国語辞典入門:小学生向け辞書を選ぶ観点(2) ふりがな(ルビ)

2010年 4月 14日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第14回 総ルビがよさそうだけれど…

 学習国語辞典(学習辞典)の紙面を見渡したとき、本文の書体に続いて気になるのは、ルビ(振り仮名)をどれだけ振ってあるかです。ルビには2種類あって、全部の漢字に振る方式を「総ルビ」、必要に応じてぱらぱら振る方式を「パラルビ」と言います。

 近年は、総ルビにする学習辞典がほとんどです。辞書の説明は、子どもが読めなければ何の意味もないので、総ルビにすることは当然とも言えます。私も、人に学習辞典を薦めるときは、「総ルビのものを」と言ってきました。

 ただ、総ルビの中でも、さらに方式が分かれています。1つは、総ルビにはするけれども、できるだけ漢字を使わず、仮名を多くするもの。もう1つは、総ルビにするからには、ふつう漢字で書くことばは、少々むずかしくても漢字で書くものです。

 たとえば、「世評」という項目について、3種の学習辞典の記述を比べてみます。

 〈よの中(なか)のひょうばん。うわさ〉(A辞典)
 〈世(よ)の中(なか)の評判(ひょうばん)。〉(B辞典)
 〈世の中の評判(ひょうばん)。うわさ。〉(C辞典)

 A辞典・B辞典は総ルビ、C辞典はパラルビ(かつ、2行に書く「割ルビ」)です。A辞典は、仮名が多くやさしい印象がありますが、せっかく総ルビなのですから、「よの中」「ひょうばん」は、B辞典のように漢字にしてもいいはずです。子どもが漢字を覚える助けにもなります。C辞典は、「評判」のみにルビを振っていますが、「世評」というむずかしいことばを調べるほどの子なら、「世の中」はルビなしで読めると考えたのでしょう。

 もう1例挙げると、「合法」の説明も、同じような表記のしかたになっています。

 〈ほうりつや規則(きそく)にあっていること〉(A辞典)
 〈法律(ほうりつ)や、決(き)まりに合(あ)っていること〉(B辞典)
 〈法律(ほうりつ)に合っていること〉(C辞典)

 A辞典で「ほうりつ」と仮名にしてあるのは不自然で、やはり、B辞典や、パラルビのC辞典のほうが適切です。A辞典は、中・高学年で習う漢字はあまり使わない方針なのかもしれませんが、それにしては、5年生で習う「規則」は漢字になっていて、不統一です。

「りょう鉄鉱」では分からない

 私は、仮名の多い説明を批判するのではありません。むずかしいことばを避けた結果として仮名が多くなったとすれば、それは好ましいと考えます。たとえば、A辞典の「刀」の項目は、そのいい例です。B辞典と比べてみます(以下、ルビは省略)。

 〈むかし、さむらいがこしにさしていた長いはもの〉(A辞典)
 〈片側に刃をつけた細長い武器。日本刀〉(B辞典)

 どちらの説明も悪くありませんが、A辞典のほうが、ぱっとイメージが浮かびます。「武士」ではなく「さむらい」、「武器」ではなく「はもの」と言うことで、漢字を使わずにすんでいます(「ぶし」「ぶき」とはしていません)。ちなみに、かつての『三省堂小学国語辞典』でも、〈さむらいが、こしにさしていた はもの〉としています。

 このように、漢字をむやみに使わないことで、説明がくふうされることもあります。だからといって、何でもひらがなにしてしまうと、意味不明になる場合もあります。

 A辞典を読んでいて、意味が取れなかったのは、「鉄鉱石」の説明でした。

 〈鉄の原料となる鉱石。磁鉄鉱・赤鉄鉱・りょう鉄鉱など〉

 最後の〈りょう鉄鉱〉が分かりません。そういう項目も立っていません。実は、「菱鉄鉱」で、菱形に結晶する鉄鉱石のことです。漢字で書いてあれば、それをもとに意味を推測したり、調べたりすることもできますが、ひらがなではお手上げです。この場合、あえて「りょう鉄鉱」を例に出す必要はないでしょう。

 あるいは、「ガラス」の項目にも、同様の問題があります。

 〈けいしゃ・炭酸ソーダ・石灰石などのこなをまぜ、高い温度でとかし、〔後略〕〉

 冒頭に、いきなり〈けいしゃ〉ということばが出てきます。この辞書の項目には「傾斜」しかないため、混乱する子どもも出てきそうです。一般向けの国語辞典で「珪砂」を引いて、はじめてのみこめます。こんな説明をするよりは、別の学習辞典のように、類義語の「石英」を使ったほうがいいでしょう。

 総ルビという点では同じでも、表記のしかたは辞書によって異なります。漢字で書いてほしい部分が漢字になっているかどうか、確かめておくことが必要です。子どもの年齢や理解力によっては、パラルビのほうがいい場合もあることも言い添えておきます。

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:小学生向け辞書を選ぶ観点(1) 大きさ 重さ 表紙 書体

2010年 4月 7日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第13回 デザインがどうかも、ばかにならない

 いささか前置きが長くなりました。では、ここで一気に場面を変えて、書店の辞典コーナーに移動しましょう。あなたは、小学生のお子さんとともに、学習国語辞典(学習辞典)を買いに来たところです。書棚を見渡せば、色とりどりの学習辞典が並んでいます。このうちどれを選べばいいか、実際にページを繰りながら考えましょう。

 まず目に飛びこんでくるのは、デザインです。内容もさることながら、デザインがどうかということも、辞書を使う意欲を左右します。

 たとえば、ドラえもんのことが心底から好きな子なら、『例解学習国語辞典 ドラえもん版』(小学館)を選べば、学習意欲が上がるかもしれません。ドラえもん版とは、表紙にキャラクターの絵がついている版のことです。内容は通常版と同じです。

