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漢字の現在:朝鮮半島の漢字
2012年 4月 17日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第177回 朝鮮半島の漢字
韓国のテレビ番組では、ハングルやアラビア数字、ローマ字に交じって、画面上では漢字がわずかずつ見つかった。新聞の表記と共通している。接尾語、接頭語に1字使われることがあった。下記の「○」はハングルを表す。
○○中
この接尾語的な「中」は、便利なので、中国語でも使おうという動きがある。「戊戌中」のような用法も、古代の朝鮮半島に端を発したのではないかいう説がある。
前○○
これは、KBSニュースで見た。韓国語では、「全」と同音であるための措置だろうか。
国名を短く表現するためにも、漢字は出現した。「北」はやはりニュース番組で、テロップに「北韓」(北朝鮮)の略称として用いられていた。「美」はアメリカであり、これは現代中国式だ。一方、フランスは「仏」など、歴史的な原因や地政学的な影響などによって、出自や伝来経路がまちまちとなっている。
テロップには、ハングル表記の文の先頭の字の上に、
がゴシック体で現れた。このように一字漢語を漢字で表現するケースが今回、とても気になった。口頭語では意味がはっきりしないことと、同音語が多いためだろうか。
・統一展望台にて
ソウルから漢江(ハンガン)を沿って北へと向かう。ベトナムと違って、街中には寺院が見当たらないため、仏教に関わる漢字が見当たらない。かつて、朱子学が席巻した時代に、山中へと移ったのだという。日本のように、奈良・京都に限らず、民家と寺社とが混在するという風景がない。院生時代の旧友が自由路を通って38度線近くまで連れて行ってくれるという。なお、韓国語では友人を親旧(チング)とも言う。固有語のトンムには珍しく「同務」という当て字がなされることがあったが、北で中国の「同志」のような意味で使われるようになったものだ。
韓国の人なので、いろいろ解説してくれる。走行中の「自由路」は韓国語では「自由へ」という語と同音だ。並行して「統一路」も通っているそうで、そちらは「統一へ」という意味だが、それらの道路は今は韓国側にしかないそうだ。
まっすぐなその道路に沿って看板が立っている。そこまでの区間では、稀に「名品」などの漢字が見られる(写真)。以前、やはり道路脇で、「自尊(やはりソはハ)心」と書かれたポットの看板を見たことを思い出す。あれは、国産品を買おうというスローガンとのことだった。
38度線の近くに降り立つ。正確には軍事境界線、その向こうは、日本と国交のない北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国だ。かつてはパスポートにも、渡航不可の由が明記されていて、厳しい現実を思い知ったものだ。政治と軍事の現実を目の当たりにする統一展望台は、基本的に民間人の地域だそうで、所々に軍用施設はあるものの、板門店のような軍人の対峙は見られなかった。看板には、
「軍事作戰地域」
「民間人出入禁止」
と記されている。この語順から見て、これらはここを訪れる中国人向けではなく、主に日本人向けの看板であるようだ。ただ、ベトナムや恐らく北朝鮮と違って韓国では、漢字を(字種は限定されていたとしても)読み書きできる人がかなりの割合でいる。「出入(でいり)」も、漢語でシュツニュウが古くからあり、韓国では字音語として採り入れられている。漢字使用が行われていたころの表示が残っていたり、ある種の効果を狙ったものが日本のようにあるのならば、これらも自国語で自国民向けに書いたという可能性もある。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は朝鮮半島の古文献の漢字でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
漢字の現在:ベトナムよりは漢字が生活上に残る韓国
2012年 4月 13日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第176回 ベトナムよりは漢字が生活上に残る韓国
・飲み屋
京畿道の飲み屋に一同で入る。メニューには「酒家」と店名が大きく明朝体の漢字だけで書かれていた(写真)。これは珍しい。漢字教育が学校でも復活したと韓国人の先生のお話があった。

メニューに店名の「酒家」。実際に居酒屋だった。
漢字が街に増えたともおっしゃる。昔、とくに50年前であれば、もっと多かったのは、そのころの写真を見ても間違いない。一方、0に近くなるほど少なくなったという声も聞いたが、確かにすでに記したとおり、漢字は街で目に付くようになってきた。
ただし、韓国の人々は、日記や手紙には、たとえ漢語であっても漢字を使おうとは思わないそうだ。書くのも覚えるのも、たいへんだからとのことだ。ここは、ベトナムと完全に一致している。日本人も面倒なときや思い出せないときには仮名表記でその場を切り抜けることはあるが、かわいさを出したいときにもあえて仮名表記を選ぶなど、日本では筆記姿勢に余裕がある。
