カテゴリー:コラム

シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十六回:赤ん坊とゆりかご

2018年 7月 16日 月曜日 筆者: 大石 侑香

第十六回:赤ん坊とゆりかご


オントゥプの外側には装飾が施される(2016年3月23日・ムジ村郷土資料館)

 就学前の牧夫や漁師の子供たちは両親とともに暮らします。生後間もない子供を遊牧や遠出する夏の漁に連れて行くことも珍しくありません。遊牧や漁で忙しいうえに、水道も電気もガスもない森の中では家事に費やす時間も多く、さらに衣服や生活・生業の道具も手作業で作製するため、大人たちの手は常にふさがっています。起きているあいだは常に何か作業をしており、「ハンティは(両手が使えない)腕組みを嫌う」と言われるほどです。

 それほど働き者のハンティたちは、手がふさがっているとき、赤ん坊やまだ歩き始めていない小さな子供をオントゥプ(онтуп)というゆりかごに入れておきます。オントゥプには背もたれがあり足を延ばして座らせるための日中用と、横に寝かせるための平らな夜用があります。これらはシラカバの樹皮とバードチェリーなどの木の枝で作られています。


オントゥプ
(2016年3月30日・ベリョーゾヴォ北方民族文化芸術センター)

 日中には、オントゥプを家の天井や天幕の柱棒に革紐で吊るし、ときどき揺すって子供をあやします。もちろん、ずっと吊るしておくのではなく、両親が見ていられないときやナイフで木材加工や調理等していて近寄ると危ないときなどにそうします。窮屈そうで赤ん坊がかわいそうと思われるかもしれません。しかし、オントゥプは森の生活においてとても便利です。ベリー摘みに出かける際にはそのまま持って連れて行き、地面に置いておくことができます。また、トナカイやスノーモービルに橇を引かせて移動する際にも、子供をオントゥプに入れたまま運ぶことができます。ハンティによれば、オントゥプを紐で橇に固定すれば、走行中に誤って転げ落ちる心配もありませんし、オントゥプを後ろ向きに乗せれば、木々が生い茂った森で四方から伸びる枝から目や頭を守ることができます。


天幕内に吊るされたオントゥプ、通常もう少し低い位置に吊るす
(2017年2月3日・ベリョーゾヴォ地区郷土博物館)

 012年の冬のフィールドワークでは、森の中のあるハンティ人のお宅に滞在いていたとき、若いハンティ人夫婦が1歳に満たない子供をつれて訪ねてきました。彼らは外気温がマイナス40度くらいのときに、40キロメートル以上もスノーモービルで風を受けて走行して来ました。赤ん坊が凍えないように、オントゥプは毛布や毛皮の衣服で厚く包まれ、さらに風よけとしてフェルトで全体を覆っていました。奥さんは、雪が凍り付いて白くなったフェルトで包んだままのオントゥプを家の中へいれてきたので、私はそれが何か分かりませんでした。一枚一枚毛布や毛皮の衣服を剥いでいきました。すると中から赤ん坊がまったく凍えた様子もなく血色の良い顔で出て来て、周囲に笑顔を振りまいていました。彼らが去る際には、赤ん坊は嫌がることもなく、おとなしくオントゥプにおさまりました。

 このように、オントゥプは携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優れた道具です。ハンティの赤ん坊たちは厳しい自然の中でこの便利なゆりかごに守られて育ってゆきます。


材料のシラカバの樹皮の採集. オントゥプ用にはより大きな幹から採集する
(2016年9月22日)

ひとことハンティ語

単語:Овен пўнше!
読み方:オーヴェン ピュンシェ!
意味:扉を開けてください!
使い方:両手がふさがっているときなど、誰かに扉を開けてもらいたいときに使います。フィールドワークをはじめたばかりのときは、ハンティ語がよく分からなかったため、こうしたホームステイ先の家族たちのちょっとしたお願いも理解できず、申し訳ない気持ちになりました。そのたびに彼らは赤ん坊に言葉をひとつずつ教えるかのように、ハンティ語を私に教えました。

* * *

◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

*

【編集部から】

携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優秀な道具、オントゥプ。日本でも似たグッズとしてクーファンや持ち運び可能なベビーシートなどがありますね。日本で使用されているものも頑丈ですが、果たして外気温マイナス40度の中を40キロ以上スノーモービルで走行しても耐えられるでしょうか。オントゥプは材料も使用用途もこの地に根差したものですね。次回の更新は8月10日を予定しています。

『日本国語大辞典』をよむ―第38回 地名の「意味」を考える

2018年 7月 15日 日曜日 筆者: 今野 真二

第38回 地名の「意味」を考える

よど【淀・澱】【一】〔名〕(1)水が流れないでよどむこと。また、その所。よどみ。*万葉集〔8C後〕五・八六〇「松浦川七瀬の与騰(ヨド)はよどむともわれはよどまず君をし待たむ〈大伴旅人〉」(略)(2)物事が渋り滞ること。すらすらと進まないこと。よどみ。(略)【二】(淀)京都市伏見区の地名。淀川に沿う低湿地で、木津・桂・宇治の三川の合流点付近にある。古代から京都の外港をなす淀川水運の河港として繁栄。安土桃山時代に淀城築城、江戸時代は稲葉氏一〇万石の城下町。(略)

 「ヨドム」は上の名詞に「ム」が下接して動詞化した語と思われる。「ヨド」はオノマトペ語基ではないのであろうが、例えばオノマトペ語基である「キシ」に「ム」を下接すると「キシム」という動詞になる。

 『日本国語大辞典』があげている『万葉集』の例中に「ヨド」「ヨドム」いずれも使われており、古くから使われている語であることがわかる。「松浦川のあまたの瀬の淀みは淀んで流れなくても、私は滞ることなく一途にあなたをお待ちしましょう」といった歌意であろうが、ここでは恋の気持ちが逡巡することを「ヨドム」と表現している。

