ネット座談会 ことばとキャラ 第11回

2016年 10月 21日 金曜日 筆者: 宿利 由希子

ネット座談会「ことばとキャラ」第11回

【発言者】宿利由希子

 ちょっと間が空いてしまいましたが,定延先生,お返事ありがとうございました。私はA子ちゃんの言動から彼女を「偽者」と認定していたのですね。「意図的な振る舞いを越えたところにある「人物論」は,ポライトネスではどうしようもない」とのこと,納得です。

 しかし,定延先生と瀬沼先生のやりとりから,また疑問が出てきました。どうすれば「偽者認定」されずに済むか,です。

 瀬沼先生は,「若者たちが,仲間たちから与えられたキャラという名のレッテルを素直に受け入れて」おり,「他者とうまく接していくために,与えられたキャラという役割を「演じる」場面が多い」ことをご指摘されています。また,定延先生も第3の「キャラ」として,「オレは実は学校とバイト先でキャラが違うんだ」と書き込んだり,「この人たちと一緒にいると,私はいつのまにか姉御キャラになってしまって,若い男の子たちが寄ってこない。悲しい」とブログでぼやいたりするような「キャラ」を例に挙げられています。つまり,現代の日本語社会では,多くの人が「キャラ」を「演じて」いるということですよね。その中には「偽者」と認定される人もいれば,「本物」と認定される人もいます。

 日本語非母語話者の方々に日本語を教える際,キャラごとの言動パターンをどのように指導すべきかいつも悩みます。非母語話者は,母語でない日本語を用いるわけですから,母語話者以上に「演じる」必要があり,「偽者認定」される可能性も高いはずです。日本語教育の世界では,初級の段階から「丁寧さが伝わるように話しましょう」と指導する傾向にあるように思います。しかし,その学習者の丁寧さが,日本人に「わざとらしい→偽者→感じが悪い」と評価される可能性も十分にあるわけです。

 以前,ベケシュ先生の「ハビトゥス」に関するご講演で「行為者の言動は習慣の繰り返しにより規則化された傾向「ディスポジション」となり,さらに無意識的な「ディスポジション」の集合体「ハビトゥス」になる。それがキャラにつながる」というお話をお聞きしました。

 「ハビトゥス」は行為者のキャラの「本物認定」につながるでしょうか。また,その言動が「ハビトゥス」になれば,行為者の外見や声質がその言動と合っていなくても「偽者認定」を受けずに済むのでしょうか。もしそうなら,日本語教師はキャラの言動のサンプルを学習者に提示し,学習者がそれを最初は意識的に練習し,徐々に無意識にできるようになれば,「キャラ完成!」というわかりやすいパターンで指導でき,現場としては大変ありがたいのですが。

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【筆者プロフィール】

宿利由希子(しゅくり・ゆきこ)
1980年生まれ。
群馬大学社会情報学部卒業,東北大学大学院文学研究科(修士課程)修了,神戸大学大学院国際文化学研究科(博士課程)在学。
韓国,香港,仙台の日本語学校および宮城県国際化協会(非常勤講師),ノボシビルスク国立大学(国際交流基金日本語専門家),東北大学(日本語・日本文化交換留学コーディネータ)。海外産業人材育成協会関西研修センター在職(非常勤講師)。
専門は,日本語教育。

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第10回

2016年 8月 15日 月曜日 筆者: 定延 利之

ネット座談会「ことばとキャラ」第10回

【発言者】定延利之

 友定さんのお話をうかがって,改めて文の構造について考えています。

 実はこのところ,共通語についてですが,「構造上の大きな区切れの後の付属要素(コピュラや格助詞)は音調が低い」と言えないか,と考えています。

 コピュラ(「だ」「です」など)について例を挙げると,「わ,人がいっぱいだなぁ」と言う場合は,平板型アクセントの語「いっぱい」に続く「だ」は高く発せられますが,「人がだなぁ,いっぱいだなぁ,入ってだなぁ,……」と言う場合の「だ」は,「いっぱい」に続くコピュラ「だ」も全て,低く発せられます。後者の場合,「いっぱい」と「だ」はあまり強く結びついておらず,両者の間には構造上大きな区切れがあるから,低いのではないかということです。たとえば「そことだね,うちでだね,打ち合わせをだね,……」「いや,社長とだ」「それも,高齢の親を置いて,だ」「スマホを見ながら,だ」「ちゃんと行っただなんて,嘘ばっかり」「あっかんべーだ」「いーだ」の「だ」,さらには「この空欄に埋まる動詞は,『行く』だな」の「だ」,「それでもう,ぐにょーってなっちゃったの」と言われて返す「それは確かに,ぐにょーだね」の「だ」も同様です。

