シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第八回:トナカイが魚を食べる!?

2017年 11月 10日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第八回: トナカイが魚を食べる!?


雪上に魚が置かれている漁場の風景

 一般的に、トナカイは「草食動物」といわれます。確かに植物食性が強い動物ではありますが、まったく動物等を食べないというわけではありません。彼らにとってたんぱく質も必要であるし、動物性たんぱく質の消化も可能です。野生トナカイも家畜トナカイも、通常、ツンドラゴケや樹木に生えるコケ、草、ベリー、キノコなどを主に採食しますが、まれにレミング(キヌゲネズミ科)等を捕食することもあります。また、動物園ではトナカイに魚粉を含んだ配合飼料が与えられています。そもそも、トナカイは繊維の多い草本を消化するために反芻(はんすう)するので、植物と一緒に自らの第1胃の微生物も食べています。このように、自然は「肉食動物」に対する「草食動物」というように、明確な二項対立にはなっていません。

 さて、トナカイが動物を食べることもあるということが分かったところで、今回は西シベリアのオビ川中流において、トナカイが魚を食べるという興味深い事例を紹介したいと思います。魚を食べるといっても、トナカイが自ら魚を捕食しているのではなく、人間が漁撈(ぎょろう)を行って獲得した魚を家畜トナカイに与えています。なぜそのようなことをするかというと、それはトナカイの群れを管理しやすくするためです。


魚を入れた袋を持つ人を追うトナカイ

 西シベリアには低地が広がり、湖沼が無数に分布し、そのあいだを河川が蛇行しています。その内水面域には淡水魚が豊かに繁殖しています。ハンティたちはその淡水産資源を重要な糧として生活してきました。現在でも森に暮らす人々の多くは家庭で食べるために漁撈を行っています。そうして得た魚の余剰をトナカイに給餌しています。

 基本的にはトナカイは放牧中にツンドラゴケや草を採食しますが、群れが放牧から帰ってきたときや群れを誘導するときなどに、カワカマスやフナ類の淡水魚をトナカイに与えます。与える魚は、生魚、凍った魚、燻製や干し魚です。前回、放牧作業は意外とたいへんな仕事と言いましたが、魚を餌付けすることによって放牧活動がしやすくなります。例えば、群れを牧柵の中に誘導するとき、バケツ一杯の魚を牧柵の中へ投げ入れます。そうするとトナカイたちがスムーズに牧柵に入っていきます。別の例では、特定のトナカイに日頃から優先的に魚を与えておき、そのトナカイ自身に群れを先導させます。この先導トナカイは飼い主の住処に帰れば魚を与えられることが分かっているため、牧夫が放牧した群れを探しに行かなくても、群れを連れ帰ることがあります。


魚を食べるトナカイ

 このように、ハンティたちはトナカイ牧畜と漁撈の両方を営み、豊富な淡水産資源を牧畜に利用しています。この地域ならではの牧畜技術によって、自然界ではなかなか結びつかないトナカイと魚が人を介して結びつくという面白い事象がつくりだされています。

ひとことハンティ語

単語:
読み方:エプセン!
意味:おいしい!
使い方:食べたものがおいしかったときに言います。「Ям!」(読み方:ヤム、意味:良い)だけでも、何か食べたときに使用すれば、「おいしい」という意味になります。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

今回は「トナカイが魚を食べる?!」という興味深いタイトルです。自ら捕食するのかな、と予想しながら読み進めましたが、トナカイを管理するために人間が余剰を給餌しているのですね。意外な事実でした。次回は12月8日に更新予定です。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第七回:トナカイの放牧

2017年 10月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第七回: トナカイの放牧


トナカイを追うためにスキー板を履いた牧夫

 前回のエッセイで述べたとおり、野生トナカイも家畜トナカイも季節移動を行います。牧夫たちは一年をとおしてトナカイ群とともに移動して群れを管理していますが、彼らの仕事はそれだけではありません。牧夫たちには毎日トナカイが餌を食べられるようにするという仕事もあります。宿舎の中で飼育し、配合飼料や干草等の餌を与える現代の畜産業とは異なり、シベリアではトナカイたちを囲いのない牧野に放ち、自ら餌を探して食べてもらうようにします。毎日トナカイたちは草やコケを食べるために森の中やツンドラをあちこち歩き回ります。牧夫たちは、夕方トナカイを牧柵や橇(そり)をひく役目から解放して、翌朝トナカイを迎えに行きます。解放されたトナカイ群たちは群れで行動します。彼らは一晩中自由によい草やコケ等を探して歩いたり、それらを食べたり、反芻(はんすう)したり、寝たりします。このようにトナカイに採食行動させるために牧野に放つことを放牧といいます。