 さて、〈水などが停滞する〉という語義をもつ「ヨド」を一方に置くと、【二】としてあげられている京都市伏見区の地名である「ヨド(淀)」あるいは上の三川の合流地点から下流を呼ぶ「ヨドガワ(淀川)」もそうしたことをふまえた地名であることがわかる。地名には語義、すなわち意味はないとみるのが一般的であるが、古くからある地名は、当然すでにあった語を組み合わせて作られているはずで、地名によっては、その語義=意味を考えることができる。そして、現在の地形を考え併せることによって、「なるほど!」と思うこともある。

 古い地図をみながら散歩するというようなことがされているが、上のように地名をみることは、地名の中に(古い時期に使われていた)日本語を見つけ、その語義から地形を推測するということになる。

やち【谷地・谷・野地】〔名〕(1)湿地帯。低湿地。やと。やつ。(略)

やつ【谷】〔名〕たに。たにあいの地。特に鎌倉・下総(千葉県・茨城県)地方で用いる。やち。やと。(略)

やと【谷】〔名〕谷間。渓谷。やち。やつ。や。(略)

 見出し「やち」の「語誌」欄には「(1)東北方言では、普通名詞として、湿地帯を意味する。関東地方の「やと」「やつ」は、現在では「たに」と同義か。しかし、「や」は「四谷」「渋谷」など、固有名詞を構成する形態素としては存在するが、普通名詞としては使われない。(2)アイヌ語に沼または泥を意味するヤチという語があるところから、地名に多く見られる「やち」「やと」「やつ」「や」がアイヌ語起源であるとの説(柳田国男)があった。しかし、北海道の地名にこれらの語が使用されていないところから、むしろアイヌ語のヤチの方が日本語からの借用語ではないかと考えられている」と記されている。

 見出し「やつ」の語釈に鎌倉があげられている。筆者は鎌倉に生まれ育ったが、筆者の実家のあるあたりは、「瓜ヶ谷(うりがやつ)」と呼ばれていた。「扇ヶ谷(おおぎがやつ)」は現在も使われている地名である。そのそばには「亀ヶ谷(かめがやつ)」がある。鎌倉は南は海であるが、それ以外は山なので、「ヤツ/ヤト」と呼ばれるような場所に人が住んでいたのだろう。「瓜ヶ谷(うりがやつ)」は「ウリガヤ」といわれることもあった。これは行政上使われている地名ではないが、そのこともあってか、この「ウリガヤツ」の「ヤツ」が子供の頃に何か気になった。気になったというのは、変な感じがしたということだ。それこそ、単独では「ヤツ」という語が使われていないというようなことだろうか。何か方言的な印象をもっていた。

 実家を離れて、横浜市金沢区で暮らすようになって、京浜急行の「能見台駅」が以前は「谷津坂(やつざか)駅」という名前だったことを知った。駅前の坂が「谷津坂」で、鎌倉以外にも「ヤツ」があることがわかった。おそらく「谷」という漢字一字で「ヤツ」という発音を書くのがむずかしいので、「ツ」を明示するために「谷津」と漢字をあてたのだろう。その時住んでいた住所は「釜利谷(かまりや)」で、こちらは「ヤ」だ。

わだ【曲】〔名〕(1)地形の入り曲がっているところ。入江などにいう。(2)形が曲がりくねっていること。

 平安時代の末頃から鎌倉時代にかけて日宋貿易で栄えた「大輪田泊(おおわだのとまり)」という港が神戸のあたりにあったことを日本史で習う。この「わだ」は〈地形の入り曲がっているところ〉の呼び名であろう。

 「ワダ」は『万葉集』に「オホワダ」「オホワダノハマ」という語形として2例みられるが、いずれも「オホワダ」は「大和太」と書かれている。語義からすれば、「曲」と結びつくことが考えられそうであるが、それが定着しないと、結局は「大輪田」のように、表音的に漢字をあてることになる。地名においては、現在使われている漢字はいうまでもないが、かつて使われていた漢字も、語義をそのままあらわしているとは限らないという点には注意する必要がある。「輪田」だから、輪のような形をした田んぼだろうと、単線的に考えないようにしないといけない。考えを進めるきちんとした「筋道」をおさえれば、地名で遊ぶこともできる。

 * 

※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

*

【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

広告の中のタイプライター(36):IBM Selectric

2018年 7月 12日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Nation's Business』1962年11月号

『Nation’s Business』1962年11月号
(写真はクリックで拡大)

「IBM Selectric」は、IBMが1961年に発売した電動タイプライターです。「IBM Electromatic」以来IBMが採用してきたフロントストライク式ではなく、「IBM Selectric」はタイプ・ボールと呼ばれる金属製の「玉」により、紙の前面に印字をおこなう機構が特徴的です。

「IBM Selectric」のタイプ・ボールは、表面に88個の活字が鋳込まれた金属製の「玉」です。押されたキーに対応して上下左右に回転し、紙の表面に倒れ込むように印字をおこないます。タイプ・ボール上の88個の活字は、22個ずつ4段に分かれており、標準のタイプ・ボールでは、最上段が[#&*$Z@%¢)(]3784z25609と、次の段がXUDCLTNEKHBxudcltnekhbと、その次の段がMVRAO˚.”ISWmvrao!.’iswと、最下段がGF:,?J+PQY_gf;,/j=pqy-と、上から見て時計回りに並んでいました。タイプ・ボールは簡単に着脱可能であり、様々なデザインのフォントや、アルファベット以外のタイプ・ボールも準備されていました。

この結果、「IBM Selectric」では、タイプ・ボールによってキー配列も変わります。ただし、上の広告にもあるように、キートップには、いわゆる標準QWERTY配列が記されています。最上段のキーは]234567890-=と並んでいて、シフト側が[@#$%¢&*()_+です。すなわち「@」が「2」のシフト側にあって、これがIBMのタイプライターを特徴づけていました。また、数字の「1」ではなく「]」が標準で、数字の「1」は小文字の「l」で代用することが想定されていました。次の段はqwertyuiop!と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP˚です。その次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”です。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。

