家のその後 豊かな長者であっても、娘の不治の病は大きな痛手でした。それが千手観音の霊験で治癒したことを知って、一家と郎党たちは出家を遂げています。権力を持ち、冨を得るよりも、仏にすがる道を選んだのです。こうした人物を描いて霊験あらたかな粉河寺の縁起にしているのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。前回から、貧乏貴族や庶民の生活を主に取り上げて頂いております。月1回のペースで連載の予定ですので、引き続きご愛読ください。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第57回『年中行事絵巻』別本巻三「安楽花(やすらいばな)の貧乏貴族邸」を読み解く

2018年 1月 17日 水曜日 筆者: 倉田 実

第57回『年中行事絵巻』別本巻三「安楽花(やすらいばな)の貧乏貴族邸」を読み解く

場面:安楽花の様子を眺めているところ。
場所:ある下級の貴族邸
時節:3月10日

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人物:[ア][オ]舞う童女 [イ]庶民の老女か [ウ]庶民の男 [エ]庶民の少女 [カ]北の方か [キ]北の方の母親か [ク]幼女 [ケ]裳着前の女性か [コ]三男か [サ]主人か [シ]長男か [ス]次男か [セ]男童
建物・庭:Ⓐ棟門 Ⓑ築地 Ⓒ門扉 Ⓓ寝殿 Ⓔ妻戸 Ⓕ簀子 Ⓖ格子の下側 Ⓗ茅葺屋根 Ⓘ置石 Ⓙ野地板 Ⓚ棟瓦 Ⓛ雑木 Ⓜ懸魚(げぎょ) Ⓝ垂木 Ⓞ東廂 Ⓟ南廂 Ⓠ板敷 Ⓡ遣戸 ⓈⓉ格子の上側 ⓊⓎ突っかい棒 Ⓥ立蔀 Ⓦ沓脱 Ⓧ羅文付きの立蔀 Ⓩ垣根
持ち物・調度など:①綾藺笠(あやいがさ) ②⑧扇 ③懐紙 ④鼓 ⑤銅拍子(どびょうし) ⑥⑱⑲御簾 ⑦懸け守り ⑨烏帽子 ⑩箏の琴 ⑪冊子 ⑫畳 ⑬⑳几帳 ⑭障子 ⑮二階厨子 ⑯香炉か ⑰幅の狭い御簾

はじめに 一年間お休みいたしましたが、再開させていただきます。前回までは主に大内裏や内裏が描かれている絵巻を見てきました。今回は貧乏貴族邸を採り上げ、次回からは貴族以外の人々の暮らしがわかる絵巻を扱っていくことにします。

絵巻の場面 それでは、今回の絵巻の場面確認から始めます。画面中央の庭先で童女たちが舞うのを、荒廃した屋敷の内外から眺めている光景が描かれていますね。この女舞は、京都高雄の神護寺で三月十日に催された法華会(ほっけえ。法華経を講讃する法会)に際して行われたとされています。童女たちが風流な装いで歌い舞いながら参詣したのです。この事情は、『年中行事絵巻』諸本のなかで、この箇所に唯一残されている詞書に記されています。この詞書は本来のものかどうかよく分かりませんが、引用しておきましょう。

三月十日、高雄寺の法華会と言ふことを行う。京中の女(め)の童(わらはべ)、詣でて、舞ひ奏(かな)づ。出で立ちて行くを、桟敷ある家に、呼び止めて、舞はせ見る。これを安楽花と名付けたり。

 口語訳は必要ありませんね。高雄寺が神護寺のことです。京中の童女たちが舞い奏でながら行く様子を、道路に面した桟敷のある家では、呼び止めて見物したとあります。この様子は掲載した画面以前に描かれ、掲載場面では邸内で舞っています。

 なお、安楽花は、これとは別の、同日に京都紫野の今宮神社で行われ、今日まで引き継がれた「安楽祭(夜須礼祭)」を指すのが普通です。この祭にも歌舞音曲が伴います。しかし、『年中行事絵巻』の安楽花とのかかわりは、よく分かっていません。

安楽花の舞姿 童女たちの舞姿から具体的に見ていきましょう。目につくのが頭にかぶっている物ですね。これは①綾藺笠といい、藺草を編んで作り、中央部の突起部に雉の尾羽を付け、五色の布を吹き流しにしました。

 手に持っているもので、②扇はすぐにわかりますね。この他に、③懐紙、④鼓、⑤銅拍子も持っています。[ア]の童女が手にしているのが懐紙です。第49回で見ました「女踏歌」でも妓女たちは懐紙を手にして舞っていました。鼓と銅拍子は舞や歌の拍子をとります。銅拍子は小さなシンバルのようなものを両手に持ち、打ち合わせて鳴らします。画面では片方しか見えませんが、もう一つもその右側にあったと思われます。画面をじっくり見ていますと、こんな素描的な絵でも今にも動き出して、舞い、歌い、はやす様子が目に浮かんできます。

覗き見る人々 次に舞姿を外から眺める人々を見ましょう。崩れかかったⒶ棟門やⒷ築地から京の住人たちが覗いています。開いたⒸ門扉からは子どもも含めて男女五人が見入っています。[イ]の人は老女かもしれません。

 崩れて木枠が見える築地でも[ウ]庶民の男と[エ]少女が覗いています。男の視線は舞に向いていますが、少女は違っていますね。築地の陰でしゃがんでいる[オ]舞の童女を見ています。この童女は何をしているのでしょうか。ちょっと品のない想像をすれば、しゃがんで小用をしているのかもしれません。こんな光景を描くのも『年中行事絵巻』の面白さでした。

邸内の人々 邸内の人々に目を転じましょう。Ⓓ寝殿一棟が描かれています。寝殿右下角の一間はⒺ妻戸が開かれ、⑥御簾が下りていて、内側と端から二人が覗いています。端の女性はこの家の[カ]北の方、内側はその[キ]母親でしょうか。Ⓕ簀子に立つのは[ク]幼女で、首から⑦懸け守りを下げています。

 次の一間には兄妹でしょうか若い男女が坐っています。格子は取り払われているのでしょう。[ケ]女性の髪は長くなく、簀子に出ていますので、まだ裳着(もぎ。女子の成人式)をしていないのでしょう。成人ならば、顔を人目にはさらさないはずです。右手で指して、何やら[コ]兄らしい男性(三男か)に話しかけています。

 三間目の簀子には三人がいて、後ろにⒼ格子の下側が見えます。⑧扇を持つ男性だけ髭がありますので、この家の[サ]主人でしょう。 [ク]幼女を見ているようなので、可愛くて仕方ないのかもしれません。あとの二人は、[シ]長男と[ス]次男でしょうか。

 地面に坐っている四人は使用人でしょう。⑨烏帽子がないのは[セ]男童になります。

建物の様子 続いて家の様子を見てみましょう。ここのⒶ棟門は東の正門と判断できますので、画面は南東方向からの視線で捉えられた構図になりますね。Ⓗ茅葺屋根は荒廃して、Ⓘ置石されたⒿ野地板が見えています。Ⓚ棟瓦も一部なくなり、Ⓛ雑木が生えています。Ⓜ懸魚(棟木を隠す飾り)の下がる妻面が見えますので入母屋造で、家族が見ていた所は南端の軒のⓃ垂木などからも、Ⓞ東廂と分かります。

 南面はⓅ南廂で内部が描かれています。⑩箏の琴とその奥に⑪冊子が⑫畳の上に開いたまま置かれています。どうしてこの二つを描いたのでしょうか。それは、今まで弾奏し、読書していたことを暗示しています。しかし、安楽花が来ましたので、⑥御簾のもとに移動したことになります。絵巻は、こうした過去の時間を暗示させるように描かれるのです。

