社会言語学者の雑記帳7-2 忘却とは(つづき)

2011年 6月 8日 水曜日 筆者: 松田 謙次郎

忘却とは(つづき)

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 結局その理由は、アメリカの科学社会学者ロバート・マートンが提唱した「取り込みによる忘却 (Obliteration by Incorporation, OBI)」 によるものと考えられます。OBIとは、おおよそ次のような考え方です。ある学問領域で、学者Xが術語Yを考え出したとする。Xにとって幸福なことに、Yはその領域の論文や学会で好評を持って受け入れられ、「Y(X 2011)」として次第に引用され始める。そのうちに術語Yは研究者コミュニティでさらに一般化し、やがてその学問領域の教科書にも登場するに至る。すると、その術語Yも提案者の名前なしに使われるようになる。ここに至り、術語Yはいわばその学問領域の共通財産となり常識となる。しかし常識となると同時に、皮肉なことにその学問界の人々は最初の提案者であるXのことは次第に忘れ去ってしまい、しまいにはそもそも誰が術語Yを提唱したのかを正確に記憶しているのは一部の学説史研究家のみになってしまう。

 学問に情熱を感じる者であれば誰であっても、自分の提唱した術語がその領域の共通財産になることは最高の喜びでしょう。私にしても「松田の法則」だのMatsuda’s Generalizationだのといったフレーズが学会誌の紙面に飛び交うようになったら、行きつけの居酒屋を借り切って三日三晩大宴会を催し、華々しく破産するくらいのことはしかねません(;´∀`) しかし、その術語が本当に言語学界の常識となった暁には、おそらく私の名前はOBIによってそこから消えているはずです。悲しい話ですが、学者である以上、こうした事実に直面しても満足するようでなければならないのでしょう(´・ω・`)

 さて、最近の言語学を考えるにつけ、OBIを経て常識となった術語が少ないことに気がつきます。私が不勉強なせいでしょうが、1. 過去20年間に新たに提唱された言語学的概念で、2. 言語学者なら誰もが知っていて教科書にも掲載されるような「常識」となった概念を5つ挙げよ、と言われたら考え込んでしまいます(´ε`;) 社会言語学であればジェンダー、ポライトネス、言語景観、実践共同体、法言語学といった具合にいくらでも挙げることができます。しかしジェンダーやポライトネスはともあれ、その後の3語を社会言語学以外の領域の人がどれほどご存じかと問われると、はなはだ自信がありません。言語景観に至っては、「なんじゃそれ?(゚Д゚)ハァ?」と言われそうで、まさに((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル(*)。他の分野も同様で、併合だのスキーマだのと言われても、どれほどの言語学者が理解しているのでしょう。もちろん、私はこうした概念やその枠組み、またその言語学的な有効性や貢献を否定しているのではありません。また、先の社会言語学の例と同様、これらも生成文法や認知言語学の分野では「常識」となりつつあるのかも知れません。しかしいかんせん、それらは「音素」ほどの常識にはなり得ていないわけです。

 ここに至って気付くこと。それは、言語学のある下位分野の常識が別の下位分野の常識ではないことがあるとすれば、それは学問の進歩に伴う細分化によるものだということです。学問が前進するにつれ各分野は専門家の度合いを強め、新たな分野が独立し、さらに専門化が進行する。その過程で新たな「常識」が誕生するが、ちょっと前までは一緒であった分野であっても、今となっては独立してしまった別々の分野同士では、もはや共有財産である「常識」は存在しなくなっている。隣の言語学者は何する人ぞ。え、その術語はどういう意味? なに、これを知らないの? 術語「音素」の常識化が提唱者名「ボードゥアン・ド・クルトネ」の忘却と表裏一体だったように、専門化の進行は常識の減少と表裏一体だったわけです。

 ちなみに筆者の隣の研究室(そしてその隣)は生成文法学者ですが、おおよそどんなことをやっているのかは互いに知っています(たぶん)。そして彼らはおそらく「音素」の提唱者も知っていることでしょう。たぶん。

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(*) 【編集部注】実はココのサイトには「言語景観」のコラムがいっぱいありまして。標識や看板などのアレです。どんなものかとお思いになった方、ぜひぜひ↓とか↑とか→とかご覧くださいまし。

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。


社会言語学者の雑記帳7-1 忘却とは

2011年 5月 28日 土曜日 筆者: 松田 謙次郎

忘却とは

 言語学を少しでもかじったことがあるみなさん、「音素」って覚えてますね(´∀`) たぶん「言語学概論」なら5月くらいには習う術語なので、現在進行形で入門の授業を取っている人は、習ったばかりかも知れません。ある言語における音の機能的な単位であり、最小対や相補分布といった方法で発見される、といったことが分かっていれば、あとは練習問題が解ければ無問題でしょう。

 それではここで問題です。この音素の概念を最初に提唱した人は誰でしょう? ちょっと考えてしまいますね。ボードゥアン・ド・クルトネというポーランド人言語学者が正解です。ただし、phonemeという英語の術語を最初に使った人はダニエル・ジョーンズであり、また音素概念をめぐってはエドワード・サピア、ニコライ・トゥルベツコイ、レナード・ブルームフィールドらがさまざまな説を唱えており、日本でも論争がありました。

