絵巻で見る 平安時代の暮らし 第46回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く

2016年 2月 19日 金曜日 筆者: 倉田 実

第46回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏紫宸殿と南庭
時節:1月2日?

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建物・乗物:①紫宸殿 ②18級の御階 ③左近の桜 ④右近の橘 ⑤・⑫上長押 ⑥額 ⑦南廂 ⑧額の間(ま) ⑨筵道 ⑩南簀子 ⑪母屋 ⑬鳳凰 ⑭鳳輦(ほうれん) ⑮屋形 ⑯御帳(みちょう) ⑰轅(ながえ) ⑱綱 ⑲南庭
人物:[ア]黄櫨染の御袍(こうろぜんのごほう)姿の天皇 [イ]・[ウ]内侍 [エ]束帯姿の摂政 [オ]退紅(たいこう)姿の駕輿丁(かよちょう)の舁手(かきて) [カ]退紅姿の駕輿丁の綱取り [キ]束帯姿の左大将  [ク]束帯姿の右大将 [ケ]束帯姿の近衛府の次将 [コ]下襲の裾を引く次将 [サ]褐衣(かちえ)姿の随身 [シ]走る随身 [ス]束帯姿の文官の公卿 [セ] 束帯姿の武官の公卿(宰相中将)
着装:Ⓐ檜扇 Ⓑ草薙剣(くさなぎのつるぎ) Ⓒ笏 Ⓓ烏帽子 Ⓔ冠 Ⓕ下襲の裾(したがさねのきょ) Ⓖ・Ⓤ太刀 Ⓗ平緒(ひらお) Ⓘ券纓(けんえい)の冠 Ⓙ緌(おいかけ) Ⓚ弓 Ⓛ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓜ表袴(うえのはかま) Ⓝ靴(かのくつ) Ⓞ袍 Ⓟ半臂(はんぴ) Ⓠ藁靴 Ⓡ壷胡簶 Ⓢ垂纓(すいえい)の冠 Ⓣ石帯

はじめに これからしばらくは『年中行事絵巻』に描かれた内裏の様子を見て行くことにします。今回は紫宸殿から朝覲行幸に出発する場面を採り上げます。天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会する朝覲行幸については第17回で扱いました。そこで取り上げました法住寺南殿が、今回の行幸先になります。

紫宸殿からの出発 朝覲行幸に限らず行幸は、紫宸殿から威儀をただして出発しました。画面右の建物が、内裏の正殿となる①紫宸殿です。②18級の御階がありますので、それと分かりますね。この手前に見えるのが③左近の桜、上部が④右近の橘でした。御階の上の⑤上長押にかかっているのは、「紫宸殿」と書かれた⑥額です。額が掛けられた⑦南廂中央の柱間一間(いっけん)分を⑧額の間と言います。ここには、天皇が通るための⑨筵道が⑩南簀子まで敷かれています。

 紫宸殿内部は、吹き抜き屋台の技法で描かれていますので、[ア]天皇が⑪母屋から額の間に出てきた様子が見えます。天皇の全身が描かれるのは、珍しいですね。天皇の上部は、母屋の⑫上長押です。天皇は、晴の時の束帯に着用する、黄褐色の黄櫨染の御袍姿になっています。両側にⒶ檜扇をかざして控える女性は、女官の内侍です。手前の[イ]内侍は、三種の神器のうちの宝剣となるⒷ草薙剣を、奥の[ウ]内侍は画面では分かりませんが神璽となる八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を、それぞれ保持しています。この剣璽は、天皇と一緒に移動します。⑦南廂にⒸ笏を持って[エ]束帯姿で坐っているのは、摂政でしょう。

天皇用の鳳輦 天皇は、穢れを避けるために、正式には地面に着く車には乗りません。人々が肩に担ぐ輿(こし)に乗って移動します。晴の儀式での天皇用は、方形の屋根の上に飾りとなる⑬鳳凰がある⑭鳳輦です。鳳輦には、⑮屋形の三方に⑯御帳が垂らされ、かつぐための縦五本、横二本の黒漆塗の⑰轅が付きます。

 さて、何人でかついでいるでしょうか。答は、[オ]舁手と呼ぶ実際にかつぐ者が12人、四隅の屋根から垂らされる⑱綱を取る、[カ]綱取り10人になります。綱は揺れを防ぐためです。これらの者は、かつぐための肩当てをつけ、薄紅色の布狩衣(ぬのかりぎぬ)を着た退紅姿で描かれていて、駕輿丁とも輿舁(こしかき)とも呼びました。Ⓓ烏帽子の人と、Ⓔ冠の人がいますが、この違いはよくわかりません。

 それでは、天皇はどのようにして鳳輦に乗るのでしょうか。絵にヒントがあります。⑨筵道を見てください。②御階には敷かれていませんね。ということは、鳳輦は⑩南簀子から乗れるように、そこまでかつぎ上げられたのです。御階の上に位置する駕輿丁は、うつぶしてかつがなくてはなりません。その苦しげな姿を人ごとではないと見つめたのが紫式部でした。『紫式部日記』にそのことが記されています。

供奉する武官たち 行幸には多くの武官たちが警護にあたり、王卿たちも供奉しました。それらの⑲南庭にいる人たちを確認しましょう。内裏南庭を守備するのは近衛府とされましたので、武官姿は左右どちらかの近衛府の官人になります。

 左近の桜の側に立つのが[キ]左大将、右近の橘の側は[ク]右大将になります。黒の袍を着た束帯姿で正装した近衛府の長官ですね。右大将を見てみましょう。Ⓕ下襲の裾を長く引いた束帯姿で、前にⒼ太刀を佩くためのⒽ平緒が垂れているのが分かります。Ⓘ券纓の冠にはⒿ緌が付き、Ⓚ弓を保持して、矢を入れるⓁ平胡簶を背負っています。絵でははっきりしませんが、鷲羽の矢が左近衛府用、鷹羽が右近衛府用とされていました。履物もはっきりしませんが、靴(かのくつ)になります。

 駕輿丁たちの回りにいる武官は、[ケ]近衛府の次将(中将や少将)たちです。大将と同じ姿ですが、こちらはⓂ表袴をはきこんだⓃ靴がはっきり見えます。表袴の上、Ⓞ袍の下に見えるのはⓅ半臂です。下襲の裾を長く引いている[コ]人と、そうでない[ケ]人がいますね。長く引いていない人は、折り畳んで太刀の鞘にかけているのです。

 大将の近くに坐って待機しているのは、下級官人でもある大将の[サ]随身たちでしょう。袍に似た形で腋を縫わない褐衣姿で、Ⓠ藁靴を履き、矢はⓇ壷胡簶に入れています。一人だけ走ってきた[シ]者がいますが、どうしたのでしょうか。もしかしたら遅参したのかもしれません。『年中行事絵巻』は、こうした姿も描いたところが面白いのでした。

 画面右下に列立している束帯姿は、供奉する公卿たちです。[ス]文官も[セ]武官もいますね。文官の人は、券纓ではなくⓈ垂纓の冠になっています。背中にはⓉ石帯が見えますね。Ⓤ太刀を佩いているのは、勅授帯剣(ちょくじゅたいけん)を特に許されているからです。武官は宰相中将になります。武官で三位以上の公卿になるのは、大将を除くと参議で中将を兼ねた宰相中将しかいませんので、列立しているのは、その人になります。

行幸の道 天皇が鳳輦に乗ると出発です。内裏南門の承明門(じょうめいもん)をくぐりますと、今度は兵衛府の管轄になり、さらに内裏外郭の正門となる建礼門(けんれいもん)をくぐりますと衛門府に変わります。近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかります。これらの場面も機会がありましたらこのシリーズで取り上げたいと思います。今回は近衛府の管轄となる内裏南庭からの行幸出発の次第を見たことになります。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、内宴(忙しいお正月行事の後で天皇が内々に催した、慰労会のような宴会)の場面を取り上げます。まずは、公卿や文人たちが、与えられた題によって漢詩を作り、天皇の前で読み上げて披露する「献詩披講」から見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第45回 『承安五節絵』八段の「童女御覧(わらわごらん)」を読み解く

2016年 1月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第45回 『承安五節絵』八段の「童女御覧(わらわごらん)」を読み解く

場面:五節の童女を天皇が御覧になるところ
場所:平安京内裏清涼殿東面
時節:承安元年(1171)11月中の卯の日の夕刻

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建物:①御簾 ②清涼殿東孫廂 ③三級の階 ④石橋 ⑤高欄 ⑥簀子 ⑦畳 ⑧棟瓦 ⑨南廊
人物:[ア] 汗衫(かざみ)姿の童女 [イ] 冠直衣姿の殿上人 [ウ] 関白 [エ][オ]大臣
衣装等:Ⓐ汗衫の表 Ⓑ汗衫の裏 Ⓒ長袴 Ⓓ衵(あこめ) Ⓔ単衣 Ⓕ襟元 Ⓖ檜扇

絵巻の場面 今回も『承安五節絵』を採り上げます。この場面は天皇が清涼殿で、舞姫に付き従ってきた童女と下仕をご覧になるところです。五節行事の三日目の卯の日の夕刻に行われた「童女御覧」になります。最初に天皇は絵の中でどこにいるのかを確認しましょう。第40回第41回で清涼殿を見たことを思い出してください。また、絵巻では天皇の姿をはっきりと描くことはありませんでしたね。この絵でも同じなのです。もうお分かりですね。下ろされた①御簾の奥の東廂に設けた御座で天皇が坐って見ていることになるのです。ただし、『承安五節絵』が承安元年(一一七一)成立としますと、時の高倉天皇はわずか十一歳でした。

絵巻の本文 それでは今回の絵の説明になる詞書本文を確認しましょう。

 卯日。肩脱ぎ今日は衣を出ださず。昨日の道のままに巡り果てぬれば、童女御覧なり。清涼殿の孫廂に、関白已下大臣両三着座。その後、童女を召す。末々の殿上人、承香殿の戌亥の隅のほとりより受け取りて、仮橋より御前に参るなり。下仕、承香殿の隅の簀子、橋より下りて参る。蔵人これに付く。殿上人の付くこともあり。
【訳】 卯の日。肩脱ぎは、今日は衣を出さない。昨日の道の通りに巡り終えると(第44回参照)、童女御覧である。清涼殿の孫廂に、関白以下大臣が二、三人着座する。その後、童女を召す。若輩の殿上人が、承香殿の北西の隅のそばから童女を引き取って、仮橋から御前に参上するのである。下仕は、承香殿の隅の簀子を通り、仮橋から下りて参上する。蔵人が下仕に付く。殿上人が付くこともある。

