社会言語学者の雑記帳8-3 法律を襲う言語変化(3)

2012年 3月 19日 月曜日 筆者: 松田 謙次郎

法律を襲う言語変化(3)

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 もう一つ注目すべき点。それは「それってまずいのか?( ・∀・)」ということです。50年後、100年後のことを考えた場合、現在の法律が一般の人には到底わからないような文章になっていては困ります。確かに現行法令でも明治期に制定されたものがそのまま生きている例もあります。現在効力を持つ法律のうちでもっとも古いものは、明治六年に出された太政官布告第六十五号です。なんと死刑の方法を定めた内容で、その名も「絞罪器械図式」と言います。いきなり「絞罪器械別紙図式ノ通改正相成候間各地方ニ於テ右図式ニ従ヒ製造可致事」で始まるこの法律は、ほとんど漢文の世界です(´ε`;)ウーン…

 140年前の法律でこうなのですから、法律の文章も時代につれて変わってくれないと、我々の子孫は今制定されている法律が読めなくなってしまうでしょう。だから徐々に法律の文章に変化が入ってくるのはむしろ望ましいとも言えるかも知れませんo(`・д・´)o ウン!!

 しかし、あえてこの議論にイチャモンを付けたくもなります。曰く、国の基礎をなすはずの法律が書かれる文法が、このように無意識に支配される形で変化をして良いものなのか、とか。曰く、これからは法律もコンピュータの端末で検索される機会がますます多くなると予想されるが、その場合例えば「適しない」「適さない」と2つの形を検索せねばならないとしたら、不便ではないか、とか。曰く、そもそも誰か法律の専門家ではなく、日本語の専門家が立法過程のどこかで法律文の言語学的チェックをすべきではないのか、とか( ゚ε゚;)ムムッ

 最初の議論については、ならば計画的に言語変化を法律文に導入するのかということになります。これは表記であれば当用漢字・常用漢字の導入・改正、また仮名遣いや送り仮名の改正として、何度か行われてきていることですが、文法では戦後の国語改革の一環として「である」体の口語文で書かれるようになって以来、明確に公文書に関する国の方針として定められたことはないようです。これを現実にやるとなると、結局「標準語の文法」を定めることになってしまい、大変な作業になるでしょう。それこそ社会言語学者は黙っていないはずですw

 2番目の議論は、要するにまったく同じことを表す表現が2つ存在していて良いのか、ということです。意味的な差も生まない2つのきわめて似通った語形が、同時期に制定された法律に存在するのは好ましくありません。もちろんコンピュータによる検索の場合にも不都合でしょう(ま、それぐらいは簡単に扱ってくれる検索ソフトを作ればいいのですが)。それぐらいなら統一しろよ、というわけです。7000以上ある法律でゆれている表現をありったけ探し出し、一気に統一すればいいじゃないかって? しかし例え字句の変更でも改正は改正です。いちいち「○×法の一部を改正する法律」を作らなければなりません!これはとても不可能でしょう(;´∀`)

 3番目の議論はどうでしょう。現在のところ、私の知る限りではそのようなチェックは行われていないようですが、これを行うべきでしょうか。憲法を頂点とする法令は日本という国の基礎であり、その骨格を定めた文書です。通常そうした文書はその国の標準語とされる言語で書かれるわけで、これは誰しもがそうなんだろうなぁと思っているのではないでしょうか。おそらく明治期に西洋にならって初めて法律を制定した人たちは、そのように意識していたはずです。しかし、実際にはそれをチェックする機関は作られることはなく、それでも既存の法にならって新法を作っていたおかげで、我々もあまり法律文書のバリエーションには気付かなかったのでしょう。これをもしやるとなれば、既存の機関(国立国語研究所?!)か新たな機関で行うことになるでしょう。しかしそこでどのような文法を規範とするのか。これこそ大きな問題になるはずです。つまり「標準語の文法」を定めることになってしまいますから(´ε`;)ウーン…

 法律に見つかった「属さない~属しない」のようなバリエーションは、とうとうここまで大きな問題になってしまいました。この現象は、これまである意味盲点であった、我々の社会の基礎をなす法律にも言語変異・変化があるのだということを教えてくれる点、そして法の言語とはどうあるべきなのか、という別次元の話にまで広がりを見せる点で、優れて社会言語学的なものと言えるでしょう(o゚ω゚))コクコク

 どうです? やっぱり法律は眠くなりますね。それではお休みなさい(´-ω-`)コックリコックリ

* * *

(この研究の一部は、平成23 年度日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(C)(課題番号22520480)「法令・条例コーパスにおける言語変異・変化現象の研究」(代表者松田謙次郎)を受けてなされたものです。)

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。


社会言語学者の雑記帳8-2 法律を襲う言語変化(2)

2012年 3月 12日 月曜日 筆者: 松田 謙次郎

法律を襲う言語変化(2)

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 このバリエーションについて、これまでの調査からわかってきたことを簡単にまとめてみましょう。まず、サ変と五段のゆれについてです。ゆれているサ変動詞は、「属する」「適する」のように、「漢字一字+する」という構造を持っています。この漢字部分が促音・撥音・長音を含まない場合には五段化しやすい、というのが先行研究での大きな発見の1つです。これにより、例えば「属する」の方が「達する」「反する」よりも五段化されやすくなるわけですね。ただし、こうした法則だけで片が付くわけではなく、動詞によって変わりやすいもの、そうでないものという差があることもわかっています。これに対して、上一段化は五段化のようなはっきりとした法則性が見出されていません。つまり今でも謎のままなわけです(´・ω・)

