絵巻で見る 平安時代の暮らし 第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

2016年 12月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第56回 『年中行事絵巻』別本巻二「大臣大饗」を読み解く(続)

場面:大臣大饗で鷹飼(たかがい)と犬飼(いぬかい)が登場するところ
場所:東三条邸の寝殿とその西側など
時節:1月4日

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建物等:Ⓐ寝殿 Ⓑ五級の御階 Ⓒ塗籠となる部屋 Ⓓ西広廂 Ⓔ妻戸 Ⓕ西北渡殿 Ⓖ休所(やすみどころ)となる部屋 Ⓗ西透渡殿(すきわたどの) Ⓘ西簀子 Ⓙ南廂 Ⓚ親王の座の畳 Ⓛ尊者の座 Ⓜ公卿の座 Ⓝ西廂 Ⓞ弁・少納言の座 Ⓟ外記・史(さかん)の座 Ⓠ西中門廊 Ⓡ千貫(せんかん)の井 Ⓢ溝 Ⓣ透廊(すきろう)
人物:[ア] 鷹飼 [イ]犬飼 [ウ]下役の者 [エ]主人 [オ]尊者の公卿 [カ]非参議大弁
調度など:①折敷 ②屛風 ③軟障(ぜじょう) ④御簾 ⑤・⑦・⑧・⑨・⑪台盤 ⑥茵(しとね) ⑩出雲筵の帖(じょう) ⑫幔門(まんもん) ⑬雉 ⑭鷹 ⑮犬

はじめに 今回は、第54回で扱いました東三条邸を会場とした大臣大饗の続きになります。そこでの東三条邸の図には、Ⓐ寝殿南面のⒷ五級の御階の位置が間違って描かれていました。今回のもそれが踏襲されていて、一間分西側に描かなくてはならないところでした。この他にも史料に照らしておかしな点があります。画面右上の角は二間四方のⒸ塗籠になりますが、区画されてしまっています。また、寝殿Ⓓ西広廂の北側に描かれるⒺ妻戸の西側は、Ⓕ西北渡殿の一間分でⒼ休所にされましたが(後述)、二間分あるようになっていて人物が描かれてしまっています。こうした欠点がありますが、大饗の宴席が描かれたことで、今回の場面は貴重な史料になっています。

絵巻の場面 この場面は[ア]鷹飼と[イ]犬飼が登場するところです(後述)。それと併せて、鳥瞰的な吹抜屋台の技法で、室内の宴席の様子も描いています。高い建物などなかった時代に、よくもこうした鳥瞰図が描けたものと思います。この構図によって、東三条邸の内部と、大臣大饗の宴席に対する視覚的な理解ができますね。

宴席の序列 それでは、東三条邸の構造を確認しながら、宴席の様子を見ていきましょう。画面右側(東)がⒶ寝殿、左側(西)手前がⒽ西透渡殿、奥がⒻ西北渡殿になります。宴は進行していて、西透渡殿に二人、寝殿のⒾ西簀子とⒹ西広廂に一人ずつの、四人の下役の者が料理を運んでいるのが見えます。西簀子の[ウ]人には①折敷を捧げ持っている様子が分かります。

 画面でまず目につくのは、宴席が幾つにも分かれていることです。なぜ分かれているのかは、前々回の拝礼の場面で明らかですね。身分・序列が、宴席の座にも及んでいるのです。そして、寝殿には②屛風、西北渡殿には③軟障が張り巡らされて宴席を区画していることが分かります。この違いも身分差を示し、座席が区別されました。なお、寝殿の屛風の後ろには壁代と④御簾が垂らされますが、画面では一部しか描かれていません。

主人と尊者の座 まず、主人の座を確認しましょう。Ⓙ南廂が[エ]主人の座です。大饗が始まった時には、Ⓚ親王の座とされる二帖敷かれた畳に坐りましたが、途中から朱塗の⑤台盤と菅円座(すげえんざ)を置いて、ここに移りました。藤原氏の氏の長者が行う大饗では、朱器台盤(大盤とも)といって、朱塗の、器と台盤を主客が代々使用しました。朱器大饗という言い方もされ、氏の長者としての威勢を誇示したのです。
 大臣大饗の来客のうち、最も身分が高い二人が尊者とされましたね。Ⓛ尊者の座は、母屋の東側に二つ設けられます。この日の[オ]尊者は一人だけでしたので、南側に坐しています。二人の場合には、南側が上席になります。画面でははっきりしませんが、座の設け方にも作法がありました。板敷の床の上に、長筵・菅円座・地敷・⑥茵の順で重ねられ、⑦台盤が、油単(ゆたん。湿気を防ぐために油をしみ込ませた敷物)の上に置かれました。

公卿の座と弁・少納言の座 尊者の座の西側は、Ⓜ公卿の座になります。⑧台盤十二脚を二列に置いて向かい合って坐る、二行対座にしました。尊者の座と違って、ここは北側が上席です。長筵・菅円座・地敷を重ねて敷き、さらに円座を置きます。公卿は大納言・中納言・参議の身分がありますので、その差を視覚化するために、一番上に敷く円座の縁(へり)の色が変えられました。大納言は紫縁、中納言は青縁、参議は高麗縁とされたのです。

 Ⓝ西廂が、Ⓞ弁・少納言の座です。ここも画面ではっきりしませんが、上席となる北端は、高麗縁の円座が敷かれた[カ]非参議大弁の座とされ、台盤一脚が置かれました。その南に間隔を空けて四脚の⑨台盤が一列に並べられ、円座はなく出雲筵が敷かれました。円座と筵で、身分を違えたのです。

外記・史の座 寝殿から離れた、東西四間となるⒻ西北渡殿の西側三間が、Ⓟ外記・史の座です。ここも二行対座になります。北側が外記、南側が史で、⑩出雲筵の帖(薄い畳)が敷かれ、⑪台盤二脚が置かれました。

 西北渡殿の東端の間(ま)は、臨時に南北二つに区画され、北が公卿、南が尊者のⒼ休所とされましたが、先ほど触れましたように、尊者以外の人物が描かれてしまっています。休所は、用を足すために設けられました。

西中門廊 Ⓕ西北渡殿の西側は、通路を隔ててⓆ西中門廊となりますが、画面では連続したように描かれています。ここにも五人に官人が坐っていますが、本来はもう少し北側に、侍従・諸大夫の座として設けられたのを、ここに描いたのだと思われます。大饗には、この他にも、下級官人の席も設けられましたが、画面にはありませんので、説明は省略させていただきます。

 なお、五人が坐る西中門廊の南端は、地面になっています。ここには『枕草子』に「Ⓡ千貫の井」として登場する井戸があって、京内で有名でした。この井戸を守るために、東三条邸では西の対が設けられなかったとも言われています。

鷹飼と犬飼の登場 宴が進行すると、[イ]犬飼を連れた[ア]鷹飼が、⑫幔門(前々回参照)から南庭に登場します。鷹飼は鷹狩で獲れた⑬雉を木の枝にさし、⑭鷹を左肘に留まらせています。犬飼は、野に隠れる小動物を追い出すために使われる⑮犬を連れています。二人とも天皇の鷹狩に奉仕する蔵人所の下級官人になります。鷹飼は、前々回の場面で描かれていました立作所(料理所)で雉を渡し、ここで酒を勧められ、盃を犬飼に回しました。そして、禄を戴き、退場して行きます。

 二人の登場は大饗での余興であり、退場してからは、さらに舞楽などが行われて、饗宴は続いていくことになります。

 なお、⑮幔門の西側(左側)とⓈ溝とのあいだは土間になるⓉ透廊になっていることが画面で分かります。前々回では、ここは描かれていませんでしたね。この透廊は、南池まで延びています。

この画面の意義 今回は大臣大饗の宴席の様子を中心に見てみました。母屋・廂・渡殿という場所、宴席を囲う屛風・軟障などの屏障具、そして、画面では分からない点も触れましたが、座に敷かれる茵・円座・筵・帖などの座臥具などを違えることで身分差を、さらにそれぞれの座でも上席が決められ序列を視覚化していました。貴族たちが会合する場は、いつでも身分や序列が問題になるのです。それは、後の武士の世でも、あるいは今日でも変わらない光景となりますね。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回扱いました「東三条殿」は、現在でも京都市の中京区押小路通釜座角(京都市営地下鉄烏丸線・地下鉄東西線「烏丸御池駅」から徒歩)に石標があり、その付近が東三条殿の跡地であることを今に伝えています。
 2013年4月に始まり、56回にわたって連載して参りました、倉田実先生の「絵巻で見る 平安時代の暮らし」は、都合により2017年1月から休載期間に入ります。1年後を目処に、また再開の予定ですので、何とぞ引き続きご愛読ください。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第55回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会での右近衛陣の饗」を読み解く

2016年 11月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第55回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会での右近衛陣の饗」を読み解く

場面:御斎会の折、右近衛陣(うこのえのじん)で饗(きょう)が行われているところ
場所:平安京内裏の校書殿(きょうしょでん)東廂・月華門(げっかもん)付近
時節:1月14日?

