シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十六回:赤ん坊とゆりかご

2018年 7月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十六回:赤ん坊とゆりかご


オントゥプの外側には装飾が施される(2016年3月23日・ムジ村郷土資料館)

 就学前の牧夫や漁師の子供たちは両親とともに暮らします。生後間もない子供を遊牧や遠出する夏の漁に連れて行くことも珍しくありません。遊牧や漁で忙しいうえに、水道も電気もガスもない森の中では家事に費やす時間も多く、さらに衣服や生活・生業の道具も手作業で作製するため、大人たちの手は常にふさがっています。起きているあいだは常に何か作業をしており、「ハンティは(両手が使えない)腕組みを嫌う」と言われるほどです。

 それほど働き者のハンティたちは、手がふさがっているとき、赤ん坊やまだ歩き始めていない小さな子供をオントゥプ(онтуп)というゆりかごに入れておきます。オントゥプには背もたれがあり足を延ばして座らせるための日中用と、横に寝かせるための平らな夜用があります。これらはシラカバの樹皮とバードチェリーなどの木の枝で作られています。


オントゥプ
(2016年3月30日・ベリョーゾヴォ北方民族文化芸術センター)

 日中には、オントゥプを家の天井や天幕の柱棒に革紐で吊るし、ときどき揺すって子供をあやします。もちろん、ずっと吊るしておくのではなく、両親が見ていられないときやナイフで木材加工や調理等していて近寄ると危ないときなどにそうします。窮屈そうで赤ん坊がかわいそうと思われるかもしれません。しかし、オントゥプは森の生活においてとても便利です。ベリー摘みに出かける際にはそのまま持って連れて行き、地面に置いておくことができます。また、トナカイやスノーモービルに橇を引かせて移動する際にも、子供をオントゥプに入れたまま運ぶことができます。ハンティによれば、オントゥプを紐で橇に固定すれば、走行中に誤って転げ落ちる心配もありませんし、オントゥプを後ろ向きに乗せれば、木々が生い茂った森で四方から伸びる枝から目や頭を守ることができます。


天幕内に吊るされたオントゥプ、通常もう少し低い位置に吊るす
(2017年2月3日・ベリョーゾヴォ地区郷土博物館)

 012年の冬のフィールドワークでは、森の中のあるハンティ人のお宅に滞在いていたとき、若いハンティ人夫婦が1歳に満たない子供をつれて訪ねてきました。彼らは外気温がマイナス40度くらいのときに、40キロメートル以上もスノーモービルで風を受けて走行して来ました。赤ん坊が凍えないように、オントゥプは毛布や毛皮の衣服で厚く包まれ、さらに風よけとしてフェルトで全体を覆っていました。奥さんは、雪が凍り付いて白くなったフェルトで包んだままのオントゥプを家の中へいれてきたので、私はそれが何か分かりませんでした。一枚一枚毛布や毛皮の衣服を剥いでいきました。すると中から赤ん坊がまったく凍えた様子もなく血色の良い顔で出て来て、周囲に笑顔を振りまいていました。彼らが去る際には、赤ん坊は嫌がることもなく、おとなしくオントゥプにおさまりました。

 このように、オントゥプは携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優れた道具です。ハンティの赤ん坊たちは厳しい自然の中でこの便利なゆりかごに守られて育ってゆきます。


材料のシラカバの樹皮の採集. オントゥプ用にはより大きな幹から採集する
(2016年9月22日)

ひとことハンティ語

単語:Овен пўнше!
読み方:オーヴェン ピュンシェ!
意味:扉を開けてください!
使い方:両手がふさがっているときなど、誰かに扉を開けてもらいたいときに使います。フィールドワークをはじめたばかりのときは、ハンティ語がよく分からなかったため、こうしたホームステイ先の家族たちのちょっとしたお願いも理解できず、申し訳ない気持ちになりました。そのたびに彼らは赤ん坊に言葉をひとつずつ教えるかのように、ハンティ語を私に教えました。

* * *

◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

*

【編集部から】

携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優秀な道具、オントゥプ。日本でも似たグッズとしてクーファンや持ち運び可能なベビーシートなどがありますね。日本で使用されているものも頑丈ですが、果たして外気温マイナス40度の中を40キロ以上スノーモービルで走行しても耐えられるでしょうか。オントゥプは材料も使用用途もこの地に根差したものですね。次回の更新は8月10日を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十五回:トナカイ牧夫の子どもと寄宿制学校

2018年 6月 8日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十五回:トナカイ牧夫の子どもと寄宿制学校


オブゴルト村の小学生と幼稚園児用の寄宿舎(2016年筆者撮影)

 遊牧しているトナカイ牧夫たちの子どもたちも義務教育を受けます(注1)。しかし、遠く離れた村の学校に毎日通学することはできないので、村の学校に併設された児童用の寄宿舎、あるいは祖父母や親戚の家に預けられて学校に通います。彼らが両親と一緒に牧畜宿営地で過ごすのは、夏の長期休暇のときだけです。通常、義務教育の夏休みは6月からですが、牧夫の子どもたちの夏休みは特別長く、4月末から8月末まであります。なぜかというと、春にトナカイ群を長距離移動させるので、それに子どもを連れて行くため、牧夫の子どもだけ早めに夏休みに入ります。春は両親がスノーモービルで子供を迎えに来ますが、8月末に村へ戻る際には、村から約200キロメートル離れた場所に宿営しているため、両親たちが所属する農業企業のヘリコプターが迎えに来ます。ヘリコプターは森に散在する各宿営地を回って、子どもたちをピック・アップして村まで送ります。


