著者ごとのアーカイブ

対応英語

2010年 11月 22日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(100)

『クラウン独和辞典 第4版』では、語義の記述に先立って対応する英語を適宜掲げている。例えば Brief(手紙)で letter を、kaufen(買う)で buy を、nehmen (手に取る・受け取る)で take を挙げるというぐあいに、掲げられるのは語源的にではなく、意味上、もしくは語法上対応する英語*である。だから、sterben(死ぬ)では同語源の starve(餓死する・させる)ではなく die を、同様にklein(小さな)では clean (きれいな)ではなく small, little を、また Affe(サル)でも ape(類人猿)ではなく monkey を挙げている。 Hund (犬)で dog を挙げて hound(猟犬)を挙げず、Vogel(鳥)で bird を挙げて fowl(ニワトリ;鶏肉)を挙げないのは、より一般的で平易な英語に限ったからである。語義ごとに分けて異なる英語を挙げるも場合ももちろん生じ、例えば Frau では ①(英woman)女性… ②(英 wife)妻…、rasenでは ①(英 rush, speed)疾走する… ②(英 rage)荒れ狂う… などとなるので、そこに語源を同じくする英語が登場するケースもある。Bein で ①(英 leg)(人間・動物の)足… ④(英 bone)骨… となっているが、bone がBein と同語源であるとはあえて記述しない。
 *筆者注:本稿では便宜上英語をイタリック体で表す。

意味の上で対応する英語を挙げるのは、ドイツ語が多くの日本の大学でいわゆる第2外国語に入っているように、ドイツ語の学習者のほとんどが第1外国語である英語の既習者であると考えられる現状を踏まえてのことである。独和辞典の利用者であるそうした人たちに、彼らの知っている英語をまず与えて、当該ドイツ語単語の意味の見当をつけさせるのは、語学の学習上たいへん有効であるからである。

先に「辞書の大きさ(2)」(こぼれ話91)でも触れたが、明治20(1887)年6月に共同館が発行した高良二・寺田勇吉共譯『獨英和三對字彙大全』(この当時は独和辞書の編著者は譯[述]者と称していた)は約16万語を収録する大型辞典であるが、見出し語だけでなく、用例句、派生語や関連語に至るまで記述されたすべてのドイツ語に英語訳と日本語訳を施している。巻末の跋言に「… 此書ノ體裁(テイサイ)タル英文ノ譯語ヲ採用セル者ハ他ナシ一ハ和譯ノ不充分ヲ補ヒ一ハ佗年(タネン)英語ノ益々(マスマス)我邦ニ流行シ竟(ツイ)ニ通用語トモナルベキノ気運アルニ由リテ然(シカ)ルナリ …」(注:ふりがなは筆者)と記されてある。今日われわれの身の回りにも英語あるいは英語とおぼしき日本語が充溢氾濫してはいるが、幸いなことに英語を我が国の通用語にしようなどという運動はまだ起こっていないようである。


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

海外でつくられた独和・和独辞書

2010年 10月 4日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(94)

日本語の使用される地域はほとんど日本領土内に限られているし、日本語表記文字の独自性からみて、独和辞典も和独辞典も、日本国内で編集・印刷・出版され、流通するものと考えられがちである。しかし事実は、日本語に興味関心を寄せる人間は明治以前からドイツ語圏に存在していたので、彼の地にも以前から日本語とドイツ語の対照辞書があった。

1851年Wienで“Wörterbuch der japanischen Sprache von August Pfitzmaier.”のLieferung1が刊行された。August Pfitzmaierはオーストリア帝国科学アカデミー会員で東洋学者であった。当分冊は33.5×26.0cmの大型判で全80頁の中にI「い」に始まる日本語1040語を収めてドイツ語で解説している。残念ながら第2分冊以降は刊行されずに終ったようである。1851年といえば嘉永4年に当り、ペリー来航(嘉永6年)の2年前であり、当時の日本では、幕府の「洋書調所」がようやくドイツ語の単語集『官版獨逸單語篇』を出したのが1863年、最初の独和辞典とされる『孛和袖珍字書』(1872 明治5年)の出版される20年以上も以前であることを思えば、驚くほかはない。筆者がこの原書を日本の古書店の目録で見つけて入手した経緯については、すでに他のところで書いたことがあるのでここでは繰り返さない。

