明解PISA大事典:フィンランド型教育からみた漫画、教科書の挿絵

2010年 5月 21日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第38回 ViewingとReading

 日本のストーリー漫画がティーンに大人気のフィンランドであるが、現時点で漫画を「よくないもの」とする論調は表立っては存在しない。これには多分に日本文化に対する敬意が作用しているような気がしないでもない。あるいは遠慮なのかもしれないが、いずれにしてもありがたいことである。

 昨今のフィンランドでは、日本の漫画のみならず、宮崎アニメも大人気であり、特にメディア教育関係者からの評価が高く、さまざまなかたちで教育現場に入り込んでいる。そういった事情に関連しているのだろうが、フィンランドでメディア教育関係者と接触すると、「日本の小学校や中学校では、どのようにして漫画やアニメの制作技術も教えているのか?」という、ちょっと不思議な質問を受けることが多い。質問の意図を問うと、「漫画やアニメは日本の優れた文化であり、それを継承・発展させるための措置が義務教育の段階からなされているのではないか、というあたりに興味がある」とのこと。なるほど。この生真面目さがフィンランド人の身上である。漫画やアニメを素材として用いるだけではなく、その制作技術も小学校から学ぶ――やってみたらどうだろうか?

 漫画を「よくないもの」とする論調は表立っては存在しないが、裏ではいくらでも存在する。学校の先生たちの話を聞いていると、「暴力シーンが多すぎる」という批難が多いが、「あんなもののどこがおもしろいんだ?」というミもフタもない批難も少なくない。ただ、後者の批難については、フィンランドの、特に年配の先生にとっては、日本の漫画の読みかた自体がよく分からないということに起因する部分もあるようだ。フィンランドの本はすべて左開きであるのに対し、日本の漫画だけが右開きであるため、フィンランド人が漫画を手にすると必ず裏表紙から読み始めようとする。また、日本の漫画の独特なコマ割りも、複雑怪奇というイメージを与えるようだ。

 フィンランド国語教育の重鎮メルヴィ・バレ先生(1)は「漫画を読むこと自体は悪くない。だが、漫画だけしか読まない、というのを許してはならない」としている。バレ先生は日芬友好協会の古参の会員でもあり、「漫画は日本のすばらしい文化だ」と声高に主張する立場なのである(とはいえ、本人は漫画を読まない。やはり読み方がよく分からないのだそうだ)。

 では、なぜ「漫画だけしか読まない、というのを許してはならない」というのか?

 この点について、バレ先生はフィンランドの国語教材作法と関連付けて説明しており、なかなか興味深い。フィンランドの国語教材作法(小学校)においては、挿絵と文章の関係について詳細な段階設定がなされている。「挿絵から情報を取り出す」「文章から情報を取り出す」「挿絵と文章の情報を統合して解釈する」技能を特に重視しているためだ。

 挿絵と文章の関係について、フィンランドの国語教材作法(小学校)を簡単に紹介することにしよう。

 1~2年生の教科書では、素材全体に占める挿絵の比率が高く、挿絵から取り出せる情報も多い。挿絵と文章の情報を統合して一つの物語を創っていくことを重視しており、その意味では絵本の読解に近い。また、この段階では、挿絵においても、文章においても、人間と動物が同等の存在として登場してもよいことになっている(2)

 3~4年生の教科書では、挿絵の比率がやや低くなるものの、「物語性のある挿絵」を付することになっており、依然として挿絵から取り出せる情報は多い。挿絵から取り出せる情報と、文章から取り出せる情報の比較が重要であるため、「挿絵からは分かるが、文章からは分からないことは何か」という課題が定番である。この段階から、文章においては人間と動物が同等の存在として登場することは許されなくなる。物語の内容が現実にありうることか、現実にはありえないことかをクリティカルに判断させるためである。ただ、移行をゆるやかにするため、3年生の前期(秋学期ともいう。8月末~クリスマスまで)の単元では、挿絵でのみ人間と動物が同等の存在として登場している教科書も存在する(3)

 5年生以上の教科書では、挿絵は抽象的なイラストとなり、登場人物や場面のようすがうかがわれるような挿絵はほとんど用いられなくなる。文字情報だけを手がかりにして、登場人物や場面のようすを推論する技能を重視するためだ。ここから、挿絵や写真や図表やグラフなど、視覚的な素材から情報を取り出す技能は、メディア教育の単元へと移管されていくのである(4)

 このようなプロセスを経て成長してきたのに、ティーンになって漫画ばかりを読むのは、最初の絵本の段階に逆戻りするようなものだ、とバレ先生は言う。漫画しか読まなくなると、本を読まなくなる、さらには本を読めなくなるというのは、そのあたりにも原因があるかもしれないと言う。もちろん漫画を読むこと自体が悪いのではない。漫画だけしか読まないというのがいけないのだ、と改めて強調しつつ――。

 こういった議論を聞くと、なんとなく懐かしいような感じがする。いまの日本は、本も売れず、漫画も売れない時代に突入しているからである。フィンランドの漫画をめぐる議論自体は、特に日本の参考にはならない。だが、これをViewingとReadingの議論として眺めると、実に興味深いのである。

* * *

(1) メルヴィ・バレ先生については第27回の注を参照⇒「第27回 フィンランド紀行7」の注へ
(2) 『フィンランド読解教書』(メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2008年)を参照。
(3) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』『フィンランド国語教科書 小学4年生』(メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年・2005年)を参照。
(4) 『フィンランド国語教科書 小学5年生』(メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2007年)を参照。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
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明解PISA大事典:「習得」「活用」「探求」とフィンランド教育

