『日本国語大辞典』をよむ―第10回 語源未詳

2017年 6月 18日 日曜日 筆者: 今野 真二

第10回 語源未詳

 筆者は大学の日本語日本文学科という学科に所属している。この学科では卒業論文を必修科目としているので、毎年卒業論文の指導をしている。指導する学生の数は、10人以上であることがほとんどで、今まで一番多かった年は27人の指導をした。筆者は、3年生の時に、どんなテーマで論文を書くかということを相談する時間を設けて、個別的な相談をするが、そこで学生がやってみたいというテーマとして、「オノマトペ」と「語源」と「若者言葉」が必ずといっていいほどあげられる。

 「オノマトペ」は論文として仕上げるのが案外難しいので、そのように説明をし、日本語の場合「語源」はわからない場合があるから、これもあまりすすめられない旨を伝える。日本語の場合は、同じ系統の言語がわかっていない。したがって、例えば「ヤマ(山)」という語の語源は何か、ということについて考える場合、他言語を援用することができない。となると、日本語の中で考えるしかなく、考察には自ずから限界がある。「ヤマ」という語は「ヤ」「マ」2拍で構成されている。原理的に考えれば、まず1拍の語があって、それが結びついて2拍の語になるはずだ。だから「ヤ」とは何か、「マ」とは何か、ということをつきとめなければならない。

 『日本国語大辞典』には「語源説」という欄が設けられている。『日本国語大辞典』第1巻の「凡例」「語源説欄について」の1.には「文献に記載された語源的説明を集め、【語源説】の欄に、その趣旨を要約して、出典名を〔 〕内に付して示す」とあり、3には「およその趣旨を同じくするものは、共通の要旨でまとめて、〔 〕内にその出典名を、ほぼ時代順に併記する」と記されている。

 さて、見出し「やま」の「語源説」欄をみると、(1)として「不動の意で、ヤム(止)の転〔日本釈名・日本声母伝・和訓栞〕」と記されている。これは「ヤマ」は動かないから、「ヤム」という動詞が転じて「ヤマ」という名詞がうまれた、というような語源説を唱えている文献が3つあることを示している。その他「ヤマ」では12の語源説が記されている。これはあくまでもそういう「説」がある、ということであって、それ以上でもそれ以下でもない。列記されている「説」の中に、現在、認められそうなものが含まれている場合もあろうが、現在は認めにくいものが少なくない。

 上で名前があげられている『日本釈名』は貝原益軒(1630~1714)が著わしたもので、元禄13(1700)年に刊行されている。日本語1100語について語源を説明したものである。学部の学生だった頃、大学の授業でこの書物の名前をきき、神田の古本屋(日本書房)で和本を見ていたらあったので、こういう本が今でも買えるのだと思って、嬉しくなって購入したという記憶がある懐かしい本だ。しかしその「説」はといえば、「タカ(鷹)」は「たかく飛也」とか「ネコ(猫)」の「ネ」は「ネズミ(鼠)」のネで、「コ」は「コノム(好)」の「コ」だというように、「こじつけ」にちかいものが少なくない。やはり日本語の語源はなかなか難しい。

 『日本国語大辞典』をよんでいて次のような項目があった。

めくじら【目―】〔名〕(「くじら」の語源未詳)目の端。目尻。目角(めかど)。めくじ。めくじり。

めくじらを=立(た)てる[=立(た)つ]他人の欠点を探し出してとがめ立てをする。わずかの事を取り立ててそしりののしる。目角に立てる。目口を立てる。めくじを立てる。めくじりを立てる。

 「メクジラヲタテル」は現代日本語でも使う表現だ。筆者も使うことがある。そういえば「メクジラ」の「クジラ」についてはあまり考えたことがなかったな、と思った。目をつりあげた時に、目尻のあたりにできる皺が、クジラの形にみえるのか、とか放恣な想像は頭に浮かぶが、『日本釈名』風かもしれない。

 この項目で「語源未詳」が気になったので、遡って『日本国語大辞典』を調べてみると、全部で47の「語源未詳」があることがわかった。「メクジラ」はそのうちの1つだ。やはり現代も使う語に「オテンバ」がある。この「テンバ」については次のように記されている。

てんば【転婆】〔名〕(語源未詳。「転婆」はあて字)(1)つつしみやはじらいに乏しく、活発に動きまわること。また、そのような女性。出しゃばり女。つつましくない女。おてんば。おきゃん。(2)(―する)あやまちしくじること。粗忽であること。また、その人。男女いずれにもいう。(3)親不孝で、従順でない子。男女いずれにもいう。

 あるいは、これも現在使う「トタン」という語。

トタン〔名〕(語源未詳)(1)亜鉛のこと。(2)米相場の異称。

 「補注」には「(1)(1)については、ふつうはポルトガル語のtutanaga(銅・亜鉛・ニッケルの合金)に由来するとされるが、「日葡辞書」には「Tǒtan(タウタン)〈訳〉白い金属の一種」とあって、この方が古い形だとすると右のポルトガル語とは相当遠くなる。他の別の言語に基づくものか」と記されている。語形などから外来語であろうという予想はできるが、具体的にもとになった語が特定できない場合には「語源未詳」ということになる。

 新しいところでは「ピイカン」がある。

ぴいかん〔名〕(語源未詳。「ピーカン」と表記することが多い)快晴をいう俗語。元来は映画界の隠語か。

 使用例としては「古川ロッパ日記」の昭和19(1944)年6月27日の記事のみがあげられている。俗語も語源はわかりにくくなりそうだ。

 先に47の「語源未詳」があったと記したが、これはオンライン版の検索機能を使ってのことなので、確かな数だ。「語源未詳」と記されている見出しが47しかないということは、多くの見出しに関して、そうした「判断」そのものをしていないということになる。つまり「ヤマ(山)」や「タニ(谷)」ももちろん語源はわからないけれども、そこにはわざわざ「語源未詳」とは記していないということだ。語源説をよむのは楽しいが、語源を厳密に追究することは日本語の場合むずかしい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


『日本国語大辞典』をよむ―第9回 わたしは誰でしょう?②:東洋編

2017年 6月 4日 日曜日 筆者: 今野 真二

第9回 わたしは誰でしょう?②:東洋編

 「私は誰でしょう?①」は「西洋物」だったので、今回の②は「東洋物」にしてみましょう。みなさんは次の人名をご存じでしょうか。

1 めみょう【馬鳴】

2 もくあんしょうとう【木庵性瑫】

3 もくあんりょうえん【黙庵霊淵】

4 もくかんかかん【木杆可汗】

5 もちやのお福

 5は実在の人物ではなさそうだ、ということがすぐにわかってしまいそうなので、5から説明してみましょう。『日本国語大辞典』には次のようにあります。

もちやのお福(ふく) 江戸時代、看板として餅屋の門口に置いた、木馬にかぶせたお多福の面。また、そのように醜い女のたとえ。木馬は「あらうまし」または「見かけよりうまし」のしゃれで、お多福の面は、餅に息がかからないよう「ふく面して製す」のしゃれという。

 そして挿絵が添えられています。「おたふく」が醜いとばかりはいえないと思うが、醜いというとらえかたがなされていたことは確実といってよい。『日本国語大辞典』の見出し「おたふく」には次のようにある。見出し「おたふくめん」も併せてあげておく。

おたふく【阿多福】〔名〕(1)「おたふくめん(阿多福面)」の略。(2)(1)のような醜い顔の女。多くは女をあざけっていう。おかめ。三平二満(さんぺいじまん)。(3)((2)から転じて)自分の妻のことを謙遜していう。(以下略)

おたふくめん【阿多福面】〔名〕面の一種。丸顔で、ひたいが高く、ほおがふくれ、鼻の低い女の顔の面。おたふく。おかめ。乙御前(おとごぜ)。

 「醜いとばかりはいえない」は筆者の個人的な見解というわけではない。見出し「おたふくがお」の使用例に太宰治の「満願〔1938〕」が示されているが、そこには「奥さんは、小がらの、おたふくがほであったが、色が白く上品であった」とあるからだ。これは「器量はよくないが、色白で上品」ということを述べているととれなくもないが、「丸顔でほおがふくれ気味」ぐらいに理解すれば、「醜い」とまでいっていないことになる。まあ「おたふく」が醜いかどうかはこれぐらいにしておきましょう。