 さらに、五段化という以上、動詞「属する」の未然形「属しない」が「属さない」になるだけではなく、終止・連体形の「属する」も「属す」になるはずですが、これはまだまだ広まっているとは言えなそうです。このように、終止・連体形よりは未然形で五段化しやすいということもすでにわかっています。言葉のバリエーションには社会的要因も大事ですが、この変化では東日本の五段化率が西日本よりも高いという方言差、そして女性が男性より五段化率が高いという性差までが判明しています(`・ω・´)

 これでこのバリエーションがどのようなものかは大体わかりました。次に、なぜこれが法律文に見られることがすごいことなのかを説明しましょう。それは大きく分けて2つあります。1つは、制定の過程で法案は数多くのプロフェッショナル達の目に触れてチェックされ続けてきており、変化はそれらの厳しい目をくぐり抜けて生き残っているという事実です。つまり、それほどまでに意識されにくい現象だということです
φ(゚Д゚ )フムフム…

 「多くのプロフェッショナル」と言いましたが、実際はどういうプロなのでしょう。法律は多くは政府(内閣)が提案して国会で制定される場合が多いのです。こうした内閣立法ですと、まずはその法律が関係する省庁の職員が原案を出し、与党関係者と協議をします。この段階ではその法律が関係する他の省庁との調整も必要ですし、この前の段階で審議会から答申を受けることもあります( ゚Å゚)ホゥ

 次に内閣法制局という、まさに法案作成のプロ中のプロが集まった組織で徹底した審査が始まります。この内閣法制局という組織、一見影が薄そうですが、どうしてどうして、「内閣の法律顧問」と呼ぶ本(西川伸一『立法の中枢 知られざる官庁 内閣法制局』)もあるくらいの政府内の実力者です(ΦωΦ)フフフ…

 内閣立案の法案作成にあたっての役割はもちろんのこと、国会で政府の法律解釈が問題になる場合には、しばしば内閣法制局長官が答弁することになります(※民主党政権誕生以降、長官の答弁は廃止されてきましたが、最近の報道によればどうやらまた復活することになりそうです)。法案の審査にあたっては、その一字一句が厳しくチェックされ、すでに存在している法律との関係から始まり、条文の並び方、用字や用語のチェックに至るまで、ありとあらゆる観点からミスがないかが調べられるのです。極端なケースでは、修正が入らなかったのは法律の題名と「附則」という文字だけだったということもあったとか(同上書)。実際に法律として公布されてから間違いがあってはなりませんから、その厳しさたるや想像を絶するものがあるわけです(*・`o´・*)ホ―

 なお、ここまでは内閣立法の前提で話をしてきましたが、数は少ないものの法律は議員の提案でも作られます(議員立法)。この場合は衆議院・参議院にある法制局が内閣法制局に代わってその役割を果たしますが、いずれにしてもその法案について厳しいチェックの目が光っていることに変わりありません。いずれにしても、法案は最終的に国会に上程され、今度は衆参合わせて700人以上の議員の目に晒されるわけですし、当然その法律が成立した場合に影響を受けるであろう組織・団体も目を光らせているはずです(まあ、もっとも動詞の活用に目を光らせる人は少ないでしょうがw)。これだけのチェックの目をすり抜けて堂々と法律に登場してしまう「属しない」だの「適しない」だの「乗じる」だの「応じる」だのといった革新的な活用をする動詞。これを見て、どうして感動せずにいられましょう。これを可能にしているのは、恐るべき無意識の力です。精神分析学者・ユングの用語をもじって「集団的無意識」と呼びたくなります。多数のプロの厳しいチェックをもすり抜けるほど意識されていない変化だからこそ、注目すべきだと考えられるのです(o´・ω-)b ネッ♪

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◇編集部より:次回は、3月19日の公開予定です。

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松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
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社会言語学者の雑記帳8-1 法律を襲う言語変化(1)

2012年 3月 5日 月曜日 筆者: 松田 謙次郎

法律を襲う言語変化(1)

 最近、法律を読みましたか?m9(・∀・)ビシッ!! 六法全書、あるいはネットであの長たらしい条文をじっくりと読むなんていう人は、特殊な仕事をなさっているか、大学で法学を専攻していらっしゃる方ぐらいでしょうか(。´д`) ン? かく言う私も憲法ならまだしも、他の法律の条文を読んでいるとあっという間にまぶたが重くなる口です。難解な哲学書と並ぶ絶好の睡眠薬ですね(;^ω^)

 法律の条文がどうして絶好の睡眠薬になるのか。それはあの長たらしい文と難解な法律用語、すぐにはぐれてしまいそうな複雑な構文、そして何より文章全体を包み込むあの堅苦しさでしょう(;´д`)=3トホホ・・

 国を支え、生活を支え、身体や財産の安全を保証し悪から身を守ってくれる、なくてはならない縁の下の力持ちのような存在、だけど面と向かって向き合うには厄介な存在。多くの人にとって法律とはそうしたものではないでしょうか(´ヘ`;)ウーム…