2010年 1月 15日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第29回 習得・活用・探求―フィンランドから日本へ2

 最近「習得」「活用」「探求」という言葉をよく聞くようになり、いつのまにか「PISA型学力=活用型学力」という等式が成り立つようになり、それに関連して「フィンランドではどういうふうに活用型授業を……」というような質問が投げかけられるようになった。この類の質問がいちばん困る。日本とフィンランドは違う。日本の考えかたをフィンランドにそのまま当てはめて答えるのは至難のワザである。

 とはいえ、世界的な学力観の転換の中で(⇒第12回第13回参照)、フィンランドにおいても指導方法が転換したことは事実である。これを俗に「注入型」から「喚起・共有・探求型」への転換という。

 80年代半ばくらいまで、フィンランドの学校では注入型の授業が行われていた。たとえば、何らかのテーマについて教えるとすると、「注入」型の授業においては――

①先生がテーマについての知識を一方的に教え込む。
②子どもは教えられたことを覚え込む。
③教え込んだことを、きちんと覚え込んでいるかどうかを確かめる。

 しかし、世界的に学力観が転換したこと、またこのやりかたは効率的なように見えるが効率的ではないところもある(すぐ覚えるが、すぐ忘れる)ことから、80年代から90年代にかけて「喚起・共有・探求」型の授業へと大転換がなされた。この型で教える場合、次のような流れになる。

①発問「テーマについて何を知っていますか?」
 子ども個々の知識と経験を喚起し、それを全員で共有する。
②発問「テーマについて何を知りたいですか?」
 子ども個々の疑問を喚起し、それも全員で共有する。
 (ここで教師は子どもたちの疑問を整理する)
③分業体制で知りたいことを調べる。
 整理された疑問について、グループごとに手分けして調べる。
 必ずしも「自分の知りたいこと」を調べるわけではない。
④調べたことを発表する。
 グループごとに調べた内容は異なるため、これによって新たな知識を共有する。
⑤終了課題:
 たとえば個々に/グループでテーマに関わる説明文を書く。

 この方式は、国語の説明文の授業にそのまま当てはめることができる。たとえば、フィンランド国語教科書小学3年生の「モルモット」(1)であれば――

①発問「モルモットについて何を知っていますか?」
②説明文「モルモット」を読む。
③発問「説明文『モルモット』を読んで新たに分かったことは何ですか?」
④発問「モルモットについて、さらに知りたいことは何ですか?」
⑤分業体制で調べる~調べた内容を発表して共有する。
⑥終了課題:説明文「モルモット」に、自分たちで調べた内容を書き加える。

 この方法がフィンランドで初めて提唱されたのは80年代半ばとのことだが、普及するには教科書(+教師用指導書)の変化が必要であったため、ある程度定着するまでに10年近くを要したという(2)

 さて、日本はどうだろう。

* * *

(1) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp37-38 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
(2) フィンランド教育庁Pirjo Sinkoさん、教科書執筆者Mervi Wareさんの談話より。
  二人については第27回の注を参照⇒「第27回 フィンランド紀行7」の注へ

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
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明解PISA大事典:「外交官に育てるような教育」のワケ

2009年 12月 18日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第28回 フィンランドから日本へ

 前回、フィンランドの国語教育について「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」と書いた。これは外交官の目で見た場合の正直な感想である。その時点では、このような教育が日本で必要かどうかなど考えもしなかった。「フィンランドでは、こういう教育が必要なんだろう」と思った程度のことである。

 フィンランドを専門に担当してきた外交官の観点からして、「フィンランドでは、こういう教育が必要なんだろう」と考えたのには理由がある。

 東西冷戦時代、フィンランドは東欧と西欧の狭間で苦難の歴史を歩んできた。国際紛争からの局外中立を志向しつつ、現実にはソ連と密接な関係を保たざるをえなかったあたりに、綱渡りのような外交戦術があったのだろうと推察される。なぜ「推察」しかできないのかというと、ソ連が存在したころ、フィンランドとソ連の間の重要なことは、両国の偉い人同士がクレムリンでゴニョゴニョ密談しただけで決まっていたらしいからだ。

 このような背景があるため、フィンランド人というと「外交戦術に長けた、したたかな人々」というイメージがある。だから「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要なような気もする。ただ、現実にどうだったのかは、クレムリンをのぞくわけにもいかないので分からなかったのである。

 このイメージが崩れたのは、1995年にEUに加盟したときだ。EU議会に出席したフィンランドの代表団はロクに発言することもできず、欧州各国から「フィンランド代表は何も発言せず、自分たちだけで『暗号』で会話していた」と揶揄されたのである。そこには「外交戦術に長けた、したたかな人々」というイメージのかけらもなかった。ただ、そのような弱点が白日のもとにさらされたからこそ、逆に「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が最近になって行なわれるようになったのではないかと考えたものである。

