明解PISA大事典:PISA型読解力のような力は必要か

2010年 6月 11日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第39回 PISA型読解力への疑義あるいは異論1

 最近、二人の作家と「PISA型読解力」について話す機会があった。一人は猪瀬直樹さん、もう一人は石田衣良さんである。話の内容については週刊東洋経済の連載(1)でも少しふれたが、ここでは別の観点から論じることにする。

 今回は猪瀬さんとの話から。ここでの猪瀬さんは作家というよりは、東京都副知事という立場である。石原慎太郎という作家が知事、猪瀬直樹という作家が副知事を務める東京都においては、昨今の活字離れの風潮をなんとかし、それによる言語力の低下をなんとかしようということになった。「活字離れ」と「言語力(読解力)の低下」が単純に結びつくかどうかは難しいところであるが、PISAの読解力調査(2000年のもの)を含む、さまざまな調査において何らかの相関関係がありそうなデータが示されてはいる(2)。とにかくなんとかしようということで、まずは都庁職員から意識改革をしようということになり、その第一回勉強会(4月16日)に私が講師として招かれ、また、猪瀬さんとテレビで対談するなどしたのである(3)

 このような経緯があるため、猪瀬さんとの話は、基本的には「PISA型読解力のような力は必要だ」という雰囲気の中で進んだ。ただ、猪瀬さんに「作家としての立場から」というふうに水を向けたとき、やや含みのある答えが返ってきたのである。

 たとえば「AはBだ」ということを言いたいとき、いわゆる「ぴざ的」な発想からすれば、AとBを線でジリジリと結びつけていくような、言葉を尽くして、論理を組み上げて、誰でも理解できるように納得できるように表現することが求められる。猪瀬さんも、確かにそういう力は必要だ、という。だからこそ、「AはBだ」ということを言うだけのために、一冊の本を書くことになってしまうこともあるというのだ。

 ただ――と、猪瀬さんは話の流れを一時押しとどめ、俳句や短歌のように一瞬の言葉の閃きで、すべてを表現する場合もある、と釘を刺した。

 「AはBだ」ということを言いたいとき、AとBとを線でジリジリと結びつけていくのではなく、AとBの間にある点、あるいはぜんぜん関係ない(ように見える)ところの点を示唆することにより、聞き手あるいは読み手の頭の中でAとBとを一瞬で結び付けさせてしまうという、考えようによっては、たいへんな荒ワザである。だが、文学にはそういう面もあるということだ。

 PISA読解力調査のテキストには、説明文や意見文(これは滅多にないが)はもちろんのこと、物語文であっても、「AだからB、BだからC、CだからD」というように、ジリジリと線をつないでいくような論理性が求められる。もちろん、特に物語文の場合は、この流れは必ずしも明示的なものでなくてもよく、暗示されているだけの部分があっても構わない。いずれにしても、この論理性があるからこそ、「A・B・Cの情報から、何が成り立つか?」(原因から結果の推論)や「Dを成り立たせるには、どのような情報が必要か?」(結果から原因の推論)という問いに、「文章にふれながら」答えさせることが可能になり、かつ自由記述であっても、わりと機械的かつ客観的に評価することが可能になるのである(4)。このようなPISA読解力調査で求められるような力も必要であるが、それ以外の力――一瞬の言葉の閃きを感得するような力も必要であるというのだ。

 坂口安吾は「FARCEについて」において、五十嵐力の著書からの引用として「古池や蛙飛び込む水の音 さびしくもあるか秋の夕暮れ」という短歌をあげている(5)。芭蕉の有名な句に下の句をつけた格好だ。気分と季節と時間帯が加わっているのである。これを見てびっくりしたのは、まず「さびしい」という気分。次は「秋」という季節。そして「夕暮れ」という時間帯。この解釈が正統的なものかどうかは知らないが、少なくとも私は芭蕉の句からぜんぜん違う光景を想像していた。それはともかく、坂口安吾は、この短歌が、言葉を費やしてまんべんなく説明しようとしたために、「結局芭蕉の名句を殺し、愚かな無意味なもの」にしてしまっていると批判している。一瞬の言葉の閃きに、点と点を結ぶ線は無用のようだ。だが、この芭蕉の句が欧米の言語に翻訳されると、「静かな池に、蛙(複数)が飛び込んだので、ボチャンと音がして静けさが破られたが、しばらくしてまた静けさが戻った」というように、言葉をまんべんなく費やして奇妙に論理的なものになってしまう。そうでなければ欧米人は理解できないのだという。まあ、このように翻訳されれば、芭蕉の名句もPISA読解力調査のテキストにも使えそうだが。

 猪瀬さんは、それ以外の力の必要性にふれながらも、「ぴざ的な力」の必要性も認めてくれた。ところが、石田衣良さんには真正面から否定されてしまう。これについては次回。

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(1) 週刊東洋経済「わかりあえない時代の『対話力』入門」第52回(2010年5月29日号)と第55回(2010年6月19日)
(2) たとえば「生きるための知識と技能―OECD生徒の学習到達度調査PISA2000年調査国際調査結果報告書」国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2002年など
(3) 東京MXテレビ「東京からはじめよう」(2010年5月1日放映)
(4) PISAの問いについては、第7回第8回を参照。
(5)『堕落論』p.17/坂口安吾/新潮文庫