 コピュラは動詞には続かない,と言われ,確かに続きにくいと私も思いますが,その「無理」を押してつながることはあります。具体的には『田舎者』キャラの「行くだ」,『幼児』キャラの「行くでちゅ」,『上流マダム』キャラの「行くざます」,『侍』や『忍者』キャラの「行くでござる」,『平安貴族』キャラの「行くでおじゃる」,『薩摩隼人』キャラの「行くでごわす」などで,これらの「だ」「でちゅ」「ざます」「でござる」「でおじゃる」「でごわす」は皆低く発せられます。これも,「無理」を押してつながることが,大きな区切れを踏み越えてつながるということではないかと今考えています。

 格助詞にも似たことが見られます。動詞に格助詞は続かないと言われることがありますが,この大きな区切れを越えて結びつく格助詞は低く発せられます。「行くがよい」「当たるを幸い」「行くに越したことは無い」「言うに事欠いて」,さらに「この国語辞典の第3巻は「乗る」から「巻く」までだ」などと言う時の格助詞「が」「を」「に」「から」「まで」は低く発せられます。

 そこで,「行くぴょーん」「行くぷぅ」「行くきょ」などのキャラ助詞「ぴょーん」「ぷぅ」「きょ」ですが,「行く」との間の区切れはやはり大きそうなのに,コピュラや格助詞の場合と違って,これらの音調は低くはなくて,単独で発せられた場合と同じ音調ですよね。「兵庫県南部」の「南部」みたいな自立語なのかなぁ,そうすると「助詞」ではないから「キャラ助詞」は改名しないといけないのかなぁ,なんて考えています。

 「おしんこ,ねーすかわ」の「わ」など,方言の文末に現れる,1人称代名詞由来のことばは,音調はどうなんでしょうか。

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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店,2000),『ささやく恋人,りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店,2005),『日本語不思議図鑑』(大修館書店,2006),『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書,2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂,2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第9回

2016年 8月 12日 金曜日 筆者: 定延 利之

ネット座談会「ことばとキャラ」第9回

【発言者】定延利之

 瀬沼さんのお話をうかがって,「若者たちが口にする「キャラ」」について,改めて考えてみる必要があると思うようになりました。

 いま日本にはさまざまな分野で,さまざまな論者たちが,さまざまな「キャラ」論を展開していますが,それらは大きく三つに分けることができると私は考えています。

 第1の「キャラ」は,英語の“character”に訳せるような「登場人物」の意味の「キャラ」です。第2の「キャラ」はマンガ論の中で伊藤剛氏が提出した「キャラ」で,これを第1の「キャラ」とはっきり区別するために伊藤氏は“Kyara”という綴りを当てはめています。そして第3の「キャラ」は,日本のことばやコミュニケーションを分析するために私が使っている用語です。第2の「キャラ」つまり伊藤氏のKyaraは,分野を超えてさまざまな論者にインパクトを与えてきましたが,このKyaraを拡大適用して日本語社会を分析しようとする試みは,(その試みの意義自体は別として)どうにも無理があるのではないかということを私は述べてきました(補遺第84回第87回)。これは,日本のことばやコミュニケーションを分析するには,第1・第2の「キャラ」とは別の概念が必要だということです。この認識のもと,私は日本語話者たち,特に若者たちが日常生活の中で口にする「キャラ」に目を付け,専らこれを意味する専門用語として自身の「キャラ」を定義しました。匿名性の高い電子掲示板・2ちゃんねるに,「オレは実は学校とバイト先でキャラが違うんだ」と書き込んだり,「この人たちと一緒にいると,私はいつのまにか姉御キャラになってしまって,若い男の子たちが寄ってこない。悲しい」とブログでぼやいたりするような「キャラ」,これが第3の「キャラ」です。私はこれを「本当は変えられるが,変わらない,変えられないことになっているもの。それが変わっていることが露見すると,見られた方だけでなく見た方も,それが何事であるかわかるものの,気まずいもの」と定義しています。

 第3の「キャラ」の最大の特徴は,これが研究者によって作り出されたものではないということです。これを作ったのは日本語社会に暮らす人々,特に若者であり,私はただそれを専門用語として採用しただけ,と考えていたのですが,しかしながら瀬沼さんのお話をうかがうと,若者たちが語る「キャラ」には広がりがあり,私が定義したのはその一部ということになりそうです。