 ヒツジやウシ等の放牧では、ふつう日中に牧夫が群れにずっと付いて放牧を行い、夜間は住居近くの牧柵にいれておきます。しかしトナカイ放牧の場合、牧夫は群れに付いて行きません。柵のない広大な森に放つだけです。トナカイは天幕や家屋から数キロメートルから数十キロメートルという広い範囲で採食行動します。そのため、トナカイの群れを探し出して自宅の牧柵や決めた場所まで連れて行くことは誰にでもすぐできるような易しいことではなく、知識と経験が必要です。


採食するトナカイたち

 解放されたトナカイは好きな方向へ好きな距離を行くため、群れがいる場所は毎朝異なります。どのように群れの場所を突き止めるかというと、冬は徒歩で雪上の足跡をたどってトナカイを探します。毎日トナカイは歩き回るので、雪上に足跡が数多くあります。その中から昨晩ついた新しい足跡を見つけます。新しい足跡はまだ固まっていないため柔らかいのが特徴です。しかし、天候によっては見分けが難しく、牧夫ですら正しく見極めることができないことがあります。また、正しく見極めたとしてもトナカイたちがさらに遠くへ高速で走り去ってしまう場合もあります。さらに、西シベリアは平坦な土地と見通しの悪い常緑針葉樹林帯が広がっているため、高い丘に登って群れを探すということもできません。そのため、5時間以上も深い雪上を歩かねばならないときもあります。群れが遠くへ行ってしまった際には厳冬期でも3、4日間野宿して探すことも珍しくありません。


群の後ろを歩いて帰宅をうながす

 群れを発見した後は、トナカイを自宅の方へ連れて行きます。トナカイを追い立てる作業の基本は、群れの後ろから歩くことです。トナカイは後ろから追われると反対に前に進みます。それと同時に声や口笛で進む方向を支持したり、牧畜犬に群れの周囲を見張らせて、群れがバラバラにならないように密集させたりします。トナカイの群れはちょっとした刺激ですぐに分散してしまったり、遠くへ走り去ってしまったりします。牧柵の手前でトナカイが逃げてどこかへ去ってしまうこともよくあります。牧畜というと田舎ののどかなイメージがあるかもしれませんが、このようにトナカイの放牧は意外と肉体的にも精神的にも疲労する緊張感のある仕事という側面もあります。

ひとことハンティ語

単語:Щити ям!
読み方:シーティ ヤム!
意味:とても良いです!
使い方:相手が言ったことに対して、賛成や称賛、肯定、好感などを表すときに使います。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

前回はトナカイの習性や生活についてでしたので、今回はトナカイ牧夫の仕事です。牧夫の作業はのどかでのんびりしたイメージがありましたが、柵のない広大な森に放したトナカイを管理するのは想像以上に知識と経験、そして体力と精神力が必要ですね。トナカイと自然と共存するために、それぞれの特性を受け入れながら生きる牧夫たちの様子を紹介していただきました。次回の更新は11月10日を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第六回:トナカイ群の季節移動

2017年 9月 8日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第六回: トナカイ群の季節移動


ツンドラゴケを探すトナカイ

 トナカイは年間で数百kmから数千kmも移動します。トナカイは群居性が強く、通常の群れの規模は数頭~数百頭ですが、大移動時には多ければ数万頭になることもあります。何を求めて移動するかというと、そのひとつは採食です。西シベリアの場合、トナカイは主にツンドラゴケや樹木に生えるコケ等の地衣類、草本、ベリー類、キノコなどを食べます。大きな群れが同じ場所で植物を食べ続けると、すぐに食べ尽くしてしまって、食べる物がなくなってしまうので、次の新しい場所に移動します。

