絵巻で見る 平安時代の暮らし 第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

2016年 8月 20日 土曜日 筆者: 倉田 実

第52回 『年中行事絵巻』巻六「中宮大饗」を読み解く

場面:中宮大饗で饗宴をするところ
場所:平安京内裏の玄輝門の西廊北面
時節:1月2日の夜

(画像はクリックで拡大)

建物:Ⓐ玄輝門(げんきもん) Ⓑ檜皮葺の屋根 Ⓒ腰屋根 Ⓓ半蔀(はじとみ) Ⓔ回廊 Ⓕ築地 Ⓖ徽安門(きあんもん) Ⓗ四間二面の幄舎 Ⓘ二間二面の幄舎
室礼・装束:①軟障(ぜじょう) ②灯炉(とうろ) ③・⑪打敷 ④・⑤台盤 ⑥・⑦兀子(ごっし) ⑧長床子(ながしょうじ) ⑨御簾 ⑩几帳の裾 ⑫・⑬幔 ⑭大釜 ⑮火炉(かろ) ⑯案(あん) ⑰水注(すいちゅう) ⑱大皿 ⑲机 ⑳山盛りの飯 小皿 笏 太刀 下襲(したがさね)の裾 靴(かのくつ) 浅沓 松明 紐か 松明の束 弓 弦巻 壷胡簶(つぼやなぐい) 尻鞘(しりさや)の太刀 緌(おいかけ)の冠
人物:[ア]・[セ]童 [イ]・[ウ]束帯姿の公卿 [エ]束帯姿の四位の殿上人 [オ]束帯姿の五位の殿上人 [カ]下級官人 [キ]褐衣姿の下人(かちえすがたのしもびと) [ク]額烏帽子の童 [ケ]白張姿の下人 [コ]水干姿 [サ]・[シ]随身  [ス]狩衣姿の男  [ソ]束帯姿の六位か [タ]冠直衣姿 [チ]狩衣姿 [ツ]女性 

絵巻の場面 今回は『年中行事絵巻』の新年恒例の儀式「中宮大饗」の場面を読み解きます。新年二日に群臣たちが、中宮(皇后)と東宮に拝礼して、饗宴と禄を賜わる儀式を「二宮大饗」と呼び、それぞれ「中宮大饗」「東宮大饗」とされました。この場合の「中宮」は、皇后・皇太后・太皇太后などになりますが、多くは皇后か母后のいずれか一人が主催しましました。群臣たちが「中宮」の御所で拝礼した後、内裏内郭(後述)の北面中央の正門となりますⒶ玄輝門(玄暉門・玄亀門とも)北側に移動して、その西の回廊などで饗宴を行うのが、今回の場面になります。したがって、絵巻の画面は北から南を眺めた構図になり、右が西、左が東になります。時間は、松明が描かれていますので、夜になっていますね。なお、東宮大饗は中宮大饗の後、玄輝門の東回廊で行われます。

玄輝門 最初にⒶ玄輝門について見ておきましょう。この門については、第42回で扱っていて、そこでは南側が描かれていました。今回は、北側となります。Ⓑ檜皮葺の屋根から分かりますように三間の門になり、通行できるのは中央一間分で、絵では[ア]童が追い出されて手前に走って来る所になります。その両側はⒸ腰屋根のつく部屋が張り出しています。格子状になっているのは、Ⓓ半蔀です。ここは内裏中郭(内側の囲いと外側の囲いの間)を守る左右兵衛府の佐(すけ。次官)の宿所に充てられます。反対側の南面は、内郭(内側の囲いの中)を守る近衛府の次将や将監(三等官)の宿所になります。

回廊と徽安門 門の東西は複廊のⒺ回廊になり、中央のⒻ築地の仕切りによって、内外二つの石壇の通路に分かれます。画面上部が外側になり、右上に見える扉は、築地に開けられたⒼ徽安門と呼ぶ玄輝門の掖門(えきもん。脇の小門)です。玄輝門東側にも、徽安門に対して安喜門と呼ぶ掖門がありました。それぞれ一間分の小門です。

宴席の室礼 それでは饗宴の室礼を見てみましょう。大和絵が描かれた①軟障が回廊中央のⒻ築地に沿って張り巡らされ、宴席としています。各軟障の間には、照明のために垂木(たるき)に懸けて下げられた②灯炉が見えます。③打敷(敷物)の上にはテーブルとなる④⑤台盤と腰掛けとなる⑥⑦兀子や⑧長床子が置かれています。宴席の左方の部屋からは、⑨御簾が下ろされ、⑩几帳の裾が押し出されています。ここには中宮の代わりとして内侍が控え、宴の終わりに官人たちに禄を下賜しました。御簾の右方に方形の⑪打敷が置かれているのは、ここで戴くためです。

 庭にも大饗のための用意がされています。玄輝門の右手前には⑫幔が引かれ、Ⓗ四間二面の幄舎(後述)の右側にも⑬幔が張られました。玄輝門西側の庭の一画が区画されたのです。この幄舎に並んで、Ⓘ二間二面の幄舎も張られています。ここは酒部所(さかべどころ)で、お燗するための⑭大釜が見えますね。釜は⑮火炉と呼ぶ囲炉裏のようなものに据えられています。その右方の⑯案(台)の上には、酒瓶となる⑰水注や⑱大皿などが並んでいます。

宴席の席次 貴族社会は身分社会ですので、宴席でも席次の違いが視覚化されていました。身分によって座が違うのです。お分かりでしょうか。衣装に違いはありませんが、台盤と、腰掛けが違っていますね。[イ]左端の人の④台盤は小さめで、⑥兀子は原画では坐る面に朱色の文様があります。その右横には長い⑤台盤があり、手前に四脚見える⑦兀子は彩色されていません。さらにその右横は、台盤は同じですが、⑧長床子になっています。ここだけで、三ランクあることが分かりますね。左端(東)が上座で、兀子は参議(宰相)以上が使用しますので、これに坐るのは三位以上の[イ] [ウ]公卿(上達部)たち、長床子は[エ]四位の殿上人となります。ただし、四位はⒼ徽安門西側に坐ったようですが、絵ではそこに宴席は描かれていません。どうしたことでしょうか。さらに宴席は、先のⒽ四間二面の幄舎も使用されました。⑲机が六脚ほど並べられ、ここには[オ]五位の殿上人が坐ることになっていました。回廊に坐るのと随分差がありますね。なお、宴は進行しており、⑤台盤の上には、⑳山盛りの飯や小皿が並べられています。

参集した人々 続いて人々の様子を見ていきましょう。[イ] [ウ] [エ] [オ]宴席の官人たちは束帯姿で、笏を持ち、帯剣し、下襲の裾を引き、靴を履き、向かい合って坐っています。唱平(しょうへい)といって、杯を勧めて相手の長寿を祝うのが作法でした。

 庭の中央には浅沓を履いた[カ]下級官人や裸足で[キ]褐衣姿の下人たちが松明を持って照明しています。[ク]額烏帽子の童が、新しい松明を手渡していますね。右手の下に見えるのは、束ねていた紐でしょうか。松明は長く持ちませんので、玄輝門手前には、[ケ]白張姿(白布の狩衣)の男に連れられて、[コ]水干姿の男が松明の束を背負って補充しに来る様子が描かれています。リアルですね。

 ⑫幔の右側にいるのは[サ]随身たちです。弓を持ち、弦巻をさげ、壷胡簶を背負い、太刀は尻鞘に入れられ、緌のついた冠で、武官姿です。そのうちの[シ]一人が走っていますが、これは、中に入ろうとした[ス]狩衣姿の男や[セ]童を幔の外に追い払っている様子でしょう。

