人名用漢字の新字旧字:「鉄」と「鐵」

2011年 2月 24日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第82回 「鉄」と「鐵」

大日本帝国陸軍が昭和15年2月29日に通牒した兵器名称用制限漢字表は、兵器の名に使える漢字を1235字に制限したものでした。陸軍では、おおむね尋常小学校4年生までに習う漢字959字を一級漢字とし、これに兵器用の二級漢字276字を加えて、合計1235字を兵器の名に使える漢字として定めたのです。この一級漢字の中に、新字の「鉄」が含まれていました。旧字の「鐵」では書くのに時間がかかることから、新字の「鉄」を兵器の名に使い、旧字の「鐵」は使わないこととされたのです。

一方、国語審議会は昭和17年6月17日、標準漢字表を文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、常用漢字1134字、準常用漢字1320字、特別漢字74字、の合計2528字を収録していました。この常用漢字の中に、新字の「鉄」が含まれていました。「鉄」の直後には、カッコ書きで「鐵」が添えられていて、「鉄(鐵)」となっていました。国語審議会も、旧字の「鐵」ではなく新字の「鉄」を使うべきだ、と答申したのです。国語審議会は、戦後もこの方針を貫きました。昭和21年11月5日に答申した当用漢字表でも、「鉄(鐵)」としていたのです。翌週11月16日に当用漢字表は内閣告示され、新字の「鉄」は当用漢字になりました。

昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、新字の「鉄」が収録されていたので、「鉄」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。しかし旧字の「鐵」は、あくまで参考として当用漢字表に添えられたものだったので、子供の名づけに使ってはいけない、ということになりました。この時点で、新字の「鉄」は出生届に書いてOKですが、旧字の「鐵」はダメ、となってしまったのです。

それから半世紀の後、平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

旧字の「鐵」は、全国50法務局のうち5つの管区で出生届を拒否されたことがあったものの、JIS第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が31回でした。この結果、旧字の「鐵」は「常用平易」とはみなされず、人名用漢字に追加されませんでした。それが現在も続いていて、新字の「鉄」は子供の名づけに使えますが、旧字の「鐵」は使えないのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。


人名用漢字の新字旧字:「翆」と「翠」

2011年 2月 10日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第81回 「翆」と「翠」

新字の「」と旧字の「」の関係は、かなり複雑です。羽の下に卆の「」、羽の下に卆の「翆」、羽の下に卒の「翠」、羽の下に卒の「」、の4種類がありうるからです。

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これら4つのうち、子供の名づけに使えるのは、羽の下に卒の「翠」だけです。残りの3つは、現在は使えません。でも、過去には使えた時代もあったのです。

当用漢字1850字と人名用漢字92字では子供の名づけに足りない、という国民の声を受けて、法務省民事局は昭和50年7月、子供の名づけに使える漢字として追加すべきものを、全国の市区町村を対象に調査しました。さらに法務省民事局は、法務大臣の私的諮問機関として、人名用漢字問題懇談会を発足させ、人名用漢字に新たに28字を追加すべきだ、という結論を得ました(昭和51年5月25日)。この28字に、羽の下に卒の「」が含まれていたのです。そして昭和51年7月30日、この28字は、人名用漢字追加表として内閣告示されました。この時点では、羽の下に卒の「」だけが子供の名づけに使えて、「」「翆」「翠」はダメでした。

3週間後の昭和51年8月20日、法務省民事局は、羽の下に卒の「翠」も子供の名づけに認める旨を、全国の市区町村に通知しました。同時に、旧字の「」の下の「十」を「丅」に変えた俗字(下図参照)も、子供の名づけに認めたのです。この結果、羽の下に卒の「」、羽の下に卒の「翠」、そして下図の俗字、の3種類が子供の名づけに使えるようになりました。