 さて、1~4について『日本国語大辞典』は次のように説明しています。

1 めみょう【馬鳴】({梵}Aśvaghoṣaの訳)一世紀後半から二世紀にかけてのインドの仏教詩人。中インドの出身という。はじめバラモン教のすぐれた論師であったが、のち仏教に帰依し、カニシカ王の保護を受けて、仏教の興隆に尽力した。知恵・弁舌の才にすぐれ、特に豊かな文学的才能をもって仏の生涯をうたった叙事詩「ブッダチャリタ(仏所行讚)」は著名。その他に「大荘厳論経」などがあるが、「大乗起信論」を著わしたとする伝承には疑問があり、五世紀ころ同名の別人がいたとする学説もある。生没年未詳。馬鳴菩薩。

2 もくあんしょうとう【木庵性瑫】江戸前期に来日した黄檗(おうばく)宗の中国僧。勅諡は慧明国師。明暦元年(一六五五)師の隠元とともに来日し、寛文四年(一六六四)黄檗山第二世を継ぎ、また江戸に瑞聖寺などを開いた。貞享元年(一六八四)没。黄檗三筆の一人。著「紫雲山草」「紫雲開士伝」など。(一六一一~八四)

3 もくあんりょうえん【黙庵霊淵】南北朝時代の禅僧。日本水墨画の草分けの一人。嘉暦二年(一三二七)前後に入元し、月江正印に参じ、貞和元年(一三四五)頃中国で没した。

4 もくかんかかん【木杆可汗】突厥第三代の可汗(在位五五三~五七二年)。柔然を滅ぼし、東は契丹、北はキルギスを討ち、また西方ではエフタル(嚈噠)を撃破して突厥の基礎を確立した。五七二年没。

 1~4は高等学校の世界史の時間に学習した記憶がないが、現在ではどうなのだろうか。「私は誰でしょう?」という話題からは少し離れるが、上の1~4をみて、気づいたこと、思ったことなどを記しておきたい。まず1の語釈中に「論師」という語が使われている。語釈中に使われている語がわからないこともあるから、同じ辞書にそれが見出しとなっていることが理想ではあるが、それはなかなか難しい。しかし、この「論師」は『日本国語大辞典』の見出しになっており、「論(経典の注釈書の類)を作った人。また、論蔵に通じた学者」と説明されている。この語釈中の「論蔵」を調べてみると、これもちゃんと見出しになっていて、「三蔵の一つ。経蔵、律蔵に対して、経典や律法について解釈・敷衍(ふえん)した著述の類、俱舎論、成実論等の総称」と説明されている。さすが、大規模な辞書。

 3の語釈中の「参じ」は少しわかりにくいのではないかと思う。『日本国語大辞典』で「さんじる」を調べると、「「さんずる(参)」に同じ」とあって、見出し「さんずる」の語釈【一】の(5)「禅寺で、坐禅の行をする。参禅する」にあたると思われるが、さすがの『日本国語大辞典』も「月江正印(げっこうしょういん)」を見出しとしていないので、これが中国、元の禅僧であることがわからないと全体が理解しにくいように思う。「にっとう・にゅうとう(入唐)」や「にっそう・にゅうそう(入宋)」からの類推で「入元」がわかるかどうかということもある。案外こういう類推がはたらきにくくなっているようにも感じる。ちなみにいえば、「にっとう」「にゅうとう」「にっそう」「にゅうそう」は見出しとなっているが、「にゅうげん(入元)」は見出しになっていない。「入元」は「いちょう(銀杏・公孫樹)」と「てっしゅうとくさい(鉄舟徳済)」の語釈中でも使われている。

 『日本国語大辞典』は日本人の名前もかなりとりあげている。例えば「もり【森】姓氏の一つ」と説明して、その後ろに「森」を姓としている人物を並べる。

もりありのり【森有礼】

もりありまさ【森有正】

もりおうがい【森鷗外】

もりかいなん【森槐南】

もりかく【森恪】

もりかんさい[森寛斎】

もりきえん【森枳園】

もりぎょうこう【森暁紅】

もりしゅんとう【森春濤】

もりそせん【森狙仙】

もりまり【森茉莉】

もりらんまる【森蘭丸】

 歴史好きな方は「森蘭丸」をご存じだろう。そのように、自分の興味のある分野であれば、知っているということになる。上の中で「?」という人物がいるでしょうか。それは興味のありどころのバロメーターかもしれません。そしてそれは個人ということを超えて、現代社会の興味のありどころのバロメーターかもしれません。人名からもいろいろなことがみえてきそうです。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第8回 わたしは誰でしょう?①:西洋編

2017年 5月 21日 日曜日 筆者: 今野 真二

第8回 わたしは誰でしょう?①:西洋編

 かつては、小型の国語辞書では、動植物名や地名、人名などの固有名詞を見出し(headword)としないことが多かった。しかし最近では必ずしもそうでもなく、小型の国語辞書でも見出しとしていることが少なくない。「百科事典」は動植物名や固有名詞を必ず採りあげるので、このような見出しをたてるかたてないかによって、「百科事典」と「国語辞書」とが分かれるというみかたがある。『広辞苑』は中型辞書なので、例えば、「いたやがい」という二枚貝の名前を見出しとし、「挿図」が添えられている。しかし『新明解国語辞典』第7版には「いたやがい」という見出しはない。これはどちらがいいということではなく、どのような見出しをたてるか、という、それぞれの辞書の「方針」による。

 『日本国語大辞典』は大型辞書で、小型辞書に比して紙幅に余裕がある。そうしたこともあってのことと推測するが、動植物名や固有名詞をかなり見出しとしている。読み始めた頃は、固有名詞が気になった。なぜ気になったか、その理由を自身で推測してみると、おそらく日常生活では案外と目にしたり、耳にしたりしないということがありそうだ。また、ああこの人名は高等学校の生物の時間に習ったとか、高等学校の学習と結びついている人名がある程度あった。特に日本人以外の人名についてはそういうことが多いように思う。みなさんは次の人名をご存じでしょうか。

1 アクサーコフ

2 アグノン

3 アシュバゴーシャ

4 アスキス

5 アスケ

 1は「ロシアの小説家。作風は写実的で平明。代表作「家族の記録」「孫パグロフの少年時代」など。(一七九一~一八五九)」と説明されています。2は「イスラエルの小説家。作品は深い宗教性をもつ。一九六六年度ノーベル文学賞。代表作は「嫁入り」「恐れの日」など。(一八八八~一九七〇)」と説明されています。3は「古代インド一世紀後半の仏教詩人。漢訳名、馬鳴(めみょう)、馬鳴菩薩。生没年未詳」。4は「イギリスの政治家。自由党総裁、首相(在職一九〇八~一六年)。社会政策立法を強力に推進したが、第一次大戦の戦争指導で批判を受け、辞任。(一八五二~一九二八)」と説明されている。5は「北欧神話の主神、オーディンがトネリコの木からつくった最初の男。ハンノキからつくった最初の女エンブラとともに人類の祖先となった」と説明されている。これは正確にいえば人名ではなく、神名というべきであろう。クイズの問題がつくれそうであるが、こういう人名も載せられている。

 さて今回はちょっと風変わりな名前を話題にしてみたい。やはりクイズ形式で、次の名前がわかりますか。

6 しなのたろう【信濃太郎】

7 じゃのすけ【蛇之助】

8 そそうそうべえ【粗相惣兵衛】

9 たんばたろう【丹波太郎】

10 ちょうまつ【長松】

11 つくしさぶろう【筑紫三郎】

12 ならじろう【奈良次郎・奈良二郎】

13 にゅうばいたろう【入梅太郎】

14 ばんばのちゅうだ【番場忠太】

15 ひがざえもん【僻左衛門】

16 むちゅうさくざえもん【夢中作左衛門】

 『日本国語大辞典』は次のように説明している。

6 (1)夏の雲を人名のように表現して親しんでいう語。(2)毛虫のこと。

7 大酒飲みを人名のように表現した語。「古事記」にある素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐(やまた)の大蛇(おろち)に酒を飲ませて退治した伝説から、蛇(へび)を酒飲みとしていったもの。