 いずれにしても、外交官時代の私は、当初は「フィンランドだからこそ、こういう教育が必要なんだろう」としか考えていなかったのである。

 ところが、これまでのような経緯からフィンランドにおいて教育の勉強を始めてみて、(ただの外交官にしてみれば)驚くべきことが分かってきた。世界のグローバル化が進みつつある昨今(90年代後半のことである)、どの国においても「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要だというのである。むかしは外国に出て活躍するような人だけが、そういう教育を受ければよかった。だが、いまは自国から外国に出るまでもなく、外国から自国へと人々がどんどん流入する時代なので、国民のだれもがそういう教育を受けなければならないというのである。多文化が共生していくためには、言語のチカラの「無限ループ」(第26回参照)を誰もが自覚しなければならないというのである。

 この点に関しては、移民が数多く流入し、また欧州各国間でも人々の流動の激しいヨーロッパ特有の問題のようにも感じられる。だが、日本もグローバル化する世界の一員であり、また少子高齢化による労働人口の減少から外国人労働者を大量に導入する必要性も言われており、決して他人事ではないのである。

 また「外国」という要素を除外したとしても、特に先進各国の成熟した社会においては、たとえばフィンランド人同士であっても価値観の共有が期待できなくなりつつある。価値観がばらけてしまって多様化し、フィンランド人同士であっても外国人とコミュニケーションを図るような感覚が必要であるというのだ。文化と歴史を共有する同士であっても、ある意味での「多文化共生」の感覚が必要であるというのだ。そのためにも「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要だというのである。

 この点に関しては、日本でも徐々に実感されるようになってきた。もはや日本も、かつての高度成長期のように皆で心を一つにして一つの目標を目指すような社会ではなくなりつつある。明らかに価値観がばらけて多様化しつつある。

 なるほど、これからの日本においても「まるで国民全員を外交官に育てるような教育」が必要なのだな――そう思いつつ、日本の教育に改めて接してみて、心底からびっくりした。少なくとも世紀の変わり目のあたりの日本の教育界では、そのような危機感はほとんど存在しなかったからである。

 これはなんとかしなければならないな――そう思いたって、現在に至るのである。

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明解PISA大事典:質問と、フィンランド国語教育の目的

2009年 12月 11日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第27回 フィンランド紀行7

 フィンランドの日本国大使館に勤務していた時のことだ。現地の小学校を巡るのも、私の重要な仕事のひとつだった。小学校を巡って何をするのかというと、日本についての「楽しい話」をするのである。日本文化を紹介するビデオやら写真やら、日本の伝統的なおもちゃやら、いろいろと小道具を使って、「いかに日本が美しく素晴らしい国であるか」を宣伝するのである。その目的はただひとつ――フィンランドにおいて将来の「親日家」を育てること。この日本政府による壮大なる未来志向のプロジェクト――しかもお金はほとんどかからないプロジェクトのことを「教育広報事業」という。これはフィンランドのみならず、どこの国でも行なわれていたはずだ。また、現在も行なわれているはずである。

 そのようにして小学校を巡っていると、だいたいどこでも先生方から「授業を観ていきませんか?」「子どもたちと一緒に給食を食べていきませんか?」などと誘われる。ありがたくお受けする。ただ、私がフィンランドで暮らしていた90年代当時、フィンランドはまだ「学力世界一」などと煽てられてはおらず、また私自身も教育について専門的なことは何も知らなかったので、心を空しうしてフィンランド教育に接する――つまり完全にドシロウトの目で楽しく参観することができた。

 ヘルシンキ郊外の小さな小学校で国語(当時の科目名は『母語科』。現在は『母語と文学科』という)の授業を観ていたときのことだ。小学校3年生のクラスだったと思うが、このあたりはあまり記憶が定かではない。なにやらクラス全体で話し合いをしていた。一人の男の子がなにやら意見を言う。それに対して、ほかの男の子が「そんなの絶対におかしいよ」と反論というかイチャモンをつけた。すると、そのイチャモンをつけた男の子に対して、中年の女性の先生が次のように注意したのである。

 「『絶対におかしい』じゃなくて『なぜそう思うの?』でしょ。攻撃するのではなく、質問しなさい」

 これを聞いて「ほう!」と思った。この場合は教育のドシロウトの目ではなく、外交官の目で見てびっくりしたのである。相手と意見の対立があるとき、攻撃するのではなく、質問をするのは外交対話の基本だからだ。これを小学生のときからやっているとは――興味が湧いたので、授業のあと先生にくわしく聞いてみた。

 「意見を言うときには、相手が理解できるように納得できるように話しなさいと教えているのだけれど、実際には言うほうも聞くほうもいろいろでしょう? どんなに自分で分かりやすく話したつもりでも、相手には通じないことはいくらでもある。だから、相手の言っていることが『絶対におかしい』とか『ぜんぜん意味が分からない』と思ったときには、そう言って攻撃するのではなく、『なぜそう思うの?』、つまり『いまの説明だけでは自分にはよく分からなかったから、なぜそう言えるのかをもっと詳しく教えて下さい』と質問しなさいと教えているのです。これは教師についても同じこと。子どもが意見を言って、『絶対におかしい』と思うことは多々ありますが(笑)、必ず『なぜそう思うの?』と質問しなければならないのです」

 この説明を聞いて、改めてびっくりした。平明な言葉で語ってはいるが、前回紹介した言語の力にまつわる「無限のループ」を意識していなければ、たぶんこのような指導方法にはならないからである。

 ただ、当時は私はただの外交官であり、教育のドシロウトであったから、「まあ、そういうすごい先生もたまにはいるのだろう」という程度にしか考えていなかった。だが、後に私も少しは教育のことを勉強し、さらにフィンランドの国語教育について勉強するうちに、それが決して例外的なものではないことが分かってくる。