ただ、最上段左端のキーに対応する活字を「]」と「[」ではなく、「1」と「!」にしたタイプ・ボールの方が、実際には人気が高かったようです。その結果、下の広告にもあるように、最上段左端のキートップに「1」と「!」を併記した「IBM Selectric」も、後には生産されるようになりました。このようなタイプ・ボールでは、2段目右端のキーに対応する活字を「!」と「˚」ではなく、「½」と「¼」にすることも多かったらしく、それらもキートップに併記されています。

『Office Equipment & Methods』1966年10月号

『Office Equipment & Methods』1966年10月号
(写真はクリックで拡大)

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

モノが語る明治教育維新 第26回―双六から見えてくる東京小学校事情 (4)

2018年 7月 10日 火曜日 筆者: 唐澤 るり子

第26回―双六から見えてくる東京小学校事情 (4)

 国が明治7年に小学校用地として、500坪以内の土地を無償で下げ渡す旨の太政官布告を出したため、各地で小学校建設は活性化しますが、その建築費や運営費の多くは寄付金に頼らざるを得ませんでした。前回ご紹介したのは、主に地元民がその費用の多くを負担した例でしたが、第24回でご紹介した「有馬学校」のように、華族が率先して多額の寄付金を出した事例も少なくはありませんでした。それに対し官からは御賞賜(ごしょうし=お褒めの物品をあたえること)があったといいます。


(写真はクリックで拡大)

 明治8年本所永倉町(現・墨田区緑町)に開校した「本所学校」の校舎建築費も、その多くが尾張徳川家16代当主・徳川義宜(よしのり)の寄付で賄われました。額は3000円【注1】といいますから、大卒相当の初任給が8円(明治13年)といわれる時代、現在の大卒初任給を20万円として価値を換算すると、7500万円もの拠出となります。さすが、殿様は太っ腹です。

 東西南北の風見を設置した塔が特徴的な校舎ですが、東京曙新聞は「本所に新式小学校」の見出しで、次のような記事を載せています。

「学校の普請は万事ともに生徒の健康を害せざるやうにと注意して、両便へは臭気抜きをも附る位にし、又校中は是非とも靴をはく掟なるにより、貧乏者の小供等には靴形の上草履を銘々に渡し……」(明治8年9月18日。『新聞集成明治編年史』より。以下の引用も同史料による)

 トイレや校舎内の環境に配慮した近代的な校舎のようです。実はこの学校には尾張徳川家の令嬢や最後の将軍・徳川慶喜の子息も通っていました(D. モルレー『学事巡視功程』)。学校は、殿様の子どもと靴を買えない貧困者の子どもが一緒に学ぶ、四民平等の新しい時代が到来したことを感じさせる象徴的存在でもあったのです。


(写真はクリックで拡大)

 明治10年に新幸町(現・港区新橋)、今の第一ホテル付近に開校した「桜田学校」は、「明治学校」同様の南京下見の2階建て木造校舎でした(ちなみに「明治学校」は青、「桜田学校」はあずき色のペンキが塗られていました)。

 『港区教育史 上巻』(東京都港区教育委員会)によれば、新校舎建設資金には地元有志3831名の寄付金、約3857円が充てられました。単純に平均すると一人約1円の寄付となりますが、寄付金目録が記された奉加帳(ほうがちょう) には有栖川宮、三条実美、島津久光、大久保利通といった宮家や元勲21人が名を連ね、そういった方々の寄付金は相応に高額でした。ちなみに大久保利通は200円と記されています。


(写真はクリックで拡大)

 同じく明治10年、九段坂上(現・千代田区富士見町)に開校した「富士見女学校」の純和風2階建て校舎の建築費については、読売新聞が「女学校建設の寄付」の見出しで下記のごとく報道しています。

「富士見町一丁目へ女学校が出来るので、同町の華族桜井忠興君より百円、山県有朋君より百円、黒田長知君より百円、中御門経之君より七十円、一番町の木戸孝允君より百円、飯田町の有馬道純と鍋島直影の両君より五十円づゝ寄付されました」(明治10年5月1日)

 寄付金の額まで新聞で公表されては少額ともいかず、華族様の出費もさぞかし大変でしたでしょうが、中には庶民でも殿様ばりの太っ腹な例もあります。


(写真はクリックで拡大)

 明治8年に深川北松代町(現・江東区亀戸)に開校した「丸山学校」は、50坪の敷地に53.5坪の建築物を建て、空き地には残らず桜を植え付け2500円の費用が掛かりました。その全額を一人の豪商・丸山伝右衛門が負担したと、東京曙新聞は伝えています。

「府下の人は各地と違って学問の何物たるを知らないの、学校の資本金を出すものがないのなんのといふことが、折々諸新聞紙に見えますが、中にはかういふ人もございます。なんと皆さん感心な咄しではございませんか」(明治8年7月23日)

 こういった奇特な行為に触発され、東京の学校建設も盛んとなっていきました。ただしこの伝右衛門さん、大きな材木問屋を営んでいましたが、明治18年に破産閉店したとのことです。

*

[注1]

  1. 額は史料によって異なる場合がありますが、ここでは徳川義崇監修・徳川林政史研究所編『写真集  尾張徳川家の幕末維新』(吉川弘文館)を参照しました。

* * *

◆画像の無断利⽤を固く禁じます。

◆この連載の目次は⇒「モノが語る明治教育維新」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

『図説 近代百年の教育』

唐澤るり子(カラサワ・ルリコ)

唐澤富太郎三女
昭和30年生まれ 日本女子大学卒業後、出版社勤務。
平成5年唐澤博物館設立に携わり、現在館長
唐澤博物館ホームページ:http://karasawamuseum.com/
唐澤富太郎については第1回記事へ。

※右の書影は唐澤富太郎著書の一つ『図説 近代百年の教育』(日本図書センター 2001(復刊))

