明解PISA大事典:クリティカルリーディングと知識

2010年 2月 12日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第32回 分離・融合方式のフィンランド

 いわゆるPISA型の読解力――実質的には欧米型の読解力を習得させようとするとき、特に小学生が相手の場合は、ナマの文学素材を用いるとやりにくいことが多い。児童文学であっても文学史に残るような格調の高いものとなると、本当にやりにくいことが多い。作者の深遠にして高邁なる思想を理解したり、その作品の生まれた背景を押さえたりするなどしておかないと、いわゆるPISA型の授業――作品を読んで、児童・生徒がああだこうだと意見を言い合うような授業をしたところで、素頓狂な解釈や非常識な意見の飛び交う、悲惨なものにしかならないからだ。

 この問題について、フィンランドの国語教科書(正式な教科名は『母語と文学』)は面白い解決策をとった(1)。基礎学校の5年生までは(2)、ナマの文学素材については鑑賞に徹する。読解力の養成には、それ用に書き下ろした素材文を使うこととしたのである。

 たとえば、私の翻訳した「フィンランド国語教科書シリーズ」(3)の大半を占める素材文、ラミやユッシやサーラなど少年少女の活躍する物語は、すべて読解力養成用(もちろん語彙力などほかの用途もあるが…)に特別に書き下ろされたものなのだ。これらの物語を書き下ろしたのは、フィンランドの高名な児童文学作家であるカリ・レヴォラさん(4)。教科書編集に携わる先生たち(すべて現役の小学校の先生)から、書く前に大量の注文を出され、書いたあとも大量の修正を入れられながらの執筆だったという。

 読解力養成用に書き下ろした素材文であれば、読解に必要とされる知識の分量をコントロールすることができる。実際のところ、私の翻訳した「フィンランド国語教科書シリーズ」においても、小学校4年生くらいまでは、子どもたちの日常的な知識や経験だけで対処できるか、あるいは他の教科で学んだことを利用できるように工夫されている。

 たとえば、第17回から4回(⇒第18回第19回第20回)にわたって紹介した「ちょうど35キロ」の物語では、「どのようにして体重をちょうど35キロにするか?(それによって賞品をゲットするか?)」という問題があり、それに対する「レモネード1.5リットルを飲む(ことによって体重をちょうど35キロにする)」という解決例が提示されていた。ここで求められているのは、第一に解決例を評価すること、第二に(解決例の評価を踏まえて)他の「よりよい解決策」を考案すること。以上の作業において、必要とされる知識といえば「レモネードを1.5リットル飲むと、なぜ体重は1.5キロ重くなるのか?」くらいのもの。特別な知識は必要ない。体重をちょうど35キロにする方法について、日常的な知識と経験をもとにして自由に考えればよいのである。

 もちろん、子どもの日常的な知識と経験だけを頼りにするだけではなく、新たな知識を全員で共有したうえで読解を進める場合もある。たとえば、体重をちょうど35キロにする方法について、食物や飲物を体内に入れれば、その重量がそのまま体重に反映されると思われがちであるが、これは必ずしもそうとはいえないようだ。

 テレビ朝日の「お試しかっ!」という深夜番組では、ときどき「体重をちょうど○キロ増やす」という企画をやっている。タレントがレストランなどを巡って、あれこれ食べながら体重を増やしていくのであるが、少なくとも番組を見るかぎり、たとえば焼肉をちょうど1キロ食べたとしても、体重が1キロ増えるということは絶対にない。場合によっては、食べる前よりも体重が減っていることさえある。番組に登場する専門家によれば、食べている最中にも刻々と新陳代謝が進んでいるためであるという。この知識を全員で共有した上で「ちょうど35キロ」をやるならば、「食物や飲物で体重を増やす」という解決策は「体重を正確に増やすのは難しい」と評価されることになるだろう。

 こうして4年生くらいまでは、専用の素材文をクリティカルに読めるように徹底的に訓練される。そして5年生くらいから、専用の素材文による訓練と並行して、レトリックや文学史について学びつつ、ナマの文学素材をクリティカルに読むための訓練が始まる。最初は分離していたものを、徐々に融合させていくのである。