トナカイ飼育班の春の川上移動(左)の様子を見に来た生徒たち(右)

 初等教育では、ロシア語、英語、算数、理科、社会等を学びます。なかにはハンティ語しか分からなく、ロシア語を初めて学ぶ牧夫の子どももいます。反対に、高学年からはハンティ語も学びます。ハンティの子どもでもロシア語を話す両親のもとで育ったためハンティ語が分からない児童もいるからです。ハンティ語の教科書や絵本も寄宿舎の共同スペースにはありました。

 義務教育の学費も寄宿舎も無料です。金銭的な余裕がない世帯の子供には、新品ではありませんが、衣服や靴などが与えられることもあります。寄宿舎に暮らす子供たちは、朝・昼・夜の食事を学校の食堂でとります。こちらは無料かどうか不明ですが、私は一食50ルーブル(2016年3月当時約95円)で食べさせてもらっていました。朝は牛乳、ヨーグルト、ミルクがゆ等です。昼食がもっとも豪華であり、サラダ、スープ、炊き込みご飯やマカロニとソース等です。夜はソーセージ等とサラダです。どの食事にもお替り自由なパンと紅茶が付きます。


牧食堂の昼食. トナカイ肉の炊き込みご飯とスープ

 また、保育園、学校、寄宿舎には、保育士や先生、掃除係、寄宿舎の世話係、事務員、保健士、栄養士、調理員等たくさんの人が働いています。警備員や施設整備員以外は女性で、それぞれの施設長も女性です。学校施設は、単なる教育機能だけでなく、村の女性たちの雇用を生み出すものとしても重要な役割を果たしています。

 さて、筆者の寄宿舎経験を少し紹介したいと思います。筆者がオブゴルト村という場所にはじめて行ったとき、まだ知り合いもいなかったので、学校の校長に頼んで、ホームステイ先が見つかるまで寄宿舎で寝泊まりさせもらったことがあります。大人用の部屋に空きがなかったため、私は6歳の女の子と相部屋で一週間ほど過ごしました。シャワーとトイレ等は共有で、一部屋当たり3名から5名が暮らしており、それぞれにベッドと机、クローゼットが与えられます。起床と消灯が管理されていて、規則正しい生活を送ることができます。


オブゴルト村の位置(クリックで拡大)

 彼女はハンティのトナカイ牧夫の子どもでした。朝、彼女は自ら起き、ベッドのシーツをきちんと整え、身支度をして、施設内の食堂で他の児童たちと簡単な朝食をとって学校に出かけて行きました。夜は共有スペースで他の児童たちと宿題をしたり、テレビを見たりして過ごしていました。彼女は私を警戒していたのか、もともと静かな性格なのか分かりませんが、私に文句を言ったり泣いたりしないものの、挨拶以外は私と話すことはありませんでした。彼女に寄宿舎生活はどうか等々、いろいろ尋ねたかったのですが、なかなか叶いませんでした。

 私がホームステイ先を見つけて寄宿舎から出ていくとき、相部屋をしてくれたお礼に、色鉛筆とスケッチブックをあげました。彼女は素直に喜んで明るい笑顔を見せてお礼を言ってくれました。もっと早く、あの手この手で彼女とコミュニケーションをとっておけば、いろいろと話してくれたかもしれないと、後悔しました。このように私は未だにインフォーマント(情報提供者)を逃してしまうことがあります。


寄宿舎の部屋. 筆者は右のベッドを使わせてもらった

[注]

  1. 外務省 諸外国・地域の学校情報
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/05europe/infoC55200.html

ひとことハンティ語

単語:
読み方:アン リョーヒトゥルン。
意味:私が(は)コップを洗います。
使い方:私はホームステイ先で、食事後にこのように言ってから食器洗いを手伝っていました。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

大石先生からトナカイ牧夫たちの生活を聞いているうちに、子供たちの教育はどうしているのだろう、と疑問に思い今回のエッセイで紹介いただきました。幼い頃から寄宿舎で過ごしたり、家族と過ごすのは夏の長期休暇の時のみだったり、住むところが変われば生活も変わり、教育の受け方も変わるのですね。次回の更新は7月13日を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十四回:フィールドのネコとイヌ

2018年 5月 11日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十四回:フィールドのネコとイヌ


川沿いの集落のイヌたちが出迎えてくれた

 ハンティの多くの家庭ではネコとイヌを飼っています。森に暮らして漁撈(ろう)やトナカイ牧畜等を営む人々だけでなく、村や都市に暮らす人々もネコとイヌを飼育しています。イヌやネコはペットとして飼育されているだけでなく、さまざまな面で人間の役に立っています。

 例えば、ネコがいればネズミによる被害を減らすことができます。ネズミは人間が寝静まったころに活動し始めます。ネコがいない家庭に滞在しているとき、ネズミにパンの耳以外の柔らかい部分をくり抜かれるように食べられたり、収穫したばかりのジャガイモが齧られたりしたことがありました。すぐに食べ物を購入したり誰かと物々交換したりできるような村や町であれば、ネズミによる被害はそれほど困るものではありません。しかし、トナカイ牧畜キャンプや森の中で暮らしている人々は、肉や魚以外の食糧には限りがあります。そのため、ネズミによる被害はたいへんショックなできごとです。このように、ネコは普段何もしていないように見えますが、実は重要な役割を果たしています。


