著者ごとのアーカイブ

色彩と文化

2010年 12月 27日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(104)

日本では、虹は七色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)ということになっている。たとえば絵本などで虹が出てくると、ほとんどの場合、七色に描かれている。しかし虹の色は物理的にはもちろん七つに分かれているわけではなく、可視光線は波長の長い赤から短い紫まで、連続体を形成している。それがもし七色に見えるとしたら、それは「思い込み」にすぎない、ということになる。ただしその「思い込み」は個人的なものではなく、日本語話者は「七色の虹」というような固定化された表現に影響されて、七色に見えてしまう、ということのようだ。つまり、文化圏によって、同じ物を見てもその見え方が異なることがあるのである。
 
ドイツ語圏では、虹はいくつの色でできていると思われているのだろうか。鈴木孝夫著「日本語と外国語」(岩波書店)では、ドイツ語では五色と考える人が多い、との記述があるが、日本語の「七色の虹」ほど強固で固定的な思いこみはないようだ。ドイツ語圏の絵本などを見ると、虹はほとんどが五色か六色で描かれている。次の図では、小さくてわかりにくいかもしれないが、虹が六色で描かれている。

regenbogen2.png

色に関する「思いこみ」の例は、他にも多くあげることができる。たとえば太陽の色は何色だろうか。太陽を直接見ると眼を痛めることになるので注意が必要だが、そもそも実際の太陽には、色は無い。一方、朝日や夕日、雲に隠れた太陽などは様々な色を呈する。

日本の絵本などを見ると、ほとんどが赤で描かれている。太陽は熱源でもあるので、色で表現する場合には暖色系が選ばれることになるようだ。しかし暖色の中でも赤が選ばれるのは「思いこみ」の一つらしい。一方ドイツ語圏を含む多くの欧米諸国では、「太陽は黄色」という思いこみがあるようだ(太陽の色に関しても、上記の鈴木孝夫氏の本にくわしい記述がある)。たとえば次の図では、太陽が黄色で描かれている。

sonne_s.png


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

敬意表現とkommen

2009年 8月 31日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(62)

ドイツ語の gehen / kommen と日本語の「行く」/「来る」を比較してみると、基本的用法は同じである。つまり、話し手が視点の中心となって主語の移動を表現する場合、話し手から遠ざかる動きは gehen /「行く」で、話し手へ近づく動きは kommen /「来る」となる。

Der Herbst ging, der Winter kam.
秋は去り、冬が来た。

しかしドイツ語と日本語とでは、違いもある。話し手が視点の中心となっている場合、主語が聞き手へ近づく動きは、日本語では「行く」だが、ドイツ語では gehen ではなく kommen を使用しなければならない。これについて、クラウン独和辞典第4版では次のように述べられている。

Kommst du auch? ― Ja, ich komme gleich.
「君も来るかい」「ああ、すぐ行く」
 この場合 Ja, ich gehe gleich. と答えるのは間違いである。なぜなら、この場合の kommen は、英語の come と同じく、相手の方へ(ないしは相手の意中の場所へ)「行く」ことを意味するからである。

このような用法は、普通は敬意表現として説明される。この説明によると、本来視点は話し手にあるのだが、主語が聞き手に近づく動きを表現する場合に限り、視点を聞き手に移して聞き手への敬意を表現する、ということになる。つまり文法的体系としては敬語は日本語の方が遙かに複雑な仕組みを持っているのだが、kommen に関しては必要な視点移動が、日本語の「来る」には存在せず(ただし日本語でも数多くの方言では、このような視点移動が存在することが知られている)、敬意を表現できない、ということになる。

しかし kommen における視点移動は、随意的ではなく義務的である。これが現在でも敬意を表現しているとするのなら、聞き手へ近づく動きであってもあまり敬意を表現したくない場合には gehen のままでいいはずなのだが、実際にはそれは不可能である。

ドイツ語で視点が関わる表現は、移動動詞に限られているわけではない。たとえば誰かがドアをノックした場合、

Herein! (ノックに対して)お入りください。

と答えるのだが、視点は話し手にあるままで、聞き手への視点移動は起こらない。この場合、どうして視点を聞き手に移して(Hinein!)聞き手への敬意を表現しないのだろうか。

つまりドイツ語における視点移動は、kommen の場合は義務的で、herein の場合は不可能なのである。その起源はともかく、現在では kommen に関する視点移動を「敬意表現」として説明するのは無理があるようだ。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典』編修委員