 瀬沼さんのお話をうかがって私が感じるのは,若者たちの語る「キャラ」には,「主人役」「笑いを誘う道化役」「わざと議論を挑む敵役」のような,山崎正和『社交する人間 ホモ・ソシアビリス』の「役割」(本編第36回)と近いものがあるということです。これは,若者の語る「キャラ」は,「キャラ」という名称はともかく実質だけを考えれば,昔から意識されてきたものとあまり違わない場合もあるということでもあります。私は若者の「キャラ」のうち,新しい部分にかぎって目を向けているけれども,瀬沼さんはとにかく全般をおさえようとされている,そんなことを感じますがどうでしょうか。

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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店,2000),『ささやく恋人,りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店,2005),『日本語不思議図鑑』(大修館書店,2006),『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書,2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂,2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第8回

2016年 8月 10日 水曜日 筆者: 定延 利之

ネット座談会「ことばとキャラ」第8回

【発言者】定延利之

 宿利さんが問題にされていることは,宿利さん一人にかぎった話ではなく,人間社会に広く見られることだと思います。「A子ちゃん」に対する宿利さんの違和感が,宿利さんの思い過ごしによるものであろうとどうであろうと,人間は他人を「偽者だ」と見てしまうことがあるということです。というのは,宿利さんのような「身を削った」告白はさすがにあまりないかもしれませんが,同様の「偽者認定」の例は,身近な文学作品にもよく見つかるからです。

 たとえば,宮尾登美子の『寒椿』では,娼館の新経営者としてやって来た「若い男」が,娼妓たちの前で「小柄な躰を聳(そび)やかして威厳を作った」のですが,娼妓たちの尊敬を勝ち得ず,まもなく消えてゆきます(本編第13回)。ソビヤカシを見せられた娼妓たちの頭には,「偽者」の二文字が浮かんでいたのではないでしょうか。

 またたとえば,山本周五郎の『おたは嫌いだ』には,奪われた恋人を返せと「若旦那がきいきい声で叫んだ」というくだりがあります。恋人の奪還に挑む勇猛果敢なイメージが「きいきい声」の部分でしぼんでしまうとしたら,これも「偽者」らしさの現れでしょう(補遺第35回)。

 いま取り上げた事例では,「若い」「小柄」「きいきい声」といった「偽者認定」の手がかりがあったわけですが,そのような手がかりが描かれない場合もあります。

 谷崎潤一郎の『細雪』(中巻)では,奥畑という,ゆっくりしゃべる大家の若旦那が,たしかに事実として大家の若旦那,つまり坊ちゃんではあるけれども,坊ちゃん特有の余裕ある様子を醸し出そうとして,わざとゆっくりしゃべっているのだと,幸子に決めつけられ,嫌われています(本編第3回)。また,かつて仕えた主人の家が洪水だと,大阪から芦屋に一番に見舞いに駆けつけ,主人の無事に安堵して涙ぐむ,忠義者を絵に描いたような庄吉の姿は,幸子には,芝居好きが忠義者ぶって自己陶酔しているものとして冷たく切り捨てられています(本編第18回)。これら二人の男性を幸子がどのような手がかりで「偽者」と認定したのかは,描かれていません。

 手がかりがないとされつつ,「偽者」と疑われる場合もあります。志賀直哉の『暗夜行路』では,「善良そのもの,正直そのもの,低能そのもの」の植木屋が,出されたお茶を押し頂いて飲む様子を見て,謙作は「然(しか)し見た通りが本統だろうか?」と,「眼(め)に見えない一種の不自然さ」を感じます(本編第38回)。

 以上のような,時には「なんとなく」としか言いようのない,「偽者認定」がしばしばなされること,それは事実であって,直視しなければならないと思います。

 宿利さんの言うとおり,ポライトネスというのは「人間関係がこのようになってしまわず,こうなるように,これこれこのように配慮する」という,意図のレベルの話ですよね。たとえば娼妓たちが新経営者について「いくら体をソビヤカシだって,こいつって偽者じゃん」と感じるような,新経営者の意図的な振る舞いを越えたところにある「人物論」は,ポライトネスではどうしようもないと思います。どうしようもないといっても,ポライトネス論をおとしめるわけではなくて,ポライトネス論をポライトネス論として正しく理解しようとすると,「何でもポライトネス」というわけにはいかない,ということですが。