ネコがストーブの近くで眠ると明日は寒くなるといわれている

 かわって、ハンティはイヌを調教して牧畜犬や狩猟犬として使います。森ではイヌたちは放し飼いにされることがあります。彼らは家の周辺の森を歩き回り、カワウソやライチョウなどの獲物を見つけると、吠えて主人に教えます。しかも、獲物をある程度逃げにくい場所に追い込んでおいてくれます。

 トナカイの群れを移動させたり集めたりするのにも、イヌは非常に役に立ちます。イヌがトナカイをじっと見張って通せんぼをすれば、そちらの方向に逃げて行かないし、後ろから吠えて追い立てれば、群れを移動させることができます。イヌは群れの周囲を走り回って、トナカイ群がバラバラに広がるのを抑えて一か所に集めることができます。牧夫は集めたトナカイを橇(そり)につないで使役したり、トナカイにワクチンを打ったりなど、さまざまな作業をします。

 非常に興味深いのは、人間だけがイヌを調教するだけでなく、先輩牧畜犬・狩猟犬が若いイヌに仕事を教えることです。若いイヌは先輩イヌを真似して同じ行動をとり、人間に褒められたり、餌をもらったりしているうちに、次第に人間の合図を学習していきます。このように、イヌと人間・トナカイだけでなく、イヌ同士でもコミュニケーションをとっています。


牧夫の手伝いをするイヌ

 フィールドワークでは、私もネコとイヌとコミュニケーションをとり、彼らにも受け入れられようとします。はじめて訪問する家庭では、私は彼らに不審者扱いされ、よく吠えられたり、齧られたり、無視されたりします。しかし、しばらく一緒に暮らしていると、イヌたちは私と遊びたがり、ネコは私で暖をとり始めます。なぜこれがフィールドワークにおいて重要かというと、文化人類学では、人間と動物の相互関係も文化と考えるからです。人間が一方的に動物に影響を与えるだけでなく、動物も人間に影響を与えます。よって調査では、動物たちが人間の何を見て動いているのか、人間は動物の行動にどのように反応・対処しているかを理解しようとします。

 ひとつそのような例をあげてみたいと思います。2017年2月にトナカイの屠畜作業を見学しました。このときも牧夫たちはそれぞれ自分のイヌを数匹ずつ連れていましたが、あるイヌが縄に絡まって動けなくなっていました。彼は一番暇そうな私に向かって吠えて呼んでいたようでしたが、たくさんのイヌが吠えていたため、私はなかなか気づきませんでした。しかし、彼は私をじっと見つめつづけていたため、私は彼の視線に気づいて縄をほどいてあげました。するとイヌは私の鼻を舐めてお礼をしました。このことから、イヌが人を呼ぶときの特有の声や視線があり、牧夫たちはそれを知っており反応していることが分かってきました。

 ささいなことですが、現地の人たちが普段行っているイヌとのコミュニケーションが行えたこと、イヌの呼びかけに気づけたこと、ずっと私を警戒し続けていたイヌが私を頼り、お礼までしたことが、彼らに受け入れられたようでたいへん嬉しかったです。


集落のイヌ

ひとことハンティ語

単語:Ньотә!
読み方:ニョタ!
意味:助けてください。
使い方:誰かに助けを乞うときに使用します。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

ネコが大石先生で暖をとり始める姿、想像するだけでかわいいですね!そしてイヌも周りの人間関係を見極めて行動しているのですね。イヌもネコも世界中どこにでもいて、それぞれの役割を果たしているということが改めて分かりました。次回は6月8日の更新を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十三回:フィールドワークでの振舞い

2018年 4月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十三回:フィールドワークでの振舞い


薪割りをする筆者。
このとき、使用してはならない家の主人の所有物である斧を使っている

 筆者が初めてハンティのところへフィールドワークに行ったときには、彼らの家でどのように振舞えばよいのか、まったく知りませんでした。どのような服装をしたらよいか、どのような行為が無礼なのか、どこに座ればよいのか、誰と話してよいのか、生活のすべてが疑問でした。

 彼らには日本人とは異なる習慣やマナーがあります。生活を送る上で男女の区別があり、性別によって、家の中・外で行ってはならない場所やしてはならない仕事等があります。また、信仰に関係することでは、女性が触れてはならないもの、食べてはならないもの等があります。例えば、クマの毛皮で作られた牽引(けんいん)具を使用したトナカイ橇(そり)に女性が乗ることは禁じられています。あまりハンティの風習を尊重しない若者にそそのかされ、筆者はその橇に乗ってしまったことがあります。そのときは、筆者は年配の方々に叱られ、浄化儀礼を行いました。儀礼の際にはさらに男女の区別が厳しくなります。そして、儀礼の際にはさらに男女の区別が厳しくなります。例えば、調査者である筆者は女性であるため、見ることのできない部分や触ることができない儀礼道具があります。

 加えて、マナーやエチケットも日本とは異なっており、知らず知らずに無礼なことをしてしまっていることもあります。例えば、日本では目上の方の前を通ることが失礼とされていますが、ハンティでは後ろを通ることが失礼とされています。さらに、その地域のハンティ全体で共有している禁止事項もあれば、各親族や家で異なるような禁止事項や習慣もあります。


クマの毛皮の牽引具をつけたトナカイ

 このような禁止事項やマナー違反がまるで網目のように生活のあちこちに張り巡らされています。一歩けば、その網目にひっかかってしまいそうで、なかなか自由に振舞うことができず、フィールドワーク当初は筆者もとても窮屈に感じていました。お世話になる家庭の奥さんは、親切に「分からないことがあれば、何でも聞いてください」と言ってくださいましたが、最初は何を聞けばよいのかも分からない状態でした。ことあるごとに筆者は叱られたり、嫌な顔をされたり、陰で文句を言われたりして、落ち込んだこともあります。