日常では、杯(さかずき)を意味する漢語の「チャン」(盞の字音 잔)という単語が、日本語から入ってきたともいう「컵 コプ」へ変わってきたそうだ。日本語の「コップ」は英語の「カップ」からではなく、より古くポルトガル語やオランダ語から入ったものだった。韓国では、「盞」は量詞(助数詞)としては残っているが、むろんハングル表記ばかりだ。
医学用語は、一時期、耳で聞いても意味の分からない漢語をやめて、固有語に換える作業が進められた。「腺」(ソン 선)も、固有語で泉を表す「샘」(セム)に言い換えられた。しかし、漢語復活といえる動きも生じているそうだ。
・テレビ画面
テレビ放送は、日本とどことなく雰囲気が似ている。バラエティーもどちらが先かは分からないが、どこかで見たような企画をやっていた。画面上ではテロップが多用されており、そこではハングルやローマ字、アラビア数字がほとんどである。
たとえば、「과연」(gwayeon クヮヨン)は、漢字ならば「果然」と書かれたもので、果たして、いかにも、やはりという意味の語である。漢字で書けば語構成や意味が視覚的にも理解できそうなのだが、やはりハングル表記のみであった。テレビだけではなかったかもしれないが、3回ほど見かけた。日本語でも「俄然」という副詞が主に表外字を含むために「がぜん」と表記されるようになって、字義が忘れられ、語義が転訛しつつあるのだが(第33回)、そうした展開が文字によってここでも誘発される可能性はなかろうか。
テレビのニュース画面では、
という歴史ある筆字風看板が写った。マスメディアに、歴史的な価値を持つ古い筆跡が出現するのは、当然であろう。ただ、現代との文字の使用状況の差が日本以上に激しい。漢字は骨董的な位置に近づいている、と言えば言い過ぎだろうか。
韓国の歴史ドラマには、古めの屏風に漢字が筆で書かれたものがよく出てくるが、あれは朝鮮王朝時代を写実主義的に表すセットであるだけでなく、かつての両班世界の雰囲気作りに役立てられているのだろう。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
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漢字の現在:朝鮮半島の古文献の漢字
2012年 4月 10日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第175回 朝鮮半島の古文献の漢字
結局、ハングルといくらかのローマ字、アラビア数字に囲まれた韓国滞在中で、いちばん漢字が多く現れたのは、その漢字について考える大学での研究会の要旨集であった。あとは、中国から招かれた方がその会で示されたパワーポイントも、中国語だけに漢字が大量に現れた。それらの発表を聞いて、その後になって気になった文字について、いくつか記そう。
音口 俗呼紐子
兒 「松澗貳録」
この漢字は、『大漢和辞典』においては、「コウ k’ou4 現 ボタン。ボタンを締める。」「釦」に同じ、とあるだけの不思議な字だったが、こうして漢字圏から用例が発掘されることは素晴らしい。
610年の新羅の文献に「畠」が現れたとある。これについては、かつて「朝日新聞」に写真入りで「畠」が古代朝鮮の資料で発見されたという記事があったが、その写真を見たら、どうも2字にしか見えなかった、あれを指すのだろうか。韓国の固有漢字を研究されている先生も、やはり2字だと見ていらした。「白田」は2字ともに元々小さめに書かれやすい字であり、それが中国で早くに熟語化していたので、くっつきやすかった。つまり合字化しやすい条件をもっていたことは確かだ。
文字に関しては、資料の多く残っている近代はもちろん、今生きている現代のことすら分からないことに悩まされる。古代のことはなおさら杳として分からないことが多い。この「畠」という字は、奈良時代に日本に現れるが、中国産の漢字という説が歴代、たしか平安、室町、江戸と3回は文献に現れており(「皇」の異体字「
」との混同も含む)、4度目の正直、ともならなかったと思うが、いかがだろう。
家の敷地を意味する「垈」(dae テ)が1426年の文書に現れるとある。これは漢字圏各国で独自に創られた字体であり、日本の山梨の「垈」(ぬた)よりも古そうだが、中国の元代ころの用例よりはやや新しそうだ。
日本の国訓とされる「椋」(くら)に関連しそうな字も触れられていた。「土+完」は年代未詳とあるが、日本の古代との関連が気になる。「魵」が韓国の「国義」とされているのは、字義は何だろう。エビではないのだろうが、北朝鮮で刊行された研究書から引かれているので、読めるだろうか。「王」を「森」のように3つ重ねた字は「聖」の異体字、「イ+天」は「佛」(仏)の異体字で、ともに近世の中国から漢字圏に広く拡散したものだ。中国の新字がベトナムや日本を含め各国の固有漢字と混同されて理解されてしまっている現状が思い起こされる。韓国の固有漢字に関する論文も文献に挙がっている。帰国していた留学生に頼んでコピーをもらえた。実証的な研究が進展しつつあることがうかがえる。
いただいた紀要にも、漢字ハングル交じりの文章も散見される。漢字は( )内に併記したものもある。法律で、漢字使用は規制されているはずだが、これらは例外なのだろうか。
ただ漢語のどこまでを漢字にするかは、新聞や論文であっても気まぐれに見えることがある。一つの語であっても、1回目の使用はハングル、2回目は漢字だけなど、ランダムにも見える。漢語かどうかの意識や知識にもよって濃淡も生じている。