 言語学者でもボードゥアン・ド・クルトネの名前が出る人はあまり多くないかも知れません。「音素」という概念そのものは言語学者なら誰しもが知っている、かなり基礎的にして重要な概念でありながら、その提唱者の影はかなり薄い。当コラムをお読みの方で上の問題にすぐに答えられた人は、おそらくどこかで入門以上の言語学(ないし音韻論)の授業を受けたことがあるか、かなりな言語学オタク(!)なのでしょう( ̄― ̄)ニヤリ

 しかしなぜこのような重要な概念であるにもかかわらず、その提唱者はあまり知られていないのでしょう?(*゚Д゚)アレ? たしかにド・クルトネの業績一般があまり知られていないのも事実です。また、「言語学を理解するのに必ずしも言語学史を知る必要はない」という考えにも一理あります。が、教科書の執筆者がみなこうした考えを持っているから提唱者の名前が知られていないというわけでもないでしょう。提唱者の名前を出すだけの紙幅がない、というのも疑問です。たった一行足らずで済むことですから。

 結局その理由は、アメリカの科学社会学者ロバート・マートンが提唱した「取り込みによる忘却 (Obliteration by Incorporation, OBI)」 によるものと考えられます。OBIとは、……(次回につづく)

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神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
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『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
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社会言語学者の雑記帳6-3 ローマ字の迷宮

2010年 10月 8日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

ローマ字の迷宮3

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 こうした表記の「乱れ」は、実はローマ字の「大本山」である、文化庁のお膝元でも見られるものなのです。麻生政権時に「国立漫画喫茶」とさんざ揶揄された「国立メディア芸術総合センター」という計画をご記憶でしょうか。この設立を巡って文化庁では会議を開催しましたが、その一つの会議の文書が置いてあるURLは、http://www.bunka.go.jp/oshirase_kaigi/2009/kokurithumedeia_1.html となっています。oshiraseとヘボン式が使われているのはまだ許せるとしても(国の行政組織なので本来は訓令式であるべきですが)、その後のkokurithumediaには、もう口をあんぐりという他はありません。「つ」=「thu」( ゚д゚)ポカーン これは未だどんな方式でも使われていない、革新的な綴りです。まさにお膝元の反乱です(T▽T)

 文化庁のために一言すれば、このURLを設定したのはおそらく文化庁の官僚ではなく出入りの業者、ないしそこのウェブデザイナーの方なのでしょう。さらにもう一言付け加えれば、ローマ字の混乱状態は他の官庁も似たりよったりなのです。厚生労働省の「調達情報」のページのアドレスは、http://www.mhlw.go.jp/sinsei/chotatu/index.htmlと、ヘボン式と訓令式と折衷方式(chotatu)を採っています。財務省でも「法令適用事前確認手続」となにやら厳めしいページのアドレス http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/e-j/jizen/tetuduki.htm には、見事にヘボン式(jizen)、日本式(tetuduki ※訓令式ならtetuzuki)、ワープロ式(jouhou)が揃っています。訓令式がないのが惜しまれますが、いつかwww.zyme_show.go.jpとダジャレ式がここに加わるかも知れません。

 上の例のように,一つの単語ないしまとまりに異方式が同居するというのは,典型的な誤りのパターンであり,例えば東国原宮崎県知事のツイッターアカウント名は「@higashitiji」と、ヘボン式と訓令式のミックスになっています。この「ヘボ訓式」は、日本中至る所に溢れているので、ぜひ身近な用例を発見して下さい。

 ローマ字の混乱を巡る以上のような状況は、まさに迷宮と呼ぶにふさわしいものです。一つの問題が見つかると、さらに次の問題も見つかり、表記を仕切っているはずの官庁のお膝元でとんでもない表記が見つかる。教育に解決の糸口を求めようにも、学校で習ったのは遙か昔の小学生時代で、考えてみればそれからずっと大学卒業まで体系的にローマ字を習ったこともない。そもそも入試にも出題されないだけに学生も勉強しない。一方、テクノロジーの進歩も新たな表記法をもたらすし、そうこうするうちに、次から次へと新たなローマ字表記法が出現して日本中を覆う。

「日本語は漢字と平仮名と片仮名で十分」とはとても言えないグローバルな時代に我々は生きており、何らかの形で標準化が進められなければならないことは火を見るより明らか。しかし常用漢字だUnicodeだと折に触れて脚光を浴びる漢字に比べて、ローマ字はどことなくミソッカスっぽい。こうして今日も出口のない輝ける迷宮で、密かに新たなローマ字法が生み出される。higashitijiではないが,まさにローマ字の現状はどげんかせんといかん。ほら、そう言えばあの店の看板のローマ字は……。

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神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
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『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
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社会言語学者の雑記帳6-2 ローマ字の迷宮