女性は家の裏側に行ってはならない。また、屋根に登ってもいけない

 フィールドワークにおいてこうしたことは、慣れないうちは、かなりストレスです。しかし、ハンティの振舞い方と同じことをして当然と思われているということは、裏を返せば、彼らは筆者を一時滞在の外国のお客さんではなく、ハンティの家に同じように一緒に住まう者として扱おうとしているということです。生活習慣の違いによって叱られるときは、大きなストレスを感じますが、現地の方々に表面的ではなく深く受け入れられているようで、嬉しくも感じます。

ひとことハンティ語

単語:Пуна!
読み方:プーナ!
意味:注いでください。
使い方:年長者がお茶を注いでもらいたいときに、このように言って若者に催促します。お茶を注ぐのは年少者の役割です。また、年少者は年長者やお客さんお茶が空になったら、とにかく注ぎに行きます。このとき「もう一杯いかがですか」と聞いてはなりません。不要な場合は、お客さんが断ります。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

旅行者や部外者ではなくその地域の一員として扱ってもらう。これは信頼関係がないと難しいことですが、大石先生は第三回 フィールドワークの旅支度②:装備編で紹介されていたような物を準備した上で、コミュニケーションを取り合っているのでしょうね。
冒頭の写真は家の主人の所有物の斧だから使用はしてはいけなかったようです。小さな道具類は個人所有で家族でも共有しない一方で、食べ物やタバコなどの消耗品は分け合わないといけなかったりするようです。どこからどこまでが個人所有なのか、集団所有、共有なのかは文化によってかなり異なりますね。次回は5月11日更新を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十回:魚好きのトナカイ牧夫

2018年 1月 12日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十回: 魚好きのトナカイ牧夫


魚の燻製を嬉しそうに食べる子供

 ハンティが暮らす地域は内陸の低地であり、無数の湖沼が分布し、その間を川が蛇行しています。その水域にはカワカマスやカワスズキ、コイ類、フナ類、コレゴヌス属の淡水魚(シナノユキマスに似た魚)などの淡水魚が豊かに繁殖しています。ハンティは家畜としてトナカイを飼育し、その肉や毛皮を利用してきましたが、同時に淡水産資源も大いに利用して暮らしてきました。

 トナカイを飼育しているからといって、トナカイ肉ばかりを食べているわけではありません。トナカイ牧畜と漁撈(ろう)、狩猟、採集を複合的に営むハンティは、季節によってより手に入り易いものを中心に食べます。魚は夏でも冬でも手に入りますが、トナカイは主に冬に屠畜して食べ、夏にはあまり食べません。冷蔵庫のない森の中では、夏は肉の保存が難しいからです。代わりに、夏は主に魚や渡り鳥を食べます。遡河魚(そかぎょ)は種類によって現れる時期が異なるので、夏から秋にかけて順々にさまざまな遡河魚を楽しむことができます。冬には氷を割って川底に網や筌(うけ)を設置します。冬でも群れが遠くに行ってしまって、トナカイ肉が手に入らないときには、魚で食糧を補います。

 かわって、ハンティの中にはトナカイ牧畜に専念せねばならない専業トナカイ牧夫もいます。そのような牧夫は自ら漁撈を行うことは難しいので、親戚たちと肉と魚を交換してもらい、魚を入手します。ある専業トナカイ牧夫は、「魚を食べるのが身にしみついている。たくさんトナカイを持っているのに、遊牧キャンプにいてもどうしても魚が食べたくなる。そのときは漁撈を行う親戚に頼んで魚を持ってきてもらう」と言っていました。


生のまま凍らせたカワカマスを薄く削ったもの

 ハンティは魚をさまざまな調理方法で食べます。日本と同じく、生食も好んで行われます。春から秋にかけは、獲れたての新鮮な魚を三枚におろして、食べやすい大きさに切り、塩をつけて食べます。冬は獲った魚がすぐに凍るので、凍った魚の肉を薄く削って食べます。魚をぶつ切りして塩茹にしたり、小麦粉でとろみをつけたスープにしたりもします。また、夏には、長期保存用として塩漬けやひもの、燻製を作ります。若い夫婦の家庭ではロシア風の魚料理も作られます。ミンチにしてペリメニ(ロシアの餃子)の具にしたり、小麦粉をまぶして油で揚げたりもします。

 さらに、特徴的な魚料理としては魚油があります。魚油をパンに塗ったり、凍らせたベリーをいれたりして食べます。魚油は夏に魚がたくさん獲れたときに作ります。鱗を取り除いてから、丸ごと大きな鍋に入れて何日もかけて骨肉の形がなくなるまで煮詰めます。すると栄養が凝縮された琥珀色の魚油ができます。魚油は食用だけでなく、トナカイや野生動物の皮鞣(なめ)しにも使用します。皮の繊維に油分を入れることで皮が柔らかくなります。

 このように、トナカイ牧夫たちの体には魚食習慣がしみ込んでおり、そして、彼らがまとうトナカイ毛皮の衣服にも文字通り魚がしみ込んでいます。


魚油と凍ったベリーを混ぜ合わせた料理

ひとことハンティ語

単語:Мєлка юва!
読み方:メールカ ユヴァ!
意味:暖かさよ、来い!
使い方:ストーブの灰を外に捨てながら、このように言います。寒さが厳しいとき、暖かさを呼ぶおまじないです。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

魚油は健康食品やサプリメントのコマーシャルでしか聞いたことがなかったのですが、ハンティの人々にとって身近なのですね。その魚油とベリーを混ぜて食べる料理の味は想像がつきません。機会があれば是非食してみたいです。次回の更新は2月9日を予定しております。お楽しみに!