昼食を韓国語ではなんと「点心」と言う。読みはチョムシムのようになる。その会食の時には、新羅文書にある「丑二石」の「丑」は日本の国字とされる「籾」ではとの話が出た。韓国ではすでにその説がほとんど認められているという。確かに「籾」は古くは「米+丑」であり、中国の雑穀米のような意味とは異なるモミの意で、日本では古くから使われている。「丑」と「刃」との交替は中国にも起こる。それによって「刃」のように尖っている、という会意化が進んだものだろうか。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は韓国の大学内の漢字でした。
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漢字の現在:韓国の大学内の漢字
2012年 4月 6日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第174回 韓国の大学内の漢字
・大学内
発表のために檀国大学校に伺った。広い敷地内に置かれた立派な石に「精神」、「救國 真理」と筆字風の字が刻み込まれている。
施設名も、漢字で隷書体で記されている(第171回写真)。古風でがっちりとした書体が好まれるのが特徴的だ。書道が「書藝」(ソイェ・ソエ)と呼ばれる理由もうなずける。生活上での漢字の美しい書き方というよりも、改まった芸術品としての書き方と位置づけられているのだろう。
展示されている書籍の書名も漢字が目立つ。廊下に掲げられた古い婚礼の儀の写真とその案内板にも、漢字表記がある。廊下に貼られたポスターには、旧字体の漢字があるが、中国語かと思われる。
博物館長のデスクに置かれた名札には、氏名の点画が螺鈿細工で飾られていた。カラフルな光沢は、七色の墨を含ませた筆で氏名をデザインして書き上げる韓国の工芸を思い起こさせる。その筆字風の字でも、姓の「鄭」は「八」から始まっている。名刺でも同様であり、こういう康煕字典風の字体を筆字においても選択するのは、毛筆による筆写の伝統的な流れよりも、どっしりとしたたたずまいが好まれた結果だろうか。
名札を頂くと、「早稻田大 笹原宏之」とある。「稲」が旧字体なのは、韓国式なのであるが、中国の繁体字(いわゆる旧字体・康煕字典体)を意識した可能性も捨てきれない。名刺交換は、東アジア特有の文化のようだ。名刺はここではミョンハム(名銜)という。漢字研究者以外でも、東洋学の先生方を中心に、所属や職位、学位、姓名、住所などで漢字表記が多々見られる(裏に英文で読みの記されたものもある)。旧字体のものが準備されていた。筆字の書体で、頭部ががっちりして大きめで、重心がどっしりと低いデザインが目立つ。
日本の国字・国訓、つまり日本製漢字と日本製字義の種類と歴史について話すことを依頼されたので、俯瞰したり凝視したりした結果と経過をお話しした。最初と最後だけ、韓国語で話してみる。国字に関する数値化も、韓国の方々からは期待されていたが、日本では、母集団の確定が難しいほど文献も造字も量が多く、そうした中でやみくもに数値を出すことは意味がなく、かえって事実の認識にとって危険だと思われる。国字を集大成する辞書の完成は遠い。
授業で動員されたものだろうか、大あくびする大柄な男子もいる。「的」は英語の接尾辞-ticへの当て字から、中国語や韓国語にも広まったというと、うんうんうなずいてくれる女子学生らしき人がいた。日本製漢字の「躾」がmiという発音で韓国人留学生の名にあったことも話す。そのお父さんが日本語を知らず、「玉篇」(オクピョン)つまり漢韓辞典から見つけて付けてくれたのだという。父親も本人も、意味や日本製漢字であることを知らなかったそうだ。
こうして知らないうちに日韓で交流が起こっていたと話すと、やはりニコニコして、うんと反応してくれる。同じく和製漢字「辻」姓の方が韓国へのそのままの字で帰化されたこと(シプという朝鮮漢字音になった)、草彅剛は不思議なことに「チョナンガン」となっていることにも、うんとうなずいてくれる。韓国のハングルを送り仮名のように交じえた国字について質問が出たので、日本には訓読みや送り仮名が普通に行われるので類例がないことに加え、囲碁の「李世乭」(イセドル)氏が日本でも新聞などに出て有名だと話すと、笑いが起きた。さすがこちらの有名人だ。韓国の国字というと、ほかにも朝鮮の箪笥を意味する「
(チャン)」、旧国名の「伽
(カヤ)」の2字めも、日本で目にすることがある。
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笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
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漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は韓国の当て字でした。
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漢字の現在:韓国の当て字
2012年 4月 3日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第173回 韓国の当て字