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 この詞書で、描かれた人物たちが理解できますね。以下、確認していきますが、その前に本文にあった仮橋について触れておきます。仮橋は仮設の橋のことで、五節では清涼殿と、その東北側にあった承香殿との間に渡されました。画面では描かれていませんが、右のほうにありました。その様子は『承安五節絵』五段に描かれていますので見てみてください。

清涼殿の童女 「童女御覧」は、詞書にもありましたように、[ア]童女は②清涼殿の東孫廂に参上しました。画面は、その折のことになります。童女は、その正装の汗衫姿で、第42回で見ましたね。文様のついた部分がⒶ汗衫の裾の表、ないのがⒷ裏で、Ⓒ長袴の裾とともに後ろに引かれています。袖口にはⒹ衵が重ね着され(重ね衵)、その下のⒺ単衣も見えます。肩の下あたりにはⒻ襟元が見えていますが、これは唐衣の襟のように外側に折り返して着ている様です。手には、飾りの総を垂らした豪勢なⒼ檜扇を持ってかざし、顔を隠しています。童女の顔をよく見たい時は、扇を下に置かせることもありました。どんなに恥ずかしかったことでしょう。

 詞書にありました下仕は、③三級の階の手前にある④石橋のさらに手前に控えていることになります。なお、実際には、石橋の下には御溝水(みかわみず)が流れていますが、ここには描かれてはいません。

若き殿上人 童女を承香殿から仮橋を渡ってエスコートしてきたのが、⑤高欄を背にして⑥簀子に坐る[イ]殿上人です。詞書には「末々の殿上人」とありました。「末々」は、年下、若輩の意味です。若々しく緊張した顔に描かれていますね。清涼殿に上がるには束帯姿が普通ですが、五節では冠直衣が許されたのでした。

大臣たち 舞姫の左側の⑦畳の上に坐っているのが、[ウ][オ]同じく冠直衣姿の大臣たちです。円座に坐るのが普通ですが、どういうわけか畳になっています。大臣たちは皆、童女を注視しています。どんな容貌なのかを見ているのです。

 大臣たちの序列は、この場合、[ウ]右側に坐る人が上位になりますので、詞書には「関白已下大臣」とありました「関白」になります。しかし、承安元年には関白は不在で、摂政太政大臣として当時二十八歳の藤原基房がなっていました。その割には絵の顔は老けて見えますね。承安二年の童女御覧の時は、摂政基房は天皇の側近く、御簾の内に控えていました。詞書は事実と違っていますが、この通りとしますと、残りの[エ][オ]二人が左大臣・右大臣・内大臣のいずれかになります。しかし、大臣ではない人も控えることがありました。詞書は後世の改作とされていますので、史実と照らし合わせて理解する必要はないのでしょう。ただし、絵の理解に役立つことは確かです。

童女御覧 この段の絵は、これで全体ですので、場面の構図は単純です。絵は横長になっていないのです。画面左側は、⑧棟瓦が置かれた⑨南廊で区切られますが、もしかしたら右側には他の童女が描かれていたのかもしれません。しかし、これは憶測になりましょう。

 童女御覧に、行事としての深い意味はあまりなさそうです。神への五節の舞奉納はともかくとして、この行事は男性貴族たちに舞姫や童女や下仕などの姿をあらわに見ることのできる機会を与えるだけであったようです。それだけに一層、彼女たちは緊張を強いられたことでしょう。そのあまりに気分を悪くしてしまう童女もいました。逆に他に負けまいと気負い立つ人もいたようです。

 男性の視線にさらされる行事でしたので、心ある女房などは批判的なまなざしを向けることもありました。その代表が紫式部です。『紫式部日記』には寛弘五年(一〇〇八)の五節に際して、彼女たちの容貌・衣装などが見られ、噂される存在であることを記しています。特に童女御覧の日の、「くもりなき昼中に、扇もはかばかしくも持たせず」にいる童女に、紫式部の深い同情が寄せられています。童女の気持ちになって、この段を見ることも必要なのだと思われます。

*2017年3月8日に一部、修正を行いました。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
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三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、『年中行事絵巻』に戻り、紫宸殿から朝覲(ちょうきん)行幸に出発する場面を取り上げる予定です。ご一緒に絵の中の内裏の様子を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第44回 『承安五節絵』六段の「殿上人の肩脱ぎ」を読み解く

2015年 12月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第44回 『承安五節絵』六段の「殿上人の肩脱ぎ」を読み解く

場面:五節で殿上人が内裏を練り歩くところ
場所:平安京内裏弘徽殿と登花殿の西側
時節:承安元年(1171)11月中の寅の日

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建物:①弘徽殿 ②登花殿 ③中門 ④半蔀(はじとみ) ⑤下見板 ⑥御簾 ⑦几帳 ⑧野筋 ⑨格子状 ⑩石畳の壇 ⑪溝
人物:[ア][オ]肩脱ぎした冠直衣姿の殿上人 [カ][コ]烏帽子狩衣姿の供人(太刀二本) [サ][ス]烏帽子狩衣姿の供人(太刀一本)[セ][タ]衵姿の童女 [チ]女房
衣装等:Ⓐ冠 Ⓑ衵 Ⓒ浅沓 Ⓓ指貫 Ⓔ烏帽子 Ⓕ袖括り Ⓖ当腰(あてごし) Ⓗ尻鞘 Ⓘ太刀の鞘 Ⓙ元結 

絵巻の場面 今回は、第42回第43回で扱いました五節の行事を描いた『承安五節絵』を再び採り上げます。第43回の「五節の淵酔(えんすい)」に続く同日になります。「淵酔」はひどく酔うことで宴会の意でした。この場面は、淵酔が終わってから、参会していた殿上人たちが、舞姫の控所(五節所)となった常寧殿(じょうねいでん)まで練り歩く、その途中の様子になります。

絵巻の本文 
最初に今回の絵の説明になる詞書本文を確認しましょう。(画像はクリックで拡大)

 淵酔果てぬれば、肩脱ぎて、渡殿の間でおのおの沓を履きて、後涼殿の東より、朝餉の御前より御湯殿のはざまを出でて、弘徽殿の細殿の前、登花殿を巡りて、宣耀殿の反橋の西より上りて、常寧殿五節所の東の壇の上を巡るなり。
【訳】 淵酔が終わると、肩を脱いで、渡殿の間(ま)でそれぞれ沓を履いて、後涼殿(こうりょうでん)の東から、清涼殿の朝餉の間の前を通り御湯殿のはざまで地面に出て、弘徽殿の前や登花殿を巡り歩いて、宣耀殿(せんようでん)西側の反橋から常寧殿に上り、その五節所の東の壇の上を巡るのである。

 清涼殿の殿上の間で宴会をした殿上人たちが、常寧殿まで巡る道筋が記されています。殿上の間を出て沓を履いていますが、後涼殿や清涼殿の簀子を通ったようです。「御湯殿(湯浴みする部屋)」は清涼殿と後涼殿を繋ぐ渡殿に設けられ、その東側が切馬道(通行のための土間)になっていて、そこから地面に下りました。この夜は、再び清涼殿で天皇が五節の舞をご覧になる「御前の試み」が行われます。

弘徽殿と登花殿 それでは、建物から確認しましょう。絵巻には、①弘徽殿と②登花殿の西側が描かれていますが、線描では、左右をカットしていることをお断りしておきます。中央左寄りに、通路のようになっている所が境目の③中門になり、右側が①弘徽殿、左側が②登花殿です。中門の扉は内側に開き、奥は、壇(一段高くした所)になっています。

 二つの殿舎は、同じような構造で描かれていて、窓のように見えるのが、幾つも並んでいます。これには諸説がありますが、④半蔀と思われます。二枚格子の上部だけのもので、小蔀(こじとみ)とも、単に蔀とも言います。今は外側に押し上げられているのでしょう。下部は壁になり、絵では⑤下見板(横板張り)で描かれています。半蔀からは⑥御簾に添えた⑦几帳の綻びを通して、[チ]女房たちが覗いています。紐のように見えるのは、几帳の⑧野筋です。

 実は、両殿の西廂は細殿とも言い、外側には遣戸(引き違え式の戸)が幾つもありました。『枕草子』「内裏(うち)の局は」の段にも、登花殿と思われる細殿に「上の蔀」とされる半蔀と遣戸が出てきます。しかし、絵巻ではどうでしょうか。半蔀とした箇所を遣戸と見ることはできませんね。絵巻を見ると弘徽殿の中門寄りの部分だけが⑨格子状になっています。もしかしたら、ここが遣戸になるのかもしれません。そうしますと、他の半蔀どうしの間も遣戸であったのが、描き忘れたか、省略されたかと思われます。現存の『承安五節絵』はいずれも模写本で、他の本を見ても壁がすべて格子状だったり、逆に何の線も描かれなかったりして、まちまちです。模写の段階で、間違いが生じたのは確かでしょう。

 両殿西側には簀子がなく、建物外側の地面は⑩石畳のように描かれています。この石畳が壇になります。その手前は、雨水などを流す⑪溝です。

男たち 続いて男たちの様子を見ましょう。男たちは、[ア][オ]肩脱ぎした五人の殿上人と、それ以外の人に分かれますね。五人は、糊で強く張った強装束(第21回参照)のⒶ冠に直衣姿で右肩を脱ぎ、下のⒷ衵を見せています。Ⓒ浅沓を履き、Ⓓ指貫の両膝の上あたりをつまんで、歩きやすくしています。マッチョな姿恰好で、イケメンといった感じでしょう。
 

他の人たちは、この五人を目立たせるために、やや小柄に描かれています。皆、殿上人の供人でしょう。Ⓔ烏帽子に狩衣姿で、その特徴となるⒻ袖括りやⒼ当腰(狩衣に用いる帯)を見せ、いずれも太刀を佩いているようです。しかし、ⒽⒾ二本佩いている[カ][コ]人がいますね。江戸時代の武士ではありませんので、大小の二本差しというわけではありません。これはどうしたことでしょう。太刀はⒽ尻鞘と呼ぶ毛皮の袋に入れられているのと、Ⓘ鞘だけのがありますね。[サ][ス]一本だけの人のには、尻鞘があります。また、二本の人は五人見えます。もうお分かりですね。[カ][コ]二本を佩く五人はいずれもそれぞれの殿上人に従っていて、その主人の分を預かっているのです。