 南廂の奥には⑬几帳が置かれ、西側の⑭障子の前のⓆ板敷には⑮二階厨子があります。二階部分には箱が置かれ、上の層(こし)は⑯香炉のようですが、下の層はわかりません。二階厨子には文様が見えますので蒔絵でも施されているのでしょう。高価な二階厨子になります。箏の琴と共に、この家が豊かであった昔も暗示しているのかもしれません。

 南面をさらに見ていきます。東端の一間はⓇ遣戸で片側が開けられ、⑰幅の狭い御簾が巻き上げられています。中央の間はⓈ格子の上側が上げられ、やはり⑱御簾が巻かれています。東端から中央の間にかけては、一続きになっています。西側の間もⓉ格子が上げられていて、⑲御簾に⑳几帳が添えられています。中央の間との境にあるのは倒壊防止用のⓊ突っかい棒です。

 この寝殿は桁行三間しかなく、南面東端が遣戸になっていて、本シリーズ第13回以降で見ました寝殿造とは違っています。どういう家の構造なのか、確認しましょう。

邸宅の構造 使用人たちの後ろには折れ曲がったⓋ立蔀が見えます。一間分しかありませんが、正門を入って北側に位置する侍廊(さぶらいろう。第16回参照)の前に置かれる物になります。この家にも侍廊があることになり、使用人たちが控えました。

 侍廊はあっても中門廊(ちゅうもんろう)や中門はありませんね。しかし、その役をする箇所はあるようです。幼女のいる簀子の前にある長い台状の物に注意してください。これはⓌ沓脱になり、上がった先のⒺ妻戸から中に入ることになります。この部分だけ見れば中門廊と同じになりますね。しかし、家族が安楽花を見ている所は東廂になり、寝殿の一画になっています。中門廊は寝殿東廂をその用に当てていることになります。

中門廊は南庭を隔てる役割があり、この家では、Ⓨ突っかい棒で支えられた、Ⓧ羅文付きの立蔀が担っています。立蔀の南庭側にはⓏ垣根があり、花壇にしています。

 それでは、この寝殿の大きさは、どうなるのでしょうか。南面は三間、東面は簀子が右上方向に伸びていますので四間はあります。四間目は北廂になるのでしょうか。西廂は、西簀子が見えるのでないようです。そうしますと、二間四方の母屋に、西を除いた三面に廂が付く寝殿となりましょうか。描かれた範囲では、二間三面の寝殿と考えておきますが、問題は残ります。寝殿西側の屋根を見てください。Ⓗ屋根はさらに西方向に伸びて描かれています。誤って描いたのか、寝殿西側にはもう一間あったのかになりますが、それ以上はわかりません。とりあえずは、以上のようにしておきます。

貧乏貴族一家 最後にこの一家を考えておきましょう。主人はどのような身分でしょうか。小さな荒廃した寝殿に住んでいますので、高い身分でないことは確かです。この家には車宿が描かれていませんので、六位になりましょうか。牛車はステータスを表し、五位になってから乗用が許されました。

 この屋敷には高い木立が何本もあります。それは長い年月の経過を思わせます。主人は何代目かになるのでしょう。その間に、身分の低さゆえに屋敷が荒廃したと思われます。

 しかし、家族は八人で、仲良く暮らしているようです。祭は楽しみで、主人が呼び入れて、家族や使用人にも見物させているのでしょう。家はかなり傷んでいても、和やかで幸せな一家だと思われます。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」は、2013年4月に始まり、56回にわたって連載して参りました。都合により1年間休載させて頂いておりましたが、このたびまた新たに再開いたしました。これまでは主に宮中が舞台でしたが、今回からは貧乏貴族や庶民の生活を主に取り上げて頂きながら、月1回のペースで連載の予定です。引き続きご愛読ください。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

2016年 12月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

場面:大臣大饗で鷹飼(たかがい)と犬飼(いぬかい)が登場するところ
場所:東三条邸の寝殿とその西側など
時節:1月4日

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建物等:Ⓐ寝殿 Ⓑ五級の御階 Ⓒ塗籠となる部屋 Ⓓ西広廂 Ⓔ妻戸 Ⓕ西北渡殿 Ⓖ休所(やすみどころ)となる部屋 Ⓗ西透渡殿(すきわたどの) Ⓘ西簀子 Ⓙ南廂 Ⓚ親王の座の畳 Ⓛ尊者の座 Ⓜ公卿の座 Ⓝ西廂 Ⓞ弁・少納言の座 Ⓟ外記・史(さかん)の座 Ⓠ西中門廊 Ⓡ千貫(せんかん)の井 Ⓢ溝 Ⓣ透廊(すきろう)
人物:[ア] 鷹飼 [イ]犬飼 [ウ]下役の者 [エ]主人 [オ]尊者の公卿 [カ]非参議大弁
調度など:①折敷 ②屛風 ③軟障(ぜじょう) ④御簾 ⑤・⑦・⑧・⑨・⑪台盤 ⑥茵(しとね) ⑩出雲筵の帖(じょう) ⑫幔門(まんもん) ⑬雉 ⑭鷹 ⑮犬

はじめに 今回は、第54回で扱いました東三条邸を会場とした大臣大饗の続きになります。そこでの東三条邸の図には、Ⓐ寝殿南面のⒷ五級の御階の位置が間違って描かれていました。今回のもそれが踏襲されていて、一間分西側に描かなくてはならないところでした。この他にも史料に照らしておかしな点があります。画面右上の角は二間四方のⒸ塗籠になりますが、区画されてしまっています。また、寝殿Ⓓ西広廂の北側に描かれるⒺ妻戸の西側は、Ⓕ西北渡殿の一間分でⒼ休所にされましたが(後述)、二間分あるようになっていて人物が描かれてしまっています。こうした欠点がありますが、大饗の宴席が描かれたことで、今回の場面は貴重な史料になっています。

絵巻の場面 この場面は[ア]鷹飼と[イ]犬飼が登場するところです(後述)。それと併せて、鳥瞰的な吹抜屋台の技法で、室内の宴席の様子も描いています。高い建物などなかった時代に、よくもこうした鳥瞰図が描けたものと思います。この構図によって、東三条邸の内部と、大臣大饗の宴席に対する視覚的な理解ができますね。

宴席の序列 それでは、東三条邸の構造を確認しながら、宴席の様子を見ていきましょう。画面右側(東)がⒶ寝殿、左側(西)手前がⒽ西透渡殿、奥がⒻ西北渡殿になります。宴は進行していて、西透渡殿に二人、寝殿のⒾ西簀子とⒹ西広廂に一人ずつの、四人の下役の者が料理を運んでいるのが見えます。西簀子の[ウ]人には①折敷を捧げ持っている様子が分かります。

 画面でまず目につくのは、宴席が幾つにも分かれていることです。なぜ分かれているのかは、前々回の拝礼の場面で明らかですね。身分・序列が、宴席の座にも及んでいるのです。そして、寝殿には②屛風、西北渡殿には③軟障が張り巡らされて宴席を区画していることが分かります。この違いも身分差を示し、座席が区別されました。なお、寝殿の屛風の後ろには壁代と④御簾が垂らされますが、画面では一部しか描かれていません。

主人と尊者の座 まず、主人の座を確認しましょう。Ⓙ南廂が[エ]主人の座です。大饗が始まった時には、Ⓚ親王の座とされる二帖敷かれた畳に坐りましたが、途中から朱塗の⑤台盤と菅円座(すげえんざ)を置いて、ここに移りました。藤原氏の氏の長者が行う大饗では、朱器台盤(大盤とも)といって、朱塗の、器と台盤を主客が代々使用しました。朱器大饗という言い方もされ、氏の長者としての威勢を誇示したのです。
 大臣大饗の来客のうち、最も身分が高い二人が尊者とされましたね。Ⓛ尊者の座は、母屋の東側に二つ設けられます。この日の[オ]尊者は一人だけでしたので、南側に坐しています。二人の場合には、南側が上席になります。画面でははっきりしませんが、座の設け方にも作法がありました。板敷の床の上に、長筵・菅円座・地敷・⑥茵の順で重ねられ、⑦台盤が、油単(ゆたん。湿気を防ぐために油をしみ込ませた敷物)の上に置かれました。