2010年 10月 1日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

ローマ字の迷宮2

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 ローマ字法の混乱には、また意外な側面もあります。長音の表記は、訓令式やヘボン式では原則的に長音府を母音の上に付けることになっていたはずでした。ところが、ある時「お」の長音を「ou」と表記するローマ字表記が突然世の中に一般化し始めたのです。どうしてだと思います?なんとこれがワープロの普及のせいなのです。1978年に登場したワープロは、瞬く間に日本社会に浸透しましたが、そのワープロのローマ字変換が、長音の「お」を「ou」で出すために、これが正しいローマ字の長音表記と誤解されて広まった、というわけです。テクノロジーの発達が、表記法に影響を与えた例と言えるでしょうが、これは「ワープロ式」と命名しましょう。ワープロ式は、ヘボン式や訓令式の下位区分となりますから、学術的には「ヘボンワープロ式」(例: 装置 souchi, 消灯 shoutou)などと呼ぶべきなのでしょう☆-(^ー’*)b

 身の回りを見回すと、我々が普段使うローマ字法には、さらに別な方式もありそうです。先日羽田空港で飛行機に乗ろうとしたら、搭乗口で「ShinMaywa」という表記が目に付きました。調べたら「新明和工業」という会社名でした。また、「東レ」という会社のロゴマークには「Toray」という綴りが踊り、会社のURLにもこの綴りが見られます。ファッションブランドであるISSEY MIYAKE のISSEYという綴りもこの類でしょう。そして私の知り合いには、自分の名前である「井上」のメールアドレス表記に「innoway」という綴りを使っている方もいらっしゃいます。

 こうした方式も新たなローマ字法だと認めることにすれば、これは日本語の発音に近い英単語(もしくはその一部)を繋げてローマ字とする、という方式だと言えます。つまり英語を使った「ダジャレ」なわけです。この「ダジャレ式」とでも呼ぶべき方式に従うと、例えば「法務省」はhome show となり、「財務省」はzyme show となるのでしょうか。Zyme Showは「もやしもん」に触発されて酵素をフィーチャーしたバラエティ番組でしょうか?こうなるともう何でもAlleyです ┐(´∀`)┌HAHAHA

 ダジャレ方式による表記法を探していたら、この夏に横浜で開催された画家鴨居玲の展覧会で、面白い例を見つけました。鴨居は1928年金沢生まれの洋画家で、1985年に亡くなるまでに数多くの作品を残しました。その展覧会で鴨居の作品を年代順に見ていくうちに、作品に書かれた鴨居のサインが時代と共に移り変わっていることを発見したのです。初期の彼の作品は、Rei Kamoiと、何の変哲もない表記法です。彼が71年にスペインに渡った頃から、そのサインはRey Camoi となり、さらに1977年頃からRey Camoyとなります。このRei Kamoi → Rey Camoi → Rey Camoy という変化は、標準方式からの逸脱なわけですが、逸脱の方向は、語尾のiをyに、語頭のKをCにということから、スペイン人(ないしヨーロッパ人)たちにより受け入れられやすい方向だったと考えられます。このRey Camoyという表記も、一種のダジャレ方式と考えられそうです。これは、もちろん鴨居のスペイン滞在の影響だったのでしょう。

 話が脱線しますが、こういう風に相手に受け入れられやすくするために自分の言語行動を変える現象を、社会言語学ではアコモデーションと言います。鴨居の例は、表記上のアコモデーションということになります。

 さて、ここまでをお読みになって、なんと嘆かわしい日本のローマ字の現状、と思いましたか?やっぱりローマ字はもっと国がしっかりと管理しなくては。無知蒙昧な国民に任せてはこの先どうなるかわかったもんじゃない、とか?

 甘い甘い ヽ( ´ー`)ノ フッ

 こうした表記の「乱れ」は、実は……(次回へつづく)

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社会言語学者の雑記帳6-1 ローマ字の迷宮

2010年 9月 24日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

ローマ字の迷宮

 突然ですが、みなさんは自分の名前を自信を持ってローマ字で書けますか?もちろん、「田中和夫」とか「中村あゆ」(同名の方、申し訳ありません…<(_ _)>)といったどう転んでもローマ字の書き方に差が出ないような名前の方もいらっしゃるでしょう。しかし、世の中には「松田謙次郎」のように、Matsuda なのかMatudaなのか、Kenjiro なのかKenzirouなのか、はたまたKenziroh なのかと一度ならず自分の名前のローマ字表記に迷わざるを得なかった人もいるはずです。

 そもそもローマ字表記とはそもそもどういうものであったのか。ローマ字表記には大別して「訓令式」と「ヘボン式」があること、実際には場合によりどちらも使われていること、などは例えうっすらとでも誰しもご存じでしょう。ごく簡単に言えば、ヘボン式は英語の発音を基礎に、訓令式は音素表記という原則で日本語をローマ字化する体系です。よって例えば「し」「つ」「ち」はヘボン式なら shi, tsu, chi となり、訓令式は si, tu, ti と綴れと言うわけです。我々はこの2つの方式を小学校で習ったはずで、よって誰しもローマ字と言えば「なんとなく2方式があったよなー」と思うわけです(正確には、訓令式にはその先駆けとして、非常に似た「日本式」という方式もあったのですが)。そしてローマ字論争と言うのは、この2つの方式のいずれを採用するべきかという論点を巡ってのものだ、というのが大方の理解でしょう。

 ところが、こうした理解は実はローマ字問題のごく一部をカバーするものでしかありません。ローマ字に関してピカ一の情報量を誇ると思われるサイト「ローマ字相談室」 (http://www.halcat.com/)は、こうした安直な理解が大きな誤りであることを嫌と言うほど教えてくれます。