*

【編集部から】

東京・練馬区の住宅街にたたずむ、唐澤博物館。教育学・教育史研究家の唐澤富太郎が集めた実物資料を展示する私設博物館です。本連載では、富太郎先生の娘であり館長でもある唐澤るり子さんに、膨大なコレクションの中から毎回数点をピックアップしてご紹介いただきます。「モノ」を通じて見えてくる、草創期の日本の教育、学校、そして子どもたちの姿とは。
更新は毎月第二火曜日の予定です。

人名用漢字の新字旧字:「浅」と「淺」

2018年 7月 5日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第161回 「浅」と「淺」

新字の「浅」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「淺」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。新字の「浅」は出生届に書いてOKですが、旧字の「淺」はダメ。どうしてこんなことになっているのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、部首画数順に2528字が収録されていました。標準漢字表の水部には「浅」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「淺」が添えられていました。「浅(淺)」となっていたわけです。簡易字体の「浅」は、旧字の「淺」に代えて一般に使用すべき漢字、ということになっていました。

昭和21年11月5日、国語審議会が答申した当用漢字表では、水部に「浅」が含まれていて、その直後に、カッコ書きで「淺」が添えられていました。「浅(淺)」となっていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「浅」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「浅」が収録されていたので、「浅」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「淺」は、子供の名づけに使えなくなりました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表では、やはり「浅(淺)」となっていました。これに対し、民事行政審議会は、常用漢字表のカッコ書きの旧字を子供の名づけに認めるかどうか、審議を続けていました。昭和56年4月22日の総会で、民事行政審議会は妥協案を選択します。常用漢字表のカッコ書きの旧字355組357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字だけを子供の名づけに認める、という妥協案です。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「浅」は常用漢字になりました。しかし、旧字の「淺」は人名用漢字になれませんでした。旧字の「淺」は、常用漢字表のカッコ書きに入ってるけど当用漢字表に収録されてなかったからダメ、となったのです。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「淺」は、全国50法務局のうち出生届を拒否した管区は無く、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が19回でした。この結果、旧字の「淺」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「浅」と旧字の「淺」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「浅」に加え、旧字の「淺」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「浅」はOKですが、旧字の「淺」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

『日本国語大辞典』をよむ―第37回 ライガーとレオポン

2018年 7月 1日 日曜日 筆者: 今野 真二

第37回 ライガーとレオポン

ライガー〔名〕({英}liger lionとtigerの合成語)雄のライオンと雌のトラの交配により、飼育下でつくられた雑種。ライオンよりやや大きく、体色はライオンに似るが褐色の縞がある。繁殖能力はない。

レオポン〔名〕({英}leopon {英}leopardとlionとの合成語)ヒョウの雄とライオンの雌の交配による雑種で、ヒョウより大きく、斑紋がある。繁殖能力はない。

 見出し「レオポン」の語釈にも「飼育下でつくられた」という表現が含まれている方が、2つの見出しの「平行性」が保たれると思われるが、それはそれとする。上の「合成語」は2種類の動物を表わす語を合成した、ということであるが、むしろ実際に雑種がうまれているから、合成語を作って、「実態」にみあった名前をつけた、というべきかもしれない。

よそる【装】〔他ラ四〕(動詞「よそう(装)」と、「もる(盛)」とが混交したもの)飲食物をすくって器に盛る。

 上の語釈の中に「混交」という語が使われている。「混交(混淆)」(contamination)は言語学の用語となっている。上の使用例としては、「改正増補和英語林集成〔1886〕」と龍胆寺雄の「アパアトの女たちと僕と〔1928〕」と北杜夫の「白毛〔1966〕」があげられている。

 この「ヨソル」には個人的な記憶がある。筆者は高校時代に卓球部に所属していたが、1年生の夏休みの合宿の時に、ご飯を「ヨソウ」というか「ヨソル」というか、ということがなぜか話題になった。筆者はそれまで「ヨソル」という語を耳にしたことがなかったので、そんな語があるはずがない、と思って「ヨソウ」派だったが、3年生の一番厳しいI先輩が「ヨソル」派で、絶対に「ヨソル」だと言って譲らなかった。その時の話がどう終わったかは覚えていないが、それから「ヨソル」という語が記憶に残った。『日本国語大辞典』をよんできて、この見出しに出会って、「これか!」と思った。「ヨソル」は実在する語形だった。しかも、明治期にすでにあった語形であった。

 『日本国語大辞典』をよんでいると、時々この「混交」に出会う。

あせしみずく【汗―】〔名〕(「あせしずく」と「あせみずく」との混交語)「あせしずく(汗雫)」に同じ。

あんけらかん〔副〕(「あんけら」と「あんかん(安閑)」が混交してできた語という)「あんけら【一】」に同じ。

げんご【言語】〔名〕人間の思想や感情、意思などを表現したり、互いに伝えあったりするための、音声による伝達体系。また、その体系によって伝達する行為。それを文字で写したもののこともいう。ことば。げんぎょ。ごんご。 語誌 江戸時代までは漢音よみの 「ゲンギョ」と呉音よみの「ゴンゴ」とが並行して用いられてきたが、明治初年に、両語形が混交して「ゲンゴ」が誕生した。「ゲンゴ」の一般化に伴って「ゲンギョ」は姿を消し、「ゴンゴ」は、「言語道断」などの特定の慣用表現に残った。

さそつ【査卒】〔名〕(「巡査」と「邏卒」の混交か)明治初期、巡査をいう語。

にらみる【眄】〔他マ上一〕(「にらむ」と「見る」との混交した語)にらんで見る。にらみつけるように見る。

やにむに〔副〕(「やにわに」と「しゃにむに」とが混交したもの)「やにわに(3)」を強めたいい方。

 現在では「ゲンゴ(言語)」という語形を使っているので、「ゲンギョ」とか「ゴンゴ」とかいう語形を耳にすることもほとんどなくなってきているかもしれないが、明治期の文献などを読んでいるとそうした語形に出会うことが少なくない。漢字で「言語」と書かれる漢語は、同一の音系で発音するのがまずは自然であるので、上の字を漢音で発音するなら、下の字も漢音、上の字を呉音で発音するなら、下の字も呉音、というのがまずは「筋」だ。しかし、日本には、というか日本語には、漢音も呉音も蓄積され、そのために、1つの漢字が呉音、漢音、唐宋音など複数の「オン(音)」をもつようになった。そしてまた、「漢字のよみ」というかたち、(あるいは理解)を形成していったと考えることができる。このあたりは、わかりやすく説明することが難しい。そしてまた、今後の研究課題でもあると考える。漢字が語を書いたものという「感覚」よりも「漢字をよむ」という「感覚」のほうが強いとすれば、その「感覚」をときほぐすことが、日本語における漢字がどのように機能していたか、を探る1つの「道」だろう。