1873年5月刊行の『獨和字典』(DEUTSCH-JAPANISCHES WÖRTERBUCH MIT EINEM VERZEICHNISS DER UNREGELMÄSSIGEN ZEITWÖRTER. 松田爲常 瀬之口隆敬 村松經春編)は、その扉の右頁にSHANGHAI AMERIKANISCHE MISSIONS BUCHDRUCKEREI と書かれてあり、さらにその裏頁にGedruckt in der Amerikanisch
Presbyterianischen Missions Presse in Shanghai と記されてあるように、中国の上海のアメリカ長老派教会美華書院で印刷されたものである。おそらく当時の日本の欧文活字印刷技術などの関係上、上海で作って日本に運搬したと思われる。編者たちが薩摩学生と名乗っていることから薩摩辞書と称せられた。

筆者の手許に赤い表紙に金文字でLANGENSCHEIDTS TASCHENWÖRTERBÜCHER Japanisch と記された辞典がある。これはベルリンのランゲンシャイト社が、ポケット版外国語辞典シリーズの一つとして1911年に出版した獨和辭典と和獨辭典の合本版である。

最初の扉頁にはTaschenwörterbuch der japanischen Umgangssprache⁄ Mit Angabe der Aussprache nach dem phonetischen⁄ System der Methode Toussaint‒Langenscheidt⁄
Erster Teil Japanisch ‒ Deutsch⁄von Rennosuke Fujisawa⁄ BERLIN‒SCHÖNEBERG⁄
Langenscheidtsche Verlagsbuchhandlung と記され、その右頁には日本語の扉があって、新譯 和獨辭典 伯林 藤澤廉之助著 發行所ランゲンシヤイド*書店 獨逸伯林シェーネベルグ* 發賣所丸善株式会社東京・大阪・京都 と記されている。大きさは15.3×9.8cm 2段組みで、第一部は408頁に約3万語の見出し語を、第二部獨和辭典Zweiter Teil Deutsch‒Japanisch は622頁に約5万語の見出し語を収めている。この辞書はドイツ人を対象につくられたため、第一部のはじめに日本語の動詞と助動詞をドイツ語で解説した15頁に及ぶDie japanischenVerben und Hilfsverben が付いている。一・二部ともドイツ語はドイツ字体、日本語はローマ字(ラテン字体)が用いられている。著者の記す独文のVorwortによれば、この辞書でいうUmgangsspracheとは、文語体に対する口語体、文章語に対する話しことばの意味であり、第一部で必要かつ便宜的に採り入れたSchriftsprache(文章語)の見出しには*印を付しているのが ― 例えば*bujin Kriegerや*chien suru sich verspätenのように ― 大きな特色である。
*原文のママ


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

辞書の大きさ(2)

2010年 5月 17日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(91)

明治29年(1896)9月に三省堂から『袖珍獨和新辭林Neues Deutsch=Japanisches Taschenwörterbuch mit Angabe der gebräuchlichsten Fremdwörter und Eigennamen nebst einem Anhang』(高木甚平 保志虎吉共編)が発刊された。これは三省堂としては最初に発行した独和辞典であるが、「袖珍」の名に違わず、今日の私たちの目から見ても文字通り小型の豆辞典で、筆者の手許にある第十五版(明治37)の本文頁の寸法は9,2×6,3cmで、厚さは3,7cmである。ただし、表紙にも扉にも「獨和新辭林」と記されていて袖珍の文字はないが、本文第1頁の始まりA項の上方には「袖珍獨和新辭林」と記されている。小型ながら、本文1539頁に小活字(7号?)で6万語をぎっしり詰め込んだこの辞書は、売行きがとても良かったようで、奥付によれば既に発売の三ヶ月後の12月には第三版を発行し、第十版を明治33年6月に発行というように毎年のように版を重ねている。一般に書物は初版の発行年は明確だが、最終版の年月は明きらかにしにくいもので、『袖珍獨和新辭林』も何時の時代まで売れ続けていたのかわからないが、少なくとも三省堂が次に『大正獨和辭典 Neues Deutsch-Japanisches Wörterbuch mit Angabe der gebräuchlichsten Fremdwörter und Eigennamen nebst einem Anhang』(保志虎吉編 *筆者注:ドイツ語題名は「獨和新辭林」と同じ)を発行した大正元年までは版を重ねていたのではないか。この辞書は今日でも古書店で見つかることも珍しくないから、相当数販売されたと思われる。