8 (粗相者の意味を込めた擬人名から)あわて者がつぎつぎに失敗する笑話。弁当と枕を間違えて出かけ、失敗を重ねた結果、自分の家を隣と間違えてどなりつけるなどという筋。

9 陰暦六月頃に丹波方面の西空に出る雨雲を京阪地方でいう語。この雲が現われると夕立が降るという。

10 (1)(江戸時代、商家などの小僧に多く用いられた名前であるところから)商家などの小僧の通称。(2)田舎者や被害者をいう、てきや・盗人仲間の隠語。

11 九州地方を流れる筑後川の異称。関東地方の坂東太郎(利根川)、四国地方の四国二郎(吉野川)とともに日本三大河の一つ。吉野川を四国三郎と呼ぶ場合には筑紫二郎と呼称される。

12 【一】〔名〕夏の雲をいう畿内の方言。【二】奈良東大寺の鐘の異称。この鐘より大きく、琵琶湖に沈んでいるといわれる鐘を「海太郎」というのに対するとも、東大寺の大仏を「太郎」というのに対するともいう。

13 梅雨にはいった最初の日をいう。梅雨期の一日め。

14 芝居の曾我ものなどに、しばしば出る好色な三枚目敵で、梶原景時の家来の名。また転じて、女に甘い男をいう。

15 (「ひが」を人名のように表現した語)(1)やぼな人。無粋な人。いなかもの。明和(一七六四~七二)から天保(一八三〇~四四)へかけての上方の流行語。(2)我を張る人。わがままをいう人。

16 物事に夢中であること、酩酊(めいてい)して我を忘れることを人名のように表わした語。元祿(一六八八~一七〇四)頃から江戸で流行したことば。夢中作左。

 11は小学校か中学校で学習したように思う。習ったのは坂東太郎、四国二郎、筑紫三郎だっただろうか。6・9・12は雲に名づけられている。現在だと「ニュウドウグモ(入道雲)」という語は使うが、筆者は聞いたことがない語である。13の使用例に若月紫蘭の「東京年中行事〔1911〕」が示されているが、その例文中には「土用三郎」「寒四郎」「八専二郎」という語もみられる。『日本国語大辞典』は「はっせん(八専)」について「一年に六回あり、この期間は雨が多いといわれる。また、嫁取り、造作、売買などを忌む。八専日。専日」と説明している。この「ハッセン(八専)」の第2日目が「八専二郎」だ。

 筆者の子供の頃には、痩せている人を小学校の担任の先生が「ほねかわすじえもん(骨皮筋右衛門)」と言っていたような記憶があるので、いろいろなことを擬人化して表現するということがまだあった。現在だと問題になってしまうかもしれない。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第7回 タヌキとサルトリイバラ

2017年 5月 7日 日曜日 筆者: 今野 真二

第7回 タヌキとサルトリイバラ

 『日本国語大辞典』は動植物名も見出しとしているので、「アカゲザル」(動物)「アカアシクワガタ」(昆虫)「アカアマダイ」(魚)「アカガシ」(植物)などの見出しがある。しかしその一方で、幼体がミドリガメという名前で売られ、日本中にひろく棲息するようになったアカミミガメは見出しとなっていないので、見出しとなる何らかの基準はあるのだろう。「ミドリガメ」は見出しとなっていて、「アメリカ原産のヌマガメ科の子ガメのこと。背甲が緑がかっているためにこの称があり、ペットとして人気がある」と説明されている。

 『日本国語大辞典』をよんでいると、次のような見出しがあった。

1くさいなぎ【野猪】〔名〕「いのしし(猪)」の古名。一説に、「たぬき(狸)」の古名ともいう。

2こわみ〔名〕「たぬき(狸)」または、「あなぐま(穴熊)」の異名。

3たたけ【狸】〔名〕(「たたげ」とも)(1)「たぬき(狸)」の異名。(2)筆の穂にする狸の毛。

4たのき【狸】〔名〕「たぬき(狸)」の変化した語。

5とんちぼお 方言〔名〕(1)動物、むじな(狢)。忌み言葉。(2)狢の子。(3)動物、たぬき(狸)。

6はちむじな【八狢】方言〔名〕動物、たぬき(狸)。

7まみ【貒・猯・狢】〔名〕穴熊(あなぐま)、狸(たぬき)などの類。

8めこま【狸】〔名〕「たぬき(狸)」の異名。

 2「こわみ」の使用例として、「和訓栞〔1777~1862〕」の「こはみ 狸に似てちひさく好んて人家に住其身の内至て強きをもて名く是むじな成へし」という記事があげられている。『日本国語大辞典』第2版には「主要出典一覧」などを示した「別冊」が附録されている。それによると「和訓栞」のテキストとして、具体的には1898年に刊行された『増補語林 倭訓栞』を使っていることがわかる。これは活字テキストである。亀甲括弧内にある「1777~1862」は『和訓栞』の版本が刊行された年である。実は活字テキストには「狸に似てちひさく好んて人家に住其身の内至て強きをもて名く是むな成へし」とあって小異(太字部分)がある。ついでに版本(中編巻8・31丁表)を確認してみると、「狸に似てちひさく好んて人家に住り其身の内至て/強きをもて名く是むな成へし」とあって濁点は使われていない。なぜ依拠テキストを調べてみようと思ったかといえば、「住い」は「住ひ」ではなくてほんとうに「住い」と書いてあるのかなと思ったことと、「むじな成へし」の箇所で、「むじな」では濁点を使い、「成へし」では使っていなかったので、そういうことは絶対ないというわけでもないが、なんとなく落ち着かない感じがしたためだ。調べた結果、少しずつ異なっていたが、それを問題視しようとしているわけではまったくない。このくらいのことはあるだろう。

 4は「タヌキ」から「タノキ」になったのであれば、「ヌ」が「ノ」に変わった、つまり母音の[u]が[o]に替わった「母音交替形」にあたる。室町時代頃には[u]が[o]に替わる母音交替形が少なくなかったことがわかっている。「クヌギ(櫟)」が「クノギ」になった例などが知られている。

 5と6とは方言だから、あまり耳にしたことのない語だが、「とんちぼお」はなんかかわいい感じがする。

 7の「まみ」は東京都港区麻布に「まみあな」という地名がある。

 上では「タヌキ」「アナグマ」「ムジナ」と3種類の動物の名前がでてきているが、たしかに山の中で遭遇した動物が何か、ということはよほど動物に詳しくなければわからないだろうし、文献に記されている動物が何かだって、その記事から特定できるとは限らないから、いろいろと「揺れ」が生じることは自然であろう。

 さて今度は植物名の話。『日本国語大辞典』をよんでいて、「サルトリイバラ」には異名が多いことに気づいた。そもそも「サルトリイバラ」があまり知られていないかもしれないが、『日本国語大辞典』は次のように説明している。

さるとりいばら【菝葜・猿捕茨】〔名〕(1)ユリ科の落葉低木。各地の山野に生える。高さ〇・六~二メートル。茎はつる性で節ごとに曲がり、まばらにとげがある。(略)和名はサルが棘(とげ)にひっかかる意からつけられた。漢名、菝葜。さるとり。さるかき。さるかきいばら。さるとりうばら。さるとりばら。さんきらい。わのさんきらい。

 上にも幾つかの異名があげられているが、上以外にも次のような見出しを見つけ出すことができる。「いぎんどう」「いびついばら」「うまがたぐい」「かからいげ」「かごばら」「さるかけいばら」「さんきらいいばら」「たまばら」「ほらくい」には「植物「さるとりいばら(菝葜)」の異名」と記されている。また、「おおうばら」「かから」「かきいばら」「かたらぐい」「かめいばら」「がんたち」「がんたちいばら」には「植物「さるとりいばら(菝葜)」の古名」と記されている。そして「かないばら」「まがたら」「もがきばら」「もちしば」には「方言 植物。(1)さるとりいばら(菝葜)」と記されている。方言形は他にもある。