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建物等:①校書殿 ②月華門 ③安福殿(あんぷくでん) ④紫宸殿南庭 ⑤右近衛陣 ⑥油坏(あぶらつき) ⑦結び灯台 ⑧仮廂 ⑨檜皮葺屋根 ⑩釣り金物 ⑪二枚格子の上部 ⑫下長押 ⑬垂板敷(おちいたじき) ⑭西座 ⑮綱 ⑯半畳(はんじょう) ⑰丸高坏 ⑱机 ⑲溝蓋 ⑳瓶子(へいじ)盃 溝 橋 東土廂 北廂
人物:[ア] 弁か少納言 [イ]次将 [ウ]・[カ]公卿 [エ]親王か [オ]将監(しょうげん) [キ]官人 [ク]近衛府の武官 
着装等:Ⓐ下襲の裾 Ⓑ・Ⓗ太刀 Ⓒ平緒 Ⓓ浅靴 Ⓔ緌(おいかけ)の冠 Ⓕ壷胡簶(つぼやなぐい) Ⓖ弓

はじめに 今回は、内裏の殿舎の一つ、校書殿に置かれた右近衛陣での饗(供応)の様子をみることにします。この饗は、第3940回で扱いました御斎会(ごさいえ)の一環として行われました。御斎会については、これらの回をご参照ください。『年中行事絵巻』で御斎会は巻七に描かれていますが、右近衛陣の饗は、巻六に間違って入っています。

絵巻の場面 最初に、場面を確認しましょう。中心的に描かれているのが南北棟となる①校書殿で、②月華門を挟んだ南側(画面左)の③安福殿とともに④紫宸殿南庭の西側に位置していますので、西殿とも呼ばれました。画面はこの殿舎を東から西方向を眺めた構図になっていますので、描かれているのは、東側になります。校書殿東廂の南半分ほどには、⑤右近衛府用の陣(詰所)が置かれ、ここが饗の会場として使用されたのです。

 描かれた日は、七日間にわたった御斎会の最終日です。大極殿での儀(第39回参照)終わり、参加した公卿や運営に携わった官人たちが内裏に戻ってきて、この東廂で饗が供されました。さらに引き続いて清涼殿での内論議(うちろんぎ。第40回参照)となりますので、ここで食事という次第になったのでしょう。しかし、こんな狭い所で官人たち全員の饗などできませんので、多分に儀式的側面があったことになります。

 時間帯は、どうでしょうか。灯りが描かれていれば、夜の時間でしたね。その灯りは描かれています。室内の板敷に、三本の短い棒を結わえて開いた上に火の灯された⑥油坏(油皿)が見えますね。これは⑦結び灯台と言い、宮中の行事などでよく使用されました。

校書殿 続いて、校書殿について触れておきます。九間二間の母屋には、北と南に二間分の塗籠が作られ、中央五間分が納殿(おさめどの)とされました。ここが蔵となります。
 廂は北以外に付き、西廂には、貴重な書物や文書を扱う校書所(きょうしょどころ)があり、その任にも当たる蔵人所(くろうどどころ)も置かれました。校書殿が文殿(ふどの)とも呼ばれるのは、こうしたことに依っています。蔵人所とは、天皇側近として諸処の用をつとめる役所を言います。この一画には、出納(しゅつのう)や小舎人(こどねり)といった納殿の番をする下級職員が控えていました。

 東廂は、右近衛陣の他に、北側は「孔雀の間」と呼ぶ土間があり、以前にここで孔雀が飼われていたからと言われています。この北にさらに二間分の東廂がありました。

 南廂は、東廂の左から二間目の奥になり絵では壁で隔てられています。柱間が他より狭くなっている左端は、⑧仮廂とされています。

右近衛陣 さらに具体的に東廂の右近衛陣を見ていきましょう。⑨檜皮葺屋根の軒下から下ろされたL字形の⑩釣り金物に、⑪二枚格子の上部が掛けられています。下部は、饗のために取りはずされています。

 室内は、少し変わった構造になっていて、三つの部分に区画されているのが、お分かりでしょうか。左側の三間目から床が一段高くなっているのが見えますね。⑫下長押分の段差が作られているのです。しかし、この段差は奥の母屋との境まで届かず、その手前で低くなっています。これによって、⑬垂板敷(下板敷)と呼ぶ、低くなっている左二間分、母屋に沿って低くなった⑭西座の部分、そして、下長押の上の部分に三層化されるのです。これは、何のためでしょうか。もうお分かりですね。身分によって坐る場所を序列化するためでした(後述)。

 下長押の上方には、⑮綱が垂れているのが描かれています。この綱は、上長押の上を通して西廂に続いていて、そこには鈴が付けられていたと思われます。東廂で綱を引くと、西廂の鈴が鳴り、控えている小舎人などを呼ぶ合図にしたのです。これとは別に、西廂から清涼殿南側にも綱が引かれていて、こちらは鈴の綱と呼ばれていました。東廂の綱も、同じように鈴の綱と呼ばれたと思われます。

饗に着く官人たち それでは序列化された室内の官人たちを確認しましょう。坐る場所は、次のように決められていました。⑬垂板敷に北向きに坐るのは三等官の[ア]弁や少納言、⑭西座はここでは空席ですが、四等官の外記(げき)か史(さかん)、垂板敷に西向きに坐るのは二等官の[イ]近衛の次将(中将・少将)、一段高い所で対座するのが[ウ]公卿で、[エ]親王は東向きに坐りました。四等官制の身分の違いが見事に視覚化されていますね。

 官人たちは皆黒袍の束帯姿で、Ⓐ下襲の裾を引き、Ⓑ帯剣している者もいます。それぞれ⑯半畳に坐り、公卿の前には⑰丸高坏、垂板敷に坐る人の前には⑱机が置かれ、料理が並んでいます。この饗では三献後に薯蕷粥(芋粥。いもがゆ)が供されましたが、まだ一献なのかもしれません。

 画面右側には、⑲溝蓋にいる者の⑳瓶子(酒瓶)から盃に酌を受けた様子が描かれています。これを近衛府の[オ]将監(三等官)から次将が酌を受けているとする説がありますが、どうでしょうか。受けているのは[カ]公卿と思われます。四位や五位となる次将は、継酌(つぎしゃく)と言って、身分の低い者にかわって、王卿に献盃することになっていました。ですから酌を受けているのは、次将ではなく公卿と思われます。しかし、献杯しているのは、次将ではなく、将監のようです。

 盃を持つ公卿の左横は壁のように見えますが、ここには壁はなく、左側と続いていたようです。模写した絵師が描き忘れたのかもしれません。

月華門・安福殿 さらに見ていない画面を確認しましょう。二人の[キ]官人が入ってきた門が②月華門で、南庭東側の日華門と相対しています。門内の溝には橋が架けられています。この官人は右近衛陣の饗にこれから加わるのかもしれません。Ⓒ平緒を下げ、Ⓓ浅靴をはいています。

 月華門の左が③安福殿でした。侍医などが控えた薬殿(くすどの)があり、造酒司(みきのつかさ)と主水司(もんどのつかさ)の者が出向していました。手前に見える所は、東土廂、その奥は北廂になります。

 安福殿の手前にたむろしているのは、近衛府の[ク]武官たちです。Ⓔ緌の冠をかぶり、Ⓕ壷胡簶を背負い、Ⓖ弓を持ち、Ⓗ帯剣しています。

この画面の意義 この画面は、校書殿の東廂を描いています。実は、第12回の賭弓でも校書殿が描かれていましたが、幔で隠されて、わずかしか見えませんでした。しかし、今回の場面では東廂だけとは言え、階層化された室内が描かれて貴重でした。

 饗の様子は、第51回の射遺、第52回の中宮大饗でも扱いましたが、これらとは違った席次となっていました。下長押分だけわざわざ高くする室内の仕組みは、貴族社会に身分規制がいかに徹底していたかが窺われるのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、第54回で予告しておりました、「大臣大饗」の場面です。54回では拝礼の場面でしたが、次回は酒宴の途中の場面を採り上げます。ご一緒に、東三条邸の酒宴の場面に参入しましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

古語辞典でみる和歌 第30回 係り結びを含む和歌

2016年 11月 1日 火曜日 筆者: 古語辞典編集部

古語辞典でみる和歌 第30回

八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来(き)にけり

出典

拾遺・秋・一四〇・恵慶法師(ゑぎやうほふし) / 百人一首

重にも葎が生い茂った寒々しい宿に、訪れる人の姿は見えないが、秋は訪れて来たことだ。

「こそ」は係助詞。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。「こそ…ね」で係り結びになっているが、文脈上逆接の意で下につながっている。

今月は、係り結びを含む和歌の例をご紹介いたします。

【ぞ】

この世をばわが世と思ふ望月(もちづき)のかけたることもなしと思へば
〈小右記(せういうき)・藤原道長(ふぢはらの/みちなが)
[訳]この世を自分の世と思い、この夜も私のための夜と思う。今宵(こよい)の満月が欠けたところがないように、私にも何一つ満ちたらぬことがないと思うので。
[技法]「このよをば」の「よ」は、「世」と「夜」をかける。二句切れ。
[参考]『小右記』は、藤原実資(ふじわらの/さねすけ)の日記。それによれば、藤原道長が、三女威子(いし)が後一条天皇の中宮になった日、寛仁二(一〇一八)年十月十六日に、宴席で詠んだ歌。娘の彰子(しようし)・妍子(けんし)・威子が后となり、自らも太政大臣(だいじようだいじん)として位をきわめたという満ち足りた思いを詠む。(〔和歌〕この世をば・・・)

竜田河(たつたがは)色紅(くれなゐ)になりにけり山の紅葉(もみぢ)今は散るらし
〈後撰・秋下・四一三〉
[訳]竜田川は色が紅になったことだよ。山の紅葉は、今は散っているらしい。
〔注〕「らし」は「ぞ」の係り結び。(「らし」(推量の助動詞「らし」の連体形))