 幔の左側にいる人々は見物人たちです。様々な姿で興味深そうに覗いていたり、見に来たりしています。その中に、[ソ]束帯姿が見えますが、大饗に参加できない六位になるでしょうか。この他に[タ]冠直衣姿や[チ]狩衣姿、あるいは[ツ]女性や、割愛した部分には女童たちも描かれています。原画では様々に色分けされていますので、是非ご覧になってください。

貴族の行事と京の住人 画面左側に描かれた人々は、下級官人や京の住人たちになります。内裏には内郭までは入れなかったでしょうが、中郭までは自由に通行できたようです。現在の皇居や御所の警備の厳しさでは考えられないほど、当時の内裏は開放的だったのです。だから、何かの儀式や行事があると、見物に訪れたのです。このことによって『年中行事絵巻』は、貴族の行事を描きながら、多様な京の住人たちの様子が描かれることとなったわけです。「中宮大饗」一つを取っても、こんな人々の様子まで生き生きと描かれるところに、この絵巻の面白さと価値があるのです。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も『年中行事絵巻』が続きます。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

2016年 7月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第51回『年中行事絵巻』巻四「射遺」を読み解く

場面:射遺(いのこし)をするところ
場所:平安京内裏南面の建礼門の門前
時節:1月18日

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建物:Ⓐ建礼門(けんれいもん)、Ⓑ幄舎(あくしゃ)、Ⓒ三級の石階、Ⓓ基壇、Ⓔ檜皮葺の廂屋根、Ⓕ壁、Ⓖ扉、Ⓗ瓦、Ⓘ築地、Ⓙ溝、Ⓚ仗舎(じょうしゃ)、Ⓛ妻戸、Ⓜ連子(れんじ)、Ⓝ白壁、Ⓞ檜皮葺、Ⓟ棟瓦、Ⓠ幔、Ⓡ幕、
室礼・装束:①筵(むしろ)、②半畳(はんじょう)、③台盤、④下襲の裾、⑤石帯、⑥・⑬矢、⑦鼓(こ)、⑧鉦鼓(しょうこ)、⑨丸い的(まと)、⑩候(こう)、⑪太刀、⑫弓、⑭弦巻(つるまき)、⑮鞆(とも)、⑯鞭(むち)、⑰烏帽子、⑱浅靴、⑲足駄
人物:[ア]・[イ]殿上人か、[ウ]・[エ]・[オ] 公卿か、[カ]・[キ]・[ク] 弁と少納言か、[ケ]・ [コ]射手、[サ][シ]衛府の下級官人

射遺とは 前回は射遺の為に公卿が参内する場面を扱いましたので、今回は射遺そのものを見ることにします。射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった六衛府の武官が、改めて射る儀式でした。いずれも、内裏の南正門となる建礼門の南面で行われました。したがって、射礼と同じ次第になりますが、それよりは簡略化されていました。公卿の中から参議一人だけが遣わされて儀式に当たり、観覧・饗饌に使用される幄舎(テント)は諸大夫(四位・五位の官人)用が撤去され、左右の陣(陣営)も置かれませんでした。

絵巻の場面 それでは絵巻の場面を確認しましょう。南から北を見る構図になっていて、画面右に見えるのがⒶ建礼門です。その奥の内側にはさらに承明門があって紫宸殿の南庭になりますね。

 建礼門の門前は、広くとられて大庭(おおば)と言われることもあります。ここにⒷ幄舎が置かれ、西側が弓場(ゆば)として使用されました。建礼門の門前が儀式の場とされたのです。

建礼門 さらに建礼門を詳しく見ましょう。建礼門はⒸ三級の石階のあるⒹ基壇の上に建っています。見えている屋根はⒺ檜皮葺の廂屋根で、この奥に瓦葺の屋根がありました。大きさは、右端をカットしましましたが、原画では五間三戸に描かれています。線描では、左端のⒻ壁とⒼ扉が二つ見えますね。

 建礼門の両側はⒽ瓦を載せた高いⒾ築地になっていて内裏を区画しています。手前の地面に見えるのは、雨水を流すⒿ溝です。築地に直角に建てられているのは、内裏の外側を守備する右衛門府の守衛所となるⓀ仗舎です。門の右側(東側)には、左衛門府用のものがありました。共に内側中央部がⓁ妻戸になっていて、その両側の上部は格子状の窓となるⓂ連子(檑子とも)になっています。ただし、北側は絵師が描き忘れたのか、格子状になっていませんね。これら以外は、Ⓝ白壁となります。屋根はⓄ檜皮葺で、Ⓟ棟瓦が載っています。なお、建礼門については、次回にも扱う予定でいますので、再度触れたいと思っています。

幄舎 続いてⒷ幄舎の様子です。

 回りをⓆ幔で囲った、七間もある大きな幄舎が立てられています。Ⓡ幕が結び上げられていますので、内部の観覧席を兼ねた宴席の様子が分かります。地面に①筵を敷き、②半畳を重ねて、広い③台盤が置かれています。その上には、料理が並べられていて、すでに宴は始まっています。弓を射る儀式ですが、内裏で行われる場合は、饗饌(きょうせん)が欠かせないのです。

 貴族は身分社会ですので、この場でも席次が決められていました。前日の射礼の席次では、西側(左側)が上座とされました。席は西三間で東西に分かれ、西側の南面する上席に親王、向かい合って北面するのが公卿とされました。その東側の三間分には衛府の佐(すけ。二等官)が北、太政官の弁と少納言(三等官)が南に坐ります。さらに、右端一間分には、外記(げき)・史(さかん。共に四等官)が西面しました。

 しかし、この射遺の場面では、そのようには坐っていないようです。何よりも北側に坐っている[ア][イ]二人の場所は、衛府の佐の席になりますが、武官姿ではありません。殿上人のようです。射遺は略儀ですので、射礼とは変わっていたのかもしれません。なお、この二人の西側の上席は空席になっていますので、親王の臨席がなかったことになるようです。

 幄舎に坐る人たちは、④下襲の裾を引いた束帯姿ですが、この日らしい物を身に付けています。画面では見にくいのですが、⑤石帯に⑥矢を挟んでいるのです。これで射遺に参加していることを示しているわけです。

 左側の[ウ][エ][オ]三人は公卿のようで、横向きに視線を外に向けています。後で確認しますが、見物人たちが追い払われているのを見ているのかもしれません。北側の[ア][イ] と手前の[カ] [キ][ク]五人は、何やら話に興じているようにも見えます。絵巻はリアルにこの場を表現していますね。

弓場(ゆば) 次に弓を射る場、弓場を見ましょう。画面下に端だけ見えるのは、太鼓の類の、⑦鼓と⑧鉦鼓で、合図として鳴らされます。古代では太鼓の類は、戦乱の際の合図となりますので、「軍器」とされていました。

 射る場所は決められていて、射手は牛皮などを敷いた射席(いむしろ)に立ちますが、原画では描かれていません。射席から36歩の所に⑨丸い的を掛けた⑩候が置かれます。20㍍を超えるほどの距離になりますね。的は木製で大きさは二尺五寸(75㌢位)と定められ、候は木枠に鹿皮が張られました。線描では省略しましたが、候の後ろ3㍍ほどの所に山形(やまがた)と呼ばれた流れ矢を防ぐものが置かれました。これらはそれぞれ南北に二か所ずつ設けられ、六衛府に割り当てられました。

射手 射手は、北側が左近衛・右近衛・左兵衛、南側が右兵衛・左衛門・右衛門の順になり、それぞれ番(つが)われて射っていました。この画面では、どの衛府になるのかは分かりません。北側の[ケ]射手は腕がいいようで、一本目の矢が的の中央を射貫いていますね。二本目の矢は弓につがえられています。南側の[コ]射手は、まさに射ようとするところで、もう一本の矢を保持しています。

 射手は四等官の将漕(しょうそう)・志(さかん)たちになります。射礼や射遺では、⑪太刀を佩き、胡簶は背負わずに、⑫弓と⑬矢だけを持ったようです。腰には予備の弓弦を巻いた⑭弦巻が下げられます。左腕には、弦が手首を打つのを防ぐための革製の⑮鞆が巻かれています。