 このサイトに曰く、日本語ローマ字表記法には少なくとも9つ(うち一つはこのサイトオーナーである海津知緒さん考案の方式)あり、中には国際規格であるISOで定められたものまである。曰く、ヘボン式と言われるが、そのヘボン式とはどういうものか、その方式を記述した文章はないらしい(つまり公的規格ではない)。曰く、パスポートに用いられるローマ字方式は、厳密にはヘボン式とは異なり(長音を表す^や ̄ などの符号を使わない)、「外務省式」という独自方式である、などなど。そうです、このサイトを読むだけで、我々のローマ字理解は大きく揺らぎ出しますね。なんと9つの方式。ローマ字こそ表記バリエーションの王国だったわけです。かな遣いと比べれば、そのアナーキーさが分かろうというものです (((( ;゚д゚))))アワワワワ

 ローマ字法の混乱には、また意外な側面も……(次回へつづく)

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社会言語学者の雑記帳5 世界はデータでいっぱい

2010年 2月 2日 火曜日 筆者: 松田 謙次郎

世界はデータでいっぱい

 またまたちょっと「社会言語学者になるまで」をお休みして別のオハナシを(;^^)。それは「社会言語学のデータ」というお話です。これまでフィールドワークの話を中心に、自然談話データ、調査票を使ったアンケートデータ、などといった話もしてきましたが、そもそも「社会言語学で使うデータ」とは何なのか。社会言語学者はどこからデータを得ているのか。これを書いてみましょう。

 はい、いきなり結論。それは「何でもアリ」です。自然談話データ、アンケートなどでもなく、ことばであれば事実上どのようなものでも社会言語学のデータになり得ます。それだけ社会言語学とは融通無碍で、自由度が高い学問領域だということです。年2回開催される社会言語学の全国学会である「社会言語科学会」(http://www.jass.ne.jp/)での発表タイトルをざざっと見るだけでも、その多彩さに圧倒されます。いったいこの学会は何なんだヾ(゚Д゚ )、と思うでしょう。でもそれが社会言語学なのです(キッパリ)。

 これまでに使われたデータの中には、ちょっと考えても、ここのエッセイで繰り返し触れてきている各種自然談話のほか、新聞、雑誌などの活字メディア、地名、漫才・落語、(台本を含む)映画、テレビ・ラジオ番組(ドラマ、トークショー(例:「徹子の部屋」)、ニュース、バラエティ番組など)、外国人の話す日本語、手話、公共空間(駅、電車、バス、デパート、街角など)でのアナウンス・書きことば、ネット(チャット、Youtube、ニコニコ動画などの動画を含む)、携帯メール、コーパス、法廷でのやりとり、国会会議録などがあります。なんとこれでもごくごくごくごく一部です。ちなみに公共の場所にある看板や各種表示を手がかりに、地域社会の言語状況を探ろうとする分野は「言語景観学」と呼ばれ、最近盛り上がってます\(^O^)/。

 ね、まさにことばであれば「何でもアリ」でしょ^^ もう何が出てきても驚きません。たとえば「エアコンの取扱説明書」「風邪薬の説明書」「駅のトイレの張り紙」さらに「迷惑メール」でも十分データになりそうです。今この原稿を書いていても、それぞれをデータにしたトピックが浮かんできてしまいます。たとえばトリセツは経年的にどう変わってきているのか、メーカーによる違いはあるのか、助詞、各種活用などのバリエーションはどうなっているのか、なんてことが気になります。そうそう、もうすぐツイッターやmixiの「ボイス」などをデータとして取り上げた論文もどこかに登場するでしょう。

 つまるところ、社会言語学者にとって、世界はデータに満たされていると言えましょう。朝起きてテレビをつければアナウンサーのことばが気にかかり、トイレに入ってふと呟いた自分の独り言について考えてしまう。駅までの道では看板に目が留まり、駅ではもちろんアナウンス、看板、周囲の乗客の話し声などに注目、職場では同僚の話しことば、会議での配付資料(の言語表現)に全神経を集中し。ランチではペットボトルのお茶のラベルをガン見して、午後の職場ではやってくるメールや閲覧するサイト(仕事ですよ、もちろんw)でのバリエーションを探してしまう。仕事帰りにデパートに行こうものなら、店員の話しことばやアナウンスはもちろん、商品名、はては観光で来たと覚しき外国人の買い物姿をそれとなく観察。結局何も買わずに(いつもは買うのよw)帰宅して、夕刊を読みながら新語に気づき、ネットサーフィンをしてまたまた発見をしてようやく寝る。と思ったら、エアコンの「運転を終了します」だの携帯の「充電が終了しました」だのといった機械的呟きに本日最後の社会言語学的考察を加えながら、ようやく眠りに落ちる(-_-)゜zzz

 呆れちゃいますか?でも今日もどこかの社会言語学者がこうした生活を送りながら鋭敏なアンテナを働かせ、これだと思った現象を発見、貪欲にデータを採取し分析を始めているはずです。社会言語学者ならぜーんぜんフツーです。