 トナカイは植物を全部食べてしまわずに、根元を食べ残すので、その場所の植物は再び成長していきます。そのほか、トナカイは暑さや蚊を避けるためや繁殖行動のためにも移動します。夏は気温が低い北の方へ移動し、冬は南の方へ移動する経路、夏は標高が高く涼しい山の上へ移動して、冬は平地に戻ってくる経路もあります。また、夏の北ユーラシアは蚊が大発生するので、涼しくかつ蚊の少ない風通しの良い海岸や山頂へ移動します。どのように、どのくらい移動するかは、それぞれの地域の地形や自然環境によって異なります。


群を移動させる牧夫たち

 人が飼育している家畜トナカイもこのように季節的に移動し、群れと一緒に牧夫たちも住む場所を変えていきます。このように、季節的に家畜とともに移動することを、文化人類学の生業研究では季節移動と呼んでいます。年中天幕に住み、長距離季節移動しながら暮らす地域もあれば、森の中に固定的な木造家屋を間隔をあけて数軒所有して、ある家屋から別家屋へという移動を繰り返す比較的短距離の季節移動を行う地域もあり、季節移動の形態はさまざまです。


スィニャの位置(クリックで拡大)

 筆者はトナカイ牧畜調査のためにスィニャという場所に滞在しました。そこでは5組の夫妻で1400頭のトナカイを管理していました。彼らは、11月~3月の冬の間はオビ川近くの平地に天幕を張り生活します。日照時間が長くなってくる3月末には大移動を始め、8月はなんとウラル山脈の山頂まで行き、過ごします。9月にはウラル山脈を越えて少し下り、10月には大移動を始め、また平地へ戻ってきます。毎年ほぼ同じ経路で往復移動しており、年間の季節移動の距離は約400kmになります。牧夫たちは、大移動していない時期は天幕から20kmくらいの範囲内に群れを追い集めて放牧しています。しかし、大移動の際にはまるで、トナカイの群れに人間の方が追いかけてついて行っているようにも見えます。実際に牧夫たちも「トナカイが行くように私たちも天幕を運んで移動する」、「トナカイが移動の路を知っている」と、言っていました。


天幕と季節移動用の橇(そり)。橇には衣服や毛布、食料、道具などが載せてある

 電気・ガス・水道のない森で、厳しい気候のなか、年中天幕暮らしで移動し、トナカイ飼育という生業活動に従事して生活することはたいへん厳しく、常に健康でないと行うことができない生活のあり方です。筆者はお世話になっているある牧夫夫妻に、毎年長距離移動する生活はつらくないのか聞いたことがあります。それに対して「自分の親もトナカイ牧夫で、私は天幕で生まれた。ずっと天幕でトナカイと暮らしてきた。移動すること自体が私たちの生活だ」という答えをもらいました。この語りからは、彼らが自分たちの生活のあり方やトナカイ牧夫としての人生を誇りに思っていることがうかがえます。移動する生活はきっとつらいだろうというのは、日本の都市部で生活する私の先入観だということに気づきました。

ひとことハンティ語

単語:Омәса
読み方:オマサ
意味:お座りください
使い方:お客さんが立ったままでいるときや誰か落ち着きなく立ち上がって話しているときなどに、このように言って着席を促します。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

今回はトナカイの習性や生活について紹介していただきました。年間で数百kmから数千kmも移動するとは驚きです。家畜トナカイと生活している牧夫たちも1年間で約400kmの移動をするということですが、この距離は東京駅から名古屋駅までより長い距離です。「トナカイが移動の路を知っている」というのは、地図アプリを使って移動先を確認することの多い、都会生活とは全く異なる世界ですね。次回の更新は10月13日を予定しています。お楽しみに!


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第五回:トナカイ橇(ぞり)から見る人とトナカイの関係

2017年 8月 11日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第五回: トナカイ橇(ぞり)から見る人とトナカイの関係


天幕の周りに置かれた橇

 現在では燃料で動くスノーモービルやモーター付きのボートも使用しますが、燃料の不要なトナカイ橇は、変わらず現地の人々の便利な交通手段であり続けています。トナカイ牧夫の住んでいる深い森の中には車が通ることのできるような道はありません。トナカイ橇は木を切り倒しただけの獣道や凍った湖川の上を走ります。天幕を運んで季節移動するときだけでなく、狩猟や漁撈(ぎょろう)へ行くとき、家畜トナカイの群を探しに行くとき、親戚たちの家を訪ねに行くとき、村へ買い物や電話をしに行くときなど、普段の乗り物としてもトナカイ橇を活用しています。


