国語辞典入門:語釈(意味説明)のしかた 文末の形式と品詞

2010年 9月 1日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第32回 語釈の文末は形式が決まっている

 ことばの意味を説明することは、日常会話でも、テレビや新聞でもよくありますが、それらの場合に比べて、国語辞典の語釈は、形式がよほど厳密に決まっています。

 歌舞伎に関するテレビ番組を見ていた時、「やつす」ということばについての説明がありました。〈「やつす」とは、みすぼらしいさまだけどかっこいいこと〉と定義されていました(NHK BS-2「プレミアム8・極付歌舞伎謎解」2010.3.8 20:00)。商家の若旦那が勘当されて、身を質素に「やつす」のは、ファッションの要素もあったようです。

 なるほど、と思いましたが、この説明は、そのまま国語辞典の語釈にはなりません。歌舞伎特有の意味だからというだけでなく、説明の形式が辞書にふさわしくないからです。

 国語辞典の語釈の形式で、最も特徴的なのは文末です。できるだけ、名詞の語釈は名詞で、動詞は動詞で、形容詞は形容詞で終わるように書いてあります。たとえば、『三省堂国語辞典』で「細身」(名詞)、「細める」(動詞)、「細い」(形容詞)を引くとこうです。

 〈ほそ み[細身](名)①はばの せまい、きゃしゃな 作り。〉
 〈ほそ・める[細める](他下一)細くする。〉
 〈ほそ・い[細い](形)①〔長いものの〕はばが小さい。〉

 「細身」の語釈の最後は名詞「作り」で終わり、「細める」は動詞「する」、「細い」は形容詞「小さい」で終わっています。見出し語と語釈とが、きれいに対応しています。

 先のテレビ番組の例は、「やつす」という動詞の説明が、〈……みすぼらしいさま〉〈……かっこいいこと〉となっていて、動詞で終わっていません。辞書にふさわしくない形式だというのは、そういうことです。

 べつに形式なんかどうでもいいと思う人もいるでしょうか。でも、たとえば、「息子はいやしい姿に身をやつし……」の「やつす」を解釈するとき、辞書に「みすぼらしいさま」と名詞形の説明が出ていては、「いやしい姿に身を、みすぼらしいさま」となってしまい、意味が通じません。やはり、ここは語釈の最後を動詞形にして、

 〈やつ・す〔略〕(他五)〔目立たない姿に〕服装を変える。〉(『三省堂』)

というふうに説明しておくべきです。

見出し語と入れ替えても通じる語釈に

 項目によっては、見出し語と、語釈の文末の形式をそろえるのがむずかしい場合もあります。たとえば、動詞「あぶれる」の場合、語釈も動詞で結ぶはずのところですが、実際には必ずしもそうなっていません。『三省堂』の語釈は次のとおりです。

 〈〔人数が余って〕仕事などに ありつけない。はみ出る。〉

 「ありつけない」と否定形で締めくくっています。これと似た語釈を掲げる国語辞典は、ほかにもあります。でも、「あぶれる」と「ありつけない」は用法が違います。

 「倒産で仕事にあぶれる」という場合、「倒産で仕事にありつけない」と言い換えることはできません。むしろ、「仕事にありつけなくなる」としたほうがぴったり来ます。『現代国語例解辞典』(小学館)では、この語釈を採用しています。

 ところが、「仕事にあぶれる状態が1年も続く」という場合は、「ありつけなくなる」では意味が通りません。「仕事にありつけないでいる」と解釈しなければなりません。『新明解国語辞典』(三省堂)は、この語釈を採用しています。

 つまり、「あぶれる」は、「ありつけない」と否定形で説明しても、また、「ありつけなくなる」「ありつけないでいる」と説明しても、ぴったりした語釈になりません。「あぶれる」は動詞ですが、それを同じく動詞で説明するのは簡単ではありません。

 私自身が語釈を書くのに悩んだことばに、「すべる」があります。「スキーですべる」と言うときの意味はいいとして、「漫才でギャグがすべる」と言うときの「すべる」の語釈を、動詞で終わらせることができませんでした。