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ところが、昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、羽の下に卒の「翠」は子供の名づけに使えるが、羽の下に卒の「」はダメとなっていました。もちろん、上図の俗字もダメです。羽の下に卆の「」も、羽の下に卆の「翆」もダメ。昭和56年10月1日に戸籍法施行規則が改正された結果、羽の下に卒の「翠」だけが、出生届に書いてOKとなりました。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。羽の下に卆の「翆」は、JIS第2水準漢字で、出現頻度数調査の結果が1回しかなかったため、追加候補になりませんでした。羽の下に卒の「」は、出現頻度数調査の結果が32回だったのですが、JIS X 0213に収録されていなかったため、審議の対象になりませんでした。羽の下に卆の「」は、出現頻度数調査の結果が0回で、JIS X 0213に収録されていなかったため、やはり審議の対象になりませんでした。

この結果、羽の下に卒の「翠」だけが、人名用漢字として残されました。それが現在も続いていて、「翠」は出生届に書いてOKですが、「」も「翆」も「」もダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:「媛」と「媛」

2011年 1月 27日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第80回 「媛」と「

080hime-old.png新字の「媛」は、常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。つまり、新字の「媛」は出生届に書いてOKですが、旧字の「」はダメ。では、愛媛県はどうだったのでしょう。

昭和17年6月17日、国語審議会は標準漢字表を文部大臣に答申しました。標準漢字表は、各官庁および一般社会で使用する漢字の標準を示したもので、常用漢字1134字、準常用漢字1320字、特別漢字74字、の合計2528字を収録していました。この準常用漢字の中に、旧字の「」が収録されていました。ところが、昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表には、新字の「媛」も旧字の「」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限され、新字の「媛」も旧字の「」も子供の名づけには使えなくなってしまいました。

昭和53年1月1日に制定された漢字コード規格JIS C 6226では、旧字の「」が第1水準漢字でした。ところが昭和58年9月1日の規格改正で、旧字の「」に代わって、新字の「媛」が第1水準漢字になりました。旧字の「」は、JIS漢字コードの規格票からは消えてしまったのです。一方、民事行政審議会は平成2年1月16日、新たに人名用漢字に追加すべき漢字として、118字を答申しました。この118字には、新字の「媛」が含まれており、旧字の「」は含まれていませんでした。平成2年3月1日、戸籍法施行規則は改正され、新字の「媛」を含む118字は全て人名用漢字になりました(平成2年4月1日施行)が、旧字の「」は人名用漢字になれませんでした。

これらの動きに対し、愛媛県は、微妙な態度を取り続けていました。法令や公用文書に関しては旧字の「」による「愛県」を正式名称とする一方、住所表記やその他の印刷物に関しては新字の「媛」でも旧字の「」でもよい、としていたのです。ところが、平成20年7月15日に、文化審議会国語分科会の漢字小委員会が188字の常用漢字表追加案を発表したことで、風向きが変わり始めました。この追加案188字に、新字の「媛」が含まれていたのです。常用漢字表は、法令、公用文書における漢字使用の目安なので、新字の「媛」を常用漢字に追加するような改定がおこなわれたら、法令や公用文書には、旧字の「」より、むしろ新字の「媛」を使うべきだ、ということになります。

平成22年6月7日、文化審議会が答申した改定常用漢字表には、新字の「媛」が含まれていました。平成22年11月30日に内閣告示された新しい常用漢字表にも、新字の「媛」が収録されていて、旧字の「」は含まれていませんでした。この結果、子供の名づけにも、法令や公用文書にも、新字の「媛」は使ってOKですが、旧字の「」はダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:「逸」と「逸」

2011年 1月 13日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第79回 「逸」と「逸」

新字の「逸」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「」は人名用漢字なので、やはり子供の名づけに使えます。つまり、新字の「逸」も、旧字の「」も、出生届に書いてOK。でも、旧字の「」には、実は微妙な歴史があるのです。

079itsu-old1.png昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、旧字の「」が収録されていました。昭和23年1月1日の戸籍法改正で、子供の名づけに使える漢字は、この時点の当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「」が収録されていたので、旧字の「」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。

