国語辞典入門:実例豊富な現代語の辞典と見坊豪紀

2010年 3月 10日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第9回 いちばん影響を受けた辞書

 私と国語辞典との出会いについての話題は、私が大学に入ったところまで来ました。そろそろまとめに移りますが、その前に、私がいちばん影響を受けた辞書のことを書いておきます。いささかひいき目も含まれるかもしれないのは、ご勘弁ください。

 当時(1987~88年ごろ)、大学の近くの小さな書店に『言語生活』(筑摩書房)という雑誌が置いてありました。ことばをテーマにした一般向けの雑誌で、最近のことば遣いについてとか、方言についてとかいった記事が載っています。まじめな雑誌なのに、肩のこらない読み物が多かったので、私はたまに立ち読みをしていました。

 あるとき、気まぐれに1冊買い求めて、アパートで熟読していると、奇妙な連載に気がつきました。ちょうど辞書のように単語が羅列されていて、ただし、説明文の代わりに、その単語を含む新聞記事などが、逐一引用されているのです。こんな具合です。

 〈総集 65年「朝日新聞」 52回分を前後編に再構成/今夜は前半 「太閤記」総集編 NHKテレビ〔下略〕〉(『言語生活』1987.12 p.84)

 「総集(編)」の使用例なんか示してもらわなくても、使い方は分かります。なぜこんな無意味なページがあるのでしょうか。不審に思いつつ、その先を読んでいきました。「創出」「造出」「(ブームが)相乗する」「贈賞」……。中には見慣れないことばもあるものの、そう難解ではありません。知識として得るものは少なそうです。

 ところが、まもなく、おそろしいことに気づきました。これらのことば(または用法)は、国語辞典にほとんど載っていないらしいのです。見出し語の下に「0」「1」などと掲載辞書数が記されています。つまり、この連載は、「これこれのことばや用法は広く使われているのに、辞書に漏れているぞ」と、実例をもって示すのが趣旨でした。

 この「現代日本語用例大全集」を執筆していたのが、日本語学者(辞書学)の見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)さんでした。見坊さんは、「今の国語辞典に載せるべきことば」を徹底追求し、新聞・雑誌・書籍・ラジオ・テレビなどから膨大な用例を採集していました。その生活はもう何十年も続いていました。みずから集めた用例に基づいて作った辞書が、『三省堂国語辞典』です。

「生きていることば」を載せる

 連載に衝撃を受けた私は、『言語生活』を毎号読むようになり――と言いたいところですが、私はそれほど勉強熱心ではありませんでした。第一、この雑誌は、その何か月かあと、37年の歴史に幕を下ろし、休刊になってしまいました。

 ただ、こういう体験はあとで効いてきます。折に触れて見坊さんの著書を読むようになり、『三省堂国語辞典』についても、くわしく知るようになりました。

 じつは、私はもともと、『三省堂』にはそれほど関心を払っていませんでした。収録語数も、不足とまでは言いませんが、『新選国語辞典』(小学館)、『旺文社国語辞典』には負けます。私の関心事だった旧仮名遣いも、和語についてしか示されていません。

 語釈はどうかというと、『新明解国語辞典』(三省堂)などのほうが、行数も多く、精密に書いてあります。『三省堂』は短く、ひらがなが多いように思われました。

 けれども、『三省堂』には大きな特長があることを知りました。編者が、今の世の中に実際にあることばを採集して作った辞書だということです。つまり、『三省堂』を引けば、そこに載っていることばは、必ず現代の文献に用例があり、編者自身がその原文を確認済みであり、必要なら証拠を出せるということです。

 このことは、必ずしもどの国語辞典にも言えることではありません。小型辞書であっても、読者の知らないことばをできるだけ多く載せようというサービス精神の結果、死語や古語を載せていることがあります。かえって、今の人が頻繁に調べようとすることばが漏れている、ということもあります。

 その点、『三省堂』は、「実際に生きて使われていることば」を載せることに徹しています。そんな辞書を作るためには、ひたすら実例を集めるしかありません。現に、見坊さんは、生涯をかけて、145万例を超える現代語を採集したのです。

 『三省堂』によって、国語辞典には、「収録語数」や「語釈」以外にも、注意すべき観点があることを教わりました。「収録語が、生きているか、死んでいるか」という観点です。

 生きた国語辞典を作ることに賭ける見坊さん――先生に対し、私の尊敬は深まるばかりでした。でも、先生は1992年、私の誕生日と同じ日に亡くなりました。後年、私が『三省堂』の編集に加えてもらえたのは、なんとも不思議な巡り合わせでした。

* * *

◇関連する記事⇒『三省堂国語辞典』のすすめ その1 キンダイチは知ってる。ケンボウはどうだ。

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:語釈・説明の違い、詳しい 簡単

2010年 3月 3日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第8回 語釈の個性は画風に似ている

 国語辞典によって語釈が違うことを実感するにつれ、私は、ちょっとしたことばを調べるにも、複数の辞書を引かなければ満足できなくなりました。

 語釈の個性というものは、絵で言えば、ちょうど画風に似ていると思います。同じ農村風景を描いても、ミレーとモネとゴッホとではまるで違います。ミレーの絵しか見ないという人がいないのと同じで、1冊の辞書の語釈で満足するのはもったいない話です。

 主観を表現する美術と、客観を目指すべき国語辞典とは比べられないと思う人もいるかもしれません。でも、たとえ客観的に物事を捉えようとする場合でも、その捉え方に個性が表れることは、「時間」「マンボウ」の例で見たとおりです。

 あるいはもうひとつ、「苦い」の例を加えてもいいでしょう。「苦い」は、科学的には「舌根の部分が刺激される状態だ」ということです。『集英社国語辞典』の語釈はこれに近く、