 話を戻せば、「言」の字には「ゲン」「ゴン」2つの「オン(音)」があり、「語」の字には「ギョ」「ゴ」2つの「オン(音)」がある、ととらえると、いろいろな「組み合わせ」も可能だということになりそうだ。

 「サソツ(査卒)」は明治初期に使われていた語だと思われるが、まだ150年ぐらいしか経っていないのに、もうその語がどうしてうまれたかがわからなくなってしまっている。また「ニラミル」の例には「観智院本類聚名義抄〔1241〕」があげられており、「混交」は13世紀にもみられる言語現象であることがわかる。

 『日本国語大辞典』をよんでいると、出会った語をきっかけとしていろいろなことを考えるようになる。そして、いろいろと考えることによって、日本語全体について考えることになる。無謀な試みであることはどれだけよんでも変わらないが、楽しむ気持ちもうまれてくることがわかったことは収穫だ。

 1つだけ、注文をだしておきたい。『日本国語大辞典』は「混交」「混淆」を併用している。両者の意味するところが違うのであればいいが、そうであるとは考えにくいように思う。もしも両者の意味するところが同じなのであれば、書き方はどちらかに統一しておいていただけると助かる。今はオンライン版で検索をかけることができるので、こうしたこともわかるのでつい気になる。

 * 

※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

*

【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

広告の中のタイプライター(35):Underwood Forum

2018年 6月 28日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

タイプライターに魅せられた男たち・補遺

『Office Equipment & Methods』1965年3月号

『Office Equipment & Methods』1965年3月号
(写真はクリックで拡大)

「Underwood Forum」は、アンダーウッド社が1961年に発売した電動タイプライターです。この頃、アンダーウッド社は、イタリアのオリベッティ社の傘下に入っており、「Underwood Forum」も、オリベッティ社のピントーリ(Giovanni Pintori)のデザインによるものでした。ただし、「Underwood Forum」の製造はイタリアではなく、アメリカのコネティカット州ハートフォードが生産拠点の中心でした。

「Underwood Forum」は電動タイプライターですが、その印字機構はフロントストライク式で、プラテンの手前に44本の活字棒(type arm)が、扇状に配置されています。キーを押すと、対応する活字棒が電動で跳ね上がってきて、プラテンの前面に印字がおこなわれます。ただし、複数のキーを同時に押しても、活字棒は1本だけしか動かず、ジャミングは避けられるようになっていました。印字やシフト機構だけでなく、キャリッジ・リターンも、改行も、タブ機構も、バックスペースも、全て電動でおこなわれます。キーボードの最上段の上には、タブ機構の設定や解除に関するキーが並んでおり、タブ移動が左右両方向におこなえる、というのが「Underwood Forum」の特長でした。

「Underwood Forum」のキー配列は、「Underwood Golden-Touch Electric」ではなく、「IBM Electric Typewriter Model C」のキー配列をほぼ踏襲していて、44個のキーに86種類の文字が並んでいます。最上段のキーは234567890-=と並んでいて、シフト側が@#$%¢&*()_+です。すなわち、「@」が「2」のシフト側にあって、それ以前のUnderwoodとは異なり、むしろIBMのキー配列となっています。次の段はqwertyuiop½!と並んでいて、シフト側がQWERTYUIOP¼˚です。次の段はasdfghjkl;’と並んでいて、シフト側がASDFGHJKL:”であり、右端には「CARR RET」キーが配置されています。最下段はzxcvbnm,./と並んでいて、シフト側がZXCVBNM,.?です。すなわち、コンマとピリオドが、シフト側にもダブって搭載されているため、44個のキーに86種類の文字となるのです。なお、数字の「1」は小文字の「l」で代用することになっていたようです。

アンダーウッド社は、上の広告の翌年(1966年)にオリベッティ・アンダーウッド社へと社名を変更、生産拠点をペンシルバニア州ハリスバーグへと移します。これと前後して「Underwood Forum」も生産を終了し、アメリカやカナダにおいても、Olivettiブランドを展開していくようになるのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

人名用漢字の新字旧字:「姉」と「姊」

2018年 6月 21日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第160回 「姉」と「姊」

160ane-old.png新字の「姉」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「姊」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「姉」は出生届に書いてOKですが、「姊」はダメ。どうしてこんなことになったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を、文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、女部に新字の「姉」が収録されていました。その一方、旧字の「姊」は標準漢字表には含まれていませんでした。昭和17年12月4日、文部省は標準漢字表を発表しましたが、そこでも新字の「姉」だけが含まれていて、旧字の「姊」は含まれていませんでした。

昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、女部に新字の「姉」が含まれていて、旧字の「姊」は含まれていませんでした。国語審議会が11月5日に答申した当用漢字表でも、新字の「姉」だけが含まれていました。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「姉」は当用漢字になりました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には新字の「姉」が収録されていたので、「姉」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。旧字の「姊」は、子供の名づけに使えなくなってしまいました。

昭和56年3月23日、国語審議会が答申した常用漢字表1945字には、新字の「姉」が収録されていましたが、旧字の「姊」はカッコ書きにすら入っていませんでした。昭和56年10月1日に常用漢字表は内閣告示され、新字の「姉」は常用漢字になりました。その一方で旧字の「姊」は、常用漢字にも人名用漢字にもなれなかったのです。