 最初の原稿では〈受けをねらったが、受けない。〉としてありました。「ない」と否定形で結んでいます。でも、「(ギャグが)すべってばっかりいる」を「受けないでばっかりいる」と言うと、日本語として変です。「すべる」イコール「受けない」ではありません。

 いろいろ考えた末、〈じょうだんなどが、受けずに終わる。〉という語釈にしました。なんとか動詞で終わる形にしたのです。

 国語辞典の語釈は、見出し語と入れ替えて文章の中で使っても、そのまま意味が通じるようになっているのが理想です。そのためには、見出し語が動詞なら動詞らしい語釈に、形容詞なら形容詞らしい語釈にする必要があります。お手持ちの辞書はどうでしょうか。

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〔お知らせ〕

「国語辞典入門」は、9月いっぱい休載いたします。英気を養い、10月から再開いたしますので、何とぞ引き続きご愛読ください。

追記:「9月いっぱい休載」と申しておりましたが、事情により、休載期間をいましばらく延長させてください。決して話の種が尽きたわけではありませんので、再開までお待ちいただければ幸いです。今後とも本連載をよろしくお願いいたします。  2010.10.1 筆者

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筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

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【編集部から】
文中にもありますように、しばらく休載となります。連載再開をどうぞご期待くださいませ。


国語辞典入門:見出し 拗促音(ゃゅょっ)の配列、和語・漢語の区別

2010年 7月 28日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第28回 見出しの仮名の謎

 探していることばが国語辞典に載っていない、と早合点するのは、追い込み処理に気づかない場合のほかに、項目の並び順を勘違いしている場合もあります。

 10年前のある小学校国語教科書を見ると、4年生で国語辞典の引き方を扱っています。項目の並び順を説明する部分では、「小さく書くかなは、どんな順になっているでしょうか」との設問があり、「りゆう(理由)」と「りゅう」の例が挙がっています。

 私の知るかぎり、小学生用の学習国語辞典では、「やゆよ」「つ」が先に、「ゃゅょ」「っ」が後に来ます。したがって、上の正解は「『りゆう』が先」となります。

 ところが、児童の中に大人用の国語辞典を使っている子がいると、大変です。一般の辞書では、「りゅう」が先に、「りゆう」が後に来るものが、むしろ多いからです。

 「ゆ」「ゅ」のいずれが先かで、主な辞書を分けてみると、次のようになります。

 ・「ゆ」が先……『岩波』『旺文社』『学研現代新』
 ・「ゅ」が先……『三省堂』『新明解』『新選』『明鏡』『集英社』『新潮現代』『現代国語例解』『大辞林』『広辞苑』『日本国語大辞典』

 つまり、子どもの辞書の常識と、大人の辞書の常識とが異なっています。

 「理由」と「りゅう」なら、隣り同士なので、どちらでも大差ない――とは言えません。辞書によっては、「柳」「流」「留」「竜」「琉」など「りゅう」と読む漢字を多数項目に立てるものがあります。「理由」の項目は、その前に来るか後に来るかで、ずいぶん位置が変わります。結果として、「『理由』が載っていない」と思いこむことにもなるのです。

 国語教科書も、この点については検討したようです。今の小学3年生の教科書では、「あなたがよく使う国語辞典で、次の言葉はどちらが先に出ているか調べてみましょう」という設問に変わっています。これなら、辞書ごとに並び順が違っていてもかまわないし、むしろ、違いがあることを理解させるきっかけにもなります。

 「ゆ」「ゅ」のどちらを優先する国語辞典にも、それぞれ根拠があります。「ゆ」を先にする辞書は、特殊仮名の「ゅ」を後回しにするという考え方です。「ゅ」を先にする辞書は、2音の「りゅ・う」を3音の「り・ゆ・う」よりも先に置くという考え方です。