* * *

(1) この方法は、フィンランドの教科書出版社WSOY教科書出版部門(WSOY Oppimateriaalit)が始めたもの。フィンランドの国語教科書市場はWSOY、Tammi、Otavaの3社の寡占状態にあるが、WSOYはフィンランドの最古にして最大の出版社である。1980年代半ば以降、国語教科書については、WSOYが「新しい国語教育のかたち」を示し、TammiとOtavaがそれに追随する(マネする?)という状況が続いている。ちなみに、WSOYの「WS」とは創業者ヴェルネル・ソーデルストローム(Werner Soderstrom)の頭文字であり、「OY」とは「株式会社」を意味する略語である。よく「『WSOY』と書いて何と読むのか?」と聞かれるが、フィンランド語読みならば「ヴェーエスオーユー」が正しい。もちろん、英語読みの「ダブリューエスオーワイ」でも通じる。
(2) フィンランドの学習指導要領(Opetussuunitelman perusteet)では、国語教育を1~2年/3~5年/6~9年の3ブロックに分けて到達目標を設定している。
(3) 『フィンランド国語教科書』(3~5年生用)メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2005 ~ 2008年
(4) Kari Levola。プロフィールについては『フィンランド国語教科書小学3年生』p21を参照。

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:「習得」「活用」「探求」とフィンランド教育

2010年 1月 15日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第29回 習得・活用・探求―フィンランドから日本へ2

 最近「習得」「活用」「探求」という言葉をよく聞くようになり、いつのまにか「PISA型学力=活用型学力」という等式が成り立つようになり、それに関連して「フィンランドではどういうふうに活用型授業を……」というような質問が投げかけられるようになった。この類の質問がいちばん困る。日本とフィンランドは違う。日本の考えかたをフィンランドにそのまま当てはめて答えるのは至難のワザである。

 とはいえ、世界的な学力観の転換の中で(⇒第12回第13回参照)、フィンランドにおいても指導方法が転換したことは事実である。これを俗に「注入型」から「喚起・共有・探求型」への転換という。

 80年代半ばくらいまで、フィンランドの学校では注入型の授業が行われていた。たとえば、何らかのテーマについて教えるとすると、「注入」型の授業においては――

①先生がテーマについての知識を一方的に教え込む。
②子どもは教えられたことを覚え込む。
③教え込んだことを、きちんと覚え込んでいるかどうかを確かめる。

 しかし、世界的に学力観が転換したこと、またこのやりかたは効率的なように見えるが効率的ではないところもある(すぐ覚えるが、すぐ忘れる)ことから、80年代から90年代にかけて「喚起・共有・探求」型の授業へと大転換がなされた。この型で教える場合、次のような流れになる。

①発問「テーマについて何を知っていますか?」
 子ども個々の知識と経験を喚起し、それを全員で共有する。
②発問「テーマについて何を知りたいですか?」
 子ども個々の疑問を喚起し、それも全員で共有する。
 (ここで教師は子どもたちの疑問を整理する)
③分業体制で知りたいことを調べる。
 整理された疑問について、グループごとに手分けして調べる。
 必ずしも「自分の知りたいこと」を調べるわけではない。
④調べたことを発表する。
 グループごとに調べた内容は異なるため、これによって新たな知識を共有する。
⑤終了課題:
 たとえば個々に/グループでテーマに関わる説明文を書く。

 この方式は、国語の説明文の授業にそのまま当てはめることができる。たとえば、フィンランド国語教科書小学3年生の「モルモット」(1)であれば――

①発問「モルモットについて何を知っていますか?」
②説明文「モルモット」を読む。
③発問「説明文『モルモット』を読んで新たに分かったことは何ですか?」
④発問「モルモットについて、さらに知りたいことは何ですか?」
⑤分業体制で調べる~調べた内容を発表して共有する。
⑥終了課題:説明文「モルモット」に、自分たちで調べた内容を書き加える。

 この方法がフィンランドで初めて提唱されたのは80年代半ばとのことだが、普及するには教科書(+教師用指導書)の変化が必要であったため、ある程度定着するまでに10年近くを要したという(2)

 さて、日本はどうだろう。

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(1) 『フィンランド国語教科書 小学3年生』pp37-38 メルヴィ・バレ他著/北川達夫訳/経済界 2006年
(2) フィンランド教育庁Pirjo Sinkoさん、教科書執筆者Mervi Wareさんの談話より。
  二人については第27回の注を参照⇒「第27回 フィンランド紀行7」の注へ