昭和23年6月1日、国語審議会は当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表では、旧字の「」に代えて、新字の「逸」が収録されていました。昭和24年4月28日に、この当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「逸」が当用漢字となり、旧字の「」は当用漢字ではなくなってしまいました。当用漢字表にある旧字の「」と、当用漢字字体表にある新字の「逸」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、旧字の「」も新字の「逸」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。

昭和56年3月23日、国語審議会は常用漢字表を答申しました。常用漢字表の「逸」には、カッコ書きで「」が添えられていました。つまり、「逸()」となっていたのです。これに対し民事行政審議会は、昭和56年4月22日の総会で、常用漢字表1945字を子供の名づけに認めると同時に、常用漢字表のカッコ書きの旧字357字のうち、当用漢字表に収録されていた旧字195字を、子供の名づけに認めることにしました。

079itsu-old2.png昭和56年5月14日の民事行政審議会答申では、旧字の「」は、子供の名づけに使える漢字に含まれていました。ところが「」の字体は、常用漢字表のカッコ書きや当用漢字表とは、微妙に異なるものになっていました。中の「兔」の字体が変わっていて、画数が1画増えていたのです。昭和56年10月1日の戸籍法施行規則改正では、旧字の「」が人名用漢字になりましたが、その字体は、民事行政審議会答申と同じく、1画増えた方のものでした。常用漢字表のカッコ書きの「」と、人名用漢字の「」とは、微妙に異なる字体になってしまったのです。

平成16年9月27日、法務省は戸籍法施行規則を改正しました。この改正で、人名用漢字の「」の字体は、中の「兔」が1画減らされて、常用漢字表のカッコ書きと同じ字体になりました。それが現在も続いていて、常用漢字表の「逸()」は、新字旧字ともに出生届に書いてOKなのです。逆に言えば、中の「兔」が1画多い旧字の「」は、昭和56年10月1日から平成16年9月26日の間だけ子供の名づけに使えた幻の字体なのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:「斎」と「齋」

2010年 12月 16日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第78回 「斎」と「齋」

新字の「斎」は常用漢字なので、子供の名づけに使えます。旧字の「齋」は常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。「斎」は出生届に書いてOKですが、「齋」はダメ。でも、新字の「斎」は、微妙に字体が揺れ続けているのです。

078itsuki-new1.png昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表2528字には、新字の「斎」が収録されていて、その直後にカッコ書きで「齋」が添えられていました。つまり「斎(齋)」となっていたわけです。国語審議会は、旧字の「齋」ではなく新字の「斎」を使うべきだ、と答申したのです。ただし、標準漢字表の「斎」は、「」の中に「示」を書く字体でした。

昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表でも、「斎」の直後に「齋」がカッコ書きで添えられていて、「斎(齋)」となっていました。ところが、当用漢字表の「斎」の字体は、標準漢字表とは微妙に異なっていました。中にある「示」の横棒が2本ともかなり長く、「斉」の中に「小」を書く字体だったのです。078itsuki-new2.png昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、旧字の「齋」は子供の名づけに使えなくなり、当用漢字表の「斎」(斉の中に小)だけが出生届に書いてOKとなりました。

昭和53年1月1日に制定された漢字コード規格JIS C 6226では、新字の「斎」が第1水準漢字、旧字の「齋」が第2水準漢字でした。ただし「斎」の字体は、標準漢字表の字体(の中に示)でした。規格票の印刷に使われた石井明朝体が、そういうデザインだったのです。一方、昭和56年10月1日に内閣告示された常用漢字表は、やはり「斎(齋)」となっていましたが、「斎」は当用漢字表と同じ字体(斉の中に小)でした。そして、子供の名づけに使えるのは、相変わらず常用漢字表の「斎」(斉の中に小)だけでした。でも、コンピュータで表示できる字体は、漢字コード規格に載っている方の「斎」(の中に示)が一般的で、常用漢字表とは微妙に異なっていました。