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:生きるための知識と技能

2010年 4月 23日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第36回 生きるための知識と技能:「生きる力」としての「読む力」の実態

 PISAといえば「生きるための知識と技能」である。PISAの結果が発表されるたびに、そういう題名の本が当局から出されることからしても(*)、PISAといえば「生きるための知識と技能」であることがわかる。だから、PISAの読解力についていえば、「生きるための知識と技能」を読解力という観点で測定するということである。平たくいえば「生きるために読む」力のテストということだ。

 「生きるために読む」とは、どういうことか? ここでPISAの高級な部分のみ取り出せば、「テキストをクリティカルに読むことによって、よりよく生きる」というようなことになり、「クリティカル・リーディングが必要だ」というようなことになる。だが、PISAは高級な部分ばかりではない。いまやPISAの参加国は70を超え、OECD外の参加国のほうが多くなっている。そういった国々の中には、求人情報や製品情報をきちんと読めるかどうかが「生きる力」と直結しているところも少なくない。

 ここで「きちんと読める」という曖昧な書きかたをすると、大きな誤解を招く恐れがある。「きちんと読める」レベルは、国によって大きく異なるからだ。日本では考えられないほど低いレベル――「低いレベル」という言いかたは適切ではないかもしれない。言いかえるならば「サバイバル・レベル」?――で「きちんと読める」かどうかを試さなければならない国も数多く存在するのである。そして、そういう国もPISAに積極的に参加していたりする。よって、PISAにもそのレベルの問題が出題されていたりする。そして、そういう問題の全体に占める割合が、決して低くなかったりするのである。

 サバイバル・レベルの読解問題とは、一般的には次のようなものだ。

 たとえば牛乳のパッケージが課題文だったとしよう。サバイバル・レベルの場合、牛乳のパッケージのように、身の回りにあるもので何らかの情報の取り出せるもの、そして情報の取り扱いようによっては多少の危険やリスクをともなうものが使われる。

 まずは「この製品は何ですか?」を聞かねばならぬ。牛乳のパッケージなのだから牛乳に決まっているなどと考えてはならぬ。製品名が「牛さんのおくりもの」だったりすると、製品が何なのか迷う人がいるかもしれぬ。製品情報の「原材料:生乳」というところきちんと見て、適切に「推論」しなければならぬ。

 牛乳を買う場合、やはり「消費期限」や「賞味期限」を見なければなるまい。ということは、読解問題においても、「消費期限」や「賞味期限」について聞かなければなるまい。ここで聞くべきことは多い。「消費期限」や「賞味期限」は何を意味するのか? どう違うのか? 「消費期限4月30日」と書いてあったら、具体的に何をどうしなければならないのか? そもそも、なぜ「消費期限」や「賞味期限」が表示されているのか?

 このあたり、自由記述で答えるとなると、なかなか難しいものもある。だから、サバイバル・レベルの読解問題では、まず間違いなく多肢選択式の課題になる。

 〆の課題としては、たとえば「この製品を買ったら腐っていました。どうしたらよいですか?」というようなもの。実際には、もう少し具体的に聞く。「電話をする場合、どこに(どの番号に)電話したらよいですか?」「製品を取りかえてもらうためには、何をしなければなりませんか?」など。製品情報のところには、製品に問題があった場合の対処法について書いてあるので、そこをきちんと読めるかどうかを問うのである。

 PISAの読解力における「生きるための知識と技能」の底辺は、ざっとこのようなものである。もちろん、日本の国語教育の新たな方向性を見出していくのなら、底辺を見てもあまり意味はないかもしれない。だが、いわゆる「PISA型読解力」が、時としてコケオドシのように機能している現状を見るにつけ、その実態を知ることは必要だろう。

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(*) 『生きるための知識と技能』『生きるための知識と技能2』『生きるための知識と技能3』国立教育政策研究所編/ぎょうせい2002・2004・2007

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北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
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明解PISA大事典:PISA、言語力検定と日本の読解教育

2010年 4月 9日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第35回 PISAと言語力検定

 OECDの実施したPISAは日本の教育に大きな衝撃を与えたが、(財)文字・活字文化推進機構の実施した言語力検定(1)も、日本の教育現場にそれなりの衝撃を与えたようだ。現場の声で意外に多かったのが、「ふつうの国語ならできる子が、言語力検定はあまりできなかった。その一方で、ふつうの国語はあまりできない子が、言語力検定では意外にできている場合があった」というもの。

 (財)文字・活字文化推進機構の3月26日付プレス・リリースによると、言語力検定の合格率は、3級で全受検者の21.7%、4級で13.9%、不合格者64%(2)。どの級にも受かることなく、落ちてしまう割合のほうが圧倒的に高い。ふつうの国語(というのも奇妙ではあるが)ならできる子が落ちてしまって、ふつうの国語はあまりできない子が受かるという現象が起こったのだろう。もちろん、全体として見れば、「ふつうの国語ができれば、言語力検定もできる」というケースのほうが多かったはずだ。だが、よほど目立つかたちで逆転現象が起こったものと思われる。