公卿の座と弁・少納言の座 尊者の座の西側は、Ⓜ公卿の座になります。⑧台盤十二脚を二列に置いて向かい合って坐る、二行対座にしました。尊者の座と違って、ここは北側が上席です。長筵・菅円座・地敷を重ねて敷き、さらに円座を置きます。公卿は大納言・中納言・参議の身分がありますので、その差を視覚化するために、一番上に敷く円座の縁(へり)の色が変えられました。大納言は紫縁、中納言は青縁、参議は高麗縁とされたのです。

 Ⓝ西廂が、Ⓞ弁・少納言の座です。ここも画面ではっきりしませんが、上席となる北端は、高麗縁の円座が敷かれた[カ]非参議大弁の座とされ、台盤一脚が置かれました。その南に間隔を空けて四脚の⑨台盤が一列に並べられ、円座はなく出雲筵が敷かれました。円座と筵で、身分を違えたのです。

外記・史の座 寝殿から離れた、東西四間となるⒻ西北渡殿の西側三間が、Ⓟ外記・史の座です。ここも二行対座になります。北側が外記、南側が史で、⑩出雲筵の帖(薄い畳)が敷かれ、⑪台盤二脚が置かれました。

 西北渡殿の東端の間(ま)は、臨時に南北二つに区画され、北が公卿、南が尊者のⒼ休所とされましたが、先ほど触れましたように、尊者以外の人物が描かれてしまっています。休所は、用を足すために設けられました。

西中門廊 Ⓕ西北渡殿の西側は、通路を隔ててⓆ西中門廊となりますが、画面では連続したように描かれています。ここにも五人に官人が坐っていますが、本来はもう少し北側に、侍従・諸大夫の座として設けられたのを、ここに描いたのだと思われます。大饗には、この他にも、下級官人の席も設けられましたが、画面にはありませんので、説明は省略させていただきます。

 なお、五人が坐る西中門廊の南端は、地面になっています。ここには『枕草子』に「Ⓡ千貫の井」として登場する井戸があって、京内で有名でした。この井戸を守るために、東三条邸では西の対が設けられなかったとも言われています。

鷹飼と犬飼の登場 宴が進行すると、[イ]犬飼を連れた[ア]鷹飼が、⑫幔門(前々回参照)から南庭に登場します。鷹飼は鷹狩で獲れた⑬雉を木の枝にさし、⑭鷹を左肘に留まらせています。犬飼は、野に隠れる小動物を追い出すために使われる⑮犬を連れています。二人とも天皇の鷹狩に奉仕する蔵人所の下級官人になります。鷹飼は、前々回の場面で描かれていました立作所(料理所)で雉を渡し、ここで酒を勧められ、盃を犬飼に回しました。そして、禄を戴き、退場して行きます。

 二人の登場は大饗での余興であり、退場してからは、さらに舞楽などが行われて、饗宴は続いていくことになります。

 なお、⑮幔門の西側(左側)とⓈ溝とのあいだは土間になるⓉ透廊になっていることが画面で分かります。前々回では、ここは描かれていませんでしたね。この透廊は、南池まで延びています。

この画面の意義 今回は大臣大饗の宴席の様子を中心に見てみました。母屋・廂・渡殿という場所、宴席を囲う屛風・軟障などの屏障具、そして、画面では分からない点も触れましたが、座に敷かれる茵・円座・筵・帖などの座臥具などを違えることで身分差を、さらにそれぞれの座でも上席が決められ序列を視覚化していました。貴族たちが会合する場は、いつでも身分や序列が問題になるのです。それは、後の武士の世でも、あるいは今日でも変わらない光景となりますね。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回扱いました「東三条殿」は、現在でも京都市の中京区押小路通釜座角(京都市営地下鉄烏丸線・地下鉄東西線「烏丸御池駅」から徒歩)に石標があり、その付近が東三条殿の跡地であることを今に伝えています。
 2013年4月に始まり、56回にわたって連載して参りました、倉田実先生の「絵巻で見る 平安時代の暮らし」は、都合により2017年1月から休載期間に入ります。1年後を目処に、また再開の予定ですので、何とぞ引き続きご愛読ください。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第55回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会での右近衛陣の饗」を読み解く

2016年 11月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第55回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会での右近衛陣の饗」を読み解く

場面:御斎会の折、右近衛陣(うこのえのじん)で饗(きょう)が行われているところ
場所:平安京内裏の校書殿(きょうしょでん)東廂・月華門(げっかもん)付近
時節:1月14日?

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建物等:①校書殿 ②月華門 ③安福殿(あんぷくでん) ④紫宸殿南庭 ⑤右近衛陣 ⑥油坏(あぶらつき) ⑦結び灯台 ⑧仮廂 ⑨檜皮葺屋根 ⑩釣り金物 ⑪二枚格子の上部 ⑫下長押 ⑬垂板敷(おちいたじき) ⑭西座 ⑮綱 ⑯半畳(はんじょう) ⑰丸高坏 ⑱机 ⑲溝蓋 ⑳瓶子(へいじ)盃 溝 橋 東土廂 北廂
人物:[ア] 弁か少納言 [イ]次将 [ウ]・[カ]公卿 [エ]親王か [オ]将監(しょうげん) [キ]官人 [ク]近衛府の武官 
着装等:Ⓐ下襲の裾 Ⓑ・Ⓗ太刀 Ⓒ平緒 Ⓓ浅靴 Ⓔ緌(おいかけ)の冠 Ⓕ壷胡簶(つぼやなぐい) Ⓖ弓

はじめに 今回は、内裏の殿舎の一つ、校書殿に置かれた右近衛陣での饗(供応)の様子をみることにします。この饗は、第3940回で扱いました御斎会(ごさいえ)の一環として行われました。御斎会については、これらの回をご参照ください。『年中行事絵巻』で御斎会は巻七に描かれていますが、右近衛陣の饗は、巻六に間違って入っています。

絵巻の場面 最初に、場面を確認しましょう。中心的に描かれているのが南北棟となる①校書殿で、②月華門を挟んだ南側(画面左)の③安福殿とともに④紫宸殿南庭の西側に位置していますので、西殿とも呼ばれました。画面はこの殿舎を東から西方向を眺めた構図になっていますので、描かれているのは、東側になります。校書殿東廂の南半分ほどには、⑤右近衛府用の陣(詰所)が置かれ、ここが饗の会場として使用されたのです。

 描かれた日は、七日間にわたった御斎会の最終日です。大極殿での儀(第39回参照)終わり、参加した公卿や運営に携わった官人たちが内裏に戻ってきて、この東廂で饗が供されました。さらに引き続いて清涼殿での内論議(うちろんぎ。第40回参照)となりますので、ここで食事という次第になったのでしょう。しかし、こんな狭い所で官人たち全員の饗などできませんので、多分に儀式的側面があったことになります。

 時間帯は、どうでしょうか。灯りが描かれていれば、夜の時間でしたね。その灯りは描かれています。室内の板敷に、三本の短い棒を結わえて開いた上に火の灯された⑥油坏(油皿)が見えますね。これは⑦結び灯台と言い、宮中の行事などでよく使用されました。