平成16年4月1日、法務省民事局は『戸籍手続オンラインシステム構築のための標準仕様書』を通達、合わせて戸籍統一文字を発表しました。戸籍統一文字は、電算化戸籍に用いることのできる文字で、当初の時点では、漢字は55255字が準備されていました。この55255字の中に、「姉」と「姊」が含まれていたのです。つまり、コンピュータ化された戸籍の氏名には、「姉」も「姊」も使えるよう、システム上は設計されているのです。けれども法務省は、出生届には新字の「姉」しか許しませんでした。

平成23年12月26日、法務省は入国管理局正字13287字を告示しました。入国管理局正字は、日本に住む外国人が住民票や在留カード等の氏名に使える漢字で、新字の「姉」と旧字の「姊」を含んでいました。この結果、日本で生まれた外国人の子供の出生届には、新字の「姉」に加え、旧字の「姊」も書けるようになりました。これに対し、日本人の子供の出生届には、新字の「姉」はOKですが、旧字の「姊」はダメなのです。

【筆者プロフィール】

安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター教授。京都大学博士(工学)。文字コード研究のかたわら、電信技術や文字処理技術の歴史に興味を持ち、世界各地の図書館や博物館を渡り歩いて調査を続けている。著書に『新しい常用漢字と人名用漢字』(三省堂)『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。

http://srad.jp/~yasuoka/journalで、断続的に「日記」を更新中。

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第62回『信貴山縁起』「尼君巻」の「東大寺大仏殿参籠」を読み解く

2018年 6月 20日 水曜日 筆者: 倉田 実

第62回『信貴山縁起』「尼君巻」の「東大寺大仏殿参籠」を読み解く

場面:尼君が弟命蓮との再会を祈願しているところ
場所:山和国、東大寺大仏殿
時節:ある年の春か。

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]懇願する尼君 [イ]夢想する尼君 [ウ]祈る尼君  [エ]臥す尼君  [オ]立ち上がった尼君 [カ]歩き出す尼君
建物など:①壇正積み(だんじょうづみ)の基壇 ②束石(つかいし) ③高欄 ④葛石(かつらいし) ⑤回廊 ⑥瓦屋根 ⑦連子窓(れんじまど) ⑧石段 ⑨金銅八角燈籠 ⑩大仏殿 ⑪・⑳扉 ⑫白壁 ⑬鋲金具 ⑭釘隠 ⑮上長押 ⑯斗組 ⑰間斗束(けんとつか) ⑱唐草模様の蟇股(かえるまた) ⑲尾垂木(おだるき)
仏像・道具など:㋐廬舎那仏(るしゃなぶつ) ㋑施無畏印(せむいいん) ㋒与願印 ㋓二重円の光背 ㋔・㋝蓮弁の台座 ㋕燈籠 ㋖水晶玉 ㋗香炉 ㋘礼盤(らいばん) ㋙如意輪観音像 ㋚多聞天像 ㋛左の掌 ㋜・㋠足 ㋞岩 ㋟天邪鬼 ㋡杖 ㋢数珠 ㋣市女傘 ㋤脚絆 ㋥草鞋

はじめに 今回も『信貴山縁起』「尼君巻」を採り上げます。前回に続き弟命蓮に再会するために旅する尼君が東大寺大仏殿にたどり着いた場面になります。なお、大仏殿は伽藍配置からは金堂になりますが、この呼称が定着していますので、それに従うことにします。

東大寺 最初に奈良大仏でお馴染みの東大寺について確認しておきましょう。奈良時代、聖武天皇の発願によって創建された華厳宗の総本山です。行基(ぎょうき)が勧進、良弁(ろうべん)が開基となります。天平勝宝4年(752)に大仏開眼供養が催され総国分寺となりました。

 東大寺は、二度焼亡して再建されています。一度目は、治承4年(1180)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼き打ちによるもので、鎌倉時代になって再建されました。二度目は戦国時代の合戦で焼亡し、江戸中期になって再建され、今日に続いています。

 『信貴山縁起』に描かれた東大寺大仏殿は、創建時の形を写しており、今日見る形とは違っています。今回は現在の大仏殿の写真などを横に置いて読んでいただくと、創建時との違いが分かって面白いかもしれません。ウェブ上で画像は簡単に得られますので試してみてください。この場面は、創建時の大仏殿を描いた唯一のものとして貴重なのです。

大仏殿の基壇 それでは大仏殿の①基壇から見ていきましょう。壇正積みと呼ばれる基壇の上に建てられています(第39回参照)。②束石がきれいに並んでいます。基壇の端には③高欄が見えます。画面左上に梯子のように見えるのは、基壇の④葛石になります。

 この葛石の左に見える建物は⑤回廊で、⑥瓦屋根や⑦連子窓を見せています。

 基壇正面には⑧石段が五間(ごけん)分付いています。現在の大仏殿の石段は三間分ですので、創建時はもっと大きかったことが察せられます。

 石段の中央に見えるのは⑨金銅八角燈籠で、現在に引き継がれて国宝になっています。画面は退色して、燈籠の背後の石段の線が透けて見えています。

大仏殿 ⑩大仏殿の建物に移りましょう。大きさはどうでしょうか。間数(けんすう)を数えてみましょう。⑪扉が付くのは七間分です。左側には⑫白壁の二間分が見えますので、右側も同じになり、両端を合わせると四間です。そうしますと、大仏殿の正面は十一間となりますね。約86mです。

 現在の大仏殿はどうでしょうか。扉が付くのは三間分だけで、合わせて七間しかありません。約57mです。現在の大仏殿は、創建時の三分の二くらいの大きさにしか過ぎないのです。現在よりもはるかに大きかった創建時の景観はどうだったでしょうか。

 大仏殿の扉には、⑬鋲金具が打たれ、⑭釘隠は横長の金物になっています。どちらも金銅製でした。

 土壁を見てみましょう。ここも現在の形とは違っています。現在の形は、内側の一間は十字に仕切られ、外側の一間は上半分が窓になっています。しかし、絵巻では、全面が壁になっていますね。