木々の間を行く

 トナカイにひかせる橇はすべて手作りです。ナイフや鉋(かんな)で木を削りだして作ります。橇の先には牽引(けんいん)のための革紐を結び、もう一方の端をトナカイの頭と胸のあたりに革と骨で作られた馬具のようなもので取り付けます。そして、2~4頭のトナカイを並列にして一台の橇をひかせます。橇には大人1~2人が乗ることができ、さらに荷物も縄でしっかりと縛り付けて載せることができます。橇を含めて重さが150kg以上になることもありますが、トナカイの脚力は強く、数十kmを駆けることができます。


トナカイの群

 さて、そのトナカイ橇ですが、どのトナカイに橇をひかせてもいいわけではなく、牧夫達はそのときどきで最適な個体を選んでいます。写真の群には約1400頭のトナカイがいますが、驚いたことに、牧夫たちは誰のどんなトナカイを見分けることができます。家畜の個体を見分けて群の管理を行うことを個体識別といいます。個体識別は、耳印、体毛の色・模様、顔つき、首輪・鐘の装飾、雌雄、年齢、去勢の有無、出産経歴、親子関係などで、それぞれ誰のどんなトナカイかを見分けています。

 上記の性質を持つトナカイは一つの群に混ざっているので、我々から見ると、群れは均一な個体により構成されているように見えますが、牧夫にとってはそうではありません。上記の性質によって分類し、さまざまな小グループに分けています。一つは所有者による分け方です。この群の場合、約1400頭のうち約1050頭は農業企業所有のトナカイで、残りの約350頭が個人所有のトナカイ、つまり牧夫たちあるいは村人が飼育委託したトナカイです。これらを5名の牧夫で管理しています。

 個人所有のなかでも橇をひくのは、去勢された雄と不妊雌、年老いた雌です。雌も出産数か月前になると橇をひかせないようにします。雄は3、4歳になると種雄にする個体を残してほとんどを去勢してしまい、群の中の種雄:雌が1:7になるようにします。個人所有のトナカイを人によく馴れさせ、名前を付け、調教して橇をひかせたり、群を先導・誘導させたりします。調教は仔トナカイが3、4歳になってから春か秋に行い始めます。調教過程でトナカイと人の関係が次第に親密になっていきます。かわって、農業企業所有のトナカイは企業の計画どおりに毎年200~300頭ほど食肉用に屠畜していきます。これらに名前や首輪をつけてかわいがることはあまりありません。こちらは人との関係が疎遠なトナカイといえます。


トナカイ革製のロープを投げてトナカイの角・頭に引っ掛けて捕らえる牧夫

 このようにトナカイを性質により見分けて分類することで、牧夫は人に良く馴れた個人所有のトナカイをそのときどきで選んで捕らえて、橇をひかせることが可能になっているのです。単に雄か雌かだけでなく、調教はどのくらい進んだか、最近橇牽引に働かせすぎて疲れていないか、お腹に仔がいるか、おとなしい性格か、健康状態はどうかなど、常に細かくトナカイを観察しています。トナカイの個体識別ができないと、橇をひかせる個体すら選び出すことができません。個体識別はトナカイ牧夫たちの重要な技術のひとつです。

ひとことハンティ語

Сора сора! 
読み方:ソーラ ソーラ!
意味:「速く、速く!」
使い方:人を急かすときや、トナカイに速く走れと命令するときに使います。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

トナカイ(学名Rangifer tarandus)という呼び名はアイヌ語(tunakay)から来ています。ツングース系のウィルタが飼っていた動物に対して樺太アイヌがトナカイと名付けました。英語のreindeerのreinは手綱ですので、橇の手綱をつけるようになった鹿という意味ですね。トナカイは漢字では馴鹿(じゅんろく)と記し、人に馴(な)れた鹿という意味です。英語も日本語も人からの視点で名付けられているのが面白いですね。家畜化しなかったアラスカ、カナダは野生の同種のものをcaribouと呼びます。野生だからreindeerとは呼びません。
トナカイの話はしばらく続きます。次回の更新は9月8日を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第四回: ヘリコプターとトナカイ橇(ぞり)に乗って