 フィンランドの国語教育のトップに位置する方々と2005年に鼎談したときのことだ。トップの一人はフィンランド教育庁(1)のピルヨ・シンコ(2)さん。もう一人はフィンランドの国語教科書を30年以上にわたって作ってきたメルヴィ・ヴァレ(3)さんである。どちらも現在のフィンランドの国語教育を作り上げてきた立役者ともいうべき、すごいおばさんである。そのおばさんたちによれば、フィンランドの国語教育の第一の目的は――

 「まず基本的な読み書きを身につけさせることねえ。最近は単に『読む』『書く』『聞く』『話す』だけではなく、『見る』とか『表す』とかも加わってきたけれど……」

 そして、それができるようになったら――

 「世界中のどこのだれが相手でも、その言いたいことを理解して、世界中のどこのだれが相手でも、自分の言いたいことを理解させる力をつけること、でしょうね」

 まるで国民全員を外交官に育てるような教育である。フィンランド教育のこの点に関しては、いまだに「すごい!」と思っている。

* * *

(1) 日本では「国家教育委員会」などと訳されているが、これは英語名「National Board of Education」からの訳語。フィンランド語では「Opetushallitus」。教育政策の決定機関である教育省(Opetusministerio)の下で、執行機関として機能する。「省(ministerio)」の下の役所(hallitus)なので、「教育庁」という訳語のほうが適切だと思われる。
(2) Pirjo Sinko。教育庁の国語担当の専門官(Opetusneuvos)。彼女の場合、日本でいえば文科省の国語科の視学官と教科調査官を合わせたような地位に相当する。
(3) Mervi Ware-von Hedenberg。元ヘルシンキ大学付属小学校教諭。昨年、最高の教育者に贈られる「シグネウス賞(Cygnaeus-palkinto)」を受賞した。

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明解PISA大事典:異文化コミュニケーションのカギ

2009年 12月 4日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第26回 フィンランド紀行6

 「なぜ外務省を辞めて教育の世界に入ったのか?」ということをよく聞かれる。外務省を辞めた理由は多々ある。ありすぎて書ききれない。だが、教育の世界に入った理由は単純である。フィンランドの教育を見てしまったから――これが最大の理由である。

 これまでの「フィンランド紀行」でも紹介したように、フィンランドの教育というのは世間で言われているほどには大したものではない。いや、フィンランド教育に幻想を抱いているのはこちらの勝手であり、このような言い方はフィンランドに対して失礼であろう。フィンランドの教育も日本の教育も、それぞれがそれぞれの問題を抱えて苦しんでいるという点ではまったく同じなのである。

 では、なぜフィンランドの教育を見てしまったことが、外務省を辞めて教育の世界に入ることにつながるのか?

 話はいったんフィンランドから離れる。

 私が外務省に勤めていた当時、つまり冷戦末期から90年代にかけて世界は混沌とした状況にあった。崩壊寸前のソ連の周辺では新たな国がボコボコと生まれ、対等な権利を主張しつつ、莫大な援助を望んでいた。そういう「予想外の国の人々」とやりあっていくうちに、異文化コミュニケーションについて様々な気付きが生まれる。

 最初に気付くのは「言わなければ分からない」ということ。当たり前のことではないか――と思われるかもしれないが、「予想外の国の人々」とやりあっていると、その当たり前のことをイヤというほど実感するのである。価値観が大きく異なるのはもちろんのこと、どうやら常識も大きく違うようであり、そこに様々な利害がからんでくると、言ったからといって分かるとは限らないが、少なくとも言わなければ絶対に分からない。「アウンノコキュウ」などというものはどこを探しても見つからない。

 次に気付くのは、「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」ということ。相手はシベリアに延々と抑留された末に、ほとんど丸腰でソ連軍と戦いながら独立を勝ち取ってきた人々である。こちらが一生かかっても経験しないようなことを、毎日のように経験してきたのである。相手がわけのわからないことを言ってきたとしても、きっと何か理由があるのだろう。まずは受け止めるしかない。こちらも言いたいことを言いまくるかわりに、相手にも言いたいことを言いまくらせるしかない。

 だが、これら二つの気付きには、必ず相反する気付きがくっついてくる。

 「言わなければ分からない」のだから、いちいち分かりきった(と、こちらが思っていること)まで言わなければならないのだが、困ったことに言葉ですべてを言い尽くすことは不可能なのである。言葉には限界があるのだ。言葉で言い尽くそうとすればするほど、言葉の限界をイヤというほど思い知るのである。

 「とりあえず相手の考えを受け止めるしかない」といいつつも、結局のところ自分の知識と経験と関連づけて理解することしかできない。自分の理解力にも限界があるのだ。受け止めようとすればするほど、「とても自分には理解できない」ということをイヤというほど思い知るのである。

 これらの気付きから、最後の気付きが生まれる。

 やはり分かり合えないのか?