・ホテル内
ホテル内では、当然のことながら外国人を意識した多言語表示がたくさん目に触れる。
「非常待
案内圖」(内は新字体、最後の字は図の旧字体)には、中国語と日本語も書かれている。英語も、スペルミスもあるが記されている。ただ、「非常柔道等」とは突飛だ(写真)。発音が同じ漢字を思い浮かべると「非常誘導灯」ではなかろうか。また、そこにある「部屋火門」は、やはりハングル「방화문」と対照すると「防火門」(門は扉)が正解であろう。「房」(bang)は部屋のことで、「防」と同音だ(ついでにいうと防火も放火もハングルでは同じとなる)。上に書かれている「頑強期」も怪しい。せめて「期」は「機」か「器」ではなかろうか。留学生の方は、同音の「緩降機」だろうとのこと。
これらは、誤って同音の別の語に直訳してしまった結果で、何人にも通じまい。人命がかかっているだけに、海外のおかしな日本語とは区別が必要だろう。これでは、むしろ最近のWEB上の翻訳ソフトの方が正確かもしれない。日本人の当て字は、しゃれで生み出されることが多く、誤変換も公的な媒体では稀であり、漢字の運用状況に大きな違いが感じられる。
日本語の表示には、ほかにも「お客樣」のように旧字体が混じっている。室内のアンケートにもあった。韓国で稀に使われる漢字のフォントの字体・字形がつい出ているのだろう。「
」も明朝体に見られ、そこにも活字書体・フォントの影響も見て取れる。「図」という日本的な略字などは国構えの中の点々の長さ・角度がどこか違って感じられるほか、その下の「メ」の部分が「乂」のようにデザインされていて、なにやら違和感が残る。
「宿泊約款」は、韓国語だが、漢字ハングル交じり表記だ。漢字は、なぜか日本式の字体になっているのだが、「境遇」など、日韓で語義が異なるいわゆる同形語の存在がかえって際立っている。韓国語では「境遇」は「場合」という意味で用いられている。筆談は、誤解の元になりかねない。
韓国語によるクリーニングのサービス票のハングル表記の箇所にも、末尾に「(長)」「(短)」のように、漢字が記号的な使われ方で現れることがあった。このくらいのものではあっても、やはりベトナムよりは漢字が残っているといえる。
「換氣口」(氣は日本でも看板に見かける。気)には、「(開)」「(閉)」とある。後2者の漢字1字は、やはり記号的な存在だ。どこの国の人に向けた表示だろうか。漢字で書いておけば、日本人も中国、台湾、香港など東アジアのお客さんも読める、きっと意味が伝わるだろうという漠然とした意図が感じられる。韓国でも近頃、漢字塾や検定が並立するほどの「漢字ブーム」が起こっているのだが、それは中国語や日本語をマスターすることが就職につながるためなのだと聞く。
韓国内の社名は、漢字で隷書体風で記されていることがしばしばある。そこでは、ハングルが併記されていないものがほとんどだ。辛うじて、ロゴマークやURL、メールアドレスが、ローマ字で読みを示唆することがある。店名の状況と異なっている原因は、毎日読んで、発音してもらう必要度の差だけだろうか。伝統が信頼感につながるのは、日本の新聞社にしばしば見られる麗麗しいロゴなどとも共通するものだろう。電車の車体、エレベーター、エスカレーターなどに記された会社名でも、日韓でそれは同様だった(写真)。
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漢字の現在:韓国の看板と漢字
2012年 3月 30日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第172回 韓国の看板と漢字
ソウルとその近郊では、看板には、漢字使用がところどころで見つかった。ベトナムと違って、「忠永빌딩」(bil ding:ビルディング)など、韓国語自身を表記するものも散見される。固有名詞の漢字表記はしばしば見受けられるが、意味まで意識されることは日本よりも稀だそうだ。また、1つの建物の上部と1階とに、2種類のハングルの間に「美」が出てくる(写真)。整形外科の名と美容室の店名だが、音訳なのだろうか。造語で、韓国語としての意味は感じられず、とくにかわいいとも感じないそうだ。「美」はアメリカを指す字としても、韓国でもなじみ深い漢字となっている。
新論
地下と路上(漢字は小さい字で)の看板(写真)に見た。ハングルで見たときに、もしやと思ったとおり、3字目は、漢字義に基づく韓国の国訓で峠に近い意味。地下鉄の駅は、金大中大統領時代からのものか、漢字を小さめに示すものが多いが、旧字体のみである。
固有名詞以外ではどうだろう。
好
これは、通常の自然な自国語を表記したものというよりも、明らかに記号的な用法だ(写真)。
定礎
筆字風だが、書きぶりがややぎこちなくも感じられるか(写真)。デザインに好みが現れているのかもしれない。ベトナムではこのたぐいの書風がよりたくさん散見された。なお、この2字を彫り込む習慣は、日本から入ったものだろうか。
両替優
爲替優待
銀行で貼り紙に見かけた(写真)。
交
駅構内においても、日本語でもフォントが韓国式になっているケースが見受けられた。次の例は、地下鉄カードの機械の画面に、日本語を選択したときに出てきたものであった(写真)。
駅では、随所に、「入口」「出口」という表示もある。この両語は、これらの意味で、和語から漢字表記を経て、韓国語では音読みされている(和製漢語といえるか)。中国語にもなっており、汎用性の高い表示だ。