女たち 次は女たちです。まず③中門にいる[セ][タ] 三人を見てみましょう。扇で顔を隠すようなことはしていませんね。いったい、どういう女性でしょうか。顔かたちからは何とも言えません。しかし、上に重ねて着ているものは、袿などではありません。これは殿上人が肩脱ぎで見せていた衵と同じ語になる、童女の衣装のようです。髪もⒿ元結で束ねていて、これも童女の表現です。第42回で扱った童女は、この上に汗衫(かざみ)を着た正装でした。今回の宮中で下働きをする童女たちは、主人の前にいるわけではないので、衵姿で殿上人たちを見に来ているのでしょう。

 [チ]大人の女房たちは、姿を隠し、⑦几帳の綻びから大勢覗き見しています。①弘徽殿でも②登花殿でも同じようにどの④半蔀にも女房たちが描かれています。入内した后には、三、四十人の女房がつきましたので、大勢いてもおかしくはないのです。

 綻びからの女性の覗き見は、第15回の『年中行事絵巻』闘鶏の家や、第31回の『源氏物語絵巻』「竹河(一)」段などにも描かれていました。複数の絵巻に描かれていたことからすると、女性たちは物見高く、男性たちを品定めすることもあったのでしょう。この絵巻では、肩脱ぎした殿上人やその供人たちにイケメンがいないかとささやきながら覗いているのです。この段は、意気揚々と歩く殿上人たちと供人たちに、その姿を覗き見る女房たちを配して、五節寅の日の光景を印象深く描いているのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、舞姫に付き従ってきた童女が天皇に対面する、「童女御覧」の場面を取り上げます。お楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第43回 『承安五節絵』五段の「五節の淵酔(えんすい)」を読み解く

2015年 11月 21日 土曜日 筆者: 倉田 実

第43回 『承安五節絵』五段の「五節の淵酔(えんすい)」を読み解く

場面:五節で殿上人が酒宴するところ
場所:平安京内裏清涼殿の殿上の間
時節:承安元年(1171)11月中の寅の日

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人物:[ア]藤原成実 [イ]高階仲基 [ウ]藤原範光 [エ]源惟頼 [オ]頭の中将藤原実宗か
建物:①殿上の間 ②・⑮壁 ③・④上戸(かみのと)の扉 ⑤落板敷(おちいたじき) ⑥扁額(へんがく) ⑦神仙門 ⑧小庭(こにわ) ⑨小板敷 ⑩沓脱 ⑪茵(しとね) ⑫倚子(いし) ⑬台盤 ⑭火櫃(ひびつ) ⑯柱 ⑰下戸(しものと) ⑱階段 ⑲立蔀(たてじとみ) ⑳主殿司宿(とのもづかさのやど)の屋根 
衣装等:Ⓐ銚子 Ⓑ・Ⓗ杯 Ⓒ束帯 Ⓓ・Ⓕ冠 Ⓔ緌(おいかけ) Ⓖ直衣 Ⓘ肩脱ぎ Ⓙ衵(あこめ)

絵巻の場面 前回に続いて五節の行事を描いた『承安五節絵』を読み解きます。この場面は、寅の日の「御前の試」に先だって清涼殿の殿上の間で行われた殿上人たちの酒宴となる「殿上の淵酔」を描いています。「淵酔」は深く酔う意で、正月の二日か三日などにも行われました。殿上人たちに対する内々の宴となりますが、ただ飲むだけでなく、それなりの余興がありましたので、後ほど紹介することにします。

殿上の間とその周辺

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 最初に会場となる殿上の間を確認しましょう。画面正面が①殿上の間で、ここに昇殿を許された四位・五位の貴族を殿上人といいましたね。ここは清涼殿の南廂になり、画面上部の②壁の向こうは母屋になります。画面右手が東になり、右端に見える戸が③④上戸で、両開きになっています。この戸は、第40回の「内論義」でも描かれていましたので参照してください。殿上の間の位置関係も理解できます。上戸の右が⑤落板敷でした。画面では省略されていますが、上戸の画面手前に右青璅門(みぎせいさもん)があることになりますね。これも第40回で分かります。この門から、⑥扁額がかけられた⑦神仙門までは⑧小庭と呼ぶ土間となり、ここに殿上の間に接して置かれるのが⑨小板敷で、紫の縁の畳が敷かれた坐る場所にもなります。神仙門の左側は、⑩沓脱です。

 上戸から殿上の間に入った所に見えるのが、⑪茵の敷かれた⑫倚子です。何のために置かれているのか、お分かりですね。清涼殿で倚子に坐れるのは、天皇だけでしたので、その出御に供えて常置されているのです。殿上の淵酔に天皇が出御する場合は、多く上戸の前に倚子を置いて内々に覗いたようです。この日は殿上の間に置かれたままなので、出御はなかったのでしょう。

 殿上の間の中央には⑬台盤(テーブル)が二つ置かれています。これも常置され、小さい切台盤(きりだいばん)も東側に添えられますが、淵酔のために撤去されているのでしょう。台盤の左側に見えるのは、⑭一双の火櫃です。四角の箱に火炉を入れて、採暖用にしますが、お燗にも使用しました。

 殿上の間の西側は⑮壁と、しっかり描かれていませんが⑯柱の向こうは⑰下戸(女官の戸)になっています。この下戸を出ると、正面に渡殿、左(南側)は⑱階段、右は西簀子になります。

 ⑮西壁の左には、目隠し用の⑲立蔀と⑳屋根が見えます。この屋根は主殿司宿になりますが、内裏図によっては描かれていない場合があります。「主殿司」は掃除・水・薪炭などに奉仕する後宮十二司の一つで、ここにはそれにあたる「下女」が住みました。

殿上の間と蔵人 殿上の間には、天皇近臣として天皇・宮廷にかかわる諸事を管掌する蔵人所(くろうどどころ)の蔵人が日常的に詰めていました。そのために、ここで公卿(三位以上の貴族)を招いた重要な政務の議定(ぎじょう。合議)や僉議(せんぎ。評議)がされても、上席には殿上人の蔵人頭(くろうどのとう)が坐りました。頭とは長官のことで、近衛府の中将を兼ねるのを頭の中将、弁官(べんかん。事務官)を兼ねるのを頭の弁といい、この二名の下に五位の蔵人・六位の蔵人が任じられ、さらに下級職員も配置されました。六位でも蔵人であれば殿上人になれました。殿上の間は蔵人たちが預かる場なのです。ですから、殿上の淵酔でも、蔵人頭が筆頭になり、他の蔵人たちが奉仕しました。画面でははっきりしませんが蔵人頭が描かれているようです。

殿上人たち それでは人物たちを確認しましょう。殿上の淵酔では、蔵人頭は、上臈が奥の座、下臈が端の座に坐ることになっていました。承安元年には、頭の弁に藤原長方31歳、頭の中将に藤原実宗26歳がなっていましたので、年若い実宗が上戸近くに坐っていることになります。この画面右側には五人描かれていて、四人には人名が注記されています。線描画では省略しましたが、これによりますと、Ⓐ銚子を持つのが[ア]藤原成実、Ⓑ杯で飲んでいるのが[イ]高階仲基、小板敷に控えるのが[ウ]藤原範光と[エ]源惟頼になります。いずれもⒸ束帯姿の六位の蔵人で、[ウ]範光を除いてⒹ冠につけるⒺ緌が見えますので武官を兼ねています。そうしますと、[オ]が実宗と思われます。『承安五節絵』では第一段にも二人の蔵人頭が描かれていまして、そこに見える実宗の顔だちと似ているように思われます。しかし、長方に似た人は、淵酔の場面には見当たりません。西壁の陰に坐っているのでしょうか。この五人のほかは、蔵人以外の殿上人でしょう。名前の注記はありません。いずれもⒻ冠にⒼ直衣の姿でいますね。

殿上の淵酔 次に酒宴の様子を見ていきます。五節の淵酔は、だいたい正午から午後四時くらいに、六位の蔵人の献杯で始められました。宴席の作法は、中世になって「式三献(しきさんこん)」という形で整備されましたが、平安時代でも一献・二献・三献と行われました。杯を順にすすめて膳を下げることが一献で、これを三度行ったわけです。場合によっては、五献に及ぶこともありました。この場面では、何献目になっているのでしょうか。画面から分かります。台盤の上にあるのはⒽ杯で、幾つもあります。この時代には、飲んだ杯を幾つもこうして置いたのでしょう。しかし、これでは何献かは分かりません。分かるのは、殿上人たちが皆、右肩の片袖を脱ぐⒾ肩脱ぎをしていることです。これは三献目にする作法でしたので、酒宴は大分進んでいたのです。肩脱ぎは、くつろいだ宴席になった時にするものですが、殿上の淵酔では恒例になっていました。肩脱ぎの下に見えるのは、表着と下着の間に着るⒿ衵(袙とも)で、原画では赤色に描かれていて、この色が基本になります。

 殿上の淵酔では、肩脱ぎの他に、一献ごとに余興がありました。一献と二献のあとには、朗詠がされます。ここでは『和漢朗詠集』に収められた漢詩による曲「嘉辰令月(かしんれいげつ)」や「東岸西岸(とうがんせいがん)」を謡うのが慣例でした。三献のあとには、今様と呼ばれる歌謡が謡われましたが、二献のあとにもされたようです。そして、肩脱ぎ、「万歳楽」という曲の奏楽に続いて乱舞がされました。拍子をとって殿上人たちが袖をひるがえして舞うことです。中には、⑬台盤の上でする者もいたようです。これが終わるとお開きになり、殿上人たちは肩脱ぎのまま身分の低い順に⑯下戸から出て、後涼殿西簀子から弘徽殿・登花殿・宣耀殿・常寧殿などの前めぐることになります。この様子は六段に描かれていますので、次回で扱うことにします。イケメンの殿上人たちを見ようと、女性たちが弘徽殿や登花殿から御簾越しに覗いている様子が描かれていて興味深いものがあります。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、今回の酒宴のあと、参加者たちが清涼殿から舞姫の控え所まで練り歩く様子を取り上げます。お楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第42回 『承安五節絵』ニ段の「五節の舞姫の参内」を読み解く