 言語力検定は、作問と評価の方式と体制について、OECDのPISAを完全に踏襲するかたちをとっている。PISAに関する情報が限られている現状において、PISAの読解力調査の実際を知る、よい手がかりになるだろう。OECDのPISAと異なるのは、完全に日本人を対象とした作問であるということ。とはいえ、読解問題のレベルとしては、基本的にはPISAと同じ。つまり、「生きる力」としての読解力ということで、クリティカル・リーディングの問題として特に高度なわけではない。ところが、この連載でも、繰り返し述べてきたように「PISA型読解力=高度な能力」という認識が蔓延しているためか、受検した進学校を中心に面白い反応があった。

 ひとつは、大変な危機感を抱くパターン。これはまずい。これを機会に、ウチでもPISA型読解教育を始めなければ、と思い立つのである。

 この反応はよく理解できる。PISAの読解力調査で求められているような力、すなわち言語力検定で求められているような力は、もちろん進学校においても育む必要がある。ただ、あくまでも「足元を固める力」であることを忘れてはならない。ちゃんとした進学校であるならば、通常の国語の授業において、PISAの読解力調査や言語力検定よりも、はるかに高度なことをやっているのだから。

 もうひとつは「なんだこんなものか!」と拍子抜けするパターン。PISA型読解力というから、どれほど御大層なものかと思ったら、ぜんぜんたいしたことないじゃないか。選択問題は正答が自明なものばかりであるし(3)、自由記述問題にしても文中から適切な根拠さえ見つけられれば簡単に書けるものばかりだ。こんなことは、昔からウチでもやっていた、というのである。

 この反応は大変に正しい。何度でも言うが、言語力検定にせよ、その向こうにあるOECDのPISAの読解力調査にしても、このテの読解問題としては簡単なものなのだ。ただ、ちゃんとした進学校ならば、中学生にせよ高校生にせよ、全員が合格するくらいでなければ、これからの多様化・複雑化・グローバル時代のリーダーを育むのはおぼつかない。

 何年か前、あるテレビ番組で(これから述べる肝心の部分は編集で切られてしまったので、番組名は伏せる)、PISAのサンプル問題をスタジオの大学生たちに解いてもらい、その場で正答例と誤答例をとりあげて解説したことがある。有名大学の学生ばかりだったが、正答と誤答の割合は半々くらいだったか。そのあと、記述問題の考えかたについて簡単に説明したところ、司会のKさん(劇団主宰者)が「おれ、コツわかっちゃったぞ。これ、コツがわかれば、簡単に答えられるぞ」とおっしゃって、用意していたすべての問題について、即座に模範解答となるような正答を連発されたことがある。Kさんがとても頭のよい方である点を差っ引いても、実はPISAの読解力調査程度の問題であれば、コツさえ知っていれば簡単に解けてしまうものばかりなのだ。

 では、コツさえ教えれば、日本の子どもたちもPISAで一位になれるではないか――PISAで国際順位を上げることだけを考えれば、確かにそのとおりである。だが、この連載で綿々と述べてきたように、問題の所在を考えれば、日本がその選択肢をとらなかったのは賢明であった。

* * *

(1) (財)文字・活字文化推進機構が実施する検定で、PISA型読解力の測定を目的とする。1級(大学生・社会人対象)~6級(小学校中学年対象)の級判定をする。昨年10月~11月に第一回を実施。初年は3~4級(高校生・中学生対象)のみ実施。受検者は9984名。
(2) 3級と4級は同一の問題を用い、得点率に応じて3級合格あるいは4級合格の判定がなされた。
(3) PISAにおける読解力の選択問題には、いわゆる「ひっかけ問題」が存在しない。そのため、ややこしい選択肢を見慣れた日本人の目には「正答が自明な問題」ばかりに見えるのがふつうである。

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明解PISA大事典:高度ながら知識不問の「PISA型」問題

2010年 3月 5日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第33回 笑話による問題解決型読解教育

 前回はフィンランドの「分離・融合方式」について紹介した。分離段階(小学校5年生くらいまで)においては、相当に仕組まれた素材文を用い、学年相応の知識と経験のみを駆使してクリティカルに読むことが求められる。要するに、自分たちと同じような登場人物が、自分たちも経験したことのあるような問題に遭遇し、自分たちもやりかねない方法で解決する物語を読んで、ああだこうだと意見を言い合うようなやりかたである。いわゆる「PISA型読解力」を容易に習得できる方法ではあるが、「深さ」の感じられる方法ではないため、日本の国語の先生にとっては物足りなく感じられるようである。

 とはいえ、やりかたによっては、けっこう手ごたえのある課題を設定することもできる。

 一例を挙げよう。小学校3年生用の教科書に掲載されている事例である(1)