校書殿 続いて、校書殿について触れておきます。九間二間の母屋には、北と南に二間分の塗籠が作られ、中央五間分が納殿(おさめどの)とされました。ここが蔵となります。
 廂は北以外に付き、西廂には、貴重な書物や文書を扱う校書所(きょうしょどころ)があり、その任にも当たる蔵人所(くろうどどころ)も置かれました。校書殿が文殿(ふどの)とも呼ばれるのは、こうしたことに依っています。蔵人所とは、天皇側近として諸処の用をつとめる役所を言います。この一画には、出納(しゅつのう)や小舎人(こどねり)といった納殿の番をする下級職員が控えていました。

 東廂は、右近衛陣の他に、北側は「孔雀の間」と呼ぶ土間があり、以前にここで孔雀が飼われていたからと言われています。この北にさらに二間分の東廂がありました。

 南廂は、東廂の左から二間目の奥になり絵では壁で隔てられています。柱間が他より狭くなっている左端は、⑧仮廂とされています。

右近衛陣 さらに具体的に東廂の右近衛陣を見ていきましょう。⑨檜皮葺屋根の軒下から下ろされたL字形の⑩釣り金物に、⑪二枚格子の上部が掛けられています。下部は、饗のために取りはずされています。

 室内は、少し変わった構造になっていて、三つの部分に区画されているのが、お分かりでしょうか。左側の三間目から床が一段高くなっているのが見えますね。⑫下長押分の段差が作られているのです。しかし、この段差は奥の母屋との境まで届かず、その手前で低くなっています。これによって、⑬垂板敷(下板敷)と呼ぶ、低くなっている左二間分、母屋に沿って低くなった⑭西座の部分、そして、下長押の上の部分に三層化されるのです。これは、何のためでしょうか。もうお分かりですね。身分によって坐る場所を序列化するためでした(後述)。

 下長押の上方には、⑮綱が垂れているのが描かれています。この綱は、上長押の上を通して西廂に続いていて、そこには鈴が付けられていたと思われます。東廂で綱を引くと、西廂の鈴が鳴り、控えている小舎人などを呼ぶ合図にしたのです。これとは別に、西廂から清涼殿南側にも綱が引かれていて、こちらは鈴の綱と呼ばれていました。東廂の綱も、同じように鈴の綱と呼ばれたと思われます。

饗に着く官人たち それでは序列化された室内の官人たちを確認しましょう。坐る場所は、次のように決められていました。⑬垂板敷に北向きに坐るのは三等官の[ア]弁や少納言、⑭西座はここでは空席ですが、四等官の外記(げき)か史(さかん)、垂板敷に西向きに坐るのは二等官の[イ]近衛の次将(中将・少将)、一段高い所で対座するのが[ウ]公卿で、[エ]親王は東向きに坐りました。四等官制の身分の違いが見事に視覚化されていますね。

 官人たちは皆黒袍の束帯姿で、Ⓐ下襲の裾を引き、Ⓑ帯剣している者もいます。それぞれ⑯半畳に坐り、公卿の前には⑰丸高坏、垂板敷に坐る人の前には⑱机が置かれ、料理が並んでいます。この饗では三献後に薯蕷粥(芋粥。いもがゆ)が供されましたが、まだ一献なのかもしれません。

 画面右側には、⑲溝蓋にいる者の⑳瓶子(酒瓶)から盃に酌を受けた様子が描かれています。これを近衛府の[オ]将監(三等官)から次将が酌を受けているとする説がありますが、どうでしょうか。受けているのは[カ]公卿と思われます。四位や五位となる次将は、継酌(つぎしゃく)と言って、身分の低い者にかわって、王卿に献盃することになっていました。ですから酌を受けているのは、次将ではなく公卿と思われます。しかし、献杯しているのは、次将ではなく、将監のようです。

 盃を持つ公卿の左横は壁のように見えますが、ここには壁はなく、左側と続いていたようです。模写した絵師が描き忘れたのかもしれません。

月華門・安福殿 さらに見ていない画面を確認しましょう。二人の[キ]官人が入ってきた門が②月華門で、南庭東側の日華門と相対しています。門内の溝には橋が架けられています。この官人は右近衛陣の饗にこれから加わるのかもしれません。Ⓒ平緒を下げ、Ⓓ浅靴をはいています。

 月華門の左が③安福殿でした。侍医などが控えた薬殿(くすどの)があり、造酒司(みきのつかさ)と主水司(もんどのつかさ)の者が出向していました。手前に見える所は、東土廂、その奥は北廂になります。

 安福殿の手前にたむろしているのは、近衛府の[ク]武官たちです。Ⓔ緌の冠をかぶり、Ⓕ壷胡簶を背負い、Ⓖ弓を持ち、Ⓗ帯剣しています。

この画面の意義 この画面は、校書殿の東廂を描いています。実は、第12回の賭弓でも校書殿が描かれていましたが、幔で隠されて、わずかしか見えませんでした。しかし、今回の場面では東廂だけとは言え、階層化された室内が描かれて貴重でした。

 饗の様子は、第51回の射遺、第52回の中宮大饗でも扱いましたが、これらとは違った席次となっていました。下長押分だけわざわざ高くする室内の仕組みは、貴族社会に身分規制がいかに徹底していたかが窺われるのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

* * *

【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、第54回で予告しておりました、「大臣大饗」の場面です。54回では拝礼の場面でしたが、次回は酒宴の途中の場面を採り上げます。ご一緒に、東三条邸の酒宴の場面に参入しましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

2016年 10月 15日 土曜日 筆者: 倉田 実

第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

場面:大臣大饗が始まるところ
場所:東三条邸の寝殿と南庭
時節:1月4日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ五級の御階 Ⓑ寝殿 Ⓒ西広廂 Ⓓ打出(うちで) Ⓔ東南一間分 Ⓕ御簾 Ⓖ簀子 Ⓗ南廂 Ⓘ畳(親王の座) Ⓙ西透渡殿(すきわたどの) Ⓚ西階
人物:[ア] 角髪(みずら)に結った船差童(ふなさしわらわ) [イ]主人 [ウ]尊者 [エ]公卿 [オ]弁・少納言 [カ]外記・史(げき・さかん) [キ]家礼(けらい) [ク]召使 [ケ]随身
庭上:①立作所(たちつくりどころ) ②俎板 ③・④・⑯二階棚 ⑤鯉 ⑥折敷高坏 ⑦・⑰瓶子(へいじ) ⑧・⑱折敷 ⑨・⑩・⑲・⑳床子 ⑪酒部所(さかべどころ) ⑫土器製の酒樽 ⑬柄杓 ⑭火炉 ⑮大釜 幔(まん) 幔門 荒磯 南池 龍頭の舟 鷁首の舟 棹 楽太鼓 下襲の裾 笏 石帯 

はじめに 今回は、第52回で正月の中宮大饗を読み解きましたので、関連した大臣大饗を採り上げることにしました。これまで大内裏・内裏の様子を見てきましたが、貴族邸が絵巻の舞台になります。

寝殿造図の間違い 突然ですが、原典(原本は焼失。現存は模写本)の寝殿造の建物には、おかしなところがあります。お気づきでしょうか。Ⓐ五級の御階を見てください。位置がおかしくはありませんか。御階はⒷ寝殿南面の中央に位置するのが普通でした。しかし、この図では、御階の東側(右側)が三間、西側(左側)が五間になっていますね。御階の位置がおかしく、もう一間西側に移して描けば、両側の東西は四間ずつになりました。絵師が御階の位置を勘違いしたと思われます。

 『年中行事絵巻』巻十には、この大臣大饗の終わりの段階を描いた絵も載っています。その絵では御階の東側は、四間のように見えます。また、この大臣大饗の場となったとされる、藤原氏の氏の長者が主に伝領した東三条邸の構造とも違っています。東三条邸寝殿は六間四面で、北孫廂とⒸ西広廂(吹き放し)が付き、東西九間、南北五間であったことが明らかにされています。そして、御階は中央の五間目にありました。