 〈舌の奥の方で焦げたような味を感じる〉

 と記しています。科学的であり、妥当な語釈です。その一方で、この語釈は、日常感覚から離れる面があることも事実です。私たちは、苦みを感じる時、「舌の奥が刺激されている」とは意識しないからです。

 『新選国語辞典』(小学館)は、別の面から「苦い」を捉えようとします。

 〈熊(くま)の胆(い)や濃すぎる茶などを飲んだ時のような、よくない味を感じる〉

 この辞書が試みているのは、例示による説明です。私は「熊の胆」を味わったことはないのですが、「濃すぎる茶」と言われれば分かります。これもまた妥当な説明です。

 ほかの国語辞典を見ると、これらの観点をあわせた語釈、別の観点から切りこんだ語釈など、さまざまで、どれが一番いいと決めることはできません。それぞれの語釈の違いは、やはり、画家の作風の違いにたとえるのがふさわしいと思います。

 こんなふうに言うと、国語辞典には悪い語釈はないかのようです。もちろん、そんなことはなく、改善すべき語釈はあります。たとえば、「本」を引くと「書籍。書物」とあり、「書籍」「書物」を引くと「書物。本。図書」「本。図書」などと循環する辞書が、私が見ただけでも7、8冊はあります。すぐれた辞書でもこういうことが起こるのです。

「簡単な語釈はダメ」ではない

 循環する語釈のほかに、一般の評価が低くなりがちなのは、簡単な語釈です。くわしい語釈と簡単な語釈とがあった場合、多くの人は、くわしい語釈をよしとします。

 でも、私はこれについては異論を持ちます。語釈を念入りにするか、単純にまとめるかは、やはり、これも画風の違いのようなものです。

 私はよく、語釈の精粗を肖像画と似顔絵の違いにたとえます。肖像画はモデルを丹念に描こうとします。でも、細かく描きこんでも、どこか本物と違う感じがすることがあります。一方、似顔絵は、一筆書きのような線が、かえってモデルの特徴を見事に捉えることがあります。どちらの描き方がいいかではなく、成功しているかどうかが問題です。

 『三省堂国語辞典』の「ライター」は、第五版より第六版のほうが簡単になりました。

 〈発火石を こすってタバコの火をつける器具〉(第五版)

 〈タバコの火をつける器具〉(第六版)

 前段が削られています。辞書の語釈はくわしいほうがいいという考えに立てば、『三省堂』の語釈は退歩したことになります。本当にそうでしょうか。

 第五版で問題になったのは、「ライターの点火方式は発火石だけでない」ということでした。他の辞書には〈発火石や電池などを用いて……〉ともあります。ただ、現在では電池式はまれで、一般に目にするのは、発火石ライターか電子ライターです。第五版には発火石の説明しかないので、電子ライターの説明を加えれば完璧になるはずです。

 ところが、電子ライターは、圧電素子というものをハンマーでたたいて点火するものです(私もライターを分解して確認しました)。これを記述するなら、ライターとは、

 「発火石を こすったり、圧電素子という物質をハンマーでたたいたりして、タバコの火をつける器具」

 となります。より精密にはなりましたが、定義としてはなんだか散漫になってしまいました。「ライター」を定義するためには、点火方式や燃料の種類は必須ではなかったのです。思いきって省いたほうがいいと考えた結果が、『三省堂』の第六版の語釈です。

 ある対象について、百科事典的な知識がほしいのか、それとも、「要するにどういうことか」という核心が知りたいのか、時と場合によって、ふさわしい辞書は異なります。

* * *

◇関連する記事⇒『三省堂国語辞典』のすすめ その63 『三国』は、シンプルな似顔絵だと思う。

◇関連する記事⇒『三省堂国語辞典』のすすめ その76 電子ライターを分解してみる。

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:語釈・説明がおもしろい辞典

2010年 2月 24日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第7回 競作される「おもしろ語釈」

 『新明解国語辞典』(三省堂)を「語釈がおもしろい国語辞典」として楽しんでいた私は、間もなく、「では、ほかの辞書はおもしろくないのか」という疑問に行き当たりました。そこから、ほかの辞書への興味が湧いて、大学生活を送るうちに、辞書の数も増えてきました。1冊に頼る生活から、複数を比較検討する生活へと、質的変化が起こりました。

 楽しめる国語辞典は『新明解』だけでないということは、すぐに分かりました。たとえば、「時間」(または「時」)の項目などは、辞書ごとに個性のある説明がしてあります。

 「時間」とは何か、と問われて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。NHKの朝ドラでは、登場人物の青年が〈時間が経つということは、変化するということですわ〉と言っていました(NHK「ウェルかめ」2010.2.5 8:15)。「時間とは変化である」というのは、なかなかいい着眼点だと思います。では、国語辞典ではどうでしょうか。

 まず、『新明解』を引いてみると、「時間」の項目でこう説明しています。

 〈人間の行動を始めとするあらゆる現象がその流れの中で生起し、経験の世界から未経験の世界へと向かって行く中で絶えず過ぎ去っていくととらえられる、二度と元には戻すことができないもの〉(第六版)

 例の名調子です。「時間とは、経験から未経験へ向かう流れだ」と喝破しています。

 次に、『三省堂国語辞典』の「時」の項目ではこうなっています。

 〈すこしも止まることなく過ぎ去り、決して もどることのないもので、直接に知ることはできないが、変化を通して、また時計などを使って知ることができるもの〉(第六版)

 「直接に知ることができず、変化を通して知るものだ」という見方です。これは、上の朝ドラのせりふと通じるものがあります。

 『岩波国語辞典』の「時」はこうです。

 〈過去から現在へ、更に未来へと、とどまることなく移り流れて行くと考えられる現象。具体的には月日の移り行きの形で感ぜられる〉(第七版)