和語・漢語が分かると便利

 見出しの部分には、まだ謎があります。辞書によって、「ばしょ(場所)」の見出しの仮名を「ば ショ」としたり、「ば-しょ」(「しょ」だけがゴシック体)としたりするものがあります。前者は『新潮現代国語辞典』、後者は『新選国語辞典』(小学館)の方式です。素直に「ばしょ」と書けばよさそうなのに、なぜこんな表記にするのでしょうか。

 これは、和語と漢語を区別して示しているのです。この区別はたいへん役に立つのですが、理解している人は多くなさそうなのは、もったいないことです。

 大ざっぱに言えば、和語は「山(やま)」「桜(さくら)」など漢字を訓読みすることば(日本で生まれたことば)、漢語は「山河(さんが)」「桜桃(おうとう)」など漢字を音読みすることばです。音読みの特徴は、「河(か)」「左(さ)」など1音か、「回(かい)」「高(こう)」など、「い・う・き・く・ち・つ・ん」の音で終わることです。

 両者の区別ができれば、いろいろと便利です。文章を書くとき、文脈に合わない言い回しを使って、みすみす伝わりにくくしている人があります。その点、和語・漢語の区別ができる人は、「はじめは」と「当初は」、「近頃」と「近来」、「力の限りを尽くす」と「全力を傾注する」などの切り替えが自由にでき、よりこなれた文章が書けます。

 あるいは、語源を考えるときにも有効です。「とにかく」ということばは、「兎に角」と書くので、ウサギに関係があるかのようです。でも、「とにかく」は和語、「兔」「角」は漢語だと知っていれば、和語にあとから漢字を当てはめたにすぎないことが分かります。

 『新潮現代』では、見出しの和語はひらがな、漢語はカタカナで記しています。「ば ショ(場所)」の表記は、和語の「場(ば)」と漢語の「所(しょ)」からなることを示すものです。

 ほかにも、たとえば、「しら ギク(白菊)」「ぶた ニク(豚肉)」などともあって、ごく日常的な「菊(きく)」「肉(にく)」などのことばも漢語であることが分かります。あるいは、「かわい そう(可哀相)」「たんのう(堪能)」などはひらがなで書かれていて、漢語のような発音でありながら和語であることが分かります。

 『新選』の場合は、和語を太明朝(アンチック)、漢語をゴシックにしていますが、和語と漢語を区別するという意図は、『新潮現代』と同じです。両辞書がこの点でいかに便利かは、もっと注目されてもいいことです。

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筆者プロフィール

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 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
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【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:辞書の使い方 辞書に書いてある記号、符号、略号

2010年 7月 21日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第27回 追い込み項目に注意せよ

 国語辞典を開いてみると、見慣れない記号や略号がたくさん書きこまれています。あれはいったい何の役に立つのか分からない、という声を聞きます。

 記号などの意味は、冒頭の「凡例」にすべて解説してあるのですが、小さな字でぎっしり書いてあって、読みにくいのも事実です。電器製品のマニュアルや、クレジットカードの約款を思わせます。凡例が読みにくいせいで、国語辞典の基本的なルールを知らないまま使い続けているという人も多いはずです。

 私としては、一般読者向けの凡例はぐっと簡略化し、国語辞典を使うために最低限必要な知識だけを示せばいいと思っています。編集方針や、専門家向けのより細かい凡例は、じゃまにならない所に、ひっそりと記しておくだけでもいいのです。

 では、国語辞典を使うための最低限の知識とはどんなことか。今から、それを私のことばで説明しようと思います。いわば、私なりの「より抜き凡例」です。

 まず、「追い込み」の話から始めましょう。多くの国語辞典では、紙面節約のために、上の部分が共通することばは1か所にまとめてあります。たとえば、「社会」の項目には、〈――あく[社会悪](名)〉〈――うんどう[社会運動](名)〉などと、いくつもの「小見出し」がぶら下がっています。この処理のことを「追い込み」と言います。

追い込み項目の画像

 この追い込みのことを知らずに、あるいは考えずに辞書を引いて、「目当てのことばが載っていない」と早合点をすることは、よくあることです。

 『三省堂国語辞典』の小学生の読者から、「ライトノベル」ということばを載せてほしいという要望のはがきが来ました。でも、『三省堂』には、「ライトノベル」はすでに載っているのです。おそらく、この読者も、早合点をしたのだと思います。

 『三省堂』の「らいどう(雷同)」と「ライトモチーフ」の間には、たしかに「ライトノベル」はありません。でも、前のページの「ライト」を見ると、〈――ノベル(名)〉のように、追い込みの形で項目が設けてあります。

 追い込みは、小学生用の学習国語辞典にはないものです。小学生の投書者が知らなかったのは、やむをえないことかもしれません。

「意地悪」が載ってない!