 もちろんこうしたあり方について、「それは結局面白半分の素人芸で、まともな学者のやる言語学じゃないよっ!」というキビシー声も聞こえてきそうです。私の答えは。「言語について面白いことがわかるのであれば、法的・倫理的問題がない限りデータは何であろうが構わない」です。今までにないソースやメディアから得られたデータは、なにかしら言語について(さらに人間について)新しいことを教えてくれる可能性があります。可能性がある以上、やってみるしかありません。つまらなかったら「ほーら言わんこっちゃない、やーい」ではなく、さっさと次の面白そうなデータを探せば良いんです。さらに言えば、「言語学」なのだから、ことばに関するデータなら何を使っても良いはずです。かつてロマーン・ヤコブソンという有名な言語学者は、「私は言語学者である。ことばに関することで無関係なことはない」と言いました(原文はラテン語)。これは上に書いた社会言語学のデータに関するスピリットと通じるものがあると思います。

 で、最後に一言。誰かなんか面白いデータ知りませんか(笑)。

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社会言語学者の雑記帳3-3 社会言語学者になるまで

2010年 1月 19日 火曜日 筆者: 松田 謙次郎

社会言語学者になるまで(3)

 さて、大分間が開いてしまいましたが<(_ _)>、社会言語学者になるまでの続きを。

 勇躍フィラデルフィアに到着して、学生生活が始まりました。聞かされていた通り、ほとんどの授業内容は最初の頃は簡単ですが、急カーブで難しくなっていきます。

 しかーし!一番大変だったのは、以前ここでも書いたフィールドワークの授業です。憧れのLabov教授の担当で、4~5人のグループになり、右も左も分からない(おまけに治安が最悪な!)フィラデルフィアの地図を渡され、市内のある一画を担当し、毎週授業で出される課題とテープレコーダを片手に、担当地域の家々を一軒一軒訪ね歩くのです。治安も悪い中、郊外の大多数が白人という住宅街を、突然怪しげな東洋人が、「すみません、この地域のことを調べているのですが」などと言ってドアを叩いてくる。そう、当然誰も応えてくれません。もっとも私のグループは私以外皆白人だったにもかかわらず同じ結果だったので、人種はこの際関係ないかも知れません。

 この授業では、「このリストを読ませて録音し、発音を分析してレポートに書いてテープと一緒に提出しろ」だの、「長時間のインタビューを取って来い」だの、「そのインタビューにあるナラティブを分析して来い」だのと、毎週課題が出されます(ひぃ)。次の授業では我々のレポートが全員に配られ、たまーに褒められ、たいていけなされます(泣) 訪ねた先では”Out!”と追いやられたり、被調査者を探しに入ったバーでは、「日本人は嫌いだっ!」と椅子を投げられそうになったりしながらフィールドから帰り、皆げっそりした顔で課題をやっつけたものです。ちなみにこの時苦労を共にした者は、私以外はみな立派な研究者になりましたヾ(・・;)ォィォィ この授業では他にも、「レストランに行ってオーダーを取られてから勘定を払って出るまでのやりとりを記録せよ」とか、「マクドナルドの店に行き、客の会話に出てくる-ingの発音を記録せよ」などといったユニークな課題も出されました。この授業では、フィラデルフィアという街、そしてアメリカ人との接し方も実践的に学びました。

 フィールドワークの他にも音声学、音韻論、語用論、歴史言語学などの授業を取りましたが、たいてい教授が説明し、学生がどんどん質問しながら授業が進みます。リーディングの多さは前からさんざ言われていたので驚きませんでしたが、重要なポイントになると先生も早口になり、スラング交じりになるのには閉口しました。もっとも、そういう時こそ質問のし時です (^0^)┘

 最後は試験のこともありますが、たいていペーパーを書かされます。授業で扱ったことに関連するテーマを取り上げ、自分で曲がりなりにも分析をします。学期末にこれが重なるのが非常に大変ですが、こうしたペーパーから博士論文に繋がっていくこともあるので気が抜けません。

 日本では、「この道一筋」ではありませんが、一度決めたテーマは何があっても貫徹するのが尊ばれ、テーマを変えることがあまり歓迎されない傾向にあるようです。しかし、アメリカの学生・研究者はあまりそうしたことに頓着しません。極端な例ですが、有名な生成文法家として名を馳せた人が、いきなりばりばりの変異理論的な論文を発表するということも最近ありました。その人が以前何に関心を持っていようが、何年それをやってきていようが関係ない。要は面白くて重要な発見ができ、学界に大きな貢献ができるかどうかだけが問われてしまう。よって学生も学部時代は数学専攻でした、なんて人は珍しくありません。でもそうした人が参入することでどんどん新しい発想が生まれ、新たな発見やパラダイムが生み出されていきます。

 これと関連することですが、特にペンシルバニア大では、コンピュータサイエンス、生成文法、社会言語学、歴史言語学の研究者が互いの研究に深く興味を持ち、共同研究も盛んでした。ここでは、「あれはパフォーマンスだから」とか「理想化された話者なんているわけないでしょ」などと言って排斥せず、その枠組みで何が分かるのか、目下の興味や関心にどのように生かせるのかと貪欲に考え、実際にプロジェクトを一緒にやって共著ペーパーを書いてしまうということが日常的に行われていました。日本ではなかなかあり得ないことでしょう。