 1つの植物の名称が複数あるということは、それだけその植物が目につきやすかったり、生活の中で「出番」があったということが推測される。たとえば薬になるといった場合だ。「かめいばら」の他に「かめのは」という見出しもあって、そこには「方言 植物。(1)(葉の形が亀の甲に似ているところから)さるとりいばら(菝葜)」と記されている。「かめいばら」は「亀茨」ということだ。見出し「おさすり」の方言(2)には「菝葜(さるとりいばら)の葉で包んだ団子、または餅(もち)の類」とある。あるいは見出し「いげのはまんじゅう」には「方言 菝葜(さるとりいばら)の葉で包んだ団子」とあって、亀の甲に似た形をしているというサルトリイバラの葉に団子や餅を包んでいたことが推測される。それで身近な植物だったのであろう。

 20年ほど前になるが、高知大学に勤めていたことがあった。その時、毎週木曜日に「木曜市」に行くのが楽しみだったが、そこで(おそらく)サルトリイバラの葉に包んだ餅を売っていたような記憶がある。ことばとともに懐かしい記憶が甦るのも、『日本国語大辞典』をよむ楽しさだ。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


『日本国語大辞典』をよむ―第6回 オノマトペ④:セミの名前と鳴き声

2017年 4月 23日 日曜日 筆者: 今野 真二

第6回 オノマトペ④:セミの名前と鳴き声

 夏目漱石『吾輩は猫である』の七に「人間にも油野郎、みんみん野郎、おしいつく/\野郎がある如く、蟬にも油蟬、みん/\、おしいつく/\がある。油蟬はしつこくて行かん。みん/\は横風で困る。只取つて面白いのはおしいつく/\である。是は夏の末にならないと出て来ない」という行(くだ)りがある。

 東京近辺では、夏になってもセミの鳴き声があまり聞こえなくなってきたように感じる。筆者は神奈川県鎌倉市のうまれなので、小学生の頃には、夏になるとセミがうるさいくらい鳴いていた。上の文章中で夏目漱石は採りあげていないが、あちらこちらから響き合うように聞こえてきたヒグラシの鳴き声が懐かしく、もう一度あんな風に鳴いているヒグラシを聞いてみたいと思う。
 ヒグラシはカナカナと呼ばれることもある。

かなかな〔名〕(その鳴き声から)昆虫「ひぐらし(日暮)」の異名。

 ヒグラシの鳴き声を「カナカナカナカナ…」と聞きなすのは、自然に思われる。また、ヒグラシの鳴き声は同じ聞こえ(「カナ」)がずっと繰り返していくので、いわば単純な鳴き声ともいえよう。それに比べて、ツクツクホウシの鳴き声は「複雑」だ。

つくつくぼうし〔名〕(1)(「つくつくほうし」とも)カメムシ(半翅)目セミ科の昆虫。(略)七月下旬から一〇月初旬頃までみられ、八月下旬に最も多い。「つくつくおーし」と繰り返し鳴く。北海道南部以南、朝鮮、中国、台湾に分布する。つくつく。つくつくし。おおしいつく。くつくつぼうし。つくしこいし。ほうしぜみ。寒蟬。

 「語誌」欄には「(1)平安時代にはクツクツホウシ(ボウシ)と呼ばれていたようである。(略)(2)鎌倉時代になると、ツクツクの形も辞書にのり始め、ツクツクとクツクツの勢力争いといった形になる。しかし室町初期には「頓要集」などツクツクの形のみ記したものも登場し、室町後半にはこれが主流となる。(略)(5)現代ではその鳴き声を「おーしいつくつく」ときくこともある」とある。

 平安時代には「クツクツホウシ(ボウシ)と呼ばれていた」に驚かれた方もいるのではないだろうか。『日本国語大辞典』には次のように見出し項目がある。

くつくつぼうし〔名〕昆虫「つくつくぼうし」に同じ。

 使用例も少なからずあがっており、その中には1275年に成ったと考えられている『名語記(みょうごき)』も含まれている。「クツクツ」を繰り返せば「クツクツクツクツ…」となり、この音の連続は切りようによっては、つまり聞きようによっては、「ツクツク」になる。実際のヒグラシの鳴き声は「ツクツク」あるいは「クツクツ」がずっと繰り返されるわけではないが、とにかく「ツクツク」と「クツクツ」とは仮名の連続としてみると違うが、音の連続としては「近い」。

 さて、上の『日本国語大辞典』の記事で気になった点がある。引用の中に「つくつくおーし」、「おーしいつくつく」と書かれている。「現代仮名遣い」においては、平仮名で書く場合には長音に「ー」を使わない。そして一方では「おおしいつく」と書いている。筆者は、なぜ非標準的な書き方を使ったのかとすぐに思ってしまう。おそらく「おおしいつく」の発音は「オーシイツク」という長音を含んだものではなく「オオシイツク」である、ということだろうと思う。そうであれば、「つくつくおおし」と書くと「ツクツクオオシ」という発音だと勘違いされるから、ここはそうではなくて「ツクツクオーシ」という長音を含んだかたちなのだ、ということを示した書き方なのだろう。しかし、それがうまく「読み手」に伝わるだろうか、と気になる。因果なものです。

 筆者が小学生の頃に、夏休みに奈良県にいる叔母の家に泊まりにいったことがあった。すると今まで聞いたことのないセミが鳴いているのでびっくりした。それがクマゼミだった。現在では温暖化のためか、東京でも時々耳にすることがあるので、次第に生息域を拡げていったのだろう。クマゼミの鳴き声は筆者の聞きなしでは「シャワシャワシャワシャワ」というような感じだ。『日本国語大辞典』をみてみよう。

くまぜみ【熊蟬】〔名〕カメムシ(半翅)目セミ科の昆虫。日本産のセミ類のうち最も大きく体長四~五センチメートル、はねの先端までは七センチメートルに近い。体は全体に黒く光沢がある。(略)盛夏のころシャーシャーと続けて鳴く。西日本ではセンダン、カキなどに多い。関東地方以南の各地に分布。うまぜみ。やまぜみ。わしわし。

 『日本国語大辞典』の語釈記述をした人の聞きなしは「シャーシャー」のようだが「ワシワシ」という聞きなしもあることがわかる。見出し項目「わしわし」をみると、「大勢がしゃべりたてているさまを表わす語。わいわい」とあって、「方言」の【一】の(3)に「大きな蟬(せみ)の鳴き声を表わす語」とあり、【二】に「虫、くまぜみ(熊蟬)」とある。

 「クマゼミ」の「クマ」は黒色及び大きいことに由来していると思われる。「クマ(ン)バチ」と同じようなことだ。語釈中にみられる「ウマゼミ」は大きさを「ウマ(馬)」で表現しているのだろう。大きいものは「クマ」「ウマ」と名づけるというところもまたおもしろい。

 小さいセミとしてはニーニーゼミがいる。ニーニーゼミは夏前に鳴きだすセミとして印象深かったが、これも最近ほとんど鳴き声を聞いたことがない。

にいにいぜみ【―蟬】〔名〕(略)各地に普通にすみ、梅雨あけの頃から現われ、鳴き声はニーニーまたはチーチーと聞こえる。日本各地、朝鮮、中国、台湾に分布する。ちいちいぜみ。こぜみ。

 ここまでくるとアブラゼミが気になるが、見出し項目「あぶらぜみ」の語釈には「セミ科の昆虫。体長(翅端まで)五・六~六センチメートル。日本各地で最も普通に見られるセミ(略)あかぜみ。あきぜみ」とあって、「アカゼミ」「アキゼミ」と呼ばれることがあることがわかる。 

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
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『日本国語大辞典』をよむ―第5回 オノマトペ③:オノマトペの「揺れ」