題名に袖珍を掲げない普通の辞書はどれくらいの大きさだったかといえば、『孛和袖珍字書』と同年の明治5年10月に刊行された『和譯獨逸辭典 Handwörterbuch der Deutschen Sprache für Japaner』(河村文昌他共編 東京 春風社)は17,6×13,0cmで、17,0×12,0cmの『孛和袖珍字書』とほぼ同じ大きさで、頁数を比べると『孛和袖珍字書』の1,366に対し『和譯獨逸辭典』は1,064で、むしろ薄い。

明治の半ばころから最も良く使用された独和辞典の一つである『増訂挿圖獨龢字典大全 Vollstaendigstes Deutsch-Japanisches Wörterbuch einschliesslich der im Deutschen gebräuchlichen Fremdwörter nebst einem Anhang, enthaltend Tabellen der unregelmäßigen Zeitwörter, der deutschen geographischen und christlichen Namen, der Münze, Gewichte und Masse, sowie der Abkürzungen und Zeichen』(福見尚賢 小栗栖香平他 南江堂 明治28)は、筆者の手許にある第八版(明治31)では22,5×15,0cm、厚さ7cmの大型本である。奥付によるとこの辞書は明治18年6月に初版を発行し、明治28年7月第4版に際し大幅な増訂を行い、以後も毎年版を重ねているようである。

筆者が所有する独和辞書のなかでとりわけ大きなものに『獨英和三對字彙大全 Neues vollständiges Wörterbuch der Deutschen, Englischen und Japanischen Sprache, einschließlich der wichtigen im Deutschen gebräuchlichen Fremdwörter, mit einem Verzeichniß der unregelmäßigen (starken) Zeitwörter und der gebräuchlichen Abkürzungen』(高 良二 寺田勇吉譯 共同館 明治20)があり、この辞書は27,0×20,0cm、厚さは堅牢で分厚い表紙共だと11,5cmある。これは16万語のドイツ字体の見出しに英語と日本語の二ヶ国語訳を施したもので、用例にもすべて英訳が付いている。あまりに大きくて不便だったためか、この辞書から語彙を抜粋し、収録語数6万5千語の中型(18,2×12,3cm)の『獨英和三對小字彙 Handwörterbuch der Deutschen, Englischen und Japanischen Sprache, einschließlich eines Verzeichnisses der unregelmäßigen Zeitwörter』(寺田勇吉 保志虎吉共著 共同館 明治26)が刊行されている。 


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信岡資生(のぶおか・よりお)
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辞書の大きさ(1)―袖珍(しゅうちん)辞書―

2010年 4月 26日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(89)

明治5年(1872)は日本で最初の独和辞書が生れた年である。先頭を切ったのは8月発刊の『孛和袖珍字書』(小田篠次郎 藤井三郎 櫻井勇作編 東京 學半社)で、9月にはそれに続いて『袖珎孛語譯囊』(山本松次郎編 長崎 出藍社)が出た。「孛」は孛漏生、孛魯土、孛露西などと宛字されたプロイセンまたはプロシアの略であるが、どちらも「袖珍」を題名に掲げた(珎=珍)。「袖珍」とは「着物の袖の中に入れて携行できるほど小型の」の意味で、今日ならさしずめ「ポケット版」といったところ。両書ともドイツ語の題名は「Taschenwörterbuch」である。學半社版は「Deutsch‒Japanesisches Taschenwörterbuch zum Gebrauch der deutsch lernenden japanesischen Jugend wie der, der japanesischen Schrift und Sprache Kundigen」(原文のママ、japanesischはjapanischの誤記か)、出藍社版は「DEUTSCH‒JAPANISCHES TASCHENWOERTERBUCH ZUM GEBRAUCH für SCHULER, KUNSTLER, REISENDE UND AUSWANDERER」(原文のママ)である。しかし、その大きさは、學半社のほうは本文紙型が16,4×11,3cm、出藍社のは19,5×12,5cmもあり、袖珍でも『クラウン独和 第4版』より大きく、袖と言っても筒袖ではなく、袂を含めた広義の袖の中でないと入らない。『全訳漢辞海 第二版』(三省堂2006)の「袖」の例文に「朱亥袖四十斤鉄鎚」(朱亥(人名)は40斤の鉄槌を袖の中に隠した)があり、1斤500gとしてもかなりの重量のものが袖には入るのである。東大医学部教授だった入澤達吉博士は「明治十年以後の東大醫學部回顧談」(『雲荘随筆』白揚社 昭和10)の中で、学半社の辞書は「厚い真四角な字引で丁度枕に宜いから、それで「枕字引」と申して居った」と述懐しているが、筆者自身が神田の古書店で見つけて成城大学図書館に納入させた『孛和袖珍字書』は、総頁1,373に、厚さが7mmもある堅牢な17,0×12,0cmの表紙が付いた、まさに「枕字引」の呼称に相応しいものである。