ところが、平成22年6月7日に文化審議会が答申した改定常用漢字表は、少し様子が違っていました。「斎(齋)」となっているものの、「斎」がいわゆるコンピュータ字体(の中に示)に変えられていたのです。平成22年11月30日に内閣告示された新しい常用漢字表においても、「斎(齋)」の「斎」は、の中に示を書く字体でした。つまり、常用漢字表の「斎」は、平成22年11月30日をもって字体が変更されてしまったのです。この結果、子供の名づけに使えた「斎」も、の中に示を書く字体へと変更されてしまったのです。


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人名用漢字の新字旧字:「碍」と「礙」

2010年 12月 2日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第77回 「碍」と「礙」

昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表2528字には、新字の「碍」と旧字の「礙」の両方が含まれていました。新字の「碍」は準常用漢字、旧字の「礙」は特別漢字となっており、一般の生活には「碍」を用いるが、皇室典範や帝国憲法などには「礙」を用いることになっていました。ところが、昭和21年11月5日に国語審議会が答申した当用漢字表1850字には、「碍」も「礙」も含まれていませんでした。当用漢字表は、翌週11月16日に内閣告示されましたが、やはり「碍」も「礙」も収録されていませんでした。そして、昭和23年1月1日に戸籍法が改正された結果、「碍」も「礙」も子供の名づけに使えなくなってしまったのです。

平成21年11月10日、文化審議会国語分科会は「改定常用漢字表」に関する試案を発表しました。この試案は、常用漢字1945字に対し、5字を削除して196字を追加する案で、2136字を収録していました。しかし、この試案は「碍」も「礙」も収録していませんでした。国語分科会は11月25日から12月24日まで、この試案に対する意見募集をおこないました。そうしたところ、常用漢字に「碍」を追加してほしい、という意見が86通も集まったのです。「障害者」ではなく「障碍者」と常用漢字で書けるようにしてほしい、という意見だったのです。

国語分科会は、常用漢字に「碍」を追加するかどうかについては、内閣府において発足したばかりの障がい者制度改革推進本部に、ゲタを預けることにしました。これを受けて、障がい者制度改革推進本部は、障がい者制度改革推進会議の配下に、「障害」の表記に関する作業チームを発足させました。作業チームは、平成22年8月9日から11月15日まで、合計6回のヒアリングと会合をおこないました。その中で、「障害」や「障碍」あるいは「チャレンジド」などの表記が議論されたのです。

「障害」の表記に関する作業チームは、平成22年11月22日、障がい者制度改革推進会議に、「障害」の表記に関する検討結果を報告しました。作業チームの検討結果は、『法令等における「障害」について、現時点において新たに特定のものに決定することは困難である』というものでした。作業チームの検討結果を受けて、障がい者制度改革推進会議は、「障害」の表記の見直しについては今後の継続課題とし、法令等における「障害」の表記は、当面の間、変更しないことを決定しました。「障害者」という表記を、とりあえずは使い続けることになったのです。

平成22年11月30日、新しい常用漢字表2136字が内閣告示されました。「障害」の表記をとりあえずは変更しない、という、障がい者制度改革推進会議の決定を受けて、「碍」は常用漢字に追加されませんでした。この結果、新字の「碍」も旧字の「礙」も、子供の名づけには使うことができないのです。


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安岡孝一(やすおか・こういち)

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人名用漢字の新字旧字:「剥」と「剝」

2010年 11月 18日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第76回 「剥」と「

076haku-old.png新字の「剥」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「」は、今は子供の名づけに使えませんが、今月末で常用漢字になるので、それ以降は子供の名づけに使えるようになります。でも、旧字の「」は、もっと早くに人名用漢字になれるはずだったのです。