見物人たち 画面左上には、⑯鞭でもって見物人たちを追い払っている[サ][シ]衛府の下級官人が描かれています。物見高い京の住人たちは、儀式などがあれば、見物に訪れたのです。内裏の中は無理ですが、大内裏には自由に通行できたからです。ここは流れ矢の危険もあって追い立てているのでしょう。あわてた見物人たちは、逃げ惑っていて、地面にはその際に落ちた⑰烏帽子や、脱げた⑱浅靴や⑲足駄が転がっています。こんな光景をわざわざ描くのが、『年中行事絵巻』の面白さでした。

絵巻の意義 射遺は射手たちに禄が与えられて終了となります。そして、その後に内裏内の弓場において賭弓(のりゆみ)が行われました。『年中行事絵巻』はこの儀式も描いていて、第12回ですでに見ています。弓矢は、古代において最も重要な武器でした。ですから、弓を射ることは武力を誇示することであり、重要な儀式となったのです。現存する『年中行事絵巻』には射礼はありませんが、射遺から賭弓に続く一日の儀式が、こうして描かれていることは、とても意義深いのです。

※2017年2月22日に一部、修正を行いました。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
*本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、『年中行事絵巻』を取り上げます。どうぞお楽しみに。

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全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第50回『年中行事絵巻』巻四「射遺の参内」を読み解く

2016年 6月 18日 土曜日 筆者: 倉田 実

第50回『年中行事絵巻』巻四「射遺の参内」を読み解く

場面:射遺(いのこし)のために公卿が参内するところ
場所:平安京大内裏東側の待賢門(たいけんもん)付近
時節:1月18日

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建物:Ⓐ待賢門、Ⓑ柱、Ⓒ・Ⓜ白壁、Ⓓ戸、Ⓔ三級の石階、Ⓕ基壇、Ⓖ瓦葺き屋根、Ⓗ鴟尾(しび)、Ⓘ妻、Ⓙ三重虹梁蟇股(さんじゅうこうりょうかえるまた)、Ⓚ瓦、Ⓛ・Ⓞ・Ⓡ築地(ついじ)、Ⓝ大膳職(だいぜんしき)、Ⓟ四脚門(よつあしもん)、Ⓠ東雅院(とうがいん)、Ⓢ土門
地上・衣装:①大宮大路、②中御門(なかみかど)大路、③溝、④高欄、⑤橋、⑥物見、⑦檳榔毛車(びろうげのくるま)、⑧文(もん)の車、⑨牛、⑩轅(ながえ)、⑪飾り紐の付いた軛(くびき)、⑫榻(しじ)、⑬馬、⑭立烏帽子(たてえぼし)、⑮端折傘(つまおりがさ)を入れた袋、⑯置道(おきみち)、⑰・⑳太刀、⑱壷胡簶、⑲弓、桶、荷、揉(なえ)烏帽子、
人物: [ア] [サ]童、[イ]口取り、[ウ]牛飼童(うしかいわらわ)、[エ]傘持ち、[オ]上卿(しょうけい)の参議、[カ]随身、[キ]矢取り、[ク]沓(くつ)持ち、[ケ] 布衣小袴(ほいこばかま)姿の男、[コ] 壷装束の女性

絵巻の場面 今回と次回で『年中行事絵巻』の「射遺」を読み解くことにします。今回は、射遺のために公卿が参内する様子を描いた「射遺の参内」を見ます。

 射遺とは、前日に行われた射礼(じゃらい)と呼ぶ弓を射る儀式に参加できなかった武官が、改めて射る儀式です。実際に射る場面は次回になりますので、射遺や射礼の説明はそこですることにして、早速この場面を見ていくことにしましょう。

絵巻の場所 まず場所を確認します。画面中央に見える立派な門は、大内裏の東側に設けられた、宮城門の一つのⒶ待賢門になります。画面は南方向から描いていて、門の左側が大内裏の内側、右が外側になります。大内裏の外側(東側)は、南北に通る①大宮大路に面します。待賢門の東方向(画面右方向)は②中御門大路になりますので、この門を中御門とも言いました。

待賢門 それでは、待賢門を詳しく見てみましょう。門の大きさは、何間で幾つ戸(扉)があるかで表されます。待賢門はどうでしょうか。何間かは、右側のⒷ柱(原画では朱塗)を数えればいいわけでしたね。六本ありますので、五間の門となります。全面が戸でないことは、原画でⒸ白壁になっている所が北側に一間分見え、南側も同じことですので、Ⓓ戸は三つになります。そうしますと、五間三戸になり、大きな門と言えます。これだけの大きさですので、Ⓔ三級の石階が付いた、頑丈な石のⒻ基壇の上に建てられています。

 屋根はⒼ瓦葺きでⒽ鴟尾が置かれ、Ⓘ妻(側面)は、装飾的になっていて立派な門であることも分かります。屋根の下の妻は、Ⓙ三重虹梁蟇股式という複雑な構造になっています。虹梁は、化粧をした梁のことで、これが三重になっていて、その間に蟇股がある構造を言います。蟇股は上下二つの横木(ここでは虹梁)の間に置かれた部材で、上部の横木を受け、蛙が股を開いた形になりますので、こう言います。装飾用にもなりますね。画面では分かりにくいのですが、『信貴山縁起』「尼公の巻」にも待賢門が描かれていて、それを見ますと、この構造がよく分かります。ぜひご覧になってください。なお、待賢門は、『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸」、『平治物語絵詞』「信西巻」にも描かれています。

待賢門大路側 今度は、門の右側の大路側を見ましょう。Ⓔ三級の石階を上がろうとしている[ア]童の後ろ側は、雨水を流す③溝に架けられた、④高欄の付いた⑤橋になります。門の南北はⓀ瓦を載せたⓁ築地で、Ⓜ白壁で描かれています。

 築地の前には、牛車が描かれていますが、車種は二つになるのがお分かりでしょうか。右端の車には、車輪の上に⑥物見(窓)が見えていますが、左の二両には、ありませんね。物見のないのが屋形を檳榔という植物で編んだ⑦檳榔毛車、あるのが網代(あじろ)で覆った網代車の一種となる⑧文の車で、線描では省略しましたが、花の文様が描かれています。檳榔毛車が高い身分の人の乗る高級車とすれば、文の車は殿上人が常用する普及車と言えましょう。牛車も身分によって、車種が違っていたのです。今は、降車していますので、⑨牛は放たれて、長く伸びた⑩轅の先端の⑪飾り紐の付いた軛を、乗降時の踏み台となる⑫榻に置いています。

 牛車の回りでたむろしているのは、車に従う供人たちです。また、⑬馬を引く役の[イ]口取りもいます。これらの人たちの中で一人だけ姿が違う者がいますね。そう、牛を引いている者は⑭立烏帽子をかぶっていません。これは、牛を扱う[ウ]牛飼童と言い、成人しても童姿で狩衣を着ました。

 Ⓜ白壁際も見てみましょう。ここには、長い袋のような物を持っている人が何にもいますが、これは何でしょうか。本シリーズをご覧いただいている方は、見たことがありますね。これは長い柄の⑮端折傘を入れた袋で、第9回で扱いました。供人の[エ]傘持ちたちの姿が描かれているのです。

 さて、なぜここに牛車が置かれ、供人たちが待機しているのでしょう。それは、大内裏の中には、特別な勅許(牛車宣旨。ぎっしゃのせんじ)がないと牛車で通ることができなかったからです。ですから、ここで降車して大内裏に入ったのです。宣旨があって、乗車したまま門を通過する場合、ひどく揺れることは請け合いで、『枕草子』「正月一日は」段に、その様子が記されています。大臣や后妃などの高い身分の者で、輦車宣旨(てぐるまのせんじ)を受けている場合は、人力で引く輦車に乗り換えて、内裏の春華門(しゅんかもん)の外側まで行くことができました。