ともかく「袖珍」は「掌中」と並んでこの頃の携行可能な小型(?)辞典の題名に好んで用いられた言葉で、他にも『袖珍挿圖獨和辭書 Neuestes Taschenwörterbuch der deutsch‒ und japanischen Sprache, nach dem Standpunkt ihrer heutigen Ausbildung mit besonderer Rücksicht auf die Schwierigkeit in der Beugung der Wörter, und mit dem einigen Anhang』(ホフマン原著 小野 操纂譯 伊藤誠之堂 明治18)、『獨和袖珍字彙 Deutsch‒Japanisches Taschen Wörterbuch』(井上 勤纂譯 字書出版社 明治18)、『袖珍獨和字典 Neuestes Taschen‒Wörterbuch Deutsch und Japanisch』(山脇 玄校閲 田村化三郎纂譯 南江堂 明治26)などや『掌中獨和字彙 Deutsch und Japanisches Taschenwörterbuch』(吉原秀雄譯 六合館 明治19)などがあり、幕府の洋書調所が刊行した本邦最初の英和辞書とされているものも『英和對譯袖珍辭書 A Pocket Dictionary of the English and Japanese Language』(堀 達之助編 文久2)の名であって、縦160×横196mmの横長であった。欧米人の洋服のポケットは大きかったとみえる。

辞書――電子辞書ではなく、紙の辞書――は掌に載るくらいの大きさ・重さがよいと、筆者の大学同期生で『クラウン独和辞典 第4版』の監修者故濱川さんは常々言っていたし、それには筆者も大賛成であった。つまり右利きの人であれば、左の手の平に辞書を載せて右手でページを繰ることができるからである。『クラウン独和辞典 第4版』はちょうどその大きさになっている。


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信岡資生(のぶおか・よりお)
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『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


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和独辞典の見出し

2010年 4月 5日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(86)

「独和辞典」に比べると「和独辞典」の数はずいぶん少ない。この関係は「英和」と「和英」、「仏和」と「和仏」についても同じことが言えよう。明治年間(1868-1912)に出た「独和」は25点ほどあるが、「和独」は6点しかないし、昭和年代(1926-1989)でも、「独和」48点以上に対して「和独」は13点でしかない(同書名の増補、改訂版や専門用語辞典を除く)。これは、彼我の間の学術・文化交流の在り方の一面の表れでもあろう。

本邦における「和独辞典」の嚆矢とされているのは、明治10年10月に刊行された『和獨對譯字林』で、最初の「独和辞典」が現れてから5年後のことである。この辞書は、見出し語はヘボン式ローマ字としながら、その排列を日本古来の辞書事典に倣って「いろは」順としたため、ABC文字の「いろは」順排列という、今日から見ればなんともちぐはぐな感じの、利用者にとってたいへん引きにくい辞書となった。私の亡友の数学者杉ノ原保夫君は昭和19年春に陸軍幼年学校に入校したが、入校式で新入生の名前が次ぎ次ぎと呼び挙げられていくのにいつまでたっても自分の名前が呼ばれない、ひょっとして自分の合格は間違いだったのかと不安になったが、ようやく最後に名前を呼ばれてほっとしたと言っていた。陸軍では当時まだ「いろは」順が採られていたので、「す」は最後になるのである。