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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店,2000),『ささやく恋人,りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店,2005),『日本語不思議図鑑』(大修館書店,2006),『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書,2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂,2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第7回

2016年 8月 8日 月曜日 筆者: 友定 賢治

ネット座談会「ことばとキャラ」第7回

【発言者】友定賢治

 第4回に引き続き,「キャラ助詞に似たものが方言にみられる」というのは,方言のどのような言い方がそれにあたるのかをみていきます。

 まず,自称詞に由来するとされる「わ」「ばい」です。定延さんも本編第20回であげておられる,

(C-1) おしんこ ねーすかわ。(おしんこはありませんか 宮城県)〈3〉

終助詞の後ろに「わ」が位置するものです。このような「わ」が,〈2〉の資料では,宮城県宮城郡にまとまって見られます。(C-1)も宮城県松島町となっています。

 次は,九州の「ばい」です。

(D-1) さけ だしまっしぇんなばい。(酒は出しませんよ。 福岡県)〈2〉
(D-2) うん からいもなら いっちょー もろーて いこかのばい。(はい,さつま芋ならひとつ貰って行こうかね。 佐賀県)〈2〉

 やはり,終助詞「な」「かの」の後ろに位置しています。

 次は,共通語では,その位置に「わ」は来ないと思われるものです。

(E-1) ありがと ござりまして わい。(ありがとうございます。 石川県)〈2〉

 最後は,動詞の「言う」「思う」「見る」「来る」などが文末詞化しているもので,「言う」以外は,中国地方を中心に分布しています。特に,「見る」は岡山県,「来る」は島根県出雲地方に特徴的に見られるものです。これらが,上記のA~Eと同様のものなのか,まさに「さらに検討を進める」必要がありますが,ここでは,思い切ってあげておきます。

(F-1) はよー せーちや。(早くしなさいよ。 岡山県)〈1〉

「せーちや」は「せよと言えば」の変化した形です。

(F-2) かわしりにゃー じょーに とりますともい。(川尻にはたくさんとりますよ。 山口県)〈3〉

「ともい」は「と思え」だと考えられます。

(F-3) どーにも ならんとみー。(どうにもならないよ。岡山県)〈1〉
(F-4) おんせんにでも いかこい。(温泉にでも行こうよ。 島根県出雲地方)〈1〉

 ただ,これらのうち,「思え」「見よ」は,敬語形もあり,完全に文法化しているとは言えないかもしれません。

(F-5) さるが なんと じゃーに おったとまっしゃい。(猿がなんとたくさんいたんですよ。 島根県出雲地方)〈3〉
(F-6) ほんに つまらんとみんしゃー。(ほんとにつまらないよ。 岡山県)〈1〉

「とまっしゃい」は,「~とおもわっしゃい」で尊敬の助動詞「しゃる」がついています。「みんしゃー」は「みなさい」です。

 以上の6種類ですが,結局,「さらに検討を進める必要がある」を繰り返しただけという,まことに恥ずかしいことになってしまいました。

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【筆者プロフィール】

友定賢治(ともさだ・けんじ)
県立広島大学名誉教授。専攻は日本語学,中でも,方言や子どものことばの研究。編著書に,『全国幼児語辞典』(東京堂,1997),『育児語彙の開く世界』(和泉書院,2005),『関西弁の広がりとコミュニケーションの行方』(陣内正敬と共編 和泉書院,2006),『県別罵詈雑言辞典』(真田信治と共編 東京堂,2011),『感動詞の言語学』(ひつじ書房,2015)などがある。

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【編集部から】

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ネット座談会 ことばとキャラ 第6回

2016年 8月 5日 金曜日 筆者: 瀬沼 文彰

ネット座談会「ことばとキャラ」第6回

【発言者】瀬沼文彰

 次に、「キャラかぶり」の問題についての回答をしてみます。まずは、同じ番組に同じキャラは複数いらないと言われるバラエティ番組を例に考えてみましょう。出演する芸人やタレントたちは、多種多様なエピソードを語り、それぞれに強烈なキャラがあるように思えます。しかし、見る角度を変えると、司会者はリーダーキャラ、ツッコミキャラで、まとめ役や話の進行をし、ひな壇の複数のタレントや芸人たちは、全員が、ボケキャラやいじられキャラだと考えることもできます。