大内裏の内側 続いて、大内裏の内側に目を転じましょう。門から西に、少し高く、長く伸びた道が作られていますね。これを⑯置道と言い、勅使や上卿(しょうけい。儀式などを指揮する中納言以上の公卿。時に参議の場合も)だけが通ることができました。そうしますと、⑰帯剣した束帯姿の人は、射遺の[オ]上卿となる参議になります。

 上卿の後ろに従う者たちは置道を避けて両側を歩くことになります。すぐ後ろの二人は[カ]随身で、⑱壷胡簶を背負い、⑲弓を持ち、⑳帯剣しています。その後ろの二人は、[キ]矢取りと[ク]沓持ち役のようです。

 置道の手前に見える建物は、饗膳などを司るⓃ大膳職と呼ぶ役所です。Ⓞ築地に、北門となるⓅ四脚門(二本の主柱にそれぞれ二本の副柱がある門)が描かれています。

 置道の向こう側は、Ⓠ東雅院で、西雅院と並んでいました。Ⓡ築地と、その中にあけたⓈ土門が見えます。雅院は以前には前坊(東前坊・西前坊)と呼ばれ、平安時代初期には、東宮の居所となっていて、妃もここに局を置くことがありました。

 東雅院の前には、桶や荷を担いで揉烏帽子をかぶった[ケ]布衣小袴姿の男に犬が吠えかかっています。後ろの、頭に荷を載せた[コ]壷装束の女性は、連れ合いでしょうか、その様子を指差して笑っているようです。犬は男を怪しいと見たのでしょう。[サ]童二人が、犬を追い掛けてはしゃいでいますね。

画面の構図 射遺は、連続式絵巻で描かれています。画面右側には牛車や人々の待機する様子が描かれて、待賢門を入ると置道が左方向に長く続いています。この長い置道によって、絵巻を見る人にも、そこを歩ませ、射遺への興味をかきたてているという構図と言えます。今回は、これくらいにして、次回で置道の先で行われる射遺をみることにしましょう。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、今回取り上げた「置道」の先にある、射遺のシーンへと続きます。どうぞお楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第49回 『年中行事絵巻』巻十「女踏歌」を読み解く

2016年 5月 21日 土曜日 筆者: 倉田 実

第49回 『年中行事絵巻』巻十「女踏歌」を読み解く

場面:女踏歌(おんなとうか)で妓女が舞うところ
場所:平安京内裏の紫宸殿南庭
時節:1月16日

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建物:Ⓐ御階 Ⓑ紫宸殿 Ⓒ南庭 Ⓓ左近の桜 Ⓔ右近の橘 Ⓕ高欄 Ⓖ南簀子 Ⓗ半畳 Ⓘ筵道
装束:①笏 ②緌の冠 ③太刀 ④櫛 ⑤扇 ⑥畳紙
人物:[ア]束帯姿の文官 [イ]近衛府の武官 [ウ][エ]唐装束の舞妓 [オ]舞の師か

絵巻の場面 前回に続いて、女舞の様子を見ることにします。今回は、女踏歌といい、正月十六日の「踏歌節会(せちえ)」として行われました。

 踏歌とは、集団で大地を踏み鳴らして歌い舞う儀礼を言います。中国から伝えられて、日本の歌垣(うたがき)という男女が集団で歌を詠み交わし、舞踏などをして楽しんだ行事と結びついたものとされています。奈良時代から行われ、当初は男女の別がありませんでしたが、平安時代になって女踏歌だけになり、さらに十四日に男踏歌もされるようになりました。しかし、男踏歌は十世紀後半に廃絶し、以後は女踏歌だけになっています。

 なお、十一世紀初頭に成立した『源氏物語』に男踏歌の様子が語られていますが、それは物語が十世紀初頭あたりに時代設定をしたためで、紫式部は何らかの記録によって語っていることになります。

女踏歌の場と時間 最初に、女踏歌の場と時間を確認しましょう。画面には十八級のⒶ御階が描かれていますので、Ⓑ紫宸殿のⒸ南庭で行われたことが分かりますね。画面右には、Ⓓ左近の桜、左側はⒺ右近の橘でした。これは南面する天皇から見ての左右でしたね。紫宸殿はⒻ高欄からⒼ南簀子までしか描かれていませんが、この奥には天皇が出御(しゅつぎょ)していて、王卿(おうけい。親王や公卿)が控えました。

 紫宸殿の床下にはⒽ半畳が敷かれ、東側には儀式の進行役となる二人の[ア]束帯姿の文官が①笏を手にして坐っています。この二人は弁官・少納言・内記(中務省の官人)などの身分で、西側は蔵人所の官人が坐りました。桜の木の下にいるのは、②緌の冠で③帯剣していますので、[イ]近衛府の下級武官でしょう。

 この場面の時間は、松明などが描かれていませんので昼間と思われるかもしれません。しかし、当時の記録を調べてみますと、平安時代初期には夕刻ころに終わっていますが、中期以降は、夕刻から始まって照明が用意されていますので、昼間ではないことになります。篝火や松明などは、この画面で描き忘れたのでしょうか。

女踏歌の次第 続いて儀式の次第を確認しましょう。天皇の紫宸殿出御から始まります。王卿が参入して昇殿し、御膳が供されて、三献となります。一献で国栖(くず。大和国吉野群国栖地方の住人)が承明門(じょうめいもん)の外で歌笛を奏します。二献で御酒勅使(みきのちょくし)が天皇から御酒を賜った旨を伝え、三献で雅楽寮の楽人が承明門内側で立楽(立ったままでの奏楽)を奏します。そして、舞妓による踏歌となります。

舞妓たち それでは踏歌の様子を見てみましょう。[ウ]舞妓たちは、前回と同じく内教坊の妓女たちのほか、中宮や東宮に属する女蔵人(にょくろうど。下臈の女官)などが当たりました。女踏歌では四十人が選ばれたようです。舞用の唐装束で、髪上げして④櫛を挿し、右手に⑤扇、左手には薄様を重ねた⑥畳紙をかざしています。舞の列から外れている二人の女性は、[オ]舞の師と思われます。

 舞妓たちは、控室となった校書殿(きょうしょでん)の西側を通って、南端の月華門(げっかもん)から南庭に入ります。今回の線描では割愛しましたが、原典ではこの参入の様子が描かれています。南庭からは、いったん南行してから向きを変えて北行し、御階の前に到りました。画面で上半身だけ描かれる[エ]舞妓は、南行しているところになります。

 画面には、「口」の字形のⒾ筵道が敷かれ、その上を舞妓たちが舞いながら右回りに歩を進めています。『中右記』と呼ばれる平安時代後期の日記には、その様子を「厳霜ヲ踏ムガゴトシ」と記しています。着実に地を踏みしめている様子が彷彿としますね。

 踏歌は、三周するのが作法でしたので、画面を見るかぎり、そのまま回り続けたように見えます。しかし、『江家次第(ごうけしだい)』という有職故実書には、舞妓たちは二列に分かれて進み、大輪を描くように一周した後に、再び分かれて南行してから北行して回ると記されています。図は、これとは違った回り方になるようです。

 舞が終わりますと舞妓たちは校書殿東側に整列し、歌を唱えました。この折の歌詞は、天皇在位を延ばし、豊年を祈る漢詩で、音読しました。その合間に「万年阿良礼(よろずよあられ)」という囃しを入れたので、踏歌のことを「あられはしり」とも言いました。