2017年 7月 14日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第四回: ヘリコプターとトナカイ橇(ぞり)に乗って


ヘリコプターの中から見たヌムト湖

 交通網が発達した現代においても、私の調査対象地はまだまだ行きにくいところにあります。1ヶ月間の渡航の内14日間が移動日ということもありました。今回は調査地である西シベリアの森の中へどのように行くのかを紹介したいと思います。

 調査地へは、まず、ロシアの首都モスクワ経由でハンティ-マンシースクに行きます。ここで諸手続きを終えた後、さらに田舎の町まで小型飛行機で行きます。川が凍結していない6月から9月は船で移動することも可能です。川が凍結している冬には乗り合いバスも地方都市と田舎の町を結んでいます。船やバスは日本から予約することはできないので、現地に行ってからどんな交通手段がそのときに最適であるかを判断します。インターネットで得られる交通情報もありますが、変更していたりもするので、現地でチケット販売の窓口に直接行くか電話で問い合わせるか、地元の方に聞きます。


ヌムトの位置(クリックで拡大)

 はじめてヌムトに行ったときはヘリコプターを利用しました。当時、ヘリコプターはカズィムという村とヌムトを結んでいました。ヘリコプターは月に1、2回往復していましたが、私がカズィム村に着いたときにはヘリコプターは出発したばかりだったので、最低でも2週間村で待つことになりそうでした。それまでも調査許可の書類入手のために一ヶ月以上も都市部で足止めされていたので、私は少し落胆しました。

 そんなとき、定期的な診察用のヘリコプターがヌムトへ行くという情報を偶然つかみました。村の方を通じて医師たちに私も同乗させて欲しいとお願いしました。かなり無謀なお願いでしたが、どういうわけか、すんなりとこの要望が叶いました。


医師たちとヘリコプターでヌムト集落に降りたつ

 ここで役にたっていたのが、どうやら都市部に滞在中に地元のテレビやラジオ、新聞にたびたび取り上げられていたことのようです。村の人たちみんなが、日本からハンティの文化を学びに来ている学生(当時は院生でした)が来ていて、森の奥深くまで行って調査研究したいらしいということを知っていました。医師たちもそれを知っていて、そういうことならば、と快諾してくれました。

 ヘリコプターは約250kmの道のりを2時間半程度かけてヌムトに到着しました。いよいよヌムトの人たちに会うことができると意気込んでいましたが、意外にも集落にはほとんど人がいませんでした。ヌムトの集落はソ連時代につくられた行政集落で約50軒の住居と小さな商店があり、電気と電話が使用可能です。しかし人々はここに常住せず、ふだんは集落から数十km離れた森の中で家族ごとにトナカイとともに暮らしていました。そこで、たまたま森から集落に来ていた方と交渉して、その方の家に行くことにしました。

 その方の森の住居までは集落から40km弱あり、トナカイに橇(そり)をひかせて移動しました。雪が湿っていてトナカイが走りにくく、休憩時間を含めて通常3時間程度で走るところを、5時間以上もかかって到着しました。トナカイ橇に乗るのは初めてだったので、道程で私は何度も振り落とされました。森の住居に到着するころにはへとへとに疲れていました。


トナカイ橇での移動

ハンティ語紹介

 Ма нємєм ~. マー ネーメム ~.「私の名前は~です(私は~と呼ばれています)」

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

現代社会はインターネットがあれば世界各国の交通事情も瞬時に分かりますが、どの手段を使うのがその時期に最適かは現地に行かないと分らないことがまだまだあります。雪と氷の世界の移動手段は現代的なヘリコプターと昔からのトナカイ橇、その対比が興味深かったですね。次回はトナカイ橇の話を詳しく紹介していただきます。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第三回 フィールドワークの旅支度②:装備編

2017年 6月 9日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第三回 フィールドワークの旅支度②:装備編

 今回はフィールドワークに持って行くモノを紹介します。現地でなかなか手に入らないものもあるので、毎回「装備表」を作って、忘れものがないように注意しています。ザック、テント、寝袋、食器、筆記用具、カメラ、薬等のバックパッカーが持っているようなもの、秤や温度計等の計測道具のほかに、私の調査では以下のような独特なものも持参します。