 間接に知られるものだという含みは『三省堂』と同じですが、「月日の推移で知るもの」というところに特徴があります。

国語辞典によって違う把握のしかた

 このように、「時間」というとらえどころのないものを、なんとか明快に定義しようと、それぞれの国語辞典が競っています。いわば「おもしろ語釈」の競作です。

 「おもしろ語釈」がとりわけよく見つかるのは、物の形の説明です。たとえば、「マンボウ」という魚の形はじつにユーモラスですが、これはどう説明してあるでしょうか。

 国語辞典を引き比べると、「卵形」と定義するものが多いようです。もっとも、「卵形」だけでは、ハンプティ・ダンプティみたいな魚かと思われてしまいます。『岩波』では〈体は扁平(へんぺい)な卵形で〉と、平べったいことを明示しています。

 『大辞林』(三省堂)の描写は、かなりくわしいものです。

 〈体は卵形で、著しく側扁し、背びれ・尻びれとひだ状の舵びれが体の後端にあり、胴が途中で切れたような特異な体形をしている〉(第三版)

 注目したいのは、「胴が途中で切れたような」というところです。なるほど、多くの魚が長い胴体を持つ中で、マンボウは、まるで頭の部分だけが泳いでいるようにも見えます。『大辞林』の説明は、この特徴を捉えています。

 『三省堂』も、最近「マンボウ」の項目を載せました。

 〈円盤(エンバン)のような胴(ドウ)をもつ、全長約三メートルの さかな。からだの上下に、大きな ひれが ついている〉(第六版)

 マンボウを「円盤の両側にひれがついたような魚」と単純化しています。大胆とも言えますが、姿が目に浮かびやすい説明ではないかと思います。

 読者の中には、苦労して形を説明するより、マンボウの絵なり写真なりを示せばいいじゃないかと思う人もいるかもしれません。でも、それでは、その対象を「把握」することにはなりません。

 人間は、「時間」とか「マンボウ」とかいうぼんやりした対象を、「これは要するにこういうものだ」とことばに置き換えることで、はじめて把握(認識)することができます。国語辞典の役目のひとつは、その把握のしかたを示すことです。

 国語辞典によって、対象の把握のしかたには個性があります。辞書を引き比べて「おもしろ語釈」を探すうちに、この違いを実感するようになります。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:語釈・説明の違い、特徴 比較

2010年 2月 17日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第6回 国語辞典をもうひとつ買ってみる

 中学の時に『旺文社国語辞典』を買ってから、私の国語辞典生活は、長らくこの1冊に支えられていました。正確には、中学2年で祖父の『広辞苑』(岩波書店)初版を譲り受けたし、部屋に飾ってあった『日本国語大辞典』(小学館)も、いつしか使うようになっていました。でも、大学に入るまで、ふだん使う辞書は『旺文社』1冊きりでした。

 国語辞典を比較して論じる文章を目にすることもあり、辞書ごとに語釈などの特徴が違うのは、なんとなく分かり始めてはいました。特に、井上ひさしさんが『本の枕草紙』(文藝春秋、1982年)で述べている辞書論は、おもしろく読みました。

 井上さんは、『新明解国語辞典』(三省堂)、『広辞苑』、それに『岩波国語辞典』の語釈を比較します。たとえば、「学際」の説明のしかたは、『新明解』は〈解説が自家中毒症状〉、『広辞苑』は〈平明を装っていて、その実、まことに曖昧〉とする一方、『岩波』は〈平易でよくわかり〔略〕「立て付け」のよい解説〉と高く評価します。

 『岩波』の語釈の中でも、井上さんに〈これは凄い辞典だ〉と言わしめたのは、「右」の語釈でした。初版以来、基本的に変わらず、こうなっています。

 〈相対的な位置の一つ。東を向いた時、南の方、またこの辞典を開いて読む時、偶数ページのある側を言う。〉(第七版による)

 読者が今開いているページそのものを例に使うのですから、これほど確かな説明はありません。まさに名語釈です(後に、『三省堂国語辞典』もこの説明を採用しています)。

 ただ、私は、これを読んで『岩波』を買いに走るところまでは行きませんでした。手元の『旺文社』の語釈をいくつか確かめて、べつに悪くない説明だったことに安心し、それきりになりました。やはり、語数の多い辞書が1冊あればいいと思いました。

 こういう辞書観が変わったのは、大学3年の春でした。当時愛読していた情報誌『ぴあ』の読者欄で、たまたま、辞書の語釈を引用したこんな投書を見つけました。

 〈善処――うまく処理すること。〔政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる〕…最近何かと話題に出てくるS堂S国語辞典より。〉(『ぴあ』1988.4.29 p.122「はみだしYouとPia」)

辞書の常識をくつがえす辞書

 これは現実の国語辞典でしょうか。おもしろすぎるではありませんか。〈最近何かと話題に出てくる〉と言うからには、ほかにもこんな皮肉の利いた語釈があるというふうに読めます。もしそうなら、辞書の常識をくつがえす辞書だと思いました。

 私はついに書店に走り、〈S堂S国語辞典〉が『新明解国語辞典』であることを突き止めました。後に赤瀬川原平『新解さんの謎』(文藝春秋、1996年)などで取り上げられ、独特の語釈が有名になりましたが、それ以前から一部では人気があったのです。

 『新明解』は、私にとっての2冊目の小型国語辞典として、本棚に収まりました。この時点で、辞書を選ぶ観点として、「収録語数」などのほかに、「語釈」が加わったことになります。もっと言えば、「語釈が笑える」という、いささか興味本位の観点です。

 実際、『新明解』の語釈はユニークでした。たとえば、「読書」を引くと、他の辞書に比べて異様に詳しい説明の後に、さらにつけ足してこう書いてあります。

 〈寝ころがって漫画本を見たり 電車の中で週刊誌を読んだりすることは、勝義の読書には含まれない〉(第六版による)