 辞書は、使う本人が気に入ることが一番大事です。「どうしてもドラえもん」と言う子に、ほかの辞書を押しつけるのは考えものです。この場合はこれで購入決定となり、以下の私の説明は不要になります(なお、「楽しく学べる」と称して、マンガ形式の解説を入れる学習辞典が増えていますが、マンガの助けがなければ楽しくならないのか、疑問です)。

 もし、子どもが一目で気に入った辞書が特にないなら、次の点の検討に移ります。

 大きさ――同じ辞書でも、大型版と小型版と2種類用意されていることがあります。「A辞典の内容は気に入ったが、大きさが気に入らない」というとき、別の大きさの版がないか確かめてください。大型版の長所は、文字が見やすいところ。小型版の長所は、いつも持って歩きやすいというところです。

 重さ――見落としがちですが、同じ大きさ、似た厚さの辞書でも、重さが異なることがあります。しじゅう手に取って使うことを考えれば、軽いにこしたことはありません。重さを比べるときには、目をつぶって両手に1冊ずつ辞書を載せ、さらに、何度か左右を入れ替えて載せてみると、よく分かります。

 表紙――材質が、紙か、ビニールかということです。私は、ビニールで決まりだと思います。紙の表紙は、何度も引いているうちに折れてしまって、不便です。もっとも、大型版の場合は、紙のほうが造本がしっかりするという長所はあります。

本文は教科書体にしてほしい

 次に、表紙を開いて、中を見ましょう。デザインのうちで、内容に深く関わるのは、何といっても、書体に関する部分です。

 一般の国語辞典は、本文を明朝体で組んでいますが、学習辞典の多くは、教科書体を採用しています。教科書に使われる、手書きに近づけた書体のことです。文字の形を正しく覚えさせるためには、教科書体で組むことが絶対に必要です。できれば、実用辞典のように、手書きの楷書体を添えれば、なおよいと思います。

 ところが、学習辞典の中には、本文が教科書体でないものがあります。広告などでよく目にする、丸ゴシック系などの書体を使っています。これは、どう考えても不適切です。いくら内容がよくても、書体のおかげで台なしです。

 あえて、私の好きな辞書を例に挙げます。『下村式 小学国語学習辞典』(偕成社)は、編者・下村昇さんの国語教育に関する識見が反映された、すぐれた辞書です。たとえば、漢字は簡単なパーツに分け、口で唱えて覚えたほうがいいという考えから、筆順欄で漢字を分解して示しています。「層」は「コノソ田日」。「総」は「糸ハム心」といった具合です。

 項目の選び方にも、独自色が出ています。「甘い汁を吸う」「生き血を吸う」などということばが立項されていますが、ほかの小学生向けの学習辞典には見当たりません。作り方が、ほかの辞書とはかなり違っていることが分かります。

 このように見るべきところの多い辞書でありながら、なぜか、本文が丸ゴシック系で組まれているのです(表記欄だけは教科書体)。せっかくの辞書の価値を減じてしまっています。これはぜひ改善してほしい点です。

 では、『下村式』は選ぶべきでないのかというと、そんなことはありません。『下村式』に限らず、どの辞書にも長所と短所があります。1冊の学習辞典だけを見ていては、そのよさも悪さも気づきにくいものです。学校用と家庭用、または、兄弟それぞれ用に別々の辞書を買ったりして、お互いに短所を補い合うようにすればいいのです。

 この後も、私は特定の辞書の長所や短所を取り上げることがあるはずですが、そのことによって、その辞書を勧めたり、勧めなかったりするわけではありません。人間と同じで、全能の辞書というものはなく、補い合って読者の役に立つのです。

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
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国語辞典入門:小学生用国語辞典 大人用との違い

2010年 3月 31日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第12回 さきがけとなった『三省堂小学国語辞典』

 今や国語辞典の売り上げを牽引する勢いの学習国語辞典(学習辞典)ですが、これらのさきがけとなったのはどんな辞書だったのか、まず触れておきます。

 小学生用の本格的な学習辞典は、1959年の『三省堂小学国語辞典』に始まります。それ以前にも皆無ではなかったものの、〈おとなの辞典の焼き直しとも思われるものが少なくありません〉(同書冒頭)という状況だったようです。

 『三省堂小学』の初版は、体裁は今の学習辞典とそう変わりませんが、紙がやや厚く、収録語数は1万7000語しかありませんでした。今の学習辞典の半分ほどです。それでも、そのユニークさは、今の目から見ても著しいものがあります。

 一番の特色は、一般向けの国語辞典に載っていなくても、日常よく見聞きすることばは、積極的に載せているところです。たとえば、「それもそうだ」「それもそのはず」などという項目が『三省堂小学』にはありました。よく使う言い回しなのに、一般の多くの辞書にはいまだに載っていません。辞書の作り手にとっても、学ぶところの多い辞書です。

 当然のことながら、この辞書は、後に続く学習辞典に大きな影響を与えました。その様子は、現在の学習辞典の項目からもうかがい知ることができます。

 たとえば、現在の学習辞典には、「言い合わせたように」という項目が載っています。「言い合わせたように、みんなが反対した」などと用いる言い回しです。この項目は、私が見たところ、6種の学習辞典に採用されていますが、一般の国語辞典にはまず見当たりません(「言い合わせる」ならあります)。いわば、学習辞典特有の項目です。

 不思議な感じがします。「言い合わせたように」は、今ではやや古さの感じられる表現です。用例の数で言えば、むしろ「申し合わせたように」などのほうが、ずっと多いのです。教科書にも「言い合わせたように」は出てきません。したがって、現代の辞書を編集する時、項目として選ばれる優先順位は高くないはずです。