 ではこの堅苦しい法律の条文に、「実は言葉のゆれがあるんだよ( ・∀・)♪」となったらどうでしょう。えっ、そんな馬鹿な。言葉のゆれって「食べれない」のような「ら抜き言葉」とか「書かさせて頂きます」の「さ入れ言葉」とか、ああいう奴でしょ? そんなの書き言葉である法律の文章にあるわけないじゃないですか( ´゚д゚`)エー

 確かに。しかし書き言葉である法律の文章にも、れっきとした言葉のゆれがあることがわかってきました。それはなんと動詞の活用です。中学・高校で習った文法を思い出して下さい。動詞には五段活用の動詞、上一段活用の動詞、サ行変格活用の動詞、などさまざまな活用をする動詞がありました。「属する」「適する」などの動詞は、本来サ行変格活用(サ変)に属し、動詞「する」と同じように活用していました。つまり「属しない、属します、属する、…」という活用変化です。これが徐々に五段活用のように「属さない、属します、属する、…」という活用変化をするようになってきました(o゚ω゚))コクコク

 例を出しましょう。「民事訴訟法」第十六条には「裁判所は、訴訟の全部又は一部がその管轄に属しないと認めるときは、申立てにより又は職権で、これを管轄裁判所に移送する。」とありますが、「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」第四条第二項には「裁判所は、処遇事件がその管轄に属さないと認めるときは、決定をもって、これを管轄地方裁判所に移送しなければならない。」とあります。どちらも主語は「裁判所」で直前は「管轄に」で、直後に「と認めるときは」が続くという、きわめて似通った文脈ですが、「属しない」と「属さない」が使われています( ゚Å゚)ホゥ

 同じことは「乗ずる」「応ずる」などといった動詞にも見られます。こちらも本来はサ変なので終止形は「ずる」になっています。しかしこれを上一段で活用させ、「乗じない、乗じます、乗じる、…」とする用例も増えてきました。「確定給付企業年金法」第五十五条第四項第二号には「定額又は給与に一定の割合を乗ずる方法その他適正かつ合理的な方法として厚生労働省令で定めるものにより算定されるものであること。」とある一方、なんとその法律の施行規則である「確定給付企業年金法施行規則」第二十八条第二項第一号イには「定率を乗じる方法」とあります。さらに! そのすぐ後の第三十八条第一項では「加入者の給与に類するものに一定の割合を乗ずる方法」となっています。これはつまり同じ法律の中で「乗ずる」「乗じる」と2つの活用形が仲良く同居していることになるわけです(゜Д゜;)

 法令のデータベースを使ってこれらの動詞について過去10年間の状況を調べてみると、2つの言い方のうち、新しい方の「属さない」「適さない」「乗じる」「減じる」「応じる」「講じる」などの割合が増えてきていることがわかります。つまり、あの鋼鉄のように固そうな法律の中でも、そこで使われている言葉にはゆれがあるわけです。新しい形が増えてきていること、そして世間一般でもこうした変化が実はかなり前から見られていたことを考え合わせると、どうやらサ変動詞の活用をめぐる言語変化が、ついに史上最強のガードと思われた法令の壁を破り、条文の中に侵入を始めたと考えて良さそうです(*・`o´・*)ホ―

 は? 「世間一般でもこうした変化が実はかなり前から見られていた」って? それってどういうこと? それにそもそも法律って言ったって、いつかは言葉が変わらないと国民に理解できなくなるだろうし、別に言語変化があったって不思議はないんじゃないの? (´・ω・`)モキュ?

 ごもっとも。そこで次にその話をしましょう( ´∀`)b

 実はサ変動詞にこうしたゆれがあるということは長い間知られており、この現象はずっと研究者の注目するところでした。国立国語研究所は1955年と56年に「語形確定のための基礎調査」として「察する」(~察しる)「感ずる」(~感じる)などの語について2回の調査を行っています。その後も何人かの研究者が「愛する」(愛さない~愛しない)、「命ずる」(~命じる)などの動詞について調査を行い、国語研究所も再び1970年代中頃に行われた東京と大阪の大型調査(「大都市の言語生活」プロジェクト)で、「察する」「感じる」「愛する」などを取り上げました。さらにこうした話し言葉とは別に、書き言葉の調査も行われてきており、最近ではネット上での動向の調査も行われているのです(ΦωΦ)フフフ・・

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◇編集部より:次回は、3月12日の公開予定です。

◇「大都市の言語生活」プロジェクトについては、国立国語研究所の以下のページより閲覧できます。
 国立国語研究所報告(電子化報告書)分野別一覧
 └No.70-1 大都市の言語生活 –分析編–〔1981〕
 └No.70-2 大都市の言語生活 –資料編–〔1981〕

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『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
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社会言語学者の雑記帳7-2 忘却とは(つづき)

2011年 6月 8日 水曜日 筆者: 松田 謙次郎

忘却とは(つづき)

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 結局その理由は、アメリカの科学社会学者ロバート・マートンが提唱した「取り込みによる忘却 (Obliteration by Incorporation, OBI)」 によるものと考えられます。OBIとは、おおよそ次のような考え方です。ある学問領域で、学者Xが術語Yを考え出したとする。Xにとって幸福なことに、Yはその領域の論文や学会で好評を持って受け入れられ、「Y(X 2011)」として次第に引用され始める。そのうちに術語Yは研究者コミュニティでさらに一般化し、やがてその学問領域の教科書にも登場するに至る。すると、その術語Yも提案者の名前なしに使われるようになる。ここに至り、術語Yはいわばその学問領域の共通財産となり常識となる。しかし常識となると同時に、皮肉なことにその学問界の人々は最初の提案者であるXのことは次第に忘れ去ってしまい、しまいにはそもそも誰が術語Yを提唱したのかを正確に記憶しているのは一部の学説史研究家のみになってしまう。