物語「くらのとびら」のあらすじ
 おまぬけ村のお父さんとお母さんの話である。お父さんは、野良仕事をしている間に蔵のお金がドロボウに盗まれるのではないかと心配していた。そこで、お母さんに、家事をしながら蔵の扉を見張っているように命じた。お母さんは蔵の扉を見張っていたが、話し相手のお父さんがいないので退屈である。畑に行けばお父さんと話せるのだが、それでは蔵の扉を見張ることができない。そこで、お母さんは蔵の扉を取り外し、それを背負って畑に行くことにした。お父さんはお母さんが畑に来たのでびっくりしたが、お母さんが蔵の扉を見張っていることがわかったので安心した。野良仕事を終え、家に帰った二人はびっくりした。蔵のお金がすっかり盗まれていたからである。

〈問題と解決〉
◎お父さんにとっての問題と解決
お金を盗まれるのではないか⇒お母さんに蔵の扉を見張っていてもらう。
◎お母さんにとっての問題と解決
退屈である。しかし蔵の扉を見張らなければならない⇒蔵の扉を背負って畑に行く。

 このように各人が各人の問題を解決しているにもかかわらず、大前提が崩れてしまった、つまり盗まれてはならないお金が盗まれてしまったのである。「おまぬけ村(Hölmölä)」の物語というのは、フィンランドでは定番の民話型笑話であり、だいたいこのパターンで笑いをとることになっている。

 この物語について、通常の問題解決型読解の方式(2)で話し合ってもあまり意味はない。「お金を盗まれてはならない」という大前提のもとで、「ほかに解決策はありませんか?」「あなただったらどうしますか?」と考えさせたところで、おまぬけ村の住人のようなアホな解決策をとらなければよいだけだからである。もちろん、小学校3年生が対象の課題なので、一応は確認のために「お金を盗まれないためには、どうすればよかったのですか?」と聞くことにはなっているが……。

 このように笑話が素材文の場合は、あくまでも笑話のルールに則って問題解決思考をすることになる。つまり「笑話になるように、ほかの解決策を考えなさい」というのが、この素材文を用いた場合の最終課題である。登場する各人が各人の問題を真面目に解決したにもかかわらず、そのために大前提が崩れるような解決策――お父さんかお母さんの解決策を考えなければならないのである。

 さて、この「おまぬけ村」の物語では、ほかにどのような解決策があるだろうか?

(解答例は次回)

* * *

(1) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp82-83 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
(2) 問題解決型読解については第16回を参照。

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明解PISA大事典:クリティカルリーディングと知識

2010年 1月 29日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第31回 苦悩は続く――「知識」と「批判」の相克

 「知識を有すること」と「クリティカルに読むこと」の二者は本来は対立的なものではないのだが、指導においては意外にバランスをとるのが難しい。

 作者や作品の背景について何も知らぬまま、その作品についてクリティカルに論じたところでなんだか空しい。底の浅い議論にしかならない。だが、その「底の浅さ」を嫌って、まずは「きちんと読めること」を重視して精読を励行し、ついでに知識の注入も十分に図ろうとすると、クリティカルに読む時間がなくなってしまう。さらに、「きちんと読めもしないし、ロクに知識もないくせに、クリティカルに読むとはナマイキな」という感情的要素が加わると、いつまでたってもクリティカルに読むことは始まらない。どのくらいきちんと読めて、どのくらいの知識があれば、クリティカルに読んでもナマイキではなくなるのかが判然としないからだ。

 PISAが「知識を問うテスト」ではないことを売り物にしているのは、これまでに何度もふれてきたように学力観の転換を示すものである。とはいえ、当たり前のことではあるが、まったく知識ゼロの、さっき生まれてきた赤ン坊のような状態を想定しているのではなく、15歳の人間であれば当然有するであろう知識の存在は前提とされている。

 ただ、国際テストという性質上、その「当然有するであろう知識」の想定レベルは、どこの国の国内テストと比べても低いものに設定せざるをえない。同じ15歳であっても国が違えば、何についてどのくらい知っているかのレベルは大きく異なるからだ。特に読解力のように、それぞれの言語文化に依存する部分が大きく、数学や科学とは異なり国際的なきまりごとのほとんどない分野においては、「当然有するであろう知識」の想定レベルはどんどん下がっていく(1)

 フィンランドで教科書執筆者として有名なメルヴィ・バレさん(2)は「PISAの読解力の問題は悪くはないが、国語の問題としてのレベルは低いと思う」と述べている。「あの程度の問題なら、フィンランドだったら小学校4年生か5年生あたりを対象にすると丁度よいくらいではないか」というのである。

 なにやら傲慢な発言のようにも聞こえるが、PISAの発問形式はフィンランドのそれとほとんど同じであり、素材文を読み解くのに背景知識は必要ないとなれば、確かに小学生でも十分に対応可能であろう。逆に、PISAの発問形式と日本のそれは大きく異なり、素材文や発問のウラに思いを馳せなくてもよいとなると、日本では15歳の子どもはもちろんのこと、大人であっても戸惑ってしまうのは当然だろう。