 そんなことばが、多くの学習辞典に出てくるのはなぜか、と追究していくと、『三省堂小学』の影響力に行き着きます。同書には「言い合わせたように」があります。現在に至るまでの学習辞典は、その項目を大いに参考にしているものと考えられます。

前例踏襲、横並び意識はないか

 もうひとつ例を挙げます。「素知らぬ顔」という言い方は、一般向けの辞書では、「素知らぬ」の用例として示されます。ところが、学習辞典では、「素知らぬ顔」で1つの項目としているものが7種あります。子どもになじみ深い言い方だからとも言えますが、「素知らぬふり」などもあるので、「素知らぬ」という項目を立てたほうがいいはずです。

 そこで、『三省堂小学』を見ると、「素知らぬ顔」の項目があります。ここでもまた、後続の辞書がこの項目を参考にしたことがうかがわれます。

 このような例から、『三省堂小学』がいかにリスペクト(尊敬)されているかが分かります。もっとも、『三省堂小学』そのものがリスペクトされているのか、それとも、それを参照した辞書がさらに別の辞書に参照されているのかは、微妙なところです。

 ここで目を転じて、現代の学習辞典同士を比べてみると、ある辞書の内容を、他の辞書が取り入れているとみられる例は、ときどきあります。たとえば、出版社の異なるA辞典とB辞典の「現在」という項目を比べると、よく似ています(書式を改めて示します)。

 〈1 今。「兄は、―旅行中です」2 その時。「二時―の気温は三〇度です」〉(A辞典)
 〈1 今。「父は―旅行中です」2 (時を表すことばのあとにつけて)その時。「午後二時―の気温は十度です」〉(B辞典)

 例文までがほとんど同じです。偶然には起こりにくいことであり、一方が他方を参考にしたものと考えられます。だとしても、例文の細部までを参考にする必要はないはずですから、むしろ、無批判な引き写しと見られてもやむをえないでしょう。

 複数の辞書の記述が似通っている場合、どちらが先に記したかは、前の版や、前身の辞書にまでさかのぼらなければ分かりません。不用意な断定は控えるべきです。ただ、辞書によっては、気になる記述の目立つものがあるというのが、私の正直な感想です。

 『三省堂小学』以来、学習辞典は、先行辞書のすぐれた点を取り入れたり、それまでにない点をつけ加えたりして、進歩してきました。一方で、安易な前例踏襲や、「ほかの辞書もそうだから」という横並び意識の入りこんだ部分はないか――というのは疑いすぎでしょうか。ほかの辞書はどうあれ、自分はこうする、という気概が、『三省堂小学』にはありました。この気概は、辞書作りの上で忘れてはならないと、自戒をこめて思います。

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国語辞典入門:小学生向け辞典のおすすめ 選び方

2010年 3月 24日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第11回 学習辞典抜きで国語辞典は語れない

 前回までは、主に、私の個人的な体験に基づいた話を書いてきました。今回からは、もうちょっと話を一般化したいと思います。実際に書店に国語辞典を買いに行くとき、どんなことに気をつければいいかといった、実践的な内容を扱います。

 チェック項目を並べて国語辞典を点数化したくないというのは、最初に述べたとおりです。特定の辞書だけがいいと思われるような書き方は避けます。それよりも、読者が「自分ならこういう辞書を選ぶ」と、自由に判断するのを助けるような材料を記すつもりです。

 話の中心にしたいのは、児童・生徒が学校で使う学習国語辞典(以下、学習辞典)です。特に、小学生向けのものを取り上げます。

 なぜ急に学習辞典の話になるのか、と思われるかもしれません。理由は、大人が自分用の辞書を選ぶときよりも、子どもに選んでやるときのほうが、ずっと頭を悩ませるものだからです。辞書ひとつで学習意欲が左右されるかもしれないわけで、責任は重大です。

 子どもの辞書の選び方が分かれば、その応用で大人の辞書も選べます。大人用の辞書については、必要に応じて補足をします。

 私自身は、小学生の時、例の『広辞典』(集英社)という実用辞典を愛用していたためもあって、リアルタイムで学習辞典を使った記憶はほとんどありません。学校の図書館にあったものを、授業で何度か使った程度です。その後も、学習辞典とは縁がないままでした。

 ところが、2004年のこと、NHK教育テレビの小学生向け国語番組の制作に参加してから、事情が変わりました。語彙や文法から文章表現にいたるまで、ことばに関するもろもろの内容を、小学生に分かるように説明する必要が出てきました。

 私は、その手法を学習辞典に求めました。学習辞典は、やさしい説明が命です。たとえば、「概念」は、一般向けの『新選国語辞典』(小学館)では、〈多くの観念のうちから、共通の要素をぬきだし、それをさらに総合して得た普遍的な観念〉と説明しています。これでも十分ですが、子ども向けの『例解学習国語辞典』(同)では、さらにかみ砕いています。

 〈多くの物ごとから、にたところをとりだしてつくられる考えのまとまり〉

 たしかに、分かりやすい。こうして、私は、学習辞典を熟読するようになりました。

学習辞典選びは自分の目で

 その後、「子どもの国語辞典をどう選んだらいいか」と取材を受ける機会も、何度かありました。インタビュアーの話から、世間では、学習辞典の選び方に悩む親御さんが非常に多いらしいことも知りました。

 実際、学習辞典に対する需要は高まっているようです。〈辞書の売れ行きはこの10年で約半分に落ち込んだが、小学生向けの辞書に限っては販売部数が伸びている〉(『産経新聞』ウェブ版 2009.4.21、三省堂宣伝広報部長談)というのですから、よろこばしい話です。

 「amazon.co.jp」の「国語辞典」というカテゴリーで、売れている順番にリストを並べてみると、一般向けを抑えて、学習辞典が上位に来ます。今や、学習辞典を無視しては、国語辞典は語れない状況になっています。