 やはり御階の位置は、原典の間違いとなりましょう。この他に、四足の机などに一足描き忘れたりしていますので、模写する際に問題があったのでしょう。

絵巻の場面 それでは、絵巻の場面となる大臣大饗について触れておきます。大臣大饗は、摂関や大臣が私邸に王卿や官人たちを招いて饗宴を催すことを言います。毎年正月四日から五日と、大臣任官の際に行われる二通りがありました。ここは正月の大饗で、来訪の挨拶(拝礼)、酒宴、賜禄、退出と続きますが、この間に、幾つか趣向がありました。今回は、拝礼の場面で、次々回に酒宴の途中の場面を採り上げることにします。

東三条邸の室礼 大饗を催す際には、しかるべき準備や室礼がされました。この画面でも、その一端が分かります。Ⓑ寝殿では南面東端二間分に、Ⓓ打出がされています。本来でしたら、Ⓔ東南一間分にも打出がされますが、画面ではよく分かりません。打出は、女性衣装の袖口や褄(つま)などをⒻ御簾の下からⒼ簀子に押し出して飾りとすることでした。

 また、御階西側のⒽ南廂が一段高くなっています。これは、Ⓘ畳二帖が敷かれているためで、親王の座とされました。これも位置的には、御階と共に西側にもう一間ずらされなければなりません。この奥には、来客たちが坐る座が整えられましたが、詳しいことは次々回に触れることにして、南庭に目を転じましょう。

南庭の準備 南庭にもこの日のための準備がなされます。まず目につくのが、二つの幄舎です。東側にある幄舎は、①立作所で、ここで雉や鯉などを調理します。中央には大きな②俎板を二つ載せた台が置かれています。この左右には、③④二階棚があります。③左側の上段手前には、絵では⑤鯉が描かれていますが、本来は下段に置かれました。奥には二つの⑥折敷高坏が二つ見え、中に蘇(そ。チーズのような食べ物)と甘栗とが壺に入れられているようです。これは、宮中から蘇甘栗使によって、大饗のために贈られました。大饗は公的な儀式であったことを思わせます。④右側の棚の上段手前には、⑦瓶子(酒と酢を入れた)が見え、奥にお盆の役をする⑧折敷が置かれています。折敷は本来、塩などと共に下段に置かれました。俎板台の手前と奥には、包丁人(料理人)用の⑨⑩床子が置かれています。手前の⑨床子には一足が描き忘れられていて、⑩奥のは俎板台の下に置かれているように見えますが、これでは坐れませんね。画面ではカットしましたが、この幄舎の東側には、釜を据えた火炉が置かれました。

 西側の幄舎は、⑪酒部所といって、お酒のお燗をします。右側には、大きな⑫土器製の酒樽に⑬柄杓が添えられています。中央には台(足の一本が描かれていません)に載せた⑭火炉があり、⑮大釜が二つ据えられています。ここでお燗するわけです。左側には⑯二階棚が置かれ、上段には⑰瓶子が四つ置かれているのが見えます。下段には、絵でははっきりしませんが、⑱折敷が置かれていて、これに瓶子や盃を載せて、宴席まで運びます。幄の手前と奥には、酒番をする人用の⑲⑳床子が見えますが、手前に二脚置いたようです。

 この幄舎の西側には、幔が張られ、幔門が作られています。東三条邸では、この幔に沿って左側に釣殿に続く透廊がありましたが、絵巻では省略されています。幔の奥の内側に見えるのはⒿ西透渡殿で、西端にここに上がるためのⓀ西階が見えます。なお、東三条邸には、西の対がなく、特殊な構造になっていますが、これも次々回で触れます。

 荒磯のある南池には、龍頭の舟と鷁首の舟が見えます。棹で漕ぐのは[ア]角髪に結った船差童四人ずつです。鷁首の舟には楽太鼓が見え、船楽が奏せられます。

拝礼の仕方 次は、儀式の次第です。Ⓐ御階手前の東側に立つのが[イ]主人です。一人歩んできたのは、この日の最も高位の人で、[ウ]尊者と言います。下襲の裾を長く引いた二人は揖(ゆう)と言って、笏を両手で持ち、上体を前に傾けて礼をしています。

 この揖以前、三列に整列した時点で、主客は拝礼しています。各列は東が上で、一列目に[エ]公卿(三位以上)、二列目に[オ]弁・少納言(四、五位相当)、三列目に[カ]外記・史(六、七位相当)となります。整列は、二列目の先頭が一列目の三人目の後ろから、三列目は二列目の二人目からとなっていましたが、この絵では三列とも先頭は揃っていますね。

 整列している人たちは束帯姿ですが、黒く描かれた人と、そうでない人に分かれています。袍の色は11世紀にもなると、一位から四位までは限りなく黒くなりますので、この絵でも四位以上が黒で、五位以下の人とわざと区別しているのでしょう。[カ]外記・史たちは下襲の裾を引いていませんが、これは畳んで石帯にはさんでいることになります。

宴席への移動 宴席への移動の仕方にも身分に応じて作法がありました。主人と尊者は御階の前で三譲(さんじょう)といって昇殿を三度譲り会ってから、沓を脱いで並んで上がります。主人はⒾ親王座、尊者は、奥の尊者座に着きます。それに続いて、公卿たちも御階を上がり母屋の座に着きました。

 弁・少納言は、幔の北のⒿ西透渡殿のⓀ西階からに上がり、寝殿西廂の座に着きます。外記・史は一端幔門の外に出て、描かれてはいませんが西北渡殿に上がり、そこの座に着きます。さらに、幔門に待機する束帯姿は、東三条邸に普段から出入りしている [キ]家礼(家来)たちで、拝礼なしで西透渡殿から上がりました。貴族社会では、昇殿の仕方にも身分差があったのでした。なお、幔門の外側にいるのは、昇殿した主人の沓を取る[ク]召使たちのようです。また、南庭にいる武官姿は、[ケ]随身たちです。

この画面の意義 今回は大臣大饗の拝礼の場面を見てみました。寝殿造や整列の仕方などにおかしさがあるとはいえ、拝礼する様子が分かり貴重でした。さらに次々回も大臣大饗を採り上げて、理解を深めたいと思います。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』より、儀式関連についての解説が続きます。どうぞお楽しみに。

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全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

2016年 9月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏南門の承明門(じょうめいもん)から建礼門(けんれいもん)にかけて
時節:1月2日?

(画像はクリックで拡大)

建物:①承明門 ②建礼門 ③・⑩石の基壇 ④・⑯檜皮葺の屋根 ⑤棟瓦 ⑥・⑨三級の石階 ⑦・⑮築地 ⑧複廊 ⑪瓦屋根 ⑫檜皮葺の廂屋根(出廂) ⑬三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)の妻 ⑭瓦 ⑰仗舎(じょうしゃ) ⑱妻戸 ⑲連子(れんじ) ⑳白壁
人物:[ア] 黒袍束帯姿の右兵衛督 [イ] ・[エ]褐衣(かちえ)姿の舎人(とねり) [ウ] 黒袍束帯姿の左兵衛督  [オ] 黒袍束帯姿の文官 [カ] 童 [キ] 黒袍束帯姿の右衛門督  [ク] 口取りの白張(はくちょう)
着装:Ⓐ緌(おいかけ) Ⓑ券纓(けんえい)の冠 Ⓒ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓓ・Ⓗ弓  Ⓔ靴(かのくつ) Ⓕ平緒(ひらお) Ⓖ壷胡簶 Ⓘ藁靴

