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図鑑は愉しい! 第3回 翻訳家の図鑑観

2015年 2月 20日 金曜日 筆者: 柳原孝敦

【編集部から】
人はどんなときに「図鑑」を手に取るのでしょうか。調べものをするとき。既存の知識を確認するとき。暇つぶし。眠気ざまし。答えは人それぞれのようです。このリレー連載では、図鑑の作り手や売り手、愛読者に、図鑑にまつわる思い出や、図鑑の愉しみ方を語ってもらいます。月2回、第1・第3金曜更新。第3回の執筆者は、翻訳家で東京大学准教授の柳原孝敦さんです。

翻訳家の図鑑観

 子供のころの図鑑体験で憶えているものと言えば、『恐竜図鑑』だ。今では版元なども憶えていないけれども、わが家には『恐竜図鑑』なるものがあって、幼い私はそれを見てティラノザウルスだプテラノドンだトリケラトプスだ……といった名を憶え、特徴を読んでは実際の姿を想像し、遠いジュラ紀に、白亜紀に思いを馳せていた。

 長じて私は翻訳家となった。翻訳などをやっていると、特に文学作品の翻訳などをやっていると、事典と図鑑は必携だ。辞典ではない。事典だ。いや、もちろん、辞典も必要だ。私の場合はスペイン語の辞書に日本語の辞書、それに西和辞典も必要だ。それに加え、種々の事典や図鑑が欲しいところなのだ。

 小説の生命線は情報だ。プロットではない。プロットなど、いくつかのパターンの組み合わせに過ぎない。あるパターンに過ぎないそのプロットを、似たようなプロットを持つ他のどの小説とも違って見せるために、小説家は作品に膨大な量の情報をつぎ込む。この情報こそが生命線なのだ。建築家とバレリーナの恋愛の話だとしたら、彼らが出会い、愛し合い、別れることが重要なのではない。彼らがどのように出会い、どのような愛を語り合い、どのように別れるかが問題なのだ。建築家とバレリーナの生き方や生活様式、思考、発話内容がそれらしくなければ、設定が無駄になる。主人公たちは建築家やバレリーナらしく生き、建築家やバレリーナらしい思考をし、発話をしなければならない。

 そんな小説を訳す身としては建築用語やバレエ用語に通じていなければならない。しかし、もちろん私は建築家でもバレリーナでもない。趣味でバレエを観、バレエ音楽を聴くとか、建築物巡りをし、建築雑誌を読んでいるなら幸いだが、必ずしもそうはいかない。だから事典や図鑑が必要になるのだ。建築事典や図鑑、バレエ音楽事典にバレエ図鑑(そういうものがあれば、ということだが)……などだ。それらの一分野に特化したものがなくとも、せめて百科事典は欲しいところ。

 建築、バレエなどは一作品の特殊な例としても(私の初の個人訳は実際、建築家とバレリーナの恋の話だった)、ほぼ間違いなく、どんな小説作品の翻訳にも必要になるのが動植物の事典や図鑑だ。

 小説のもうひとつの生命線は情景描写だ。それによって書き手は物語の舞台を整え、読者を物語世界内に引き込むのだから、重要だ。特に田園風景などを描写する文章には、草木の名がふんだんに出てくる。それが外国の風景となれば、馴染みのない植物の名もひとつじゃ終わらない。時にはとても珍しい植物の名が出てくる場合だってある。ふだん読む時には、和名を知らず、その姿かたちを想像できなくてもやり過ごすことはできるのだが、訳すとなるとその和名を探さなければならないから、ないがしろにはできない。大辞典に頼り、それでも見つからない場合は学名から和名を割り出すなどして、時には一日がかりの仕事になる。学名つきの事典があればとても助かる。それが図鑑ならば、実物も確かめられて、いっそう雰囲気が実感できる。

 そんな風に、翻訳家は図鑑を重宝する。しかるに、私が馴染んだ図鑑は『恐竜図鑑』なのだった。……しかしなあ、恐竜の出てくる小説というのは、さすがになかなかない。図鑑で培った知識を役立てる場が残念ながら、ない。かろうじてひとつだけあるにはあるのだが……

目を覚ましたとき、恐竜はまだそこにいた。

 世界一短い短編とも言われる(いや、ヘミングウェイがもっと短いのを書いている、という人もいる)アウグスト・モンテロッソ「恐竜」(『全集 その他の物語』〔服部綾乃・石川隆介訳、書誌山田〕所収)だ。でもここで出てくるのは「恐竜」という類名だものな。これでは図鑑の知識を発揮しようがない。まさか

目を覚ましたとき、ステゴザウルスはまだそこにいた。

と訳すわけにはいくまい。これでは「超訳」に過ぎるだろう。

 いかにも、「超訳」に過ぎる。でも書いてみて、なかなか面白いと思った。日本語話者には「ステゴザウルス」という響きは、ことさら物悲しいものに思われるかもしれない。なんたって「ステゴ」なのだから。そうなると、「恐竜」とするよりも「目を覚ました」人物の緊迫感が違う。「恐竜」ならば緊張して、死すら覚悟するだろう。観念してまたすぐに目を閉じてしまうかもしれない。ところが「ステゴ」ならば、彼または彼女は思わず相手をぎゅっと抱きしめてしまうかもしれないじゃないか……体長7メートルばかりの、背中にヒレのようなものがたくさんついた、なかなかにおぞましい見た目なのだけど。

 さらにもうひとひねり。ステゴザウルスは植物食だから、たとえばティラノザウルスに比べればはるかに安全、安心だ。こうしたことも、図鑑に親しんでいれば瞬時に判断できる。

 ……いや、そうではない。翻訳には図鑑が助けになるという話であった。

 ところで、図鑑って何だ?