2015年 10月 17日 土曜日 筆者: 倉田 実

第42回 『承安五節絵』ニ段の「五節の舞姫の参内」を読み解く

場面:五節(ごせち)の舞姫と童女が内裏に参入するところ
場所:平安京内裏内郭北側の玄輝門(げんきもん)付近
時節:承安元年(1171)11月中の丑の日の夜

(画像はクリックで拡大)

人物:[ア]五節の舞姫 [イ]五節の童女 [ウ]冠直衣姿の侍従藤原基宗(もとむね。父・基家、母・源長時女)、17歳 [エ]冠直衣姿の侍従藤原公衡(きんひら。父・公能、母・藤原俊忠女)、14歳 [オ][カ]狩衣姿の下人(しもびと)
衣装等:①松明(たいまつ) ②・⑭冠 ③緌(おいかけ) ④唐衣 ⑤裳 ⑥袿 ⑦・⑪長袴 ⑧・⑬檜扇(ひおうぎ) ⑨汗衫(かざみ) ⑩汗衫の裾 ⑫衵(あこめ) ⑮直衣 ⑯指貫 ⑰浅沓(あさぐつ)
建物:Ⓐ玄輝門(玄暉門とも。げんきもん) Ⓑ筵道(えんどう) Ⓒ遣戸 Ⓓ板敷 Ⓔ檜皮葺 Ⓕ瓦屋根

五節とは 今回取り上げる『承安五節絵』は、承安元年の五節の行事を描いたものです。五節とは、新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(おおなめさい)の豊明節会(とよのあかりのせちえ)と呼ぶ宴で行われた、四人(大嘗祭は五人)の舞姫の舞を中心とする四日間にわたる行事を言います。まず十一月の中の丑の日に、舞姫やその付添いとなる童女・下仕が内裏に参入し、常寧殿(じょうねいでん)に入ります。そして、そこで「帳台の試(ちょうだいのこころみ。舞の予行演習を天皇が見る)」があり、寅の日に「殿上の淵酔(てんじょうのえんすい)」(次回参照)と「御前の試(ごぜんのこころみ。清涼殿で予行演習を天皇が見る)」、卯の日に「童女御覧(わらわごらん。天皇が童女・下仕を見る)」があって、辰の日が豊明節会で舞の本番となります。

『承安五節絵』 『承安五節絵』は、この一連の行事を九段からなる連続式絵巻で描いていて、各段には絵柄に対応する詞書が付いています。描かれる貴族たちには名前や年齢が注記され、顔は引目鉤鼻ではなく、その人に似せて描いた似絵(にせえ)になっています。現存本は、いずれも原本から直接模写したものはなく、江戸時代に転写された模本ばかりです。それでも平安時代末期の内裏や装束などの様子を伝えていて貴重です。現在は、早稲田大学図書館や京都大学図書館所蔵本などがウェブ上で簡単に見ることができますので、閲覧してみてください。線描画は前者により、後者は「五節渕酔之屏風絵」との名称になっています。

絵巻の場面 それでは、この場面を見ていきましょう。ここは、『承安五節絵』二段の五節の舞姫と童女が参内するところを描いた一部分になります。Ⓐ玄輝門(内裏内郭の北門)と呼ぶ門にいる左側の女性が[ア]舞姫で、右側が[イ]童女です。画面の時間帯は、お分かりですね。画面上部には①松明を持った[オ]下人が描かれていますので、夜の時間になります。この下人は裸足で、②冠に③緌と呼ぶ飾りをつけています。

二段の詞書 この段の詞書の一部分も確認しておきましょう。詞書は改作されていて信憑性は薄いとされていますが、参考にはなります。二段は、内裏外郭の北口となる朔平門(さくへいもん)から始まり、Ⓐ玄輝門内側までが描かれています。内裏図などを座右に置いて、道筋を確認しながら読んでください。

 殿上人、朔平門に行き向かひて、をのをの参りする五節の親しき人、或は語らひたる人、行ひて、殿上人ども付きて、筵道より玄輝門の内に入りて、宣耀殿の前より五節所常寧殿にのぼるなり。
【訳】 殿上人は、朔平門に行って出迎えて、それぞれ参内する五節の舞姫の親しい人、或いは懇意にしている人などが、行なって、殿上人たちが付き添い、筵道を通って玄輝門の内に入り、宣耀殿の前から五節所の常寧殿に上がるのである。

 やや整わない本文ですが、意味は通じます。舞姫たちは牛車で朔平門まで来て下車します。殿上人たちが出迎えていて、舞姫たちには前もって決められていた若い公達が付き添います。エスコート役ですね。筵(むしろ)を置いて通り道とするⒷ筵道が敷かれていて、その上を舞姫たちは玄輝門・宣耀殿(せんようでん)を通って居所とされた常寧殿まで行くことになります。こうした参内する次第が詞書に示されています。そして、絵柄はその通りになっています。画面は、右側が北、上部が西になります。

玄輝門 まず玄輝門について見ておきます。この構造は、伝存する内裏図や『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗(ちゅうぐうだいきょう)」で描かれた図とも間数(けんすう)が違っています。また、門の東西は回廊になっていて、そこに近衛府(このえふ)の宿所がありましたが、『承安五節絵』では、門の西側にⒸ遣戸、門の東側はⒹ板敷に描かれています。東側は舞姫を描くために吹抜屋台にしたのでしょう。屋根は、Ⓔ檜皮葺の上にⒻ瓦屋根が載っています。はたして、この通りの構造であったのかどうかはよく分かりません。Ⓑ筵道が手前に折れているのは、内裏東側に位置する宣耀殿のほうに向かうからです。

舞姫の姿 続いて、[ア]舞姫を見てみましよう。五節の四日間、衣装は日によって変わり、参内する丑の日は、「帳台の試」の前に着替えています。ですから、この衣装で舞うわけではありません。線描では分かりませんが、赤の④唐衣と、白波と松の文様がわずかに見える⑤裳を着けているのが分かります。その下は、⑥袿に⑦長袴です。参内する時は、裳唐衣を着ける必要がありましたね。裳唐衣衣装は、女性の正装だからでした(第27回参照)。

 舞姫は、⑧檜扇で顔を隠しています。夜とはいえ、男性の視線にさらされますので、恥ずかしがっているのです。もう少し前の時代は、差几帳(さしぎちょう)で姿が隠されましたが、舞姫たちには、そのほうがよかったことでしょう。

童女の姿 次は[イ]童女です。舞姫には二人の童女が付き添います。しかし、『承安五節絵』にはこの右側にも二人の童女が描かれて三人になっています。この[イ]童女を舞姫とする説もありますが、裳唐衣を着けない参内はおかしいですね。これはやはり童女で、童女用の正装となる汗衫姿になっています。裳の引腰のように、背後に⑨汗衫の⑩裾を長く引いています。この裾は、表と裏(黒く見えるほう)で色が違いました。汗衫の下に舞姫と同じように⑪長袴の裾を引いているのも分かります。袖口には⑫衵(下着)が重ね着されています。手には、舞姫と同じように⑬檜扇を持って顔を隠しています。汗衫姿は「童女御覧」でも扱う予定ですが、『枕草子絵詞』にも似たような童女の姿が描かれていますので参照してみてください(『三省堂 全訳読解古語辞典』1015頁の図)。

公達の姿 さらに[ウ][エ]公達の姿を見ておきましょう。内裏では束帯か衣冠の装束になりますが、この日は⑭冠に⑮直衣と⑯指貫でよかったようです。二人とも衣装がこわばって描かれた強装束(こわしょうぞく)になっていますね(第20回参照)。⑰浅沓をはいているのも分かります。若い女性の側にいられるなどめったにない時代でしたので、エスコート役は緊張しつつも、心はたかぶったことでしょう。そんな様子がうかがえる姿になっています。

『承安五節絵』の意義 五節の舞姫を描いた同時代の絵は現存していません。ですから、『承安五節絵』は、舞装束ではないといえ、舞姫と童女が描かれて貴重です。できれば舞装束も描いて欲しいところでしたが、それはありません。また、男性貴族たちの顔が個性的に描き分けられているのも貴重です。特に、エスコート役の若い公達の様子は、どことなく緊張した表情のようにも思われます。『承安五節絵』は、引目鉤鼻とは違った容貌表現を堪能できる面白い作品なのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、今回と同じ五節の行事を描いた『承安五節絵』のうち、清涼殿の殿上の間で行われた、殿上人たちの酒宴の様子を取り上げます。平安時代の宴会とはどんなものだったのでしょうか。どうぞお楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第41回 『信貴山縁起』「延喜加持」巻の「清涼殿での勅使蔵人の奏上」を読み解く

2015年 9月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第41回 『信貴山縁起』「延喜加持」巻の「清涼殿での勅使蔵人の奏上」を読み解く

場面:勅使として僧命蓮の招請に赴いた蔵人がその報告を奏上するところ
場所:内裏清涼殿東面と東庭
時節:醍醐天皇の御代の秋。

(画像はクリックで拡大)

建物:①清涼殿 ②外御簾 ③几帳 ④野筋 ⑤・⑬下長押 ⑥東孫廂  ⑦落板敷(おちいたじき) ⑧年中行事障子 ⑨南廊 ⑩上戸(かみのと) ⑪柱 ⑫上長押 ⑭高欄 ⑮簀子 ⑯階(はし) ⑰御溝水(みかわみず) ⑱長橋 ⑲東庭 ⑳河竹台 馬繋廊(うまつなぎろう) 紫宸殿西北廊 棟瓦(むねがわら) 梁か石橋