ホームステイ先でプレゼントされた民族衣装を着る筆者

民族衣装

 少数民族の小さな集落やトナカイ遊牧の宿営地に行くときは、現地の人々と同じ服装をします。なぜなら私が民族衣装を着ていないことを嫌がる年配の方もいて、「ハンティのところに来たのだからハンティのやり方に従いなさい」と、言われてしまうからです。そしてロシア語でプラトークとよばれる大きなスカーフで頭を覆い、あまり髪を見せないようにします。

パンと紅茶

 森の中に住む人々のところに行くときは、必ず自分が食べる分の食料を持参します。食料をその家の奥さんに渡して、ホームステイ先の家族の食事に一緒にさせてもらいます。いろいろな食品を村の商店で購入して持って行きますが、特にパンと紅茶は必須です。パンと紅茶は食事の度に食卓に並ぶものであり、欠かすことができません。

 ある時、森に暮らすある家族のところに一週間滞在するのにパン4斤しか持って行きませんでした。すると、その家庭のパンが残り少なくなっていたため、ご主人と奥さんにひどく文句を言われてしまいました。川の水位が下がっていて、ボートで村にパンを買いに行けなかったからです。それからというもの、パンは多めに持って行くようにしています。

マッチとナイフ

 森の中を徒歩やトナカイ橇(ぞり)、スノーモービル、ボートで移動するとき、いつ目的地に着くか定かではありません。移動途中で迷子になったり、トナカイが疲れて歩けなくなったり、スノーモービルやボートが故障したりして、森の中で長いこと休憩したり野宿したりしなければならないことがよくあります。そこですぐに煮炊きができるよう、マッチとナイフは常に持っていないといけません。これらは幼児を含め個人が当然身に着けているものであり、持っていないと現地では人として本当に馬鹿にされてしまいます。


食事ではよく生の魚を渡される。ナイフがないと食べられない

ウォッカの小瓶

 ハンティの風習で、初めて訪ねる家には必ずウォッカを持って行きます。その家の主人に渡すと、主人は家の隅に置かれている<神聖なもの>へお供えします。しばらく置いた後、みんなで食卓を囲んで飲みます。これがその家の人々に受け入れてもらう方法です。最初のころはそれを知らずに、訪問する先々で非常識だと嫌味を言われていました。あまりに私が気付かないままでいると、仲の良かった人が「なんでウォッカを持ってこないんだ」と、こっそり教えてくれました。重いので小瓶を持って行きますが、形式なので、それで十分です。

コイン

 ハンティの大地にはたくさんの聖地があります。これらを通りかかるときは必ず立ち止まり、コインを投げます。聖地を素通りしたりコインを投げなかったりすると、常識知らずの無礼な人になってしまいます。それで、コインをたくさんポケットに入れて調査地に行きます。どんな通貨でもいいですが、褐色か銀色か、どちらのコインが好まれるかはその土地で異なります。


氷下漁。魚が獲れたときもコインを川に投入れげる

 このように、調査地にはハンティの風習に従うために必要なものを持って行きますが、今でも何かを知らなくて怒られたり、嫌われたりすることがあります。みなさん親切に、「分からなかったら、何でも聞いてね」と言ってくれますが、何が分からないのかも分からなくて、結局叱られてしまいます。

 必需品というのは、それぞれの社会で異なります。叱られたときは嫌な気分ですが、それらを少しずつ探っていくのもわりと面白い作業です。

ハンティ語紹介

 Тыв юва! トィヴ ユヴァ「こっちへ、おいで!」

 呼び掛けのフレーズで人や飼い犬に対して用います。
 その他にも何か珍しいものを見せたい時、食卓に呼ぶ時、その場所からどいてほしい時などにも使います。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

今回はフィールドワークの現地に何を持って行くか、細かく紹介していただきました。これ全部でいったい何キロになるのだろうか?と大石先生にうかがってみたところ、「最近はコンパクトに荷物を詰められるようになって、23キロちょうどに合わせられます。舗装道路もないので、いざというとき自分で担いで運べるくらいの荷物しか持たないようにしています」とのことでした。パッキングにもきっとコツがあるのでしょう。
次回の更新は7月7日を予定しております。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第二回: フィールドワークの旅支度① ―ドキュメント―

2017年 5月 12日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第二回: フィールドワークの旅支度① ―ドキュメント―