ドイツ語の「未来」

2009年 4月 27日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(49)

ドイツ語に「未来」はあるか、ということを考えてみたい。とは言っても、ドイツ語の将来に悲観しているわけではなく、時制の一つ「未来形」の話である。

日本におけるドイツ語学習では、すでに英語学習の経験があることを前提としているため、できるだけ英語文法と同じ用語を使うようにしている。動詞の時制に関しても、進行形はドイツ語にはないが、それ以外は英語と同じ用語を使い、以下の6時制と説明するのが普通だろう(未来完了は使用頻度が低いので、初級文法では省略される場合もある)。

現在 現在完了
過去 過去完了
未来 未来完了

しかし時制の用法は、ドイツ語は英語とは異なる点がある。未来のことを表現する場合、英語では原則的に未来形を使うが、ドイツ語では必ずしもその必要はない。また現在の事についての推量を表現する場合にも未来形が用いられる。以下は「クラウン独和辞典」第4版からの例である。

Sie kommt morgen zu mir.(現在形)彼女は明日私のところへ来る。

Sie wird wohl krank sein.(未来形)彼女は多分病気らしい。

実際、未来形が単純に時間的未来を表現する用例は、頻度が低い。それよりも、人称にもよるのだが(詳しくは「クラウン独和辞典」巻末の文法小辞典を参照)、推量、意志・意図、命令などの意味を表現することがはるかに多い。つまりドイツ語の未来形は、その用法から考えると、時間的意味よりも、話法の助動詞と同じような意味を表現するのが普通なのである。

ドイツの文法書でも、最近は未来形を時制の一種としてではなく、話法の助動詞表現の一種と説明しているものもある。その際の根拠の一つとして、たとえば次の文のような確定的未来を表現する場合、未来形は使用不可で、現在形しか用いられない、ということが強調される。

Morgen habe ich Geburtstag.(現在形)明日は私の誕生日だ。

つまり未来形という名前ではあっても、未来を表す頻度は低いし、時間的未来を表す場合に未来形が使えない場合もあるのである。

文法用語も、名前と実態が一致している方が望ましい。しかし英語と同じ用語の方が覚えやすい、などいろいろな理由により、名が体を表さなくなっているケースもあるので、注意が必要である。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

意味の変化

2009年 3月 9日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(42)

言語は時間とともに変化する。単語の意味も、変化を免れることはできない。

言語がなぜ変化するのか、完全に解明されているわけではないが、ファッションと同じように、常にインパクトのある表現が必要とされることは明らかである。新しい言い方にはインパクトがあり、たとえば「現代風で魅力がある」ことを示す言葉は「ハイカラ」「ナウい」「いけてる」「クール」など次から次へと生まれる。ということは、古い言葉は次から次へと意味が薄れ、インパクトを失って廃れていくのである。今では、「ナウい」などという言葉はまったくナウくない。

また貨幣価値はインフレとともに低下していくものだが、言語の意味も同じように時間とともに価値が低下していくものらしい。たとえば「貴様」という語は、一つ一つの漢字の意味から考えると、相手を高く持ち上げる尊敬表現のはずだが、現在では、話し相手に「貴様」と呼ばれて喜ぶ人はいないだろう。

ドイツ語も事情は同じで、多くの単語が時間とともにインパクトを失ったり、価値が低下していく。たとえば程度の大きさを表現する普通の単語は sehr (とても)だが、強調のために、少し前までは super という語が特に若者たちに好まれた。しかし現在ではこの単語はインパクトを失いつつあり、mega- という接頭辞に取って代わられつつあるようである。クラウン独和辞典第4版には、megaschlecht(最悪の)や mega-out(まったく時代遅れの)などの例があげられている。

また Frau という語は、中世では(現在とは形が異なっていたが)「貴婦人」(つまり貴族階級に属する女性)を指していた。しかし現在では、そもそも貴族がいなくなってしまったということもあるが、原則的には子供を除くすべての女性が Frau である。それにともない、かつてはすべての女性を意味した Weib という語は(これも中世では形が異なっていたが)、その地位を Frau に譲り、現在では「女性」に対するマイナスの評価を伴うものとなっている。つまりこの2つの単語はどちらも、価値が低下したのである。

もちろん意味の変化には価値の低下以外にもいろいろなタイプがあるが、やはり価値の低下のケースが多いようだ。

ところで Arbeit と語は、中世では「苦労、労苦」を意味していたのだが、現在では「仕事」という意味が中心となっている。これは価値の低下なのだろうか、それとも上昇なのだろうか、私にもよくわからない。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学。『クラウン独和辞典』編修委員。