 そう、たぶん分かり合えないのである。それでもなお、国際社会を維持していくためには、そういう人々とも言葉で繋がっていくしかない。言葉で繋がっていくためには「言わなければ分からない」。しかし「言葉には限界がある」……という具合に、無限のループに落ち込んでしまうのだ。

 では、この無限のループに落ち込んで困ったのかというと、まったくの逆であった。無限のループに落ち込んでからというもの、「予想外の国の人々」との話が実にスムーズに進むようになったのである。おそらく、様々な気付きを経て、この無限のループに落ち込むことに異文化コミュニケーションのカギがあるのだろう――。

 ここで話はフィンランドに戻る。

 なぜ、フィンランドの教育に出会ったから、教育の世界に入ることにしたのか? それはフィンランドの教育を見て、びっくりしたからである。なぜ、びっくりしたのか? それはフィンランドの教育では、この無限のループの気付きに基づく教育をやっていたからだ。それも国際理解教育などではなく、ごく普通の国語教育(正確には『母語と文学教育』)でやっていたのである。

 なぜフィンランドはそのような教育をやっているのか? 具体的にはどのようにやっているのか? これについては次回以降で紹介することにしよう。

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1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:フィンランドの社会と教育事情

2009年 11月 27日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第25回 フィンランド紀行5

 このところ「フィンランド紀行」と銘打ちつつ、実際にはフィンランド教育の概要について紹介してばかりいたので、今回は今次の訪問によって明らかになったことについて紹介することにしたい。

 最も目についたのは「少子化」の影響である。フィンランド社会も、他の先進国と同様に少子化に悩まされている。フィンランドの学校では児童・生徒数に応じて予算が比例配分されるため、児童・生徒数の減少は学校経営を直截的に悪化させる。それでも国や自治体の財政状況が豊かならば大した問題にはならないのだが、フィンランド経済は昨年のリーマン・ショックからまだ立ち直れていないようで、現在でも毎週のように大企業が大規模リストラの実施を発表している。国や自治体の財政状況の悪化により教育予算が減らされる一方で、現時点では物価は上昇傾向にあるため、どこの基礎学校の台所事情もまさに火の車であった。あちこちの学校の校長先生が「実際にかかるお金は児童・生徒の数が多かろうが少なかろうが大して変わらない。それなのに児童・生徒数に応じて予算を比例配分するとはひどい制度だ」と嘆く姿は哀れであった。

 学校選択の可能な都市部の学校では状況はより深刻である。各校が特色を出すことによって児童・生徒を集めようとするのだが、前回も紹介したように「児童・生徒の能力適性に応じた自己実現が重視されているため、高校や大学に進学することが『望ましいコース』とはあまり考えられていない」ので、進学率の高さを売り物にすることはできない。そういうことは保護者の間で噂にすらならない。外国語の授業時数の多さや、自由選択科目の選択肢の多さを売り物にしたり、芸術科目に特に力を入れていることを売り物にしたりするのがやっとのところ。それで児童・生徒を集めることに成功したとしても、少子化がどんどん進んでいるため、児童・生徒数の減少を食い止めるのがやっとのところ。そこそこの人気校の校長先生が「わが校の児童・生徒数はこの10年で2割しか減っていない」と自慢する姿は哀れであった。

 児童・生徒数が大幅に減ってしまった学校では、学校予算も大幅に減額され、最低限の施設管理すらままならない。ある学校では通風の悪さによる結露に悩まされているのだが(1)、児童・生徒数の少なさを理由に何年たっても補修の予算をつけてくれないことに困っていた。また、ある学校では男子トイレが壊れたのだが(2)、児童・生徒数の少なさを理由に修理の予算をつけてくれないため、ここ半年にわたって男子トイレが使えないままであるという。そこの校長が地域の教育委員に向かって「学校の基本はトイレである」と力説する姿は哀れであった。

 もうひとつ。第21回でフィンランドの教育は「女子向きのシステム」と呼ばれていると書いたが、このことから男子に対する「ひいき」が問題になっているようである。同じ「でき」ならば、男子に高い評価点を与えるというのである。フィンランドでは4~10の7段階で成績評価するが、同じ「でき」ならば女子には「7」を、男子には「8」を与えるというのである。フィンランドの学校では、すべてのペーパーテストに素点と評価点の対照表がついているため(3)、ペーパーテストでの「ひいき」はできない。だが、レポートや作文などの提出課題であれば、そもそも素点はなく、単に4~10の評価点のみをつけるため「ひいき」が可能になるのである。これについてフィンランド教育省の偉い人は「そういう気分があることは承知しているが、現実に『ひいき』はしていないはずだ」と強く否定していたが、少なくとも「気分がある」ことだけは認めていたから、それが多少は結果に反映することもあるのかもしれない。

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(1) 校舎内の結露はフィンランド各地の学校が悩まされている問題である。古い校舎の場合、保温性を重視するぶん、通風が悪くなってしまうらしい。結露を防ぐには全面的な改修が必要なため、莫大な費用が必要であるうえ、半年から一年くらいは校舎が使えなくなるので、とにかく被害は甚大なのである。
(2) 生徒によって壊されたらしいが犯人は特定できず。犯人が特定されれば、その保護者が修理の費用を出さなければならない。
(3) たとえば30点満点のテストであれば、28~30点は「10」、26~28点は「9」、21~26点は「8」というように、素点と評価点の対照表が付けられている。学校で行なわれるすべてのテストの素点と評価点は公開されており、保護者は自分の子どものみならず、ほかの子どもの素点と評価点を閲覧することもできる。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
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明解PISA大事典:「落ちこぼれを出さない教育」の実態