2017年 4月 9日 日曜日 筆者: 今野 真二

第5回 オノマトペ③:オノマトペの「揺れ」

 筆者の勤務している大学の学科では卒業論文が必修科目になっている。オノマトペは学生が興味をもちやすいテーマで、オノマトペをテーマにして卒業論文を書きたいと申し出る学生が少なくない。そんな時に必ずといってよいほど話題にのぼるのが宮沢賢治だ。

 『風の又三郎』は次のような歌で始まる。

どっどど どどうど どどうど どどう、

青いくるみも吹きとばせ

すっぱいかりんもふきとばせ

どっどど どどうど どどうど どどう

 また「月夜のでんしんばしら」には「ドッテテドッテテ、ドッテテド、でんしんばしらのぐんたいは はやさせかいにたぐいなし ドッテテドッテテ、ドッテテド でんしんばしらのぐんたいは きりつせかいにならびなし。」という「軍歌」がみられる。「どっどど どどうど」は風の音を表現している擬音語のようでもあるし、風の強さを表現している擬態語のようでもある。なんとなくではあるが、「雰囲気」は伝わってくる。しかしそれはやはり「雰囲気」に留まるのであって、その「雰囲気」の受け取り方は「読み手」によって、少しずつ異なる可能性がある。

 前回オノマトペの「揺れ」と表現したのはそのようなことだ。擬音語であれば、何らかの「音」をもとにしてうまれるのだから、そうしてうまれたオノマトペは、多くの人がすぐに理解することができ、多くの人が共有できるはずだ。実際にそういうオノマトペも多い。しかし、最初に「音」をどのように、言語音としてキャッチするか、というところに「個性」がはたらくともいえ、その「個性」がユニークな人はユニークなオノマトペをうみだす。だから、オノマトペであれば、すぐにわかる、とばかりはいえない。

 『日本国語大辞典』にもたくさんのオノマトペが載せられている。小型の国語辞書では、オノマトペに多くのページをさくことはできないだろう。だから、これは大型辞書である『日本国語大辞典』の特徴の1つといってもよいかもしれない。さて、みなさんは次のオノマトペがどんな「雰囲気」を表現しているかわかるでしょうか。「セリセリ」「ソイソイ」「ソゴソゴ」「ソッソ」「ゾベゾベ」。答はこちらです。

せりせり〔副〕(多く「と」を伴って用いる)(1)動作などの落ち着かないさま、せきたてるさまを表わす語。せかせか。(2)せせこましいさまを表わす語。こせこせ。(3)言動などのうるさいさまを表わす語。

そいそい〔副〕(「と」を伴って用いることもある)歯切れよく静かに物をかむ音などを表わす語。

そごそご〔副〕(「と」を伴って用いることもある)(1)気落ちして元気のないさまを表わす語。すごすご。(2)かわいたものやこわばったものなどが、触れるさまを表わす語。

そっそ〔副〕(多く「と」を伴って用いる)(1)静かに行なうさまを表わす語。そっと。(2)わずかなさまを表わす語。ちょっと。

ぞべぞべ〔副〕(「と」を伴って用いることもある)(1)つややかなさまを表わす語。(2)長い着物などを着て、動作が不活発なさまを表わす語。そべらぞべら。ぞべりぞべり。(3)((2)から)てきぱきせず、だらしのないさまを表わす語。ぞべらぞべら。

 見出し項目「そいそい」には使用例として、「漢書列伝竺桃抄〔1458〜60〕」の「蚕の桑葉をそいそいと食て、あげくに食尽様にするぞ」があげられており、カイコが桑の葉を食べる時の音を「ソイソイ」で表現していることがわかる。もりもり食べるという「雰囲気」ですね。見出し項目「そごそご」には(1)の語釈中に「すごすご」とある。「ソゴソゴ」と「スゴスゴ」とは「ソ」と「ス」とが入れ替わっている。もっといえば、母音が[o]から[u]に入れ替わっているので、「母音交替形」ということになる。こういうこともある。落ち着きのない人に「なんだかセリセリしてるね。どうしたの?」と言ったり、落ち着きのないこどもに「セリセリしないっ!」と言ってみたら、どんな反応がかえってくるでしょうか。

 最後に1つ。次のような見出し項目があった。

こんかい[吼噦]【一】〔名〕狐の鳴声から転じて、狐のこと。【二】狂言「釣狐」の別称。

 【一】の語義の使用例として、「虎明本狂言・釣狐〔室町末〜近世初〕」の「わかれの後になくきつね、なくきつね、こんくゎいのなみだなるらん」、「雑俳・西国船〔1702〕」の「ひょっと出てこんくゎいのとぶ階がかり」などがあげられ、【二】の語義の使用例として、「堺鑑〔1684〕中・釣狐寺」の「世に云伝釣狐の 狂言 又吼噦共いへり」があげられている。「辞書」欄には「書言・言海」とある。「書言」は江戸時代、享保2(1717)年に刊行された辞書、『書言字考節用集』(全13冊)のことで、その「言辞 九上」(第11冊)に「吼噦(右振仮名コンクハイ)」という見出し項目がある。明治24年に完結した『言海』には、「こんくわい(名) 吼噦 [狐ノ鳴聲ヲ以テ名トス]狐釣ノ狂言ノ名」とある。「吼」は〈ほえる〉という字義をもっているが、『大漢和辞典』巻2(904ページ)に載せられている「吼」字に「コウ」「ク」という音は認められているが、「コン」はない。また「吼噦」という熟語もあげられていない。

 『日本国語大辞典』の見出し項目「こんかい」をよんだ時には、漢字列「吼噦」があてられていることもあって、「コンカイ(コンクヮイ)」という発音の漢語があって、それはキツネの鳴き声に基づいてできた漢語だと想像してしまった。そうであれば、日本でも中国でもキツネの鳴き声を「コン」と聞きなしたことになり、「おもしろいですね」でめでたくこの回も終わるところだった。ところが、どうも漢語「コンカイ(コンクヮイ)」はなさそうなので、そうなると「吼噦」は日本であてられたのではないかということになる。やはりことばは一筋縄ではいかないが、その「どっこい、そんなに単純ではないぞ」というところが言語のおもしろさでもあると思う。

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著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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『日本国語大辞典』をよむ―第4回 オノマトペ②:コケコッコウ

2017年 3月 26日 日曜日 筆者: 今野 真二

第4回 オノマトペ②:コケコッコウ

 オノマトペについての話題を続けたい。第3回において『日本国語大辞典』の見出し「ぎせいご(擬声語)」の語釈を紹介し、そこから「クツワムシ」と「キリギリス」の話題を採りあげた。今回はまず擬声語の話題に戻りたい。

 紹介した語釈において述べられている「ある種の必然的関係」は、言語音と語義との間には必然的な関係がない、という「原則」(これを言語学では「言語記号の恣意性(しいせい)」と呼ぶ)にあてはまらない例として考えるむきがあったことを受けての表現であるが、近時、結局は「必然的関係」とは考えにくい、というみかたも提示されている。そのことについて簡略に説明すれば、ニワトリの鳴き声を聞けば、どのような言語を使っている人も同じようにその鳴き声を「聞きなす」とは限らないということだ。もちろん「鳴き声」に起点があるのだから、似ていることは似ているが、完全に同じにはならない。英語では「cock-a-doodle-doo」と「聞きなす」ことが知られている。フランス語は「coquerico」だそうだ。これを「ニワトリは国によって鳴き声が違う」という話にすることもできるが、全部「カ行音」が含まれていて似ているという話にすることもできる。カラスを表わす各国語にはK音とR音とが含まれていることが多い、という指摘もある。

 現代日本語だと「コケコッコー」が一般的であろうが、『日本国語大辞典』には次の記事がある。

かけろ 【一】〔副〕鶏の鳴き声を表わす語。こけっこう。こけこっこう。かげんろ。(例略) 【二】〔名〕「にわとり(鶏)」の異名。

かげんろ 〔副〕「かけろ【一】」に同じ。

こけこおろ 方言 【一】〔副〕(1)雄鶏(おんどり)の鳴き声を表わす語。(以下略)