平成12年12月8日、国語審議会は表外漢字字体表を答申しました。表外漢字字体表は、常用漢字(および当時の人名用漢字)以外の漢字に対して、印刷に用いる字体のよりどころを示したもので、1022字の印刷標準字体が収録されていました。この中に、旧字のが含まれていました。印刷物には、旧字の「」を用いるべきだ、と、国語審議会は文部大臣に答申したのです。これを受けて、経済産業省は平成16年2月20日、漢字コード規格JIS X 0213を改正しました。元々JIS X 0213には、新字の「剥」しか掲載されていなかったのですが、この改正で第3水準漢字に、旧字の「」を含む10字が追加されました。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、1ヶ月前に改正されたばかりのJIS X 0213、文化庁が表外漢字字体表のためにおこなった漢字出現頻度数調査(平成12年3月)、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「」は、出生届窓口での不受理は全くありませんでしたが、JIS X 0213の第3水準漢字で、出現頻度数調査の結果が2036だったので、人名用漢字の追加候補になりました。一方、新字の「剥」は、第1水準漢字でしたが、出現頻度数調査の結果が0で全く出現していませんでした。この結果にもとづき、人名用漢字部会は平成16年6月11日、旧字の「」を含む578字の追加案を公開しました。

この追加案に関して、「糞」や「」などに対する反対意見が、国民から寄せられました。人名用漢字部会は7月23日と8月13日の会議で、これらの反対意見を審議し、結局、追加候補を488字に絞りました。旧字の「」は、人名用漢字の追加候補から外されてしまったのです。法制審議会は追加候補488字を、そのまま法務大臣への答申(平成16年9月8日)とし、9月27日の戸籍法施行規則改正で、これら488字は全て人名用漢字に追加されました。この結果、旧字の「」も新字の「剥」も人名用漢字になれず、それが現在に至っているのです。

ところが、文化審議会が平成22年6月7日に答申した改定常用漢字表には、旧字の「」が収録されていました。そして、今月末には新しい常用漢字表が内閣告示されて、「」は常用漢字になる予定です。子供の名づけにふさわしくないという国民の声を受けて、人名用漢字から外された「」なのですが、今月末からは出生届に書いてOKとなるのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:「篭」と「籠」

2010年 11月 4日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第75回 「篭」と「籠」

新字の「篭」は、常用漢字でも人名用漢字でもないので、子供の名づけに使えません。旧字の「籠」は、今は子供の名づけに使えませんが、今月末で常用漢字になるので、それ以降は子供の名づけに使えるようになります。でも、今の時点では「篭」も「籠」も、出生届に書いてはダメなのです。

昭和53年1月1日に制定された漢字コード規格JIS C 6226では、旧字の「籠」が第1水準漢字、新字の「篭」が第2水準漢字でした。ところが、昭和58年9月1日の規格改正で「籠」と「篭」は入れ換えられ、新字の「篭」が第1水準漢字に、旧字の「籠」が第2水準漢字になってしまいました。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。旧字の「籠」は漢字出現頻度数調査の結果が233回でしたが、全国50の法務局から不受理の報告はありませんでした。もし「籠」が第1水準漢字だったなら、出現頻度233回なので、人名用漢字の追加候補になれるはずでした。しかし、「籠」は第2水準漢字だったので、法務局数が0であれば、出現頻度に関係なく追加候補から外されました。一方、新字の「篭」は出現頻度31回で法務局数が1だったので、追加候補にはなりませんでした。075kago-old.png漢字出現頻度数調査には、「籠」とは別に「7画目が横棒の籠」(画像参照)も含まれていて、出現頻度3789回とダントツだったのですが、人名用漢字部会はこの字をあえて無視しました。

この結果、「篭」も「籠」も「7画目が横棒の籠」も、人名用漢字になれませんでした。ですので、今日現在の時点では、「篭」も「籠」も「7画目が横棒の籠」も子供の名づけに使えません。しかし、話はこれで終わりではないのです。