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北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
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明解PISA大事典:フィンランドの学校現場、教科書

2009年 11月 13日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第23回 フィンランド紀行3

 フィンランドがPISAで好成績をおさめたことが知れ渡ってから、実に多くの人々が日本からフィンランドの教育現場を訪れた。その報告書等に描かれた「フィンランド教育の実態」は実にさまざまである。グループ学習ばかりだった。いや、一斉授業ばかりだった。教科書をまったく使っていなかった。いや、教科書とワークブックばかり使っていた。テストで順位はもちろんのこと点数すらつけていなかった。いや、テストで一等賞の子どもにアメをあげていた――などなど。

 これらはすべて真実である。不可解かもしれないが、どれも本当のことなのだ。このようにさまざまな「実態」が報告されている背景には、フィンランドでは学校現場に広範な裁量権が認められていることがある。学校現場の裁量権の広さには驚くばかりで、たとえば公立の基礎学校(9年一貫の義務教育機関)でモンテッソーリ教育を全面的に採用し、学年やクラスを廃止してしまったところさえある。このような学校ばかり見て歩いたら「フィンランドの学校には学年もクラスもない!」と報告することになるだろう。学校現場に広範な裁量権が認められているということは、学校によってやりかたが全然違うということ。そのため、フィンランド教育は「スタンダード」が見えにくいのである。

 フィンランド=ロシア学校(Suomalais-venäläinen koulu: SVK)――これは私がフィンランドに行くと、必ず訪れることにしている国立の小・中・高一貫校である。この学校では就学前の段階から、フィンランド語とロシア語のバイリンガル教育を行なっており、すべての教科がフィンランド語とロシア語の両方で教えられている。その他の外国語教育にも力を入れており、高校を卒業する頃には7~8か国語をマスターしている子どもも少なくない。同様の学校として、フランス=フィンランド学校(Ranskalais-suomalainen koulu: RSK)という国立の小・中・高一貫校もあり、フィンランド語とフランス語のバイリンガル教育を行なっている。もちろん、このような教育はこれら2校特有のものであって、ゆめゆめ「フィンランドの学校では就学前からバイリンガル教育をやっている!」などと思ってはならない。

 このように「国立の学校」で「バイリンガル教育」をやっているというと、日本では超エリート校のような感じがして、「お受験が大変に違いない」と思うところだが、フィンランド=ロシア学校にしても、フランス=フィンランド学校にしても入試はなく、近所の子どもたちの通う「近所の学校」である。つまり希望すれば誰でも通うことができるのだ。フィンランドであるから、授業料も他の学校と同じく無料である。なにやら公平なような、不公平なような……。これが日本であれば入学希望者が殺到して大変なところだろうが、フィンランドなので「授業についていくのが大変そうだ」「ロシアは嫌いだ」などといった理由から、入学希望者はそこそこ適当なところに落ち着くのだという。

 教科書についていえば、フィンランドでは1994年から教科書検定制度が完全に廃止され、「教科書の良し悪しは市場が決める」とされた。つまり「よく売れる教科書が良い教科書」ということだ。現在、どの教科書を使うかは、先生ひとりひとりが決めることができる。教科書を一種類に限定する必要もなく、単元によって数種類を使い分けることも可能である。あるいは、まったく教科書を使うことなく授業を進めても構わない。

 ただ、このシステムには裏がある。フィンランドの義務教育では教科書は無償貸与制である。児童・生徒は学校備え付けの教科書を使うということだ。教科書の値段はきわめて高く(日本の5~10倍くらい)、学校は常に予算不足にあえいでいるため、学校備え付けの教科書は限られている。つまり、先生ひとりひとりが教科書の採択を決められるといっても、実際には学校備え付けの教科書から選ぶしかない。一種類しか備え付けていない学校も少なくなく、それどころか前回の指導要領改訂に対応した教科書しか備え付けていない学校さえ存在する。教科書検定制度が廃止されたいま、現行の指導要領にそった教科書を使う義務すらないのである。

 あらためて思う――フィンランドとは妙な国である。

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明解PISA大事典:読解力の問題とクリティカル・リーディング