 学問に情熱を感じる者であれば誰であっても、自分の提唱した術語がその領域の共通財産になることは最高の喜びでしょう。私にしても「松田の法則」だのMatsuda’s Generalizationだのといったフレーズが学会誌の紙面に飛び交うようになったら、行きつけの居酒屋を借り切って三日三晩大宴会を催し、華々しく破産するくらいのことはしかねません(;´∀`) しかし、その術語が本当に言語学界の常識となった暁には、おそらく私の名前はOBIによってそこから消えているはずです。悲しい話ですが、学者である以上、こうした事実に直面しても満足するようでなければならないのでしょう(´・ω・`)

 さて、最近の言語学を考えるにつけ、OBIを経て常識となった術語が少ないことに気がつきます。私が不勉強なせいでしょうが、1. 過去20年間に新たに提唱された言語学的概念で、2. 言語学者なら誰もが知っていて教科書にも掲載されるような「常識」となった概念を5つ挙げよ、と言われたら考え込んでしまいます(´ε`;) 社会言語学であればジェンダー、ポライトネス、言語景観、実践共同体、法言語学といった具合にいくらでも挙げることができます。しかしジェンダーやポライトネスはともあれ、その後の3語を社会言語学以外の領域の人がどれほどご存じかと問われると、はなはだ自信がありません。言語景観に至っては、「なんじゃそれ?(゚Д゚)ハァ?」と言われそうで、まさに((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル(*)。他の分野も同様で、併合だのスキーマだのと言われても、どれほどの言語学者が理解しているのでしょう。もちろん、私はこうした概念やその枠組み、またその言語学的な有効性や貢献を否定しているのではありません。また、先の社会言語学の例と同様、これらも生成文法や認知言語学の分野では「常識」となりつつあるのかも知れません。しかしいかんせん、それらは「音素」ほどの常識にはなり得ていないわけです。

 ここに至って気付くこと。それは、言語学のある下位分野の常識が別の下位分野の常識ではないことがあるとすれば、それは学問の進歩に伴う細分化によるものだということです。学問が前進するにつれ各分野は専門家の度合いを強め、新たな分野が独立し、さらに専門化が進行する。その過程で新たな「常識」が誕生するが、ちょっと前までは一緒であった分野であっても、今となっては独立してしまった別々の分野同士では、もはや共有財産である「常識」は存在しなくなっている。隣の言語学者は何する人ぞ。え、その術語はどういう意味? なに、これを知らないの? 術語「音素」の常識化が提唱者名「ボードゥアン・ド・クルトネ」の忘却と表裏一体だったように、専門化の進行は常識の減少と表裏一体だったわけです。

 ちなみに筆者の隣の研究室(そしてその隣)は生成文法学者ですが、おおよそどんなことをやっているのかは互いに知っています(たぶん)。そして彼らはおそらく「音素」の提唱者も知っていることでしょう。たぶん。

* * *

(*) 【編集部注】実はココのサイトには「言語景観」のコラムがいっぱいありまして。標識や看板などのアレです。どんなものかとお思いになった方、ぜひぜひ↓とか↑とか→とかご覧くださいまし。

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社会言語学者の雑記帳7-1 忘却とは

2011年 5月 28日 土曜日 筆者: 松田 謙次郎

忘却とは

 言語学を少しでもかじったことがあるみなさん、「音素」って覚えてますね(´∀`) たぶん「言語学概論」なら5月くらいには習う術語なので、現在進行形で入門の授業を取っている人は、習ったばかりかも知れません。ある言語における音の機能的な単位であり、最小対や相補分布といった方法で発見される、といったことが分かっていれば、あとは練習問題が解ければ無問題でしょう。

 それではここで問題です。この音素の概念を最初に提唱した人は誰でしょう? ちょっと考えてしまいますね。ボードゥアン・ド・クルトネというポーランド人言語学者が正解です。ただし、phonemeという英語の術語を最初に使った人はダニエル・ジョーンズであり、また音素概念をめぐってはエドワード・サピア、ニコライ・トゥルベツコイ、レナード・ブルームフィールドらがさまざまな説を唱えており、日本でも論争がありました。

 言語学者でもボードゥアン・ド・クルトネの名前が出る人はあまり多くないかも知れません。「音素」という概念そのものは言語学者なら誰しもが知っている、かなり基礎的にして重要な概念でありながら、その提唱者の影はかなり薄い。当コラムをお読みの方で上の問題にすぐに答えられた人は、おそらくどこかで入門以上の言語学(ないし音韻論)の授業を受けたことがあるか、かなりな言語学オタク(!)なのでしょう( ̄― ̄)ニヤリ

 しかしなぜこのような重要な概念であるにもかかわらず、その提唱者はあまり知られていないのでしょう?(*゚Д゚)アレ? たしかにド・クルトネの業績一般があまり知られていないのも事実です。また、「言語学を理解するのに必ずしも言語学史を知る必要はない」という考えにも一理あります。が、教科書の執筆者がみなこうした考えを持っているから提唱者の名前が知られていないというわけでもないでしょう。提唱者の名前を出すだけの紙幅がない、というのも疑問です。たった一行足らずで済むことですから。