ハンティ-マンシイスクの街並み

 近年では以前と比べてロシアビザを入手しやすくなっていますが、まだまだロシアでは日本人がバックパッカーのように航空券だけ購入してふらりと自由な旅行ができるわけではありません。旅行者にとって少々不自由な制度があります。例えば、入国前のビザの取得だけでなく、入国前に宿泊先のバウチャーを入手したり、滞在先を移動したらその都度郵便局で滞在登録をしたりせねばなりません。さらに、私のような外国人がシベリアの僻地で長期間の単独調査を行うには、パスポートとロシアビザだけでなく、現地の研究機関や地方行政府で用意してもらう調査許可書といった書類(=ドキュメント)が必要になってきます。

 実際に田舎で単独調査を行っていると、当然ですが怪しまれてしまい、警察官だけでなく役人、一般の人々にもパスポートの提示を求められることが何度もありました。このとき、パスポートとビザだけでなく他にも公的なドキュメントを所持しているとより信用されます。今回はフィールドワークを行うのに意外と重要で、かつ入手がたいへんなドキュメントについてお話しします。

 私の場合、西シベリアを研究する日本人研究者が少なかったため、研究機関とのコネクションづくりから始めねばなりませんでした。研究機関とは大学や研究所、博物館、少数民族団体などのことです。日本からたどたどしいロシア語で手当たり次第に現地のさまざまな研究機関に電話をして、外国人である私に研究員の身分を与えてロシア国内で比較的自由に調査を行えるよう、ビザを入手するために必要な招待状を与えて、調査許可書を作成してくれる研究機関を探しました。しかし、最初の数か月間はなかなかよい返事がもらえず、断られたり、たらい回しにされたりしてしまい、調査に行ける目処がまったく立たずに次第に落ち込んでいきました。

 いつまでも受入研究機関が見つからないので、思い切ってロシア語で当時所属していた大学のサインが入った要請書や推薦書等のオフィシャルレターや研究計画書を作成し、国立ユグラ大学のある教授と国立自然と人博物館の所長あてに一方的に郵送してみたところ、これがなぜか上手くいき、その後担当者とのやりとりができるようになりました。そして、どうにか招待状を入手し、第一関門であるビザを取得することができました。

 ビザだけでも結構な根気がいりましたが、私が初めて現地調査へ向かったときには、研究機関があるハンティ-マンシイスクという町に到着した後も、調査許可書と研究員契約書、納税証明書等のドキュメント入手とビザの延長のためにさらに一か月以上も足止めをされてしまいました。すぐにでも調査地に行きたいという気持ちもあり、とても焦っていましたが、ドキュメントの手続きのために行政窓口へ行く度に、担当者不在や受付時間外等の理由で、「明日来い」と言われることが何日も続いたので、もう急ぐのは諦めて、町にいるあいだにも何か学ぶことはあるだろう、ここでは『待つのも仕事』だ、と考え直し、町でしばらく情報収集を行う方向に転換しました。図書館で資料収集するだけでなく、テレビや新聞の取材を受けたり、地元の学生たちと交流したり、博物館のセミナーを受けたり、町に住むハンティたちにハンティ語を教えてもらったりしていました。


ハンティ-マンシイスクの芸術学校で生徒たちと交流する筆者

 ここでたくさんの人々と交流したおかげで、広大な森のどこにあるかも分からなかったハンティの集落についての情報を得ることができました。森でのホームステイ先探しも、最初は全くあてがありませんでしたが、この町で会ったハンティたちの親戚を通してきっかけをつかむことができました。この過程もフィールドワークの一部だったのだろうと今では思っています。

ハンティ語紹介

 Вуща! ヴーシャ!「こんにちは!」

 ハンティ語のあいさつです。出会ったときに互いにこの言葉をかけあいます。森の中でクマに出会ったときもこのようにあいさつします。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

第二回の今回はフィールドワークをする「まで」の、意外に重要・意外に入手困難なドキュメントの話です。研究目的であれば問題なくドキュメントを揃えてくれるものだと思きや、実際には手に入れるまでにさまざまな苦労があるのですね。『待つのも仕事』という発想の転換が結果的にはその後の調査に役に立ったようですが、どのような状況でも前向きに対処する気の持ち方が、フィールドワークをする上で必要不可欠なのかもしれません。旅支度の話はまだ続きます。次回をお楽しみに。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて
―文化人類学のフィールドワークから― 第一回 はじめに