 追い込みという処理方法を知っている読者でも、まだ勘違いするおそれは残っています。国語辞典によって、追い込みのしかたに微妙な違いがあるからです。

 私自身がたまに失敗するのは、こんな場合です。『三省堂』で「いじわる(意地悪)」を引くと、「いしわた(石綿)」と「いしん(威信)」の間に出ています。そのあとで、ほかの辞書の記述も参考にしようとして、「意地悪」を調べてみると、なんと軒並み載っていない、などということがあります。

 たとえば、『岩波国語辞典』の「石綿」の次はすぐ「威信」です。『新選国語辞典』(小学館)『新明解国語辞典』(三省堂)などもそうです。これらの辞書が「意地悪」を載せていないはずはありません。そこで気がついて、2、3ページ前の「意地」の項目を開いてみると、「意地っ張り」「意地悪」などが、ちゃんと追い込みになっています。

 つまり、こういうことです。『三省堂』では、追い込みにするのは、上のことばが3音以上の場合と決めてあります。たとえば、「ライト・ノベル」は「ライト」が3音なので、「ライトノベル」は追い込みにします。一方、「いじ・わる」は、「いじ」が2音なので、「意地悪」は追い込みにしません。このように、音数主義で徹底しています。

 『旺文社国語辞典』なども、『三省堂』に近い方針をとっています。

 一方、『岩波』『新選』『新明解』などは、方針が違います。『岩波』では、和語・漢語・外来語ごとに規則があり、漢語では、熟語にさらにほかの語がついた場合を追い込みにします。「意地」は漢語の熟語であり、したがって、「意地悪」は追い込みになるわけです。『新選』以下の辞書でも、ほぼ同じ理由で追い込みになっています。

 もっとも、「和語の場合」「漢語の場合」などと説明されても、戸惑う読者が大部分でしょう。実際には、「これは長い熟語だから、追い込みになっているだろう」といった、だいたいの見当で探しているはずです。私は、それで十分だと思います。

 大事なことは、ことばが載っていないと思ったときは、追い込みの可能性の有無を確認することです。それさえ忘れなければ、細かいことにはこだわらなくて大丈夫です。

 ちなみに、まったく追い込みをしない方針の辞書もあります。最大の国語辞典『日本国語大辞典』(小学館)のほか、『現代国語例解辞典』(同)などがそうです。

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国語辞典入門:辞書の使い方 辞書の置き場所

2010年 7月 14日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第26回 国語辞典をどこに置くか?

 国語辞典を買って帰り、背割れ防止などの、使い勝手をよくする作業はすみました。ところで、読者は、この辞書をどこに置きますか。

 「どこに置こうが、私の自由でしょう」と言われれば、そのとおりです。でも、置き場所によって、国語辞典が活用されたり、されなかったりということがあります。

 ワンルームに住む学生にとっては、どこに置くも何も、置く部屋は1つしかないのですから、問題になりません。勉強机の前か横の、0.5秒で手に取れる場所にスタンバイさせておくのが理想です。外箱は取っておきます。

 問題になるのは、家族で国語辞典を共有する場合です。

 さる家庭を訪問した時、国語辞典が、リビングのガラス戸棚に安置してありました。もちろん箱に入れて、うやうやしく祀ってあります。これはもったいないと思いました。

 辞書は、戸棚なんかには入れないほうがいいのです。何か調べたいことばがあったとき、戸棚の前まで歩いて行って、扉を開け、辞書を手に取り、外箱を外し、ページを開くという動作を経なければならないのは、面倒くさすぎます。いきおい、「まあ、調べるのはやめておこう」となってしまいます。