2009年 8月 7日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第14回 PISAサンプル問題を評価する

 この連載の第10回で「公開された(PISAの)サンプル問題が欧米型の読解問題としては出来の悪いものばかりだった」と書いたところ、ある中学校の国語の先生から「どこがどのように出来が悪いのか教えてほしい」との要望があった。

 そこで今回は、PISAのサンプル問題から有名な「落書き問題」をとりあげ、検証してみることにしたい。

 「落書き問題」とは、落書きに関する二つの意見を素材文にしたもの。二つの意見はインターネットに投稿された「手紙」という形式をとっている。一方は「落書きは芸術だからしてもかまわない」という意見、もう一方は「落書きは人の迷惑だからしてはいけない」という意見。そして「この二つの文章のうち、どちらに賛成しますか?」「どちらに賛成するかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」などと問うのである。どちらの問いに答える場合も「文章の内容にふれながら」答えなければならない(1)

 一般に読解問題を評価する場合、素材文の検証に最大の重きが置かれ、それから問題全体の意図を検証し、最後に小問のそれぞれを検証することになる。PISAのサンプル問題に関しては小問のすべてが公開されているわけではないので、ここでは素材文と問題全体の意図を中心に検証することにしたい。

 素材文を評価する場合は、この連載の第4回にも書いたように「子どもの興味や関心」を第一に考える必要がある。PISAを受検するのは15~16歳の子どもだ。その興味や関心を引くものであるかどうか。“興味や関心”という点に関するかぎり、「落書き問題」は十分に及第点であると思う。国際的な読解問題評価では、「(子どもに)こう感じさせたい」「こう考えさせたい」という名目で、大人の文学趣味や哲学趣味を押し付けるような素材文が、真っ先に「子どもの興味や関心を無視している」として排除されるのである。

 問題全体の意図も悪くないと思う。一般に「落書きはしてもいいか、それともいけないか」と問われれば、理屈も何もなく「絶対にいけない」と考えがちである。このように、なにげなく「当然だ」と思っていることについて「当然ではない」とする見解も示し、比較しながら考えさせている。まさにクリティカル・リーディングの常道である(これを『内容の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、さまざまな見解の存在を認識し、それらを比較しながら評価する技能が重要なのだ。

 「どちらに賛成するかどうかは別として、どちらの方が良い手紙だと思いますか?」という問いも良い。自分の価値観(あるいは好き嫌い)とは切り離したところで、純粋に文章の形式面を評価させているからだ。これもまたクリティカル・リーディングの常道なのである(これを『形式の熟考と評価』という)。多様化した社会においては、多様な価値を客観的に評価する技能が重要なのだ。

 だが、多様化した社会における技能という点から考えると、「落書き問題」には致命的な欠陥がある。それは多くの国において「落書きは犯罪」とされているという事実に関係している。日本であれば“落書き”は器物損壊罪(刑法261条)に該当し、それが芸術であろうがなかろうが罰せられる。多くの落書きアーティストを生んだニューヨークでさえ、落書きは犯罪とされている。実際、今年2月に日本の有名アーティストがニューヨークの地下鉄駅で“落書き”をして、警察に身柄を拘束されるという事件が起こった。

 なぜ落書きが犯罪であることが“致命的な欠陥”なのか?

 ここで誤解しないでいただきたいのは、“落書きは犯罪だから「いけない」を正答とすべきだ”と言っているのではない。また、“読解問題で犯罪行為を扱っているからいけない”と言っているのでもない。多様化する社会における「明文化」の意味を棚上げしているところが欠陥なのである。

 これは前回も述べたことであるが、価値観の多様化する社会において特定の価値観に権威を与えようとするならば「明文化」しなければならない。逆にいえば、「明文化」することによって、さまざまな価値観を持つ人々に対して、特定の価値観を強制的に認めさせるのである。“落書き”についても「明文化」された法律や条令などが、「いけない」と強制しているのである。いわば「社会が正当性を強要する価値観」ということだ。

 多様化する社会において「社会が正当性を強要する価値観」が存在する場合、それを無視して議論を進めることは適切とはいえない。PISAは「(社会で)生きるための知識と技能」を標榜しているのだから、なおさらのことである。「朝ごはんはパンがいいか、ご飯がいいか」というような議論とは根本的に異なるのだ。