ハングルと漢字、ローマ字に交じって、駅の改札口では「○」「×」という記号による表示も目立った。日本でも大阪など西日本にとくに目に付く表示と類似する記号による表現である。韓国人の児童や日本人には意味が分かりやすい。
○(丸)を意味するトングラミ(第36回参照)は、動詞から名詞になったものだそうで、カメラ(のボタンか)にも使うとのこと。一方、「×」のカセには年代差があるそうで、50歳代の方は使うそうだが、40歳くらいの方によれば、「只今」(チグム いま)は「エックス」しか言わないとのことだ。テレビのクイズ番組では、○か×かに分かれて、と指示する場合には、「オー」か「エックス」に分かれてと、使っているそうだ。
温泉マークが建物の壁面に散見された(写真)。温泉での使用は、この日本発と考えられる(ドイツ起源とも)マークではなく、新しくデザインしたカラーの温泉マークを用いるようにと、法律で禁じられたのではなかったか、と思うが、どれも「モーテル」のようだったので、使用は変わらずに認められているのだろう。
自動ドアには、ボタンに「自動」と印刷されていた。日本製のものに、ハングルを足し込んだものだろうか。最後に、看板ではないが、街中で見かけた段ボールに次の例があった。
身土不二
筆字風で、これはハングルでは別の文が書かれていた(写真)。
韓国から来た留学生によると、今でも農産物を入れる段ボールのほか、レジ袋、包装紙などにこの語が漢字で書かれていることがしばしばあるが、これをスローガンとした運動自体があまり注目されることはなくなってきているそうだ。
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漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は韓国のパンフレットと漢字でした。
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漢字の現在:韓国のパンフレットと漢字
2012年 3月 27日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第171回 韓国のパンフレットと漢字
・パンフレット
「入國申告書(外國人用)」、ここは漢字が旧字体、いわゆる康煕字典体で使用されている。日本人向けの書式なのだろうか。英語の横にある漢字も旧字体で、言語の面では中国語としては読めないものがありそうだが、韓国語か日本語のいずれを想定しているものなのだろうか(もちろん帰化された方々なども、この書類を使用される)。韓国では、かつては半字と呼ばれるような大胆な略字も生み出されてきたが、独立後は、漢字をたくさん手書きした時代に漢字を公的に採用しなかったので、略字を追認する必要がなかった。シンガポールやマレーシアなどでは公的には簡体字と決めたのだが、現実には繁体字も広がっている。韓国の旧来の字体の使用には、中国人でも繁体字ならば見たことがあって読める、逆に台湾などから来た人には簡体字は読めないことがある、という現実も影響している可能性がある。中国語としてしか読めない文字列では簡体字か繁体字、という原則は見て取れた。
「外国人指紋確認制度による入国審査の手続きに関するご案内」(法務部)は、時代の移ろいを感じさせるものだが、「人指し指」という日本国内ではやや珍しい表記が見られた。
金浦空港に置いてあった「観光苦情申告用ハガキ」(韓國觀光公
)には、「韓国苦情申告センター 旅游意
申
中心」など、日中両方の言語で読めるように表記が併記されている。
パンフレットは、あちこちに置いてある。檀国大学校に設置された伝統服飾の博物館(写真)の名は、隷書体の漢字で印刷されていた。そこの収蔵品の写真の墨跡は、漢字の崩し字だった。篆書体の字が模様のように縫いとられている伝統的な服の写真もあり、各書体が共存しているが、いずれも古風な文字だ。なお、書字方向は、古風に書かれた文字でも左から右へと進むものがほとんどだ。雰囲気作りと、できれば内容も無理なく読み取ってもらいたい、という意識によるのだろうか。韓国における漢字は、漢字教育を十分に受けた年齢層の、位相文字(集団文字)という性質を帯びているという観点を、留学生から示唆された。日本のような、漢字の中に隠れているような位相文字、という細々とした世界とは異なっている。
パンフレットから一歩出てみよう。韓国料理のお店の箸袋には、吉祥句として「壽福康寧」と隷書体で印刷されていた(写真)。日常生活におけるこういう漢字は、ベトナムでは最早見られなくなっていたものだ。ただ、この箸袋の小さめの字の文章のほうは、ハングルだけだった。
・看板
路上にまで挨拶ことばなどが書かれていたが、何といっても旅行者の目に付くのは、街中の看板のたぐいだろう。
韓国人向けの看板に、漢字が使われていることがあった。ただし大抵が店名であり、そのほとんどはハングルと併用されていた。雰囲気作りのための装飾という感が強い。以前、梨花女子大で、日本では看板には漢字がいちばん多い、と話したら非常に驚かれたものだ。韓国語に慣れない日本人旅行者は、何か似た風景の中で、ハングル酔いを起こすと聞くこともあった。