人物:[ア][イ]束帯姿の公卿か蔵人頭 [ウ]冠直衣姿の大臣 [エ]束帯姿の蔵人 [オ]束帯姿の蔵人の随身

衣装:Ⓐ・Ⓖ下襲 Ⓑ冠 Ⓒ笏 Ⓓ扇 Ⓔ緌(おいかけ) Ⓕ太刀 Ⓗ石帯 Ⓘ浅沓

『信貴山縁起』 前回は『年中行事絵巻』(以下『年中』とします)の清涼殿で行われた「内論議」という仏教儀式を見ましたので、今回も同殿が描かれた『信貴山縁起』(『信貴』とします)を採り上げることにします。『信貴』は生駒山地南部の山にある信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんじ)の中興の祖で毘沙門天をまつった、命蓮(みょうれん)に関する説話を描いた三巻三話からなる連続式絵巻です。今回は中巻となる「延喜加持の巻」の、延喜の帝とされた醍醐天皇が病になり、法力のある命蓮を招請するため信貴山に派遣された蔵人が、①清涼殿でその報告をするところになります。

清涼殿図の相違(1) 今回は、これまでとは違って、前回の『年中』で描かれた清涼殿と比較しながら見ていくことにします。『信貴』の清涼殿図は、『年中』のそれと、影響関係があると指摘されています。この当否を考えるにしても、まずは丁寧に比較することが必要でしょう。構図的には、清涼殿を東から描いて似ていますが、微妙な相違があるようです。以下、相違点を見ていくことにしますので、両図を並べて確認するようにしてください。

 まず、画面上、東廂にかかる②外御簾に注意してください。『年中』と比べて、どうでしょうか。『信貴』では御簾の下から③几帳の裾と、その④野筋が、⑤下長押の下に押し出されていますね。天皇が病ということで、几帳を添えているのでしょう。

 続いて、外御簾の左側を見てください。⑥東孫廂から二段下がる⑦落板敷に衝立が置かれていますね。これが⑧年中行事障子と言われる衝立障子になります。『年中』では、儀式の邪魔になるので、⑨南廊の壁際に押しつけられていました。このことと関連して、年中行事障子の背後の、殿上の間の入口となる⑩上戸の開閉の違いがありますね。『年中』では、殿上の間が使用されるので、開いて描かれていましたが、こちらでは閉まっています。以上の三点の違いは、儀式次第の相違によると見ていいと思いますので、これらは当然のことでしょう。しかし、以下はどうでしょうか。

清涼殿図の相違(2) この三点以外にも気をつけて比べてみますと、違いがあることが分かります。さらに違いを読み解いていきましょう。まず一点目は、柱間と長押間のそれぞれの長さの比率です。⑥東孫廂で見ますと、⑪柱間の長さと、⑫上長押と⑬下長押の長さとの割合が違っています。『信貴』では正方形に近くなりますが、『年中』では縦長の長方形になっています。

 二点目は⑭高欄の付いた⑮簀子から下りる⑯階です。『信貴』では二級にしか見えませんが、『年中』ではきちんと三級になっています。絵師の間違いなのでしょうか。

 三点目は⑰御溝水です。⑯階の手前の御溝水は同じようですが、左にたどってみてください。『年中』では⑱長橋に沿って折れていて、これが正しいのですが、『信貴』では描かれていません。これは剥落したのではないようです。どうしたことでしょうか。

 四点目は⑲東庭に置かれる⑳河竹台です。竹の描かれかたや、竹の丈と台の高さとの比率が違っています。『信貴』では、剥落していても竹と台は同じ高さに見えますが、『年中』では竹がはるかに高く繁っています。『年中』では清涼殿が九回も描かれ、一図を除いて河竹台が描かれていますが、どれも同じではありません。竹の描きかたは、絵師の裁量により、どう描くかには決まりがなかったかと思われます。

 違いが顕著なのは、画面左側です。五点目として、⑦落板敷に続く⑨南廊左側の奥行きや、⑱長橋左の馬繋廊のやはり奥行きになります。『信貴』では、紫宸殿西北廊屋根によって奥行きが分かりませんが、『年中』では何と壁まで描かれています。両図とも吹抜屋台ではありませんので、絵師の構図の取り方とかかわるようです。『信貴』では手前上空から斜めに見下ろすような視点で描いていますので、南廊の左奥は見えません。写実的にはこれが妥当でしょう。『年中』では、画面左側は、画面中央とはやや違って、右側下あたりの中空から斜めに見下ろしたような視線によって奥行きを見せるようにしています。これによって参列した貴族たちを描くようにしたのだと思われます。複数視点を合成した構図のようで、これは他の絵巻でも一般的に認められますので、この点は別に問題はありません。

 六点目は紫宸殿西北廊屋根の描きかたです。棟瓦の左右を見比べてください。『年中』のほうは、左側がわずかしか描かれていませんね。

 違いはまだあります。七点目です。雨どいのように見える梁の出っ張りと思われる部分と、西北廊屋根との間合いを見て下さい。『信貴』は近接していますが、『年中』には間隔が見られます。六、七点目の違いは、五点目とかかわるのでしょう。

 以上、七点ほどの相違を指摘してみました。清涼殿東孫廂を東側から見れば、大枠で似た構図になるのは当然です。しかし、落板敷の左側などまで描こうとすれば、そこには違いが出てくるのではないでしょうか。『年中』には「内論義」場面の他にも清涼殿があります。さらにそれらとも比べる必要がありますが、今回はひとまず両図の違いを読み解いて、その確認にとどめます。これらの違いだけで、これまで言われてきた両絵巻の影響関係の当否を判断するのは軽率です。影響関係の有無は、今後検討されるべき課題でしょう。

描かれた人たち それでは『信貴』に描かれた人たちを見ましょう。まず、東孫廂に坐る三人の貴族の身分の違いを考えておきます。ポイントは衣装ですね。[ア][イ]右二人は長いⒶ下襲を見せてⒷ冠をつけ、Ⓒ笏を持っていますので、束帯装束になります。しかし、[ウ]左一人は違います。冠は同じですが、直衣を着て手にはⒹ扇を持っています。これは冠直衣姿になり、略装です。では、どちらの身分が上なのでしょう。答は左の一人になります。当時は身分が高いほど略装が許されたからです。醍醐天皇の病の時は、左大臣藤原忠平、右大臣同定方でしたので、前者かもしれません。右の二人は、公卿か蔵人頭でしょう。

 階下の石橋の手前にいるのが、勅使として信貴山に訪れた[エ]蔵人です。冠にⒺ緌を付けて、Ⓕ太刀を佩いていますので武官ですね。袍の下のⒼ下襲は折り畳んでいる束帯姿、六位の蔵人になるようです。河竹台のもとにいるのは、蔵人に随行していた[オ]随身になります。背中にⒽ石帯が見えます。東庭にいるこの二人は、共にⒾ浅沓をはいています。

絵巻の場面 最後に絵巻の場面を確認しましょう。ここは[エ]蔵人が報告を行っているところを描いたのは確かです。では、命蓮を天皇の加持祈祷に招請するという役目はどうなったのでしょうか。命蓮は、自ら参内しなくても、病を治せると返事をしていたのです。蔵人はそれでは命蓮の法力によるのかどうかが分からないと疑問を呈していました。それに対して命蓮は、毘沙門天の使者となる、剣の束を身にまとった「剣の護法」とされる剣鎧童子(けんがいどうし)が現れるので、それと分かると答えていました。蔵人はこうした内容を奏上しているのです。摩訶不思議な命蓮の返事ですので、思わず束帯姿の二人は、振り向いて蔵人を見たことになります。何となく、中央の[イ]一人は不信な表情を浮かべています。[ウ]大臣は、黙然として話の真意を考えているようです。絵巻は続いて「剣の護法」の飛来を描いていきます。その前段階として、命蓮の法力を信じ難く思う公卿たちを描いたことになるのでしょう。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
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■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
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三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、五節の舞姫を描いた『承安五節絵』を取り上げます。五節の舞姫といえば、百人一首で有名な「天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ(遍昭)」も、五節の舞姫を詠んだ歌でしたね。次回の絵は、そんな舞姫が、貴公子にエスコートされながら、リハーサル舞台に向かう姿が描かれます。どうぞお楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第40回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会内論義」を読み解く

2015年 8月 15日 土曜日 筆者: 倉田 実

第40回 『年中行事絵巻』巻六「御斎会内論義」を読み解く

場面:御斎会最終日の内論義(うちろんぎ)で加持香水(かじこうずい)をするところ
場所:内裏清涼殿東面と東庭
時節:1月14日の夜

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人物:[ア]僧綱(そうごう) [イ]僧正(そうじょう)・僧都(そうず) [ウ]律師(りっし) [エ]凡僧(ぼんそう) [オ]威儀師(いぎし) [カ]公卿 [キ]公卿(参議) [ク]出居(いでい)

建物:①清涼殿 ②外御簾 ③・⑦下長押 ④東孫廂 ⑤昆明池障子(こんめいちのしょうじ)⑥屏風 ⑧簀子 ⑨高欄 ⑩階(きざはし) ⑪御溝水(みかわみず) ⑫東庭 ⑬河竹(かわたけ) ⑭呉竹(くれたけ) ⑮長橋(ながはし) ⑯落板敷(おちいたじき) ⑰南廊(なんろう) ⑱馬繋廊(うまつなぎろう) ⑲紫宸殿西北廊 ⑳右青璅門(みぎせいさもん) 上戸(かみのと) 殿上の間(てんじょうのま) 年中行事障子 檜皮葺(ひわだぶき) 棟瓦(むねがわら) 灯台 草墪(そうとん) 兀子(ごっし) 小筵(こむしろ) 机 油単(ゆたん) 畳 長床子(ながしょうじ)

衣装:Ⓐ僧綱襟 Ⓑ袈裟 Ⓒ僧裳(そうも) Ⓓ下襲(したがさね) Ⓔ石帯 Ⓕ剣

絵巻の場面 前回に続いて『年中行事絵巻』の御斎会竟日に行われた内論義の場面を見ることにします。内論義とは、内裏における仏教の論義(論議とも)のことです。御斎会に参集した諸宗の学僧の中から、問者(もんじゃ)と、答者の講師(こうじ)を選び、『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』の経文の論義を行って、天皇が傍聴した儀式です。論義には先立って、加持香水が行われました。これは、諸種の香を混ぜた香水を壇場や自身に注いで清浄にすることで、場面はそれを行うところになります。場所は、御斎会が大極殿でしたが、内論義は清涼殿です。なお、『年中行事絵巻』では御斎会が巻七になり、内論義は巻六になっています。これは錯簡で、内論義も巻七に入るのが本来でしょう。