 このような背景があるために、PISAの読解力の問題を「クリティカルに読む」授業のお手本にしてしまうと、いろいろと困難に直面することになる。前回もふれたように、「文中から根拠さえ挙げられれば、どれほど素頓狂な解釈をしてもいい。どれほど非常識な意見を言ってもかまわない」という方向に進んでしまうことさえある。PISAの読解力のように知識を極小化して、テキストから得られる情報のみを頼りにしてしまうと、なんだか空しく、底の浅い議論になってしまうのだ。

 では「知識を有すること」と「クリティカルに読むこと」のバランスは、どのようにとっていけばよいのだろうか? 次回は、この点について、フィンランド国語教育の解決策を紹介することにしよう。

* * *

(1) とはいうものの、欧米の文化に関わることについては、少なくとも日本人からすると相当に高度な知識の存在を前提としているように感じられる。欧米寄りのグローバル・スタンダードという、経済外交ではありがちなことではあるが、とりあえずは「不公平だ」と主張し続けたほうがよいのではないか。この問題については第2回を参照⇒「第2回 PISAはグローバル・スタンダードなのか?」
(2) メルヴィ・バレさんについては第27回の注を参照⇒「第27回 フィンランド紀行7」の注へ

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明解PISA大事典:「外交官に育てるような教育」のワケ

2009年 12月 18日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第28回 フィンランドから日本へ

 前回、フィンランドの国語教育について「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」と書いた。これは外交官の目で見た場合の正直な感想である。その時点では、このような教育が日本で必要かどうかなど考えもしなかった。「フィンランドでは、こういう教育が必要なんだろう」と思った程度のことである。

 フィンランドを専門に担当してきた外交官の観点からして、「フィンランドでは、こういう教育が必要なんだろう」と考えたのには理由がある。

 東西冷戦時代、フィンランドは東欧と西欧の狭間で苦難の歴史を歩んできた。国際紛争からの局外中立を志向しつつ、現実にはソ連と密接な関係を保たざるをえなかったあたりに、綱渡りのような外交戦術があったのだろうと推察される。なぜ「推察」しかできないのかというと、ソ連が存在したころ、フィンランドとソ連の間の重要なことは、両国の偉い人同士がクレムリンでゴニョゴニョ密談しただけで決まっていたらしいからだ。

 このような背景があるため、フィンランド人というと「外交戦術に長けた、したたかな人々」というイメージがある。だから「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要なような気もする。ただ、現実にどうだったのかは、クレムリンをのぞくわけにもいかないので分からなかったのである。

 このイメージが崩れたのは、1995年にEUに加盟したときだ。EU議会に出席したフィンランドの代表団はロクに発言することもできず、欧州各国から「フィンランド代表は何も発言せず、自分たちだけで『暗号』で会話していた」と揶揄されたのである。そこには「外交戦術に長けた、したたかな人々」というイメージのかけらもなかった。ただ、そのような弱点が白日のもとにさらされたからこそ、逆に「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が最近になって行なわれるようになったのではないかと考えたものである。

 いずれにしても、外交官時代の私は、当初は「フィンランドだからこそ、こういう教育が必要なんだろう」としか考えていなかったのである。

 ところが、これまでのような経緯からフィンランドにおいて教育の勉強を始めてみて、(ただの外交官にしてみれば)驚くべきことが分かってきた。世界のグローバル化が進みつつある昨今(90年代後半のことである)、どの国においても「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要だというのである。むかしは外国に出て活躍するような人だけが、そういう教育を受ければよかった。だが、いまは自国から外国に出るまでもなく、外国から自国へと人々がどんどん流入する時代なので、国民のだれもがそういう教育を受けなければならないというのである。多文化が共生していくためには、言語のチカラの「無限ループ」(第26回参照)を誰もが自覚しなければならないというのである。

 この点に関しては、移民が数多く流入し、また欧州各国間でも人々の流動の激しいヨーロッパ特有の問題のようにも感じられる。だが、日本もグローバル化する世界の一員であり、また少子高齢化による労働人口の減少から外国人労働者を大量に導入する必要性も言われており、決して他人事ではないのである。

 また「外国」という要素を除外したとしても、特に先進各国の成熟した社会においては、たとえばフィンランド人同士であっても価値観の共有が期待できなくなりつつある。価値観がばらけてしまって多様化し、フィンランド人同士であっても外国人とコミュニケーションを図るような感覚が必要であるというのだ。文化と歴史を共有する同士であっても、ある意味での「多文化共生」の感覚が必要であるというのだ。そのためにも「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要だというのである。

 この点に関しては、日本でも徐々に実感されるようになってきた。もはや日本も、かつての高度成長期のように皆で心を一つにして一つの目標を目指すような社会ではなくなりつつある。明らかに価値観がばらけて多様化しつつある。

 なるほど、これからの日本においても「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要なのだな――そう思いつつ、日本の教育に改めて接してみて、心底からびっくりした。少なくとも世紀の変わり目のあたりの日本の教育界では、そのような危機感はほとんど存在しなかったからである。

 これはなんとかしなければならないな――そう思いたって、現在に至るのである。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
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明解PISA大事典:異文化コミュニケーションのカギ

2009年 12月 4日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第26回 フィンランド紀行6

 「なぜ外務省を辞めて教育の世界に入ったのか?」ということをよく聞かれる。外務省を辞めた理由は多々ある。ありすぎて書ききれない。だが、教育の世界に入った理由は単純である。フィンランドの教育を見てしまったから――これが最大の理由である。

 これまでの「フィンランド紀行」でも紹介したように、フィンランドの教育というのは世間で言われているほどには大したものではない。いや、フィンランド教育に幻想を抱いているのはこちらの勝手であり、このような言い方はフィンランドに対して失礼であろう。フィンランドの教育も日本の教育も、それぞれがそれぞれの問題を抱えて苦しんでいるという点ではまったく同じなのである。

 では、なぜフィンランドの教育を見てしまったことが、外務省を辞めて教育の世界に入ることにつながるのか?