はじめに 今回は、第46回で扱いました『年中行事絵巻』の朝覲行幸に出発する場面の続きを採り上げます。朝覲行幸は、天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会することでした。今回の場面は、高倉天皇が紫宸殿を出発するところで、これから平安京の東外、七条末路辺に建てられた父の後白河上皇が住む法住寺南殿に向かいます。この邸第も第17回第18回で扱っていますので、ご参照ください。

内裏の内郭と外郭 最初に平安京内裏の区画について改めて触れておきます。内裏は、二重の障壁によって囲まれていました。外側は外郭といい、築地と六つの門などからなり、内側は内郭といい、回廊と十二の門からなっています。外郭の門を宮門(きゅうもん)、内郭の門を閤門(こうもん)と呼ぶこともあります。これから見ます画面には、内郭南面の正門となる承明門と、外郭南面の正門となる建礼門が描かれているのです。

これらの門を警護したり、開閉したりするのは、衛府と呼ばれる官司の武官たちです。平安時代には六衛府制となり、近衛府・衛門府・兵衛府の三つに整備され、それぞれ左右に分かれました。そして、守備する場所が分担されたのです。内郭は近衛府、外郭は衛門府、中郭は兵衛府、というように担当が決められました。門の開閉は内側からしますので、承明門は近衛府、建礼門は兵衛府が当たります。

これから読み解きます場面は、第46回で見ました内郭を守備する近衛府に続いて、兵衛府と衛門府の分担が表現されていますので、以上のことを念頭に置いて見るようにしてください。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。東から西を眺めた構図になっています。画面右方向(北)には紫宸殿があり、天皇は鳳輦(ほうれん。天皇専用の輿)に乗って、これから南の①承明門・②建礼門をくぐって行くことになります。

 この場面では、人々の様子が二通りになっているのがお分かりですか。画面上部に居並ぶ武官たちは静止していますが、手前の人たちはあわただしく動いていますね。これはどうしたことでしょうか。これも六衛府の役割分担にかかわっているのです。

行幸の行列は、天皇の鳳輦を中心として前後に分かれます。前に位置するのが左の衛府、後ろが右の衛府となります。画面手前の武官は南面する天皇から見て左となりますので、鳳輦の前に位置しようとして動いているのです。画面上部の右の衛府は、行列の後ろですので、鳳輦が通過するのを待っているのです。だから静止しています。この点だけでも、行幸の次第や衛府の役割が分かりますね。

承明門 話は反れますが、京都御所の拝観をしたことがありますか。その拝観ルートで、回廊の門の外側から、内部の紫宸殿南面を見ることができます。その門が、画面右側にある①承明門なのです。拝観ルートは外郭と内郭のあいだを通っているわけです。

 承明門は、③石の基壇の上に建てられます。④檜皮葺の屋根に⑤棟瓦を載せ、五間三戸(第50回参照)になっていますが、この図では、はっきりと分かりません。基壇には、北側に二級、南側に⑥三級の石階が付いています。

 承明門の東西は、中央の⑦築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれる⑧複廊の回廊になっています(第52回参照)。

兵衛たち 次に承明門の南側にいる人々を見てみましょう。二人の黒袍の束帯姿の武官が目立つようにやや大きく描かれています。[ア]西側(画面上部)の人で確認しましょう。Ⓐ緌の付いたⒷ巻纓の冠にⒸ平胡簶を背負ってⒹ弓を持ち、履いているのは縁を赤地で飾ったⒺ靴(第10回参照)です。Ⓕ平緒が下がっていますので、画面には見えませんが太刀を佩いています。典型的な武官の正装ですね。その横に並ぶ人たちとは、あきらかに身分が異なっています。これらの人々は兵衛府の[イ]舎人(下級の武官)で、褐衣姿にⒼ壷胡簶を背負ってⒽ弓を持ち、Ⓘ藁靴になっています。

 それでは、この黒袍の人は誰になるのでしょうか。もうお分かりですね。この場所を守備するのは兵衛府で、西側が右でしたので、この人は長官の[ア]右兵衛督となります。そうしますと、東側で移動している同じ装束の人が[ウ]左兵衛督になります。こちらの[エ]舎人たちは、一緒に移動していますね。

 承明門で建礼門の方を見ている[オ]黒袍の人が見えます。この人は、緌や胡簶が見えませんので文官になり、行幸の進行役になるのでしょうか。階段を駆け上がっている[カ]童は、様子を見に来た衛門督に従う使いでしょう。その他の人たちも行幸の行列が出発しますので、あわただしく往来しています。

建礼門 続いて②建礼門を見ましょう。これも⑨三級の石階のある⑩基壇の上に建っていますが、屋根は違います。⑪瓦屋根で、南側には⑫檜皮葺の廂屋根が付いています。これを出廂と呼びます。屋根の下の妻(側面)は、複雑な飾りとなっています。これは第50回で見ました待賢門の⑬三重虹梁蟇股という構造と同じになりますね。ただし、待賢門は桁(横木)が突き出ていますので、見た目は同じではありません。

 建礼門の東西は⑭瓦を載せた⑮築地になっています。内裏をしっかり区画しているのです。門前の東西にある⑯檜皮葺の小さな建物は、⑰仗舎と呼ぶ左右衛門府の守衛所です。正面に⑱妻戸、その両側の上部は格子状の窓となる⑲連子(檑子とも)、下部は⑳白壁(粉壁とも。ふんぺき)になっています。残り三面も⑳白壁です。

外郭の衛門たち 西の仗舎の横に立つ黒袍の武官は、先の兵衛督と同じ装束ですね。こちらは外郭の外にいますので、[キ]右衛門督になります。左衛門督は、カットした画面左側にいて、すでに騎乗して出発しています。門前には七頭の馬が描かれていますが、五位以上の武官が騎乗することになっていました。馬たちは、何かに驚いたのか、前脚を上げたりして興奮した様子です。それを必死に押さえつけようとしている[ク]口取りたちは、主に白布の狩衣を着た白張と呼ぶ下部たちです。馬のいななきや、叱咤する白張たちの喧騒が聞こえてきそうな門前となっていますね。こうした光景を描くのは『年中行事絵巻』の特徴の一つでした。

 なお、馬具一式を鞍と呼び、当時は様式の違いから唐鞍・大和鞍・移鞍(うつしくら)の三種がありました。ここは移鞍になりますが、その詳細は割愛して、いつか触れることにしたいと思っています。

この画面の意義 今回は第46回の画面の続きでした。二つを並べてみますと、左右の、近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかりますね。それぞれの長官が目立つように描かれていました。そして、役割の違いは、内裏の構造とかかわっていたのでした。絵巻は行幸の次第を描こうとして、おのずと六衛府のことを表現していたのです。衛府の違いも分かるところにこの画面の意義があることになります。

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■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

2016年 8月 20日 土曜日 筆者: 倉田 実

第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

場面:中宮大饗で饗宴をするところ
場所:平安京内裏の玄輝門の西廊北面
時節:1月2日の夜

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ玄輝門(げんきもん) Ⓑ檜皮葺の屋根 Ⓒ腰屋根 Ⓓ半蔀(はじとみ) Ⓔ回廊 Ⓕ築地 Ⓖ徽安門(きあんもん) Ⓗ四間二面の幄舎 Ⓘ二間二面の幄舎
室礼・装束:①軟障(ぜじょう) ②灯炉(とうろ) ③・⑪打敷 ④・⑤台盤 ⑥・⑦兀子(ごっし) ⑧長床子(ながしょうじ) ⑨御簾 ⑩几帳の裾 ⑫・⑬幔 ⑭大釜 ⑮火炉(かろ) ⑯案(あん) ⑰水注(すいちゅう) ⑱大皿 ⑲机 ⑳山盛りの飯 小皿 笏 太刀 下襲(したがさね)の裾 靴(かのくつ) 浅沓 松明 紐か 松明の束 弓 弦巻 壷胡簶(つぼやなぐい) 尻鞘(しりさや)の太刀 緌(おいかけ)の冠
人物:[ア]・[セ]童 [イ]・[ウ]束帯姿の公卿 [エ]束帯姿の四位の殿上人 [オ]束帯姿の五位の殿上人 [カ]下級官人 [キ]褐衣姿の下人(かちえすがたのしもびと) [ク]額烏帽子の童 [ケ]白張姿の下人 [コ]水干姿 [サ]・[シ]随身  [ス]狩衣姿の男  [ソ]束帯姿の六位か [タ]冠直衣姿 [チ]狩衣姿 [ツ]女性 