2009年 11月 20日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第24回 フィンランド紀行4

 フィンランド教育といえば「落ちこぼれを出さない教育」なのだそうだ。近年、「落ちこぼれを出さない」は先進各国の標語のようになっており、極端な競争社会として知られるアメリカでさえ「落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Act:NCLB, 2001年)」を定めているほどだから、フィンランドも流行に乗ったのかもしれない。第21回で述べたように、フィンランドの義務教育段階では補習塾も参考書も存在しないから、学校で落ちこぼれてしまうともはや救いがない。その意味では、「落ちこぼれを出さない」ことの重要性は日本よりもはるかに高いのだろう。

 一般に「落ちこぼれ」というと「学校の授業についていけないこと」を意味する。だが、フィンランドにおいては、それとは異なる意味での「落ちこぼれ」問題が深刻である。現在のフィンランドの教育では学問至上主義が排され、児童・生徒の能力適性に応じた自己実現が重視されているため、高校や大学に進学することが「望ましいコース」とはあまり考えられていない(ちょっとは考えられているが)。基礎学校卒業後の進路として高校を選ぼうが、職業学校を選ぼうが、そこに優劣を見出すことはあまりないのである(ちょっとは優劣を見出すが)。フィンランドの先生たちにとって最も残念なのは、自分の教えた生徒の「行き場がなくなってしまうこと」。つまり、基礎学校を卒業したものの、高校に進学するわけでもなく、職業学校に進むわけでもなく、就職するわけでもない状態。いわば社会的な落ちこぼれ状態なのである。最近では基礎学校卒業生のうち1割近くが「行き場がなくなってしまう」こともあるのだそうで、なかなか深刻な問題のようだ(1)

 さて、「落ちこぼれを出さない教育」の授業風景がどのようなものかというと、どの教科でも意外なくらい授業進度が速い。絶対に習得しなければならないような重要な内容であっても、さっさと進めてしまう。これは日本よりも全体の授業時数が少なく、また単元ごとに割り当てられた授業時数も少ないことによるもので、スタンダードの見えにくいフィンランド教育ではあるが(前回参照)、どこでも共通して見られる現象といえるだろう。

 フィンランドの教室における授業の進めかたというと、だいたいどの教科でも「①一斉授業で教科書にそって説明する⇒②ペアないしグループで練習する⇒③個人で教科書を見ながらワークブックで反復練習する」というのが一般的である。このうち①と②に割り当てられた時間が非常に短い。ささっと説明して、みんなで2~3回練習しただけで、すぐにワークブックに取り掛からせてしまう。これを見て、ある日本のベテラン教師は「日本ならばもっとしつこく・ねちこく・大多数が理解したことを確認するまでやるところだが……。これで本当に大丈夫なのだろうか?」と言っていた。全員が理解しているとはとても思えないのに、どんどん進めてしまうからである。

 そう、この段階では、どんどん落ちこぼしながら授業を進めてしまうのだ。勝負はワークブックをやっているとき。ワークブックの進行状況を見れば、その子どもが理解しているかどうかは一目瞭然である。理解している場合は、そのまま一人でワークブックを進めればよろしい(2)。理解していない場合は、先生や指導助手がつきっきりで最初から「しつこく・ねちこく」教え直す。それでも理解できない場合は、時間外に補習をする。それでも理解できない場合は、通常の授業から外して「支援授業」(2)を受けさせる。つまり、最初は素早いのだが、後でしつこく・ねちこくなるのである。効率的なような、非効率的なような……。いずれにしても、このようにしてフィンランドの「落ちこぼれを出さない教育」は進められているのである。

* * *

(1) この問題について、ある地方自治体の教育当局者に「行き場がなくなった後はどうなるのか?」と質問したら、「さあ? 本人が決めることだから関知しない」という答えだった。意外に冷たい。
(2) 学校や自治体によって異なるが、一般に算数・国語・外国語など主要科目について通常の授業についていけない場合、別教室で「支援授業」を受けることになる。支援授業によって充分にできるようになれば、通常の授業に復帰することができる。

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明解PISA大事典:フィンランドの学校現場、教科書

2009年 11月 13日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第23回 フィンランド紀行3

 フィンランドがPISAで好成績をおさめたことが知れ渡ってから、実に多くの人々が日本からフィンランドの教育現場を訪れた。その報告書等に描かれた「フィンランド教育の実態」は実にさまざまである。グループ学習ばかりだった。いや、一斉授業ばかりだった。教科書をまったく使っていなかった。いや、教科書とワークブックばかり使っていた。テストで順位はもちろんのこと点数すらつけていなかった。いや、テストで一等賞の子どもにアメをあげていた――などなど。

 これらはすべて真実である。不可解かもしれないが、どれも本当のことなのだ。このようにさまざまな「実態」が報告されている背景には、フィンランドでは学校現場に広範な裁量権が認められていることがある。学校現場の裁量権の広さには驚くばかりで、たとえば公立の基礎学校(9年一貫の義務教育機関)でモンテッソーリ教育を全面的に採用し、学年やクラスを廃止してしまったところさえある。このような学校ばかり見て歩いたら「フィンランドの学校には学年もクラスもない!」と報告することになるだろう。学校現場に広範な裁量権が認められているということは、学校によってやりかたが全然違うということ。そのため、フィンランド教育は「スタンダード」が見えにくいのである。