 『広辞苑』による「図鑑」の定義は「写真や図を系統的に配列して、解説を加えた書物」だが、これのヨーロッパ語への翻訳はどうなるのだろう? 私が今回オビの推薦文を書いた『政治学大図鑑』の原題は The Politics Book、つまり『政治学の本』だし、『哲学大図鑑』The Philosophy Book だ。このシリーズはどうもこんなタイトルらしい。The … Book と。だが、これでは「図」の入っていない「鑑」すなわち「資料を集めた書物」(『大辞林』の定義)や普通の「本」 book とどう区別すればいいのだろう? 翻訳家としてはとても気になるのだ。

 ここは三省堂のサイトであった。まずは名にし負う『クラウン和西辞典』(重宝してます!)を引いてみようではないか。すると「図鑑」は “libro ilustrado” と出ている。つまり「イラストつきの本」だ。では(ここで少し声をひそめるのだが)白水社の『和西辞典』ではどうか? “Enciclopedia ilustrada” 「イラストつき百科事典」と少し異なっている。ちなみに、たとえば東信『植物図鑑』椎木俊介写真(青幻社、2012)には Encyclopedia of Flowers の英題がついている。(さらにもっと声をひそめて)研究社の『新和英中辞典』は “a picture book” 、“an illustrated reference book” などと説明している。どうも英語やスペイン語には日本語の「図鑑」に相当する唯一で弁別的な単語はないようだ。Book (libro) や encyclopedia (enciclopedia)、せいぜいそれにillustrated (ilustrado) という形容詞がつくくらいだ。

 つまり、「図鑑」とは「事典」や「資料集」(特にイラストつき)と考えればいいのだ。

 なるほど。実は私は「事典や図鑑」としてこれまで話してきたのだが、「事典(場合によっては図鑑)」でいいのかもしれない。ともかく、事典類(または図鑑)は、翻訳家でなくとも、多少なりとも知的な作業に従事する者にとっては欠かせない。知性とは、書斎に置く事典(や図鑑)の数である、と言ってしまいたいほどだ。

 そんな知性派が、実は大事にしているのが高校時代に参考書として使った図鑑類だ。私も今でも時々新版を買い直して持っている。帝国書院の『総合新世界史図説』や山川の『日本史総合図録』などというのを手許に置いて、折に触れて参照するのだ。

 この種のもので何と言っても参考になるのは、『国語便覧』だ。私の手許にある国語教育プロジェクト編著『ビジュアル資料 原色 シグマ 新国語便覧』増補三訂版(文英堂、2012)は特に優れものだ。「古文編」では古典のテクストに現れる草木の写真から牛車の図版と名称、烏帽子など装束の解説、百人一首全首などが楽しい。「現代編」では代表的な作家や評論家が写真入りで紹介されているし、最後には手紙の書き方なんてものまで手ほどきしてくれている。これは重宝する。

 先日、旧友、というか、かつてのガールフレンドとLINEで会話していたら、彼女の嫁いだ先が百人一首かるたの盛んな土地で、高校時代にそんなものを学んだ記憶のない自分は肩身の狭い思いをしていると嘆いていた。『国語便覧』のことを教えたら、彼女、早速注文したらしい。調子に乗って職場でそれを見せびらかしたところ、仕事仲間たちも食指を伸ばし、ついには5、6冊まとめて注文することになったとか。『国語便覧』は強いのだ。図鑑はすばらしいのだ。

 この便覧の特に「古典編」など眺めていると、夢想しないではいられないことがある。『西洋文学図鑑』みたいなものがあればいいな、ということだ。ヨーロッパの爵位とか、軍人の位階、階級章、18世紀以後の流行の服装とか、馬車、車の車種などを図入りで、できれば英・仏・独・伊・西等数カ国語の単語つきで。こんなことを夢想するのは、スペイン語からの翻訳書を読んでいると、トップハット sombrero de copa alta を山高帽 sombrero de hongo と間違えたり、シトローエンの車2cv(ドゥー・シュヴォー)を「ツーホース」と、ルノーの5(サンク)を「ルノー・ファイヴ」と訳していたりする場合が多くてうんざりするからだ。トップハットと山高帽では意味合いが違う。かぶっている人の階級や背景が違う。ルノー・サンクに乗っているという属性は、それだけで人物描写の役割を果たすのだ。図鑑でも眺めてその車や帽子のフォルムを確かめれば、そしてその由来の解説を読めば、そんなことたちどころにわかるのだけどな……

 小説の生命線は情報だ。情報を理解するには事典が、そして図鑑が必要なのだ。『西洋文学図鑑』、どなたか作ってくださらないかな?……

【筆者プロフィール】

『春の祭典』(国書刊行会)『ラテンアメリカ主義のレトリック』(エディマン/新宿書房)柳原孝敦(やなぎはら・たかあつ)
東京大学大学院人文社会系研究科・文学部准教授。専攻 スペイン語文学、ラテンアメリカ文化研究。著書に『ラテンアメリカ主義のレトリック』(エディマン/新宿書房、2007)、翻訳書にアレホ・カルペンティエール『春の祭典』(国書刊行会、2001)(これが本文内で言う建築家とバレリーナの恋を扱った小説)など。

 

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◆→次回第4回の執筆者は、翻訳家で英和辞典の編集委員も務める豊島実和さんです。

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