 だから、“落書き”のようなテーマを扱う場合、「Aという価値観」「Bという価値観」「社会が正当性を強要する価値観」の3者を並べてクリティカルに評価するようにしなければならない。これもまたクリティカル・リーディングの常道である。繰り返すが、この場合も“「社会が正当性を強要する価値観」を無批判に受け入れなければならない”と言っているのではない。それが自分の価値観と異なるのであれば「なぜ異なるのか」、さらには「なぜ世間はそれを是とするのか」を考えるのである。

 このような理由から、「落書き問題」は欧米型のクリティカル・リーディングの問題としては大きな欠陥がある。このような問題が、各国の作問評価委員の目をすりぬけてしまったことは驚きとしか言いようがない。

 PISAの読解力の統括責任者であるジュリエット・メンデロビッツさんによれば、「落書き問題」はフィンランドの作問グループが提案したものだという(2)。もちろんフィンランドにおいても落書きは犯罪である。

* * *

(1)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 pp198-201/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年
(2) Sokutei Report Vol.4「2006年度・8月国際研究会報告書」p27/東京大学大学院教育学研究科 教育研究創発機構 教育測定・カリキュラム開発講座編
*作問者を明かさないことは「明文化」されてはいないかもしれないが「教育界が正当性を強要する価値観」であると思う。ジュリエットさんは口がすべったようだ。大丈夫か?

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明解PISA大事典:キー・コンピテンシー「PISA学コトハジメ 其ノ弐」

2009年 7月 31日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第13回 PISA学コトハジメ 其ノ弐

 PISAで求められている学力のことをコンピテンシーという。コンピテンシーとは「個人の人生にわたる根源的な学習の力」とされている(1)

 急激で予測不能な変化をする社会においては、過去に積み上げた知識や経験だけでは必ずしもやっていけない。必要に応じて新たな知識を取得し、それを“過去に積み上げた知識や経験と関連付けながら活用する能力”が重要だというのである。

 この学力観の転換を、一般に「知識からコンピテンシーへ」の転換という。

 ここでひとつ注意が必要なのは、この新たな学力観においても決して知識や経験の集積が軽視されているわけではないということ。“過去の知識の集積や経験だけ”では変化に対応できないといっているのである。知識や経験はあるにこしたことはない。ただ、それだけに頼っているようでは変化に対応できないというのだ。

 急激で予測不能な変化をする社会においては、勉強は学校だけですればいいのではない。学校でいくら知識を集積しても、それは社会に出るころには役に立たなくなっているかもしれない。だから、社会に出てからも学び続けなければならないのである。そういう人間が世界中のどこの労働市場においても「人材」として通用する。これこそOECD(経済協力開発機構)の学力観、つまりPISAの学力観なのである。

 いつでもどこでも「学び続ける人」になるためには、“主体的で自立的に学ぶ姿勢”が肝要である。だれかに命令されたから学ぶというようではダメなのだ。このあたりから「教師中心主義から学習者中心主義へ」というような発想が出てくる。教師が上から教えこみ、上から考えさせるのではなく、子どもが自ら進んで学び、自ら進んで考えるようにしなければならないというのである。

 これがフィンランド教育においては実現しているのだといわれる。だからフィンランドはPISAで一等賞なのだという。だからフィンランドは教育の理想郷なのだという。

 だが「理想郷」の現実は決して甘くない。

 多くの先進国が直面している問題であるが、民主主義の進展は「統治能力の危機」(2)をもたらす。民主社会においては、だれにおもねることなくモノを言うことが重要である。だから民主主義が進展すれば、だれもが権威におもねることなくモノを言うようになるので、伝統的な権威はどんどん統治能力を失ってしまう。また、そういう社会においては、モノを言えば言うほど得になる傾向があるので、伝統的な道徳心をかなぐり捨ててモノを言う人々が出現する。特に伝統的権威に対して好き勝手に要求するようになる。

 これは政治学の考えかたであるが、教育にもみごとにあてはまる。民主主義の進展にともない、学校や先生という伝統的権威が徐々に力を失っていく。それと同時に“モンスターペアレンツ”が出現して、学校や先生に好き勝手な要求を突きつける――これは決して日本だけの現象ではない。程度の差はあれ、多くの先進国に見られる現象なのである。