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第九回:ハンティの暦と年末年始の過ごし方

2017年 12月 8日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第九回: ハンティの暦と年末年始の過ごし方


年末年始に親元に戻ってきた寄宿制学校の子供たち

 ハンティの新年の始まりは、伝統的には初雪が降ったときでした。したがって、気候によって毎年新年の日が異なります。現代の西暦とは異なり、ハンティの暦は太陽の動きや季節的な気候の変化、野生動物の様子、トナカイ牧畜や漁撈(ろう)、狩猟等の季節的な仕事内容などをもとに考えられていました。よって、必ずしも確固とした日付や時間があり、それに合わせて行事や儀礼が行われるというわけではありません。このような自然の変化に合わせて流れ巡るようなハンティの暦は、ロシア正教やソ連・ロシアの統治、義務教育、マスメディア等の影響を受け変化してきました。現在では1月1日を新年の始まりとしています。

 今回は、現代のハンティの年末年始の過ごし方について紹介します。ちなみに、年末の行事というとクリスマスを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、ロシアで普及しているロシア正教の聖誕祭は1月7日に行われます。ハンティの中にもロシア正教を信仰する人はいますが、あまり盛大にお祝いする習慣はありません。

 年末年始には村や森で暮らす人たちのところに親戚が集まります。親戚の家を互いに訪ね合うだけでなく、町や都市部で暮らす家族も森に暮らす実家に帰省します。年末年始には町の学校や仕事は休暇になるので、遠く行きにくい場所にある実家でも行くことができます。森での暮らしは、普段とても静かですが、年末年始は家族や親戚たちが集い、にぎやかに楽しく過ごします。


曲がってしまった漁道具の修理

 日中は、町から来た孫たちと狩猟や漁撈、トナカイ群探しに出かけます。祖父母や両親たちは数日間でも孫たちに森に暮らすハンティの生業技術を見せて学ばせようとします。また、人手のあるこの機会に普段後回しにしてしまっている仕事を済ませようとします。橇(そり)や牽引具、漁道具の修理や薪の貯蔵作りなどを分担して手際よく終わらせます。したがって、年末年始の休暇といえども日中はみんな良く働いています。

 日本のお節料理やお雑煮のような新年の行事食は特にありません。新年に特別に行う習慣ではありませんが、トナカイを所有する世帯では新鮮な肉と血を親戚たちに振舞うために、前年に生まれた雄の仔トナカイを屠畜して食べることがあります。また、親戚たちはたいてい何か食べ物やアルコール飲料のお土産を持って来るので、年末年始の食卓はとても豊かになります。

 夜は語りの時間です。日照時間が最も短い時期のため、午後5時くらいには寝床に横になります。すぐに眠るのではなく、何時間も真っ暗な中で話します。一人が話して他の人々が静かに聞き入ります。森での面白いできごとや町の生活、共通の知人や親戚たちについて、旅行のこと、祖父母がその祖父母から聞いた民話など、たくさんのことを話したり聞いたりして、情報を共有し共感します。

 このように、現在のハンティの新年はいわゆる「伝統的」な暦や行事の意味と異なっています。しかし、森にも村にも町にも家族や親戚がいるという現代的状況の中では、年末年始を共に過ごし、親族のつながりを再確認するという点で重要な機会になっていると、筆者は考えます。


トナカイ探しに出かける父子と筆者

ひとことハンティ語

単語:Тӑӆа йис.
読み方:タラ イイス。
意味:冬が来ましたね。
使い方: 雪が降り、寒くなってきたときに使います。тӑӆには、「冬」という意味と「年」という二つの意味があります。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

新年の始まりが毎年異なっていたというのは現代の日本では想像しづらいですが、ハンティの人々にとって重要なのは、季節や気候、動植物の様子・変化を理解することのようです。日本もかつてはそうだったのかもしれませんね。大石先生からは「大宗教の暦、学校教育、労働者の管理、国民(納税・徴兵)の管理などによって、現代人の暦や年中行事はより強化されているのだと思います。国家や宗教によって管理されているのとは異なった仕組みで、ハンティは一年を認識し、秩序づけています」というお話もいただきました。次回は1月12日の更新を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第五回:トナカイ橇(ぞり)から見る人とトナカイの関係

2017年 8月 11日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第五回: トナカイ橇(ぞり)から見る人とトナカイの関係


天幕の周りに置かれた橇

 現在では燃料で動くスノーモービルやモーター付きのボートも使用しますが、燃料の不要なトナカイ橇は、変わらず現地の人々の便利な交通手段であり続けています。トナカイ牧夫の住んでいる深い森の中には車が通ることのできるような道はありません。トナカイ橇は木を切り倒しただけの獣道や凍った湖川の上を走ります。天幕を運んで季節移動するときだけでなく、狩猟や漁撈(ぎょろう)へ行くとき、家畜トナカイの群を探しに行くとき、親戚たちの家を訪ねに行くとき、村へ買い物や電話をしに行くときなど、普段の乗り物としてもトナカイ橇を活用しています。


木々の間を行く

 トナカイにひかせる橇はすべて手作りです。ナイフや鉋(かんな)で木を削りだして作ります。橇の先には牽引(けんいん)のための革紐を結び、もう一方の端をトナカイの頭と胸のあたりに革と骨で作られた馬具のようなもので取り付けます。そして、2~4頭のトナカイを並列にして一台の橇をひかせます。橇には大人1~2人が乗ることができ、さらに荷物も縄でしっかりと縛り付けて載せることができます。橇を含めて重さが150kg以上になることもありますが、トナカイの脚力は強く、数十kmを駆けることができます。