 フィンランド=ロシア学校(Suomalais-venäläinen koulu: SVK)――これは私がフィンランドに行くと、必ず訪れることにしている国立の小・中・高一貫校である。この学校では就学前の段階から、フィンランド語とロシア語のバイリンガル教育を行なっており、すべての教科がフィンランド語とロシア語の両方で教えられている。その他の外国語教育にも力を入れており、高校を卒業する頃には7~8か国語をマスターしている子どもも少なくない。同様の学校として、フランス=フィンランド学校(Ranskalais-suomalainen koulu: RSK)という国立の小・中・高一貫校もあり、フィンランド語とフランス語のバイリンガル教育を行なっている。もちろん、このような教育はこれら2校特有のものであって、ゆめゆめ「フィンランドの学校では就学前からバイリンガル教育をやっている!」などと思ってはならない。

 このように「国立の学校」で「バイリンガル教育」をやっているというと、日本では超エリート校のような感じがして、「お受験が大変に違いない」と思うところだが、フィンランド=ロシア学校にしても、フランス=フィンランド学校にしても入試はなく、近所の子どもたちの通う「近所の学校」である。つまり希望すれば誰でも通うことができるのだ。フィンランドであるから、授業料も他の学校と同じく無料である。なにやら公平なような、不公平なような……。これが日本であれば入学希望者が殺到して大変なところだろうが、フィンランドなので「授業についていくのが大変そうだ」「ロシアは嫌いだ」などといった理由から、入学希望者はそこそこ適当なところに落ち着くのだという。

 教科書についていえば、フィンランドでは1994年から教科書検定制度が完全に廃止され、「教科書の良し悪しは市場が決める」とされた。つまり「よく売れる教科書が良い教科書」ということだ。現在、どの教科書を使うかは、先生ひとりひとりが決めることができる。教科書を一種類に限定する必要もなく、単元によって数種類を使い分けることも可能である。あるいは、まったく教科書を使うことなく授業を進めても構わない。

 ただ、このシステムには裏がある。フィンランドの義務教育では教科書は無償貸与制である。児童・生徒は学校備え付けの教科書を使うということだ。教科書の値段はきわめて高く(日本の5~10倍くらい)、学校は常に予算不足にあえいでいるため、学校備え付けの教科書は限られている。つまり、先生ひとりひとりが教科書の採択を決められるといっても、実際には学校備え付けの教科書から選ぶしかない。一種類しか備え付けていない学校も少なくなく、それどころか前回の指導要領改訂に対応した教科書しか備え付けていない学校さえ存在する。教科書検定制度が廃止されたいま、現行の指導要領にそった教科書を使う義務すらないのである。

 あらためて思う――フィンランドとは妙な国である。

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明解PISA大事典:フィンランドの大学と教員養成、就職

2009年 10月 30日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第22回 フィンランド紀行2

 前回はフィンランド教育に関して誕生から高校卒業までを紹介したので、今回は大学以降のことを紹介するのがスジというものだろう。

 ただ、大学のことを紹介する前に、まずフィンランドが徹底した資格重視の社会であることに触れておかなければならない。どのような職業に就くにせよ、資格の有無がポイントになる。職業資格は職業学校修了時の職業資格認定試験によって得ることができるが、職業資格には様々なレベルがあり、就職後も成人学校などに通って資格のレベルアップを目指すのである。そして、ここが重要な点なのだが、フィンランド社会においては、高卒にせよ大卒にせよ、学歴も一種の「職業資格」と考えられている。つまり、“高卒の学歴を必要とする仕事に就くための資格”“大卒の学歴を必要とする仕事に就くための資格”ということだ。この考えかたが徹底しているため、学歴の高低が人生を左右するというような発想はあまりなく、「とりあえず高校だけは行っておいたほうが……」というような発想はほとんどない。なにかやりたい仕事があったら、高校に行くよりも職業学校に行って、さっさと職業資格を取得したほうが社会的に有利だからだ。

 さて、フィンランドの大学である。まず覚えておいたほうがよいのは、フィンランドの大学では修士号が基礎学位であるということ。私が20年くらい前にヘルシンキ大学歴史言語学部に留学した頃は、そもそも「学士号」という学位自体がなかった(学部によってはあったらしいけれど)。私は早稲田大学法学部を卒業していたのだが、ヘルシンキ大学の事務の人に「あなたはフィンランドでは大学を卒業したことにはなりませんね~」と言われたものだ。要するに、フィンランド社会においては「大卒=修士号取得者」なのである。ただ、1995年にフィンランドがEUに加盟したとき、EU域内の他国の大学と単位交換をする関係上、フィンランドの大学においても学士号の取得“も”義務付けられるようになった。もともと修士号しかなかったところに、あとから学士号が加わった格好だ。だが、フィンランド社会における「大卒=修士号取得者」という図式は、いま現在も変わらない。

 「フィンランドの教師はみんな修士号を持っている」と御大層なことのように宣伝する方々がいるが、この図式を知っていればなんということはない。単に教師に「大卒資格」を求めているだけなのである。フィンランド社会において「大卒資格」を必要とする仕事の種類は、だいたい日本社会と似たりよったり。つまり、教師に特に高い学位を求めているということではないのである。

 ちなみに“「フィンランドの教師はみんな修士号を持っている」と御大層なことのように宣伝している方々”の筆頭はフィンランド教育省である。ただ、フィンランド教育省に悪気があってのことではない。そのように宣伝する背景には、1960年代までのフィンランドでは小学校の教師には「大卒資格」を求めていなかったことがある。当時は高校を卒業して一定のコースを履修すれば小学校の教師になれたのだ。だが、1960年代後半以降の教育改革の一環として、小学校の教師にも「大卒資格」を求めるようになった。そのような背景があるために、フィンランド教育省は「(現在は)フィンランドの教師はみんな修士号(つまり大卒資格)を持っている」と誇りをもって言うのである。