 キャラは、どのように見るかによって、かぶることもあれば、かぶっていないと考えることもできる性質がありそうです。とはいえ、司会者のキャラかぶりは、お互いに場を仕切ろうとすれば対立をまねく恐れがあります。だからこそ、大物司会者同士は、同一番組で共演を避ける傾向があるのかもしれません。

 前回も述べたように、現代の若者たちの人間関係は、バラエティ番組に酷似しています。若者たちのグループは一見、対等に映りますが、まとめ役のリーダーキャラがいることが多いです。むろん、リーダーキャラは複数は不要です。複数いるとグループ内の対立の火種になりかねないからです。グループの他のメンバーは、広く見ればいじられキャラになりますが、バラエティ番組と同様に、いじる者・いじられる者は変化しますし、状況に応じて、それぞれの個別のキャラが活かされ、コミュニケーションを盛り上げることもあります。

 若者たちは、皆で協力して、その場が盛り上がることに努めます。その方法は多様ですが、キャラの括り方、見る角度もその1つのはずです。そのため、彼/彼女たちにとっては、キャラかぶりは、状況によって容認したり、嫌がったりする問題だと考えられます。

 では、若者たち自身は、キャラかぶりをどのように考えているのでしょうか。個性が重視される彼/彼女たちにとっては、キャラが友人と同じだということは嫌がられる考え方だと思われます。しかし、どのように異なっているのかはいまいち定かではありません。だとすれば、若者たちにとっては、キャラは、かぶっていないものと信じる程度のものなのかもしれません。あるいは、共感が主体の若者たちのコミュニケーションのなかで、キャラかぶりを嫌う傾向は、他者との「違い」の主張ととらえることもできそうです。キャラかぶりについては、観察者としてみるか、当事者としてみるかによって、もう一歩、深く問題に潜れるように思います。

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【筆者プロフィール】

『キャラ論』瀬沼文彰(せぬま・ふみあき)
1978年生まれ
西武文理大学兼任講師,桜美林大学基盤教育院非常勤講師,追手門学院大学 笑学研究所 客員研究員,日本笑い学会理事
東京にて大手芸能事務所にて瀬沼・松村というコンビで漫才などタレント活動,引退後,東京経済大学大学院へ進学。同大学院 博士後期課程単位取得退学
専門は,コミュニケーション学,若い世代の笑いやコミュニケーションの研究を行っている。
単著『キャラ論』スタジオセロ(2007年),『笑いの教科書』春日出版(2008年)
共著『コミュニケーションスタディーズ』世界思想社(2010)

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ネット座談会 ことばとキャラ 第5回

2016年 7月 29日 金曜日 筆者: 宿利 由希子

ネット座談会「ことばとキャラ」第5回

【発言者】宿利由希子

 神戸大学院生の宿利由希子です。ロシアのノボシビルスク国立大学や韓国,香港,日本の日本語学校などで計10年間,日本語を教えてきました。異文化コミュニケーションがうまくいかない,さまざまな誤解や行き違いを目の当たりにする中で,「本人は良かれと思ってやったのに,他者には悪くとられてしまう言動」に興味を持つようになりました。そういう言動の問題はどこにあり,どうやったら防げるか,日本語学習者に何をどう教えるべきかを考えています。この座談会にも,そういった問題意識で参加させていただきます。どうかよろしくお願いいたします。

 良かれと思ってやった言動がかえって悪くとられるという現象は,従来,ポライトネスの観点から,つまり相手の持つ2つの意向「他者に受け入れられて面子を保ちたい」「他者に干渉されて面子をつぶされたくない」を尊重しようとする際の失敗として説明されてきたように思います。しかし,それでは説明しきれないケースもあるのではないかと私は考えています。

 アパートで飲み会をしたときのことです。一人になりたくなって,空いている皿を持って台所に下がりました。皿を洗っていると,A子ちゃんが「私も洗います!」と言って台所に入ってきました。「一回空いてるお皿洗っちゃうんで,持ってきてくださーい!」と他のメンバーに声をかけ,みんな台所に集合してしまいました。罰当たりなことに,私は「一人の時間を奪っただけでなく,気が利く女子アピールかよ」と心の中で毒づきました。親切にしてもらったのに,私は「感じが悪い」と評価しました。

 後日,男性の知り合い2名に話すと,一人は「なんで? 超気が利く子じゃん」と高く評価しました。「いやいや,計算高くて怖くない?」と反論すると,もう一人が「宿利さん,そういう計算も含めてかわいいんだよ」と言うんです。