 結局その理由は、アメリカの科学社会学者ロバート・マートンが提唱した「取り込みによる忘却 (Obliteration by Incorporation, OBI)」 によるものと考えられます。OBIとは、……(次回につづく)

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社会言語学者の雑記帳6-3 ローマ字の迷宮

2010年 10月 8日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

ローマ字の迷宮3

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 こうした表記の「乱れ」は、実はローマ字の「大本山」である、文化庁のお膝元でも見られるものなのです。麻生政権時に「国立漫画喫茶」とさんざ揶揄された「国立メディア芸術総合センター」という計画をご記憶でしょうか。この設立を巡って文化庁では会議を開催しましたが、その一つの会議の文書が置いてあるURLは、http://www.bunka.go.jp/oshirase_kaigi/2009/kokurithumedeia_1.html となっています。oshiraseとヘボン式が使われているのはまだ許せるとしても(国の行政組織なので本来は訓令式であるべきですが)、その後のkokurithumediaには、もう口をあんぐりという他はありません。「つ」=「thu」( ゚д゚)ポカーン これは未だどんな方式でも使われていない、革新的な綴りです。まさにお膝元の反乱です(T▽T)

 文化庁のために一言すれば、このURLを設定したのはおそらく文化庁の官僚ではなく出入りの業者、ないしそこのウェブデザイナーの方なのでしょう。さらにもう一言付け加えれば、ローマ字の混乱状態は他の官庁も似たりよったりなのです。厚生労働省の「調達情報」のページのアドレスは、http://www.mhlw.go.jp/sinsei/chotatu/index.htmlと、ヘボン式と訓令式と折衷方式(chotatu)を採っています。財務省でも「法令適用事前確認手続」となにやら厳めしいページのアドレス http://www.mof.go.jp/jouhou/sonota/e-j/jizen/tetuduki.htm には、見事にヘボン式(jizen)、日本式(tetuduki ※訓令式ならtetuzuki)、ワープロ式(jouhou)が揃っています。訓令式がないのが惜しまれますが、いつかwww.zyme_show.go.jpとダジャレ式がここに加わるかも知れません。

 上の例のように,一つの単語ないしまとまりに異方式が同居するというのは,典型的な誤りのパターンであり,例えば東国原宮崎県知事のツイッターアカウント名は「@higashitiji」と、ヘボン式と訓令式のミックスになっています。この「ヘボ訓式」は、日本中至る所に溢れているので、ぜひ身近な用例を発見して下さい。

 ローマ字の混乱を巡る以上のような状況は、まさに迷宮と呼ぶにふさわしいものです。一つの問題が見つかると、さらに次の問題も見つかり、表記を仕切っているはずの官庁のお膝元でとんでもない表記が見つかる。教育に解決の糸口を求めようにも、学校で習ったのは遙か昔の小学生時代で、考えてみればそれからずっと大学卒業まで体系的にローマ字を習ったこともない。そもそも入試にも出題されないだけに学生も勉強しない。一方、テクノロジーの進歩も新たな表記法をもたらすし、そうこうするうちに、次から次へと新たなローマ字表記法が出現して日本中を覆う。

「日本語は漢字と平仮名と片仮名で十分」とはとても言えないグローバルな時代に我々は生きており、何らかの形で標準化が進められなければならないことは火を見るより明らか。しかし常用漢字だUnicodeだと折に触れて脚光を浴びる漢字に比べて、ローマ字はどことなくミソッカスっぽい。こうして今日も出口のない輝ける迷宮で、密かに新たなローマ字法が生み出される。higashitijiではないが,まさにローマ字の現状はどげんかせんといかん。ほら、そう言えばあの店の看板のローマ字は……。

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神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
「社会言語学者の雑記帳」は、「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」者・松田謙次郎先生から キワキワな話をたくさん盛り込んで、身のまわりの言語現象やそれをめぐるあんなことやこんなことを展開していただいております。


社会言語学者の雑記帳6-2 ローマ字の迷宮

2010年 10月 1日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

ローマ字の迷宮2

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 ローマ字法の混乱には、また意外な側面もあります。長音の表記は、訓令式やヘボン式では原則的に長音府を母音の上に付けることになっていたはずでした。ところが、ある時「お」の長音を「ou」と表記するローマ字表記が突然世の中に一般化し始めたのです。どうしてだと思います?なんとこれがワープロの普及のせいなのです。1978年に登場したワープロは、瞬く間に日本社会に浸透しましたが、そのワープロのローマ字変換が、長音の「お」を「ou」で出すために、これが正しいローマ字の長音表記と誤解されて広まった、というわけです。テクノロジーの発達が、表記法に影響を与えた例と言えるでしょうが、これは「ワープロ式」と命名しましょう。ワープロ式は、ヘボン式や訓令式の下位区分となりますから、学術的には「ヘボンワープロ式」(例: 装置 souchi, 消灯 shoutou)などと呼ぶべきなのでしょう☆-(^ー’*)b