 統治能力を失った伝統的権威が力を取り戻すためには、自らの権威の根拠を“言説化”しなければならない(3)。たとえば、国家であれば法律にしなければならないし、個人の関係においては契約を結んで“明文化”しなければならないのである。

 学校においても同じこと。学校や先生が完全に権威性を失ったら、その“統治能力”を明文化された契約によって保障しなければならなくなるのである。これをラーニング・コントラクトといって、欧米の地域や学校によっては徐々に取り入れられ始めている(4)。教育の「理想郷」のはずのフィンランドにおいてさえ、さまざまな困難を抱えた地域や学校においてはラーニング・コントラクトを取り入れざるをえなくなっているのである。

 ラーニング・コントラクトには先生や保護者や子どもの権利と義務が明文化されているので、考えようによっては便利な制度である。だが、悲しい制度でもある。先生が「みんな宿題をちゃんとやってこ~い」と言えば、子どもが「は~い」と答える風景が失われてしまうからだ。みんな“契約で義務付けられているから宿題をやってくる”ようになってしまうからだ。これもまた「社会の変化」として受け入れざるをえないということか。

 また、PISAで求められている学力を支える「主体的で自立的な学び」と、「契約で義務付けられた学び」の間に論理的な整合性を見出すことも難しい。「契約で義務付けられた学び」とは、命令を発するのが「先生」から「契約書」にすりかわっただけのこと。それは決して「主体的で自立的な学び」とはいえないからだ。あるいは「主体的で自立的に“学びの契約”を結んだ」と解釈すべきなのか。

 PISAの学力観は、困難に直面する各国の実情を踏まえて生み出されたものである。先進国の共通の悩みに対処するために考えだされたものである。フィンランドであろうが、どこであろうが、決して「理想郷」は存在しない。

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(1)「コンピテンシー」について詳しくは『キー・コンピテンシー―国際標準の学力をめざして』ドミニク・S・ライチェン、ローラ・H・サルガニク編著/立田慶裕監訳/明石書店 2006年
(2)「統治能力の危機」について詳しくは『民主主義の統治能力―その危機の検討』サミュエル・P・ハンチントン、ミシェル・クロジェ、綿貫譲治著/日米欧委員会編/綿貫譲治監訳/サイマル出版会 1976年
(3)“言説化されない伝統”に権威性を認めない社会のことを「ポスト伝統社会」という。「ポスト伝統社会」について詳しくは『再帰的近代化―近代化における政治、伝統、美的原理』ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ著/松尾清文、小幡正敏、叶堂隆三訳/而立書房 1997年
(4)拙著『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』pp28-31/清宮普美代氏との共著/三省堂 2009年

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
現代の教育観は変わってきたのか。変わってきたとしたら、そこにどんな経緯があるのか。
国際的に活躍する教材作家である北川達夫先生がやさしく解説する連載「明解PISA大事典」。金曜日に掲載しています。


明解PISA大事典:生きる力「PISA学コトハジメ 其ノ壱」

2009年 7月 24日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第12回 PISA学コトハジメ 其ノ壱

 先日、永田町で講義をしてきた。主催はEUIJ早稲田(1)。もともと教育関連の議員さん対象の講義だったのだが、政局がこのような具合なので不調。議員さんの活動を支える方々対象の講義となった。内容は、OECDやEUの教育施策について、日本やフィンランドの取り組みを通じて概観するというもの。これはPISAの背景事情の概観でもあるので、今回は講義のサワリを再構成して紹介することにしよう。

 PISAは「各国の子どもたちが将来生活していく上で必要とされる知識や技能が、義務教育修了段階において、どの程度身に付いているかを測定することを目的としている」(2)。要するにPISAで測定する「学力」とは「生きる力」ということだ。

 なぜ「生きる力」が「学力」ということになったのか?