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

ドイツ語名詞の複数形

2009年 1月 19日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(35)

英語と比べてドイツ語の単語は語形変化が多く、学習者にとって大きな負担となっている。特に名詞に関しては、格変化や性の区別(男性名詞・中性名詞・女性名詞)がある上に、複数形の作り方もいろいろあって、わかりにくい。英語にも不規則な複数形はある(たとえば ox / oxen)が、そのような特別な注意が必要な名詞複数形の数は非常に少ない。

ドイツ語の名詞複数形の学習に際しては、多くの教科書が、複数形形成の型を示している。教科書により多少の違いはあるが、語尾の違いによる以下のような5つの型が提示される場合が多い。

1 ゼロ型
(ウムラウトなし) (単)Onkel (複)Onkel [伯父・叔父]
(ウムラウトあり) (単)Vater (複)Väter [父]

2 -e 型
(ウムラウトなし) (単)Arm (複)Arme [腕]
(ウムラウトあり) (単)Ball (複)Bälle [ボール]

3 -er 型(ウムラウトが可能な場合はウムラウトあり)
(単)Kind (複)Kinder [子供]
(単)Haus (複)Häuser [家]

4 -(e)n 型 (単)Frau (複)Frauen [女性]

5 -s 型 (単)Auto (複)Autos [車]

しかし複数形形成の型を示されても、どの単語がどの型で複数形を作るのかは、簡単にはわからない。もちろんさまざまな複数形形成の型を知っておくことは有益だが、どの単語がどの型で複数形を作るのかがわからなければ、複数形から単数形を推測することも、自分で単数形から複数形を作ることもできない。学習者にとっては、このような型の提示には、どれほどの意味があるのだろうか。名詞を覚える際に、性の区別と複数形を同時に覚えなければならないことで、ドイツ語学習に絶望する人がいても不思議ではない。

しかし学習が進むと、実際には名詞の複数形形成には様々な規則があることがわかってくる。たとえば語源に関しては、外来語は -s 型での複数名詞形成が多いと言える。形態からわかるものとしては、-chen -lein のように縮小語尾のついた名詞は単複同型であるし、-e で終わる名詞の多くは(その多くが女性名詞なのだが)-n で複数形を形成する。このようなことがわかってくると、つまりドイツ語学習も中級程度になると、名詞の複数形に関して迷うことはあまりなくなる。

5つの型は出現頻度が大きく異なることもわかっている。何をどのように数えるべきなのか、いろいろな可能性があり、方法が違うと結果も大きく異なるので客観的な「出現頻度」を測定するのは意外に難しいのだが、ある統計によれば、-(e)n 型が45%程度と出現頻度が最も高く、次いで -e 型が25%程度、ゼロ型は15%程度で、-er 型と -s 型は非常に頻度が低い、という結果になっている。

性の区別まで考えた上で頻度表を検討すると、複数形の形成は「男性名詞と中性名詞は -e、女性名詞は -(e)n 」との予測が、確率が高いようだ。ただしこれは「規則」というわけではなく、あくまで「確率が高い」ということにすぎない。しかもこの「高い確率」は、基本語には当てはまらないことが多い。クラウン独和第4版の最重要語である2行見出し語を調べてみると、男性名詞では7割以上が -e 型だが、中性名詞では4割程度に過ぎない。女性名詞は8割程度が -(e)n 型だった。ただし数の上では少ないゼロ型や -er 型には、とてもよく使われる最重要語が多い。

結局、名詞の複数形に関するドイツ語学習者への説明としては、

「まず基本語の複数形を、個別に覚えなさい。学習が進めば、多くの場合、形や意味、語源などから複数形の見当が付くようになります。基本語以外については、男性名詞と中性名詞は -e、女性名詞は -(e)n の確率が高いと言えます。」

ということになるだろう。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学。
『クラウン独和辞典』編修委員。


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

言語音の変化

2008年 12月 1日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(31)