日本の古い辞書事典の類は見出し語を「いろは」順にしている。大槻文彦博士は明治24年刊行の『言海』の見出し語を伝統的な「いろは」順でなく、あえて五十音順にしたが、その理由を「本書編纂ノ大意」の「十」で、「各語ヲ、字母ノ順ニテ排列シ、又、索引スルニ、西洋ノ「アルハベタ」ハ、字數僅ニ二十餘ナルガ故ニ、其順序ヲ暗記シ易クシテ、某字ハ、某字ノ前ナリ、後ナリ、ト忽ニ想起スル事ヲ得、然ルニ、吾ガいろはノ字數ハ、五十弱ノ多キアルガ故ニ、急ニ索引セムトスルニ當リテ、某字ハ何邊ナラムカ、ト瞑目再三思スレドモ、遽ニ記出セザル事多ク…」としながらも、続けて「五十音ノ順序ハ、字數ハ、いろはト同ジケレドモ、先ヅ、あかさたな、はまやらわ、ノ十音ヲ記シ、此ノ十箇ノ綱ヲ擧グレバ、其下ニ連ルかきくけこ、さしすせそ、等ノ目ヲ提出スル事、甚ダ便捷ニシテ、いろは順ハ、終ニ五十音順ニ若カズ、因テ、今ハ五十音ノ順ニ従ヘリ。」と述べている。しかし、大槻博士本人の手から『言海』を直接進呈された福沢諭吉は、「いろは」順でなく五十音順であることに顔をしかめたそうである(『ちくま学芸文庫 言海』(2004)所載の武藤康史「『言海』解説」による)。

明治以来、「和独」の見出し表記は「かな」でなくローマ字(大部分はヘボン式で、日本式、訓令式は僅か)で、排列はABC順が普通である。この慣例は『郁文堂 和独辞典』(1966)の出現まで踏襲され続けたが、同辞典は「序」で、日本語から他の国語に橋渡しする辞典でローマ字を見出しに用いるのは「その必然性がない」し、「かな」の方が自然であり、便利である、と述べて、「かな」見出し、五十音順排列の最初の「和独辞典」となった。

『クラウン独和辞典』の「和独インデックス」は、「かな」見出し、五十音順排列であることを念のため付言しておく。


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信岡資生(のぶおか・よりお)
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辞書の定価

2010年 2月 22日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(81)

前回(第77回)取り上げた『大獨日辭典』(昭和8年 大倉書店)は、著者登張竹風先生自ら記すところによれば、5,000枚に及ぶ校正刷りを7、8校して完成には7年かかったそうで、コンピューターはおろかコピー機もファクスもなかった時代のことを思えば、労苦の程が偲ばれる。奥付に「完成記念價拾圓」とある。人事院の資料によると、当時(1926-37)の国家公務員(1種行政職大学卒)の初任給は月額75円であり、また、別の資料によると1929年当時の大学教員の初任給は、私立で普通55円から高いところでも100円であったようだ。これでは大学を出たばかりの教師にとって10円もする辞書はおいそれとは買えない。現在月給20万円そこそこの教師が2~3万円の電子辞書を買うようなものである。恥ずかしい話だが、筆者自身昭和30年春愛媛大学に赴任したときの給料は9,200円だったと記憶している。だから昭和33年6月に戦後はじめての大型独和辞典である『大独和辞典』(相良守峯編 博友社)が2,500円(特価2,200円)で刊行されたとき、私費で購入するのをためらった覚えがある。

昭和8年当時の大型独和辞典には、片山正雄著『雙解獨和大辭典』(昭和2年 南江堂 昭和6年第一次改訂 昭和9年改訂増補版)があって、革表紙で定価8円(特価7円)であった。「雙解」の名にたがわずドイツ語訳もついていたが、活字はドイツ文字(Fraktur)を使用していた。これに対し、登張著『大獨日辭典』ではラテン字体を用いた。

販売事情を考慮したのか、翌昭和9年12月に大倉書店は『大獨日辭典』の普及版を出した。普及版は、もとがB5判で硬くて分厚い表紙だったのを、半分の大きさB6判に縮刷して軟らかい布表紙とし、定価5円30銭、特価5円80銭とした。この普及版も、上記片山著『雙解獨和』も、戦後の昭和20年代に筆者は古本で入手して大いに活用させていただいたものである。三省堂が『コンサイス獨和辭典』を刊行したのは昭和11年で、定価は3円50銭、また『木村・相良獨和辭典』(博文館)が出たのは昭和15年で、定価は6円80銭(特価5円70銭)であった。