 話はいったんフィンランドから離れる。

 私が外務省に勤めていた当時、つまり冷戦末期から90年代にかけて世界は混沌とした状況にあった。崩壊寸前のソ連の周辺では新たな国がボコボコと生まれ、対等な権利を主張しつつ、莫大な援助を望んでいた。そういう「予想外の国の人々」とやりあっていくうちに、異文化コミュニケーションについて様々な気付きが生まれる。

 最初に気付くのは「言わなければ分からない」ということ。当たり前のことではないか――と思われるかもしれないが、「予想外の国の人々」とやりあっていると、その当たり前のことをイヤというほど実感するのである。価値観が大きく異なるのはもちろんのこと、どうやら常識も大きく違うようであり、そこに様々な利害がからんでくると、言ったからといって分かるとは限らないが、少なくとも言わなければ絶対に分からない。「アウンノコキュウ」などというものはどこを探しても見つからない。

 次に気付くのは、「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」ということ。相手はシベリアに延々と抑留された末に、ほとんど丸腰でソ連軍と戦いながら独立を勝ち取ってきた人々である。こちらが一生かかっても経験しないようなことを、毎日のように経験してきたのである。相手がわけのわからないことを言ってきたとしても、きっと何か理由があるのだろう。まずは受け止めるしかない。こちらも言いたいことを言いまくるかわりに、相手にも言いたいことを言いまくらせるしかない。

 だが、これら二つの気付きには、必ず相反する気付きがくっついてくる。

 「言わなければ分からない」のだから、いちいち分かりきった(と、こちらが思っていること)まで言わなければならないのだが、困ったことに言葉ですべてを言い尽くすことは不可能なのである。言葉には限界があるのだ。言葉で言い尽くそうとすればするほど、言葉の限界をイヤというほど思い知るのである。

 「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」といいつつも、結局のところ自分の知識と経験と関連づけて理解することしかできない。自分の理解力にも限界があるのだ。受け止めようとすればするほど、「とても自分には理解できない」ということをイヤというほど思い知るのである。

 これらの気付きから、最後の気付きが生まれる。

 やはり分かり合えないのか?

 そう、たぶん分かり合えないのである。それでもなお、国際社会を維持していくためには、そういう人々とも言葉で繋がっていくしかない。言葉で繋がっていくためには「言わなければ分からない」。しかし「言葉には限界がある」……という具合に、無限のループに落ち込んでしまうのだ。

 では、この無限のループに落ち込んで困ったのかというと、まったくの逆であった。無限のループに落ち込んでからというもの、「予想外の国の人々」との話が実にスムーズに進むようになったのである。おそらく、様々な気付きを経て、この無限のループに落ち込むことに異文化コミュニケーションのカギがあるのだろう――。

 ここで話はフィンランドに戻る。

 なぜ、フィンランドの教育に出会ったから、教育の世界に入ることにしたのか? それはフィンランドの教育を見て、びっくりしたからである。なぜ、びっくりしたのか? それはフィンランドの教育では、この無限のループの気付きに基づく教育をやっていたからだ。それも国際理解教育などではなく、ごく普通の国語教育(正確には『母語と文学教育』)でやっていたのである。

 なぜフィンランドはそのような教育をやっているのか? 具体的にはどのようにやっているのか? これについては次回以降で紹介することにしよう。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
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明解PISA大事典:生きる力「PISA学コトハジメ 其ノ壱」

2009年 7月 24日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第12回 PISA学コトハジメ 其ノ壱

 先日、永田町で講義をしてきた。主催はEUIJ早稲田(1)。もともと教育関連の議員さん対象の講義だったのだが、政局がこのような具合なので不調。議員さんの活動を支える方々対象の講義となった。内容は、OECDやEUの教育施策について、日本やフィンランドの取り組みを通じて概観するというもの。これはPISAの背景事情の概観でもあるので、今回は講義のサワリを再構成して紹介することにしよう。

 PISAは「各国の子どもたちが将来生活していく上で必要とされる知識や技能が、義務教育修了段階において、どの程度身に付いているかを測定することを目的としている」(2)。要するにPISAで測定する「学力」とは「生きる力」ということだ。

 なぜ「生きる力」が「学力」ということになったのか?