 学習辞典人気の功労者は、言うまでもなく、立命館小学校の深谷圭助さんです。小学1年生から日常的に辞書を引かせるという、従来にない指導法を取り入れました。子どもたちは、調べたことばに付箋をつけていき、そのうち、付箋の厚みで辞書がふくれあがります。調べた量が視覚化され、自信につながります。

 この指導法は、画期的であると同時に、いたって正攻法であり、支持を広げました。辞書出版社もまた、この指導法を支持し、かつ、競うかのように宣伝しています。宣伝それ自体は、辞書の活用を促すことにつながり、たいへんけっこうなことです。

 ただ、その結果、〈深谷先生も推奨されている辞書〉という理由で、いくつかの特定の学習辞典を選んだり、勧めたりする人も出てきました。インターネット上では、そういう書きこみが目につきます。これは判断停止であり、好ましいことではありません。

 深谷さん自身は、〈辞書によって書いてあることが違うと知るのも大切な学びですから、最初の辞書は当校ではあえて指定していません〉(『プレジデントFamily』2009.4)と明確に語っています。著書にも、辞書の名前は記してありますが、例示にとどまります。判断は、あくまで辞書を買う側がすべきものです。

 どの先生が推薦しているからとか、アマゾンのレビューでほめてあったからという理由で子どもの辞書を選ぶのは、さびしい気がします。せっかくなら、自分の目で選びたいではありませんか。そのために役立つことをお話ししたいと思います。

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国語辞典入門:辞書を選ぶ観点―収録語数、語釈

2010年 3月 17日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第10回 語数、語釈をどう評価する?

 私が国語辞典というものに触れはじめてから、選びどころ、楽しみどころを少しずつ理解した過程についてお話ししてきました。取り上げた「辞書を選ぶ観点」のうちで、一般にもとりわけ関心が高いのは、「収録語数」と「語釈」でしょう。この2つの評価のしかたについて、ここでいったんまとめておきます。

 まず、収録語数について。これは、まったく無視はできませんが、多ければいいというわけでもありません。小型辞書には、大型辞書にないことばが少なからず載っています(第4回参照)。また、1冊の小説を読みながら、6万語の辞書、8万語の辞書のどちらを引いても、見つかることばの数は変わりませんでした(第5回参照)。語数は、辞書の規模を知る目安にはなりますが、それだけを評価の基準にすべきではありません。

 語数だけに注目するのがよくないもう1つの理由として、国語辞典ごとに語数の計算方法が違うということがあります。

 たとえば、「滑り出す」と「滑り出し」、「狭まる」と「狭める」などは、国語辞典によって、それぞれ別々の見出しにしたり、1つの見出しのもとにまとめて示したりしています。これらを何語と数えるかによって、全体では、じつに何千語という違いが生まれます。

 結果として、見出しはA辞典のほうが多いが、言及している語はB辞典のほうが多い、ということもありえます。こういうことは、表示語数を見ただけでは分かりません。

 語数の表示に関しては、『新選国語辞典』(小学館)や、『新明解国語辞典』(三省堂)の試みがすぐれています。語数の内訳を、品詞別・語種別に、あるいは、親見出し・小見出しなどに分け、細かい数字を記しています。他の辞書に対する問題提起になっています。

 おそらく、ゆくゆくは、どの国語辞典も、このように収録語数の内訳を示すようになるでしょう。辞書によっては、語数の計算方法を見直した結果、表示語数が大きく変わることもあるかもしれません。それもまたオーケーだと思います。

 ただ、語数の比較が今よりも簡単になった時、その数字が、あたかも国語辞典の「役立ち度」を決める偏差値のように使われては困ります。語数と、役に立つ度合いとは必ずしも関係がないことは、しつこく強調しておかなければなりません。

語釈の個性を比べるのはむずかしい

 次に、語釈について。国語辞典によって語釈に工夫があり、個性が際だっているということは述べました(第6回第7回第8回参照)。ただ、辞書ごとの語釈の個性というものは、少しのことばを思いつきで比較してみるだけでは、なかなか分からないものです。

 たとえば、「羅列」は、多くの国語辞典では、〈ずらりと並べること〉などと書いてあります。でも、「客の前に商品を羅列する」とは言わないので、この説明では不十分です。

 この点で、『集英社国語辞典』(第二版)の語釈は出色です。

 〈連なり並ぶこと。ずらっと並べること。「単なる資料の―にすぎない」▽「列挙」より軽蔑(けいべつ)の感じを伴って用いられる傾向がある〉

 「羅列」には、連なり並ぶという意味合いもあり、また、語感があまりよくないことも分かります。『集英社』の説明は、きわめて行き届いています。

 ところが、一方では、『集英社』が苦戦する場合もあります。

 野球選手のプレーをほめて、「さすが、○○選手、健在ですね」と言ったところ、いやな顔をされた、という話があります。『集英社』で「健在」を引くと、〈健康で暮らしていること。元気なこと〉とあるだけで、選手が不機嫌になる理由が分かりません。

 この点をうまく説明しているのは、『学研現代新国語辞典』(第四版)です。

 〈1〔略〕2 もとのままで、十分に機能を果たしていること。「ベテラン―」〉

 つまり、「最近、あの人はどうしているだろう」と心配していたら、昔と同じく元気だった、という状態が「健在」なのです。活躍中の選手に言うことばではありません。

 こんなふうに、項目によって、その辞書の真価が発揮される場合と、別の辞書のほうがまさる場合とがあるため、語釈の個性を比べることは、簡単ではありません。

 十分納得のいく比較をするためには、あらかじめ、どのことばを比べるかという「比較語リスト」を作っておくのが有効です。いくつかの基準で選び出した、比較のためのことば(比較語)を、目的の国語辞典で片っ端から引いてみるのです。