 さて、こうして授業をこなしていくうちに1年目は無事終了。2年目からはリサーチアシスタントとして指導教授の手伝いもすることになり、やがて学会発表をすることになりました。ここら辺はまた次回ということで ε=ε=ε=ε=

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。


社会言語学者の雑記帳4 世界最先端の岡崎敬語調査

2009年 8月 28日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

世界最先端の調査:「敬語と敬語意識の半世紀」

昭和47年の東岡崎駅前
【第2次調査時の東岡崎駅前】
平成19年の東岡崎駅前
【第3次調査時の東岡崎駅前】
岡崎敬語調査のウェブサイトから
第二次調査当時と現在 名鉄東岡崎駅前

 ちょっと「社会言語学者になるまで」シリーズをお休みして、今回は現在関わっている敬語調査のお話をしましょう。この調査は、国立国語研究所が2007年から行っているもので、愛知県岡崎市での敬語使用と敬語意識に関するものです。岡崎市は本州のちょうど真ん中辺りにある小さな町で、八丁味噌でその名が知られる土地でもあります。以前NHK朝の連続ドラマの「純情きらり」の舞台となりました。

 敬語も日本語の一部ですから、当然時代とともに変わります。実際に敬語をどのように使うかということに加えて、何を敬語と捉えるかという意識も変化していきます。これを岡崎市民の方々について調査しようというのが岡崎敬語調査です。岡崎市民の、と言うからにはそのサンプルが岡崎全体を代表しているのか、ということが問題となります。そこで、調査対象者は「ランダム・サンプリング」という手法を用いて選ばれています。これは、テレビの視聴率調査や世論調査などでも使われている手法です。なお、そもそもこの調査で岡崎が選ばれたのは、方言と共通語がほどよく使われているからというのが理由のようです。

 さて、これだけであれば、「よくある言語調査」の一つ(!)になってしまいそうです。でも実はこれが世界最先端の調査なんです。なぜこの調査が世界最先端なのでしょう?

 それはこの調査が1953年以来、ずっと継続されて行われている息の長い調査だからなんです。この間1972年に2度目の調査が行われ、今回が第3次調査ということになります。最初の調査から数えると実に半世紀以上の年月が流れているわけですね。

岡崎敬語調査のサイトから打ち合わせ中の松田先生
【第三次調査の打ち合わせ風景】
岡崎敬語調査のウェブサイトから
打ち合わせ中の松田先生

 調査では、上に書いたようにランダム・サンプリングで選ばれた方々306名に加えて、前回に調査させていただいた方々62名、さらに前々回に調査させていただいた方々20名にも再び調査に伺いました。最初の調査に参加された方は、当時20歳であったとすると、75歳になっていらっしゃるわけです! その人に、「実は50年以上前にこういう調査でお伺いしました…」などと言いながら調査のお願いに上がるんです。もうほとんどドラマの世界ですね(笑) こんなとんでもない長さで行っている言語調査は、世界中を探しても国語研くらいなもののようで、こういうわけで「世界最先端の調査」となるのでした。

 さて、岡崎敬語調査は敬語の変化そのもの以外にもさまざまなことを教えてくれます。特に、ことばの変化そのもののメカニズムについては、画期的なデータとなります。たとえば、言語学の常識の一つとして、「人はいったん言語習得期を過ぎたら、ことばの基本的な部分は変わらない」というのがあります。ところがこの常識が最近になり見直されてきています。変わりにくいとされてきた発音、アクセント、文法についても、言語習得期がとっくに終わったはずの人々で変わってきているというデータが次々と出てきているのです。こうした変化のことを、生涯変動(lifespan change)と言いますが、生涯変動分析は岡崎敬語調査のように、数十年というスパンで同じ人々を観察するような調査(実時間調査、横断調査)が次々と出てくるようになった最近になってやっと可能になったものです。

 なお、似たような調査を国立国語研究所は山形県鶴岡市と、北海道富良野市でも行っています。これは地域社会で進行する共通語化をテーマとした調査ですが、やはり長期にわたる大規模言語調査を粘り強く続けています。国立国語研究所は、本当に凄いところですね。

 岡崎敬語調査については、国立国語研究所に「敬語と敬語意識の半世紀」というサイトもあります(http://www.kokken.go.jp/okazaki/)。調査計画、研究成果、そして調査の写真までアップしてあります(笑) こちらもどうかご覧下さいますよう<(_ _)>

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。
今回は、実際の調査のお話。世界最先端の調査が、日本でおこなわれています。


社会言語学者の雑記帳3-2

2009年 4月 10日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

社会言語学者になるまで(2)

 ある日のこと、午前中のフィールドワークから帰ってきた私は、現地の習慣に従ってホテルですやすやと昼寝をしておりました。と、目が覚めて見ると、天井に何か巨大なものが。それは、

 ク モ

キャ━━━━(゜∀゜)━━━━!!。私はクモが大嫌いで、こうして文字で書いていても見るのが嫌なほどです。電車の車体に「クモハ」などと書いてあると目をそらしますし、映画「スパイダーマン」などはまったくあり得ないオハナシだとしか思えません。それが、巨大なクモが、寝ている自分の真上の天井に張り付いている……! それから数分間の記憶が完全に欠落しているのですが、気がつくとホテルのフロントで大声で叫んでいました。それから不審な顔をしたフロントのおニイちゃんが面倒くさそうに私の部屋でクモを探しているシーンが断片的に浮かぶのですが、それ以外の記憶はかなり不確かです。