日本人向けの看板は、設置されていない施設もある。一方、中国人向けのものは比較的多く、中国語看板は簡体字、繁体字ともに見かける。ただ、繁体字の方が簡体字よりもやや多いかと思われた。かつては中国よりも台湾との交流が深かったことと関連するのだろうか。
함흥냉면(ハングル hamheungnaengmyeon 咸興冷麺)屋
写真。「屋」の用法は、日本的なもののようだ。日本では逆に「大阪や」のように「屋」だけがひらがなとなる屋号が多い。
この冷麺には、温かいもの(オンミョン)もあるそうだ。冷麺は日本の韓国料理店のそれと異なり、素麺のように細く、スープが凍っているほど冷たかった。ハングル表記となった現在でも、「ネン」は冷たい、「オン」は温かいという意味だという形態素レベルでの意識は、地元の方によると十分残っているそうだ。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は韓国の商品と漢字でした。
この連載への質問、また「ここでこんな字が使われていた」などの情報は、問い合わせフォーム( http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/support/question.html )から、「漢字の現在」への質問・情報である旨を記してご投稿ください。
漢字の現在:韓国の商品と漢字
2012年 3月 23日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第170回 韓国の商品と漢字
機内で、スチュワーデスさんが入れてくれたジュースがそのまま机上でこぼれた。揺れるので仕方ない、こういうときは「クェンチャナヨ」と言ってみる。中国語のメイクアンシ(没関係)の「関」の字音が変形したものが含まれているのだそうだ。トイレから戻ると、2回とも私の空の座席に入ってよけて、やり過ごそうとする。「イッチョギ(こちら)…、ハハハ」、日本のスチュワーデスと反応が異なり、これはこれで愛嬌があった。大らかにアクビをして、すぐにニコニコする。鼻をサッと曲げて吸うなど、なかなかナチュラルだ。
機内の座席に取り付けられた小さな画面には、旅を「お樂しみ下さい」と、ゴシック体のテロップが往路で流れた。日本語だが2回ともこの字は旧字体だった。復路では写真に収めようと狙ったが、なぜか英語版になってしまっていた。
機内のその画面では、たまたま映画「Blind 블라인드」(ブラインド)を付けた。主演のキム・ハヌルが交通事故で血まみれになり、失明。日本の情感と異なる感情が揺さぶられるのが特徴で、展開がいつもながら劇的すぎるが、つい引き込まれてしまう。このハヌルは、韓国の固有語で空(そら)の意味で、漢字離れがここにも見られる。中国語圏では、「荷娜」と女性らしい漢字で音訳している。途中までで時間切れとなったが、画面上はハングルばかりで、漢字は見当たらなかった。これが現実の韓国の文字空間なのだろうか。
・商品
韓国においては、商品には、漢字が散見された。「眞露」と酒のケースに記されていた。これは日本でもお馴染みの固有名詞に対するロゴだ。「辛」は、飛行場のカートの宣伝部分に見かけた。カップラーメンの容器の写真にあり、これも日本でもよく知られている商品名だ。日本語では「辛い」の訓読みが 「からい」なのか「つらい」なのかと話題になるが、韓国では、姓を含めてシンという音読みでしか用いられない。

mom(体・命)ae(愛)joeun mul(良い水)
ホテルの水には、安心してお飲み下さい、とあったが、やはりペットボトルの水は手放せなかった。容器に「愛」がハングルと混用表記されているのが目に入る。製品名の欄では、ハングル優先で
몸 애(愛) 좋은 물
と、漢字は括弧内に追いやられていた。現在、韓国においては法律により、公文書では括弧内へ併記するだけであっても、漢字を用いる際にはなんと大統領令が必要なのだそうだ。
ペットボトルのお茶には、「茶」「
」と、やはり1字だけ漢字が記されており、逆に漢字が際立って目に付く。こうした単字のキーワード的な使用は、漢字が記号のような存在に映るのだが、今回は韓国でたくさん目に入った。現代の日常的な韓国語を漢字で表記する、という点は、ベトナムには見られない現象であった。韓国の方が、漢字を撤廃した時期が遅いことや政策で部分的ながら復活させたりしたこともあって、より残っているといえるだろうか。
空港内の土産物品店では、後述するように、日本語や中国語の、つまり日本人向け、中国・香港・台湾の人向けの漢字使用が商品や掲示に頻出していた。韓国語の商品名や社名も、漢字表記にすることで外国人旅行者にも曲がりなりにも読め、意味もうかがえ、親しみさえも持てるようにしようと図っているのだろう。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
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漢字の現在:韓国の漢字
2012年 3月 20日 火曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第169回 韓国の漢字