 総じて、この辞書については、「語釈に主観が入っていておもしろい」という肯定的な意見と、「語釈が主観的で感心しない」という否定的な意見とがあります。でも、そのどちらも的確ではないと、私は思います。

 『新明解』の語釈は、べつに編者が主観を交えて書いているわけではありません。「政治家の言う『善処』は『何もせず』」「寝転んでまんがを読むのは読書でない」などの説明は、日本語を話す人々の間に昔からあった見方です。自分が賛成か反対かはともかく、広くそういう見方があることを踏まえなければ、日本語をうまく使うことはできません。

 「鴨」を引くと〈肉はうまい〉などとあるので、「編者はカモの肉が好きらしい」と評する人もいます。でも、これも、昔からカモの肉がうまいと思われてきただけのことです。「鴨葱」ということばがあるくらいです。決して編者個人の主観ではありません。

 つまり、『新明解』の語釈の特徴は、ことばの用いられてきた文化的背景までを含めて記述するところにあります。そのことに気づくのは後年のことで、当時は単純に「過激でおもしろい辞書」として、私のお気に入りに加わりました。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:辞書の収録語数

2010年 2月 10日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第5回 語数が多ければ載っている?

 私は先に、〈常識的に考えて、〔国語辞典の〕収録語数が多ければ、求めることばが載っている確率はそれだけ高くなる理屈〉だと述べました。でも、これは本当でしょうか。常識は疑うためにあります。ここで確かめておきましょう。

 手元に、武田泰淳著『風媒花』(1952年発表)という小説があります。中学1年のころ、近所の書店で何とはなしに買って来て読んだところ、まるで歯が立ちませんでした。〈読み終えた〉と当時の記録にはありますが、斜め読みだったと思います。

 作品は、戦後の新中国に共感する知識人たちを描いたものです。彼らは、中国どころか自分の身の回りの始末もつけられないまま、あれこれ迷ったり、互いの立場を批判しあったりします。と言うと、面倒な思想小説のようですが、そうではなく、個性的な登場人物が動きまわり、愛し合い、裏切り、冒険する、わくわくする佳作です。

 とはいえ、初めてこれを読んだ時には、分からない単語が続々出てきて、筋を追うことも困難でした。さすがに今はそんなことはありませんが、「国語辞典にないことばが多いな」と思うのは事実です。たとえば、「RS」「PD工場」「メチルプロパミン」などというのは、ちょっと意味が分かりません(それぞれ「読書会」「米軍管理工場」「覚醒剤の一種」)。

 そこで、調査です。この『風媒花』から見慣れないことばを120語抜き出して、収録語数の異なる2冊の小型国語辞典で、それらを引いてみます。作品のことばが多く載っているのは、いったい、どちらの辞書でしょうか。

 優劣を論じているという誤解を避けるため、辞書の名は伏せます。ここでは、A辞典(約6万数千語)、B辞典(約8万数千語)とのみ記しておきます。A辞典とB辞典の語数の差は、約2万語に及びます。

 結論から言えば、A辞典も、B辞典も、成績はまったく同じでした。120語のうち、A辞典に載っていたのは41語。B辞典に載っていたのも41語でした。『風媒花』の特殊語が収録されている確率は、どちらも3割程度ということになります。2万語も差のある辞書を引き比べたのに、結果は変わりませんでした。「収録語数が多ければ、求めることばもそれだけ多く載っている」という常識は否定されました。

収録語数には落とし穴が

 どうしてこんな不思議な結果になるのでしょうか。そのわけは、国語辞典に入っていることばをグループごとに分けてみると、明らかになります。

 どの国語辞典でも、主要な部分をなすのは、何万語かの「常識語」というべき語彙です。これは、知らなければ「教養がないねえ」と言われそうなことばで、「目」「鼻」「海」「山」に始まって、「自由」「社会」「権利」「義務」、さらに、「乖離」「韜晦」「使嗾」「壟断」などという上級編までが含まれます。ほぼ、実用辞典のカバーする範囲に当たります。

 このほかに、国語辞典によって、さまざまなグループの語彙を上乗せします。たとえば、明治文学に出てくる語彙、和歌や漢詩の語彙、新語の語彙……といった具合です。これらのオプションを増やせば増やすほど、収録語数が増えていく仕組みです。

 今取り上げたA辞典とB辞典の場合は、たまたま、『風媒花』のような文章の語彙に、同じくらい力を入れていたものと思われます。辞書全体の収録語数には差があっても、あるグループの語彙数は似通っていたのでしょう。

 ここから、次のことが言えます。収録語数の少ない国語辞典でも、利用者の目的によっては有用だということです。かえって、語数を誇る辞書が、その人にはあまり役に立たないこともありえます。収録語数だけを重視すると、落とし穴にはまります。

 それにしても、『風媒花』のことばをA辞典・B辞典で引くと、3割ぐらいしかなかったというのは少なすぎないか、と思う人があるかもしれません。間違えないでほしいのですが、この作品の語彙全体の3割ではありません。語彙全体のうち、ことさら変わった語彙ばかりを引いてみて3割あったということですから、けっこうな成績です。

 大型辞書の『大辞林』(三省堂)・『広辞苑』(岩波書店)でこれらの語を引くと、成績は上がり、どちらも約6割を載せています。超大型の『日本国語大辞典』(小学館)なら7割を超します。これだけの大型辞書なら、数字が上がるのは、まあ当然です。

 もっとも、これを逆に言えば、さしもの大型辞書でも、『風媒花』1冊のうちの何十語かは載っていないわけです。上に述べた「RS」などのほか、「遺生児」「一番てい」「シャツ裸」「でかでかしい」「波泡」などということばは、辞書には見えません。このあたりは、辞書の課題と見るべきか、日本語の奥深さと見るべきか、むずかしいところです。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:辞典選びは収録語数が決め手?