 唱歌してから南庭を退出し、中宮のもとで饗応され、禄をもらいました。

 早くに廃絶した男踏歌は、宮中での踏歌が終わってから、京内の主要な邸宅を回りましたが、女踏歌ではそれがありません。ここが大きな違いとなっています。

画面の意義 最後に画面の意義について触れておきます。正月には三節(みおり)といって、「元日節会」「白馬節会(あおうまのせちえ)」「踏歌節会」という公式の饗宴が行なわれました。踏歌節会は重要な儀礼であったわけです。ですから、女踏歌がこうして描かれたのは、他に例がないので、きわめて貴重なのです。

 なお、踏歌節会は断続的に明治初期まで続きました。現在では、宮中のほかに奈良の興福寺、名古屋の熱田神宮、大阪の住吉大社などでも行われていますので、往時を偲ぶことができます。

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◆この連載のほかの回をお読みになる方は⇒「絵巻で見る 平安時代の暮らし」目次へ

【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回も、引き続き『年中行事絵巻』を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第48回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の妓女の舞」を読み解く

2016年 4月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第48回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の妓女の舞」を読み解く

場面:内宴(ないえん)で妓女が舞うところ
場所:平安京内裏の仁寿殿(じじゅうでん)から綾綺殿(りょうきでん)にかけて
時節:1月21日ごろの夜

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建物:Ⓐ・Ⓘ・Ⓚ階 Ⓑ仁寿殿 Ⓒ片階 Ⓓ紫宸殿北面 Ⓔ仁寿殿東庭 Ⓕ舞台 Ⓖ東北軒廊(こんろう) Ⓗ綾綺殿 Ⓙ仮橋 Ⓛ上長押 Ⓜ綾綺殿の額 Ⓝ西廂 Ⓞ・Ⓟ壁 Ⓠ北廂 Ⓡ東廂 Ⓢ母屋 Ⓣ・Ⓤ妻戸 Ⓥ東簀子 Ⓦ遣戸 Ⓧ左青璅門(ひだりせいさもん)の額 Ⓨ陣座(じんのざ)の北戸 Ⓩ恭礼門(きょうれいもん)の額
室礼・装束:①・下ろされた御簾 ②松明 ③柳の小枝 ④挿頭(かざし)の花を付けた天冠 ⑤幔(まん) ⑥平胡簶(ひらやなぐい) ⑦弓 ⑧下襲の裾(したがさねのきょ) ⑨緌(おいかけ)の冠 ⑩笏 ⑪・琵琶 ⑫・箏の琴 ⑬笙(しょう) ⑭篳篥(ひちりき) ⑮横笛 ⑯三ノ鼓(さんのこ) ⑰鞨鼓(かっこ) ⑱・方磬(ほうけい) ⑲鉦鼓(しょうこ) ⑳楽太鼓 軟障(ぜじょう) 挿櫛(さしぐし) 帽額 巻き上げた御簾 畳 円鏡 巻紙 扇 櫛箱か 屏風 裳の裾
人物:[ア]束帯姿の官人 [イ]・[ク]・[ケ] 内教坊(ないきょうぼう)の舞妓 [ウ]束帯姿の文人 [エ]出居(でい)の武官 [オ]近衛府の目(さかん)の楽人 [カ]黒袍の束帯姿の楽人 [キ]内教坊の女楽人 [コ]介添えの女房 [サ][セ]黒袍の束帯姿の殿上人  [シ][ス]烏帽子狩衣姿の従者

絵巻の場面 今回は第47回で見ました『年中行事絵巻』の「内宴」の様子をさらに読み解くことにします。「内宴」については、先の回をご参照ください。ここで採り上げますのは、その回で見ました「献詩披講」の直前に行われた女舞の舞楽が催される場面です。

 場所と時間を確認しておきましょう。画面右側が西、上部が南になります。右手前の七級のⒶ階に続くのが、①御簾の下ろされたⒷ仁寿殿、右上のⒸ片階に続くのがⒹ紫宸殿北面でした。この建物のことも第47回をご参照ください。画面中央がⒺ仁寿殿東庭で、設置されたⒻ舞台の上で舞楽が行われています。その上部は紫宸殿のⒼ東北軒廊になります。画面左側は内宴や相撲(すまい)などに使用されたⒽ綾綺殿です。時間帯はお分かりですね。②松明を持った[ア]束帯姿の官人などがいますので、夜になっています。

女舞の舞楽 それでは女舞の様子から具体的に見ていきましょう。女舞は、内教坊と呼ぶ教習所に属する妓女(ぎじょ)が当たりました。舞台の四隅にあるのは③柳の小枝で、これは柳花苑(りゅうかえん)という曲を舞う舞台であることを示しています。この曲は『信西古楽図(しんぜいこがくず)』という古代舞楽の図絵には四人の女舞となっていますが、この内宴では六人の[イ]舞妓が舞っています。衣装は、舞楽で着用される唐装束で、髪上げして④挿頭の花を付けた天冠をかぶっています。

 舞台の西側を除く三方には、⑤幔と呼ぶ幕が引かれ、北と南側は、間隔を置いて並置されていて門のようになりますので、幔門と呼ばれます。東側は、幔門になっていませんね。舞台には五級のⒾ階が二つあってⒿ仮橋に続き、さらに四級のⓀ階で綾綺殿に昇降できるようにするためです。舞妓の通り道になります。綾綺殿に上がった所のⓁ上長押にあるのは、Ⓜ綾綺殿の額です。舞台正面は幔のない西側になります。

舞姿を見る者 この舞台正面から舞を見ている人は何人描かれているでしょうか。Ⓓ紫宸殿北面に六人いるのは分かりますね。奥の四人は献詩披講に携わる[ウ]文人、⑥平胡簶や⑦弓を持った二人は、[エ]出居(役務にあたる者)の武官になります。その右横には、宴席にいる公卿たちの⑧下襲の裾が見えますので、振り向いて見ている者もいることでしょう。この他に、もう一人いるのですが、お分かりですか。Ⓑ仁寿殿の下ろされた①御簾の、その記号の下を見てください。御簾の間が横に裂けていますね。その内側で、添えられた几帳の上から一人覗いているのです。線描では分かりませんが、衣装の色からして天皇が覗いていると思われます。

楽人たち 舞楽には楽人たちが付きます。どこにいるでしょうか。舞台の左下と手前左側の⑤幔の裏手にいるのが楽人たちです。⑨緌の冠をしている人たちは、[オ]近衛府の目(四等官)の楽人で、[カ]黒袍の束帯姿の楽人は、文官になります。

 楽人たちの前には、楽器があるのが分かりますか。Ⓙ仮橋の手前の人から見ていきましょう。最初の人は手に板のような物を保持していますので、これは⑩笏を半分に割って打ち合わす笏拍子担当です。次の人は⑪琵琶で、ここから弦楽器になります。三番目の人はよく分かりませんが、楽器編成からして⑫箏の琴と思われます。四番目の人から管楽器になり、⑬笙、⑭篳篥が二人、⑮横笛一人となっています。角の人もよく分かりませんが、⑯三ノ鼓(鼓の一種)で、ここから右は打楽器になり、⑰鞨鼓(同)、⑱方磬(小鉄板を上下二段に十六枚ならべて槌で打つ)、⑲鉦鼓(吊るした銅製の皿形を桴で打つ)、⑳楽太鼓(釣太鼓とも)となっています。

 この他にⒽ綾綺殿の内部のⓃ西廂にも[キ]女楽人がいますね。Ⓞ・Ⓟ壁に沿って唐絵の軟障が廻らされた室内に、上部から琵琶・箏の琴・方磬の順に担当する女楽人が座しています。この女楽人たちは、軟障を背にした[ク]舞妓たちと違って、天冠をかぶらず、挿櫛をしています。

綾綺殿 続いてこの綾綺殿を見ていきましょう。この殿舎は、九間三面とも九間四面(第14回参照)ともされています。絵では、どちらに描かれているでしょうか。

 まずⓆ北廂は、画面ですと、左下の突き出た部分になり、殿舎南面(画面左上部)はⓄ壁になっていますので、南廂がありませんね。Ⓝ西廂は先ほど触れた場所で、Ⓡ東廂は、画面左上になります。廂は四面ではなく、三面になりますね。