 身の回りを見回すと、我々が普段使うローマ字法には、さらに別な方式もありそうです。先日羽田空港で飛行機に乗ろうとしたら、搭乗口で「ShinMaywa」という表記が目に付きました。調べたら「新明和工業」という会社名でした。また、「東レ」という会社のロゴマークには「Toray」という綴りが踊り、会社のURLにもこの綴りが見られます。ファッションブランドであるISSEY MIYAKE のISSEYという綴りもこの類でしょう。そして私の知り合いには、自分の名前である「井上」のメールアドレス表記に「innoway」という綴りを使っている方もいらっしゃいます。

 こうした方式も新たなローマ字法だと認めることにすれば、これは日本語の発音に近い英単語(もしくはその一部)を繋げてローマ字とする、という方式だと言えます。つまり英語を使った「ダジャレ」なわけです。この「ダジャレ式」とでも呼ぶべき方式に従うと、例えば「法務省」はhome show となり、「財務省」はzyme show となるのでしょうか。Zyme Showは「もやしもん」に触発されて酵素をフィーチャーしたバラエティ番組でしょうか?こうなるともう何でもAlleyです ┐(´∀`)┌HAHAHA

 ダジャレ方式による表記法を探していたら、この夏に横浜で開催された画家鴨居玲の展覧会で、面白い例を見つけました。鴨居は1928年金沢生まれの洋画家で、1985年に亡くなるまでに数多くの作品を残しました。その展覧会で鴨居の作品を年代順に見ていくうちに、作品に書かれた鴨居のサインが時代と共に移り変わっていることを発見したのです。初期の彼の作品は、Rei Kamoiと、何の変哲もない表記法です。彼が71年にスペインに渡った頃から、そのサインはRey Camoi となり、さらに1977年頃からRey Camoyとなります。このRei Kamoi → Rey Camoi → Rey Camoy という変化は、標準方式からの逸脱なわけですが、逸脱の方向は、語尾のiをyに、語頭のKをCにということから、スペイン人(ないしヨーロッパ人)たちにより受け入れられやすい方向だったと考えられます。このRey Camoyという表記も、一種のダジャレ方式と考えられそうです。これは、もちろん鴨居のスペイン滞在の影響だったのでしょう。

 話が脱線しますが、こういう風に相手に受け入れられやすくするために自分の言語行動を変える現象を、社会言語学ではアコモデーションと言います。鴨居の例は、表記上のアコモデーションということになります。

 さて、ここまでをお読みになって、なんと嘆かわしい日本のローマ字の現状、と思いましたか?やっぱりローマ字はもっと国がしっかりと管理しなくては。無知蒙昧な国民に任せてはこの先どうなるかわかったもんじゃない、とか?

 甘い甘い ヽ( ´ー`)ノ フッ

 こうした表記の「乱れ」は、実は……(次回へつづく)

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* * *

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【筆者プロフィール】

松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

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社会言語学者の雑記帳6-1 ローマ字の迷宮

2010年 9月 24日 金曜日 筆者: 松田 謙次郎

ローマ字の迷宮

 突然ですが、みなさんは自分の名前を自信を持ってローマ字で書けますか?もちろん、「田中和夫」とか「中村あゆ」(同名の方、申し訳ありません…<(_ _)>)といったどう転んでもローマ字の書き方に差が出ないような名前の方もいらっしゃるでしょう。しかし、世の中には「松田謙次郎」のように、Matsuda なのかMatudaなのか、Kenjiro なのかKenzirouなのか、はたまたKenziroh なのかと一度ならず自分の名前のローマ字表記に迷わざるを得なかった人もいるはずです。

 そもそもローマ字表記とはそもそもどういうものであったのか。ローマ字表記には大別して「訓令式」と「ヘボン式」があること、実際には場合によりどちらも使われていること、などは例えうっすらとでも誰しもご存じでしょう。ごく簡単に言えば、ヘボン式は英語の発音を基礎に、訓令式は音素表記という原則で日本語をローマ字化する体系です。よって例えば「し」「つ」「ち」はヘボン式なら shi, tsu, chi となり、訓令式は si, tu, ti と綴れと言うわけです。我々はこの2つの方式を小学校で習ったはずで、よって誰しもローマ字と言えば「なんとなく2方式があったよなー」と思うわけです(正確には、訓令式にはその先駆けとして、非常に似た「日本式」という方式もあったのですが)。そしてローマ字論争と言うのは、この2つの方式のいずれを採用するべきかという論点を巡ってのものだ、というのが大方の理解でしょう。

 ところが、こうした理解は実はローマ字問題のごく一部をカバーするものでしかありません。ローマ字に関してピカ一の情報量を誇ると思われるサイト「ローマ字相談室」 (http://www.halcat.com/)は、こうした安直な理解が大きな誤りであることを嫌と言うほど教えてくれます。

 このサイトに曰く、日本語ローマ字表記法には少なくとも9つ(うち一つはこのサイトオーナーである海津知緒さん考案の方式)あり、中には国際規格であるISOで定められたものまである。曰く、ヘボン式と言われるが、そのヘボン式とはどういうものか、その方式を記述した文章はないらしい(つまり公的規格ではない)。曰く、パスポートに用いられるローマ字方式は、厳密にはヘボン式とは異なり(長音を表す^や ̄ などの符号を使わない)、「外務省式」という独自方式である、などなど。そうです、このサイトを読むだけで、我々のローマ字理解は大きく揺らぎ出しますね。なんと9つの方式。ローマ字こそ表記バリエーションの王国だったわけです。かな遣いと比べれば、そのアナーキーさが分かろうというものです (((( ;゚д゚))))アワワワワ

