明解PISA大事典:PISA、言語力検定と日本の読解教育

2010年 4月 9日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第35回 PISAと言語力検定

 OECDの実施したPISAは日本の教育に大きな衝撃を与えたが、(財)文字・活字文化推進機構の実施した言語力検定(1)も、日本の教育現場にそれなりの衝撃を与えたようだ。現場の声で意外に多かったのが、「ふつうの国語ならできる子が、言語力検定はあまりできなかった。その一方で、ふつうの国語はあまりできない子が、言語力検定では意外にできている場合があった」というもの。

 (財)文字・活字文化推進機構の3月26日付プレス・リリースによると、言語力検定の合格率は、3級で全受検者の21.7%、4級で13.9%、不合格者64%(2)。どの級にも受かることなく、落ちてしまう割合のほうが圧倒的に高い。ふつうの国語(というのも奇妙ではあるが)ならできる子が落ちてしまって、ふつうの国語はあまりできない子が受かるという現象が起こったのだろう。もちろん、全体として見れば、「ふつうの国語ができれば、言語力検定もできる」というケースのほうが多かったはずだ。だが、よほど目立つかたちで逆転現象が起こったものと思われる。

 言語力検定は、作問と評価の方式と体制について、OECDのPISAを完全に踏襲するかたちをとっている。PISAに関する情報が限られている現状において、PISAの読解力調査の実際を知る、よい手がかりになるだろう。OECDのPISAと異なるのは、完全に日本人を対象とした作問であるということ。とはいえ、読解問題のレベルとしては、基本的にはPISAと同じ。つまり、「生きる力」としての読解力ということで、クリティカル・リーディングの問題として特に高度なわけではない。ところが、この連載でも、繰り返し述べてきたように「PISA型読解力=高度な能力」という認識が蔓延しているためか、受検した進学校を中心に面白い反応があった。

 ひとつは、大変な危機感を抱くパターン。これはまずい。これを機会に、ウチでもPISA型読解教育を始めなければ、と思い立つのである。

 この反応はよく理解できる。PISAの読解力調査で求められているような力、すなわち言語力検定で求められているような力は、もちろん進学校においても育む必要がある。ただ、あくまでも「足元を固める力」であることを忘れてはならない。ちゃんとした進学校であるならば、通常の国語の授業において、PISAの読解力調査や言語力検定よりも、はるかに高度なことをやっているのだから。

 もうひとつは「なんだこんなものか!」と拍子抜けするパターン。PISA型読解力というから、どれほど御大層なものかと思ったら、ぜんぜんたいしたことないじゃないか。選択問題は正答が自明なものばかりであるし(3)、自由記述問題にしても文中から適切な根拠さえ見つけられれば簡単に書けるものばかりだ。こんなことは、昔からウチでもやっていた、というのである。

 この反応は大変に正しい。何度でも言うが、言語力検定にせよ、その向こうにあるOECDのPISAの読解力調査にしても、このテの読解問題としては簡単なものなのだ。ただ、ちゃんとした進学校ならば、中学生にせよ高校生にせよ、全員が合格するくらいでなければ、これからの多様化・複雑化・グローバル時代のリーダーを育むのはおぼつかない。

 何年か前、あるテレビ番組で(これから述べる肝心の部分は編集で切られてしまったので、番組名は伏せる)、PISAのサンプル問題をスタジオの大学生たちに解いてもらい、その場で正答例と誤答例をとりあげて解説したことがある。有名大学の学生ばかりだったが、正答と誤答の割合は半々くらいだったか。そのあと、記述問題の考えかたについて簡単に説明したところ、司会のKさん(劇団主宰者)が「おれ、コツわかっちゃったぞ。これ、コツがわかれば、簡単に答えられるぞ」とおっしゃって、用意していたすべての問題について、即座に模範解答となるような正答を連発されたことがある。Kさんがとても頭のよい方である点を差っ引いても、実はPISAの読解力調査程度の問題であれば、コツさえ知っていれば簡単に解けてしまうものばかりなのだ。

 では、コツさえ教えれば、日本の子どもたちもPISAで一位になれるではないか――PISAで国際順位を上げることだけを考えれば、確かにそのとおりである。だが、この連載で綿々と述べてきたように、問題の所在を考えれば、日本がその選択肢をとらなかったのは賢明であった。

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(1) (財)文字・活字文化推進機構が実施する検定で、PISA型読解力の測定を目的とする。1級(大学生・社会人対象)~6級(小学校中学年対象)の級判定をする。昨年10月~11月に第一回を実施。初年は3~4級(高校生・中学生対象)のみ実施。受検者は9984名。
(2) 3級と4級は同一の問題を用い、得点率に応じて3級合格あるいは4級合格の判定がなされた。
(3) PISAにおける読解力の選択問題には、いわゆる「ひっかけ問題」が存在しない。そのため、ややこしい選択肢を見慣れた日本人の目には「正答が自明な問題」ばかりに見えるのがふつうである。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:クリティカルリーディングと知識