 桁行(けたゆき)は、どうでしょうか。綾綺殿の場合は、Ⓝ西廂の桁行は、母屋と同じになりますので、西廂右側の柱間を数えればいいわけです。帽額の下に巻き上げた御簾があるのは五間分、下ろされた御簾は四間分になっていますので、母屋は九間になります。綾綺殿は、九間三面の殿舎に描かれていると言えます。

 なお、この御簾は建物の外側にありますので、外御簾となり、吹抜屋台の技法によって省略された格子は、一枚格子ということになります。

綾綺殿の西廂と東廂 今度は、綾綺殿内部を見ましょう。Ⓝ西廂を見て下さい。東西の梁行(はりゆき)はどうでしょうか。廂は一間が普通なのに二間になっていますね。ここは西廂とⓈ母屋が一体化されているのです。母屋の梁行は二間になりますが、西廂と一体になっているのは一間分だけですので、[キ]女楽人の背後の、Ⓣ妻戸に続くⓅ壁と軟障との間が、もう一間分になり、わざと狭められて描かれたのだと思われます。

 Ⓡ東廂には、巻き上げた御簾と、下ろされた御簾があり、その手前もⓊ妻戸になっていて、Ⓥ東簀子との隔てとなっています。東廂には畳が敷かれて、妓女の装束所になります。円鏡を手にして化粧を確認している[ケ]舞妓が二人、介添えの[コ]女房が三人います。男たちも介添えでしょう。[サ]黒袍の束帯姿の殿上人が四人いて、一人は巻紙を持ち、扇で、[シ]烏帽子狩衣姿の従者に何やら指示しています。[ス]もう一人の烏帽子姿が持っているのは、化粧道具を入れる櫛箱と思われます。黒袍以外の者たちは、下級官人になります。

綾綺殿の北面 さらに画面下の北面を見ましょう。西廂と母屋の手前(北側)が、Ⓦ遣戸で隔てられて一室になっています。ちょっと変わった内部構造になっていますね。ここは、陪席する女房の控室で唐絵の屏風が置かれ、裳の裾が見えています。北側の御簾の外にいるのは、雑役に携わる下級官人たちです。

東北軒廊 次は、画面上部のⒼ東北軒廊です。綾綺殿南面のⓄ壁の奥は、この日には官人の座になっていて、東側のⓍ左青璅門の額の下から、[セ]殿上人が姿を現わしています。正面に見えるのはⓎ陣座の北戸になり、そこを入った所で日常の政務に関する会議が行われました。西側はⓏ恭礼門の額のかかった扉が見えます。

画面の構図 最後に画面の構図を確認しましょう。手前を広く、奥を狭くする遠近法で描かれていて、八の字になる線で区画された構図になっていますね。中心になるのが、舞台で舞う妓女たちで、背丈が高めにされて強調されています。そして、綾綺殿は吹き抜き屋台の技法によって、内部にいる人々の様子が描かれています。絵柄自体に間違いがあるのかもしれませんが、綾綺殿がこうして描かれているのは、きわめて貴重なのです。

 これだけの広さを一点から眺めることは難しいでしょう。しかし、絵巻は複数の視点で画面を合成して作られるのでした。パノラマのように映し出される光景が堪能できるように構図が仕組まれているのです。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、『年中行事絵巻』の中の、女踏歌(おんなとうか)で妓女が舞うシーンを取り上げます。舞台は平安京内裏の紫宸殿南庭です。ご一緒に、絵を通じて、貴重な女踏歌の様子を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第47回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の献詩披講」を読み解く

2016年 3月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第47回 『年中行事絵巻』巻五「内宴の献詩披講」を読み解く

場面:内宴(ないえん)で天皇に献詩披講(ひこう)されるところ
場所:平安京内裏の紫宸殿北面から仁寿殿にかけてと東庭
時節:1月21日ごろの夜

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建物:①仁寿殿 ②紫宸殿 ③南広廂 ④母屋 ⑤母屋の柱 ⑥・⑧・⑯上長押 ⑦簀子 ⑨下長押 ⑩石灰壇(いしばいだん) ⑪階 ⑫基壇 ⑬石階 ⑭出廂 ⑮柱 ⑰砌(みぎり) ⑱・高欄 ⑲東簀子 ⑳紅梅 直方体の枠組み(東渡殿) 枠組み(中渡殿) 露台 北簀子 壁 片階 格子 妻戸 東庭 舞台 東北軒廊(こんろう) 恭礼門(きょうれいもん)
室礼・装束:Ⓐ松明 Ⓑ屏風 Ⓒ倚子(いし) Ⓓ緌(おいかけ)の冠 Ⓔ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓕ脂燭(しそく) Ⓖ漆箱 Ⓗ蓋 Ⓘ笏 Ⓙ・Ⓛ御簾 Ⓚ鉤丸緒(こまるお) Ⓜ几帳の裾 Ⓝ野筋 Ⓞ台盤 Ⓟ・Ⓢ草墪(そうとん) Ⓠ打敷(うちしき) Ⓡ灯台 Ⓣ虎皮の敷物 Ⓤ文台(ぶんだい) Ⓥ帽額(もこう) Ⓦ組緒 Ⓧ柳の小枝 Ⓨ幔(まん)
人物:[ア]束帯姿の外記 [イ]褐衣(かちえ)姿の近衛府の舎人(とねり) [ウ]束帯姿の天皇 [エ]束帯姿の近衛府の次将 [オ]束帯姿の大臣 [カ]束帯姿の講師 [キ]束帯姿の読師  [ク]束帯姿の公卿 [ケ]束帯姿の文人

内宴 今回は『年中行事絵巻』から内宴の様子を読み解くことにします。内宴とは正月二十一日ころに天皇が仁寿殿に出御(しゅつぎょ)し、漢詩文に堪能な公卿や文人を召して行う内々の宴のことです。『年中行事絵巻』には、⑴内宴に赴く公卿たちの様子、⑵仁寿殿東庭での拝礼、⑶昇殿しての宴、⑷女舞の観覧、今回採り上げる⑸献詩披講、そして、⑹公卿たちの御遊(ぎょゆう)などの一連の様子が描かれています。ただし、現存の『年中行事絵巻』には錯簡があって、⑴⑵⑸⑶⑹⑷の順になっていますので、ご注意ください。献詩披講とは、召された公卿や文人たちが、与えられた題によって漢詩を作り、天皇に献上して披講(読み上げて披露する)することを言います。

絵巻の構図 最初に絵巻の構図と時間を確認しておきましょう。構図は内裏の北東から①仁寿殿と②紫宸殿を見るようになっていますので、画面左側が東、上部が南です。仁寿殿の南側(画面右上)などは吹抜屋台の方法によって、この行事の様子を描いています。なお、線描にあたっては、献詩披講の段の上下左右それぞれをカットしていることをお断りしておきます。

 この折の時間は、すでにお分かりですね。Ⓐ松明を持った[ア]束帯姿と[イ]褐衣姿(狩衣の一種)の人がいますので夜になっています。前者は外記(げき。太政官の少納言の下の官人)で、後者は近衛府の舎人(下級官人)になります。

漢詩の披講 それでは献詩披講の様子を見ることにしましょう。画面右側です。並べたⒷ屏風の向こう側でⒸ倚子に坐って背を向けているのが[ウ]天皇です。場所は、仁寿殿の③南廂(南広廂とも)で、屏風の手前は④母屋になりますね。⑤母屋の柱と⑥上長押が見えます。本来でしたら、廂との境には御簾が下ろされますが、絵では省略されています。天皇の両側にいるのは、Ⓓ緌の冠にⒺ平胡簶を背負った[エ]近衛府の次将で、Ⓕ脂燭をかざして天皇の前を照らしています。天皇の左側にあるのがⒼ漆箱とそのⒽ蓋です。箱には漢詩の題が書かれた紙、蓋には作られた漢詩を載せています。