 見出し「かけろ」においては、9世紀後期に成ったと思われている「神楽歌」の「鶏はかけろと鳴きぬなり」という使用例があげられている。「神楽歌」が成った頃には、ニワトリの鳴き声が「カケロ」と聞きなされていたことがわかる。見出し「かげんろ」には1548年に成立したと考えられている辞書、『運歩色葉集』の「かの部」に「可見路 カゲンロ 鶏鳴音」とあることが示されている。上にあげたように、日本においても、ニワトリの鳴き声の「聞きなし」は1つではなかったことがわかる。『日本国語大辞典』には「こけこっこう」という見出しもある。

こけこっこう〔副〕鶏の鳴き声を表わす語。

 この見出しの「語誌」欄においては、先に示した「神楽歌」の使用例にふれて、古くは「カ行音で写されていた」と述べ、(2)として「「咄本・醒睡笑-一」(一六二八)にあるトッテコーや「書言字考節用集-八」(一七一七)にあるトーテンコーが一般的になっていたらしく、近世には、鶏の鳴き声をタ行音で写す傾向が見られる。」と述べられている。

 「とうてんこう」も『日本国語大辞典』の見出しになっている。

とうてんこう【東天紅・東天光】【一】〔副〕(東の天に光がさして、夜が明けようとするのを告げる意の漢字をあてて)暁に鳴くニワトリの声を表わす。(以下略)

 『大漢和辞典』にあたってみると、〈東の空、暁天〉を語義とする「トウテン(東天)」という漢語は、中国での使用例を伴って載せられているが、「東天紅」には『合類節用集』という日本の文献における使用例しか示されておらず、「トウテンコウ(東天紅)」はいかにも漢語っぽいが、日本でつくられた和製漢語である可能性がたかい。こういうことも、『日本国語大辞典』をよく読んで、『大漢和辞典』などを併せて使うと見当をつけることができる。

 「こけこっこう」の「語誌」欄は「ふるくカケロとカ行音」「近世には(略)タ行音」と述べており、おそらく、時代によって鶏の鳴き声の「聞きなし」が異なるということを述べようとしていると推測する。そういうみかたもありそうだ。しかしその一方で、神代の昔から現代まで日本列島上に棲息していたニワトリの鳴き声は一貫して同じであったという前提にたてば、その「同じ」であるはずのニワトリの鳴き声がいろいろな語形として聞きなされていたことはまず明らかなことといえよう。時代によって異なるというみかたは、ある時代にはこの「聞きなし」が一般的、すなわち共有されていたとみ、異なる時代では、共有されている「聞きなし」が異なる、というみかたといえよう。

 現代において「ニワトリの鳴き声は?」ときけば、多くの人が「コケコッコウ」と答えそうで、ニワトリに関しては「聞きなし」の共有度が高そうだ。しかし、「ネコの鳴き声は?」と聞いた場合は、「ニャーニャー」が多いだろうが、「ミューミュー」と言う人だっていないとも限らない。つまり、「聞きなし」に「揺れ」がありそうに思う。となると、たまたま残っている文献に残されている「聞きなし」語形から、時代による変遷まで推測するのはもしかしたら少々無理があるかもしれない、と筆者は思う。

 そのことよりも、ニワトリの鳴き声のように、はっきりとした起点をもった擬声語であっても、いろいろな「聞きなし」をうみだすという、その「聞きなし」の「揺れ」はおもしろいと思う。

 言語を観察していると、大多数がこうであるということに目がいく。80パーセントがこうなっていますということだ。聞いている側もなるほど、と思う。しかし筆者などは、「じゃあ残り20パーセント」はどうなっているのだろう、と思う。ひねくれているといえばひねくれている。前者を仮に「傾向」と表現し、後者を仮に「例外」と表現すれば、「傾向」あっての「例外」であると同時に「例外」あっての「傾向」ではないかと思う。100パーセント同じ方向を向かないことが少なくないところが言語のおもしろいところで、人間が使っているものだなあ、と思う。言語はけっこう人間くさいところがある。

 次回はこのオノマトペの「揺れ」ということをとりあげてみたい。

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『日本国語大辞典』をよむ―第3回 オノマトペ①:キリギリスとコオロギ

2017年 3月 12日 日曜日 筆者: 今野 真二

第3回 オノマトペ①:キリギリスとコオロギ

 『日本国語大辞典』は見出し「オノマトペ」を「擬声語および擬態語。擬音語。オノマトペア」と説明している。これだけではわかりにくいので、見出し「ぎせいご(擬声語)」を調べてみると、「物の音や声などを表わすことば。表示される語音と、それによって表現される種々の自然音との間に、ある種の必然的関係、すなわち音象徴が存在することによって成立する語」と説明されている。

 『日本国語大辞典』は見出し「ガチャガチャ」の語義の【三】に「(鳴き声から転じて)昆虫「くつわむし(轡虫)」の異名」と記している。草むらで、「ガチャガチャ」というように聞こえる声で鳴いている虫を、その鳴き声から「ガチャガチャ」と呼ぶということで、これはオノマトペがそのまま虫の名前になった例といえよう。クツワムシの場合は、今は東京などでは、なかなか鳴き声を聞くことができないかもしれないが、筆者が子供の頃には家のまわりの草むらなどでよく鳴いていた。「ガチャガチャ」は実際の鳴き声にかなりちかい「聞きなし」といえそうだと思うが、それはもしかしたら、「あれマツムシが鳴いている チンチロチンチロチンチロリン」と始まる文部省唱歌「虫のこえ(蟲のこゑ)」(作詩作曲者不詳)の2番の歌詞「きりきりきりきり きりぎりす。がちゃがちゃがちゃがちゃ くつわむし」に、知らず知らずのうちに影響されているのかもしれない。この「虫のこえ」は明治43(1910)年に刊行された『尋常小学読本唱歌』に収められている。1998年に示された「小学校学習指導要領」において、第2学年の歌唱共通教材とされているので、今でも小学校2年生が歌っている歌だと思われる。この「虫のこえ」は2007年には「日本の歌百選」にも選ばれている。

 ところが、昭和7(1932)年に刊行された『新訂尋常小学唱歌』において、「きりぎりす」が「こほろぎや」に改められ、現在はこのかたちで定着している。『日本国語大辞典』で「きりぎりす」を調べてみると、「(1)昆虫「こおろぎ(蟋蟀)」の古名」とまず記されている。少しややこしい話になってきたが、できるだけわかりやすく説明してみよう。934年頃に成ったと考えられている『和名類聚抄』という辞書がある。この辞書をみると、「蟋蟀」という漢語に対して「木里木里須」と記されている。つまり「蟋蟀(シッシツ)」という漢語と対応する和語は「キリキリス」だという記事である。では「コオロギ」はどうなっているかといえば、「蜻蛚(セイレツ)」という漢語と対応する和語として「古保呂木」とある。漢語「シッシツ(蟋蟀)」は日本で現在いうところの「コオロギ」だと考えられている。ここだけをとりだすと、日本では古くは、現在「コオロギ」と呼んでいる昆虫を「キリキリス」と呼んでいたという推測を引き出す。こうした推測に基づいて、「虫のこえ」の歌詞中の「きりぎりす」が「こほろぎ」に改められたということだ。

 しかし、ここには実は難しい「問題」が潜んでいる。文献に記されている語から、それが実際にどのような昆虫だったか、花だったかなどを探るのは案外と難しい。文献に「コオロギ」と書いてあって、現在も同じ名前の昆虫がいれば、「ああこれだ」とまず思ってしまう。だいたいはそれでいいといえなくもないが、そうではない場合もある。しかし文献に記されている「情報」だけから、昆虫や植物を特定することは難しい。したがって、これは言語学においては扱わないことがらになる。言語が実際のどんなモノを指しているか、ということは、ある程度わかっていないと言語についての議論もできない場合もあるが、言語学の追究する課題ではない、と考えることになっている。