言語の特性の一つに「常に変化し続けること」がある。音声(発音)も変化する。日本語の音も変化している。

五十音図は日本語のすべての音を体系的に、つまり網羅的かつ重複なしで記述していると考えられがちだが、よく見ると、この五十音図も日本語の音を1対1対応で正確に文字で表記しているとは言えない。たとえば「お」と「を」、「じ」と「ぢ」は文字上では区別があるが、発音上の区別は、原則的にはない。一方、五十音図にはない「でぃ」と表記される発音は、すでに日本語に定着している。以前はこの音は日本語にはなかったので、外来語には「ビルジング」「ビルヂング」などという発音および表記が用いられた。しかし現在では「ビルディング」という発音および表記が普通だろうし、「デズニーランド」などと発音する人は圧倒的に少数派だろう。(もっとも現在でも、「ディジタル」ではなく「デジタル」という発音および表記が通常の外来語も存在する。)また「ティ」「ファ」などの音も、かなり定着しているようだ。このように五十音図が日本語の音声を正確に表記できなくなっているのも、日本語の音声が変化しているからである。

ドイツ語の発音も変化する。ドイツ語には五十音図に対応するようなものはないが、本来のドイツ語音と、そうではない音を一応区別することはできる。本来のドイツ語音としては、数え方にもよるが、母音は17個程度、子音は21個程度ある。音の数から言うとドイツ語は日本語よりかなり多いのだが、それに加えて、たとえば Restaurant (レストラン、発音は [rɛstorã: れストらーン※])の最後の鼻母音などのように、本来のドイツ語音にはなかったのだがフランス語の影響で完全にドイツ語の中に定着している音もある。Garage (ガレージ、発音は [gará:ʒə ガらージェ])の最後の子音もドイツ語に定着していて、この音は他にも Etage, Gage, Staffage など多くの語に用いられている。このように、ドイツ語の音声も変化しているのである。

「ドイツ語のカナ表記」の項でも書いたように、クラウン独和辞典第4版では、このような本来のドイツ語音とは異なる音を持つ単語については、国際音声記号(IPA)のみではなく、できる限りカナ発音でも発音を示してある。このような単語の発音には、特にご注意いただきたい。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典』編修委員


【編集部から】
※実際にはãに鋭アクセント符号がつきます。
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

ドイツ語の造語力(2)

2008年 9月 1日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(22)

前回(ドイツ語の造語力(1))、ドイツ語の特徴として造語力の高さがあると述べた。

ドイツ語の造語方法には、一応の規則がある。単語どうしを組み合わせる複合では、たとえば

Haus 家 + Tür 扉 → Haustür 家の扉
Haustür 家の扉 + Schlüssel 鍵 → Haustürschlüssel 家の扉の鍵

のように「修飾部+主要部」となり、新しくできた複合語全体の意味に関しても、性や複数形の作り方に関しても、右側の単語が主要部となる。接辞を使った派生でも、たとえば

be-(接頭辞)+ fahren 運転する → befahren 通る
Haus 家 + -lich(接尾辞)→ häuslich 家の

のように、普通は接頭辞は品詞を変えることはないが、右側にある接尾辞は、新しくできた派生語の品詞を決める力がある。つまり、ドイツ語の造語に関しては「主要部は右側」という原則があるようだ。

ドイツ語は、造語力の高い言語である。しかしドイツ語とならんで実は日本語も、特に漢語を使えば、造語力が非常に高い言語の一つである。複数の単語を組み合わせた複合語は日本語にも数多くあり、また日本語話者ならばかなり自由に新しい複合語を作ることもできる。たとえば実際には存在しない「東京特許許可局局長秘書」などのように。

造語力の高さという共通点を持つドイツ語と日本語だが、複合語の作り方には違いもある。日本語には「修飾部+主要部」となる限定複合語と並んで、「連辞的複合語」と呼ばれる複合語も多い。たとえば「父母」「山河」など、このタイプの複合語は、どちらが主要部とも言えず、並列関係にある。

このタイプの複合語は、ドイツ語にも存在はするのだが、数は限られており、生産性も低い。たとえば日本語の連辞的複合語「父母」に対応する複合語を作ることはできず、

Vater 父 + Mutter 母 → *Vatermutter

別の単語 (Eltern「両親」) を使わなければならない。ドイツ語は造語力が高いとはいえ、何でもできるわけではないのである。

ドイツ語にある数少ない連辞的複合語としては、クラウン独和第4版には

schwarz 黒 + weiß 白 → schwarzweiß 白黒

などの他、州の名前(たとえば Schleswig-Holstein)などが掲載されている。これら以外は、あまり勝手に作って使わない方がよさそうである。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

ドイツ語の造語力(1)

2008年 8月 25日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(21)