絵巻の場面 今回は『年中行事絵巻』の新年恒例の儀式「中宮大饗」の場面を読み解きます。新年二日に群臣たちが、中宮(皇后)と東宮に拝礼して、饗宴と禄を賜わる儀式を「二宮大饗」と呼び、それぞれ「中宮大饗」「東宮大饗」とされました。この場合の「中宮」は、皇后・皇太后・太皇太后などになりますが、多くは皇后か母后のいずれか一人が主催しましました。群臣たちが「中宮」の御所で拝礼した後、内裏内郭(後述)の北面中央の正門となりますⒶ玄輝門(玄暉門・玄亀門とも)北側に移動して、その西の回廊などで饗宴を行うのが、今回の場面になります。したがって、絵巻の画面は北から南を眺めた構図になり、右が西、左が東になります。時間は、松明が描かれていますので、夜になっていますね。なお、東宮大饗は中宮大饗の後、玄輝門の東回廊で行われます。

玄輝門 最初にⒶ玄輝門について見ておきましょう。この門については、第42回で扱っていて、そこでは南側が描かれていました。今回は、北側となります。Ⓑ檜皮葺の屋根から分かりますように三間の門になり、通行できるのは中央一間分で、絵では[ア]童が追い出されて手前に走って来る所になります。その両側はⒸ腰屋根のつく部屋が張り出しています。格子状になっているのは、Ⓓ半蔀です。ここは内裏中郭(内側の囲いと外側の囲いの間)を守る左右兵衛府の佐(すけ。次官)の宿所に充てられます。反対側の南面は、内郭(内側の囲いの中)を守る近衛府の次将や将監(三等官)の宿所になります。

回廊と徽安門 門の東西は複廊のⒺ回廊になり、中央のⒻ築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれます。画面上部が外側になり、右上に見える扉は、築地に開けられたⒼ徽安門と呼ぶ玄輝門の掖門(えきもん。脇の小門)です。玄輝門東側にも、徽安門に対して安喜門と呼ぶ掖門がありました。それぞれ一間分の小門です。

宴席の室礼 それでは饗宴の室礼を見てみましょう。大和絵が描かれた①軟障が回廊中央のⒻ築地に沿って張り巡らされ、宴席としています。各軟障の間には、照明のために垂木(たるき)に懸けて下げられた②灯炉が見えます。③打敷(敷物)の上にはテーブルとなる④⑤台盤と腰掛けとなる⑥⑦兀子や⑧長床子が置かれています。宴席の左方の部屋からは、⑨御簾が下ろされ、⑩几帳の裾が押し出されています。ここには中宮の代わりとして内侍が控え、宴の終わりに官人たちに禄を下賜しました。御簾の右方に方形の⑪打敷が置かれているのは、ここで戴くためです。

 庭にも大饗のための用意がされています。玄輝門の右手前には⑫幔が引かれ、Ⓗ四間二面の幄舎(後述)の右側にも⑬幔が張られました。玄輝門西側の庭の一画が区画されたのです。この幄舎に並んで、Ⓘ二間二面の幄舎も張られています。ここは酒部所(さかべどころ)で、お燗するための⑭大釜が見えますね。釜は⑮火炉と呼ぶ囲炉裏のようなものに据えられています。その右方の⑯案(台)の上には、酒瓶となる⑰水注や⑱大皿などが並んでいます。

宴席の席次 貴族社会は身分社会ですので、宴席でも席次の違いが視覚化されていました。身分によって座が違うのです。お分かりでしょうか。衣装に違いはありませんが、台盤と、腰掛けが違っていますね。[イ]左端の人の④台盤は小さめで、⑥兀子は原画では坐る面に朱色の文様があります。その右横には長い⑤台盤があり、手前に四脚見える⑦兀子は彩色されていません。さらにその右横は、台盤は同じですが、⑧長床子になっています。ここだけで、三ランクあることが分かりますね。左端(東)が上座で、兀子は参議(宰相)以上が使用しますので、これに坐るのは三位以上の[イ] [ウ]公卿(上達部)たち、長床子は[エ]四位の殿上人となります。ただし、四位はⒼ徽安門西側に坐ったようですが、絵ではそこに宴席は描かれていません。どうしたことでしょうか。さらに宴席は、先のⒽ四間二面の幄舎も使用されました。⑲机が六脚ほど並べられ、ここには[オ]五位の殿上人が坐ることになっていました。回廊に坐るのと随分差がありますね。なお、宴は進行しており、⑤台盤の上には、⑳山盛りの飯や小皿が並べられています。

参集した人々 続いて人々の様子を見ていきましょう。[イ] [ウ] [エ] [オ]宴席の官人たちは束帯姿で、笏を持ち、帯剣し、下襲の裾を引き、靴を履き、向かい合って坐っています。唱平(しょうへい)といって、杯を勧めて相手の長寿を祝うのが作法でした。

 庭の中央には浅沓を履いた[カ]下級官人や裸足で[キ]褐衣姿の下人たちが松明を持って照明しています。[ク]額烏帽子の童が、新しい松明を手渡していますね。右手の下に見えるのは、束ねていた紐でしょうか。松明は長く持ちませんので、玄輝門手前には、[ケ]白張姿(白布の狩衣)の男に連れられて、[コ]水干姿の男が松明の束を背負って補充しに来る様子が描かれています。リアルですね。

 ⑫幔の右側にいるのは[サ]随身たちです。弓を持ち、弦巻をさげ、壷胡簶を背負い、太刀は尻鞘に入れられ、緌のついた冠で、武官姿です。そのうちの[シ]一人が走っていますが、これは、中に入ろうとした[ス]狩衣姿の男や[セ]童を幔の外に追い払っている様子でしょう。

 幔の左側にいる人々は見物人たちです。様々な姿で興味深そうに覗いていたり、見に来たりしています。その中に、[ソ]束帯姿が見えますが、大饗に参加できない六位になるでしょうか。この他に[タ]冠直衣姿や[チ]狩衣姿、あるいは[ツ]女性や、割愛した部分には女童たちも描かれています。原画では様々に色分けされていますので、是非ご覧になってください。

貴族の行事と京の住人 画面左側に描かれた人々は、下級官人や京の住人たちになります。内裏には内郭までは入れなかったでしょうが、中郭までは自由に通行できたようです。現在の皇居や御所の警備の厳しさでは考えられないほど、当時の内裏は開放的だったのです。だから、何かの儀式や行事があると、見物に訪れたのです。このことによって『年中行事絵巻』は、貴族の行事を描きながら、多様な京の住人たちの様子が描かれることとなったわけです。「中宮大饗」一つを取っても、こんな人々の様子まで生き生きと描かれるところに、この絵巻の面白さと価値があるのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も『年中行事絵巻』が続きます。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