2017年 4月 14日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第一回:はじめに


トナカイ牧夫の奥さんたちと筆者

 私は現在、東北大学東北アジア研究センターで文化人類学を研究しています。文化人類学とは、世界のさまざまな文化を理解し、人類社会・文化の多様性と普遍性について研究する学問で、この学問の特徴的な研究方法にフィールドワークがあります。自分と異なる文化を内側から深く理解するために、民族集団の中に実際に長期間滞在して調査をします。

 ロシア連邦内西シベリア地方の北方少数民族のひとつであるハンティ人(以下、ハンティ)を研究対象に選び、2011年から2012年の間、2015年の秋、2016年の春・秋と通算11か月程度の現地調査を行いました。


ハンティ-マンシ自治管区とヤマロ-ネネツ自治管区の位置(クリックで拡大)

 シベリアには約40の少数民族がおり、ハンティもそのひとつで、西シベリアのオビ川【注1】中流域とその支流域に約3万人が暮らしています。固有言語であるハンティ語【注2】を持っており、現在でも年配の方を主として半分以上がハンティ語を理解し話しますが、ソ連時代に学校教育でロシア語を学ぶようになったため、ロシア語も普及しています。都市部で生活する者は三分の一程度であり、その他の三分の二は人口10人以下~2000人程度の集落や村で定住生活をするか、森の中でトナカイを飼育しながら天幕(テント)に住み移動生活をしています。小さな集落や森においても、完全な自給自足ではありませんが、漁撈(ぎょろう)【注3】や狩猟、採集、トナカイ牧畜を複合的に営んで生活しています。

 なぜシベリアの北方少数民族を調査対象に選んだのかというと、それは私が生まれ育った環境と関係しています。私は静岡県の中山間地域の出身で、祖父は樵(きこり)でした。彼は山を所有する地主の所で働き、祖母はその家に奉公に出ていました。そこで二人は知り合ったようです。林業は第二次世界大戦後から1960年代までは非常に活気のある産業でしたが、木材輸入の自由化以降、急激に衰えていきました。林業従事者とその家族が村から去っていき、過疎化が進み村の社会構造が変化しました。そして、樵たちも生き方を変えていきました。

 私はそうしたことを見たり聞いたりしながら育ち、次第に自然環境から食料等を生産する人々の社会や文化が、世界的な政治経済の動きの影響を受けてどのように変化するのか、ということに興味を持つようになりました。さらに、より急激で大規模な変化であったソ連の崩壊とそれに伴う国家体制転換の影響を現地の人々はどのように受け止めて、自らの暮らしを変えているのだろうかという興味に発展し、大学院に進学してシベリアの北方少数民族を対象に研究を始めました。しかし、実際にフィールドワークを行ってハンティたちと過ごすうちに、そうした社会・文化変容への興味以上に、圧倒的な広大で厳しい自然の中で暮らす彼らの生活や生業技術そのものにより魅かれていきました。そこには、ハンティたちの奥深い自然観や知恵がありました。

 そうした経緯を経て、現在ではトナカイ牧畜や漁撈といった生業を中心に研究を行っています。次回から私のフィールドワーク体験について書いていきたいと思います。


いろいろな模様のトナカイ

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  1. オビ川
    ロシア連邦,西シベリアを北流して北極海のオビ湾に注ぐ大河。アルタイ山脈に源を発し,西シベリア低地を貫流する。冬季は結氷。長さ3680キロメートル。(『大辞林 第三版』「オビ」)
  2. ハンティ語
    ウラル語族、フィン・ウゴル語派、ウゴル諸語の中のオビ・ウゴル諸語に属する。(『言語学大辞典』)
  3. 魚介類や海藻などをとること。また,その作業。(『大辞林 第三版』)。漁業が産業としての経済活動を指すのに対して、漁撈は魚を獲る行為そのものを指す。

◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

文化人類学を研究している大石侑香先生の連載がスタートしました。第一回では先生が研究対象にしているロシア連邦西シベリアに住むハンティ達の概要、そしてなぜこの地域に興味を持ったのかを紹介しています。次回はフィールドワークを開始するまでの話です。


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