 「なるほど、ごもっとも」。その家の人はうなずきました。国語辞典を戸棚から出し、テレビの横に置きました。これなら、テレビや新聞で分からないことばがあったときも、すぐに調べられます。私は、自分のアドバイスに満足しました。

 ところが、ずっと後に、ふたたびそのお宅を訪ねると、国語辞典は元の通りガラス戸棚に納まっていました。私は驚きましたが、もう黙っていました。

 その家庭では、ことばを調べる必要性を感じることが、ふだんあまりないのでしょう。それならば、テレビの横に国語辞典があったって、じゃまなだけです。

 でも、ことばに関心のある家庭に対しては、私は強くお勧めします。たとえ目障りであっても、国語辞典は、家族がすぐ手に取れる所に置くべきです。わが家でも、辞書はテレビの下の棚にいつも置いてあります。私は仕事がら当然として、妻も、分からないことばがあるたびに、その辞書に手を伸ばします。

疑問に思ったらすぐ調べる

 誰しも、1日のうちに、いくつもの知らないことばに出会います。いくつもはないだろう、と思うかもしれませんが、意識していないだけです。それらのことばを、できるだけ気に留めて、調べてみるということは大事なことです。

 夫婦で近所に出かけた時のことです。妻が文房具店の日よけを見上げて、ファンシーとは何か、と尋ねました。見ると、〈文具・事務用品・ファンシー・印章・印刷〉と書いてあります。ごく当たり前のことばで、ふつうなら見過ごしてしまうものです。

 私には、とっさに返事ができませんでした。「ファンタジーみたいなもんだよ。ファンシーグッズとか言うでしょう」。これでは、答えになっていません。

 家に帰って、主な国語辞典を引いてみました。「ファンシー」が載っていない辞書もけっこうありました。『新選国語辞典』の語釈が、私には最もしっくり来ました。

 〈普通と変わっていて、デザインなどがしゃれているようす。「―なバッグ」〉

 もっとも、この語釈は形容動詞としてのものです。店の日よけの「ファンシー」は、名詞として使ったのでしょうから、やや特殊な使い方かもしれません。

 こんなことばは、疑問に思ったらすぐ調べなければ、やがて忘却のかなたに消えてしまいます。散歩中のことばだけでなく、放送や活字で目にすることばも同様です。たとえ目障りでも、手近に国語辞典を置いておくことが必要なゆえんです。

 ここから一歩進んで、各部屋に専用の国語辞典を置いておくのも、決して非常識ではありません。寝室で本を読んでいて、分からないことばがあったとき、わざわざ別の部屋へ辞書を取りに行くのはおっくうなものです。書斎のほか、リビングと寝室あたりに辞書があれば、たいへん便利です。部屋ごとに種類の違う辞書を備えておけば、それぞれの特徴を知ることもできます。

 疑問に思ったことをすぐ調べるためには、辞書が素早く引けることも必要です。英語学者の関山健治さんは、早引きのためには、アルファベット(国語辞典なら「あかさたな」)の相対的位置関係を頭に入れておくことが基本だと言います(三省堂辞書サイト 英語辞書攻略ガイド(2) 電子辞書より速く冊子辞書を引く方法)。あとは、ゲーム感覚で練習を積むことです。関山さんは〈使い慣れた冊子辞書は電子辞書よりもはるかに速く引ける〉と断言しています。

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国語辞典入門:辞書の使い方 ケース カバー 装丁

2010年 7月 7日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第25回 辞書を買ってきたら

 これまで、子ども向けの学習国語辞典に重心を置いて話を進めてきましたが、今回から、一般向けの国語辞典を中心とした話に戻ります。

 どんな国語辞典を買うべきかという問題について、私は、「辞書は1冊には決められない。複数の辞書をそろえて、比べながら使うべきだ」ということを何度も述べてきました。結論を避けていると思われては困ります。これが私の結論なのです。