トナカイの群

 さて、そのトナカイ橇ですが、どのトナカイに橇をひかせてもいいわけではなく、牧夫達はそのときどきで最適な個体を選んでいます。写真の群には約1400頭のトナカイがいますが、驚いたことに、牧夫たちは誰のどんなトナカイを見分けることができます。家畜の個体を見分けて群の管理を行うことを個体識別といいます。個体識別は、耳印、体毛の色・模様、顔つき、首輪・鐘の装飾、雌雄、年齢、去勢の有無、出産経歴、親子関係などで、それぞれ誰のどんなトナカイかを見分けています。

 上記の性質を持つトナカイは一つの群に混ざっているので、我々から見ると、群れは均一な個体により構成されているように見えますが、牧夫にとってはそうではありません。上記の性質によって分類し、さまざまな小グループに分けています。一つは所有者による分け方です。この群の場合、約1400頭のうち約1050頭は農業企業所有のトナカイで、残りの約350頭が個人所有のトナカイ、つまり牧夫たちあるいは村人が飼育委託したトナカイです。これらを5名の牧夫で管理しています。

 個人所有のなかでも橇をひくのは、去勢された雄と不妊雌、年老いた雌です。雌も出産数か月前になると橇をひかせないようにします。雄は3、4歳になると種雄にする個体を残してほとんどを去勢してしまい、群の中の種雄:雌が1:7になるようにします。個人所有のトナカイを人によく馴れさせ、名前を付け、調教して橇をひかせたり、群を先導・誘導させたりします。調教は仔トナカイが3、4歳になってから春か秋に行い始めます。調教過程でトナカイと人の関係が次第に親密になっていきます。かわって、農業企業所有のトナカイは企業の計画どおりに毎年200~300頭ほど食肉用に屠畜していきます。これらに名前や首輪をつけてかわいがることはあまりありません。こちらは人との関係が疎遠なトナカイといえます。


トナカイ革製のロープを投げてトナカイの角・頭に引っ掛けて捕らえる牧夫

 このようにトナカイを性質により見分けて分類することで、牧夫は人に良く馴れた個人所有のトナカイをそのときどきで選んで捕らえて、橇をひかせることが可能になっているのです。単に雄か雌かだけでなく、調教はどのくらい進んだか、最近橇牽引に働かせすぎて疲れていないか、お腹に仔がいるか、おとなしい性格か、健康状態はどうかなど、常に細かくトナカイを観察しています。トナカイの個体識別ができないと、橇をひかせる個体すら選び出すことができません。個体識別はトナカイ牧夫たちの重要な技術のひとつです。

ひとことハンティ語

Сора сора! 
読み方:ソーラ ソーラ!
意味:「速く、速く!」
使い方:人を急かすときや、トナカイに速く走れと命令するときに使います。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

トナカイ(学名Rangifer tarandus)という呼び名はアイヌ語(tunakay)から来ています。ツングース系のウィルタが飼っていた動物に対して樺太アイヌがトナカイと名付けました。英語のreindeerのreinは手綱ですので、橇の手綱をつけるようになった鹿という意味ですね。トナカイは漢字では馴鹿(じゅんろく)と記し、人に馴(な)れた鹿という意味です。英語も日本語も人からの視点で名付けられているのが面白いですね。家畜化しなかったアラスカ、カナダは野生の同種のものをcaribouと呼びます。野生だからreindeerとは呼びません。
トナカイの話はしばらく続きます。次回の更新は9月8日を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第四回: ヘリコプターとトナカイ橇(ぞり)に乗って

2017年 7月 14日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第四回: ヘリコプターとトナカイ橇(ぞり)に乗って


ヘリコプターの中から見たヌムト湖

 交通網が発達した現代においても、私の調査対象地はまだまだ行きにくいところにあります。1ヶ月間の渡航の内14日間が移動日ということもありました。今回は調査地である西シベリアの森の中へどのように行くのかを紹介したいと思います。

 調査地へは、まず、ロシアの首都モスクワ経由でハンティ-マンシースクに行きます。ここで諸手続きを終えた後、さらに田舎の町まで小型飛行機で行きます。川が凍結していない6月から9月は船で移動することも可能です。川が凍結している冬には乗り合いバスも地方都市と田舎の町を結んでいます。船やバスは日本から予約することはできないので、現地に行ってからどんな交通手段がそのときに最適であるかを判断します。インターネットで得られる交通情報もありますが、変更していたりもするので、現地でチケット販売の窓口に直接行くか電話で問い合わせるか、地元の方に聞きます。


ヌムトの位置(クリックで拡大)

 はじめてヌムトに行ったときはヘリコプターを利用しました。当時、ヘリコプターはカズィムという村とヌムトを結んでいました。ヘリコプターは月に1、2回往復していましたが、私がカズィム村に着いたときにはヘリコプターは出発したばかりだったので、最低でも2週間村で待つことになりそうでした。それまでも調査許可の書類入手のために一ヶ月以上も都市部で足止めされていたので、私は少し落胆しました。

 そんなとき、定期的な診察用のヘリコプターがヌムトへ行くという情報を偶然つかみました。村の方を通じて医師たちに私も同乗させて欲しいとお願いしました。かなり無謀なお願いでしたが、どういうわけか、すんなりとこの要望が叶いました。