 従来、どの国においても(少なくとも先進国においては)「学力」といえば「学問的な力」を意味した。「生きる力」という発想もあるにはあったが、「学問的な力」の副産物程度のものと考えられていた。「学問的な力」を身につけるには、まずは基礎知識を積み上げなければならない。だから、特に義務教育段階においては、より多くの知識を覚えこむことが「勉強」であり、覚えこんだ知識の量が「学力」だったのである。

 ところが、1980年代から90年代にかけて状況が大きく変わった。どの国の社会も、少子高齢化、在留外国人の増加、価値観の多様化などによって激変した。世界も、冷戦構造の崩壊、グローバル化とローカル化の同時進行などによって激変した。世界の激変は、各国の社会をますます不安定にする。こうして、どの国の社会も「急激かつ予測不能な変化をするもの」へと変貌したのである。

 「急激かつ予測不能な変化をする社会」においては、過去に集積した知識は役に立たなくなる場合が多い。今日と同じ明日が来るとは限らないからである。過去に集積した知識で、現在と未来の問題に対処しようとする姿勢自体が、徐々に時代にそぐわないものになっていった。

 ここで学力観の転換が必要になる。このような状況において、学校教育が知識の詰めこみに終始しているようでは、学校と社会がどんどん乖離してしまうからだ。学校で習ったことが社会ではぜんぜん役に立たない。それなら学校でがんばって勉強しても仕方ない――という具合に、「学び」に対する無気力層が拡大してしまうからだ。

 「急激かつ予測不能な変化をする社会」においては、知識を多く持っていることよりも、必要に応じて知識を取得できる能力のほうが重要である。また、知識はただ持っているだけでは意味がない。必要に応じて知識を使いこなす能力のほうが重要なのである。

 「生きる力」という観点からすると、過去に集積した知識の量が「学力」なのではない。必要に応じて知識を取得し、それを活用する能力が「学力」なのだ。

 また、「急激かつ予測不能な変化」に対応するためには、常に学び続けなければならない。学び続ける人こそ、社会がいかように変化しようとも対応できる人材なのである。

 「生きる力」という観点からすると、“これまでに何を学んだか”という過去の実績よりも、“これから何を学ぶか”という未来への意欲のほうが「学力」なのだ。

 PISAの問題は、すべてこの学力観に基づいて作成されている。たとえば読解力であれば、単純に知識の有無を問うことはなく、テキストに含まれる情報と自分自身の経験とを結びつけて推論を積み重ね、一定の条件下で主張を構成していくことを求めている。まだまだ模索段階ではあるが、この方針は原則として貫かれているのである。

 ご存じのとおり、日本の教育においても「生きる力」は重視されている。ただ、日本のように長くて重たい伝統を持っている国の場合、伝統の継承に関わる知識の集積も軽視はできない。“変化に対応する力”も重要なのだが、伝統を継承するために“変わらぬ力”も重要なのである。結局はバランスの問題なのだが、これについてはいずれ回を改めて論じることにしよう。

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(1) 2009年4月、駐日欧州委員会代表部と早稲田大学との協力によって開設された研究交流機関。日本とEUの学生や研究者の相互交流による人材の育成と研究の発展を目的としている。EUIJはEU Institute in Japanの略。
(2) 『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p003/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年

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【プロフィール】

北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
(財)文字・活字文化推進機構調査研究委員
日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
『週刊 東洋経済』にて「わかりあえない時代の『対話力』入門」連載中。

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【編集部から】
学習指導要領の改訂に大きく影響したPISAってなに?
PISA型読解力ってどんな力なの?
言語力、言語活動の重視って? これまでとどう違う?
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明解PISA大事典:PISA「二十一世紀之怪物 ぴざ」

2009年 5月 8日 金曜日 筆者: 北川 達夫

第1回 二十一世紀之怪物 ぴざ

 “PISA”という怪物が日本の教育界をバッコしている。

 “PISA”の順位が落ちたために、学力低下が叫ばれ、「ゆとり教育」ではダメだとされた。“PISA”を強く意識して学習指導要領が改訂され、全国学テの問題がつくられた。どこでもかしこでも“PISA型学力”という、わけのわからぬものに取り組まねばならなくなった。すべて“PISA”が発端である。たいへんな破壊力だ。

 では、“PISA”とはなにか?