「トム・ソーヤーの冒険」や「ハックルベリー・フィンの冒険」で有名なアメリカの作家マーク・トウェインには A Tramp Abroad(邦訳「ヨーロッパ放浪記」)という旅行記があり、その補遺にある The Awful German Language(邦訳「ひどいドイツ語」)というエッセイには、ドイツ語を学ぶことのむずかしさが描かれている。

そのエッセイで述べられているドイツ語の特徴の一つに、単語の長さがある。ドイツ語の単語の中にはあまりに長いものが多くあり、たとえば

Freundschaftsbezeigungen (友情の表明)

というような単語は長すぎて遠近感が感じられ、遠くからでなければ全体を見通すことができず、アルファベットの行進のようなもので、想像力を働かせると行進の旗が見えたり音楽が聞こえたりする、とユーモラスに語られている。

ドイツ語の特徴の一つに、たしかに造語力の高さがある。ドイツ語は、接頭辞や接尾辞を用いた派生であれ、複数の単語を組み合わせた複合であれ、かなり自由に新しい単語を作ることができる。

英語などでは、「一番長い単語は何か?」という問題が話題になることがあるが、「ドイツ語で一番長い単語は何か?」という問いには、答えがない。この問いへの答えとして時としてあげられるのは

Donaudampfschifffahrtsgesellschaftskapitän (ドナウ川蒸気船運航会社船長)

であるが、これが「一番長い」というのは正しくない。ドイツ語話者であればだれでも、ドイツ語の造語力を使ってこの単語をさらに長くすることができる。たとえば

Donaudampfschifffahrtsgesellschaftskapitänssohn (ドナウ川蒸気船運航会社船長の息子)

というように。この方法は原理的には無限に繰り返しが可能で、だれかが「この単語が一番長い」と言ったらすぐに、別の要素を付け加えてさらに長い単語を作ることができてしまう。

ドイツ語の授業で学生から「教科書に出てくる単語なのに、辞書に載っていません。」という指摘を受けることがある。ドイツ語は造語力が高いため、たとえ初歩の教科書でも、あまり見ないような単語が出てくることがあるのだ。しかしそのような単語も、部分に分けて、それぞれの部分の意味を確認すれば、全体の意味は容易に理解できる。辞書の比較では収録見出し語数が問題にされることが多い。もちろん収録見出し語数が多い方が便利ではあるが、ドイツ語の場合は特に、単なる数字の比較よりも、個々の単語がどの程度丁寧に記述されているか、ということが重要なポイントなのである。「クラウン独和辞典」第4版でも、上であげたような単語は見出し語として採用していない。これらは実際にはあまり使用されることのないものであり、もし必要になれば、部分に分けて調べることで、全体の意味を容易に理解することができる。

ところで「クラウン独和辞典」第4版で一番長い見出し語は

Geschwindigkeitsüberschreitung (スピード違反)

である。これは上で引用したマーク・トウェインの例よりも長いのだが、この程度なら、それほど遠くからでなくても全体を見通せるのではないか。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典』編修委員


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

言語の規範意識

2008年 6月 23日 月曜日 筆者: 重藤 実

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(14)

辞書には、言語の実際の使用を示す記述的な面だけではなく、「正しい」と思われる使用を示す規範的な面も必要である。その「正しさ」は、時代とともに変化するものである。

言語にとっての「正しさ」を決める規範意識がどのように生じるのか、よくわかっていない。文化庁による2003年度「国語に関する世論調査」の結果によると、「姑息な手段」という言い回しの「姑息」は、次のように理解されている。

(ア)「一時しのぎ」という意味    ……… 12.5%
(イ)「ひきょうな」という意味    ……… 69.8%
(ウ)(ア)と(イ)の両方      ………  4.7%
(エ)(ア)や(イ)とは全く別の意味 ………  1.7%
        分からない      ……… 11.4%

「姑息」とは本来は(ア)の意味だったのだが、この調査結果から考えると、圧倒的多数派の(イ)が現代では「正しい」意味であり、本来の(ア)は誤りと考えるべきなのだろうか。しかし今年の1月に刊行された「広辞苑」第6版を見ても、(ア)の意味しか記述されていない。2006年10月刊行の「大辞林」第3版には、〔現代では誤って「卑怯(ひきょう)である」という意味に使われることが多い〕という丁寧な注記がある。しかしどちらの辞書も、「一時しのぎ」という意味が「正しい」と判断しているのである。