 この比較語リストをどう作るか、などということは、かなり技術的な細かい話になります。そこで、次回からは、そうした細かいことを含めて、国語辞典を選ぶための、より実践的な話に移ることにします。

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国語辞典入門:実例豊富な現代語の辞典と見坊豪紀

2010年 3月 10日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第9回 いちばん影響を受けた辞書

 私と国語辞典との出会いについての話題は、私が大学に入ったところまで来ました。そろそろまとめに移りますが、その前に、私がいちばん影響を受けた辞書のことを書いておきます。いささかひいき目も含まれるかもしれないのは、ご勘弁ください。

 当時(1987~88年ごろ)、大学の近くの小さな書店に『言語生活』(筑摩書房)という雑誌が置いてありました。ことばをテーマにした一般向けの雑誌で、最近のことば遣いについてとか、方言についてとかいった記事が載っています。まじめな雑誌なのに、肩のこらない読み物が多かったので、私はたまに立ち読みをしていました。

 あるとき、気まぐれに1冊買い求めて、アパートで熟読していると、奇妙な連載に気がつきました。ちょうど辞書のように単語が羅列されていて、ただし、説明文の代わりに、その単語を含む新聞記事などが、逐一引用されているのです。こんな具合です。

 〈総集 65年「朝日新聞」 52回分を前後編に再構成/今夜は前半 「太閤記」総集編 NHKテレビ〔下略〕〉(『言語生活』1987.12 p.84)

 「総集(編)」の使用例なんか示してもらわなくても、使い方は分かります。なぜこんな無意味なページがあるのでしょうか。不審に思いつつ、その先を読んでいきました。「創出」「造出」「(ブームが)相乗する」「贈賞」……。中には見慣れないことばもあるものの、そう難解ではありません。知識として得るものは少なそうです。

 ところが、まもなく、おそろしいことに気づきました。これらのことば(または用法)は、国語辞典にほとんど載っていないらしいのです。見出し語の下に「0」「1」などと掲載辞書数が記されています。つまり、この連載は、「これこれのことばや用法は広く使われているのに、辞書に漏れているぞ」と、実例をもって示すのが趣旨でした。

 この「現代日本語用例大全集」を執筆していたのが、日本語学者(辞書学)の見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)さんでした。見坊さんは、「今の国語辞典に載せるべきことば」を徹底追求し、新聞・雑誌・書籍・ラジオ・テレビなどから膨大な用例を採集していました。その生活はもう何十年も続いていました。みずから集めた用例に基づいて作った辞書が、『三省堂国語辞典』です。

「生きていることば」を載せる

 連載に衝撃を受けた私は、『言語生活』を毎号読むようになり――と言いたいところですが、私はそれほど勉強熱心ではありませんでした。第一、この雑誌は、その何か月かあと、37年の歴史に幕を下ろし、休刊になってしまいました。

 ただ、こういう体験はあとで効いてきます。折に触れて見坊さんの著書を読むようになり、『三省堂国語辞典』についても、くわしく知るようになりました。

 じつは、私はもともと、『三省堂』にはそれほど関心を払っていませんでした。収録語数も、不足とまでは言いませんが、『新選国語辞典』(小学館)、『旺文社国語辞典』には負けます。私の関心事だった旧仮名遣いも、和語についてしか示されていません。

 語釈はどうかというと、『新明解国語辞典』(三省堂)などのほうが、行数も多く、精密に書いてあります。『三省堂』は短く、ひらがなが多いように思われました。

 けれども、『三省堂』には大きな特長があることを知りました。編者が、今の世の中に実際にあることばを採集して作った辞書だということです。つまり、『三省堂』を引けば、そこに載っていることばは、必ず現代の文献に用例があり、編者自身がその原文を確認済みであり、必要なら証拠を出せるということです。

 このことは、必ずしもどの国語辞典にも言えることではありません。小型辞書であっても、読者の知らないことばをできるだけ多く載せようというサービス精神の結果、死語や古語を載せていることがあります。かえって、今の人が頻繁に調べようとすることばが漏れている、ということもあります。

 その点、『三省堂』は、「実際に生きて使われていることば」を載せることに徹しています。そんな辞書を作るためには、ひたすら実例を集めるしかありません。現に、見坊さんは、生涯をかけて、145万例を超える現代語を採集したのです。

 『三省堂』によって、国語辞典には、「収録語数」や「語釈」以外にも、注意すべき観点があることを教わりました。「収録語が、生きているか、死んでいるか」という観点です。

 生きた国語辞典を作ることに賭ける見坊さん――先生に対し、私の尊敬は深まるばかりでした。でも、先生は1992年、私の誕生日と同じ日に亡くなりました。後年、私が『三省堂』の編集に加えてもらえたのは、なんとも不思議な巡り合わせでした。

* * *

◇関連する記事⇒『三省堂国語辞典』のすすめ その1 キンダイチは知ってる。ケンボウはどうだ。

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:語釈・説明の違い、詳しい 簡単

2010年 3月 3日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第8回 語釈の個性は画風に似ている

 国語辞典によって語釈が違うことを実感するにつれ、私は、ちょっとしたことばを調べるにも、複数の辞書を引かなければ満足できなくなりました。

 語釈の個性というものは、絵で言えば、ちょうど画風に似ていると思います。同じ農村風景を描いても、ミレーとモネとゴッホとではまるで違います。ミレーの絵しか見ないという人がいないのと同じで、1冊の辞書の語釈で満足するのはもったいない話です。

 主観を表現する美術と、客観を目指すべき国語辞典とは比べられないと思う人もいるかもしれません。でも、たとえ客観的に物事を捉えようとする場合でも、その捉え方に個性が表れることは、「時間」「マンボウ」の例で見たとおりです。

 あるいはもうひとつ、「苦い」の例を加えてもいいでしょう。「苦い」は、科学的には「舌根の部分が刺激される状態だ」ということです。『集英社国語辞典』の語釈はこれに近く、