 天皇の前でⒾ笏を持って坐っているのは[オ]大臣と[カ]講師で、横向きが[キ]読師になるでしょうか。読み上げているのでしょう。この後ろの⑦南簀子に坐る前列四人は[ク]公卿、後列は[ケ]文人です。廂の⑧上長押には、巻き上げられたⒿ御簾と、それを留めるⓀ鉤丸緒が描かれています。こうした配置で漢詩が天皇に披講されたわけです。

仁寿殿 披講の場となる仁寿殿をさらに見ておきましょう。東南の隅の廂は、その西側(右側)よりも⑨下長押分低くなっていて、漆喰で塗られた⑩石灰壇(神事を行う壇)になっています。これがあるのは、かつて天皇の常御殿だった名残とされています。石灰壇との境は格子になりますが、吹抜屋台の技法によって描かれていません。石灰壇の東(左側)には七級の⑪階が⑫基壇に下ろされ、さらに二級の⑬石階が続いています(基壇を含めると三級)。下りた所は⑭出廂といい、構造的には土廂になります。ここに立つ五本の⑮柱と⑯上長押の上に廂屋根があることになります。この柱の左側の地面は、水を流す⑰砌になっています。

 東面にはⓁ御簾が下ろされ、添えられたⓂ几帳の裾とⓃ野筋が、⑱高欄のついた⑲東簀子に押し出されています。南一間分だけは短めに押し出されていますね。簀子の左の木は⑳紅梅です。

渡殿と露台 続いて仁寿殿と紫宸殿とのあいだを見ましょう。斜めに置かれた机はⓄ台盤で、その上には宴の料理が並んでいます。台盤の両側に並ぶのは、腰掛けとなるⓅ草墪です。手前には、夜になっていますので、Ⓠ打敷(敷物)に置いたⓇ灯台が見えます。

 台盤の右端は、直方体の枠組みのような内部に入りこんでいます。ここは東渡殿になり、やはり戸などは省略されています。吹抜屋台という技法を知らなければ、不思議な絵になりますね。右側にも枠組みがあり、こちらは中渡殿になります。渡殿以外の部分は、榑(くれ。薄板)を敷いた露台になっています。ですから、Ⓞ台盤は露台から東渡殿にかけて置かれていることになります。

 露台は南北四間で、北一間は仁寿殿の⑦南簀子、南一間は紫宸殿の北簀子になります。東面には高欄があり、その左にも二つのⓈ草墪が置かれ、この上部にも六つあります。二つの方は、出居の座(でいのざ。役務にあたる官人の座)、六つは文人の座とされます。文人の座の右にもⓆ打敷に置かれたⓇ灯台がありますね。

紫宸殿北面 文人の座は紫宸殿北簀子でした。紫宸殿の北面を見ましょう。北簀子の画面中央にあるⓉ虎皮の敷物に置かれた机はⓊ文台と呼ばれ、漢詩の題を書いた紙が納められる箱が載せられました。この箱は、今は天皇の前に運ばれています。

 北簀子の東端からは、壁に沿って片側だけに高欄がついた片階が⑪基壇に下りています。文台の後ろに見えるのは三間分の格子で、その両側は妻戸になります。

東庭の舞台 最後に東庭を見ましょう。舞台がありますね。錦が敷かれています。ここで女舞が行われていたのですが、もう終わっています。舞は、内教坊(ないきょうぼう)と呼ぶ教習所に属する妓女(ぎじょ)が当たりました。舞台は高欄をめぐらし、その下にはⓋ帽額を引き回しています。垂れた紐のように見えるのは、Ⓦ組緒です。舞台の角にあるのはⓍ柳の小枝で、これは柳花苑(りゅうかえん)という曲を舞う舞台であることを示しています。

 舞台の画面上部には、Ⓨ幔と呼ぶ幕が引かれ、絵のように間隔を置いて並置されると門のようになりますので、幔門と呼ばれます。

 幔の奥は紫宸殿の東北軒廊と呼ぶ所になります。絵でははっきりしませんが、恭礼門があります。

『年中行事絵巻』「内宴」の意義 嵯峨天皇から始まった内宴は後一条天皇の長元七年(1034)以後に中絶し、保元三年(1158)になって内裏新造に伴い再興され、翌平治元年にも行われましたが、以後廃絶しました。ですから、この絵巻の内宴は、保元・平治の時代のものになります。当時わずか二回しか行われませんでしたので、こうして絵画化されたのは、きわめて貴重なのです。なお、舞の場面は、次回で採り上げる予定ですので、ご期待ください。

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大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第46回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く

2016年 2月 19日 金曜日 筆者: 倉田 実

第46回 『年中行事絵巻』巻一「朝覲行幸の出発」を読み解く

場面:新年の朝覲(ちょうきん)行幸に出発するところ
場所:平安京内裏紫宸殿と南庭
時節:1月2日?

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建物・乗物:①紫宸殿 ②18級の御階 ③左近の桜 ④右近の橘 ⑤・⑫上長押 ⑥額 ⑦南廂 ⑧額の間(ま) ⑨筵道 ⑩南簀子 ⑪母屋 ⑬鳳凰 ⑭鳳輦(ほうれん) ⑮屋形 ⑯御帳(みちょう) ⑰轅(ながえ) ⑱綱 ⑲南庭
人物:[ア]黄櫨染の御袍(こうろぜんのごほう)姿の天皇 [イ]・[ウ]内侍 [エ]束帯姿の摂政 [オ]退紅(たいこう)姿の駕輿丁(かよちょう)の舁手(かきて) [カ]退紅姿の駕輿丁の綱取り [キ]束帯姿の左大将  [ク]束帯姿の右大将 [ケ]束帯姿の近衛府の次将 [コ]下襲の裾を引く次将 [サ]褐衣(かちえ)姿の随身 [シ]走る随身 [ス]束帯姿の文官の公卿 [セ] 束帯姿の武官の公卿(宰相中将)
着装:Ⓐ檜扇 Ⓑ草薙剣(くさなぎのつるぎ) Ⓒ笏 Ⓓ烏帽子 Ⓔ冠 Ⓕ下襲の裾(したがさねのきょ) Ⓖ・Ⓤ太刀 Ⓗ平緒(ひらお) Ⓘ券纓(けんえい)の冠 Ⓙ緌(おいかけ) Ⓚ弓 Ⓛ平胡簶(ひらやなぐい) Ⓜ表袴(うえのはかま) Ⓝ靴(かのくつ) Ⓞ袍 Ⓟ半臂(はんぴ) Ⓠ藁靴 Ⓡ壷胡簶 Ⓢ垂纓(すいえい)の冠 Ⓣ石帯

はじめに これからしばらくは『年中行事絵巻』に描かれた内裏の様子を見て行くことにします。今回は紫宸殿から朝覲行幸に出発する場面を採り上げます。天皇が父上皇や母后の御所に赴いて面会する朝覲行幸については第17回で扱いました。そこで取り上げました法住寺南殿が、今回の行幸先になります。

紫宸殿からの出発 朝覲行幸に限らず行幸は、紫宸殿から威儀をただして出発しました。画面右の建物が、内裏の正殿となる①紫宸殿です。②18級の御階がありますので、それと分かりますね。この手前に見えるのが③左近の桜、上部が④右近の橘でした。御階の上の⑤上長押にかかっているのは、「紫宸殿」と書かれた⑥額です。額が掛けられた⑦南廂中央の柱間一間(いっけん)分を⑧額の間と言います。ここには、天皇が通るための⑨筵道が⑩南簀子まで敷かれています。