 しかし、私はこの時悟りました。しょせん自分には、自然が一杯の沖縄のフィールドワークは無理である。修士論文は乗りかかった舟であるからやり遂げるとして、これが終わったらフィールドを変えよう。そうだ、やっぱり生まれ故郷の東京にしよう。

 こうした深刻な動機により、私は翌年修論をまとめたネタで生まれて初めての学会発表を鹿児島で終えると、きっぱりと沖縄方言から足を洗いました。考えてみれば、たいして組織的に勉強したわけでもないのに、よくもいきなり沖縄方言を取り上げたものです。知らないと言うことは、本当に恐ろしいことです。学会発表の際には、沖縄語の専門家からいくつも鋭い質問が飛び、背筋に冷たい汗を感じたものです。同時に、こうした動機で研究分野を変更した人間も珍しいかも知れません。たいてい研究者が専門のフィールドを変えるには、それこそ「魂を揺さぶるような書物との巡り会い」とか「○○教授との運命的な論戦」、果ては「××学における自らの役割に限界を感じ」といった感動的な動機やエピソードがあるのが通例というもの。私のようにクモが嫌で、という軟弱なお方には、とんと出会ったこともないのであり、こういうところでも言語学者としての資質が問われてしまいそうです┐(´д`)┌。

 修論を終えた私は、すでに「博士後期課程在学」の身となりました。そして社会言語学、それも言語変異と変化の理論を勉強したいという気持ちが修士論文を経てますます強くなった私は、すでに留学を視野に入れていました。しかし留学準備は2年はかかるもの。さて、この2年間をどうしようか。

 まず早稲田のアメリカ人の先生の授業に出席しました。一種の他流試合です。修士の頃からほかの大学の授業に出させてもらっていたのですが、やはり自分の大学より外の世界を知ってしまうと、ああ、このままではダメだと焦ります。この先生の授業は形態論がテーマで、自分としては知識の穴であったこともあって学部の授業でありながら非常にまじめに勉強し、ついに先生は私の大事な恩師となりました。

 この経験から「自分の大学の外の世界」を知ることの重要性に気付いた私は、さらに暴走してアメリカ言語学会の夏期講習会にもノコノコ出かけてしまいました。カリフォルニアの陽光がさんさんと降り注ぐスタンフォード大での開催でしたが、この夏期講習会でまたしても「っがーん」という衝撃を受けました。なんということでしょう。ここでは社会言語学者も生成文法学者も真剣に互いの話を聞いて建設的な議論をしているし、コンピュータも図書館も使い放題。授業はむかーしの教科書を細かーく読んで訳をする(!)のではなく、先生の説明を聞いたらみーんなバシバシ言いたい放題質問をしている。中には相当アホな質問もあるが、だーれもまったく気にしない。( ・∀・)イイ!!これは(・∀・)イイ!! こういう環境で一度社会言語学を研究してみたい。これで一気に留学意欲に火がついたのです。

 この時期、さらにもう一つ、国立国語研究所の調査に参加しました。最初は当時参加していた授業の先生のお誘いでしたが、北海道の富良野市での共通語化調査でした。打ち合わせのために生まれて初めて国語研究所に行った時には、「きっと日本語の知識も試されるんだろうなぁ」などとあらぬ妄想が走り、日本語文法に今ひとつ自信のなかった私は、前日にコッソーリ『国語学概説』などを斜め読みしたものです(笑)

 院生仲間と参加した富良野調査は、自転車で富良野市を駆け巡っては、住所からインフォーマントを探しだし、調査をするという、まさにフィールドワークの最たるもの。一度、夜遅くに調査があり、原野のようなところで来るはずの迎えの車を待っていた時に見た真の闇も忘れがたいですが(^_^;)、それ以上に調査をやり終えた時の達成感も忘れられません。富良野調査でがんばったご褒美だったのか、国語研ではその後『方言文法全国地図』の調査にも参加させて頂きました。

 そしてそして! 出願書類だ推薦書だTOEFLだGREだ奨学金だと幾多の関門を抜けて、やっと卒論以来ずーっと憧れていたペンシルバニア大学に留学できることになりました\(^-^)/。目指していたのは、もちろんLabov教授。普通アメリカの大学に留学を考える時には、複数の大学に出願するものなのですが、私はペン(と現地では呼ばれていました)一本でした。ペンに入れなかったら、留学する意味もない、とまで考えていたのです。今考えると、これはかなり極端な考え方で、もっと広い視野で考えていても良かったのではないかとも思うのですが、そこは若気の至り。私の目にはペンしか見えていなかったのです。

 さて、こうして渡った彼の地でのオハナシはまた次回に……。

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松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

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社会言語学者の雑記帳3-1

2008年 8月 10日 日曜日 筆者: 松田 謙次郎

社会言語学者になるまで(1)