 フィンランドが資格重視の社会であるために、大学卒業後の就職は意外に厳しい。専門性の高い有資格者の数と、専門性を要する雇用の数が必ずしも釣り合わないからだ。昨今の経済状況の悪化も加わり、「大学卒業者の3分の1以上が卒業後半年経っても無業者のまま」という報道もあった。資格重視の社会だから、「どんな仕事でも構わない」という発想が生まれにくいということもある。高福祉国家だから、「食うために働かなければ」という発想が生まれにくいということもある。日本から見るとうらやましいような感じもするが、やはり仕事をしないと生きがいもないようで、本人たちにとっては由々しき事態として受け止められているようである。

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明解PISA大事典:フィンランドの教育 誕生~高校卒業まで

2009年 10月 23日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第21回 フィンランド紀行1

 先日、フィンランドに立ち寄り、久しぶりにその教育現場に出る機会があった。そのついでというのも妙ではあるが、今後3回くらいにわたってフィンランド教育について論じることにしたい。今回はフィンランドの子どもが誕生してから高校を卒業するまでの流れについて、基本的な情報を共有することにしよう。

 フィンランド人は誕生時に母語を決定する。フィンランドにはフィンランド語とスウェーデン語という二つの公用語があり、どちらを母語にするかを決定するのである。もちろん生まれたばかりの本人が決めることはできないから、両親が決定することになる。そして、たとえばフィンランド語を母語にすると決定したら、幼稚園から高校まではフィンランド語で教育を受けることになる。大学教育には原則として母語による区別はないが、一校だけスウェーデン語で教育を行う大学が存在する。

 フィンランド語とスウェーデン語というと似たような言語だと思うかもしれないが、実際には日本語と英語と同じくらいに違う。フィンランドの子どもたちは7年生の時に、もう一方の公用語を「必修外国語」として学ぶのである。

 就学年齢は7歳。義務教育は9年間で、かつては小学校と中学校に分かれていたのだが、現在では一貫教育ということになっている。ただ、現在でも一部の新設校を除いては、小学校と中学校は校舎が別なので、実態としては昔とあまり変わらない。カリキュラムも9年一貫になったのだが、現時点ではまだ教科書も小学校用と中学校用が別シリーズのままで、これまた昔とあまり変わらない。9年一貫教育への移行期ということなのだろう。

 フィンランドでは、少なくとも初等教育段階では塾も参考書も存在しない。そのため、もっと勉強したい子どもにとっても、落ちこぼれそうな子どもにとっても、学校の供給する補修授業や補充教材が重要になる。フィンランドの保護者にとって学校の補習授業は、日本の保護者にとっての塾のようなものなので、堂々と「ウチの子に補習を受けさせてくれ」と要求する。違うのは、日本の塾は有料だが、フィンランドの補習授業は無料だということ。フィンランドでは小学校から大学に至るまで教育は無料なのである。

 教育が無料というと良いことのような気がするが、良いことばかりでもない。補習授業にせよ補充教材にせよ、学校の予算を超えて供給することはできないからだ。このところフィンランド経済は悪化の一途をたどっており、物価が上がり続ける一方で、教育予算は減り続ける一方である。教育のみならず、なんでもかんでも無料の怖いところは、経済の悪化が質の低下に直結しているところだ。

 義務教育を修了すると、高校か職業学校に進むことになる。高校に進学するといっても、ほとんどの高校に入学試験はない。義務教育段階における全教科(体育や芸術科目は除く)の平均成績の高低により、そもそも高校に進学できるのかどうか、進学できるとしたらどのレベルの高校に進学できるのかが決まるのである。このシステムは、コツコツ真面目に勉強するタイプには向いているが、一夜漬けで一発逆転を狙うタイプには向いていない。フィンランドでは俗に「女子向きのシステム」と呼ばれている。

 高校は単位制をとっており、2年以上4年以内に全単位を取得する必要がある。まるで日本の大学のようなシステムだが、これはフィンランドにおける「高校」の位置づけが、日本における大学の教養課程と同じであることによるものだ。そのため、義務教育で習うことのレベルと、高校で習うことのレベルのギャップが激しい。近年、フィンランドでは高校進学率が上昇しているが、それと同時に落ちこぼれる高校生の数も急増している。全単位を取得したら卒業資格認定試験を受けなければならないのだが、その合格率もまた下降傾向にある。これは教育当局にとっては頭の痛い問題のようで、今回お会いした教育当局者の中には「現在の高校進学率は高すぎる。地域によっては70~80%も高校に進んでいるが、どこであろうと50%くらいが適性値だろう」と言う人もいた。国民の高学歴化が必ずしも好ましくないというのだから、なかなかに興味深い発言である。

 高校や職業学校を修了すると、男子の多くは兵役につく(女子は志願制)。期間は半年間。60歳までに兵役の義務を果たせばよいのだが、大変に厳しい訓練なので早々に済ませたほうが得策なのである。高校まで伸び伸びとした教育を受けてきたフィンランドの子どもたちが、いきなり頭ごなしの教育を受けることになるので、なかなか強烈な通過儀礼といえよう。ただ、これもまたフィンランドの「教育」の一面なのである。

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著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


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