 ローマ字法の混乱には、また意外な側面も……(次回へつづく)

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松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
専攻は社会言語学・変異理論。「人がやらない隙間を探すニッチ言語学」と称して、自然談話データによる日本語諸方言の言語変化・変異現象研究や、国会会議録をコーパスとして使った研究などを専門とする。
『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

【編集部から】
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社会言語学者の雑記帳5 世界はデータでいっぱい

2010年 2月 2日 火曜日 筆者: 松田 謙次郎

世界はデータでいっぱい

 またまたちょっと「社会言語学者になるまで」をお休みして別のオハナシを(;^^)。それは「社会言語学のデータ」というお話です。これまでフィールドワークの話を中心に、自然談話データ、調査票を使ったアンケートデータ、などといった話もしてきましたが、そもそも「社会言語学で使うデータ」とは何なのか。社会言語学者はどこからデータを得ているのか。これを書いてみましょう。

 はい、いきなり結論。それは「何でもアリ」です。自然談話データ、アンケートなどでもなく、ことばであれば事実上どのようなものでも社会言語学のデータになり得ます。それだけ社会言語学とは融通無碍で、自由度が高い学問領域だということです。年2回開催される社会言語学の全国学会である「社会言語科学会」(http://www.jass.ne.jp/)での発表タイトルをざざっと見るだけでも、その多彩さに圧倒されます。いったいこの学会は何なんだヾ(゚Д゚ )、と思うでしょう。でもそれが社会言語学なのです(キッパリ)。

 これまでに使われたデータの中には、ちょっと考えても、ここのエッセイで繰り返し触れてきている各種自然談話のほか、新聞、雑誌などの活字メディア、地名、漫才・落語、(台本を含む)映画、テレビ・ラジオ番組(ドラマ、トークショー(例:「徹子の部屋」)、ニュース、バラエティ番組など)、外国人の話す日本語、手話、公共空間(駅、電車、バス、デパート、街角など)でのアナウンス・書きことば、ネット(チャット、Youtube、ニコニコ動画などの動画を含む)、携帯メール、コーパス、法廷でのやりとり、国会会議録などがあります。なんとこれでもごくごくごくごく一部です。ちなみに公共の場所にある看板や各種表示を手がかりに、地域社会の言語状況を探ろうとする分野は「言語景観学」と呼ばれ、最近盛り上がってます\(^O^)/。

 ね、まさにことばであれば「何でもアリ」でしょ^^ もう何が出てきても驚きません。たとえば「エアコンの取扱説明書」「風邪薬の説明書」「駅のトイレの張り紙」さらに「迷惑メール」でも十分データになりそうです。今この原稿を書いていても、それぞれをデータにしたトピックが浮かんできてしまいます。たとえばトリセツは経年的にどう変わってきているのか、メーカーによる違いはあるのか、助詞、各種活用などのバリエーションはどうなっているのか、なんてことが気になります。そうそう、もうすぐツイッターやmixiの「ボイス」などをデータとして取り上げた論文もどこかに登場するでしょう。

 つまるところ、社会言語学者にとって、世界はデータに満たされていると言えましょう。朝起きてテレビをつければアナウンサーのことばが気にかかり、トイレに入ってふと呟いた自分の独り言について考えてしまう。駅までの道では看板に目が留まり、駅ではもちろんアナウンス、看板、周囲の乗客の話し声などに注目、職場では同僚の話しことば、会議での配付資料(の言語表現)に全神経を集中し。ランチではペットボトルのお茶のラベルをガン見して、午後の職場ではやってくるメールや閲覧するサイト(仕事ですよ、もちろんw)でのバリエーションを探してしまう。仕事帰りにデパートに行こうものなら、店員の話しことばやアナウンスはもちろん、商品名、はては観光で来たと覚しき外国人の買い物姿をそれとなく観察。結局何も買わずに(いつもは買うのよw)帰宅して、夕刊を読みながら新語に気づき、ネットサーフィンをしてまたまた発見をしてようやく寝る。と思ったら、エアコンの「運転を終了します」だの携帯の「充電が終了しました」だのといった機械的呟きに本日最後の社会言語学的考察を加えながら、ようやく眠りに落ちる(-_-)゜zzz

 呆れちゃいますか?でも今日もどこかの社会言語学者がこうした生活を送りながら鋭敏なアンテナを働かせ、これだと思った現象を発見、貪欲にデータを採取し分析を始めているはずです。社会言語学者ならぜーんぜんフツーです。

 もちろんこうしたあり方について、「それは結局面白半分の素人芸で、まともな学者のやる言語学じゃないよっ!」というキビシー声も聞こえてきそうです。私の答えは。「言語について面白いことがわかるのであれば、法的・倫理的問題がない限りデータは何であろうが構わない」です。今までにないソースやメディアから得られたデータは、なにかしら言語について(さらに人間について)新しいことを教えてくれる可能性があります。可能性がある以上、やってみるしかありません。つまらなかったら「ほーら言わんこっちゃない、やーい」ではなく、さっさと次の面白そうなデータを探せば良いんです。さらに言えば、「言語学」なのだから、ことばに関するデータなら何を使っても良いはずです。かつてロマーン・ヤコブソンという有名な言語学者は、「私は言語学者である。ことばに関することで無関係なことはない」と言いました(原文はラテン語)。これは上に書いた社会言語学のデータに関するスピリットと通じるものがあると思います。