 辞書もこのあたりが実は難しい。百科事典であれば、現在「コオロギ」と呼ばれている昆虫の写真を載せて、あとはコオロギの生態などを記せばよい。現在刊行されている百科事典にはCDが付いているものもあるから、コオロギの鳴き声をそこに録音しておくこともできる。しかし国語辞書の場合は、そうもいかない。『日本国語大辞典』は、といえば、語義の(2)として「バッタ(直翅)目キリギリス科の昆虫。体長四~五センチメートル。(略)夏から秋にかけて野原の草むらに多く、長いうしろあしでよく跳躍する。(略)雄は「チョン、ギース」と鳴く。(以下略)」と記し、そばに挿絵があるが、挿絵には「螽蟖(2)」とキャプションがある。これは語義(1)の「蟋蟀(コオロギ)」ではなくて(2)の「螽蟖(キリギリス)」の挿絵だということを示している。『日本国語大辞典』は国語辞書(言語辞書)であるが、固有名詞も収めるなど、百科事典を兼ねているところがあるので、このようにして、語義記述において対応していることがわかる。

 さて、漢語「シッシツ(蟋蟀)」は現在日本でいうところのコオロギだろうというところまで述べた。ところがである。『日本国語大辞典』の見出し「きりぎりす」の「語誌」欄をみると、漢語「セイレツ(蜻蛚)」と漢語「シッシツ(蟋蟀)」とは、中国では「同じものをいう」(『日本国語大辞典』第4巻587ページ第3段)。「同じもの」は同じ昆虫ということであろうが、そうなると、「じゃあなんで中国では同じ昆虫に2つの語があるんだ?」という疑問が生じてくるが、もしも「同じ」だとすると、日本語の「キリキリス(木里木里須)」と「コホロキ(古保呂木)」との関係はどうなるのか? という新たな疑問を引き出す。許されている字数がもうあまりないので、簡略にまとめざるを得ないが、筆者の意見をいえば、歌詞はもともとのままでよかったのではないかということだ。だって、「キリキリキリ」鳴く虫だから「キリキリス」という名前がついたはずなんだから。それが現在なんと呼んでいる昆虫にあたるかは、また別の話としてもよいだろう。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

◆この連載の目次は⇒「『日本国語大辞典』をよむ」目次へ

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
本連載は、この希有な試みの中で、出会ったことばや、辞書に関する話題などを書き進めてゆくものです。ぜひ、今野先生と一緒に、この大部の国語辞書の世界をお楽しみいただければ幸いです。隔週連載。


『日本国語大辞典』をよむ―第2回 対語

2017年 2月 26日 日曜日 筆者: 今野 真二

第2回 対語

 前回は最後に「対語(たいご/ついご)」についてふれたが、具体例を1つしか挙げられなかったので、今回はその続きのようなかたちで述べてみたい。前回も述べているが、「対語」とは「対(つい)になっていることば」である。「カクダイ(拡大)」と「シュクショウ(縮小)」は語義が「反対」であるので、「反対語/対義語」などと呼ばれる。「反対語/対義語」も2つの語が対(つい)になっているので、「対語」であるが、語義が「反対」になっていなくても、「ヤマ(山)」「カワ(川)」のように対になっている語はある。前回は「ヒヤヤッコ(冷奴)」の対語として「アツヤッコ」があるという話題だった。これと似たケースとして「ヒヤムギ(冷麦)」と「ヌクムギ(温麦)」がある。『日本国語大辞典』には次のように記されている。

ぬくむぎ【温麦】あたためたつゆに入れて食べる麺類。冷麦(ひやむぎ)に対していう。

ひやむぎ【冷麦】細打ちにしたうどんを茹(ゆ)でて水で冷やし、汁をつけて食べるもの。夏時の食糧とする。ひやしむぎ。

 上では、積極的に「↔」符号をもって両語が「対語」であることを示してはいないが、「ぬくむぎ」には「冷麦(ひやむぎ)に対していう」とあって、現代も食べ物として存在し、したがって語としても存在している「ヒヤムギ」によって「ヌクムギ」を説明しようとしている、と思われる。それに呼応するように、「ひやむぎ」の説明は「ぬくむぎ」の説明よりも具体的で、かつ「ぬくむぎ」を参照させようとはしていない。「対」といっても、実際には両語がまったく「均衡」を保っていることはむしろ少ないように思われる。これも言語のおもしろいところだ。

 山形県山形市にある立石寺は「山寺」と呼ばれる。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蟬の声」という句をつくったといわれている所だ。この場合の「山寺」は一般名詞のような固有名詞のような趣きがあるが、「山寺の和尚さん」というような時の「ヤマデラ」は一般名詞である。『日本国語大辞典』では「ヤマデラ」の語義を「山にある寺。山の中の寺院。さんじ」と説明している。さて、この「ヤマデラ」の対語は? 先には「ヤマ(山)」と「カワ(川)」とが対になる、と述べたが、この場合は「ノ(野)」が対になる。『日本国語大辞典』には次のような見出し項目がある。

のでら【野寺】(山寺に対して)野中にある寺。

 上でも「↔」符号は使われていないが、「ヤマデラ」と対になっていることが記されている。ある(よく使われている)語を一方に置いて新しい語ができあがる場合、最初からあった(よく使われている)語が何であったかによって、「対」の形成のされかたも異なってくる。

 斎藤茂吉に次のような短歌作品がある。

(なら)わか葉照りひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青(あを)/く生(あ)れぬ山蚕は

 大正2(1913)年に東雲堂から出版された第一歌集『赤光』に収められている作品だ。塚本邦雄は『茂吉秀歌 『赤光』百首』(1977年、文藝春秋)において、茂吉の「この昆虫への愛著は顕著である」(148ページ)と述べている。

 『日本国語大辞典』は「ヤマコ(山蚕)」を「昆虫「くわご(桑蚕蛾)」の異名」と説明し、使用例として先に示した斎藤茂吉の短歌作品をあげている。『日本国語大辞典』は飼育種である「(カイ)コ(蚕)」に対しての「ヤマコ」であると積極的には説明していないが、語構成上はそのようにみえる。また、昆虫として追究すると、大型の蛾である「ヤマガイコ(山蚕)」も存在するようであるが、それはそれとする。

 語構成に話を戻せば、他にも、シャクヤク(芍薬)に似て山に生えるものを「ヤマシャクヤク」、山野に生えるツツジを「ヤマツツジ」と呼ぶなど、類例は少なくない。ちなみにいえば、現在は絹糸の元となる繭をつくる昆虫は「カイコ」であるが、これは「飼い蚕(こ)」で、「コ」という昆虫を飼い慣らしたものが「カイコ(飼蚕)」である。『万葉集』巻第12、2991番歌の「垂乳根之母我養蚕乃眉隠」と書かれている箇所は現在、「たらちねのははがかふこのまよごもり」と読まれている。つまり『万葉集』の頃にすでに養蚕が行なわれていたということだ。

 「ノ(野)」と「ヤマ(山)」とが対になったり、飼育種に対して、「ヤマ」が対になったり、「カワセミ」という鳥に対しては「ヤマセミ」がいて、この場合であれば「ヤマ(山)」と「カワ(川)」とが対になったりと、対語の「対」もさまざまだ。

 ヤマネという小動物をご存じだろうか。『日本国語大辞典』には次のようにある。

やまね【山鼠】𪘂歯目ヤマネ科の哺乳類。体長約七センチメートル。ネズミに似ているが尾が長く長毛を有する。(中略)冬は木の穴などで体をまるめて冬眠し、刺激を与えても容易に目をさまさない。本州以南の山林に分布する日本の固有種。(下略)

 「ヤマネ」の「ヤマ」は〈山〉であろう。「ネ」は〈ネズミ〉のはずだ。ネズミはもともと野原にいるものだとすると、それをわざわざ「ノネ(野鼠)」という必要はない。『日本国語大辞典』は〈野鼠〉という語義をもつ「ノネ」を見出し項目としていない。それはそういうことだろう、などと想像する。しかし「ノネズミ」という語はある。『日本国語大辞典』は「ノネズミ」の対語として「イエネズミ(家鼠)」をあげている。複雑になってきた。しかしこうやって、例えば「対語」という概念をもとにあれこれと考えてみるということは楽しいことだと思う。