医師たちとヘリコプターでヌムト集落に降りたつ

 ここで役にたっていたのが、どうやら都市部に滞在中に地元のテレビやラジオ、新聞にたびたび取り上げられていたことのようです。村の人たちみんなが、日本からハンティの文化を学びに来ている学生(当時は院生でした)が来ていて、森の奥深くまで行って調査研究したいらしいということを知っていました。医師たちもそれを知っていて、そういうことならば、と快諾してくれました。

 ヘリコプターは約250kmの道のりを2時間半程度かけてヌムトに到着しました。いよいよヌムトの人たちに会うことができると意気込んでいましたが、意外にも集落にはほとんど人がいませんでした。ヌムトの集落はソ連時代につくられた行政集落で約50軒の住居と小さな商店があり、電気と電話が使用可能です。しかし人々はここに常住せず、ふだんは集落から数十km離れた森の中で家族ごとにトナカイとともに暮らしていました。そこで、たまたま森から集落に来ていた方と交渉して、その方の家に行くことにしました。

 その方の森の住居までは集落から40km弱あり、トナカイに橇(そり)をひかせて移動しました。雪が湿っていてトナカイが走りにくく、休憩時間を含めて通常3時間程度で走るところを、5時間以上もかかって到着しました。トナカイ橇に乗るのは初めてだったので、道程で私は何度も振り落とされました。森の住居に到着するころにはへとへとに疲れていました。


トナカイ橇での移動

ハンティ語紹介

 Ма нємєм ~. マー ネーメム ~.「私の名前は~です(私は~と呼ばれています)」

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

現代社会はインターネットがあれば世界各国の交通事情も瞬時に分かりますが、どの手段を使うのがその時期に最適かは現地に行かないと分らないことがまだまだあります。雪と氷の世界の移動手段は現代的なヘリコプターと昔からのトナカイ橇、その対比が興味深かったですね。次回はトナカイ橇の話を詳しく紹介していただきます。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第三回 フィールドワークの旅支度②:装備編

2017年 6月 9日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第三回 フィールドワークの旅支度②:装備編

 今回はフィールドワークに持って行くモノを紹介します。現地でなかなか手に入らないものもあるので、毎回「装備表」を作って、忘れものがないように注意しています。ザック、テント、寝袋、食器、筆記用具、カメラ、薬等のバックパッカーが持っているようなもの、秤や温度計等の計測道具のほかに、私の調査では以下のような独特なものも持参します。


ホームステイ先でプレゼントされた民族衣装を着る筆者

民族衣装

 少数民族の小さな集落やトナカイ遊牧の宿営地に行くときは、現地の人々と同じ服装をします。なぜなら私が民族衣装を着ていないことを嫌がる年配の方もいて、「ハンティのところに来たのだからハンティのやり方に従いなさい」と、言われてしまうからです。そしてロシア語でプラトークとよばれる大きなスカーフで頭を覆い、あまり髪を見せないようにします。

パンと紅茶

 森の中に住む人々のところに行くときは、必ず自分が食べる分の食料を持参します。食料をその家の奥さんに渡して、ホームステイ先の家族の食事に一緒にさせてもらいます。いろいろな食品を村の商店で購入して持って行きますが、特にパンと紅茶は必須です。パンと紅茶は食事の度に食卓に並ぶものであり、欠かすことができません。

 ある時、森に暮らすある家族のところに一週間滞在するのにパン4斤しか持って行きませんでした。すると、その家庭のパンが残り少なくなっていたため、ご主人と奥さんにひどく文句を言われてしまいました。川の水位が下がっていて、ボートで村にパンを買いに行けなかったからです。それからというもの、パンは多めに持って行くようにしています。

マッチとナイフ

 森の中を徒歩やトナカイ橇(ぞり)、スノーモービル、ボートで移動するとき、いつ目的地に着くか定かではありません。移動途中で迷子になったり、トナカイが疲れて歩けなくなったり、スノーモービルやボートが故障したりして、森の中で長いこと休憩したり野宿したりしなければならないことがよくあります。そこですぐに煮炊きができるよう、マッチとナイフは常に持っていないといけません。これらは幼児を含め個人が当然身に着けているものであり、持っていないと現地では人として本当に馬鹿にされてしまいます。


食事ではよく生の魚を渡される。ナイフがないと食べられない

ウォッカの小瓶

 ハンティの風習で、初めて訪ねる家には必ずウォッカを持って行きます。その家の主人に渡すと、主人は家の隅に置かれている<神聖なもの>へお供えします。しばらく置いた後、みんなで食卓を囲んで飲みます。これがその家の人々に受け入れてもらう方法です。最初のころはそれを知らずに、訪問する先々で非常識だと嫌味を言われていました。あまりに私が気付かないままでいると、仲の良かった人が「なんでウォッカを持ってこないんだ」と、こっそり教えてくれました。重いので小瓶を持って行きますが、形式なので、それで十分です。

コイン

 ハンティの大地にはたくさんの聖地があります。これらを通りかかるときは必ず立ち止まり、コインを投げます。聖地を素通りしたりコインを投げなかったりすると、常識知らずの無礼な人になってしまいます。それで、コインをたくさんポケットに入れて調査地に行きます。どんな通貨でもいいですが、褐色か銀色か、どちらのコインが好まれるかはその土地で異なります。


氷下漁。魚が獲れたときもコインを川に投入れげる

 このように、調査地にはハンティの風習に従うために必要なものを持って行きますが、今でも何かを知らなくて怒られたり、嫌われたりすることがあります。みなさん親切に、「分からなかったら、何でも聞いてね」と言ってくれますが、何が分からないのかも分からなくて、結局叱られてしまいます。