 過去を思い返してみると,男性でも女性でも,親切にしてくれているはずなのになぜか嫌な気分にさせられる人というのがいつも一定数いました。同じことを他の人にしてもらうと素直に「ありがとう」と言えるのに,A子ちゃんのような人には私はなぜかわざとらしさと胡散臭さを感じてしまうんです。その飲み会に気になる男性がいたから演技したというわけではなく,彼女はいつでもどこでもそういう感じなのですが。

 私はA子ちゃんに狙った男を横取りされたわけでも,彼女のせいで「気が利かない人」に格下げされたわけでもありません。(実際どうかわかりませんが,そう思っています。) 気を遣って手伝ってくれたはずなのに,礼儀正しくてポライトだったはずなのに,私がA子ちゃんを「感じが悪い」と評価してしまう理由はなんなのでしょうか? なんだか悩み相談のようになってしまいましたが,よろしくお願いします。

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【筆者プロフィール】

宿利由希子(しゅくり・ゆきこ)
1980年生まれ。
群馬大学社会情報学部卒業,東北大学大学院文学研究科(修士課程)修了,神戸大学大学院国際文化学研究科(博士課程)在学。
韓国,香港,仙台の日本語学校および宮城県国際化協会(非常勤講師),ノボシビルスク国立大学(国際交流基金日本語専門家),東北大学(日本語・日本文化交換留学コーディネータ)。海外産業人材育成協会関西研修センター在職(非常勤講師)。
専門は,日本語教育。

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第4回

2016年 7月 22日 金曜日 筆者: 友定 賢治

ネット座談会「ことばとキャラ」第4回

【発言者】友定賢治

 友定賢治です。中国地方の方言を研究しています。また,若者がメールに各地の方言を自在に使ったり,関西弁が全国の若者に広まったりといった,方言が多様に使われていることにも関心があり,キャラクタと方言についても大変興味があります。どうぞよろしくお願いいたします。

 定延さんから,「キャラ助詞に似たものが方言にみられる」というが,それはどんな言い方で,どこの地方にあるのかとのお尋ねがありました。すでに定延さんが本編第20回で触れておられますが,そこでは,藤原与一氏の,たとえば宮城県松島海岸の方言「おしんこ,ねーすかわ」(おしんこはありませんか)の最終末の「わ」は,もともと話し手自身(わたし)を指すことばであるとの考えや,九州で言う「知りまっしぇんばい」の「ばい」も同様であるという説をあげ,

話し手は自己の立場をひっさげて発話に及ぶのだと氏は論じている。自己を表すキャラ助詞が文末に現れることも「自己の立場のひっさげ」と考えるべきなのかもしれないが,さらに検討を進める必要がある。

とおっしゃっています。

 「さらに検討を進める」のは後回しにさせていただき,まず,「キャラ助詞に似たものが方言にみられる」というのは,このようなものが該当するのではないかな,という程度の基準で,該当しそうなものをあげてみます。資料は,主に次のものです。

〈1〉 友定の収集資料や郷里(岡山県新見市)方言については作例も含みます。
〈2〉 日本放送協会編(1999)『CD-ROM版 全国方言資料』
〈3〉 藤原与一(1986)『方言文末詞〈文末助詞〉の研究 (下)』,春陽堂書店

 その結果,定延さんがあげておられるものも含んで,A〜Fの6つをあげたいと思いますが,今回は,そのうちの2つをとりあげます。まず,一つ目は,方言だけに見られるものではありませんが,

(A-1) いらんで,うち。(いらないよ,私。 岡山県)〈1〉

 といったものです。倒置文として扱われることが普通かもしれませんが,これも最後に自己の立場を表していると見ることができそうに思います。

 次に,倒置文とは考えにくいもので,文末に「おれ」が位置しているものがあります。

(B-1) ちょーきて ちょーちてもー むりだんべ おれ。(今日来て,今日と言っても 無理だろう。 栃木県)〈2〉

 これが,地域に共有された言い方なのかどうかは,はっきり分かりません。この資料の中で,一回だけ見られるものです。

 今回は,「うち」「おれ」など,自称詞の例を見てきました。この次の投稿では,資料〈3〉からのデータなど,その他のものを見ていきます。

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【筆者プロフィール】

友定賢治(ともさだ・けんじ)
県立広島大学名誉教授。専攻は日本語学,中でも,方言や子どものことばの研究。編著書に,『全国幼児語辞典』(東京堂,1997),『育児語彙の開く世界』(和泉書院,2005),『関西弁の広がりとコミュニケーションの行方』(陣内正敬と共編 和泉書院,2006),『県別罵詈雑言辞典』(真田信治と共編 東京堂,2011),『感動詞の言語学』(ひつじ書房,2015)などがある。