2010年 2月 3日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第4回 語数の多い国語辞典がほしい!

 読書量が増えた中学時代の私が、実用辞典に不足を感じるようになった理由としては、仮名遣いの問題などよりも、まずは収録語数の問題を挙げるべきでした。何しろ、本には知らないことば、むずかしいことばが続々と出てくるのですから。

 もっとも、実用辞典には、一般に思われている以上に「むずかしいことば」が多く載っているということは、改めて強調しておきます。

 たとえば、当時愛読していた北杜夫作品には、〈あまつさえ〉〈有体(ありてい)にいって〉〈一体どういう訳の訳柄(わけがら)か〉など、不思議なことばがよく出てきました。これらは、実用辞典の『広辞典』(当時の版)にもちゃんと載っていました。そのころ背伸びをして使いたがった「常套」「塵労」「杜撰」などという熟語も、みな載っていました。

 前にも述べたとおり、実用辞典は、国語のテストに出てきそうな常識的なことばは収録してあります。大学入試の国語にも十分対応できるものです。

 けれども、一方、「むずかしくないことば」はけっこう省いてあります。俗語などを載せないことは述べましたが、もう少しふつうのことばでも載せないものがあります。

 〈〔私は船に飛んでくる鳥などについて〕一々口をだし、船長にとってはまことに小うるさい存在となった。〉(北杜夫『どくとるマンボウ航海記』中公文庫 p.53)

 〈冬であるのと時間が遅いため、〔動物園の〕うそ寒い園内はがらんとして人影はほとんど見当らない。〉(同 p.136)

 「小うるさい」「うそ寒い」は、書き取りのテストには出てきません。したがって(?)、実用辞典にも載っていません。でも、改めて意味を説明せよと言われると、困る人も多いのではないでしょうか。

 こういった繊細で微妙なことばまで広く載せているのは、やはり国語辞典です。語彙力を急速に伸ばしつつあった年ごろの私にとって、国語のテストに出ようが出まいが、どんなことばでもすぐに調べられる辞書があることは、死活的に重要でした。

 私は、とにかく語数の多い国語辞典を探し求めました。『旺文社国語辞典』は、この点でも理想的でした。小型辞書としては当時最大級の7万6000語を収録していたのです。

語数で選ぶのもいいけれど

 国語辞典では、収録語数が多いことは大きなセールスポイントになります。当時の私に限らず、「何万語載っているか」を基準に辞書を選ぶ人は多いはずです。辞書同士の比較に使える具体的な数字が、収録語数ぐらいしかないということもあります。

 一般に、国語辞典は、収録語数によって次の3つに分類されます(異論もあります)。

  • 大型――およそ20万語以上のもの。分厚くて重い、ダンベルの代わりになるような辞書。日本最大の『日本国語大辞典』(小学館)は実に50万語を擁しています。
  • 中型――およそ10万語以上のもの。
  • 小型――それ未満のもの(6万~8万語程度のものが多い)。片手で持ち運びができ、読書や原稿執筆の際、何度も繰り返し引くのに向いています。

 このような数字を見ると、重いのをいとわないならば大型・中型辞書、日常的に使うならば小型辞書で、そのうちできるだけ語数の多いものを選べばいいように思われます。事実、私もそう思って、小型辞書のうちでも語数の多かった(しかも旧仮名遣いを添えていた)『旺文社』を選んだのでした。

 この選び方は、必ずしも悪いとは言えないでしょう。常識的に考えて、収録語数が多ければ、求めることばが載っている確率はそれだけ高くなる理屈です。

 ただし、A辞典がB辞典よりも収録語数が多いからといって、B辞典のことばがすべてA辞典に含まれているわけではないことには注意が必要です。B辞典のほうにしかない「独自項目」は、案外多いのです。

 試しに、小型の『岩波国語辞典』(第七版、6万5000語)の「お」の部を開いて、大型の『広辞苑』(第六版、岩波書店、約24万語)と比べてみます。すると、「追い越し」「生い育つ」「追い抜かす」「追い抜き」「横風」「覆い被せる」……など、『岩波』のほうにしかない独自項目がいくつも出てきます。

 なかでも、「追い抜かす」は、「追い抜く」の意味で使われ始めたことばで、まだ他の辞書には見かけません。『岩波』ならではのきらっと光る項目と言えます。

 中学生の私は、国語辞典ごとのこういった個性を意識することはありませんでした。何はともあれ、8万語に近い語数をもつ国語辞典を得たということで、大満足でした。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:旧仮名遣いがわかる辞典

2010年 1月 27日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第3回 初めて買った国語辞典

 私が初めて自分の国語辞典を買ったのは、中学1年の秋のことでした。『旺文社国語辞典』がそれです。

 間の悪いことには、その翌年(1981年)に「常用漢字表」が告示され、たとえば「螢」は「蛍」と書くことになりました。せっかく買った国語辞典がとたんに古くなってしまいました。私は、やむをえず新版の辞書を買い直しましたが、それもまた『旺文社』でした。

 ずっと父の実用辞典を使っていた私が『旺文社』の愛用者になったのには、その年ごろならではの理由がありました。

 中学入学を境に、私の読書欲は爆発的に高まりました。子ども向けの前向きで健全な文学作品以外に、世の中には、後ろ向きで、不健全で、皮肉で、非常識な文学作品の多いことを知り、のめりこんでいきました。もっとも、主に読んでいたのは星新一、北杜夫、遠藤周作、そして夏目漱石といった人々の作品で、さほど過激なものではありません。

 そうした一般の文学作品には、当然のことながら、国語の教科書に見られない表記やことば遣いがたくさん出てきます。

 なかでも驚いたのは、丸谷才一さんのように、旧仮名遣い(歴史的仮名遣い)で文章を書く人がいたことです。私たちなら「三時間くらい飲んだんじゃないか」と書くところを、〈三時間くらゐ飲んだんぢやないか〉(『横しぐれ』)と書くのです。