 必需品というのは、それぞれの社会で異なります。叱られたときは嫌な気分ですが、それらを少しずつ探っていくのもわりと面白い作業です。

ハンティ語紹介

 Тыв юва! トィヴ ユヴァ「こっちへ、おいで!」

 呼び掛けのフレーズで人や飼い犬に対して用います。
 その他にも何か珍しいものを見せたい時、食卓に呼ぶ時、その場所からどいてほしい時などにも使います。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

今回はフィールドワークの現地に何を持って行くか、細かく紹介していただきました。これ全部でいったい何キロになるのだろうか?と大石先生にうかがってみたところ、「最近はコンパクトに荷物を詰められるようになって、23キロちょうどに合わせられます。舗装道路もないので、いざというとき自分で担いで運べるくらいの荷物しか持たないようにしています」とのことでした。パッキングにもきっとコツがあるのでしょう。
次回の更新は7月7日を予定しております。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第二回: フィールドワークの旅支度① ―ドキュメント―

2017年 5月 12日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第二回: フィールドワークの旅支度① ―ドキュメント―


ハンティ-マンシイスクの街並み

 近年では以前と比べてロシアビザを入手しやすくなっていますが、まだまだロシアでは日本人がバックパッカーのように航空券だけ購入してふらりと自由な旅行ができるわけではありません。旅行者にとって少々不自由な制度があります。例えば、入国前のビザの取得だけでなく、入国前に宿泊先のバウチャーを入手したり、滞在先を移動したらその都度郵便局で滞在登録をしたりせねばなりません。さらに、私のような外国人がシベリアの僻地で長期間の単独調査を行うには、パスポートとロシアビザだけでなく、現地の研究機関や地方行政府で用意してもらう調査許可書といった書類(=ドキュメント)が必要になってきます。

 実際に田舎で単独調査を行っていると、当然ですが怪しまれてしまい、警察官だけでなく役人、一般の人々にもパスポートの提示を求められることが何度もありました。このとき、パスポートとビザだけでなく他にも公的なドキュメントを所持しているとより信用されます。今回はフィールドワークを行うのに意外と重要で、かつ入手がたいへんなドキュメントについてお話しします。

 私の場合、西シベリアを研究する日本人研究者が少なかったため、研究機関とのコネクションづくりから始めねばなりませんでした。研究機関とは大学や研究所、博物館、少数民族団体などのことです。日本からたどたどしいロシア語で手当たり次第に現地のさまざまな研究機関に電話をして、外国人である私に研究員の身分を与えてロシア国内で比較的自由に調査を行えるよう、ビザを入手するために必要な招待状を与えて、調査許可書を作成してくれる研究機関を探しました。しかし、最初の数か月間はなかなかよい返事がもらえず、断られたり、たらい回しにされたりしてしまい、調査に行ける目処がまったく立たずに次第に落ち込んでいきました。

 いつまでも受入研究機関が見つからないので、思い切ってロシア語で当時所属していた大学のサインが入った要請書や推薦書等のオフィシャルレターや研究計画書を作成し、国立ユグラ大学のある教授と国立自然と人博物館の所長あてに一方的に郵送してみたところ、これがなぜか上手くいき、その後担当者とのやりとりができるようになりました。そして、どうにか招待状を入手し、第一関門であるビザを取得することができました。

 ビザだけでも結構な根気がいりましたが、私が初めて現地調査へ向かったときには、研究機関があるハンティ-マンシイスクという町に到着した後も、調査許可書と研究員契約書、納税証明書等のドキュメント入手とビザの延長のためにさらに一か月以上も足止めをされてしまいました。すぐにでも調査地に行きたいという気持ちもあり、とても焦っていましたが、ドキュメントの手続きのために行政窓口へ行く度に、担当者不在や受付時間外等の理由で、「明日来い」と言われることが何日も続いたので、もう急ぐのは諦めて、町にいるあいだにも何か学ぶことはあるだろう、ここでは『待つのも仕事』だ、と考え直し、町でしばらく情報収集を行う方向に転換しました。図書館で資料収集するだけでなく、テレビや新聞の取材を受けたり、地元の学生たちと交流したり、博物館のセミナーを受けたり、町に住むハンティたちにハンティ語を教えてもらったりしていました。


ハンティ-マンシイスクの芸術学校で生徒たちと交流する筆者

 ここでたくさんの人々と交流したおかげで、広大な森のどこにあるかも分からなかったハンティの集落についての情報を得ることができました。森でのホームステイ先探しも、最初は全くあてがありませんでしたが、この町で会ったハンティたちの親戚を通してきっかけをつかむことができました。この過程もフィールドワークの一部だったのだろうと今では思っています。

ハンティ語紹介

 Вуща! ヴーシャ!「こんにちは!」

 ハンティ語のあいさつです。出会ったときに互いにこの言葉をかけあいます。森の中でクマに出会ったときもこのようにあいさつします。

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【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

第二回の今回はフィールドワークをする「まで」の、意外に重要・意外に入手困難なドキュメントの話です。研究目的であれば問題なくドキュメントを揃えてくれるものだと思きや、実際には手に入れるまでにさまざまな苦労があるのですね。『待つのも仕事』という発想の転換が結果的にはその後の調査に役に立ったようですが、どのような状況でも前向きに対処する気の持ち方が、フィールドワークをする上で必要不可欠なのかもしれません。旅支度の話はまだ続きます。次回をお楽しみに。


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