 PISAとはProgramme for International Student Assessment(生徒の学習到達度調査)のこと。OECD(経済協力開発機構)が2000年から3年毎に実施している国際テストである。対象は義務教育を終えたあたりの生徒。日本では高校1年生が受ける。科目は数学・読解・科学の3つ。問題解決という科目が加えられたこともあった(2003年調査)。

 この国際テストで順位を落としたことがすべての元凶である。ただ、順位を落としたといってもビリになったわけではない。57カ国が参加した2006年調査の順位は数学10位、読解15位、科学5位。良くもないが悪いというほどではない。

 ところで、なぜOECDなのだろう?

 OECDとは経済協力開発機構。読んで字のごとく経済専門の国際機関である。教育とはあまり関係なさそうだ。それなのになぜOECDが国際テストをやるのか?

 これについて「教育・人材養成は労働市場や社会、経済と密接に関連していることから、OECDは幼児教育から成人教育までの広い範囲で、将来を見据えた教育政策のあり方を提言」「近年では経済のグローバル化とともに、世界各国の教育を共通の枠組みに基づいて比較する必要性」というような説明がなされている(1)

 つまり経済の“グローバル化”が背景にある。経済が“グローバル化”すれば日本製品が世界中で売れるように、日本人も世界中で働ける。こうなると製品の国際規格を統一すると便利なように、人材の国際規格も統一したほうが便利だ。“PISA”は各国の人材が国際規格に適合しているかどうかを測定するテストということか。

 もちろん「人材の国際規格」などという露悪的な言葉を使う必要はない。むしろ「世界のどこにいっても通用する能力」といったほうが適切だろう。日本の教育の追求してきた学力とはちょっとズレるような感じはあるが、これからの世界を生き抜いていくためには必要な能力であるに違いない。

 ちなみに「PISA」は「ぴさ」ではなく「ぴざ」と読む。なぜ「ぴざ」なのかというと、国際会議でそういうのが普通だからだそうだ(2)

 これは「PISA」の英語読みが「ピザ」であることに由来する。たとえば斜塔で有名なイタリアの都市PISAはイタリア語読みならば「ピサ」だが、英語読みだと「ピザ」になる。なぜ「PISA」というつづりでSが濁るのかと思うかもしれないが、「VISAカード」を「びざカード」と読んでいることを考えれば納得できるのではないか。

 ただ、「PISA」を「ぴざ」と読むのは日本独特の生真面目な原音主義によるもので、ほかの国はけっこう勝手な読みかたをしている。たとえばPISAでいちやく有名になったフィンランドではフィンランド語の発音法則に従って「ぴさ」と読んでいるのである。

 かくのごとく、この連載ではPISAという怪物について、特にその読解力について、虚像を排しつつ実像を探っていくことにしたい。

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(1)『生きるための知識と技能3』OECD生徒の学習到達度調査(PISA)・2006年調査国際結果報告書 p002/国立教育政策研究所編/ぎょうせい 2007年
(2)有元秀文国立教育政策研究所総括研究官のウェブサイト(http://www.nier.go.jp/arimoto/index.html)「よくある質問」より

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北川達夫(きたがわ・たつお)
教材作家・教育コンサルタント・チェンバロ奏者・武芸者・漢学生
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日本教育大学院大学客員教授
1966年東京生まれ。英・仏・中・芬・典・愛沙語の通訳・翻訳家として活動しつつ、フィンランドで「母語と文学」科の教科教育法と教材作法を学ぶ。国際的な教材作家として日芬をはじめ、旧中・東欧圏の教科書・教材制作に携わるとともに、各地の学校を巡り、グローバル・スタンダードの言語教育を指導している。詳しいプロフィールはこちら⇒『ニッポンには対話がない』情報ページ
著書に、『知的英語の習得術』(学習研究社 2003)、『「論理力」がカンタンに身につく本』(大和出版 2004)、『図解フィンランド・メソッド入門』(経済界 2005)、『知的英語センスが身につく名文音読』(学習研究社 2005)、編訳書に「フィンランド国語教科書」シリーズ(経済界 2005 ~ 2008)、対談集に演出家・平田オリザさんとの対談『ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生』(三省堂 2008)組織開発デザイナー・清宮普美代さんとの対談『対話流―未来を生みだすコミュニケーション』(三省堂 2009★新刊★)など。
5月11日発売の『週刊 東洋経済』(5/16号)から、「わかりあえない時代の『対話力』入門」が連載開始。

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