【こそ】

春の夜の闇(やみ)はあやなし梅の花色こそ見えね香(か)やはかくるる
〈古今・春上・四一・凡河内躬恒(おほしかふちのみつね)
[訳](闇とはあらゆるものをすっぽりと隠すものだが)春の夜の闇はどうも筋の通らないことをしている。梅の花の、色こそ見えはしないが、その香は隠れているか、いや隠れていないではないか。
[技法]二句切れ。
〔注〕「色こそ見えね」の「こそ」は強調の係助詞。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。係り結びの形で逆接的に下へ続く。「香やはかくるる」の「やは」は、反語の係助詞。「かくるる」は結びで、動ラ下二「かくる」の連体形。(〔和歌〕はるのよのやみはあやなし…)

【や】

住江の岸に寄る波よるさへ夢の通(かよ)ひ路(ぢ)人目(ひとめ)よくらむ
〈古今・恋二・五五九・藤原敏行(ふぢはらのとしゆき) / 百人一首
[訳]住江の岸に寄る波、その「よる」ではないが、夜までも夢の中の通い路で、あの人は人目を避けているのだろう
[技法]上二句は「よる」の同音反復で「夜」を導く序詞。
〔注〕「さへ」は、添加を表す副助詞。「や」は、疑問の係助詞。「らむ」は、現在推量の助動詞「らむ」の連体形(係り結び)。(〔和歌〕すみのえの…)

【か】

(いも)が家(へ)に雪も降ると見るまでにここだも紛ふ梅の花かも
〈万葉・五・八四四〉
[訳]恋人の家に雪が降るのと見まごう程に、こんなにも紛らわしく散る梅の花であることよ。
〔注〕「か」が疑問を表し、係り結びが成立して連体形「降る」で結ばれる。文末の「かも」は詠嘆の終助詞の用法。(「か」[係助]一)

なお、係助詞の「なむ」は、和歌ではほとんど例が見られません。従って、和歌で「なむ」が出てきた場合は、終助詞の「なむ」、あるいは「完了+推量のなむ」とまずは考えて良いでしょう。以下に①願望の終助詞の「なむ」、②「完了+推量のなむ」の和歌の例を挙げます。「なむ」の見分け方は、『三省堂 全訳読解古語辞典』888pに載っていますので、ご活用下さい。

①願望の終助詞「なむ」の例

あかなくにまだきも月の隠るるか山の端(は)逃げて入れずもあらなむ
〈古今・雑上・八八四・在原業平(ありはらのなりひら)、伊勢・八二〉
[訳]まだ満足しておらず、もっともっと眺めていたいのに、こんなにも早く月が隠れてしまうのでしょうか。山の端よ、逃げて月を入れないでおくれ
[技法]三句切れ。
〔注〕「隠るるか」の「か」は詠嘆を表す終助詞で、「まだきも」の「も」と呼応している。「入れずもあらなむ」の「なむ」は他に対する願望を表す終助詞。
[参考]業平が惟喬(これたか)親王の供をして狩りに出かけ、宿所に帰って一晩中酒宴を開いたとき、親王が寝所へ入ろうとするのを見て、親王を月になぞらえて、おやすみになるのはまだ早すぎます、と引きとめた歌。(〔和歌〕あかなくに…)

高砂の尾の上(へ)の桜咲きにけり外山(とやま)の霞(かすみ)立たずもあらなむ
〈後拾遺・春上・一二〇・大江匡房(おほえのまさふさ) / 百人一首〉
[訳](高砂の)高い峰の桜がようやく咲いたことだなあ。人里近い山々の霞よ、どうか立たないでほしい
[技法]三句切れ。
〔注〕「にけり」は完了の助動詞「ぬ」の連用形「に」+過去(気づき)の助動詞「けり」の終止形で、心待ちにしていた桜がようやく咲いたことだなあ、と気づいて詠嘆している。「なむ」は、願望を表す終助詞。
[参考]「尾の上」は、山の頂(いただき)のこと。「外山」は、人里に近い、手前にある低い山。「尾の上」と「外山」を対照させ、遠近感のある広大な景を詠んでいる。(〔和歌〕たかさごの…)

人知れぬ我が通ひ路(ぢ)の関守(せきもり)は宵宵(よひよひ)ごとにうちも寝(ね)なむ
〈伊勢・五、古今・恋三・六三二・在原業平(ありはらのなりひら)
[訳]人には秘密の、私の恋の通い路を守る番人は、夜ごと夜ごと、ほんの少しの間でもよいから、眠ってほしい
〔注〕「うちも寝ななむ」の「うち」は接頭語、ほんの少しの間でもよい、という意を添える。「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形。「なむ」は他に対する願望を表す終助詞。(〔和歌〕ひとしれぬ…)

小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ
〈拾遺・雑秋・一一二八・藤原忠平(ふぢはらのただひら)/ 百人一首〉
[訳]小倉山の峰のもみじの葉よ。もしおまえに心があるなら、今一度のお出ましがあるときまで、(散らずにその美しさのまま)待っていてほしい
〔注〕「なむ」は、他に対する願望を表す終助詞。
[参考]詞書(ことばがき)によれば、宇多上皇が都の西にある大堰(おおい)川(=上流は保津川、下流は桂川)にお出ましになったとき、紅葉の美しさに感嘆され、わが子醍醐(だいご)天皇にも見せたいとおっしゃったので、お供をしていた作者が、天皇に申し上げましょうと言って詠んだ歌。(〔和歌〕をぐらやま…)

②「完了」+「推量」のなむの例

君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ
〈古今・東歌・一〇九三・よみ人しらず〉
[訳]あなたをさしおいて、ほかの人を思う浮気心を私がもちましたなら、あの末の松山を波も越えてしまうことでしょう
〔注〕「わが持たば」の「ば」は、未然形に接続して順接の仮定条件を表す。「波も越えなむ」の「なむ」は、完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」の終止形。
[参考]「末の松山」は、陸奥(みちのく)の歌枕。絶対に波が越えることのない山と考えられていた。(〔和歌〕きみをおきて…)

この世にし楽しくあらば来(こ)む世には虫に鳥にも我はなりなむ
〈万葉・三・三四八・大伴旅人(おほとものたびと)
[訳]この世で楽しく過ごせるならば、あの世では虫にでも鳥にでも私はきっとなりましょう
〔注〕「虫に鳥にも」は「虫にも鳥にも」であり、音数の関係で、上の係助詞「も」が略されている。「なむ」は、完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」。ここでは強い意志を表す。
[参考](ちよう)になることは『荘子』に故事がある。仏教の輪廻転生(りんねてんしよう)思想を逆手にとって、現世享楽をうたう。(〔和歌〕このよにし…)

今回で、この『三省堂 全訳読解古語辞典』を引いて和歌を紹介するシリーズは、ひとまず終了となります。これまでのご愛読ありがとうございました。引き続き、古典作品を読むために古語辞典をご活用頂ければ幸いです。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

2016年 10月 15日 土曜日 筆者: 倉田 実

第54回 『年中行事絵巻』巻十「大臣大饗」を読み解く

場面:大臣大饗が始まるところ
場所:東三条邸の寝殿と南庭
時節:1月4日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ五級の御階 Ⓑ寝殿 Ⓒ西広廂 Ⓓ打出(うちで) Ⓔ東南一間分 Ⓕ御簾 Ⓖ簀子 Ⓗ南廂 Ⓘ畳(親王の座) Ⓙ西透渡殿(すきわたどの) Ⓚ西階
人物:[ア] 角髪(みずら)に結った船差童(ふなさしわらわ) [イ]主人 [ウ]尊者 [エ]公卿 [オ]弁・少納言 [カ]外記・史(げき・さかん) [キ]家礼(けらい) [ク]召使 [ケ]随身
庭上:①立作所(たちつくりどころ) ②俎板 ③・④・⑯二階棚 ⑤鯉 ⑥折敷高坏 ⑦・⑰瓶子(へいじ) ⑧・⑱折敷 ⑨・⑩・⑲・⑳床子 ⑪酒部所(さかべどころ) ⑫土器製の酒樽 ⑬柄杓 ⑭火炉 ⑮大釜 幔(まん) 幔門 荒磯 南池 龍頭の舟 鷁首の舟 棹 楽太鼓 下襲の裾 笏 石帯 

はじめに 今回は、第52回で正月の中宮大饗を読み解きましたので、関連した大臣大饗を採り上げることにしました。これまで大内裏・内裏の様子を見てきましたが、貴族邸が絵巻の舞台になります。

寝殿造図の間違い 突然ですが、原典(原本は焼失。現存は模写本)の寝殿造の建物には、おかしなところがあります。お気づきでしょうか。Ⓐ五級の御階を見てください。位置がおかしくはありませんか。御階はⒷ寝殿南面の中央に位置するのが普通でした。しかし、この図では、御階の東側(右側)が三間、西側(左側)が五間になっていますね。御階の位置がおかしく、もう一間西側に移して描けば、両側の東西は四間ずつになりました。絵師が御階の位置を勘違いしたと思われます。

 『年中行事絵巻』巻十には、この大臣大饗の終わりの段階を描いた絵も載っています。その絵では御階の東側は、四間のように見えます。また、この大臣大饗の場となったとされる、藤原氏の氏の長者が主に伝領した東三条邸の構造とも違っています。東三条邸寝殿は六間四面で、北孫廂とⒸ西広廂(吹き放し)が付き、東西九間、南北五間であったことが明らかにされています。そして、御階は中央の五間目にありました。