 戦前までは「思う」を「思ふ」、「いる」を「ゐる」と書いたということは、国語の時間に習いましたが、その方式を現代の文章に及ぼすのは新鮮でした。何より、「現代仮名遣い」「常用漢字表」という公のルールに真っ向から逆らう姿勢が痛快でした。

 自分も旧仮名遣いを覚えたい――と、中学生の私は思いました。そして、実際に、担任の先生に提出する毎日の生活記録を旧仮名で書くようになりました。

 〈本を読んでゐたらむづかしい横文字がでて来たので辞書でひいたら……〉

 といった具合です。旧仮名遣いは実用辞典には載っていないため、どうしても国語辞典が必要になります。つまり、かなり特殊なケースかもしれませんが、私が『旺文社』を選んだ理由には、正確な旧仮名遣いを知るためということがありました。

国語辞典での旧仮名遣いの扱い方

 旧仮名遣いの扱い方は、辞書によって異なります。今述べたように、実用辞典では旧仮名をいちいち書き添えることはしません。学習用の国語辞典も同じです。

 これは、現代では、旧仮名遣いが目に触れることはあっても、自分で書くことはまずないという理由によるのでしょう。「思ふ」という表記を目にしても、それを「オモウ」と読めなければ、そもそも国語辞典は引けないし、また、読める以上は、「おもう」の項目を引けばいいので、辞書に旧仮名を添える意味はなくなります。

 ただ、今の人でも、旧仮名遣いで書くことは皆無ではありません。たとえば、短歌や俳句をたしなむ人はおおぜいいます。短歌も俳句も旧仮名で書くものです。国語辞典の多くは、こうした特別の場合に備えて、旧仮名を示しているわけです。

 ここでさらに、国語辞典の対応は二手に分かれます。

 1 「思う」に「おもふ」と旧仮名を添え、「思考」には何も添えない。
 2 「思う」に「おもふ」と旧仮名を添え、「思考」にも「しかう」と旧仮名を添える。

 1と2の違いは、和語だけに旧仮名を添えるか、それとも、和語と漢語の両方に旧仮名を添えるかという違いです。

 「思う」「舞う」「病(やまい)」などのことばは、古来の日本の固有語で、和語と言います。一方、「思考」「舞踏」「病気」などのことばは、古く中国から伝わった漢字を音読みするもので、漢語と言います。

 このうち、短歌や俳句で仮名を交ぜて書くのはもっぱら和語のほうです。「思ひつつ」「舞ひにけり」「やまひの床」などと書きます。一方、漢語のほうは、仮名で書けば「しかう」「ぶたふ」「びやうき」となりますが、ふつうは漢字に隠れて表に出てきません。

 そこで、同じ旧仮名遣いでも、和語の場合だけ示しておけば十分だと考える国語辞典と、いや、ほとんど必要はなくても、漢語の仮名遣い(字音仮名遣い)も添えておこうと考える国語辞典が出てきます。後者のひとつが『旺文社』でした。「旧仮名遣いを極める」という特殊かもしれない目的を持っていた私にとっては、頼りになる参考書でした。

 もっとも、中学生のころの私が『旺文社』を選んだのは、仮名遣いだけが理由ではありませんでした。むしろ、もうひとつの理由のほうが大きかったかもしれません。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:国語辞典と実用辞典

2010年 1月 20日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第2回 実用辞典は役に立つ

 実用辞典について、もう少しくわしく話しましょう。

 一般に、国語辞典をテーマにする文章では、実用辞典について触れることはあまりありません。英語やペン字、その他の付録は便利だとしても、国語辞典としては論ずるまでもないかのように、無視して通りすぎます。

 これは不当な扱いというべきです。その呼び名にかかわらず、実用辞典はあまり役に立たないという偏見があるのかもしれません。でも、私たちが日常の読み書きで困ったとき、実用辞典があれば、じつは、ほとんどの用は足りるものです。

 たとえば、テレビを見ていると、出演者が「シンタン問屋」ということばを使い、アナウンサーが分からなかったという場面がありました。シンタンとは何か。実用辞典の『広辞典』を引いてみると、〈薪炭 たきぎと炭。燃料。〉と出ています。

 あるいは、コマーシャルを見ていると、〈脂肪の吸収を抑える〉の「抑」の右側が「卯」になっていました。「こんな字だっけ?」と気になり、やはり『広辞典』で確かめると、「抑」の活字に加えて、楷行草の三体まで添えてあります。満足な答えが得られました。

 このように、日常生活で出てくるささいなことばの疑問は、実用辞典でだいたい解消できます。「国語辞典入門」の趣旨から外れそうですが、何千円も出して国語辞典を買いたくないという人は、千何百円程度で買える実用辞典を1冊持っておけば、そんなに困ることはないはずです。

 このことは、実用辞典の内容が国語辞典と同じだということを意味しません。実用辞典は、その価格に見合う程度に、「実用上はあまり必要がない」と思われる要素は大胆に削ってあります。その結果、一般の国語辞典ならば少なくとも6万語以上のことばを載せるのに対し、実用辞典は3万から5万語程度のことばに止まっています。

 私が小学生のころ使っていた『広辞典』は、国語辞典を上回る分厚さで私を圧倒しましたが、それでも、実際の収録語数は4万5000語にすぎませんでした。厚手の紙を使っていたので、全体も分厚くなっていただけのことでした。後に、語数は5万語まで増えましたが、紙が改良されたため、かえって1センチ近くも薄くなりました。