ソウルに行くのは、久しぶりだった。서울(Seoul)の中国語名は、国際問題化を経て「漢城」から韓国側の主張する「首爾」(ショウアル)に変わった。これは中国語の固有名詞を決定する主体を巡る議論でもあったが、韓国人通訳者が中国語に訳すときには旧称もまだ使うことがあるようだった。日本では、原題を活かした「京城スキャンダル」という韓国ドラマもテレビで放送されていた。数百年の歴史を持つ語が、時を経て意味付けも変わり、甦ってきている。金浦空港内の待合所では、「東京」をトンギョンと発音することも、韓国人の男性による自国の旅客向けの館内放送のアナウンスで聞かれた。これも漢字を介した古風な表現となったものだ。まだ、韓国語内にも、漢字の影が色濃く残っているといえるだろうか。
ドラマや映画、ポップスなど韓流ブーム、これを「かんりゅう」と言うと、「はんりゅう」と親切心からか言い直してくれる人の現れる時代となった。やはり新規な読み方を知っていることの方が価値が高いと思われるようだ。
仁川/成田は、私の経路からは遠回りなので、時間の関係もあって羽田/金浦間とした。日帰りというのも辛いし、移動に時間とエネルギーを要したのにもったいない。出発当日には難しい会議がある。また早く帰国すれば、登壇という仕事もあるが、生身なので残念だがご縁がなかったものとお断りする。予定の重なりで不義理が増えてきてしまった。
2月初めのソウルは寒い。通訳役を引き受けてくれたその人と会うときは、どこでもたいてい寒い。中国では長春で、マイナス30度ほどまで下がった。ソウルもマイナス17度との報道があったが、実際にはマイナス7度程度で収まった。
国際会議にお招ばれしたものだが、久々の韓国、とにかく漢字を見つけたら、全部写真かメモに残す決意をしていた。すでに連載にも記したベトナム以来のことであり、漢字があるかないかという現象としての事実の底にある、あるいは先にあるものを見出したい。ベトナムとの漢字の残り方の共通点と差異とをはっきりとさせてもみたい。ここで、主な点を紹介していきたい。
・機内で
時間帯の関係で、行きも帰りも大韓航空となった。それはそれで楽しそうだ。
スチュワーデスは、日本ではキャビンアテンダントなどと改称されたが、韓国では今なお「ステュオディス」というように呼ぶそうだ。種類の多い母音と子音を活用して、英語にわりと近い発音となっており、これを授業中に生で聞いた中国人男子も、カッコイイと、思わず声を上げたことがあった。
韓国女性は、肌がキレイで北東アジアでは最も美人ということで有名なのだと、中国のモンゴル族の先生が述べた。たしかに背が高く、色も白いような気もする。韓流風の人、日本の芸能人のような人などはいても、この大韓航空機内には、日本人スチュワーデスがいなかった。日本人は、概して生真面目だが、韓国人がときに発揮するような緊張感が弱いように思われる(それだけ柔和とも言える)。ついでに、中国人キャビンアテンダントが、登場時刻間際に、笑いながら何人かで空港内を走って「急いで!」「間に合った」と中国語で言いながら機内に駆け込んだ姿も印象深く心に残っている。
人間だけでなく、文字も観察し、そこから考えを広げないといけない。「비상구(bisangku ピサング) 非常口」、大韓航空機なのに「非常門」ではなくなっていた。機内のトイレには、まとめて漢字があった。「(押)」「(引)」は、日本人向けなのか記号的な使用である(写真参照)。「嘔吐袋」「淑女用 衛生帯」。これらは日本語なのだろうか。日韓の間には同形語が極めて多いので、誰を対象に書かれた文字なのか、何語で読まれることを想定したものなのか、判断しにくいところが中国やベトナムとは異なる。
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【筆者プロフィール】
笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
【編集部から】
漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は「笹」より「笠」でした。
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漢字の現在:「笹」より「笠」
2012年 3月 16日 金曜日 筆者: 笹原 宏之漢字の現在 第168回 「笹」より「笠」
新潟は近くなった。子供のころ、富山の田舎に行くときには、釜飯で有名な横川や、新潟の直江津を経由し、ときには西回りで米原まで経由してなど、ほぼ一日を費やしての移動であった。禁煙車でなくて煙く、夏は蒸し暑い。今は、上越新幹線であっという間にトンネルも抜けて、越後の国に入れるのだ。
ご縁があって、ここのところ毎年、新潟からお呼ばれをいただいている。年にたまたま3回もうかがったこともあった。新潟駅では、日本海側の懐かしく温かい同好の方々の前に、まず「笹だんご」「笹団子」と書かれたのぼりと看板が迎えてくれる。私の名字に含まれる「笹」は、この地では使用頻度が高そうだ。その日に泊まるホテルも、駅から直接行ける中央区「笹口」という地にあった。「笹だんご」という漢字の含まれた表記だと、おいしそうに感じるという方も、地元にはおいでだ。思えば、仙台駅でも同じような光景があった。「笹蒲鉾」、以前のように生産が戻っていることを切に祈っている。