2010年 1月 29日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第31回 苦悩は続く――「知識」と「批判」の相克

 「知識を有すること」と「クリティカルに読むこと」の二者は本来は対立的なものではないのだが、指導においては意外にバランスをとるのが難しい。

 作者や作品の背景について何も知らぬまま、その作品についてクリティカルに論じたところでなんだか空しい。底の浅い議論にしかならない。だが、その「底の浅さ」を嫌って、まずは「きちんと読めること」を重視して精読を励行し、ついでに知識の注入も十分に図ろうとすると、クリティカルに読む時間がなくなってしまう。さらに、「きちんと読めもしないし、ロクに知識もないくせに、クリティカルに読むとはナマイキな」という感情的要素が加わると、いつまでたってもクリティカルに読むことは始まらない。どのくらいきちんと読めて、どのくらいの知識があれば、クリティカルに読んでもナマイキではなくなるのかが判然としないからだ。

 PISAが「知識を問うテスト」ではないことを売り物にしているのは、これまでに何度もふれてきたように学力観の転換を示すものである。とはいえ、当たり前のことではあるが、まったく知識ゼロの、さっき生まれてきた赤ン坊のような状態を想定しているのではなく、15歳の人間であれば当然有するであろう知識の存在は前提とされている。

 ただ、国際テストという性質上、その「当然有するであろう知識」の想定レベルは、どこの国の国内テストと比べても低いものに設定せざるをえない。同じ15歳であっても国が違えば、何についてどのくらい知っているかのレベルは大きく異なるからだ。特に読解力のように、それぞれの言語文化に依存する部分が大きく、数学や科学とは異なり国際的なきまりごとのほとんどない分野においては、「当然有するであろう知識」の想定レベルはどんどん下がっていく(1)

 フィンランドで教科書執筆者として有名なメルヴィ・バレさん(2)は「PISAの読解力の問題は悪くはないが、国語の問題としてのレベルは低いと思う」と述べている。「あの程度の問題なら、フィンランドだったら小学校4年生か5年生あたりを対象にすると丁度よいくらいではないか」というのである。

 なにやら傲慢な発言のようにも聞こえるが、PISAの発問形式はフィンランドのそれとほとんど同じであり、素材文を読み解くのに背景知識は必要ないとなれば、確かに小学生でも十分に対応可能であろう。逆に、PISAの発問形式と日本のそれは大きく異なり、素材文や発問のウラに思いを馳せなくてもよいとなると、日本では15歳の子どもはもちろんのこと、大人であっても戸惑ってしまうのは当然だろう。

 このような背景があるために、PISAの読解力の問題を「クリティカルに読む」授業のお手本にしてしまうと、いろいろと困難に直面することになる。前回もふれたように、「文中から根拠さえ挙げられれば、どれほど素頓狂な解釈をしてもいい。どれほど非常識な意見を言ってもかまわない」という方向に進んでしまうことさえある。PISAの読解力のように知識を極小化して、テキストから得られる情報のみを頼りにしてしまうと、なんだか空しく、底の浅い議論になってしまうのだ。

 では「知識を有すること」と「クリティカルに読むこと」のバランスは、どのようにとっていけばよいのだろうか? 次回は、この点について、フィンランド国語教育の解決策を紹介することにしよう。

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(1) とはいうものの、欧米の文化に関わることについては、少なくとも日本人からすると相当に高度な知識の存在を前提としているように感じられる。欧米寄りのグローバル・スタンダードという、経済外交ではありがちなことではあるが、とりあえずは「不公平だ」と主張し続けたほうがよいのではないか。この問題については第2回を参照⇒「第2回 PISAはグローバル・スタンダードなのか?」
(2) メルヴィ・バレさんについては第27回の注を参照⇒「第27回 フィンランド紀行7」の注へ

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
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明解PISA大事典:読解力の問題とクリティカル・リーディング

2009年 8月 7日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第14回 PISAサンプル問題を評価する

 この連載の第10回で「公開された(PISAの)サンプル問題が欧米型の読解問題としては出来の悪いものばかりだった」と書いたところ、ある中学校の国語の先生から「どこがどのように出来が悪いのか教えてほしい」との要望があった。

 そこで今回は、PISAのサンプル問題から有名な「落書き問題」をとりあげ、検証してみることにしたい。

 「落書き問題」とは、落書きに関する二つの意見を素材文にしたもの。二つの意見はインターネットに投稿された「手紙」という形式をとっている。一方は「落書きは芸術だからしてもかまわない」という意見、もう一方は「落書きは人の迷惑だからしてはいけない」という意見。そして「この二つの文章のうち、どちらに賛成しますか?」「どちらに賛成するかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」などと問うのである。どちらの問いに答える場合も「文章の内容にふれながら」答えなければならない(1)