2016年 7月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

場面:射遺(いのこし)をするところ
場所:平安京内裏南面の建礼門の門前
時節:1月18日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ建礼門(けんれいもん)、Ⓑ幄舎(あくしゃ)、Ⓒ三級の石階、Ⓓ基壇、Ⓔ檜皮葺の廂屋根、Ⓕ壁、Ⓖ扉、Ⓗ瓦、Ⓘ築地、Ⓙ溝、Ⓚ仗舎(じょうしゃ)、Ⓛ妻戸、Ⓜ連子(れんじ)、Ⓝ白壁、Ⓞ檜皮葺、Ⓟ棟瓦、Ⓠ幔、Ⓡ幕、
室礼・装束:①筵(むしろ)、②半畳(はんじょう)、③台盤、④下襲の裾、⑤石帯、⑥・⑬矢、⑦鼓(こ)、⑧鉦鼓(しょうこ)、⑨丸い的(まと)、⑩候(こう)、⑪太刀、⑫弓、⑭弦巻(つるまき)、⑮鞆(とも)、⑯鞭(むち)、⑰烏帽子、⑱浅靴、⑲足駄
人物:[ア]・[イ]殿上人か、[ウ]・[エ]・[オ] 公卿か、[カ]・[キ]・[ク] 弁と少納言か、[ケ]・ [コ]射手、[サ][シ]衛府の下級官人

射遺とは 前回は射遺の為に公卿が参内する場面を扱いましたので、今回は射遺そのものを見ることにします。射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった六衛府の武官が、改めて射る儀式でした。いずれも、内裏の南正門となる建礼門の南面で行われました。したがって、射礼と同じ次第になりますが、それよりは簡略化されていました。公卿の中から参議一人だけが遣わされて儀式に当たり、観覧・饗饌に使用される幄舎(テント)は諸大夫(四位・五位の官人)用が撤去され、左右の陣(陣営)も置かれませんでした。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。南から北を見る構図になっていて、画面右に見えるのがⒶ建礼門です。その奥の内側にはさらに承明門があって紫宸殿の南庭になりますね。

 建礼門の門前は、広くとられて大庭(おおば)と言われることもあります。ここにⒷ幄舎が置かれ、西側が弓場(ゆば)として使用されました。建礼門の門前が儀式の場とされたのです。

建礼門 さらに建礼門を詳しく見ましょう。建礼門はⒸ三級の石階のあるⒹ基壇の上に建っています。見えている屋根はⒺ檜皮葺の廂屋根で、この奥に瓦葺の屋根がありました。大きさは、右端をカットしましましたが、原画では五間三戸に描かれています。線描では、左端のⒻ壁とⒼ扉が二つ見えますね。

 建礼門の両側はⒽ瓦を載せた高いⒾ築地になっていて内裏を区画しています。手前の地面に見えるのは、雨水を流すⒿ溝です。築地に直角に建てられているのは、内裏の外側を守備する右衛門府の守衛所となるⓀ仗舎です。門の右側(東側)には、左衛門府用のものがありました。共に内側中央部がⓁ妻戸になっていて、その両側の上部は格子状の窓となるⓂ連子(檑子とも)になっています。ただし、北側は絵師が描き忘れたのか、格子状になっていませんね。これら以外は、Ⓝ白壁となります。屋根はⓄ檜皮葺で、Ⓟ棟瓦が載っています。なお、建礼門については、次回にも扱う予定でいますので、再度触れたいと思っています。

幄舎 続いてⒷ幄舎の様子です。

 回りをⓆ幔で囲った、七間もある大きな幄舎が立てられています。Ⓡ幕が結び上げられていますので、内部の観覧席を兼ねた宴席の様子が分かります。地面に①筵を敷き、②半畳を重ねて、広い③台盤が置かれています。その上には、料理が並べられていて、すでに宴は始まっています。弓を射る儀式ですが、内裏で行われる場合は、饗饌(きょうせん)が欠かせないのです。

 貴族は身分社会ですので、この場でも席次が決められていました。前日の射礼の席次では、西側(左側)が上座とされました。席は西三間で東西に分かれ、西側の南面する上席に親王、向かい合って北面するのが公卿とされました。その東側の三間分には衛府の佐(すけ。二等官)が北、太政官の弁と少納言(三等官)が南に坐ります。さらに、右端一間分には、外記(げき)・史(さかん。共に四等官)が西面しました。

 しかし、この射遺の場面では、そのようには坐っていないようです。何よりも北側に坐っている[ア][イ]二人の場所は、衛府の佐の席になりますが、武官姿ではありません。殿上人のようです。射遺は略儀ですので、射礼とは変わっていたのかもしれません。なお、この二人の西側の上席は空席になっていますので、親王の臨席がなかったことになるようです。

 幄舎に坐る人たちは、④下襲の裾を引いた束帯姿ですが、この日らしい物を身に付けています。画面では見にくいのですが、⑤石帯に⑥矢を挟んでいるのです。これで射遺に参加していることを示しているわけです。

 左側の[ウ][エ][オ]三人は公卿のようで、横向きに視線を外に向けています。後で確認しますが、見物人たちが追い払われているのを見ているのかもしれません。北側の[ア][イ] と手前の[カ] [キ][ク]五人は、何やら話に興じているようにも見えます。絵巻はリアルにこの場を表現していますね。

弓場(ゆば) 次に弓を射る場、弓場を見ましょう。画面下に端だけ見えるのは、太鼓の類の、⑦鼓と⑧鉦鼓で、合図として鳴らされます。古代では太鼓の類は、戦乱の際の合図となりますので、「軍器」とされていました。

 射る場所は決められていて、射手は牛皮などを敷いた射席(いむしろ)に立ちますが、原画では描かれていません。射席から36歩の所に⑨丸い的を掛けた⑩候が置かれます。20㍍を超えるほどの距離になりますね。的は木製で大きさは二尺五寸(75㌢位)と定められ、候は木枠に鹿皮が張られました。線描では省略しましたが、候の後ろ3㍍ほどの所に山形(やまがた)と呼ばれた流れ矢を防ぐものが置かれました。これらはそれぞれ南北に二か所ずつ設けられ、六衛府に割り当てられました。

射手 射手は、北側が左近衛・右近衛・左兵衛、南側が右兵衛・左衛門・右衛門の順になり、それぞれ番(つが)われて射っていました。この画面では、どの衛府になるのかは分かりません。北側の[ケ]射手は腕がいいようで、一本目の矢が的の中央を射貫いていますね。二本目の矢は弓につがえられています。南側の[コ]射手は、まさに射ようとするところで、もう一本の矢を保持しています。

 射手は四等官の将漕(しょうそう)・志(さかん)たちになります。射礼や射遺では、⑪太刀を佩き、胡簶は背負わずに、⑫弓と⑬矢だけを持ったようです。腰には予備の弓弦を巻いた⑭弦巻が下げられます。左腕には、弦が手首を打つのを防ぐための革製の⑮鞆が巻かれています。

見物人たち 画面左上には、⑯鞭でもって見物人たちを追い払っている[サ][シ]衛府の下級官人が描かれています。物見高い京の住人たちは、儀式などがあれば、見物に訪れたのです。内裏の中は無理ですが、大内裏には自由に通行できたからです。ここは流れ矢の危険もあって追い立てているのでしょう。あわてた見物人たちは、逃げ惑っていて、地面にはその際に落ちた⑰烏帽子や、脱げた⑱浅靴や⑲足駄が転がっています。こんな光景をわざわざ描くのが、『年中行事絵巻』の面白さでした。

絵巻の意義 射遺は射手たちに禄が与えられて終了となります。そして、その後に内裏内の弓場において賭弓(のりゆみ)が行われました。『年中行事絵巻』はこの儀式も描いていて、第12回ですでに見ています。弓矢は、古代において最も重要な武器でした。ですから、弓を射ることは武力を誇示することであり、重要な儀式となったのです。現存する『年中行事絵巻』には射礼はありませんが、射遺から賭弓に続く一日の儀式が、こうして描かれていることは、とても意義深いのです。

※2017年2月22日に一部、修正を行いました。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
*本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』を取り上げます。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

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