 さらに土壁上部の⑮上長押のさらに上を較べて見てください。現在は上長押の上部も一間分が細長い壁になっています。絵巻では、そこが、桁や軒を支えるために入れられた組物となる⑯斗組(斗栱とも。ときょう)になっています。また、絵巻では、斗組のあいだにある⑰間斗束には何の造作もされていませんが、現在では間斗束にも斗組が施されています。さらに、絵巻では⑱唐草模様の蟇股が描かれています。斗組から突き出て見える柱は⑲尾垂木と呼びます。

 少し細か過ぎたかもしれませんが、較べて見ますと、建築の意匠に歴史的な違いがあることが分かりますね。さらに、大仏も現在と変わっていたようです。大仏を見ることにしましょう。

盧舎那仏 大仏は、正式には㋐廬舎那仏と言います。鎌倉の大仏は阿弥陀如来ですので、印の形が違います。鎌倉大仏は上品上生(じょうぽんじょうしょう)の印、奈良大仏は右手が、衆生の畏怖を無くして救うという功徳を表す㋑施無畏印、左手が、衆生の願いを実現してくれることを表す㋒与願印です。絵巻ではこの印は柱に隠れて少ししか見えませんが、掌は膝に置かれて上に向けています。

 お顔の形はどうでしょうか。現在の大仏は四角い顔ですが、絵巻では丸顔で、おちょぼ口に朱がさしてあります。しかし、絵巻は、写実を基本としませんので、実際はどうであったかは分かりません。建築も同じことになりますね。

 大仏は、大きな㋓二重円の光背の前に、㋔蓮弁の台座で結跏趺坐(けっかふざ)しています。光背や台座に施される仏や文様が、細かに描かれているのが分かります。すでに奈良時代に優れた工芸の技術があったことを思わせます。光背の形も現在とは違っていますが、連弁の台座は焼け残った部分があり、創建時の様子を伝えているようです。

 仏具も見ておきましょう。大仏の前にあるのは㋕燈籠と、一対の㋖水晶玉です。台座の手前に置かれているのは㋗香炉と、一対の㋘礼盤で、これは僧の座になります。仏具の配置も現在と変わっています。

開いた扉の隙間 大仏から目を転じましょう。画面右側に、少し開いた⑳扉の奥に何かが見えますね。これは何でしょうか。画面下に見えるのは、大仏の脇侍(わきじ)となる㋙如意輪観音像の一部、上部は㋚多聞天像の一部です。

 如意輪観音像には㋛左の掌と㋜足、㋝蓮弁の台座がはっきりと分かります。左手は大仏と同じ与願印ですが、足が見えるというのは結跏趺坐しているのではなく、坐って左足だけを踏み下げていることになります。如意輪観音像のこの形は仏像史でも興味深いものとされています。

 多聞天像は、㋞岩の上で㋟天邪鬼を㋠足で踏みつけているのが分かります。

 それでは、なぜこの二体の仏像を絵巻は見せているのでしょうか。それは、多聞天像を見せたかったからと思われます。多聞天は、本尊などになる時、毘沙門天(びしゃもんてん)と呼称されます。もうお分かりですね。命蓮が修業している信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)の本尊が毘沙門天でした。その霊験を暗示させるかのように、わざと扉を開けて見えるように工夫したと言えましょう。

尼君の姿 最後に尼君の様子を見ることにしましょう。原画では、先の燈籠と同じように建物の輪郭と重なって見えています。これでは分かりにくいので、尼君に関しては、背後の線を除いて描いてもらいました。六人の尼君が描かれています。よく見てみますと、六人とも同じ姿で、立っている二人は共に㋡杖を持っていますね。これは、どうしたことでしょう。実は、六人とも、絵巻の主人公の尼君になるのです。一つの場面に、同一人物を複数描くことで、時間の経過を表す絵巻の技法、異時同図法が用いられているのです。この技法については、第9回の『伴大納言絵巻』で触れましたので参照してください。

 ここの異時同図法は、尼君が懸命に大仏に祈願して一晩過ごし、そのお告げによって信貴山に向かう様子を表現しています。仮に、[ア]懇願する尼君、[イ]夢想する尼君、[ウ]祈る尼君、[エ]臥す尼君、[オ]立ち上がった尼君、[カ]歩き出す尼君としてみましたが、いかがでしょうか。[ア] [ウ] は、手に㋢数珠を持っているようです。[エ]の手前には㋣市女傘が見えます。[オ]は㋤脚絆に㋥草鞋です。前回見ました場面の尼君と同じ姿ですね。[カ]は信貴山に向かって歩み出した姿です。異時同図法によって、弟と再会したい尼君の思いが伝わってくるようです。なお、[オ]は、原画では、頭部と右袖のあたりが剥落していますが、ここは線を補ってもらいました。

 なお、当時の大仏殿は女人禁制でした。しかし、絵巻では尼君は堂内に入っています。この点が絵巻の謎となっています。大仏殿に入って祈る姿は、尼君の幻影なのでしょうか。

* * *

◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』編者、『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)、『平安大事典』(編著、朝日新聞出版)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

* * *

【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』編者および『三省堂 詳説古語辞典』編集委員でいらっしゃる倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載「絵巻で見る 平安時代の暮らし」。次回は、『石山寺縁起』から、今回と同じく「参籠」の場面を読み解きます。どうぞお楽しみに。

onyauji_thum1.png
◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第五版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

『日本国語大辞典』をよむ― 第36回 いろいろな「洋」

2018年 6月 17日 日曜日 筆者: 今野 真二

第36回 いろいろな「洋」

 「歌は世につれ世は歌につれ」という表現があるが、言語も社会の中で使われるのだから、語を通して、その語が使われていた時期の社会のようすが窺われることがある。

ようふく【洋服】〔名〕(1)西洋風の衣服。西洋服。(2)((1)には袖(そで=たもとの意)がないところから、そうではないの意の「そでない」に掛けて)誠意のない人をいう俗語。〔東京語辞典{1917}〕