平成18年3月、文化庁は新たに、書籍860冊を対象とした漢字出現頻度数調査を公表しました。文化審議会国語分科会のもと発足した漢字小委員会が、常用漢字表の改定作業を進めており、その基礎資料とするためです。新たな漢字出現頻度数調査では、「篭」が31回、「籠」が507回、「7画目が横棒の籠」が6823回という結果でした。ところが、漢字小委員会が国語分科会に報告した「新常用漢字表(仮称)」に関する試案(平成21年1月27日)では、「籠」を常用漢字に追加すべきだとしていました。「篭」や「7画目が横棒の籠」ではなく、「籠」が常用されている、と漢字小委員会は判断したのです。

平成22年6月7日、文化審議会は改定常用漢字表を答申しました。改定常用漢字表には「籠」が収録されていましたが、「篭」も「7画目が横棒の籠」も含まれていませんでした。そして、今月末には新しい常用漢字表が内閣告示されて、「籠」は常用漢字になる予定です。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
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人名用漢字の新字旧字:「来」と「來」と「徕」と「徠」

2010年 10月 21日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第74回 「来」と「來」と「」と「徠」

新字の「来」は、常用漢字なので子供の名づけに使えます。旧字の「來」は、人名用漢字なので子供の名づけに使えます。では、「」と「徠」はどうなのでしょう。実は、「」も「徠」も、「來」の異体字なのですが、「徠」の方だけが子供の名づけに使えて、「」はダメなのです。

昭和21年11月16日に内閣告示された当用漢字表には、旧字の「來」が収録されていました。昭和23年1月1日に施行された戸籍法施行規則は、子供の名づけに使える漢字を当用漢字表1850字に制限しました。したがってこの時点では、旧字の「來」は出生届に書いてOKだったのですが、新字の「来」はダメだったのです。昭和24年4月28日、当用漢字字体表が内閣告示され、新字の「来」が当用漢字になりました。これを受けて法務府民事局は、当用漢字表に加えて当用漢字字体表も子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。この結果、「來」も「来」も、どちらも出生届に書いてOKとなったのです。 その後、常用漢字表の時代になって、「来」は常用漢字になり、「來」は人名用漢字になりました。

平成16年3月26日に法制審議会のもとで発足した人名用漢字部会は、常用漢字や人名用漢字の異体字であっても、「常用平易」な漢字であれば人名用漢字として追加する、という方針を打ち出しました。この方針にしたがって人名用漢字部会は、当時最新の漢字コード規格JIS X 0213(平成16年2月20日改正版)、平成12年3月に文化庁が書籍385誌に対しておこなった漢字出現頻度数調査、全国の出生届窓口で平成2年以降に不受理とされた漢字、の3つをもとに審議をおこないました。

追加候補選定基準 漢字出現頻度数調査
200回以上 50~199回 1~49回
不受理の法務局数 11以上 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1・2水準
8~10 JIS第1~3水準 JIS第1・2水準 JIS第1水準
6~7 JIS第1~3水準 JIS第1水準 JIS第1水準
0~5 JIS第1・3水準 - -

「徠」は、JIS X 0213の第2水準漢字で、漢字出現頻度数調査の結果が201回で、全国50法務局のうち5つの管区で出生届を拒否されたことがありました。したがって、同じ第2水準漢字で不受理の法務局数が5の「澤」(出現頻度1221回)と同様、人名用漢字の追加候補に選ばれないはずでした。ところが、平成16年6月11日に発表された578字の追加案には、どういうわけか「徠」が含まれていました。一方、「」は、JIS X 0213に収録されていなかったため、審議の対象になりませんでした。

平成16年9月8日、法制審議会は、「徠」を含む488字を、人名用漢字追加候補として法務大臣に答申しました。そして平成16年9月27日、戸籍法施行規則が改正され、「來」に加えて「徠」が人名用漢字になりました。この結果、現在では、「来」「來」「徠」は出生届に書いてOKですが、「」はダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。