実用辞典は「いらないことば」を削っている

 実用辞典で削られている「いらないことば」の筆頭は俗語です。たとえば、「すってんてん」とか「からっけつ」とかいう語を引いても出てきません。もっとも、こんなことばは手紙にも使わないし、漢字を調べる必要もないので、載せなくても正解ともいえます。

 また、派生語も多く省略されます。ふつうの国語辞典には「広がる」も「広げる」も載っていますが、『広辞典』には「広がる」しかありません。「広げる」は「広がる」の意味から類推せよということでしょう。

 多少困るかもしれないのは、新しいことばが載っていないことです。『広辞典』の最新の第五版補訂版は2009年に出ていますが、これには「インターネット」「携帯電話」「財務省」など、ここ10年前後で広まった新語が入っていません。今の国語辞典なら、たいてい入っている項目です。実用辞典は、国語辞典ほど項目の入れ替えを頻繁に行わないため、こういう部分が出てきます(初版の新しい実用辞典は別です)。

 もっとも、インターネットや携帯電話のことは、私たちはよく知っています。事改めて確かめる必要もないので、実用辞典にはなくてもいいかもしれません。「携帯」ということばは載っており、字を確かめる役には立ちます。

 つまり、実用辞典に載っていることばは、ひと言で言えば「学校の国語のテストに出てくるような、常識の範囲のことば」と考えれば間違いありません。「『成績』と『成積』のどちらが正しいか」「『シンタン問屋』とは何か」「『脂肪の吸収をオサえる』の『オサえる』はどう書くか」など、これまで挙げてきた例は、知らないとちょっと恥ずかしい、常識に属するものです。こういった問題は、実用辞典で見事に解決できます。大学入試の漢字の答え合わせをするのにも、実用辞典で十分間に合います。

 実用辞典が「学校の国語のテストに出てくるような、常識の範囲のことば」を載せているならば、小学生や中学生が勉強のためにこれを使ってもいいはずです。小学生の私が、いわゆる学習国語辞典を使わずに、『広辞典』を使っていたのは、それなりに合理性があったわけです。

 ただ、私は、中学に上がるころから、次第に『広辞典』に不満を感じるようになりました。ある理由で、自分のために新しい国語辞典がほしくなったのです。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:いろいろな国語辞典

2010年 1月 13日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第1回 自分の国語辞典がなかったころ

 まず、「国語辞典はどう選んだらいいのか」という話から始めます。といっても、「こういう点に注意しましょう」と、いきなりチェック項目を並べることはしたくありません。それだと、多くの項目にチェックが入った辞書がいい辞書という錯覚を与えるおそれがあります。実際には、辞書はそんなふうに序列化できるものではありません。

 それよりも、むしろ、案内者である私自身のことをお話ししていこうと思います。私だって、最初から国語辞典の選び方が分かっていたわけではありません。いくつかの辞書を使ううちに、何となく、「こういう点も大事だな」と、考えがまとまってきたのです。その過程をお話しします。

 そこで、いきなりですが、話は1970年代の後半までさかのぼります。

 当時、小学校高学年だった私には、「自分だけの国語辞典」というものはありませんでした。たまたま家にあった辞書を使っていました。

 家には、少なくとも4種類の辞書がありました。まず、母の使っていた小型の『明解国語辞典』(三省堂)。それから、祖父の部屋には、古びた『広辞苑』(岩波書店)の初版が、でんと置いてありました。

 祖父は、よく懇意の本屋さんから勧められるまま、美術全集だの、百科事典だのといった大型本を買いこんでは、部屋に並べておく趣味がありました。その中には、当時刊行中だった『日本国語大辞典』(小学館)という全20巻の大部の辞書もありました。この大辞典は間もなく完結し、私の勉強部屋に並べられました。祖父としては、「お前が使え」というつもりだったのでしょうが、小学生の私にとっては飾り物にすぎませんでした。

 さらにあと1つ、父が使っていた集英社の実用辞典がありました。濃い緑のビニールの表紙に『新修 広辞典』と金文字が入り、銅鏡の模様が型押しされていました。板チョコぐらいの大きさにもかかわらず、異様に分厚くて、測ってみると4センチ以上もありました。この厚みは、いかにも知識の宝庫という感じを与えるものでした。

 私が最初に使うようになった辞書は、この濃緑色の実用辞典でした。父の書棚から自分の部屋に移し、学校にも持って行きました。

至れり尽くせりの1冊

 同じ小型なら、実用辞典でなく、母の『明解国語辞典』を使ってもよさそうなところです。でも、これは学校の勉強に使えないことが明白でした。何しろ、「学校」の見出しのかなが「がっ こう」でなく「がっ こお」になっています。「勉強」は「べん きょお」です。

 そんなばかなと思われるかもしれませんが、これは、母の辞書の初版が出たのが終戦以前であり、当時の複雑な旧仮名遣いを知らなくても、発音どおりに引けばいいようにするための工夫だったのです。その方式が、戦後の改訂版にも引き継がれたのでした。でも、1970年代の小学生である私に、これはふさわしくありません。

 一方、父の実用辞典は、申し分のないものでした。第一、厚みがはんぱでない。母の辞書の2倍もあります。どんなことばでも載っているという感じがします。実際に、学校で習うことばで、この辞書に載っていないものはありませんでした。

 たとえば、「せいせき」は「成績」か「成積」かと迷ってページをめくると、〈成績 でき上がった結果。できばえ。成果。〉と書いてあります。これで問題はすっきり解決です。私は、このようにして、いろいろなことばを引き、覚えていきました。

 この辞書にはいろいろなサービスがしてありました。まず、モノクロながら、写真が多く載っていて、その事物が視覚的によく分かります。「原子爆弾」の項目には、キノコ雲のまがまがしい写真さえ載っていました(今の版では、写真は総入れ替えされています)。