 〈舌の奥の方で焦げたような味を感じる〉

 と記しています。科学的であり、妥当な語釈です。その一方で、この語釈は、日常感覚から離れる面があることも事実です。私たちは、苦みを感じる時、「舌の奥が刺激されている」とは意識しないからです。

 『新選国語辞典』(小学館)は、別の面から「苦い」を捉えようとします。

 〈熊(くま)の胆(い)や濃すぎる茶などを飲んだ時のような、よくない味を感じる〉

 この辞書が試みているのは、例示による説明です。私は「熊の胆」を味わったことはないのですが、「濃すぎる茶」と言われれば分かります。これもまた妥当な説明です。

 ほかの国語辞典を見ると、これらの観点をあわせた語釈、別の観点から切りこんだ語釈など、さまざまで、どれが一番いいと決めることはできません。それぞれの語釈の違いは、やはり、画家の作風の違いにたとえるのがふさわしいと思います。

 こんなふうに言うと、国語辞典には悪い語釈はないかのようです。もちろん、そんなことはなく、改善すべき語釈はあります。たとえば、「本」を引くと「書籍。書物」とあり、「書籍」「書物」を引くと「書物。本。図書」「本。図書」などと循環する辞書が、私が見ただけでも7、8冊はあります。すぐれた辞書でもこういうことが起こるのです。

「簡単な語釈はダメ」ではない

 循環する語釈のほかに、一般の評価が低くなりがちなのは、簡単な語釈です。くわしい語釈と簡単な語釈とがあった場合、多くの人は、くわしい語釈をよしとします。

 でも、私はこれについては異論を持ちます。語釈を念入りにするか、単純にまとめるかは、やはり、これも画風の違いのようなものです。

 私はよく、語釈の精粗を肖像画と似顔絵の違いにたとえます。肖像画はモデルを丹念に描こうとします。でも、細かく描きこんでも、どこか本物と違う感じがすることがあります。一方、似顔絵は、一筆書きのような線が、かえってモデルの特徴を見事に捉えることがあります。どちらの描き方がいいかではなく、成功しているかどうかが問題です。

 『三省堂国語辞典』の「ライター」は、第五版より第六版のほうが簡単になりました。

 〈発火石を こすってタバコの火をつける器具〉(第五版)

 〈タバコの火をつける器具〉(第六版)

 前段が削られています。辞書の語釈はくわしいほうがいいという考えに立てば、『三省堂』の語釈は退歩したことになります。本当にそうでしょうか。

 第五版で問題になったのは、「ライターの点火方式は発火石だけでない」ということでした。他の辞書には〈発火石や電池などを用いて……〉ともあります。ただ、現在では電池式はまれで、一般に目にするのは、発火石ライターか電子ライターです。第五版には発火石の説明しかないので、電子ライターの説明を加えれば完璧になるはずです。

 ところが、電子ライターは、圧電素子というものをハンマーでたたいて点火するものです(私もライターを分解して確認しました)。これを記述するなら、ライターとは、

 「発火石を こすったり、圧電素子という物質をハンマーでたたいたりして、タバコの火をつける器具」

 となります。より精密にはなりましたが、定義としてはなんだか散漫になってしまいました。「ライター」を定義するためには、点火方式や燃料の種類は必須ではなかったのです。思いきって省いたほうがいいと考えた結果が、『三省堂』の第六版の語釈です。

 ある対象について、百科事典的な知識がほしいのか、それとも、「要するにどういうことか」という核心が知りたいのか、時と場合によって、ふさわしい辞書は異なります。

* * *

◇関連する記事⇒『三省堂国語辞典』のすすめ その63 『三国』は、シンプルな似顔絵だと思う。

◇関連する記事⇒『三省堂国語辞典』のすすめ その76 電子ライターを分解してみる。

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 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
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国語辞典入門:語釈・説明がおもしろい辞典

2010年 2月 24日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第7回 競作される「おもしろ語釈」

 『新明解国語辞典』(三省堂)を「語釈がおもしろい国語辞典」として楽しんでいた私は、間もなく、「では、ほかの辞書はおもしろくないのか」という疑問に行き当たりました。そこから、ほかの辞書への興味が湧いて、大学生活を送るうちに、辞書の数も増えてきました。1冊に頼る生活から、複数を比較検討する生活へと、質的変化が起こりました。

 楽しめる国語辞典は『新明解』だけでないということは、すぐに分かりました。たとえば、「時間」(または「時」)の項目などは、辞書ごとに個性のある説明がしてあります。

 「時間」とは何か、と問われて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。NHKの朝ドラでは、登場人物の青年が〈時間が経つということは、変化するということですわ〉と言っていました(NHK「ウェルかめ」2010.2.5 8:15)。「時間とは変化である」というのは、なかなかいい着眼点だと思います。では、国語辞典ではどうでしょうか。

 まず、『新明解』を引いてみると、「時間」の項目でこう説明しています。

 〈人間の行動を始めとするあらゆる現象がその流れの中で生起し、経験の世界から未経験の世界へと向かって行く中で絶えず過ぎ去っていくととらえられる、二度と元には戻すことができないもの〉(第六版)

 例の名調子です。「時間とは、経験から未経験へ向かう流れだ」と喝破しています。

 次に、『三省堂国語辞典』の「時」の項目ではこうなっています。

 〈すこしも止まることなく過ぎ去り、決して もどることのないもので、直接に知ることはできないが、変化を通して、また時計などを使って知ることができるもの〉(第六版)

 「直接に知ることができず、変化を通して知るものだ」という見方です。これは、上の朝ドラのせりふと通じるものがあります。

 『岩波国語辞典』の「時」はこうです。

 〈過去から現在へ、更に未来へと、とどまることなく移り流れて行くと考えられる現象。具体的には月日の移り行きの形で感ぜられる〉(第七版)