大倉書店は明治中期から大正・昭和のはじめにかけて外国語の辞典を刊行した大手の出版社で、夏目漱石の『我輩は猫である』の初版を刊行(明治39年11月)したことでも知られている。竹風先生の御子息登張正實先生は私の旧制高校時代からの恩師であるが、正實先生から直接お聞きしたところによると、大倉書店の創業者大倉孫兵衛は抜け目のない人物で、道で拾った大金入りの財布をネコババしてそれを元手に出版業を始めたとの噂もあるような男、父竹風は金銭才覚に乏しかったから、この社長にいいようにあしらわれ、幾つもの辞書を出版させた割りには自身の懐はさっぱり潤わなかったとの話である。


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「独和」辞典と「独日」辞典

2010年 1月 25日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(77)

竹風こと登張信一郎はその著『大獨日辭典』の冒頭で、『本書は「大獨日辭典」と申します。多年の通稱となってゐた「獨和」の「和」の一字は、外交其の他に於いて、夙に廢語となってゐるもので、凡て現代語を以って譯述しようとする本書題名には、最もふさはしくありません。況んや「日本」はどこまでも「日本」であるに於いてをやであります。敢て從來の因襲を破って、「大獨日辭典」と稱する所以であります。』と記している。「和」は、中国で日本を指す「倭」に代えて用いられる字で、明治中期に刊行された大槻文彦著『言海』(六合館 明治22)では、『日本國ノ一稱、多クハ外國ニ對シテ種種ノ物事ニ添ヘテイフ。「―漢」「―文」「―譯」「―書」「―本」「―産」「―製」「―船」「―藥」』と解説されている。因みに「和」は漢和辞典でノギヘンではなく、クチヘンの部にある。

明治以来ドイツ語に限らず、英和、仏和、露和、西和などというように、外国語辞典の名称では日本語を「和」で表している(中国語辞典だけ「中日」というのは「漢和」辞典と区別するためであろう)。これは(私の推測では)ドイツ語単語を和訳したとの意味が元であろうと思われる。明治初期に『和譯獨逸辭典』(東京春風社合著 明治5)や「和譯獨逸辭書』(京都村上勘兵衛出版 明治5-6)があるように、英語でも最初の英和は『英和對譯袖珍辭書』(洋書調所 文久2)であった。また、同じ「わ」でも「龢」の字を使用した『挿入圖畫獨龢字典大全』(国文社 明治18)もある。竹風先生ご自身も同じ大倉書店から、先に『新式獨和大辭典』(明治45)、『新譯獨和辭典』(大正4)や『新和獨辭典』(共著 明治34)を著していらっしゃる。

明治以降外交面ではもっぱら「日」が使用された(日清・日露戦役、日英同盟、日米通商航海条約、日韓議定書など)。だが、「和」が廃語となっているというのは言い過ぎであろう。和服、和菓子、和風など、「和」は「洋」の対語として今日でも一般に使われている。はたして竹風先生の力説に乗る辞典は多くない。例えば『日英對照獨逸語標準單語辭典』(日獨書院 昭和6)、『日独口語辞典』(早川東三ほか著 朝日出版社 1985)、『日・英・独語辞典』(ジャパン・タイムズ編集局編 原書房 昭和47)、『デイリー 日独英・独日英辞典』(渡辺学監修 三省堂 2004)などが挙げられるが、守備範囲が狭まるようである。医学にも『日獨・獨日慣用醫語辭典』(鳳鳴堂編輯部編 昭和14)、『医学ドイツ語小辞典(独―日・日―独)』(清水・松室編 大学書林 昭和34)、『日英独医学小辞典』(藤田拓男編 南山堂 1972)などがある。これらの例のように3カ国語以上にまたがる場合「日」が使用される傾向が強い。『日独英仏対照スポーツ科学辞典』(大修館書店 1993)、『日仏英独製菓用語対訳辞典』(吉田菊次郎著 イマージュ(三洋出版貿易)1992)、『日英仏独対照服飾辞典』(石山彰編 ダヴィッド社 昭和47)等等で、語学辞書の範疇からは離れていく。