清涼殿の構造 最初に①清涼殿について見ておきましょう。正面の②外御簾が下されている奥が東廂です。ここで天皇は御簾越しに論義を聞きます。御簾は互いに接していますので、この奥は一枚格子になりますね(第17回参照)。ただし、今は室内に上げられています。御簾の手前の③下長押分下がった所が、吹き放しとなる④東孫廂です。この北側(右側)には、⑤昆明池障子と呼ぶ衝立が常置されます。その左の⑥屏風は、この日のためのものです。東孫廂の手前は、やはり⑦下長押分下がる⑧簀子になり、⑨高欄が付いています。

 簀子からは三級の⑩階が地面に二か所下され、雨水などを流す⑪御溝水をまたいで⑫東庭に続きます。ここも儀式の場で、⑬河竹・⑭呉竹が植えられた台があります。

 河竹の左側は⑮長橋と呼ぶ渡り廊下で紫宸殿につながっています。長橋の画面上部にあたるところは、④東孫廂より二段分下がっていますので⑯落板敷と呼びます。その左側は⑰南廊、その手前は土間になる土廊で、⑱馬繋廊と呼びます。⑲紫宸殿西北廊になります。南廊の西側(画面上部)は⑳右青璅門になっています。

 落板敷の上部の妻戸(上戸)が開いた奥が南廂で、ここが殿上の間になります。殿上の間に上がれる人を殿上人と言うのでしたね。上戸の前には年中行事障子(年中行事名を月ごとに書いた衝立)が置かれますが、この日は南廊に移動されています。

 清涼殿の屋根は、入母屋式の檜皮葺で、棟瓦が載せられています。⑲紫宸殿西北廊の屋根も、棟瓦のある檜皮葺です。

内論義の室礼 続いて内論義のための室礼を確認しましょう。灯台が三つ描かれていて、この儀式は夜であることを示しています。東孫廂の中央あたりに見えるのが、草墪と兀子(共に腰掛)で、右側が講師用です。立っている僧の前には、小筵の上にわずかに机が見えます。画面には見えませんが、ここに香水を入れた埦(わん)と、その上に散杖(さんじょう)と呼ぶ香水を散らす杖状のものが置かれました。机の手前の灯台は油単(油汚れを防ぐ敷物)に置かれています。また、東孫廂に坐る貴族用に畳が敷かれています。僧侶たちは兀子などに坐っていますが、このことは次で触れましょう。

僧侶たち それでは僧侶たちを見ていきます。立っているのが真言宗の[ア]僧綱(僧尼・諸寺を管理する官職にある僧。僧正・僧都・律師など)で、加持香水を行います。⑥屏風の前に坐るのも僧綱の[イ]僧正・僧都で、画面では分かりませんが兀子に坐っています。東孫廂に西向きに坐るのが[ウ]律師で、これも兀子に坐ります。その後ろの⑧簀子は講師役などの[エ]凡僧(僧綱に次ぐ僧)で、右端の僧のもとに長床子(机に似た長椅子)の端が見えます。

画面左の⑮長橋に坐るのは[オ]威儀師(威儀を整える僧)で、ここだけ兀子に坐っていることが分かります。

 僧侶も身分社会であり、坐る物や場所が僧位・僧官によって別れるのです。僧侶たちは皆、襟を立てたⒶ僧綱襟をしています。また、Ⓑ袈裟とⒸ僧裳が見えますね。

貴族たち 貴族社会も身分社会ですので、坐る場所もそれに応じています。西向きに坐るのは[カ]公卿、北向きは[キ]参議(宰相とも)です。⑰南廊にいるのは世話役で、その役の人を[ク]出居と呼びます。

 これらの貴族たちは衣冠束帯の正装で、Ⓓ下襲やⒺ石帯を着け、Ⓕ帯剣しています。しかし、正月とはいえ寒いので、皆肩をすぼめ、[キ]鼻をかんだり、[カ]指先に息を吹きかけたりしている人もいます。儀式・行事の進行をただ描くだけでなく、こうした人間味あふれる様子を点描するところに『年中行事絵巻』の面白さがあったのでした。貴族たちに比べると僧侶たちは、寒そうな気配を見せていないようです。しっかりと修行しているからでしょう。

 その他の東庭や馬繋廊にいる人は、下級の役人たちです。これらの役人のことは、記録類などには示されていませんので、どの役所に所属するのかはよく分かりません。しかし、武官でないことは確かです。行事の進行に一役買っているのでしょう。宮中の儀式・行事はこうした下級役人たちによって支えられているのです。

京都御所の清涼殿 清涼殿を舞台にした絵巻を読み解いてみました。現在の京都御所の清涼殿は、江戸時代末の安政二年(1855)の再建ですが、こうした絵図が参照されて平安時代の姿を再現しています。是非、実際に参観して、往時を偲んでみてください。その際に、こうした絵巻を覚えておくと、感動もひとしおと思われます。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。前回から、絵巻を通して平安京の大内裏や内裏で行われた儀式・行事を見ていく新シリーズが始まりました。ご一緒に、平安京の中を探検するように絵巻を見て参りましょう。次回もどうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第39回 『年中行事絵巻』巻七「御斎会竟日の舞楽」を読み解く

2015年 7月 18日 土曜日 筆者: 倉田 実

第39回 『年中行事絵巻』巻七「御斎会竟日の舞楽」を読み解く

場面:御斎会(ごさいえ)竟日(きょうじつ)に舞楽をするところ
場所:朝堂院の大極殿
時節:1月14日の夜

(画像はクリックで拡大)

建物:①壇上積みの基壇 ②地覆石(じふくいし) ③葛石(かずらいし) ④束石(つかいし) ⑤嵌石(はめいし) ⑥切石の四半敷(しはんじき) ⑦石階(せっかい) ⑧廂の柱 ⑨母屋の柱 ⑩妻戸 ⑪白壁 ⑫簀子 ⑬高欄 ⑭斗栱(ときょう) ⑮軒廊(こんろう) ⑯幄舎(あくしゃ)
室礼他:Ⓐ松明(たいまつ) Ⓑ幔(まん) Ⓒ煙 Ⓓ稲束 Ⓔ香水(こうずい)の瓶 Ⓕ三脚の結び台 Ⓖ棚 Ⓗ五穀を盛った鉢 Ⓘ鐘 Ⓙ読師(どくじ)の高座 Ⓚ講師(こうじ)の高座 Ⓛ笏 Ⓜ胡床(こしょう) Ⓝ緌(おいかけ) Ⓞ太刀 Ⓟ茵(しとね) Ⓠ松明の束か Ⓡ松明の燃えカス
人物:[ア][ク]下官 [イ]舞人 [ウ]近衛府の武官 [エ]公卿 [オ]僧侶 [カ]童子(どうじ) [キ]大童子(だいどうじ) 

はじめに 前回までは『源氏物語絵巻』を読み解いてきました。これからは平安京大内裏や内裏で行われた儀式や行事を、各種の絵巻から任意に選んで見ていくことにします。今回は『年中行事絵巻』巻七、朝堂院での「御斎会」竟日(終日)の様子を採り上げます。この絵巻には、かなり詳細にこの法会の様子が描かれていますが、ここで扱うのは、竟日場面のごく一部で、下部を割愛していることをお断りしておきます。

朝堂院とは 最初に、会場となる朝堂院について触れておきましょう。朝堂院は、朝賀や即位式などの大礼や、これから見ます御斎会などが行われた、大内裏の最も重要な正庁を言います。大内裏南中央に位置し、本来は朝に百官が集合して政務を執る場でした。当時の省庁は八つでしたので、八省院(はっしょういん)とも言いました。正門は応天門(おうてんもん)、正殿が北側に位置する、平安京最大の唐風建築の大極殿になります。

大極殿の構造 大極殿は絵巻に即して見ていきましょう。寝殿造とは違って、建物の基礎は①壇上積みという基壇になっています。絵巻でも②地覆石、③葛石、④束石、⑤嵌石などの側面と、切石を四十五度傾ける⑥四半敷にした床となる上面が見えます。基壇南面(前面)には、中央と東西それぞれの両端から三間目の位置に九級の⑦石階が三つあります。

 この基壇の上に建つ建物の大きさはどうでしょうか。前面に⑧廂の柱が十二本ありますので、柱間は十一間になります。また、内部にも⑨母屋の柱が一部見えますので、廂が母屋の周囲にあると想定できますね。そうしますと母屋は桁行九間、梁行は二間が普通でしたので、九間四面の母屋に廂が四周についた大きさとなります。母屋と廂には段差はありません。南面(前面)には格子などはなく開放されていて、東西両側面に⑩妻戸を設けるほかは、⑪白壁でした。⑫簀子の端には、⑬高欄が廻っています。

 屋根は緑釉(りょくゆう)瓦葺の入母屋造で、大棟(おおむね。屋根の頂部)両端に金色の鴟尾(しび)がおかれました。絵巻では柱上で軒を支える⑭斗栱が見えます。

 大極殿の東西両脇には、それぞれ⑮軒廊が接して、他の建物に続いていました。なお、現在の京都の平安神宮には、当時の3分の2の大きさで再現された大極殿がありますので、実際に見てみてください。

御斎会とは 次に御斎会について確認しましょう。この法会は、1月8日から14日までの7日間、大極殿を中心として行われた、最も重要な国家的仏教行事でした。高僧たちを招き、昼に『金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)』を講読させ、夜には吉祥天(きっしょうてん)を本尊として犯した罪を懺悔する「吉祥天悔過(けか)」を行い、国家安泰と五穀豊穣を祈願しました。この法会に天皇は欠席することもありますが、東宮を始めとして公卿が参列し、殿上人やそれ以下の諸司の官人たちも運営に奉仕します。まさに国家的行事でした。

御斎会の室礼 それでは、描かれた御斎会の様子を見ていきましょう。この場面は、講読か悔過か、どちらになりますか。[ア]下官たちの持つのがⒶ松明で、途中で巻き止めたⒷ幔にそのⒸ煙が見えますので夜のことになり、吉祥天悔過の折になりますね。

 前庭では四人の[イ]舞人による舞楽が奉納されていて、その両側に何かが置かれています。これは山城国(今の京都府)から貢納されたⒹ稲束になります。これで五穀豊穣祈願を意味したわけです。⑦石階の間にあるのは、Ⓔ香水の瓶を入れたⒻ三脚の結び台です。その奥の基壇上には、一双のⒼ棚を据え、Ⓗ五穀を盛った鉢を載せています。西から二間目にはⒾ鐘が吊るされて、儀式の進行に応じて鳴らされました。