私は、幼稚園の卒業アルバムから、姓を「笠原」と間違われてきた。大学の出席カードも、最後まで「笠原」で通す人がいる。もっとも教員名欄には、前の年に担当された先生の姓で「中村」と書いてきた人もいた。ほかには、「佐々木」と混じて「佐々原」、さらにそれと「笹原」とが混ざり合って「笹々原」まで現れる。これでは「ささささはら」のようだが、「百恵」だって「百々恵」、つまり「々」であたかもルビや送り仮名のように、音が反復していることを示すとしている人がいるのだから、無理もない(「七々」はナナ以外にナナナナも架空の姓名にはある)。「笹」の竹冠を草冠で書いてしまう人も案外多い。「笠」の「立」の部分を消して、「世」を上から書くようなケースもある。
先日は、勤め先の大学の公式書類でも「笠原」とこのように印刷されていて、訂正が入った。言葉が専門のはずの国語研の先輩の方からも間違われていた。一体なぜだろう。
まずは言い間違いは、発話の環境や個々人の滑舌の悪さや耳の聞こえ具合などに左右される。「kasahara」「sasahara」、互いに最初の子音しか違いがなく、しかもそこの「か」「さ」の部分はアクセントが概して低く、はっきりとは聞こえにくい。
書き間違いは、むろんそれに関連していようが、「笠」も「笹」も、常用漢字表には採用されていない漢字だ。一昨年末の改定に際しても、ともに小説などでの頻度数はそこそこあったが、現代の普通名詞としての表記上の需要は、ということから、見送られたものだ。前者は漢字だが音読みは笠(りゅう)智衆(ちしゅう)などあるも比較的稀だ。後者は国字で音読みは極めて稀だ(セと読ませる例はなくはない。第159回「久笹」姓参照)。小学生の時に、兄に「笹」は国字だと聞き、その根拠という『新選漢和辞典』でこの字を見て確かに「国字」と記号が付いていた。しかし、そんなのは関係なく、みな同じ漢字じゃないか、と当時は思えたものだ。
「笠原」と「笹原」は見た目が似ている。ざっと70%以上は共通しているようだ。そしていずれも姓にある。前者は地名では余り聞かないようだ。なのになぜ間違われるのだろう。
笹渕さんという方にお尋ねする機会があった。
「笠渕」さんと間違われませんか?
「渕」のほうはよく間違われるが、「笠渕」となることはまずないとのこと。「笹」が付く名字には愛着を感じるとのことで、それは同感だ。
また、笹原小学校を卒業した、という学生がいたので、聞いてみた。
「笠原小」と間違われることはなかった?
ほとんどなかったという。いろいろ聞いていると、「笠」「笹」ランダム交替仮説は成り立たなさそうだ。
「笠井」さんにも以前聞いてみていた。
「笹井」と間違われることがある。
これも示唆的だ。いずれも学校で習わない表外字であるが、経験によりなんとなく習得されるために、あやふやさが残ってランダムに書かれる、と言うことでもなさそうだ。「笹渕」よりも「笹井」のほうが多そうだからだ。ほかの「笹原」さんも、「笠原」と間違われるそうだが、逆のケースは間違いが少ないのだそうだ。ここで、「笹原」が「笠原」と間違われる要因として、頻度仮説というものを立ててみたい。
「笹原」と「笠原」は、何対何の比率で日本にいるのか。総理になるほどの有名人はどちらもいなさそうだが、人口比ではおおまかに1:3強らしい。つまり、「竹冠の原」で「-asahara」という姓の人の80%近くが「笠原」なのだ。まさに多勢に無勢である。さらに「小笠原」は「笠原」よりもっとたくさんいるが、「小笹原」はまず聞かない。こうしたことは、他の姓でもよく起こっている。私が「笠原」姓に吸収されてしまうのもやむを得ないことと気付いた。それからは名字を「笠原」と間違われても失礼だとカッとせず、気にもしなくなり、むしろ今回はなぜだろうという関心が強くなった。
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笹原宏之(ささはら・ひろゆき)
早稲田大学 社会科学総合学術院 教授。博士(文学)。日本のことばと文字について、様々な方面から調査・考察を行う。早稲田大学 第一文学部(中国文学専修)を卒業、同大学院文学研究科を修了し、文化女子大学 専任講師、国立国語研究所 主任研究官などを務めた。経済産業省の「JIS漢字」、法務省の「人名用漢字」、文部科学省の「常用漢字」などの制定・改正に携わる。2007年度 金田一京助博士記念賞を受賞。著書に、『日本の漢字』(岩波新書)、『国字の位相と展開』(三省堂)、『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)、編著に『当て字・当て読み 漢字表現辞典』(三省堂)などがある。最新刊は、この連載がもととなった『漢字の現在』(三省堂、2011年8月刊行)。
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漢字、特に国字についての体系的な研究をおこなっている笹原宏之先生から、身のまわりの「漢字」をめぐるあんなことやこんなことを「漢字の現在」と題してご紹介いただいております。前回は生き続ける「汢」でした。
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駅



」「爲替優待」は、日本人向けだろう。
カードはフォントの影響で旧字体に












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2007年