 やはり御階の位置は、原典の間違いとなりましょう。この他に、四足の机などに一足描き忘れたりしていますので、模写する際に問題があったのでしょう。

絵巻の場面 それでは、絵巻の場面となる大臣大饗について触れておきます。大臣大饗は、摂関や大臣が私邸に王卿や官人たちを招いて饗宴を催すことを言います。毎年正月四日から五日と、大臣任官の際に行われる二通りがありました。ここは正月の大饗で、来訪の挨拶(拝礼)、酒宴、賜禄、退出と続きますが、この間に、幾つか趣向がありました。今回は、拝礼の場面で、次々回に酒宴の途中の場面を採り上げることにします。

東三条邸の室礼 大饗を催す際には、しかるべき準備や室礼がされました。この画面でも、その一端が分かります。Ⓑ寝殿では南面東端二間分に、Ⓓ打出がされています。本来でしたら、Ⓔ東南一間分にも打出がされますが、画面ではよく分かりません。打出は、女性衣装の袖口や褄(つま)などをⒻ御簾の下からⒼ簀子に押し出して飾りとすることでした。

 また、御階西側のⒽ南廂が一段高くなっています。これは、Ⓘ畳二帖が敷かれているためで、親王の座とされました。これも位置的には、御階と共に西側にもう一間ずらされなければなりません。この奥には、来客たちが坐る座が整えられましたが、詳しいことは次々回に触れることにして、南庭に目を転じましょう。

南庭の準備 南庭にもこの日のための準備がなされます。まず目につくのが、二つの幄舎です。東側にある幄舎は、①立作所で、ここで雉や鯉などを調理します。中央には大きな②俎板を二つ載せた台が置かれています。この左右には、③④二階棚があります。③左側の上段手前には、絵では⑤鯉が描かれていますが、本来は下段に置かれました。奥には二つの⑥折敷高坏が二つ見え、中に蘇(そ。チーズのような食べ物)と甘栗とが壺に入れられているようです。これは、宮中から蘇甘栗使によって、大饗のために贈られました。大饗は公的な儀式であったことを思わせます。④右側の棚の上段手前には、⑦瓶子(酒と酢を入れた)が見え、奥にお盆の役をする⑧折敷が置かれています。折敷は本来、塩などと共に下段に置かれました。俎板台の手前と奥には、包丁人(料理人)用の⑨⑩床子が置かれています。手前の⑨床子には一足が描き忘れられていて、⑩奥のは俎板台の下に置かれているように見えますが、これでは坐れませんね。画面ではカットしましたが、この幄舎の東側には、釜を据えた火炉が置かれました。

 西側の幄舎は、⑪酒部所といって、お酒のお燗をします。右側には、大きな⑫土器製の酒樽に⑬柄杓が添えられています。中央には台(足の一本が描かれていません)に載せた⑭火炉があり、⑮大釜が二つ据えられています。ここでお燗するわけです。左側には⑯二階棚が置かれ、上段には⑰瓶子が四つ置かれているのが見えます。下段には、絵でははっきりしませんが、⑱折敷が置かれていて、これに瓶子や盃を載せて、宴席まで運びます。幄の手前と奥には、酒番をする人用の⑲⑳床子が見えますが、手前に二脚置いたようです。

 この幄舎の西側には、幔が張られ、幔門が作られています。東三条邸では、この幔に沿って左側に釣殿に続く透廊がありましたが、絵巻では省略されています。幔の奥の内側に見えるのはⒿ西透渡殿で、西端にここに上がるためのⓀ西階が見えます。なお、東三条邸には、西の対がなく、特殊な構造になっていますが、これも次々回で触れます。

 荒磯のある南池には、龍頭の舟と鷁首の舟が見えます。棹で漕ぐのは[ア]角髪に結った船差童四人ずつです。鷁首の舟には楽太鼓が見え、船楽が奏せられます。

拝礼の仕方 次は、儀式の次第です。Ⓐ御階手前の東側に立つのが[イ]主人です。一人歩んできたのは、この日の最も高位の人で、[ウ]尊者と言います。下襲の裾を長く引いた二人は揖(ゆう)と言って、笏を両手で持ち、上体を前に傾けて礼をしています。

 この揖以前、三列に整列した時点で、主客は拝礼しています。各列は東が上で、一列目に[エ]公卿(三位以上)、二列目に[オ]弁・少納言(四、五位相当)、三列目に[カ]外記・史(六、七位相当)となります。整列は、二列目の先頭が一列目の三人目の後ろから、三列目は二列目の二人目からとなっていましたが、この絵では三列とも先頭は揃っていますね。

 整列している人たちは束帯姿ですが、黒く描かれた人と、そうでない人に分かれています。袍の色は11世紀にもなると、一位から四位までは限りなく黒くなりますので、この絵でも四位以上が黒で、五位以下の人とわざと区別しているのでしょう。[カ]外記・史たちは下襲の裾を引いていませんが、これは畳んで石帯にはさんでいることになります。

宴席への移動 宴席への移動の仕方にも身分に応じて作法がありました。主人と尊者は御階の前で三譲(さんじょう)といって昇殿を三度譲り会ってから、沓を脱いで並んで上がります。主人はⒾ親王座、尊者は、奥の尊者座に着きます。それに続いて、公卿たちも御階を上がり母屋の座に着きました。

 弁・少納言は、幔の北のⒿ西透渡殿のⓀ西階からに上がり、寝殿西廂の座に着きます。外記・史は一端幔門の外に出て、描かれてはいませんが西北渡殿に上がり、そこの座に着きます。さらに、幔門に待機する束帯姿は、東三条邸に普段から出入りしている [キ]家礼(家来)たちで、拝礼なしで西透渡殿から上がりました。貴族社会では、昇殿の仕方にも身分差があったのでした。なお、幔門の外側にいるのは、昇殿した主人の沓を取る[ク]召使たちのようです。また、南庭にいる武官姿は、[ケ]随身たちです。

この画面の意義 今回は大臣大饗の拝礼の場面を見てみました。寝殿造や整列の仕方などにおかしさがあるとはいえ、拝礼する様子が分かり貴重でした。さらに次々回も大臣大饗を採り上げて、理解を深めたいと思います。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』より、儀式関連についての解説が続きます。どうぞお楽しみに。

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古語辞典でみる和歌 第29回 「らむ」「けむ」を含む和歌

2016年 10月 4日 火曜日 筆者: 古語辞典編集部

古語辞典でみる和歌 第29回

推量の表現を含む和歌:ひさかたの月の桂(かつら)も秋はなほ紅葉(もみぢ)すればや照りまさるらむ

出典

〈古今・秋上・一九四・壬生忠岑(みぶのただみね)

(ひさかたの)地上の木々ばかりでなく、月の世界にある桂の木も、秋にはやはり紅葉するので、月の光がいちだんと照り輝くのだろうか。

技法

「ひさかたの」は「月」の枕詞。

「月の桂も」の「も」は、他に類例があることを示す係助詞。地上の木々だけでなく、月の桂も、の意。「もみぢすればや」の「ば」は、順接確定条件の接続助詞。「や」は疑問の係助詞。「照りまさるらむ」の「らむ」は、現在理由推量の助動詞「らむ」の連体形で「や」の結び。

参考

月の世界には桂の木が生えているという中国の伝説をふまえ、秋の月の美しさを詠んでいる。

今月は、「らむ」と「けむ」を含む和歌を取り上げます。「む」が未来の事柄についての推量を表すのに対し、「けむ」は過去の事柄についての推量を、「らむ」は現在の事柄についての推量を表します。

以下に、和歌の例を取り上げます。末尾の( )内に、辞書での掲出項目をお示しします。

【らむ】

あきしのや外山(とやま)の里やしぐるらん生駒(いこま)のたけに雲のかかれる
〈新古今・冬・五八五・西行(さいぎやう)
[訳]秋篠(あきしの)の外山の里はいまごろしぐれているのだろうか。生駒山に雨雲がかかっているよ。
〔注〕初句の「や」は感動を示す間投助詞。二句の「や」は疑問の意の係助詞。「らん」は「らむ」に同じで、眼前にない現在の事柄を推量する助動詞。
[参考]「外山」は、里に近い山。「深山(みやま)」は、奥深い山。「端山(はやま)」は、連山の端の人里近い山。「秋篠」は奈良市秋篠町。「生駒」は奈良県と大阪府の境にある山。(「あきしのや」)

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ
〈古今・春下・八四・紀友則(きのとものり)〉/ 百人一首
[訳](ひさかたの)日の光がこんなにものどかな春の日に、どうして落ちついた心もなく桜の花は散っているのだろう
[技法]「ひさかたの」は「光」の枕詞。
〔注〕「花の散るらむ」の「の」は主格の格助詞。述語が言い切りとなる場合には、連体形終止になる。「らむ」は現在理由推量の助動詞「らむ」の連体形で、どうして…なのだろう、の意。
[参考]桜の花を擬人化して、散りゆく桜を惜しむ気持ちを詠んだ歌である。のどかな春の日と、しきりに散る桜を対比する。(「ひさかたのひかりのどけき」)

【けむ】

(あ)を待つと君が濡(ぬ)けむあしひきの山のしづくにならましものを
〈万葉・二・一〇八・石川郎女(いしかはのいらつめ)
[訳]わたしを待っていてあなたが濡れたという、(あしひきの)そういう山のしずくになれたらよかったのに。
[技法]「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。
〔注〕「けむ」は過去に関する伝聞の助動詞「けむ」の連体形。「ましものを」は、反実仮想の助動詞「まし」に、逆接の助詞「ものを」が付いて、…だったらよかったのに、の意を表す。(「あをまつと…」)

よそにのみ聞かましものを音羽川渡るとなしにみなれそめけむ
〈古今・恋五・七四九〉
[訳]あの人のことは最初から他人事と思って聞くだけにしておけばよかったなあ。どうして(音に聞くという名を持つ)音羽川を渡る(=世間に公然と関係を示す)ことなしに、ひそかになじみはじめてしまったのだろう
〔注〕「音羽川」の「音」は「聞く」の縁語。「みなれ」は「見馴(な)れ」と「水(み)馴れ」の掛詞。(「けむ」)

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

2016年 9月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第53回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く(続)

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏南門の承明門(じょうめいもん)から建礼門(けんれいもん)にかけて
時節:1月2日?