 そうは言っても、いきなり何冊も買わなくたってかまいません。この連載の内容も参考にして、まずは辞書を1冊買って帰ったという前提で、話を進めます。

 井上ひさしさんは、辞書などの厚い本を買ったら、まずすることがあると言います。

 〈机に背をつけて立たせ、表紙と裏表紙をおろす。次に表と裏から二十頁ぐらいの分量で、交互におろして行く。これを数回行えば背割れが生じない。〉(『本の枕草紙』)

 背割れとは、本の背をかためたのりが縦に割れることです。薄い文庫本でも、ときどき、ぱきっと2つに割れることがあります。背割れに強い辞書もありますが、それでも、特定のページが開きやすいように癖がついたりします。これを防ぐには、背の部分にいくつもの折れ目をつけておくといいのです。こうすれば、辞書を開いた時、のど(左右のページの合わせ目)の奥までよく見えるというメリットもあります。

 辞書はていねいに扱いたい、できれば買った時のままの状態を保ちたいと言う人がいるかもしれませんが、それだと、どうしても辞書を使う機会が減ってしまいます。使い勝手をよくするには、背割れの防止以外にも、いろいろやるべきことがあります。

 辞書の外箱は、断固捨ててしまいます。この外箱は、主として流通上の必要からつけてあるものですが、辞書を引く時には、いちいち箱から出していては能率が落ちます。美しいデザインの外箱でも、涙をのんで捨てます。

 表紙のビニールカバーは、汚れを防ぐためのものですが、やはり捨てたほうがいいと思います。表紙を支える指がすべって引きにくいし、音がくしゃくしゃうるさいからです(『岩波国語辞典』など、カバーのない辞書もあります)。もっとも、カバーを捨てると困ることもあります。使っているうちに、表紙の金文字がこすれて消えてしまうのです。

消えない金文字にしてほしい

 表紙の文字が消えやすいのは、実用上、大きな支障があります。このことは、辞書のデザイン担当の方々に対し、声を大にして訴えます。

 私は、学生時代から、辞書を買ったら必ずカバーを外して使っていました。ところが、少し経つと文字が消えて、何の辞書だか分からなくなってしまいます。

 やむをえず、金色の顔料のペンでなぞって、「○○辞典」と書きます。うまく書いたつもりでも、顔料はじきに薄汚れて黒くなり、やがて消えてしまいます。

 このあたりから、私の試行錯誤が始まりました。

 図書館の本のように、表題の上に接着剤を塗ればいいのではないかと思いつきました。大学図書館で聞くと、あれは酢酸ビニール系接着剤(木工用ボンドの類い)を塗ってあるそうです。ただ、これは、硬い表紙にはいいのですが、辞書のビニールの表紙には向きません。使っているうちに、ぱりぱり剥がれていきます。

 もう少し粘度のあるほうがいいかと考えて、黄色い合成ゴム系の接着剤を塗ってみたこともあります。これは、ぱりぱりではなく、ダマになって、ぼろぼろ剥がれました。

 塗装に使うラッカーの類いも同じで、結局は剥がれました。

 コーティングフィルムも貼ってみました。表紙が硬くなって引きにくくなりました。

 さあ、こうなると、もう私にはアイデアはありません。話は振り出しに戻り、辞書はビニールのカバーをつけたまま使うスタイルになりました。

 辞書によっては、表紙の文字を型押しして、そこに金文字を入れたものもあります。これなら、金色が消えたあとでも、型だけは残るので、目を凝らせば何の辞書かは分かります。『集英社国語辞典』の表紙などは、かなりくっきりと型押ししてあります。

 あるいは、消えやすい金色・銀色ではなく、他の色を使う辞書もあります。『旺文社国語辞典』は、白い表紙に青い大きな丸を印刷し、黒字で表題を書いてあります。これは比較的耐久性がありそうです。

 私の好みを言えば、やはり、型押ししない金文字の表題です。これが簡単に消えないようにさえなっていれば、私は断然、ビニールのカバーは外して使います。デザイナーの方々に何とかくふうしていただけないかと、切に願います。

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