言語の規範意識は、多数決では決まらない。しかし本来の意味・論理的な意味が常に「正しい」というわけでもない。もしそうなら、「おかしい」を「滑稽である」と理解する現代人は全員、誤った日本語を使っていることになってしまう。言語の規範意識がどのように生じるのか、よくわかっていない。しかし規範意識は時代とともに変化するものなのである。

ドイツ語の接続詞weilは従属接続詞であり、定動詞は後置されるのが「正しい」用法だと考えられてきたが、実際の用例を調べてみると、定動詞正置の用例も数多く見つかる。このような定動詞正置の用法は、特に話し言葉において、最近増加していることが確認されている。このような現象は他の従属接続詞には見られず、weil特有のものである。

クラウン独和第4版では、接続詞weilに関して「話し言葉では定動詞正置文が用いられることもある」という注記とその用例を書き加えた。この注記は、ドイツ語の実際の使用法の記述としては明らかに正しい。ドイツ語の規範としては、どうだろうか。「話し言葉では」という条件付きでなら、ドイツ語の規範としてもすでに正しいと言えるのではないだろうか。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学。『クラウン独和辞典』編修委員。


【編集部から】
2008年2月に『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

クラウン独和辞典―編集こぼれ話―(2)

2008年 3月 24日 月曜日 筆者: 重藤 実

【編集部から】
このたび『クラウン独和辞典』(第4版)が刊行されました。日本初、「新正書法」を本格的に取り入れた独和辞典です。編修委員の先生方に、ドイツ語学習やこの辞典に関するさまざまなエピソードを綴っていただきます。

ドイツ語のカナ表記

 外国人の名前や地名など、外国語をカタカナで表記するのは、むずかしい。もとの言葉でどのように発音されるのかを知る必要があるし、日本語での表記に慣用があるかどうか、調べることも大切である。たとえばドイツでクリスマス前の待降節に好んで食べられるStollenというケーキを、最近は日本でもよく見るようになった。このケーキのカタカナ表記は「シュトレン」とするのがドイツ語発音に一番近いのだが、実際には長母音を用いた「シュトーレン」「ストーレン」などの表記の方がよく使われているようだ。いずれ長母音が慣用として確立してしまうのかもしれない。

 特に明治時代以降、ドイツと日本の間にはさまざまな面での交流があり、ドイツ人の名前や地名を初めとして多くのドイツ語がカタカナで表記されてきた。しかし斎藤緑雨の狂句「ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ」が示すように、ドイツ語の音を日本語で表記することについては、先人たちも苦労を重ねてきたようである。

 1991年の大学設置基準大綱化以降、多くの大学で教養部が解体されるとともに第二外国語学習が自由選択化され、全国的にドイツ語を初めとして英語以外の多くの言語の学習者が減少してしまった。もちろんそれまでのドイツ語教育に問題がなかったわけではないが、学習者の減少というのは、これからますます世界の国々との交流が必要とされることが明らかな時代に逆行する動きだろう。学習者が減っていることで、これまで積み重ねられてきた日本におけるドイツに関する学問の伝統が継承されない、という危険もあると思う。

 外国の単語の日本語での発音に関して、影響の大きいのはマスコミだろう。しかし最近はドイツ語のできる人がまったくいない放送局や新聞社もある、という話を聞くと、かなり不安になる。たとえばドイツ北部の町Hamburgは「ハンブルク」とするのが正しいのだが、「ハンブルグ」という誤った表記を見ることがある。逆に、ゲーテやモーツアルトの名前であるWolfgangは「ヴォルフガング」としたいところだが、「ヴォルフガンク」という表記を見ることがあるのは、ドイツ語を中途半端に学習した人の「語末のgは無声音」という誤解の結果なのかもしれない。

 この1月に刊行されたクラウン独和辞典第4版では、すべての見出し語に国際音声記号(IPA)に基づく発音記号が付されているとともに、基本語やドイツ語として発音が例外的なものには、できる限りカナ発音でも発音を示してある。ドイツ語は比較的スペルと発音との対応関係がわかりやすいと言われているが、それでもスペルからは想像しにくい発音の単語も多い。ドイツ語の知識がある人もない人も、ドイツ語の発音に疑問を持ったら、できる限りこのクラウン独和辞典第4版を活用していただきたいと思う。


【筆者プロフィール】
重藤 実(しげとう・みのる)
東京大学大学院人文社会系研究科教授
専門はドイツ語学
『クラウン独和辞典第4版』編修委員

次のページ »