 また、それぞれの項目に英語がついていて、簡単な和英辞典にもなっています。「人間」は英語でどういうのだろうと思って引いてみると、〈mankind マンカインド〉と書いてあります。小学生の私は、「マンカ・インドというのは初めて知った。あのインドと何か関係があるのかもしれない」と、勝手に納得していました。今考えると、「human being」を載せたほうがよかったのではないかと思います。

 そのほか、ペン字体も載っているし、巻末には「電報の送稿用語」もありました。電話で電報を頼むとき、「ア」は「朝日のア」などと伝えるのです。これを覚えたおかげで、「為替のカ、英語のエ、れんげのレ」(帰れ)などと、今でもさっと言うことができます。

 『広辞典』は、これほど至れり尽くせりの辞書でした。この1冊さえあれば、ほかに国語辞典はいらないと思われました。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


国語辞典入門:国語辞典の選び方

2010年 1月 6日 水曜日 筆者: 飯間 浩明

第0回 はじめに

 私はこれから、「国語辞典はどう選んだらいいのか」、そして、「国語辞典はどう使ったらいいのか」ということについて、できるだけくわしくお話しするつもりです。

 こう宣言すると、読者からはいろいろな反応があると思います。じっくり聞いてやろうという人もいるかもしれません。一方、うんちくはいらない、今日にでも辞書を買いに行くんだから、だいたいのところを教えてくれという声も聞こえてきそうです。

 それでは――というわけで、まずは、お急ぎの読者のために、私の言いたいことを一言でまとめてしまいましょう。

 国語辞典のいちばん理想的な選び方は、1冊ではなく、性格の違ういくつかの辞書をそろえることです。また、いちばん理想的な使い方は、それらの辞書を、つねに引き比べながら使うことです。何も特別なことではありません。

 もっとも、こんな説明では、読者は必ずしも納得しないかもしれません。次のような不満がきっと出てくるはずです。

 いくつかの辞書をそろえろと言われても、そう何冊も買えるもんじゃない。辞書を引き比べることは大切かもしれないが、理想論だ。自分は、とりあえず、ほかに比べて語数も多く、誤りも少ない辞書が1冊あればいい。その辞書の名前を教えてくれ。それを買いに行こうじゃないか。

 まあ、お待ちください。そういう「ランキング第1位」の国語辞典は存在しません。かりに、ここにきわめて優れた辞書があったとして、それを読者に推薦したところで、肝心な時に、よりによってその辞書だけが役に立たないということだってありえます。

 「第1位」の国語辞典というものがないからこそ、私は、性格の違ういくつかの辞書をそろえ、それを引き比べるべきだと主張するのです。

基本的なところから考えよう

 さて、そうなると、話はやはり長くならざるをえません。性格の違う国語辞典を選ぶといっても、それぞれの辞書の違いなんて、どこを見れば分かるのでしょうか。説明には少々時間がかかりそうです。国語辞典と実用辞典、漢字辞典などの違いも問題になります。ひとつ、基本的なところから考えてみましょう。

 また、それぞれに個性のある国語辞典をそろえたとしても、そもそも引き方が分からなければ、それぞれの長所を生かすことはできません。ちょうど、多機能のカメラを、いつも自動ピントや自動露出でしか撮影しないようなものです。カメラの機能ならぬ、国語辞典に備わっている機能の使い方についても触れたいところです。

 あるいは、国語辞典をどんなときに使えばいいかという話も必要です。知らないことばや、不正確な漢字を確かめるだけでは、辞書を十分に使っているとはいえません。カメラのたとえで言えば、旅行や年中行事のスナップしか撮らないようなものです。国語辞典にはまだまだ活用法があります。

 そのほか、国語辞典はどうやって作るのか、だれが作るのかといった話も、読者は知っておいて損はないはずです。さらには、国語辞典の将来はどうなるのか、などといったことにも言及できればいいと思います。

 私は『三省堂国語辞典』の編集委員として辞書作りにたずさわっており、その経験から、辞書について一般に言われていることに疑問を差し挟みたいこともあります。私の話は、国語辞典についての説明というだけでなく、問題提起を含むものになるでしょう。

 国語辞典の初心者とともに、日ごろかなり辞書を使う方にも、ぜひおつき合いいただければと思います。

* * *

◆連載を続けてお読みになる方は⇒「国語辞典入門」アーカイブ

◆記事のタイトルからお探しになる方は⇒「国語辞典入門」目次へ

◆飯間先生のもう一つの連載は⇒「『三省堂国語辞典』のすすめ」目次へ

◆飯間先生の記事はここにも⇒「三省堂WebDictionary」ことばパティオ第8回「「串刺し」に堪える語釈でなければならない」

筆者プロフィール

【飯間先生の新刊『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』】飯間浩明(いいま・ひろあき)
 早稲田大学非常勤講師。『三省堂国語辞典』編集委員。
 早稲田大学文学研究科博士課程単位取得。専門は日本語学。古代から現代に至る日本語の語彙について研究を行う。NHK教育テレビ「わかる国語 読み書きのツボ」では番組委員として構成に関わる。著書に『遊ぶ日本語 不思議な日本語』(岩波書店)、『NHKわかる国語 読み書きのツボ』(監修・本文執筆、MCプレス)、『非論理的な人のための 論理的な文章の書き方入門』(ディスカヴァー21)がある。
URL:ことばをめぐるひとりごと(http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm)

* * *

【編集部から】
これまで「『三省堂国語辞典』のすすめ」をご執筆くださった飯間浩明先生に「国語辞典の知っているようで知らないことを」とリクエストし、「『サンコク』のすすめ」が100回を迎えるのを機に、日本語のいろいろな辞典の話を展開していただくことになりました。
辞典はどれも同じじゃありません。国語辞典選びのヒントにもなり、国語辞典遊びの世界へも導いてくれる「国語辞典入門」の始まりです。


次のページ »