 間接に知られるものだという含みは『三省堂』と同じですが、「月日の推移で知るもの」というところに特徴があります。

国語辞典によって違う把握のしかた

 このように、「時間」というとらえどころのないものを、なんとか明快に定義しようと、それぞれの国語辞典が競っています。いわば「おもしろ語釈」の競作です。

 「おもしろ語釈」がとりわけよく見つかるのは、物の形の説明です。たとえば、「マンボウ」という魚の形はじつにユーモラスですが、これはどう説明してあるでしょうか。

 国語辞典を引き比べると、「卵形」と定義するものが多いようです。もっとも、「卵形」だけでは、ハンプティ・ダンプティみたいな魚かと思われてしまいます。『岩波』では〈体は扁平(へんぺい)な卵形で〉と、平べったいことを明示しています。

 『大辞林』(三省堂)の描写は、かなりくわしいものです。

 〈体は卵形で、著しく側扁し、背びれ・尻びれとひだ状の舵びれが体の後端にあり、胴が途中で切れたような特異な体形をしている〉(第三版)

 注目したいのは、「胴が途中で切れたような」というところです。なるほど、多くの魚が長い胴体を持つ中で、マンボウは、まるで頭の部分だけが泳いでいるようにも見えます。『大辞林』の説明は、この特徴を捉えています。

 『三省堂』も、最近「マンボウ」の項目を載せました。

 〈円盤(エンバン)のような胴(ドウ)をもつ、全長約三メートルの さかな。からだの上下に、大きな ひれが ついている〉(第六版)

 マンボウを「円盤の両側にひれがついたような魚」と単純化しています。大胆とも言えますが、姿が目に浮かびやすい説明ではないかと思います。

 読者の中には、苦労して形を説明するより、マンボウの絵なり写真なりを示せばいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。でも、それでは、その対象を「把握」することにはなりません。

 人間は、「時間」とか「マンボウ」とかいうぼんやりした対象を、「これは要するにこういうものだ」とことばに置き換えることで、はじめて把握(認識)することができます。国語辞典の役目のひとつは、その把握のしかたを示すことです。

 国語辞典によって、対象の把握のしかたには個性があります。辞書を引き比べて「おもしろ語釈」を探すうちに、この違いを実感するようになります。

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【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
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国語辞典入門:語釈・説明の違い、特徴 比較

2010年 2月 17日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第6回 国語辞典をもうひとつ買ってみる

 中学の時に『旺文社国語辞典』を買ってから、私の国語辞典生活は、長らくこの1冊に支えられていました。正確には、中学2年で祖父の『広辞苑』(岩波書店)初版を譲り受けたし、部屋に飾ってあった『日本国語大辞典』(小学館)も、いつしか使うようになっていました。でも、大学に入るまで、ふだん使う辞書は『旺文社』1冊きりでした。

 国語辞典を比較して論じる文章を目にすることもあり、辞書ごとに語釈などの特徴が違うのは、なんとなく分かり始めてはいました。特に、井上ひさしさんが『本の枕草紙』(文藝春秋、1982年)で述べている辞書論は、おもしろく読みました。

 井上さんは、『新明解国語辞典』(三省堂)、『広辞苑』、それに『岩波国語辞典』の語釈を比較します。たとえば、「学際」の説明のしかたは、『新明解』は〈解説が自家中毒症状〉、『広辞苑』は〈平明を装っていて、その実、まことに曖昧〉とする一方、『岩波』は〈平易でよくわかり〔略〕「立て付け」のよい解説〉と高く評価します。

 『岩波』の語釈の中でも、井上さんに〈これは凄い辞典だ〉と言わしめたのは、「右」の語釈でした。初版以来、基本的に変わらず、こうなっています。

 〈相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、またこの辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う。〉(第七版による)

 読者が今開いているページそのものを例に使うのですから、これほど確かな説明はありません。まさに名語釈です(後に、『三省堂国語辞典』もこの説明を採用しています)。

 ただ、私は、これを読んで『岩波』を買いに走るところまでは行きませんでした。手元の『旺文社』の語釈をいくつか確かめて、べつに悪くない説明だったことに安心し、それきりになりました。やはり、語数の多い辞書が1冊あればいいと思いました。

 こういう辞書観が変わったのは、大学3年の春でした。当時愛読していた情報誌『ぴあ』の読者欄で、たまたま、辞書の語釈を引用したこんな投書を見つけました。

 〈善処――うまく処理すること。〔政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる〕…最近何かと話題に出てくるS堂S国語辞典より。〉(『ぴあ』1988.4.29 p.122「はみだしYouとPia」)

辞書の常識をくつがえす辞書

 これは現実の国語辞典でしょうか。おもしろすぎるではありませんか。〈最近何かと話題に出てくる〉と言うからには、ほかにもこんな皮肉の利いた語釈があるというふうに読めます。もしそうなら、辞書の常識をくつがえす辞書だと思いました。

 私はついに書店に走り、〈S堂S国語辞典〉が『新明解国語辞典』であることを突き止めました。後に赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、1996年)などで取り上げられ、独特の語釈が有名になりましたが、それ以前から一部では人気があったのです。

 『新明解』は、私にとっての2冊目の小型国語辞典として、本棚に収まりました。この時点で、辞書を選ぶ観点として、「収録語数」などのほかに、「語釈」が加わったことになります。もっと言えば、「語釈が笑える」という、いささか興味本位の観点です。

 実際、『新明解』の語釈はユニークでした。たとえば、「読書」を引くと、他の辞書に比べて異様に詳しい説明の後に、さらにつけ足してこう書いてあります。

 〈寝ころがって漫画本を見たり 電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない〉(第六版による)