 母屋には、線描では分かりにくいのですが、二つの高座が見えます。東側が経題・経文を読みあげるⒿ読師の座、西側が経文を講義するⓀ講師の座になり、講読で使用されました。今は悔過の折ですので、僧侶は坐ってはいません。

舞楽 次は舞楽の様子です。[イ]舞人は鳥兜をかぶり、袍の右肩を脱いでいますので、皇帝の繁栄を寿ぐ「万歳楽(まんざいらく)」という曲を舞っていることになります。舞楽は制度的に左方の唐楽(とうがく。中国経由の楽舞)と、右方の高麗楽(こまがく。朝鮮半島経由の楽舞)に分けられ、演奏法や楽器編成、あるいは装束の色(唐楽は赤系統、高麗楽は青系統)なども違っていました。「万歳楽」は左方唐楽の曲になります。

 舞人の手前に二つ並んでいるのは⑯幄舎で、東側が唐楽、西側が高麗楽の楽人が控えて音楽を奏しました。舞楽の様子は、竟日を飾る最終の曲ではないかともされています。

参集した人々 最後に触れなかった人々を見ておきましょう。舞人の両側で、Ⓛ笏を持ってⓂ胡床に坐っているのは、Ⓝ緌にⓄ太刀が見えますので[ウ]近衛府の武官でしょう。大極殿東側に束帯姿で座しているのは[エ]公卿たちです。右端の人の横に見える四角いものは、Ⓟ茵と思われます。西側の簀子には襟を立てた(僧綱襟。そうごうえり)[オ]僧侶たちが座しています。

 さらに西の⑮軒廊にも老若の人々がいますが、貴族でも僧侶でもないようですね。頭部を見てください。冠物がなく、垂髪を束ねただけです。この姿は牛飼童にも見られますが、それとは違います。この人々は参列した僧侶に従う召使の[カ]童子や[キ]大童子になります。年をとっても童子の姿でいる者を大童子といいました。実は、この童子たちの姿が表情豊かで興味深いのですが、今回は事情があって、そこまで線描していません。

 しかし、この人々と同様に面白いのが、西の⑦石階のところで何かを運んでいる[ク]下官を描いていることです。これは多分Ⓠ松明の束を運んでいるのでしょう。殿上には、Ⓡ松明の燃えカスも描かれています。『年中行事絵巻』は、荘厳な御斎会の様子を活写しながら、こうした人物を点描するところに味わいがあるのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回から新たに、絵巻を通して、平安京の大内裏や内裏で行われた儀式・行事を見ていくシリーズが始まりました。
 今回は、高校教科書ではしばしば『大鏡』の花山天皇による「肝試し」の逸話で、藤原道長が行くことになった場所として知られる「大極殿」を取り上げました。なお、「大極殿」の絵は、『全訳読解古語辞典〔第四版〕』1020pでも、キャプション付きでご覧になれます。
 次回は、御斎会最終日の内論義の場面を取り上げ、内裏の清涼殿の建物内部を詳細に見ていきます。お楽しみに。

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全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第38回 『源氏物語』「東屋(二)」段の「三条の浮舟の家に訪れた薫」を読み解く

2015年 6月 20日 土曜日 筆者: 倉田 実

第38回 『源氏物語』「東屋(二)」段の「三条の浮舟の家に訪れた薫」を読み解く

場面:薫が浮舟の住む小家に訪れたところ
場所:三条にある、粗末な小家
時節:薫26歳の九月十二日の雨夜

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人物:[ア]権大納言兼右大将の烏帽子直衣姿の薫 [イ]袿姿の浮舟(父・八宮、母・中将の君)、21歳前後 [ウ]袿姿の弁の尼 [エ]袿姿の浮舟の乳母か [オ][カ]袿姿の女房
建物:①簀子 ②羅文(らもん) ③透垣(すいがい)④上長押 ⑤・⑫・⑰下長押 ⑥・⑧遣戸 ⑦引き違い式障子 ⑨母屋の御簾(伊予簾) ⑩妻戸 ⑪妻戸の御簾(伊予簾) ⑬・⑱廂 ⑭母屋 ⑮野筋 ⑯紗の帷子(しゃのかたびら)の三尺几帳 ⑲高灯台 ⑳鴨居 押障子 高麗縁の畳 
室外:Ⓐ妻折傘(つまおれがさ) Ⓑ烏帽子 Ⓒ直衣 Ⓓ指貫 Ⓔ蝙蝠扇(かわほりおうぎ) Ⓕ薄 Ⓖ女郎花(おみなえし) Ⓗ紫苑(しおん)

絵巻の場面 この場面は、[ア]薫が浮舟の隠れ住んでいる三条の小家を訪ねたところを描いています。薫は、仲介者として弁の尼をあらかじめ遣わしていて、亡き大君の面影を宿す異母妹の浮舟を迎えたいとの意向を伝えさせていました。そして、浮舟を宇治に住まわせようとして自ら訪れてきたのです。浮舟側では突然の薫の訪問に驚き、どのように対応してよいのか困惑して、薫を外で待たせてしまいます。そこで薫は、早く室内に入れてもらいたい意を込めて歌を詠みます。絵巻では、このあたりのことが描かれています。

『源氏物語』の本文 それでは、この場面に相当する物語本文を確認しておきましょう。

 雨やや降りくれば、空はいと暗し。(略)「佐野のわたりに家もあらなくに」など口ずさびて、里びたる簀子の端つ方にゐたまへり。
  さしとむる葎(むぐら)や繁き東屋のあまりほどふる雨そそきかな
とうち払ひたまへる追風、いとかたはなるまで、東国(あづま)の里人も驚きぬべし。
【訳】 雨がだんだん強く降ってくるので、空は実に暗い。(略)薫は「佐野のわたりに家もあらなくに」なとど口ずさんで、田舎じみた簀子の端の方に坐っておられる。
  戸口を閉ざす葎が繁っているのか、東屋の軒先にひどく落ちる雨だれのもとで、あまりにも長く待たされることよ。
と雫をお払いになると香が風にのって、異様なまでに匂い漂い、東国の田舎人も驚いたに違いない。

 薫が口ずさんだのは「苦しくも降り来る雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」(万葉集)という歌の下句で、それによって、上一、二句の意を響かせます。歌にある「東屋」は、屋根を四方に葺き下した粗末な家のことで、東国育ちの浮舟やここの小家をよそえています。また、歌句の「東屋」「あまり(軒の意)」「雨そそき」は、催馬楽(さいばら)と呼ぶ歌謡の「東屋」という曲にある歌詞になります。この曲は男が戸を開けてといい、女が戸を開いて来なさいとする、男女のかけあいになっています。薫の心情に即していましょう。なお、画面では、中央下のⒶ妻折傘によって雨があったことを示しています。本文では、雨は降っていますが、薫を描くためにやんでいるようにしたのでしょう。

あやしき小家 物語では、上記本文以前に、浮舟のいる家を「あやしき小家」と語っていますので、まずはどのように粗末なのかを確認することにしましょう。これまで見てきた寝殿造とは違っている点が四ヵ所ほどありますので、探してみてください。一つ目は、①簀子です。高欄がありませんね。「鈴虫(一)」段の六条院念誦堂と「橋姫」段の宇治八宮邸にもありませんでしたが、それは御堂であり、山荘だからでした。ここは他の点とかかわって、粗末な造りとなりましょう。二つ目は、簀子の手前に、②羅文の付いた③透垣があることです。これも寝殿や対の屋にあまり設けません。三つ目は、④上長押と⑤下長押の間が格子ではなく⑥遣戸になっていることです。外部との隔ては格子が普通でした。また、室内の開いた⑦引き違い式障子の奥にも⑧遣戸が見えます。こちらは障子が本来でした。障子に比べて遣戸は、格が劣るのです。四つ目は、窠文(かもん)の付く縁取りのない簡素な伊予簾が使用されています。⑨「母屋の御簾」と、⑩妻戸に下されている⑪「妻戸の御簾」は、共に伊予簾になります。こうした建具などで「あやしき小家」であることを示しているのです。

室内の構造 さらに室内の様子を確認しましょう。画面左に⑫下長押の段差が見えますので、この右側が⑬廂、左側が一段高い⑭母屋になります。母屋には、⑮野筋の下がる、透き通って薄い⑯紗の帷子の三尺几帳が置かれています。几帳のもとにも⑰下長押が見え、その上部も⑱廂になります。この境にあるのが先に見た⑨伊予簾でした。こちらの廂には火のともる⑲高灯台が描かれて、夜の時間であることを示しています。この⑱廂は⑧遣戸で区切られ、⑦引き違い式障子の向こう側の一角は、⑩妻戸に面した「隅の間(妻戸の間)」になります。妻戸は片方だけ開いています。大和絵の描かれた⑦障子の⑳鴨居の上には、押障子の下端が見えます。母屋や廂には高麗縁の畳が敷かれていますね。

薫の姿勢 次に室外の[ア]薫の様子を見てみましょう。Ⓑ烏帽子にⒸ直衣姿で、Ⓓ指貫が①簀子から垂れるように坐っています。絵巻製作途中に、左手をつくように描き改められたようで、原画ではその部分が後に剥落した様子が分かります。この姿勢や、右手に所在なく持つⒺ蝙蝠扇などで、待ちくたびれた様子を表現しているのでしょう。庭先には、秋草のⒻ薄・Ⓖ女郎花・Ⓗ紫苑などが見え、これは薫の歌に詠まれた葎(雑草の総称)になると思われます。歌は、待たされる不満を言うことで、早く中に入れてほしいと言うわけでした。

浮舟の姿勢 今度は室内の人物たちが誰になるかを確認しましょう。⑭母屋にいるのが[イ]浮舟です。この後ろ姿は、「東屋(一)」段の中君に似ています。浮舟は、ひれ伏しているとする見方がありますが、どうでしょうか。うつむきかげんで、頭部を傾けた姿勢のようですので、薫の申し出に困惑した様子を表現しているのは確かでしょう。