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『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


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和独インデックス―増加した外来語

2010年 1月 18日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(76)

『クラウン独和辞典 第4版』の「和独インデックス」は、従来のものを全面的に書き改めた。その結果、第3版に比べ、ページ数は8ページ増えて57ページに、見出しは約800語も増加して6,351語になった。試みに第4版の「和独インデックス」の第1ページで新たに立項された見出しを挙げると、アーケード Arkade ; Bogengangアーモンド Mandelアイコン Iconあいている2 開いている offen、アウトバーン Autobahnあえぐ 喘ぐ keuchen 、アクセサリー Zubehör中・男 ;(装身具)Schmuckアクセス Zugriff; ~する zu|greifen 、アクセル Gaspedal. ~を踏む aufs Gas treten 、あげる2 挙げる(名前、例、理由を) an|geben; (数を) an|führen. の10語で、このうち、7語までがカタカナつまり外来語である。全体として増加された語には外来語が多い。

新しく立項されたこれらの外来語は世相を反映するものである。オリエンテーション Orientierungエコノミークラス Economyklasse . ~症候群 Economyklassen- Syndromキオスク Kioskクローン Klon . ~人間 geklonte Menschenダビング~する überspielen 、バイオテクノロジー Biotechnologieユーロ Euroリハビリテーション Rehabilitation などのほか、テディーベア Teddybärもある。なかでもコンピューター関連のことばが目立つ。上に挙げたアイコンをはじめ、イーメール Eメール E-Mailインストール Installation ~するinstallieren、インターネット Internetインプット Eingabe . ~する ein|geben 、ウエブサイト Websiteオンライン ~の online. ~サービスOnlinebetriebクリック ~する klicken 、チャット ~する chatten 、パスワード Passwortハッカー Hacker などが増えた。また、2006年ドイツで開催されたワールドカップの影響で関心の高まったサッカー競技関連のことばも増加した。イエローカード die Gelbe Karte 、ディフェンス(球技) Verteidigerリーグ Ligaワールドカップ Weltmeisterschaft などのほか、ゴールに ~キーパー Torwart が加筆された。

「和独インデックス」のカタカナ立項語は全体のほぼ15%に当る960語ある。ただし、動・植物名はカタカナ書きしているので(例:ミミズ Regenwurmイチジク Feigeヒマワリ Sonnenblume)その全部が外来語というわけではない。

ドイツ人との交流や旅先で、カタカナ慣れしている日用品で、それに当るドイツ語がとっさに思い浮かばない際などにも ― 例えばクリップ Klammer とか、セロ[ハン]テープ Tesafilm ― この「和独インデックス」が役に立つであろう。


 【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

付録について

2009年 11月 16日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(71)

『クラウン独和辞典』の中身は、メインとなる「独和」の部のほか、さまざまなページから構成されている。序文はさておいても、「この辞典の約束ごと」「発音解説」「ドイツ語正書法解説」「正書法インデックス」「ドイツ語アルファベット」「枠囲みした記述」がはじめにあり、巻末には「付録」として、「和独インデックス」「文法小辞典」「主な参考文献」「動詞変化表」があり、表紙裏には地図「Mitteleuropa」「ドイツ・オーストリア・スイス(行政区画)」が掲載してある。また第4版はCDとそのテキストが別添されている。CDは第3版でも2006年2月から別添のものが刊行されたが、第4版ではすべてCD付となった。ちなみに「この辞典の約束ごと」は、一般に従来の辞書では「凡例」とされていたものに相当するが、この古い用語は今日の利用者にはなじまぬもので、学生のなかには(教師にも)「ぼんれい」と読む者がいるほどであったため、『クラ独』では他の辞典に先駆けて初版(1991年3月)からこうしたわかりやすいタイトルにしたのである。また、術語編、ドイツ語索引、別表の3部から成る「文法小辞典」は、ここだけでも独立させて単行本にすることができるほど充実した内容で、『クラ独』の目玉のひとつと言えよう。

