シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第十六回:赤ん坊とゆりかご

2018年 7月 13日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第十六回:赤ん坊とゆりかご


オントゥプの外側には装飾が施される(2016年3月23日・ムジ村郷土資料館)

 就学前の牧夫や漁師の子供たちは両親とともに暮らします。生後間もない子供を遊牧や遠出する夏の漁に連れて行くことも珍しくありません。遊牧や漁で忙しいうえに、水道も電気もガスもない森の中では家事に費やす時間も多く、さらに衣服や生活・生業の道具も手作業で作製するため、大人たちの手は常にふさがっています。起きているあいだは常に何か作業をしており、「ハンティは(両手が使えない)腕組みを嫌う」と言われるほどです。

 それほど働き者のハンティたちは、手がふさがっているとき、赤ん坊やまだ歩き始めていない小さな子供をオントゥプ(онтуп)というゆりかごに入れておきます。オントゥプには背もたれがあり足を延ばして座らせるための日中用と、横に寝かせるための平らな夜用があります。これらはシラカバの樹皮とバードチェリーなどの木の枝で作られています。


オントゥプ
(2016年3月30日・ベリョーゾヴォ北方民族文化芸術センター)

 日中には、オントゥプを家の天井や天幕の柱棒に革紐で吊るし、ときどき揺すって子供をあやします。もちろん、ずっと吊るしておくのではなく、両親が見ていられないときやナイフで木材加工や調理等していて近寄ると危ないときなどにそうします。窮屈そうで赤ん坊がかわいそうと思われるかもしれません。しかし、オントゥプは森の生活においてとても便利です。ベリー摘みに出かける際にはそのまま持って連れて行き、地面に置いておくことができます。また、トナカイやスノーモービルに橇を引かせて移動する際にも、子供をオントゥプに入れたまま運ぶことができます。ハンティによれば、オントゥプを紐で橇に固定すれば、走行中に誤って転げ落ちる心配もありませんし、オントゥプを後ろ向きに乗せれば、木々が生い茂った森で四方から伸びる枝から目や頭を守ることができます。


天幕内に吊るされたオントゥプ、通常もう少し低い位置に吊るす
(2017年2月3日・ベリョーゾヴォ地区郷土博物館)

 012年の冬のフィールドワークでは、森の中のあるハンティ人のお宅に滞在いていたとき、若いハンティ人夫婦が1歳に満たない子供をつれて訪ねてきました。彼らは外気温がマイナス40度くらいのときに、40キロメートル以上もスノーモービルで風を受けて走行して来ました。赤ん坊が凍えないように、オントゥプは毛布や毛皮の衣服で厚く包まれ、さらに風よけとしてフェルトで全体を覆っていました。奥さんは、雪が凍り付いて白くなったフェルトで包んだままのオントゥプを家の中へいれてきたので、私はそれが何か分かりませんでした。一枚一枚毛布や毛皮の衣服を剥いでいきました。すると中から赤ん坊がまったく凍えた様子もなく血色の良い顔で出て来て、周囲に笑顔を振りまいていました。彼らが去る際には、赤ん坊は嫌がることもなく、おとなしくオントゥプにおさまりました。

 このように、オントゥプは携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優れた道具です。ハンティの赤ん坊たちは厳しい自然の中でこの便利なゆりかごに守られて育ってゆきます。


材料のシラカバの樹皮の採集. オントゥプ用にはより大きな幹から採集する
(2016年9月22日)

ひとことハンティ語

単語:Овен пўнше!
読み方:オーヴェン ピュンシェ!
意味:扉を開けてください!
使い方:両手がふさがっているときなど、誰かに扉を開けてもらいたいときに使います。フィールドワークをはじめたばかりのときは、ハンティ語がよく分からなかったため、こうしたホームステイ先の家族たちのちょっとしたお願いも理解できず、申し訳ない気持ちになりました。そのたびに彼らは赤ん坊に言葉をひとつずつ教えるかのように、ハンティ語を私に教えました。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。博士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

携帯ベビーベッド、ベビーカー、ベビーシートの三役をこなす優秀な道具、オントゥプ。日本でも似たグッズとしてクーファンや持ち運び可能なベビーシートなどがありますね。日本で使用されているものも頑丈ですが、果たして外気温マイナス40度の中を40キロ以上スノーモービルで走行しても耐えられるでしょうか。オントゥプは材料も使用用途もこの地に根差したものですね。次回の更新は8月10日を予定しています。


シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから― 第六回:トナカイ群の季節移動

2017年 9月 8日 金曜日 筆者: 大石 侑香

第六回: トナカイ群の季節移動


ツンドラゴケを探すトナカイ

 トナカイは年間で数百kmから数千kmも移動します。トナカイは群居性が強く、通常の群れの規模は数頭~数百頭ですが、大移動時には多ければ数万頭になることもあります。何を求めて移動するかというと、そのひとつは採食です。西シベリアの場合、トナカイは主にツンドラゴケや樹木に生えるコケ等の地衣類、草本、ベリー類、キノコなどを食べます。大きな群れが同じ場所で植物を食べ続けると、すぐに食べ尽くしてしまって、食べる物がなくなってしまうので、次の新しい場所に移動します。

 トナカイは植物を全部食べてしまわずに、根元を食べ残すので、その場所の植物は再び成長していきます。そのほか、トナカイは暑さや蚊を避けるためや繁殖行動のためにも移動します。夏は気温が低い北の方へ移動し、冬は南の方へ移動する経路、夏は標高が高く涼しい山の上へ移動して、冬は平地に戻ってくる経路もあります。また、夏の北ユーラシアは蚊が大発生するので、涼しくかつ蚊の少ない風通しの良い海岸や山頂へ移動します。どのように、どのくらい移動するかは、それぞれの地域の地形や自然環境によって異なります。


群を移動させる牧夫たち

 人が飼育している家畜トナカイもこのように季節的に移動し、群れと一緒に牧夫たちも住む場所を変えていきます。このように、季節的に家畜とともに移動することを、文化人類学の生業研究では季節移動と呼んでいます。年中天幕に住み、長距離季節移動しながら暮らす地域もあれば、森の中に固定的な木造家屋を間隔をあけて数軒所有して、ある家屋から別家屋へという移動を繰り返す比較的短距離の季節移動を行う地域もあり、季節移動の形態はさまざまです。


スィニャの位置(クリックで拡大)

 筆者はトナカイ牧畜調査のためにスィニャという場所に滞在しました。そこでは5組の夫妻で1400頭のトナカイを管理していました。彼らは、11月~3月の冬の間はオビ川近くの平地に天幕を張り生活します。日照時間が長くなってくる3月末には大移動を始め、8月はなんとウラル山脈の山頂まで行き、過ごします。9月にはウラル山脈を越えて少し下り、10月には大移動を始め、また平地へ戻ってきます。毎年ほぼ同じ経路で往復移動しており、年間の季節移動の距離は約400kmになります。牧夫たちは、大移動していない時期は天幕から20kmくらいの範囲内に群れを追い集めて放牧しています。しかし、大移動の際にはまるで、トナカイの群れに人間の方が追いかけてついて行っているようにも見えます。実際に牧夫たちも「トナカイが行くように私たちも天幕を運んで移動する」、「トナカイが移動の路を知っている」と、言っていました。


天幕と季節移動用の橇(そり)。橇には衣服や毛布、食料、道具などが載せてある

 電気・ガス・水道のない森で、厳しい気候のなか、年中天幕暮らしで移動し、トナカイ飼育という生業活動に従事して生活することはたいへん厳しく、常に健康でないと行うことができない生活のあり方です。筆者はお世話になっているある牧夫夫妻に、毎年長距離移動する生活はつらくないのか聞いたことがあります。それに対して「自分の親もトナカイ牧夫で、私は天幕で生まれた。ずっと天幕でトナカイと暮らしてきた。移動すること自体が私たちの生活だ」という答えをもらいました。この語りからは、彼らが自分たちの生活のあり方やトナカイ牧夫としての人生を誇りに思っていることがうかがえます。移動する生活はきっとつらいだろうというのは、日本の都市部で生活する私の先入観だということに気づきました。

ひとことハンティ語

単語:Омәса
読み方:オマサ
意味:お座りください
使い方:お客さんが立ったままでいるときや誰か落ち着きなく立ち上がって話しているときなどに、このように言って着席を促します。

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◆この連載の目次は⇒「シベリアの大地で暮らす人々に魅せられて―文化人類学のフィールドワークから―」目次へ

【筆者プロフィール】

■大石侑香(おおいし・ゆか)
東北大学東北アジア研究センター・日本学術振興会特別研究員PD。修士(社会人類学)。2010年から西シベリアの森林地帯での現地調査を始め、北方少数民族・ハンティを対象に生業文化とその変容について研究を行っている。共著『シベリア:温暖化する極北の水環境と社会』(京都大学学術出版会)など。

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【編集部から】

今回はトナカイの習性や生活について紹介していただきました。年間で数百kmから数千kmも移動するとは驚きです。家畜トナカイと生活している牧夫たちも1年間で約400kmの移動をするということですが、この距離は東京駅から名古屋駅までより長い距離です。「トナカイが移動の路を知っている」というのは、地図アプリを使って移動先を確認することの多い、都会生活とは全く異なる世界ですね。次回の更新は10月13日を予定しています。お楽しみに!


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