 従来、どの国においても(少なくとも先進国においては)「学力」といえば「学問的な力」を意味した。「生きる力」という発想もあるにはあったが、「学問的な力」の副産物程度のものと考えられていた。「学問的な力」を身につけるには、まずは基礎知識を積み上げなければならない。だから、特に義務教育段階においては、より多くの知識を覚えこむことが「勉強」であり、覚えこんだ知識の量が「学力」だったのである。

 ところが、1980年代から90年代にかけて状況が大きく変わった。どの国の社会も、少子高齢化、在留外国人の増加、価値観の多様化などによって激変した。世界も、冷戦構造の崩壊、グローバル化とローカル化の同時進行などによって激変した。世界の激変は、各国の社会をますます不安定にする。こうして、どの国の社会も「急激かつ予測不能な変化をするもの」へと変貌したのである。

 「急激かつ予測不能な変化をする社会」においては、過去に集積した知識は役に立たなくなる場合が多い。今日と同じ明日が来るとは限らないからである。過去に集積した知識で、現在と未来の問題に対処しようとする姿勢自体が、徐々に時代にそぐわないものになっていった。

 ここで学力観の転換が必要になる。このような状況において、学校教育が知識の詰めこみに終始しているようでは、学校と社会がどんどん乖離してしまうからだ。学校で習ったことが社会ではぜんぜん役に立たない。それなら学校でがんばって勉強しても仕方ない――という具合に、「学び」に対する無気力層が拡大してしまうからだ。

 「急激かつ予測不能な変化をする社会」においては、知識を多く持っていることよりも、必要に応じて知識を取得できる能力のほうが重要である。また、知識はただ持っているだけでは意味がない。必要に応じて知識を使いこなす能力のほうが重要なのである。

 「生きる力」という観点からすると、過去に集積した知識の量が「学力」なのではない。必要に応じて知識を取得し、それを活用する能力が「学力」なのだ。

 また、「急激かつ予測不能な変化」に対応するためには、常に学び続けなければならない。学び続ける人こそ、社会がいかように変化しようとも対応できる人材なのである。

 「生きる力」という観点からすると、“これまでに何を学んだか”という過去の実績よりも、“これから何を学ぶか”という未来への意欲のほうが「学力」なのだ。

 PISAの問題は、すべてこの学力観に基づいて作成されている。たとえば読解力であれば、単純に知識の有無を問うことはなく、テキストに含まれる情報と自分自身の経験とを結びつけて推論を積み重ね、一定の条件下で主張を構成していくことを求めている。まだまだ模索段階ではあるが、この方針は原則として貫かれているのである。

 ご存じのとおり、日本の教育においても「生きる力」は重視されている。ただ、日本のように長くて重たい伝統を持っている国の場合、伝統の継承に関わる知識の集積も軽視はできない。“変化に対応する力”も重要なのだが、伝統を継承するために“変わらぬ力”も重要なのである。結局はバランスの問題なのだが、これについてはいずれ回を改めて論じることにしよう。

* * *

(1) 2009年4月、駐日欧州委員会代表部と早稲田大学との協力によって開設された研究交流機関。日本とEUの学生や研究者の相互交流による人材の育成と研究の発展を目的としている。EUIJはEU Institute in Japanの略。
(2) 『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p003/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年

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著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
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明解PISA大事典:PISAの発問と指導、評価「PISAの悲劇」

2009年 7月 10日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第10回 PISAの悲劇

 PISAは嫌われている。けっこう嫌われている。

 理由はさまざま。だが、PISAというと「世界はこうなっている。だから日本もこうすべきだ」という論法が見え隠れするあたりが大きいように思う。

 この論法は日本政府の常套手段だった。正確には外務省の常套手段だった。長くて重たい伝統をもった日本はそうそう簡単には変わらない。だから外圧を使って変えようというのである。これは日本人の同調性を利用した部分もある。日本人の習性からして、「みんながそうしていますよ。そうしていないのは日本人だけですよ」と言われると不安でたまらなくなるからだ。

 だが、最近は外圧も通用しなくなりつつある。それどころか「ここは日本だ」という感情的な反発を招きやすい。PISAに対しても同様の反発がいまだに消えない。

 PISAというと「国際的に通用する能力」というような文脈で語られることが多いが、これは得策ではないと思う。どこの国の人にしても基本的には国内的に生きているのであって、国際的に生きているのではない。国際的に通用する能力など必要ないのである。だから、PISAで求められている能力についても、その能力が今後は国内的に必要になることを力説すべきなのだ(*)

 PISAがいきなり測定から始まったことも不幸であった。本来ならば、まず指導があって、それから測定というのがスジだろう。誰だって習っていないことについて、いきなりテストをやられたら文句のひとつも言いたくなる。子どもならば確実に「まだ習ってませ~ん」と文句を言う。

 PISAがいきなり測定から始まったにもかかわらず、いわゆる「PISA型読解力」なるものの指導が奨励されたことも不幸であった。熱心な先生たちは、公開されたPISAのサンプル問題から、その背景にある指導法を推理しなければならなくなったのである。(さらにいえば、公開されたサンプル問題が欧米型の読解問題としては出来の悪いものばかりだったことも不幸であった。もしかすると出来が悪かったからこそ、サンプルとして外部に放出されてしまったのかもしれない⇒第14回「PISAサンプル問題を評価する」へ)