ようさい【洋裁】〔名〕洋服の裁縫。洋服を裁ったり、縫ったり、デザインを考えたりすること。↔和裁。

ようま【洋間】〔名〕西洋風の造りの部屋。洋室。西洋間。

 「ヨウフク(洋服)」「ヨウサイ(洋裁)」「ヨウマ(洋間)」はいわばまだ「現役」の「洋」であろうというつもりで掲げた。マンションやアパートの間取りに関して、「ヨウマ(洋間)」は「ワシツ(和室)」とともに使われることが多い。「ワシツ(和室)」と語構成上も対になる形は「ヨウシツ(洋室)」であるが、むしろ和語「マ」と複合した混種語「ヨウマ(洋間)」が案外と使われているのはおもしろい。

 さて、「ヨウフク(洋服)」は現在も上の(1)のように認識されているのだろうか、とふと思った。小型の国語辞書をみてみると、『三省堂国語辞典』第7版も「西洋ふうの衣服。背広・ズボン・ワンピース・スカートなど」と、『新明解国語辞典』第7版は「西洋風の衣服。〔男子は上着とズボンを、女子はワンピース・スーツ・スカートなどを用いる〕↔和服」と記している。『明鏡国語辞典』第2版にも「西洋風の衣服。背広・ズボン・ワンピース・スカートなど」とあるので、ほとんど同じように認識されていることがわかる。

 「新聞や雑誌でみた本をアマゾンで検索してクリック。翌日には自宅に届くからだ。洋服も家電もクリック一つでことが足りる。宅配業界の悲鳴は、私たちの行動が引き起こしていた。」は2017年5月30日の『朝日新聞』の記事であるが、上の記事中の「洋服」は「西洋風の衣服」という意味合いで使われているのだろうか。日常生活で着る服は、特別な場合以外は「洋服」になっている。「ワフク(和服)」を対義語として置いた「ヨウフク(洋服)」ではなく、「衣服」「着るもの」に限りなくちかい意味合いで「ヨウフク(洋服)」という語が使われているのではないだろうか。そして、そういう「状況」は今に始まったことではない、というのが筆者の「内省」だ。そうであるのならば、「洋」が限りなく「効いていない」「洋服」がある、ということを辞書は記述してもよいように思う。このように、対義語を向こう側に置いて、「対義」が成り立っているかどうか、を語義の検証に使うこともできそうだ。

 『日本国語大辞典』をよんでいて、懐かしい「洋」にであった。

ようひんてん【洋品店】〔名〕洋品(1)を売る店。洋物店。

ようふくだんす【洋服箪笥】〔名〕洋服をつるして入れるようにこしらえた箪笥。

 「洋品(1)」は「西洋風の品物。商品。特に、西洋風の衣類およびその付属品」であるが、筆者が子供の頃には、いかにもそういう店があった。店の外から見ると、マネキンなどに何着か洋服が着せてあるような、ちょっとおしゃれな感じのする店だ。「ヨウヒンテン」という語を自分で使ったかどうかはっきりとは覚えていないが、耳にしたことはあったように思う。

 『日本国語大辞典』は「ようふくだんす」の使用例として、谷崎潤一郎の「卍〔1928~30〕」をまずあげている。上の語釈をよんでいて、「ああ、そういう箪笥があったな」と思った。実家にかつてあった、主に父のスーツを入れていた箪笥は両開きになっていて、中にスーツが吊せるようになっていた。これは和服を入れるための(引き出しのみの)「ワダンス(和箪笥)」があり、それに対しての「ヨウフクダンス(洋服箪笥)」ということであろう。この語の場合は、「ヨウダンス(洋箪笥)」ではなくて、「ヨウフクダンス(洋服箪笥)」という語形が選ばれている。

 さらに幾つか「ヨウ(洋)~」という語をあげてみよう。

ようとう【洋灯】〔名〕ランプをいう。

ようはつ【洋髪】〔名〕西洋風の髪の結い方。洋式の髪形。

ようばん【洋盤】〔名〕洋楽のレコード。また、外国、特に欧米で録音・製作されたレコード。

ようふ【洋婦】〔名〕西洋の婦人。西洋の女。

ようぶ【洋舞】〔名〕西洋で発達した舞踊。ダンスやバレエなど。

ようぶん【洋文】〔名〕西洋のことばで書いた文。また、西洋の文字。

ようへい【洋兵】〔名〕西洋の兵隊。

ようへきか【洋癖家】〔名〕西洋の物事や様式などを並み外れて好む癖のある人。西洋かぶれ。

ようぼう【洋帽】〔名〕西洋風の帽子。烏帽子(えぼし)、頭巾などに対していう。

ようほん【洋本】〔名〕(1)西洋で出版された本。洋書。西洋本。(2)洋綴じの本。洋装本。

 「対義」という観点からはいろいろと考えることがある。例えば、「ヨウボウ(洋帽)」は「ワボウ(和帽)」という語がそもそもあって、その「和風の帽子」に対してできた語ではないだろうというようなことだ。「ようぼう」の語釈には「エボシ(烏帽子)」「ズキン(頭巾)」に対してとあり、そうした「頭を包むもの」に対して、かつてなかった「西洋風の帽子」を「ヨウボウ(洋帽)」と呼んだ、ということだろう。「ヨウブ(洋舞)」の対義語としては略語ではあるが「ニチブ(日舞)」を考えればよさそうだ。

 「ヨウバン(洋盤)」の「洋」は上の語釈からすれば、内容もしくは製作地ということになる。しかしまた、製作地ということを厳密に考えると、ニューヨークのスタジオで録音された尺八の演奏は「ヨウバン(洋盤)」と呼べるのか呼べないのか。筆者も中学生から大学生の頃にかけてはそれなりに音楽を聴いていたが、その時には「国内盤」に対して「輸入盤」という語を使っていた。輸入盤には(当然のことであるが)歌詞カードがついていないが価格が少し安いものがあった。「洋」はいろいろなことを思い出させてくれた。

 * 

※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

* * *

【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

*

【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。

次のページ »