(画像はクリックで拡大)

建物:①承明門 ②建礼門 ③・⑩石の基壇 ④・⑯檜皮葺の屋根 ⑤棟瓦 ⑥・⑨三級の石階 ⑦・⑮築地 ⑧複廊 ⑪瓦屋根 ⑫檜皮葺の廂屋根(出廂) ⑬三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)の妻 ⑭瓦 ⑰仗舎(じょうしゃ) ⑱妻戸 ⑲連子(れんじ) ⑳白壁
人物:[ア] 黒袍束帯姿の右兵衛督 [イ] ・[エ]褐衣(かちえ)姿の舎人(とねり) [ウ] 黒袍束帯姿の左兵衛督  [オ] 黒袍束帯姿の文官 [カ] 童 [キ] 黒袍束帯姿の右衛門督  [ク] 口取りの白張(はくちょう)
着装:Ⓐ緌(おいかけ) Ⓑ券纓(けんえい)の冠 Ⓒ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓓ・Ⓗ弓  Ⓔ靴(かのくつ) Ⓕ平緒(ひらお) Ⓖ壷胡簶 Ⓘ藁靴

はじめに 今回は、第46回で扱いました『年中行事絵巻』の朝覲行幸に出発する場面の続きを採り上げます。朝覲行幸は、天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会することでした。今回の場面は、高倉天皇が紫宸殿を出発するところで、これから平安京の東外、七条末路辺に建てられた父の後白河上皇が住む法住寺南殿に向かいます。この邸第も第17回第18回で扱っていますので、ご参照ください。

内裏の内郭と外郭 最初に平安京内裏の区画について改めて触れておきます。内裏は、二重の障壁によって囲まれていました。外側は外郭といい、築地と六つの門などからなり、内側は内郭といい、回廊と十二の門からなっています。外郭の門を宮門(きゅうもん)、内郭の門を閤門(こうもん)と呼ぶこともあります。これから見ます画面には、内郭南面の正門となる承明門と、外郭南面の正門となる建礼門が描かれているのです。

これらの門を警護したり、開閉したりするのは、衛府と呼ばれる官司の武官たちです。平安時代には六衛府制となり、近衛府・衛門府・兵衛府の三つに整備され、それぞれ左右に分かれました。そして、守備する場所が分担されたのです。内郭は近衛府、外郭は衛門府、中郭は兵衛府、というように担当が決められました。門の開閉は内側からしますので、承明門は近衛府、建礼門は兵衛府が当たります。

これから読み解きます場面は、第46回で見ました内郭を守備する近衛府に続いて、兵衛府と衛門府の分担が表現されていますので、以上のことを念頭に置いて見るようにしてください。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。東から西を眺めた構図になっています。画面右方向(北)には紫宸殿があり、天皇は鳳輦(ほうれん。天皇専用の輿)に乗って、これから南の①承明門・②建礼門をくぐって行くことになります。

 この場面では、人々の様子が二通りになっているのがお分かりですか。画面上部に居並ぶ武官たちは静止していますが、手前の人たちはあわただしく動いていますね。これはどうしたことでしょうか。これも六衛府の役割分担にかかわっているのです。

行幸の行列は、天皇の鳳輦を中心として前後に分かれます。前に位置するのが左の衛府、後ろが右の衛府となります。画面手前の武官は南面する天皇から見て左となりますので、鳳輦の前に位置しようとして動いているのです。画面上部の右の衛府は、行列の後ろですので、鳳輦が通過するのを待っているのです。だから静止しています。この点だけでも、行幸の次第や衛府の役割が分かりますね。

承明門 話は反れますが、京都御所の拝観をしたことがありますか。その拝観ルートで、回廊の門の外側から、内部の紫宸殿南面を見ることができます。その門が、画面右側にある①承明門なのです。拝観ルートは外郭と内郭のあいだを通っているわけです。

 承明門は、③石の基壇の上に建てられます。④檜皮葺の屋根に⑤棟瓦を載せ、五間三戸(第50回参照)になっていますが、この図では、はっきりと分かりません。基壇には、北側に二級、南側に⑥三級の石階が付いています。

 承明門の東西は、中央の⑦築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれる⑧複廊の回廊になっています(第52回参照)。

兵衛たち 次に承明門の南側にいる人々を見てみましょう。二人の黒袍の束帯姿の武官が目立つようにやや大きく描かれています。[ア]西側(画面上部)の人で確認しましょう。Ⓐ緌の付いたⒷ巻纓の冠にⒸ平胡簶を背負ってⒹ弓を持ち、履いているのは縁を赤地で飾ったⒺ靴(第10回参照)です。Ⓕ平緒が下がっていますので、画面には見えませんが太刀を佩いています。典型的な武官の正装ですね。その横に並ぶ人たちとは、あきらかに身分が異なっています。これらの人々は兵衛府の[イ]舎人(下級の武官)で、褐衣姿にⒼ壷胡簶を背負ってⒽ弓を持ち、Ⓘ藁靴になっています。

 それでは、この黒袍の人は誰になるのでしょうか。もうお分かりですね。この場所を守備するのは兵衛府で、西側が右でしたので、この人は長官の[ア]右兵衛督となります。そうしますと、東側で移動している同じ装束の人が[ウ]左兵衛督になります。こちらの[エ]舎人たちは、一緒に移動していますね。

 承明門で建礼門の方を見ている[オ]黒袍の人が見えます。この人は、緌や胡簶が見えませんので文官になり、行幸の進行役になるのでしょうか。階段を駆け上がっている[カ]童は、様子を見に来た衛門督に従う使いでしょう。その他の人たちも行幸の行列が出発しますので、あわただしく往来しています。

建礼門 続いて②建礼門を見ましょう。これも⑨三級の石階のある⑩基壇の上に建っていますが、屋根は違います。⑪瓦屋根で、南側には⑫檜皮葺の廂屋根が付いています。これを出廂と呼びます。屋根の下の妻(側面)は、複雑な飾りとなっています。これは第50回で見ました待賢門の⑬三重虹梁蟇股という構造と同じになりますね。ただし、待賢門は桁(横木)が突き出ていますので、見た目は同じではありません。

 建礼門の東西は⑭瓦を載せた⑮築地になっています。内裏をしっかり区画しているのです。門前の東西にある⑯檜皮葺の小さな建物は、⑰仗舎と呼ぶ左右衛門府の守衛所です。正面に⑱妻戸、その両側の上部は格子状の窓となる⑲連子(檑子とも)、下部は⑳白壁(粉壁とも。ふんぺき)になっています。残り三面も⑳白壁です。

外郭の衛門たち 西の仗舎の横に立つ黒袍の武官は、先の兵衛督と同じ装束ですね。こちらは外郭の外にいますので、[キ]右衛門督になります。左衛門督は、カットした画面左側にいて、すでに騎乗して出発しています。門前には七頭の馬が描かれていますが、五位以上の武官が騎乗することになっていました。馬たちは、何かに驚いたのか、前脚を上げたりして興奮した様子です。それを必死に押さえつけようとしている[ク]口取りたちは、主に白布の狩衣を着た白張と呼ぶ下部たちです。馬のいななきや、叱咤する白張たちの喧騒が聞こえてきそうな門前となっていますね。こうした光景を描くのは『年中行事絵巻』の特徴の一つでした。

 なお、馬具一式を鞍と呼び、当時は様式の違いから唐鞍・大和鞍・移鞍(うつしくら)の三種がありました。ここは移鞍になりますが、その詳細は割愛して、いつか触れることにしたいと思っています。

この画面の意義 今回は第46回の画面の続きでした。二つを並べてみますと、左右の、近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかりますね。それぞれの長官が目立つように描かれていました。そして、役割の違いは、内裏の構造とかかわっていたのでした。絵巻は行幸の次第を描こうとして、おのずと六衛府のことを表現していたのです。衛府の違いも分かるところにこの画面の意義があることになります。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『年中行事絵巻』の中の、東三条殿での「大臣大饗」のシーンを取り上げる予定です。どうぞお楽しみに。

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古語辞典でみる和歌 第28回 願望の表現を含む和歌

2016年 9月 6日 火曜日 筆者: 古語辞典編集部

古語辞典でみる和歌 第28回

願望の表現を含む和歌:飽かなくにまだきも月の隠るるか山の端(は)逃げて入れずもあらなむ

出典

古今・雑上・八八四・在原業平(ありはらのなりひら)、伊勢・八二

まだ満足しておらず、もっともっと眺めていたいのに、こんなにも早く月が隠れてしまうのでしょうか。山の端よ、逃げて月を入れないでおくれ。

技法

三句切れ。

「隠るるか」の「か」は詠嘆を表す終助詞で、「まだきも」の「も」と呼応している。「入れずもあらなむ」の「なむ」は他に対する願望を表す終助詞。

参考

業平が惟喬(これたか)親王の供をして狩りに出かけ、宿所に帰って一晩中酒宴を開いたとき、親王が寝所へ入ろうとするのを見て、親王を月になぞらえて、おやすみになるのはまだ早すぎます、と引きとめた歌。

(『三省堂 全訳読解古語辞典〔第四版〕』「あかなくに…」)