 これまでいきなり自己紹介もなしにディープなフィールドワーク話を書いてきてしまいました。ちょっと順序に問題アリですね。そこで今回は、そもそも自分がどうして社会言語学者になってしまったのか、というオハナシをしてみましょう。

 本気で言語学をやろうと思ったのはやはり大学の英文科時代、それも4年で卒論を書きだしてからと、かなり遅めです。英語には中学以来ずっと興味があり、また構造主義にも関心があったので、それとなく入門書は読んでおりました。しかーし! 第2外国語のドイツ語でC、そして英文科必修科目であった「英語史」でもCというあまりに悲惨な成績。将来の進路で相談に行った高校時代の恩師には、「言語学をやるなら少なくとも3か国語はできないと……」という厳しいおことばをいただく始末(´Д`)ハァ… 言語学は面白そう、でも将来それで喰っていくのは無理無理無理。ワタシはそう諦めておりました。

 その頃「言語学史」という授業で、ワタシは構造主義の入門書で知っていた「プラーグ学派構造主義言語学」について発表することになり、うらうらと文献を調べておりました。ある日、そうした文献の一つである興津達朗著『言語学史』を読んでいたワタシは、突然自分の一生を変えた次のような一節に出会ったのでした。

「[プラーグ学派の言語変化論は] … 言語は、不断の変化、修正、合体、排除にもかかわらず、つねにひとつの音韻体系を維持しようとする調和的傾向を、それ自体の中に内蔵しているという考え方である」

(興津達朗, 『言語学史』 (太田朗(編)『英語学大系 第14巻』),
東京:大修館, 1976: 101)

 えっ、嘘だろ? 言語変化にこんな法則性があるなんて? これって……ほんと?

 ワタシはこの主張にいたく魂を揺さぶられ、これについて見極めたい、と思いました。こんな理論がすでに1920年代にあったなんて。うぅ、これは知りたい、いや、知ろう。そう、ワタシはまさにこの一節で人生を決めてしまったのです。怖いですねぇ。

 調べていくにつれ、当時同じことを別なところで考えていた言語学者(Edward Sapir)がいたことがわかり、ならそれらを比較しよう、ということでとんとん拍子に卒論テーマが決定。舞い上がったワタシは英語の論文はおろかフランス語論文にまで手を出し、他の大学図書館にまで足を伸ばして資料を漁るに至りました。やっぱり怖いですねぇ。

 卒論を書いているうちに分かったこと、その1。周囲にはあまりこのテーマについて詳しい人はいない。サピアに詳しい人、プラーグ学派に詳しい人はいる。でも、両者の言語変化理論を共に知っている人はいないみたい。その2。どうやら今こういうことをやるなら、Labov なる学者がやっている社会言語学がいいらしい。少なくとも最後に読んだ英語文献はそう言っていた。よし、ならこれで行こう。このオッサンのやっている社会言語学で言語変化を研究してみよう。

 しかししかし。周りを見回しても「社会言語学」の看板を出している大学院は当時見当たりませんでした。またあったとしても、私が考えていたような社会言語学ではありませんでした。当時英語学で大学院に行くなら、生成文法か応用言語学か歴史言語学。うーん、困った。学部からやり直すことも考えて某大学の学士入学も試みましたが、サクラチル(´Д`)ハァ… で、結局当時通っていた大学の大学院に進学しました。

 さてこの大学院が意外な展開。その1。生成文法万歳!なところだったので、社会言語学志望だったくせに生成文法を一生懸命学ぶことになった。その2。先輩から誘われて、突然ですが沖縄に敬語調査に行くことになった\(~o~)/ その3。ちょっと上の先輩がLabovのところで勉強していた ヮ(゚д゚)ォ!

 当時は正直生成文法をシャカリキに学ばねばならなかったことを恨んでいました。おまけに周囲は生成文法ピープルが多数派であったので、たま~に喧嘩を吹っかけられることもあり、私としてはショボーンなところもアリ。さらに授業ではほとんど社会言語学はなかったので、もっぱら論文を自分で探してきては読むばかり。でも、結局これが良かったのかもしれません。Labovのところで研究していた先輩と知り合いになったおかげで、日本では入手できなかったディープな論文が続々と入手できるようになり、私はそれらを次々と読んでいきました。今でもあの頃のようには論文を読んでいないと思います。誰もやっていないからこそ周囲を気にせず没頭できる。まさにそういう状況でした。

 そして修士論文。沖縄で敬語調査をやっていたので、どうせなら沖縄で言語調査をして論文を書きたいと思っていました。調査の傍ら言語地図を見ると調査地点はちょうどハ行音が「ファ」である(らしい)地域。これは本土方言のハ行転呼現象を考える上でも興味深い方言であるし、言語変化を実際に観察することもできるだろうということで、これをテーマにすることに。一応英語専攻だったので、当然周囲の反応は「???」。それでも理解してくださった国語学の先生に指導をお願いして、いざ!フィールドワーク@沖縄へ。

 自作の調査票を使った調査は面白く、地元の人々はとても親切。しかも睨んだ通りに「ファ」の音は「ハ」の音へと変化しつつある! 嬉々として毎日調査を進める私は、間もなく進路を沖縄方言から大きく変える大悲劇が起きようとは、夢にも思っていなかったのでした……。つづく。

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松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

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