 最後に1つ。『万葉集』の歌人に「山辺赤人(やまべのあかひと)」という人物がいることはご存じだろうと思う。江戸後期の狂歌師、斯波孟雅(しばたけまさ)(1717~1790)は色黒だったので、「浜辺黒人(はまべのくろひと)」を号としたとのこと。いやはやふざけた対語ではないか。こんなことも『日本国語大辞典』を読むとわかる。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』『北原白秋』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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『日本国語大辞典』をよむ―第1回 はじめに

2017年 2月 12日 日曜日 筆者: 今野 真二

第1回 はじめに

 「『日本国語大辞典』をよむ」というタイトルは、具体的にはどういうことをしようとしているかがわかりにくいともいえるので、連載を始めるにあたって、「口上」のようなものを述べておくことにしよう。

 2010年12月に三省堂から『そして、僕はOEDを読んだ』という本が出版された。アモン・シェイ(Ammon Shea)という人物が書いた『READING THE OED: ONE MAN, ONE YEAR, 21,730 PAGES』という本を田村幸誠が翻訳したものだ。「OED」は『The Oxford English Dictionary』のことで、1989年には20巻から成る第2版が刊行されている。この20巻の「OED」、総計21,730ページ を、一人で、1年間をかけて読み通したという本が『そして、僕はOEDを読んだ』である。

 この本は、ある月曜の朝に60キログラムを超える20巻のOEDがアモン・シェイのアパートに届くところから始まる。『日本国語大辞典』第2版全13巻(14巻は索引等が載せられている別巻なので、これは除く)は量ってみると、そこまでの重量はないが、総ページ数は20,000ページぐらいなので、こちらはまずまず「OED」20巻にちかい。

 『日本国語大辞典』第2版は、現在刊行されている国語辞書で最大規模のものである。この『日本国語大辞典』第2版(以下第1版のことを話題にする場合のみ版の別を示す)のみが大型辞書といってよい。『広辞苑』を大型辞書と思っている人がいるかもしれないが、『広辞苑』は中型辞書である。アモン・シェイは1年間で「OED」を読んだことになっているが、20,000ページを1年間で読破するためには、1か月に1,600ページ以上を読まなければならない。アモン・シェイは「一日に八時間から一〇時間、OEDと向き合っていた」(16ページ)とのことであるが、大学の教員である筆者にはそのようにすることはできない。実際にきちんとメモをとりながら『日本国語大辞典』を読み始めたのは、2015年9月24日からであるが、2016年4月1日から2017年3月31日までは勤務先の大学から「特別研究期間」を認めていただき、授業担当や会議等から離れることができた。その期間を有効に使いながら、現時点では、2018年の1月ぐらいに、『日本国語大辞典』全13巻をよんだ結果をまとめられればと思っている。

 上ではもう『日本国語大辞典』を読むことになってしまっているが、筆者がどうしてそのようないわば「暴挙」をしようと思ったかについても少し説明しておこう。筆者はこれまでに『漢語辞書論攷』(2011年、港の人)、『明治期の辞書』(2013年、清文堂出版)、『辞書からみた日本語の歴史』(2014年、ちくまプリマー新書)、『辞書をよむ』(2014年、平凡社新書)、『超明解!国語辞典』(2015年、文春新書)など辞書を「よむ」ということをテーマとした本を出版させてもらっている。古辞書から現代出版されている辞書まで、さまざまな辞書を読みながら、いろいろなことを考えた。そうしたいわば「経験」に基づいて『日本国語大辞典』を読んだら『日本国語大辞典』がどのような辞書にみえるか、ということがまず考えたことだ。『日本国語大辞典』を「よむ」といっても、どのような読みかたをするかによって、それに必要な時間も変わってくる。そこで、2018年の1月ぐらいには、『日本国語大辞典』を読み、その結果をまとめ終わるという目標を設定し、それに合わせたペースを保つように心がけた。もっと時間を費やせば、「よみ」はまた変わってくるだろう。気がつくことも当然増えることが予想される。とにかく、上のような目標のもとに『日本国語大辞典』を読んだ、その結果を少しずつここに書いていくことにする。

 連載開始にあたって、筆者の用語を説明しておきたい。筆者は辞書は「見出し+語釈」という基本形式に基づいて記述されていると捉えることにしている。これは過去の辞書にも現代刊行している辞書にもあてはめることができる。「見出し+語釈」全体が辞書の一つ一つの「項目」である。筆者のいう「見出し」は英語辞書学では「headword」あるいは「lemma」(レマ)と呼ぶということを大学の同僚の大杉正明先生に教えていただいた。『日本国語大辞典』はかなり丁寧に見出しが実際に使われている文献の名前と実際の使用例とをあげている。この使用例は必ず「よむ」ことにはしなかった。必ず「よむ」のは(当たり前であるが)「見出し」と「語釈」とである。

 連載では、『日本国語大辞典』を読んで筆者が気づいたこと、思ったこと、考えたことをできる限り具体的にとりあげ、述べていきたい。今回は紙面が残り少ないので、ごく少しだけの話になってしまったが、「こんな対義語がありました」ということをとりあげることにする。

 『日本国語大辞典』第1巻に載せられている「凡例」の「語釈について」の四「語釈の末尾に示すもの」の2に「同義語の後に反対語・対語などを↔を付して注記する」と記されている。「対語」は「ついご/たいご」で『日本国語大辞典』は「対(つい)になっていることば」と説明している。さて、『日本国語大辞典』には「あつやっこ(熱奴)」という見出し項目があって、「豆腐を小さく四角に切って熱した料理。湯豆腐(ゆどうふ)。↔冷奴(ひややっこ)」という語釈が配されている。「アツヤッコ」って何? と一瞬思ったが、「ユドウフ」のことだ。現在はもっぱら「ユドウフ」という語を使っているので、かつて「アツヤッコ」があって「ヒヤヤッコ」があったということがあまり意識されなくなっていることがわかる。こういう「発見」がおもしろい。次回から、そうした筆者の「気づき」を「報告」していきたい。

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※特に出典についてことわりのない引用は、すべて『日本国語大辞典 第二版』からのものです。引用に際しては、語義番号などの約物および表示スタイルは、ウェブ版(ジャパンナレッジ http://japanknowledge.com/)の表示に合わせております。

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【筆者プロフィール】

今野真二(こんの・しんじ)

1958年、神奈川県生まれ。高知大学助教授を経て、清泉女子大学教授。日本語学専攻。

著書に『仮名表記論攷』、『日本語学講座』全10巻(以上、清文堂出版)、『正書法のない日本語』『百年前の日本語』『日本語の考古学』(以上、岩波書店)、『図説日本語の歴史』『戦国の日本語』『ことば遊びの歴史』『学校では教えてくれないゆかいな日本語』(以上、河出書房新社)、『文献日本語学』『『言海』と明治の日本語』(以上、港の人)、『辞書をよむ』『リメイクの日本文学史』(以上、平凡社新書)、『辞書からみた日本語の歴史』(ちくまプリマー新書)、『振仮名の歴史』『盗作の言語学』(以上、集英社新書)、『漢和辞典の謎』(光文社新書)、『超明解!国語辞典』(文春新書)、『常識では読めない漢字』(すばる舎)、『「言海」をよむ』(角川選書)、『かなづかいの歴史』(中公新書)がある。

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【編集部から】

現在刊行されている国語辞書の中で、唯一の多巻本大型辞書である『日本国語大辞典 第二版』全13巻(小学館 2000年~2002年刊)は、日本語にかかわる人々のなかで揺らぐことのない信頼感を得、「よりどころ」となっています。
辞書の歴史をはじめ、日本語の歴史に対し、精力的に著作を発表されている今野真二先生が、この大部の辞書を、最初から最後まで全巻読み通す試みを始めました。
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