今回は、願望の終助詞を取り上げます。

願望を表す終助詞には、「なむ」「もが」「もがな」「ばや」「てしか(てしが)な」「にしか(にしが)な」などがあります。
「なむ」は、他に対して、自分の考えにそった動作・状態になることを願望する意を表すのに対して、「もが」「もがな」は、他に対して実現不可能に近い空想的なことを願望する意を表します。
「ばや」は、他人ではなく自分の行為についての願望を表し、「てしか(てしが)な」「にしか(にしが)な」は、多く、実現の困難なことがらへの自分の願望を表し、和歌に頻出します。
以下に和歌の用例を挙げ、末尾の( )カッコ内に、辞書での掲出項目を示します。なお『三省堂 全訳読解古語辞典』では、「なむ」の「読解のために」や、「もがな」の「補説」などでも、これらの違いについて詳しい解説がなされています。

【なむ】

山桜霞の衣あつく着てこの春だにも風つつまなむ
〈山家集〉
[訳]山桜よ、たなびく霞をあつく身にまとって、せめてこの春は、風を包んで、花びらを散らさないでいてほしい
〔注〕「なむ」は願望の意の終助詞。(「かすみのころも」)

まどろまぬ壁にも人を見つるかなまさしからなむ春の夜の夢
〈後撰・恋一・五〇九〉
[訳]まどろむこともないのに夢にあの人を見たことだ。現実のまちがいないものであってほしい。この(はかない)春の夜の夢が。(「かべ」)

【もがな】

名にしおはば逢坂山(あふさかやま)のさねかづら人に知られでくるよしもがな
〈後撰・恋三・七〇〇・藤原定方(さだかた)〉/ 百人一首
[訳]逢坂山のさねかずら、といって逢って寝るという名をもっているのなら、そのさねかずらを手繰(たぐ)るように、人には知られないで逢いに来る方法があればよいのになあ
[技法]「逢坂山」に「逢ふ」を、「さねかづら」に「さ寝」を、さらに「繰る」に「来る」をかける。「逢坂山」は歌枕。
〔注〕「人に知られで」の「で」は、打消の接続助詞。「もがな」は、願望の終助詞。(「なにしおはばあふさかやまの…」)

今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならでいふよしもがな
〈後拾遺・恋三・七五〇・藤原道雅(みちまさ)〉/ 百人一首
[訳]今となってはただ、(あなたを)あきらめてしまおうということだけを、人づてではなく、(あなたに直接)言う方法があったらなあ
〔注〕「今はただ」は「人づて…もがな」にかかる。「思ひ絶えなむ」の「な」は完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は推量の助動詞。「なむ」の形で強い意志を表す。「とばかりを」の「と」は「思ひ絶えなむ」を引用する格助詞。「もがな」は願望の終助詞。
[参考]詞書(ことばがき)によれば、伊勢(いせ)の斎宮(さいぐう)を辞任して帰京した皇女、当子(とうし)内親王との恋を、内親王の父三条天皇に禁じられたときに詠んだ歌。「人づて…もがな」と詠んでいるところに、相手への深い執着が読みとれる。(「いまはただ…」)

【ばや】

見せばやな雄島(をじま)の海人(あま)の袖(そで)だにもぬれにぞぬれし色は変はらず
〈千載・恋四・八八六・殷富門院大輔(いんぷもんゐんのたいふ)〉/ 百人一首
[訳]見せたいものですよ。あの雄島の漁夫の袖さえ、私の袖と同じく、ひどく濡(ぬ)れているのに、色までは変わりません。
〔注〕「ばや」は願望を表す終助詞。「な」は詠嘆の終助詞。「だに」は程度の軽いものを挙げ他を類推させる副助詞。「濡れし」の「し」は「ぞ」の結びで、過去の助動詞「き」の連体形。
[参考]「雄島」は松島の雄島。涙で袖の色が変わるのは、恋の悲しみで血の涙を流すため。歌は、血の涙に染まった私の袖を冷淡な恋人に見せたいという意。血の涙とは漢詩の「血涙」から来た修辞。(「〔和歌〕みせばやな…」)

恋ひしとよ君恋ひしとよゆかしとよ、逢(あ)ばやばやばや見えばや
〈梁塵秘抄〉
[訳]恋しいよ、あなたが恋しいよ、慕わしいよ、逢いたいよ、見たいよ、見たいよ見られたいよ。(「ゆかし」)

【てしか(てしが)な】

磯馴(そな)れ木のそなれそなれてふす苔(こけ)のまほならずとも逢(あ)ひてしがな
〈千載・恋三・八〇四〉
[訳]地に傾きはえた木が潮風のために、地面にはうように隠れて苔むしているように、たとえちゃんとした形ではないにしても、あなたと結婚したいものです。(「ふす」)

思ひつつまだ言ひそめぬわが恋を同じ心に知らせてしがな
〈後撰・恋六・一〇一二〉
[訳]恋しく思いつづけながらも、まだお伝えしていない私の恋を、(私と)同じ心になるようにお知らせしたいものです。(「いひそむ」)

【にしか(にしが)】

伊勢の海に遊ぶ海人(あま)ともなりにしか(なみ)かきわけて見るめかづかむ
〈後撰・恋五・八九一〉
[訳]伊勢の海で気楽に過ごす海人にでもなりたいものだなあ。海人が波をかき分けてもぐり、海松布(みるめ)を採るように、私も、こっそりと恋しい人にあう機会を得られるでしょうから。
〔注〕海藻の「海松布」に女性にじかにあう機会の意の「見る目」をかける。(「にしか」)

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

2016年 8月 20日 土曜日 筆者: 倉田 実

第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

場面:中宮大饗で饗宴をするところ
場所:平安京内裏の玄輝門の西廊北面
時節:1月2日の夜

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ玄輝門(げんきもん) Ⓑ檜皮葺の屋根 Ⓒ腰屋根 Ⓓ半蔀(はじとみ) Ⓔ回廊 Ⓕ築地 Ⓖ徽安門(きあんもん) Ⓗ四間二面の幄舎 Ⓘ二間二面の幄舎
室礼・装束:①軟障(ぜじょう) ②灯炉(とうろ) ③・⑪打敷 ④・⑤台盤 ⑥・⑦兀子(ごっし) ⑧長床子(ながしょうじ) ⑨御簾 ⑩几帳の裾 ⑫・⑬幔 ⑭大釜 ⑮火炉(かろ) ⑯案(あん) ⑰水注(すいちゅう) ⑱大皿 ⑲机 ⑳山盛りの飯 小皿 笏 太刀 下襲(したがさね)の裾 靴(かのくつ) 浅沓 松明 紐か 松明の束 弓 弦巻 壷胡簶(つぼやなぐい) 尻鞘(しりさや)の太刀 緌(おいかけ)の冠
人物:[ア]・[セ]童 [イ]・[ウ]束帯姿の公卿 [エ]束帯姿の四位の殿上人 [オ]束帯姿の五位の殿上人 [カ]下級官人 [キ]褐衣姿の下人(かちえすがたのしもびと) [ク]額烏帽子の童 [ケ]白張姿の下人 [コ]水干姿 [サ]・[シ]随身  [ス]狩衣姿の男  [ソ]束帯姿の六位か [タ]冠直衣姿 [チ]狩衣姿 [ツ]女性 

絵巻の場面 今回は『年中行事絵巻』の新年恒例の儀式「中宮大饗」の場面を読み解きます。新年二日に群臣たちが、中宮(皇后)と東宮に拝礼して、饗宴と禄を賜わる儀式を「二宮大饗」と呼び、それぞれ「中宮大饗」「東宮大饗」とされました。この場合の「中宮」は、皇后・皇太后・太皇太后などになりますが、多くは皇后か母后のいずれか一人が主催しましました。群臣たちが「中宮」の御所で拝礼した後、内裏内郭(後述)の北面中央の正門となりますⒶ玄輝門(玄暉門・玄亀門とも)北側に移動して、その西の回廊などで饗宴を行うのが、今回の場面になります。したがって、絵巻の画面は北から南を眺めた構図になり、右が西、左が東になります。時間は、松明が描かれていますので、夜になっていますね。なお、東宮大饗は中宮大饗の後、玄輝門の東回廊で行われます。

玄輝門 最初にⒶ玄輝門について見ておきましょう。この門については、第42回で扱っていて、そこでは南側が描かれていました。今回は、北側となります。Ⓑ檜皮葺の屋根から分かりますように三間の門になり、通行できるのは中央一間分で、絵では[ア]童が追い出されて手前に走って来る所になります。その両側はⒸ腰屋根のつく部屋が張り出しています。格子状になっているのは、Ⓓ半蔀です。ここは内裏中郭(内側の囲いと外側の囲いの間)を守る左右兵衛府の佐(すけ。次官)の宿所に充てられます。反対側の南面は、内郭(内側の囲いの中)を守る近衛府の次将や将監(三等官)の宿所になります。

回廊と徽安門 門の東西は複廊のⒺ回廊になり、中央のⒻ築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれます。画面上部が外側になり、右上に見える扉は、築地に開けられたⒼ徽安門と呼ぶ玄輝門の掖門(えきもん。脇の小門)です。玄輝門東側にも、徽安門に対して安喜門と呼ぶ掖門がありました。それぞれ一間分の小門です。

宴席の室礼 それでは饗宴の室礼を見てみましょう。大和絵が描かれた①軟障が回廊中央のⒻ築地に沿って張り巡らされ、宴席としています。各軟障の間には、照明のために垂木(たるき)に懸けて下げられた②灯炉が見えます。③打敷(敷物)の上にはテーブルとなる④⑤台盤と腰掛けとなる⑥⑦兀子や⑧長床子が置かれています。宴席の左方の部屋からは、⑨御簾が下ろされ、⑩几帳の裾が押し出されています。ここには中宮の代わりとして内侍が控え、宴の終わりに官人たちに禄を下賜しました。御簾の右方に方形の⑪打敷が置かれているのは、ここで戴くためです。