 で、最後に一言。誰かなんか面白いデータ知りませんか(笑)。

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松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
神戸松蔭女子学院大学文学部英語英米文学科、大学院英語学専攻教授。Ph.D.
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『日本のフィールド言語学――新たな学の創造にむけた富山からの提言』(共著、桂書房、2006)、『応用社会言語学を学ぶ人のために』(共著、世界思想社、2001)、『生きたことばをつかまえる――言語変異の観察と分析』(共訳、松柏社、2000)、『国会会議録を使った日本語研究』(編、ひつじ書房、2008)などの業績がある。
URL:http://sils.shoin.ac.jp/%7Ekenjiro/

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社会言語学者の雑記帳3-3 社会言語学者になるまで

2010年 1月 19日 火曜日 筆者: 松田 謙次郎

社会言語学者になるまで(3)

 さて、大分間が開いてしまいましたが<(_ _)>、社会言語学者になるまでの続きを。

 勇躍フィラデルフィアに到着して、学生生活が始まりました。聞かされていた通り、ほとんどの授業内容は最初の頃は簡単ですが、急カーブで難しくなっていきます。

 しかーし!一番大変だったのは、以前ここでも書いたフィールドワークの授業です。憧れのLabov教授の担当で、4~5人のグループになり、右も左も分からない(おまけに治安が最悪な!)フィラデルフィアの地図を渡され、市内のある一画を担当し、毎週授業で出される課題とテープレコーダを片手に、担当地域の家々を一軒一軒訪ね歩くのです。治安も悪い中、郊外の大多数が白人という住宅街を、突然怪しげな東洋人が、「すみません、この地域のことを調べているのですが」などと言ってドアを叩いてくる。そう、当然誰も応えてくれません。もっとも私のグループは私以外皆白人だったにもかかわらず同じ結果だったので、人種はこの際関係ないかも知れません。

 この授業では、「このリストを読ませて録音し、発音を分析してレポートに書いてテープと一緒に提出しろ」だの、「長時間のインタビューを取って来い」だの、「そのインタビューにあるナラティブを分析して来い」だのと、毎週課題が出されます(ひぃ)。次の授業では我々のレポートが全員に配られ、たまーに褒められ、たいていけなされます(泣) 訪ねた先では”Out!”と追いやられたり、被調査者を探しに入ったバーでは、「日本人は嫌いだっ!」と椅子を投げられそうになったりしながらフィールドから帰り、皆げっそりした顔で課題をやっつけたものです。ちなみにこの時苦労を共にした者は、私以外はみな立派な研究者になりましたヾ(・・;)ォィォィ この授業では他にも、「レストランに行ってオーダーを取られてから勘定を払って出るまでのやりとりを記録せよ」とか、「マクドナルドの店に行き、客の会話に出てくる-ingの発音を記録せよ」などといったユニークな課題も出されました。この授業では、フィラデルフィアという街、そしてアメリカ人との接し方も実践的に学びました。

 フィールドワークの他にも音声学、音韻論、語用論、歴史言語学などの授業を取りましたが、たいてい教授が説明し、学生がどんどん質問しながら授業が進みます。リーディングの多さは前からさんざ言われていたので驚きませんでしたが、重要なポイントになると先生も早口になり、スラング交じりになるのには閉口しました。もっとも、そういう時こそ質問のし時です (^0^)┘

 最後は試験のこともありますが、たいていペーパーを書かされます。授業で扱ったことに関連するテーマを取り上げ、自分で曲がりなりにも分析をします。学期末にこれが重なるのが非常に大変ですが、こうしたペーパーから博士論文に繋がっていくこともあるので気が抜けません。

 日本では、「この道一筋」ではありませんが、一度決めたテーマは何があっても貫徹するのが尊ばれ、テーマを変えることがあまり歓迎されない傾向にあるようです。しかし、アメリカの学生・研究者はあまりそうしたことに頓着しません。極端な例ですが、有名な生成文法家として名を馳せた人が、いきなりばりばりの変異理論的な論文を発表するということも最近ありました。その人が以前何に関心を持っていようが、何年それをやってきていようが関係ない。要は面白くて重要な発見ができ、学界に大きな貢献ができるかどうかだけが問われてしまう。よって学生も学部時代は数学専攻でした、なんて人は珍しくありません。でもそうした人が参入することでどんどん新しい発想が生まれ、新たな発見やパラダイムが生み出されていきます。

 これと関連することですが、特にペンシルバニア大では、コンピュータサイエンス、生成文法、社会言語学、歴史言語学の研究者が互いの研究に深く興味を持ち、共同研究も盛んでした。ここでは、「あれはパフォーマンスだから」とか「理想化された話者なんているわけないでしょ」などと言って排斥せず、その枠組みで何が分かるのか、目下の興味や関心にどのように生かせるのかと貪欲に考え、実際にプロジェクトを一緒にやって共著ペーパーを書いてしまうということが日常的に行われていました。日本ではなかなかあり得ないことでしょう。

 さて、こうして授業をこなしていくうちに1年目は無事終了。2年目からはリサーチアシスタントとして指導教授の手伝いもすることになり、やがて学会発表をすることになりました。ここら辺はまた次回ということで ε=ε=ε=ε=

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松田謙次郎(まつだ・けんじろう)
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