 総じて、この辞書については、「語釈に主観が入っていておもしろい」という肯定的な意見と、「語釈が主観的で感心しない」という否定的な意見とがあります。でも、そのどちらも的確ではないと、私は思います。

 『新明解』の語釈は、べつに編者が主観を交えて書いているわけではありません。「政治家の言う『善処』は『何もせず』」「寝転んでまんがを読むのは読書でない」などの説明は、日本語を話す人々の間に昔からあった見方です。自分が賛成か反対かはともかく、広くそういう見方があることを踏まえなければ、日本語をうまく使うことはできません。

 「鴨」を引くと〈肉はうまい〉などとあるので、「編者はカモの肉が好きらしい」と評する人もいます。でも、これも、昔からカモの肉がうまいと思われてきただけのことです。「鴨葱」ということばがあるくらいです。決して編者個人の主観ではありません。

 つまり、『新明解』の語釈の特徴は、ことばの用いられてきた文化的背景までを含めて記述するところにあります。そのことに気づくのは後年のことで、当時は単純に「過激でおもしろい辞書」として、私のお気に入りに加わりました。

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国語辞典入門:辞書の収録語数

2010年 2月 10日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第5回 語数が多ければ載っている?

 私は先に、〈常識的に考えて、〔国語辞典の〕収録語数が多ければ、求めることばが載っている確率はそれだけ高くなる理屈〉だと述べました。でも、これは本当でしょうか。常識は疑うためにあります。ここで確かめておきましょう。

 手元に、武田泰淳著『風媒花』(1952年発表)という小説があります。中学1年のころ、近所の書店で何とはなしに買って来て読んだところ、まるで歯が立ちませんでした。〈読み終えた〉と当時の記録にはありますが、斜め読みだったと思います。

 作品は、戦後の新中国に共感する知識人たちを描いたものです。彼らは、中国どころか自分の身の回りの始末もつけられないまま、あれこれ迷ったり、互いの立場を批判しあったりします。と言うと、面倒な思想小説のようですが、そうではなく、個性的な登場人物が動きまわり、愛し合い、裏切り、冒険する、わくわくする佳作です。

 とはいえ、初めてこれを読んだ時には、分からない単語が続々出てきて、筋を追うことも困難でした。さすがに今はそんなことはありませんが、「国語辞典にないことばが多いな」と思うのは事実です。たとえば、「RS」「PD工場」「メチルプロパミン」などというのは、ちょっと意味が分かりません(それぞれ「読書会」「米軍管理工場」「覚醒剤の一種」)。

 そこで、調査です。この『風媒花』から見慣れないことばを120語抜き出して、収録語数の異なる2冊の小型国語辞典で、それらを引いてみます。作品のことばが多く載っているのは、いったい、どちらの辞書でしょうか。

 優劣を論じているという誤解を避けるため、辞書の名は伏せます。ここでは、A辞典(約6万数千語)、B辞典(約8万数千語)とのみ記しておきます。A辞典とB辞典の語数の差は、約2万語に及びます。

 結論から言えば、A辞典も、B辞典も、成績はまったく同じでした。120語のうち、A辞典に載っていたのは41語。B辞典に載っていたのも41語でした。『風媒花』の特殊語が収録されている確率は、どちらも3割程度ということになります。2万語も差のある辞書を引き比べたのに、結果は変わりませんでした。「収録語数が多ければ、求めることばもそれだけ多く載っている」という常識は否定されました。

収録語数には落とし穴が

 どうしてこんな不思議な結果になるのでしょうか。そのわけは、国語辞典に入っていることばをグループごとに分けてみると、明らかになります。

 どの国語辞典でも、主要な部分をなすのは、何万語かの「常識語」というべき語彙です。これは、知らなければ「教養がないねえ」と言われそうなことばで、「目」「鼻」「海」「山」に始まって、「自由」「社会」「権利」「義務」、さらに、「乖離」「韜晦」「使嗾」「壟断」などという上級編までが含まれます。ほぼ、実用辞典のカバーする範囲に当たります。

 このほかに、国語辞典によって、さまざまなグループの語彙を上乗せします。たとえば、明治文学に出てくる語彙、和歌や漢詩の語彙、新語の語彙……といった具合です。これらのオプションを増やせば増やすほど、収録語数が増えていく仕組みです。

 今取り上げたA辞典とB辞典の場合は、たまたま、『風媒花』のような文章の語彙に、同じくらい力を入れていたものと思われます。辞書全体の収録語数には差があっても、あるグループの語彙数は似通っていたのでしょう。

 ここから、次のことが言えます。収録語数の少ない国語辞典でも、利用者の目的によっては有用だということです。かえって、語数を誇る辞書が、その人にはあまり役に立たないこともありえます。収録語数だけを重視すると、落とし穴にはまります。

 それにしても、『風媒花』のことばをA辞典・B辞典で引くと、3割ぐらいしかなかったというのは少なすぎないか、と思う人があるかもしれません。間違えないでほしいのですが、この作品の語彙全体の3割ではありません。語彙全体のうち、ことさら変わった語彙ばかりを引いてみて3割あったということですから、けっこうな成績です。

 大型辞書の『大辞林』(三省堂)・『広辞苑』(岩波書店)でこれらの語を引くと、成績は上がり、どちらも約6割を載せています。超大型の『日本国語大辞典』(小学館)なら7割を超します。これだけの大型辞書なら、数字が上がるのは、まあ当然です。

 もっとも、これを逆に言えば、さしもの大型辞書でも、『風媒花』1冊のうちの何十語かは載っていないわけです。上に述べた「RS」などのほか、「遺生児」「一番てい」「シャツ裸」「でかでかしい」「波泡」などということばは、辞書には見えません。このあたりは、辞書の課題と見るべきか、日本語の奥深さと見るべきか、むずかしいところです。

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