女房たちの比定 さらに人物たちを考えます。薫に先行して来ていた弁の尼は、どの人でしょうか。近年では[エ]がそうだとされ、[ウ]は乳母と見られています。しかし、ここは「早蕨」段で描かれた鼻の突き出た面長の顔と同じ[ウ]が弁の尼になると思われます。ただ、髪がやや長めなのが気になりますが。弁の尼は、浮舟に薫と会うように勧めていることになります。そうしますと、[オ]が成り行きを案じる乳母になるでしょう。[ウ]としますと、他の女房の顔が引目鉤鼻なのに、乳母だけがこの容貌ではおかしくなります。また、[エ]は薫の歌を伝える女房になると思われます。開いた⑩妻戸で薫の歌を聞き、⑦障子を開けて伝えに来たことになります。この後、薫は室内に入り、浮舟と契ります。そして、翌朝、宇治に連れていくことになるのです。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。画面右側は室外となり、①簀子や④上長押の線が斜めに配置されて安定感に欠ける構図となっています。薫の姿勢も、そっくりかえっているように見えますね。早く室内に入り、浮舟に逢いたいと思う薫の焦燥感を表しているのでしょう。画面左側の室内は、上部が水平、下部が斜めの構図になっています。その斜めの構図に浮舟が配されて、今後を思い悩む姿を暗示しているようです。

 薫は上方から見下ろすように描かれていますが、庭の草花はそれより低い視点で捉えられています。また、左側の室内は、①簀子よりも低くなっているように見えます。さらに薫の大きさに比べて、室内の人物は小さくなっています。これは多様な視点でしか捉えられない光景を、一画面に構成するための無理が生じた構図と言えましょう。絵巻の画面はカメラで写されたような写実的な光景ではないわけでした。

 今回で『源氏物語絵巻』は終わりです。さらに他の絵巻を最初の頃のように見ていくことになります。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
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■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第37回『源氏物語』「東屋(一)」段の「物語絵を見る」を読み解く

2015年 5月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第37回 『源氏物語』「東屋(一)」段の「物語絵を見る」を読み解く

場面:中君のもとで浮舟が物語を楽しむところ
場所:二条院の西の対
時節:薫26歳の八月の夜

人物:[ア]浮舟(父・八宮、母・中将の君、中君の異母妹)、21歳前後 [イ]袿姿の中君(父・八宮、母・故北の方、匂宮の妻)、26歳 [ウ]袿姿の中君の女房 [エ]表着姿の中君の女房(右近) [オ][カ]表着に裳姿の中君の女房
室内:①・④冊子の絵 ②褥(しとね) ③櫛 ⑤巻物 ⑥下書きの灯台跡 ⑦冊子 ⑧裳紐 ⑨裳 ⑩上長押 ⑪・⑳・柱 ⑫帽額 ⑬巻き上げた御簾 ⑭母屋 ⑮西廂 ⑯下長押 ⑰高麗縁の畳 ⑱五幅四尺の美麗几帳 ⑲野筋 開いた障子 障子 敷居 繧繝縁の畳 

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絵巻の場面 この場面は、画面左上の物語最後の女主人公[ア]浮舟が①冊子の絵を見ているところが描かれています。最初にこの直前の物語を確認しておきましょう。浮舟は婚約を破棄されたうえに、婚約者が異父妹と結婚することになります。後妻となっていた母は浮舟を哀れに思って、二条院の中君に預けます。しかし、浮舟は、中君が泔(ゆする。洗髪)の最中に訪れた匂宮に見つかり、強引に迫られますが、母明石中宮の急な病気ということで見舞に行くことになり、危うく難を逃れます。それを知った中君が浮舟を慰めようと自分の居室に招きます。親しく言葉を交わして、絵を見せようとしたのがこの場面になります。

『源氏物語』の本文 それでは、この場面に相当する物語本文を確認しておきましょう。

 いと多かる御髪なれば、とみにもえほしやらず、起きゐたまへるも苦し。白き御衣一襲ばかりにておはする、細やかにをかしげなり。(中略)
 絵など取り出でさせて、右近に言葉読ませて見たまふに、向ひてもの恥ぢもえしあへたまはず、心に入れて見たまへる灯影、さらにここと見ゆるところなく、こまかにをかしげなり。
【訳】 中君はまことに豊かな御髪なので、すぐにも乾かしきることもできず、起きてお座わりなさるのも難儀である。白い御衣一襲ばかりを着ておられるお姿は、ほっそりと美しい。(中略)
 絵などを持って来させて、右近に文章を読ませてご覧になると、浮舟は絵に向かって、恥じらってはおられずに、熱心に見入っておいでになる灯影のお姿は、さらにここがと見える欠点もなく、こまやかに美しい。

 引用前半は中君、後半は浮舟の様子ですので、それぞれを見ていきましょう。

髪を梳かせる中君 髪を梳かせている後姿が[イ]中君です。洗髪が終わったばかりですので白の袿を着ただけの姿になっていて、髪はまだ乾ききっていません。豊かな髪の裾が置かれているのは、袴ではなく、汚れを防ぐための②褥(敷物)でしょう。その上に髪はきちんと置かれています。当時の長い髪の洗髪は一日がかりでした。風呂場はありませんでしたので、湯殿(ゆどの)を設えて、髪は泔と呼ぶ米のとぎ汁などで洗いました。洗髪のことも泔と言うのはここからきています。その後は、本人は横になり、台になる物の上に髪を引き伸ばし、布でふき取り、火で乾かします。洗い、乾かすのに時間がかかり、さぞかし大変だったことでしょう。疲れて気分が悪くなることもありました。この場面の中君もそうでしたが、今は[ウ]女房に③櫛で梳いてもらい、髪をまっすぐにさせています。この女房も中君と同じような袿姿でいるのは、洗髪に奉仕していることを示しているようです。

絵に見入る浮舟 絵に見入っているのが[ア]浮舟で、その前には、①冊子の絵が広げられ、頁をめくるために左手が添えられています。この他にも④冊子が二冊あり、剥落してはっきりしませんが、⑤巻物も置かれています。彩色された絵は高価な貴重品でしたので、東国育ちの浮舟には、珍しかったと思われます。だから熱心に見入っています。なお、物語本文で浮舟の灯影の美しさが語られているように、本来は灯台も描かれるはずでしたが、場面構成上からか描かれませんでした。しかし、画面が剥落したために⑥下書きの灯台跡が見えています。

物語を読み聞かせる右近 浮舟は絵を見ていますが、話の詞書はどうなっているのでしょう。その詞書が、浮舟の手前にいる[エ]女房が両手で保持している⑦冊子になります。この女房が本文にありました右近で、冊子には文字だけが書かれていることが分かりますね。女房が詞書を読み聞かせ、姫君がその絵を見て楽しむのです。これが当時の貴族たちの物語鑑賞の実態を示すものとして有名です。

右端の二人の女房 続いて右端の[オ][カ]二人の女房を見ておきましょう。衣装は[エ]の女房と違っているようですので、洗髪には奉仕しない上臈(じょうろう)なのでしょう。[オ]の女房は⑧裳紐を見せて、⑨裳を着けており、正装です。[カ]の女房も同じ姿と思われます。この二人のことはあとで触れますので、これだけにしておきます。

室内 次に建物を確認します。画面左上角の⑩上長押に接する⑪柱には障子がなく、二間分以上続くことになります。そうしますと、⑫帽額の下まで⑬巻き上げた御簾の側が⑭母屋で、浮舟の座る側が⑮廂(西廂。後述)でしょう。母屋と廂の間に⑯下長押がありますが、ここでは段差になっていません。段差は身分の上下とかかわりますが、それをなくすことで異母姉妹の親密な関係を表わそうとしたのかもしれません。二人は⑰高麗縁の畳に座っています。画面中央には、⑱五幅四尺の美麗几帳があり、⑲野筋が絡まっていますが、「宿木(二)」段にもありますので、画面が単調になるのを防いでいるのだと思われます。

開いた障子の奥 さらに、画面中央上部を見ましょう。⑳柱間にある開いた障子の右側と奥に、さらに障子が見えます。いずれも敷居が見え、大和絵の同じ図柄になっています。開いた障子の奥は、対の屋では北側に置かれる塗籠となるはずの部屋なのでしょう。そうしますと、浮舟は⑮西廂にいることになります。

 奥の部屋には繧繝縁の畳が敷かれています。この畳は天皇・上皇・親王用ですので、匂宮用となります。ここを匂宮の寝室とする説がありますが、寝殿にあったとすべきでしょう。障子は開けられたままなのは、匂宮が通ったことを暗示しているのではないでしょうか。匂宮は浮舟に迫りましたが、母の病気の知らせで見舞に行くことになったのでした。繧繝縁の畳と開いた障子で、匂宮とかかわった過去の時間を表現したと言えそうです。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。画面は、右側の[オ][カ]二人の女房、中央部の障子と⑱几帳、左側の[ア]浮舟や[イ]中君たちというように三つに区画できます。左側は斜めの構図になっていて安定感に欠けます。これは、自邸にもいられず、画面中央で暗示されたように、中君邸でも匂宮に迫られるという浮舟の不安定な境遇を暗示するのかもしれません。しかし、今は中君のもとで熱心に絵を見て慰められています。

 それでは、画面右側の[オ][カ]二人の女房はどう考えたらいいのでしょう。この二人の顔の向きや角度などは、浮舟と[エ]右近の二人ととてもよく似ていますね。似ていることを根拠として、浮舟は女房とよく似た境遇であることを示しているとする説があります。この顔の向きなどは、他の場面にも認められますので、パターン化された図柄のようですが、皆さんは、どう判断されますか。これは、絵はなくとも、浮舟と同じように物語に聞き入る姿勢となりますので、物語の興味深さをこの女房を描くことで補強しているのではないでしょうか。絵巻物は、まさに物語と絵です。絵師たちは、自分たちの存在証明とするかのように、こうした構図にしたのだと思われます。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。今回の場面では、「詞書を傍らで読むのを聞きながら絵を見る」という、いうなれば絵解き式のような、昔の物語の鑑賞方法を垣間見ることができました。次回は、「東屋」という巻名にも関わる場面、「東屋(二)」を取り上げます。ご期待ください。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
このたび大改訂した学習用古語辞典のベストセラー『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と、絵解き式のキャプションが採用されています。

 

 

 

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