 庭にも大饗のための用意がされています。玄輝門の右手前には⑫幔が引かれ、Ⓗ四間二面の幄舎(後述)の右側にも⑬幔が張られました。玄輝門西側の庭の一画が区画されたのです。この幄舎に並んで、Ⓘ二間二面の幄舎も張られています。ここは酒部所(さかべどころ)で、お燗するための⑭大釜が見えますね。釜は⑮火炉と呼ぶ囲炉裏のようなものに据えられています。その右方の⑯案(台)の上には、酒瓶となる⑰水注や⑱大皿などが並んでいます。

宴席の席次 貴族社会は身分社会ですので、宴席でも席次の違いが視覚化されていました。身分によって座が違うのです。お分かりでしょうか。衣装に違いはありませんが、台盤と、腰掛けが違っていますね。[イ]左端の人の④台盤は小さめで、⑥兀子は原画では坐る面に朱色の文様があります。その右横には長い⑤台盤があり、手前に四脚見える⑦兀子は彩色されていません。さらにその右横は、台盤は同じですが、⑧長床子になっています。ここだけで、三ランクあることが分かりますね。左端(東)が上座で、兀子は参議(宰相)以上が使用しますので、これに坐るのは三位以上の[イ] [ウ]公卿(上達部)たち、長床子は[エ]四位の殿上人となります。ただし、四位はⒼ徽安門西側に坐ったようですが、絵ではそこに宴席は描かれていません。どうしたことでしょうか。さらに宴席は、先のⒽ四間二面の幄舎も使用されました。⑲机が六脚ほど並べられ、ここには[オ]五位の殿上人が坐ることになっていました。回廊に坐るのと随分差がありますね。なお、宴は進行しており、⑤台盤の上には、⑳山盛りの飯や小皿が並べられています。

参集した人々 続いて人々の様子を見ていきましょう。[イ] [ウ] [エ] [オ]宴席の官人たちは束帯姿で、笏を持ち、帯剣し、下襲の裾を引き、靴を履き、向かい合って坐っています。唱平(しょうへい)といって、杯を勧めて相手の長寿を祝うのが作法でした。

 庭の中央には浅沓を履いた[カ]下級官人や裸足で[キ]褐衣姿の下人たちが松明を持って照明しています。[ク]額烏帽子の童が、新しい松明を手渡していますね。右手の下に見えるのは、束ねていた紐でしょうか。松明は長く持ちませんので、玄輝門手前には、[ケ]白張姿(白布の狩衣)の男に連れられて、[コ]水干姿の男が松明の束を背負って補充しに来る様子が描かれています。リアルですね。

 ⑫幔の右側にいるのは[サ]随身たちです。弓を持ち、弦巻をさげ、壷胡簶を背負い、太刀は尻鞘に入れられ、緌のついた冠で、武官姿です。そのうちの[シ]一人が走っていますが、これは、中に入ろうとした[ス]狩衣姿の男や[セ]童を幔の外に追い払っている様子でしょう。

 幔の左側にいる人々は見物人たちです。様々な姿で興味深そうに覗いていたり、見に来たりしています。その中に、[ソ]束帯姿が見えますが、大饗に参加できない六位になるでしょうか。この他に[タ]冠直衣姿や[チ]狩衣姿、あるいは[ツ]女性や、割愛した部分には女童たちも描かれています。原画では様々に色分けされていますので、是非ご覧になってください。

貴族の行事と京の住人 画面左側に描かれた人々は、下級官人や京の住人たちになります。内裏には内郭までは入れなかったでしょうが、中郭までは自由に通行できたようです。現在の皇居や御所の警備の厳しさでは考えられないほど、当時の内裏は開放的だったのです。だから、何かの儀式や行事があると、見物に訪れたのです。このことによって『年中行事絵巻』は、貴族の行事を描きながら、多様な京の住人たちの様子が描かれることとなったわけです。「中宮大饗」一つを取っても、こんな人々の様子まで生き生きと描かれるところに、この絵巻の面白さと価値があるのです。

* * *

◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も『年中行事絵巻』が続きます。どうぞお楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

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古語辞典でみる和歌 第27回 逆接の表現を含む和歌

2016年 8月 9日 火曜日 筆者: 古語辞典編集部

古語辞典でみる和歌 第27回

逆接の表現を含む和歌:やすらはで寝(ね)なましものを小夜(さよ)ふけて傾(かたぶ)くまでの月を見しかな

出典

後拾遺・恋二・六八〇・赤染衛門(あかぞめゑもん)〉/百人一首

(来てくださらないとわかっておりましたなら)ためらうことなく寝てしまったでしょうに、あなたの(来てくださるという)おことばをたよりにして、夜がふけて西の空に傾くまでの月をながめつづけたことです。

「寝なましものを」の「な」は、完了(確述)の助動詞「ぬ」の未然形、「まし」は、推量(反実仮想)の助動詞の連体形、「ものを」は、逆接の接続助詞。

参考

『後拾遺和歌集』の詞書によると、作者の姉妹のところに通っていた男性(=藤原道隆(みちたか))が、かならず行くとあてにさせておいて来なかったとき、作者が姉妹に代わって詠んだ歌。

(『三省堂 全訳読解古語辞典〔第四版〕』「やすらはで…」)

今回は、「逆接」の表現を用いた和歌を特集します。和歌を作る際、逆接の表現を取り入れると、内容により深みが出ることがあります。以下の和歌の意味も、辞書を引きながら確認してみましょう。
本コラムでは今月から数回にわたって、いわば現代語から古語へ逆引きする発想で、いくつかの文法事項を取り上げ、辞書に掲載されている和歌の用例を取り上げます。末尾の( )カッコ内に、辞書での掲出項目をお示ししております。和歌だけではなく、文法学習のまとめなどにお役立て頂ければ幸いです。

【ど】

しのぶれ色にいでにけりわが恋はものや思ふと人のとふまで
〈拾遺・恋一・六二二・平兼盛(たひらの/かねもり)〉/百人一首
[訳]だれにも知られないように心に秘めていたのだけれど、とうとう顔に出てしまったよ、私の恋は。何か物思いでもしているのですかと人がたずねるほどに。
[技法]倒置法。「わが恋は」が主語である。
〔注〕「いでにけり」の「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は、過去の助動詞の終止形。「ものや思ふと」の「や」は、疑問の係助詞。「思ふ」は「や」の結びで連体形。「と」は引用の格助詞。
[参考]「天徳四年内裏歌合(だいりうたあはせ)」において「忍ぶ恋」の題で詠まれた歌。同じ題で詠まれた壬生忠見(みぶのただみ)の歌「こひすてふ…」と優劣が争われ、なかなか判定がつかず、村上天皇の判断でこの歌が勝ちとなった。(〔和歌〕「しのぶれど…」)

【ども】

都にはまだ青葉にて見しかども紅葉(もみぢ)散り敷く白河(しらかは)の関
〈千載・秋下・三六五・源頼政(みなもとのよりまさ)
[訳]都ではまだ青葉として見ていたのに、紅葉が散り敷いているよ、ここ白河の関では。
〔注〕「しか」は過去の助動詞「き」の已然形。接続助詞「ども」がつき、逆接の確定条件を表す。(〔和歌〕「みやこには…」)

【ながら】

ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
〈古今・冬・三三〇・清原深養父(きよはらのふかやぶ)
[訳]冬だというのに、空から花が散ってくるのは、たぶん雲のむこうはもう春だからなのだろうか。
〔注〕「冬ながら」の「ながら」は、逆接の接続助詞。「春にやあるらむ」の「に」は断定の助動詞「なり」の連用形、「や」は疑問の係助詞。「らむ」は現在理由推量の助動詞「らむ」の連体形で「や」の結び。目に見えない世界を想像しているのである。
[参考]『古今和歌集』の詞書(ことばがき)には、「雪の降りけるをよみける」とある。空から降る雪を花に見立て、その花から、雲のむこうはもう春なのか、と想像したのである。春を待望する心が、このような想像を生んだのである。(〔和歌〕「ふゆながら…」)

【ものゆゑ】

恋すれば我が身はかげとなりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ
〈古今・恋一・五二八〉
[訳]恋い慕うので、わたしの身はやつれた姿になってしまったよ。とはいっても、(影法師のように)あの人に寄り添えるわけでもないのに。(「かげ」一⑥)

【ものを】

(あ)を待つと君が濡(ぬ)れけむあしひきの山のしづくにならましものを
〈万葉・二・一〇八・石川郎女(いしかはのいらつめ)
[訳]わたしを待っていてあなたが濡れたという、(あしひきの)そういう山のしずくになれたらよかったのに
[技法]「あしひきの」は「山」にかかる枕詞。
〔注〕「けむ」は過去に関する伝聞の助動詞「けむ」の連体形。「ましものを」は、反実仮想の助動詞「まし」に、逆接の助詞「ものを」が付いて、…だったらよかったのに、の意を表す。(〔和歌〕「あをまつと…」)

【「こそ…已然形」(係り結び)】

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか
〈拾遺・恋一・六二一・壬生忠見(みぶのただみ)〉/百人一首
[訳]恋をしているという私の評判は、こんなにも早く広まってしまったことだ。だれにも知られぬようにとひそかに思い始めたのに
[技法]三句切れ。
〔注〕「恋すてふ」の「てふ」は、格助詞「と」に動詞「いふ」が接続した「といふ」が変化した語。「思ひそめしか」の「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形。係助詞「こそ」を受け、逆接の条件句となっている。(〔和歌〕「こひすてふ…」)