「独和辞典」の付録といえば、明治の昔から、不規則動詞の変化表と決まっている。実際今日でも「独和辞典」を名乗る本で巻末に不規則動詞の変化表を掲載しないものはない。しかし学習上や情報社会のさまざまな要望に応じるべく、「独和辞典」にはそれだけでなく多種多様なページが添えられるようになった。とりわけ文法関連事項や日常会話や専門用語集などである。三省堂刊行の独和辞典に限ってみれば、『デイリーコンサイス独和・和独 第2版』(2009)と『身につく独和・和独辞典(CD付き)』(2007)の「役に立つ表現集」「数・数字の表現」、『新コンサイス独和辞典』(1998)の「経済用語辞典」「和独インデックス」「新正書法について」「つづりの分け方(分綴法)」、『独和新辞典 第3版』(1981)の「記号及びシンボル」「分綴法」「諸品詞及び構文要覧」などであるが、昔に遡って明治中期に好評だった『獨和新辭林』(明治29)のAnhang附録は、不規則動詞表のほかに、Erklärung der Abkürzungen 略語解 とDie gebräuchlichen fremden Ausdrücke 常用外國語 であった。

そもそも付録とは何であろうか。『大辞林』によれば「①…また本などで、本文を補足する目的などで添えられたもの」であり、巻頭でも巻末でも、あるいは別冊になっていても、位置や形態には関係ないようだ。ただ、巻末にあるものをまとめて「付録」と名をうっておけば、利用者は「おまけ」として、なんとなく得をしたような気分になるかもしれない。

正書法と見出し語 ―辞書の見出し語の配列(3)―

2009年 10月 5日 月曜日 筆者: 信岡 資生

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(66)

見出し語は1語とは限らない。1語とみなすことができるような2語以上から成る語句や略語のこともある。例えばFloppy Disk; Fast Food; Fin de Siècle(世紀末); Ultima Ratio(最後の手段); summa cum laude(秀の成績で)など外国語や、固有名詞Le Fort(ドイツの作家名); Mao Tse-tungMao Zedong(毛沢東); New York; Sankt Gallen(スイスの都市)などである。観光都市Rothenburg も公式名でならRothenburg ob der Tauberと4語になるところ。略語の例ではu.a.m.(← und andere[s] mehr ); u.A.w.g. (← um Antwort wird gebeten ) など。Duden. Die deutsche Rechtschreibung. 24版(2006)ではdas heißtso wasを2語見出しにしている。『クラ独』も第2版ではwas für einを見出し語にしてWasen(芝)とWashingtonの間に掲げた。現在の新しい正書法では、従来(1996年以前)1語で書いていた副詞unterderhand(こっそりと)は unter der Hand と3語に分けて書くことになったため、この語は『クラ独』の見出しから消え、Handの項に熟語・成句として記されている。High-Tech は1語の見出しHightechとなったが、High-Societyは2語表記High Societyになった。また従来は「語の頭字を大文字で書く」の意味では1語書きgroßschreibenとし、比喩的な「重要視する」の意味では2語書きgroß schreibenとされていたが、いまではどちらの意味でも1語書きgroßschreibenである。groß schreiben と2語に書けば、「大きい字を書く」の意味でしかない。

一般に複数の表記を認めるケースでは、『クラ独』では紙面の節約との兼ね合いでその扱いに苦心した。一つの例を挙げると、machenと結果を表す形容詞の結合では、2語に分けても、1語につづってもよいが、比喩的な意味では1語につづるとされている。そこで『クラ独』第4版での例えばkaltmachenの記述は、①冷たくする.②人を殺す.ただし①の意味ではkalt machen とも、と注記することになる。上記Dudenの『正書法辞典』24版では複数の表記が認められる場合、いずれか一つの表記を推奨(Empfehlung)しているので、『クラ独』第4版でもそれを参考にした。

表記が変わって見出しの位置も移動する語もある。例:GreuelGräuel(残酷行為); StengelStängel(茎); rauhrau(きめの粗い)などはABC順で前送りされる。表記の異同については、『クラ独』第4版では「正書法インデックス」があるので、「この語が辞書に載っていない!」などと早合点しないで、この表でよく確かめてほしい。


【筆者プロフィール】
信岡資生(のぶおか・よりお)
成城大学名誉教授
専門は独和・和独辞典史
『クラウン独和辞典 第4版』編修主幹


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

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