人名用漢字の新字旧字:「悦」と「悅」

2010年 10月 7日 木曜日 筆者: 安岡 孝一

第73回 「悦」と「悅」

(編集部注:当初公開した内容に誤りがありました。10月8日未明に内容を差し替えました。謹んでお詫び申し上げます。)

新字の「悦」は、常用漢字なので子供の名づけに使えます。旧字の「悅」は子供の名づけに使えません。つまり「悦」は出生届に書いてOKですが、「悅」はダメ。ただし、「悅」が子供の名づけに使えた時期もあったのです。

昭和15年12月、国語協会は『標準名づけ読本』を発表しました。『標準名づけ読本』は、やさしい名前を子供につけることで国字運動の一翼を担おうというもので、子供の名づけに用いる漢字を500字に制限しようとするものでした。この500字の中に、旧字の「悅」が含まれていました。一方、昭和17年6月17日に国語審議会が答申した標準漢字表2528字にも、旧字の「悅」が収録されていました。

ところが、昭和21年4月27日、国語審議会に提出された常用漢字表1295字には、旧字の「悅」も新字の「悦」も含まれていませんでした。この常用漢字表に対し、国語審議会は5月8日の総会で、さらなる検討を要すると判断し、6月4日、常用漢字に関する主査委員会が発足しました。

昭和21年9月25日、常用漢字表に関する主査委員会には、『標準名づけ読本』500字を選定した5人の委員のうち2人が出席していました。主査委員会は常用漢字表を練り直すにあたって、固有名詞に対する漢字制限を視野に入れており、そのためのヒアリングをおこなっていたのです。『標準名づけ読本』500字のうち、この時点での常用漢字案に含まれていなかったのは、92字でした。主査委員会は、これら92字のうち、旧字の「悅」を含む17字を、常用漢字案に追加することを決定しました。また、10月1日の主査委員会では、表の名称を、常用漢字表から当用漢字表へと変更しました。

昭和21年11月5日、国語審議会は文部大臣に当用漢字表を答申しました。この時点の当用漢字表1850字は、手書きのガリ版刷りでしたが、旧字の「悅」が収録されていました。翌週11月16日に内閣告示された当用漢字表にも、旧字の「悅」が収録されていました。昭和23年1月1日に戸籍法が改正され、子供の名づけに使える漢字が、この時点での当用漢字表1850字に制限されました。当用漢字表には、旧字の「悅」が収録されていたので、「悅」は子供の名づけに使ってよい漢字になりました。

国語審議会は昭和23年6月1日、当用漢字字体表を答申しました。当用漢字字体表では、旧字の「悅」の代わりに新字の「悦」が収録されていました。昭和24年4月28日に当用漢字字体表が内閣告示された結果、新字の「悦」が当用漢字となり、旧字の「悅」は当用漢字ではなくなってしまいました。当用漢字表にある旧字の「悅」と、当用漢字字体表にある新字の「悦」と、どちらが子供の名づけに使えるのかが問題になりましたが、この問題に対し法務府民事局は、「悅」も「悦」もどちらも子供の名づけに使ってよい、と回答しました(昭和24年6月29日)。

ところが昭和56年10月1日に、新字の「悦」は常用漢字になりましたが、一方、旧字の「悅」は子供の名づけに使えなくなってしまいました。この結果、現在では、新字の「悦」は出生届に書いてOKですが、旧字の「悅」はダメなのです。


【筆者プロフィール】
安岡孝一(やすおか・こういち)

京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター准教授。
京都大学博士(工学)。JIS X 0213の制定および改正で委員を務め、その際に人名用漢字の新字旧字を徹底調査するハメになった。著書に『キーボード配列QWERTYの謎』(NTT出版)、『文字コードの世界』(東京電機大学出版局)、『文字符号の歴史―欧米と日本編―』(共立出版)などがある。
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal で、断続的に「日記」を更新中。


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