 一般に読解問題を評価する場合、素材文の検証に最大の重きが置かれ、それから問題全体の意図を検証し、最後に小問のそれぞれを検証することになる。PISAのサンプル問題に関しては小問のすべてが公開されているわけではないので、ここでは素材文と問題全体の意図を中心に検証することにしたい。

 素材文を評価する場合は、この連載の第4回にも書いたように「子どもの興味や関心」を第一に考える必要がある。PISAを受検するのは15~16歳の子どもだ。その興味や関心を引くものであるかどうか。“興味や関心”という点に関するかぎり、「落書き問題」は十分に及第点であると思う。国際的な読解問題評価では、「(子どもに)こう感じさせたい」「こう考えさせたい」という名目で、大人の文学趣味や哲学趣味を押し付けるような素材文が、真っ先に「子どもの興味や関心を無視している」として排除されるのである。

 問題全体の意図も悪くないと思う。一般に「落書きはしてもいいか、それともいけないか」と問われれば、理屈も何もなく「絶対にいけない」と考えがちである。このように、なにげなく「当然だ」と思っていることについて「当然ではない」とする見解も示し、比較しながら考えさせている。まさにクリティカル・リーディングの常道である(これを『内容の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、さまざまな見解の存在を認識し、それらを比較しながら評価する技能が重要なのだ。

 「どちらに賛成するかどうかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」という問いも良い。自分の価値観(あるいは好き嫌い)とは切り離したところで、純粋に文章の形式面を評価させているからだ。これもまたクリティカル・リーディングの常道なのである(これを『形式の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、多様な価値を客観的に評価する技能が重要なのだ。

 だが、多様化した社会における技能という点から考えると、「落書き問題」には致命的な欠陥がある。それは多くの国において「落書きは犯罪」とされているという事実に関係している。日本であれば“落書き”は器物損壊罪(刑法261条)に該当し、それが芸術であろうがなかろうが罰せられる。多くの落書きアーティストを生んだニューヨークでさえ、落書きは犯罪とされている。実際、今年2月に日本の有名アーティストがニューヨークの地下鉄駅で“落書き”をして、警察に身柄を拘束されるという事件が起こった。

 なぜ落書きが犯罪であることが“致命的な欠陥”なのか?

 ここで誤解しないでいただきたいのは、“落書きは犯罪だから「いけない」を正答とすべきだ”と言っているのではない。また、“読解問題で犯罪行為を扱っているからいけない”と言っているのでもない。多様化する社会における「明文化」の意味を棚上げしているところが欠陥なのである。

 これは前回も述べたことであるが、価値観の多様化する社会において特定の価値観に権威を与えようとするならば「明文化」しなければならない。逆にいえば、「明文化」することによって、さまざまな価値観を持つ人々に対して、特定の価値観を強制的に認めさせるのである。“落書き”についても「明文化」された法律や条令などが、「いけない」と強制しているのである。いわば「社会が正当性を強要する価値観」ということだ。

 多様化する社会において「社会が正当性を強要する価値観」が存在する場合、それを無視して議論を進めることは適切とはいえない。PISAは「(社会で)生きるための知識と技能」を標榜しているのだから、なおさらのことである。「朝ごはんはパンがいいか、ご飯がいいか」というような議論とは根本的に異なるのだ。

 だから、“落書き”のようなテーマを扱う場合、「Aという価値観」「Bという価値観」「社会が正当性を強要する価値観」の3者を並べてクリティカルに評価するようにしなければならない。これもまたクリティカル・リーディングの常道である。繰り返すが、この場合も“「社会が正当性を強要する価値観」を無批判に受け入れなければならない”と言っているのではない。それが自分の価値観と異なるのであれば「なぜ異なるのか」、さらには「なぜ世間はそれを是とするのか」を考えるのである。

 このような理由から、「落書き問題」は欧米型のクリティカル・リーディングの問題としては大きな欠陥がある。このような問題が、各国の作問評価委員の目をすりぬけてしまったことは驚きとしか言いようがない。

 PISAの読解力の統括責任者であるジュリエット・メンデロビッツさんによれば、「落書き問題」はフィンランドの作問グループが提案したものだという(2)。もちろんフィンランドにおいても落書きは犯罪である。

* * *

(1)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 pp198-201/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年
(2) Sokutei Report Vol.4「2006年度・8月国際研究会報告書」p27/東京大学大学院教育学研究科 教育研究創発機構 教育測定・カリキュラム開発講座編
*作問者を明かさないことは「明文化」されてはいないかもしれないが「教育界が正当性を強要する価値観」であると思う。ジュリエットさんは口がすべったようだ。大丈夫か?

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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