 当然のことながら、指導のための発問と測定のための発問は違う。また、指導は発問だけで成り立っているわけでもない。PISAのサンプル問題から指導法を推理するのは至難のわざであったに違いない。ほとんど不可能であったに違いない。

 この連載でも繰り返し述べてきたように、PISAの読解力は欧米型の読解教育を基盤にしている。だから、その指導法を知りたければ、サンプル問題を参考にするよりも、むしろ欧米型の指導法を参考にしたほうが早道だろう。もちろん日本と欧米とは違うのだから、欧米の指導法をそのまま取り入れても仕方がない。あくまでも参考にするのである。

 前回まで3回にわたってPISAの発問について説明してきたが(情報の取り出し解釈熟考と評価)、あれも基本的には測定のための発問についての説明であった。今後は具体的な指導法について、欧米での指導事例などを紹介しつつ説明していくことにしようと思う。

* * *

(*)このあたりについて詳しくは拙著『ニッポンには対話がない』(平田オリザ氏との共著/三省堂 2008年)を参照されたい。

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明解PISA大事典:PISA型読解力「PISA型読解力はなかった?…」

2009年 6月 12日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第6回 PISA型読解力はなかった? PISAをめぐる誤解あれこれ

 PISA型読解力など存在しない――と言うとびっくりするかもしれないが、事実なのだから仕方がない。そのようなものはハナから存在しないのである。

 PISAの読解力は、欧米ではありがちな「reading」の問題である。決してPISA特有のものではない。私の翻訳したフィンランドの国語教科書を見て「さすがPISA型読解力の発問ばかりだ」と感心する方々がいる。しかし、あれが欧米では普通なのだから感心するだけソンなのだ。このことは日本のPISA読解力班主査の有元秀文先生が最初からおっしゃっているのだが(1)、意外に浸透していない。

 これまでにも述べてきたように、PISAの読解力は多文化主義をとることによってグローバル・スタンダードを目指している。その点で特異といえば特異である。だが、この「グローバル・スタンダード」という言葉が新たな誤解を生んだ。

 私たちは「グローバル・スタンダード」というと、なんとなく高度なものを想像しがちである。PISAの読解力の問題も、形式は一般的な欧米型であるにしても、内容は高邁であるような気がしてしまう。

 ところが、欧米型の「reading」の問題として見た場合、PISAの読解力は決して高度な内容ではない。おおざっぱな表現だが、欧米各国の「reading」の問題と比較すると、PISAは明らかにカンタンなのである(2)

 グローバル・スタンダードの設定が多文化主義によって最大公約数的なものにならざるをえない以上、これは当然の帰結といえる。素材文の受け止めかたが文化によって異なるのだから、あまり突っ込んだ質問はできないのだ。

 もうひとつ、「グローバル・スタンダード」というと、万国共通の公平中立なものだと思うかもしれない。これも国際社会の現実からすれば大きな誤解である。

 さまざまな分野に「グローバル・スタンダード」が存在するが、その設定にあたっては各国の思惑や利害が真正面からぶつかりあう。だいたいは強者の論理が強烈に反映され、それに対して弱者が異議を唱え続けるという構図になりがちである。

 これはPISAにおいても例外ではない。この連載の第2回に「欧米のスタンダードを『グローバル・スタンダード』というのはおかしい」と異議を唱えた話を書いた。だが、そもそも「グローバル・スタンダード」とは、その程度のものなのである。欧米寄りの設定に異議を唱える日本もいれば、そういう設定だからこそ頑張る韓国もいるということだ。

 ただ、PISAを「欧米諸国が手前勝手に実施しているテストに日本が無理に参加して、悪い点をつけられて返されている」ととらえるのも大きな誤解である。

 2006年調査のOECD・PISA運営理事会の議長は日本人だし、国際調査実施の中枢機関である国際コンソーシアムには日本の国立教育政策研究所も名を連ねている(3)。日本はPISAの単なる受検国ではなく、むしろ主催国なのである。

 このようにPISAに関する誤解は数多い。これらの誤解を解くことによって、かえってPISAの意義に疑問を抱いた方もいるかもしれない。

 たしかにPISAの読解力は欧米型の読解問題である。しかも突っ込みの足りない問題である。だが、スタンダードが欧米寄りに設定されたという事実は、むしろ世界の現実を強烈に反映したものともいえる。突っ込みの足りない問題なのも、世界中のありとあらゆる子どもを視野に入れたテストなのだから、当然といえば当然なのである。また、一見すると突っ込みの足りない問題であっても、国内では見落とされがちな「国際的な能力」を求めている場合があるので注意を要する。これについては今後の連載の中で徐々に明らかにしていくことにしよう。

 PISAの現実に失望したかもしれない。だが、PISAの現実は世界の現実なのである。

* * *

(1)たとえば『国際的な読解力を育てるための相互交流のコミュニケーションの授業改革』序文(ii) 渓水社 2006年
(2)たとえばアメリカのNAEP(全米対象の学力調査)「reading」の問題(http://nces.ed.gov/nationsreportcard/reading/)を参照されたい。
(3)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p007/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年

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