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第3回

2016年 7月 19日 火曜日 筆者: 定延 利之

ネット座談会「ことばとキャラ」第3回

【発言者】定延利之

 瀬沼さん,さっそくありがとうございます。いただいたお返事はよく考えてみたいと思います。今回は私の方はコミュニケーションというより文法の方面に目を向けてみます。

 私がキャラということを考え始めてようやく目に入ってきたのは,金水さんが「キャラ語尾」と仰っているものの中に,終助詞の後に現れるものがあるということです。たとえば次の(1)(2)(3)の「ぴょーん」「ぷぅ」「にょろ」がそれに当たります。(いずれも最終確認日は2016年7月1日。以下も同様。)

(1) 吊られたら怖いLWは今すぐ出るんだよぴょーん

[http://ruru-jinro.net/log4/log352865.html]

(2) おにぃ頑張ってねぷぅ!

[http://summ0ners.com/archives/39539483.html]

(3) 「オマエ,何者にょろ? 曲者だなにょろ!」
勝手に肩に乗っては首に巻きつく蛇もどきに,フウと大きく溜め息をついた。
「何で黙っているんだにょろ? 言いたい事は何かないのかにょろ?」

[https://sp.estar.jp/series/18832/episode/226947]

終助詞というのは文の終わりに現れる,文字どおり「終」助詞だったはずなのですが,(1)の「ぴょーん」は終助詞「よ」の後に現れています。同じく(2)の「ぷぅ」は終助詞「ね」の後に現れており,(3)の「にょろ」は終助詞「な」や「か」の後に現れています。(3)には「にょろ」が4回現れていますが,最初の「何者にょろ」の「にょろ」はコピュラ(「何者だ」の「だ」など)に近い意味にもなっているようです。この点は金田さんの論文がありましたね。

 アラテの終助詞か,とも考えてみたのですが,結局その考えは断念しました。ふつう終助詞と言えば話し手の態度を表す,ごく限られたことばであるのに対して,上の「ぴょーん」「ぷぅ」「にょろ」は多かれ少なかれ,話し手の(遊びの場でのかりそめのものとはいえ)アイデンティティというか,キャラを表していそうで,それに,いろいろ作れるからです。こんなのないだろうと思いつつ検索すると意外に出てきます。次の(4)は「みょん」の例です。

(4) 「いい加減にするみょん!
このカタナで首切られても良いのかみょん!?」

[http://www.kakiko.cc/novel/novel7/index.cgi?mode=view&no=30145]

 それで,文法研究の中でいままで想定されていなかったことばかもしれないと思うようになり,私はこういうものをとりあえず「キャラ助詞」と呼んでいます。次の(5)の「きょ」のように,キャラ助詞は終助詞と共起せずに単独で現れることもあります。

(5) きょっちゃんは 足がちょっと曲がっているきゃら リハビリしてるんだきょ。

[http://blog.goo.ne.jp/mm_family]

 もちろん,キャラ助詞は「所詮,ネットの中のふざけたことば」として片付けてしまうこともできるでしょう。それでいいのかもしれません。が,現代言語学が「偏見を捨てて事実を直視する」というところから始まっているのだとすれば,「ネットの中のふざけたことば」つまりキャラ助詞が,なぜ文の末端(終助詞があればその後ろ)を狙って繰り出されてくるのか,考えてみてもいいだろうと私は思っています。終助詞の後ろに別のことばが現れ得るということを受け入れられる文法理論は,私の知るかぎり無いようなので,なおさらそう思っています。

 キャラ助詞と似たものが方言に見られるということについては,私も少し触れているのですが(本編第20回),門外漢なだけに,はっきりしたことは何も言えずにいます。友定さん,お助けいただけますでしょうか。