八重葎茂れる宿のさびしきに人こそ見え秋は来(き)にけり
〈拾遺・秋・一四〇・恵慶法師(ゑぎやうほふし)〉/百人一首
[訳]幾重にも葎が生い茂った寒々しい宿に、訪れる人の姿は見えない、秋は訪れて来たことだ。
〔注〕「こそ」は係助詞。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形。「こそ…ね」で係り結びになっているが、文脈上逆接の意で下につながっている。(〔和歌〕「やへむぐら…」)

わが袖は潮干(しほひ)に見えぬ沖の石の人こそ知ら(かわ)く間(ま)もなし
〈千載・恋二・七六〇・二条院讃岐(にでうゐんのさぬき)〉/百人一首
[訳]私の袖は、潮が引いた時でも姿を現さない沖の石のように、人は知らないけれども、涙のために乾くひまもないことです。
〔注〕「沖の石の」の「の」は比喩(ひ/ゆ)の格助詞。…のように。「人こそ知らね」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で「こそ」の結び。逆接の意を含む用法。→「こそ」 (〔和歌〕「わがそでは…」)

*

逆接の意味になるものには、上に挙げたもののほかに「とも」「に」「を」「が」「なくに」「ものの」「ものから」などもあります。それぞれ辞書を引いて、意味を確認してみましょう。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

2016年 7月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

場面:射遺(いのこし)をするところ
場所:平安京内裏南面の建礼門の門前
時節:1月18日

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ建礼門(けんれいもん)、Ⓑ幄舎(あくしゃ)、Ⓒ三級の石階、Ⓓ基壇、Ⓔ檜皮葺の廂屋根、Ⓕ壁、Ⓖ扉、Ⓗ瓦、Ⓘ築地、Ⓙ溝、Ⓚ仗舎(じょうしゃ)、Ⓛ妻戸、Ⓜ連子(れんじ)、Ⓝ白壁、Ⓞ檜皮葺、Ⓟ棟瓦、Ⓠ幔、Ⓡ幕、
室礼・装束:①筵(むしろ)、②半畳(はんじょう)、③台盤、④下襲の裾、⑤石帯、⑥・⑬矢、⑦鼓(こ)、⑧鉦鼓(しょうこ)、⑨丸い的(まと)、⑩候(こう)、⑪太刀、⑫弓、⑭弦巻(つるまき)、⑮鞆(とも)、⑯鞭(むち)、⑰烏帽子、⑱浅靴、⑲足駄
人物:[ア]・[イ]殿上人か、[ウ]・[エ]・[オ] 公卿か、[カ]・[キ]・[ク] 弁と少納言か、[ケ]・ [コ]射手、[サ][シ]衛府の下級官人

射遺とは 前回は射遺の為に公卿が参内する場面を扱いましたので、今回は射遺そのものを見ることにします。射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった六衛府の武官が、改めて射る儀式でした。いずれも、内裏の南正門となる建礼門の南面で行われました。したがって、射礼と同じ次第になりますが、それよりは簡略化されていました。公卿の中から参議一人だけが遣わされて儀式に当たり、観覧・饗饌に使用される幄舎(テント)は諸大夫(四位・五位の官人)用が撤去され、左右の陣(陣営)も置かれませんでした。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。南から北を見る構図になっていて、画面右に見えるのがⒶ建礼門です。その奥の内側にはさらに承明門があって紫宸殿の南庭になりますね。

 建礼門の門前は、広くとられて大庭(おおば)と言われることもあります。ここにⒷ幄舎が置かれ、西側が弓場(ゆば)として使用されました。建礼門の門前が儀式の場とされたのです。

建礼門 さらに建礼門を詳しく見ましょう。建礼門はⒸ三級の石階のあるⒹ基壇の上に建っています。見えている屋根はⒺ檜皮葺の廂屋根で、この奥に瓦葺の屋根がありました。大きさは、右端をカットしましましたが、原画では五間三戸に描かれています。線描では、左端のⒻ壁とⒼ扉が二つ見えますね。

 建礼門の両側はⒽ瓦を載せた高いⒾ築地になっていて内裏を区画しています。手前の地面に見えるのは、雨水を流すⒿ溝です。築地に直角に建てられているのは、内裏の外側を守備する右衛門府の守衛所となるⓀ仗舎です。門の右側(東側)には、左衛門府用のものがありました。共に内側中央部がⓁ妻戸になっていて、その両側の上部は格子状の窓となるⓂ連子(檑子とも)になっています。ただし、北側は絵師が描き忘れたのか、格子状になっていませんね。これら以外は、Ⓝ白壁となります。屋根はⓄ檜皮葺で、Ⓟ棟瓦が載っています。なお、建礼門については、次回にも扱う予定でいますので、再度触れたいと思っています。

幄舎 続いてⒷ幄舎の様子です。

 回りをⓆ幔で囲った、七間もある大きな幄舎が立てられています。Ⓡ幕が結び上げられていますので、内部の観覧席を兼ねた宴席の様子が分かります。地面に①筵を敷き、②半畳を重ねて、広い③台盤が置かれています。その上には、料理が並べられていて、すでに宴は始まっています。弓を射る儀式ですが、内裏で行われる場合は、饗饌(きょうせん)が欠かせないのです。

 貴族は身分社会ですので、この場でも席次が決められていました。前日の射礼の席次では、西側(左側)が上座とされました。席は西三間で東西に分かれ、西側の南面する上席に親王、向かい合って北面するのが公卿とされました。その東側の三間分には衛府の佐(すけ。二等官)が北、太政官の弁と少納言(三等官)が南に坐ります。さらに、右端一間分には、外記(げき)・史(さかん。共に四等官)が西面しました。

 しかし、この射遺の場面では、そのようには坐っていないようです。何よりも北側に坐っている[ア][イ]二人の場所は、衛府の佐の席になりますが、武官姿ではありません。殿上人のようです。射遺は略儀ですので、射礼とは変わっていたのかもしれません。なお、この二人の西側の上席は空席になっていますので、親王の臨席がなかったことになるようです。

 幄舎に坐る人たちは、④下襲の裾を引いた束帯姿ですが、この日らしい物を身に付けています。画面では見にくいのですが、⑤石帯に⑥矢を挟んでいるのです。これで射遺に参加していることを示しているわけです。

 左側の[ウ][エ][オ]三人は公卿のようで、横向きに視線を外に向けています。後で確認しますが、見物人たちが追い払われているのを見ているのかもしれません。北側の[ア][イ] と手前の[カ] [キ][ク]五人は、何やら話に興じているようにも見えます。絵巻はリアルにこの場を表現していますね。

弓場(ゆば) 次に弓を射る場、弓場を見ましょう。画面下に端だけ見えるのは、太鼓の類の、⑦鼓と⑧鉦鼓で、合図として鳴らされます。古代では太鼓の類は、戦乱の際の合図となりますので、「軍器」とされていました。

 射る場所は決められていて、射手は牛皮などを敷いた射席(いむしろ)に立ちますが、原画では描かれていません。射席から36歩の所に⑨丸い的を掛けた⑩候が置かれます。20㍍を超えるほどの距離になりますね。的は木製で大きさは二尺五寸(75㌢位)と定められ、候は木枠に鹿皮が張られました。線描では省略しましたが、候の後ろ3㍍ほどの所に山形(やまがた)と呼ばれた流れ矢を防ぐものが置かれました。これらはそれぞれ南北に二か所ずつ設けられ、六衛府に割り当てられました。

射手 射手は、北側が左近衛・右近衛・左兵衛、南側が右兵衛・左衛門・右衛門の順になり、それぞれ番(つが)われて射っていました。この画面では、どの衛府になるのかは分かりません。北側の[ケ]射手は腕がいいようで、一本目の矢が的の中央を射貫いていますね。二本目の矢は弓につがえられています。南側の[コ]射手は、まさに射ようとするところで、もう一本の矢を保持しています。

 射手は四等官の将漕(しょうそう)・志(さかん)たちになります。射礼や射遺では、⑪太刀を佩き、胡簶は背負わずに、⑫弓と⑬矢だけを持ったようです。腰には予備の弓弦を巻いた⑭弦巻が下げられます。左腕には、弦が手首を打つのを防ぐための革製の⑮鞆が巻かれています。

見物人たち 画面左上には、⑯鞭でもって見物人たちを追い払っている[サ][シ]衛府の下級官人が描かれています。物見高い京の住人たちは、儀式などがあれば、見物に訪れたのです。内裏の中は無理ですが、大内裏には自由に通行できたからです。ここは流れ矢の危険もあって追い立てているのでしょう。あわてた見物人たちは、逃げ惑っていて、地面にはその際に落ちた⑰烏帽子や、脱げた⑱浅靴や⑲足駄が転がっています。こんな光景をわざわざ描くのが、『年中行事絵巻』の面白さでした。

絵巻の意義 射遺は射手たちに禄が与えられて終了となります。そして、その後に内裏内の弓場において賭弓(のりゆみ)が行われました。『年中行事絵巻』はこの儀式も描いていて、第12回ですでに見ています。弓矢は、古代において最も重要な武器でした。ですから、弓を射ることは武力を誇示することであり、重要な儀式となったのです。現存する『年中行事絵巻』には射礼はありませんが、射遺から賭弓に続く一日の儀式が、こうして描かれていることは、とても意義深いのです。

※2017年2月22日に一部、修正を行いました。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
*本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』を取り上げます。どうぞお楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
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