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【筆者プロフィール】

『日本語社会 のぞきキャラくり』定延利之(さだのぶ・としゆき)
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。博士(文学)。
専攻は言語学・コミュニケーション論。「状況に基づく日本語話しことばの研究と,日本語教育のための基礎資料の作成」などを行う。
著書に『認知言語論』(大修館書店,2000),『ささやく恋人,りきむレポーター――口の中の文化』(岩波書店,2005),『日本語不思議図鑑』(大修館書店,2006),『煩悩の文法――体験を語りたがる人びとの欲望が日本語の文法システムをゆさぶる話』(ちくま新書,2008)『日本語社会 のぞきキャラくり――顔つき・カラダつき・ことばつき』(三省堂,2011)などがある。
URL:http://web.cla.kobe-u.ac.jp/aboutus/professors/sadanobu-toshiyuki.html

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


ネット座談会 ことばとキャラ 第2回

2016年 7月 15日 金曜日 筆者: 瀬沼 文彰

ネット座談会「ことばとキャラ」第2回

【発言者】瀬沼文彰

 質問ありがとうございます。私は,若者のコミュニケーションや笑いの研究をしている瀬沼文彰です。恥ずかしながら,4年間,大手芸能事務所で売れない芸人をしていた経歴があります。その際には,キャラは,自分で探し出し笑いを作るためのものでしたが,その後,入学した大学院では,一般の若者たちが日常空間で意識するキャラに興味を持ち,若者たちにフィールドワークを行いキャラに関する修士論文をまとめました。それ以降,若者のキャラの問題に関心を持っています。

 さっそくですが,1つ目の「キャラは,現代の若者に限定的な特徴なことなのかどうか」に関して私なりに回答してみたいと思います。

 まずは,若者とキャラが論じられる以前の文学作品や映画,そして,実際の人々の暮らしのなかにもキャラを介したコミュニケーションが見られることには私も賛成です。では,若者たちのキャラには,現代的な新しい要素はないのでしょうか。

 拙著『キャラ論』で,私が興味深かったのは,若者たちが,仲間たちから与えられたキャラという名のレッテルを素直に受け入れているところでした。特に,それが気にいらなかった場合でも,「嫌だ」「やめてくれ」と反発などせず,笑いに変えて楽しんでいました。私は,こうした若者が「多い」という点を現代的なキャラの特徴の1つだと考えています。

 さらに,比較する年代によりますが,ネットも含め,多様な人々とコミュニケーションをする社会のなかでは,与えられるレッテルや役割の数が増えるので,演じるキャラの数も多くなることが現代的な特徴の2つ目にあたると思います。3つ目は,他者とうまく接していくために,与えられたキャラという役割を「演じる」場面が多いという点に新しさを感じています。このあたりが他の世代よりも若者に顕著に見られたため,キャラが若者という文脈のなかで語られたのではないでしょうか。

 それから,若者たちは,積極的に日常生活のなかで「キャラ」ということばを用い,「キャラ」ということばで他者や自己を認識したり,実際に「キャラ」ということばを会話のなかに頻繁に用いて,ツッコミを入れたり,恋愛話をしたり,ときには,戦略的に「どんなキャラでいけばいいかな」などと話している点も90年代後半くらいから見られるコミュニケーションや自己認識だと考えています。

 その背後にはバラエティ番組の影響が強くありそうです。若者のキャラのコミュニケーションはバラエティ番組にとても似ています。ここにもいまどきのキャラが見える気がしてなりません。

 少し長くなってしまいました。もう1つの質問である「キャラかぶりの問題」は,改めて,回答させていただきます。

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【筆者プロフィール】

『キャラ論』瀬沼文彰(せぬま・ふみあき)
1978年生まれ
西武文理大学兼任講師,桜美林大学基盤教育院非常勤講師,追手門学院大学 笑学研究所 客員研究員,日本笑い学会理事
東京にて大手芸能事務所にて瀬沼・松村というコンビで漫才などタレント活動,引退後,東京経済大学大学院へ進学。同大学院 博士後期課程単位取得退学
専門は,コミュニケーション学,若い世代の笑いやコミュニケーションの研究を行っている。
単著『キャラ論』スタジオセロ(2007年),『笑いの教科書』春日出版(2008年)
共著『コミュニケーションスタディーズ』世界思想社(2010)

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【編集部から】

新企画「ことばとキャラ」は,金田純平さん(国立民族学博物館),金水敏さん(大阪大学),宿利由希子さん(神戸大学院生),定延利之さん(神戸大学),瀬沼文彰さん(西武文理大学),友定賢治さん(県立広島大学),西田隆政さん(甲南女子大学),アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)さん(リュブリャナ大学)の8人によるネット座談会。それぞれの「ことばとキャラ」研究の立場から,ざっくばらんにご発言いただきます。


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