 紫宸殿内部は、吹き抜き屋台の技法で描かれていますので、[ア]天皇が⑪母屋から額の間に出てきた様子が見えます。天皇の全身が描かれるのは、珍しいですね。天皇の上部は、母屋の⑫上長押です。天皇は、晴の時の束帯に着用する、黄褐色の黄櫨染の御袍姿になっています。両側にⒶ檜扇をかざして控える女性は、女官の内侍です。手前の[イ]内侍は、三種の神器のうちの宝剣となるⒷ草薙剣を、奥の[ウ]内侍は画面では分かりませんが神璽となる八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)を、それぞれ保持しています。この剣璽は、天皇と一緒に移動します。⑦南廂にⒸ笏を持って[エ]束帯姿で坐っているのは、摂政でしょう。

天皇用の鳳輦 天皇は、穢れを避けるために、正式には地面に着く車には乗りません。人々が肩に担ぐ輿(こし)に乗って移動します。晴の儀式での天皇用は、方形の屋根の上に飾りとなる⑬鳳凰がある⑭鳳輦です。鳳輦には、⑮屋形の三方に⑯御帳が垂らされ、かつぐための縦五本、横二本の黒漆塗の⑰轅が付きます。

 さて、何人でかついでいるでしょうか。答は、[オ]舁手と呼ぶ実際にかつぐ者が12人、四隅の屋根から垂らされる⑱綱を取る、[カ]綱取り10人になります。綱は揺れを防ぐためです。これらの者は、かつぐための肩当てをつけ、薄紅色の布狩衣(ぬのかりぎぬ)を着た退紅姿で描かれていて、駕輿丁とも輿舁(こしかき)とも呼びました。Ⓓ烏帽子の人と、Ⓔ冠の人がいますが、この違いはよくわかりません。

 それでは、天皇はどのようにして鳳輦に乗るのでしょうか。絵にヒントがあります。⑨筵道を見てください。②御階には敷かれていませんね。ということは、鳳輦は⑩南簀子から乗れるように、そこまでかつぎ上げられたのです。御階の上に位置する駕輿丁は、うつぶしてかつがなくてはなりません。その苦しげな姿を人ごとではないと見つめたのが紫式部でした。『紫式部日記』にそのことが記されています。

供奉する武官たち 行幸には多くの武官たちが警護にあたり、王卿たちも供奉しました。それらの⑲南庭にいる人たちを確認しましょう。内裏南庭を守備するのは近衛府とされましたので、武官姿は左右どちらかの近衛府の官人になります。

 左近の桜の側に立つのが[キ]左大将、右近の橘の側は[ク]右大将になります。黒の袍を着た束帯姿で正装した近衛府の長官ですね。右大将を見てみましょう。Ⓕ下襲の裾を長く引いた束帯姿で、前にⒼ太刀を佩くためのⒽ平緒が垂れているのが分かります。Ⓘ券纓の冠にはⒿ緌が付き、Ⓚ弓を保持して、矢を入れるⓁ平胡簶を背負っています。絵でははっきりしませんが、鷲羽の矢が左近衛府用、鷹羽が右近衛府用とされていました。履物もはっきりしませんが、靴(かのくつ)になります。

 駕輿丁たちの回りにいる武官は、[ケ]近衛府の次将(中将や少将)たちです。大将と同じ姿ですが、こちらはⓂ表袴をはきこんだⓃ靴がはっきり見えます。表袴の上、Ⓞ袍の下に見えるのはⓅ半臂です。下襲の裾を長く引いている[コ]人と、そうでない[ケ]人がいますね。長く引いていない人は、折り畳んで太刀の鞘にかけているのです。

 大将の近くに坐って待機しているのは、下級官人でもある大将の[サ]随身たちでしょう。袍に似た形で腋を縫わない褐衣姿で、Ⓠ藁靴を履き、矢はⓇ壷胡簶に入れています。一人だけ走ってきた[シ]者がいますが、どうしたのでしょうか。もしかしたら遅参したのかもしれません。『年中行事絵巻』は、こうした姿も描いたところが面白いのでした。

 画面右下に列立している束帯姿は、供奉する公卿たちです。[ス]文官も[セ]武官もいますね。文官の人は、券纓ではなくⓈ垂纓の冠になっています。背中にはⓉ石帯が見えますね。Ⓤ太刀を佩いているのは、勅授帯剣(ちょくじゅたいけん)を特に許されているからです。武官は宰相中将になります。武官で三位以上の公卿になるのは、大将を除くと参議で中将を兼ねた宰相中将しかいませんので、列立しているのは、その人になります。

行幸の道 天皇が鳳輦に乗ると出発です。内裏南門の承明門(じょうめいもん)をくぐりますと、今度は兵衛府の管轄になり、さらに内裏外郭の正門となる建礼門(けんれいもん)をくぐりますと衛門府に変わります。近衛府・兵衛府・衛門府の役割の違いがわかります。これらの場面も機会がありましたらこのシリーズで取り上げたいと思います。今回は近衛府の管轄となる内裏南庭からの行幸出発の次第を見たことになります。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:須貝稔(すがい・みのる)

※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、内宴(忙しいお正月行事の後で天皇が内々に催した、慰労会のような宴会)の場面を取り上げます。まずは、公卿や文人たちが、与えられた題によって漢詩を作り、天皇の前で読み上げて披露する「献詩披講」から見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

絵巻で見る 平安時代の暮らし 第45回 『承安五節絵』八段の「童女御覧(わらわごらん)」を読み解く

2016年 1月 16日 土曜日 筆者: 倉田 実

第45回 『承安五節絵』八段の「童女御覧(わらわごらん)」を読み解く

場面:五節の童女を天皇が御覧になるところ
場所:平安京内裏清涼殿東面
時節:承安元年(1171)11月中の卯の日の夕刻

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建物:①御簾 ②清涼殿東孫廂 ③三級の階 ④石橋 ⑤高欄 ⑥簀子 ⑦畳 ⑧棟瓦 ⑨南廊
人物:[ア] 汗衫(かざみ)姿の童女 [イ] 冠直衣姿の殿上人 [ウ] 関白 [エ][オ]大臣
衣装等:Ⓐ汗衫の表 Ⓑ汗衫の裏 Ⓒ長袴 Ⓓ衵(あこめ) Ⓔ単衣 Ⓕ襟元 Ⓖ檜扇

絵巻の場面 今回も『承安五節絵』を採り上げます。この場面は天皇が清涼殿で、舞姫に付き従ってきた童女と下仕をご覧になるところです。五節行事の三日目の卯の日の夕刻に行われた「童女御覧」になります。最初に天皇は絵の中でどこにいるのかを確認しましょう。第40回第41回で清涼殿を見たことを思い出してください。また、絵巻では天皇の姿をはっきりと描くことはありませんでしたね。この絵でも同じなのです。もうお分かりですね。下ろされた①御簾の奥の東廂に設けた御座で天皇が坐って見ていることになるのです。ただし、『承安五節絵』が承安元年(一一七一)成立としますと、時の高倉天皇はわずか十一歳でした。

絵巻の本文 それでは今回の絵の説明になる詞書本文を確認しましょう。

 卯日。肩脱ぎ今日は衣を出ださず。昨日の道のままに巡り果てぬれば、童女御覧なり。清涼殿の孫廂に、関白已下大臣両三着座。その後、童女を召す。末々の殿上人、承香殿の戌亥の隅のほとりより受け取りて、仮橋より御前に参るなり。下仕、承香殿の隅の簀子、橋より下りて参る。蔵人これに付く。殿上人の付くこともあり。
【訳】 卯の日。肩脱ぎは、今日は衣を出さない。昨日の道の通りに巡り終えると(第44回参照)、童女御覧である。清涼殿の孫廂に、関白以下大臣が二、三人着座する。その後、童女を召す。若輩の殿上人が、承香殿の北西の隅のそばから童女を引き取って、仮橋から御前に参上するのである。下仕は、承香殿の隅の簀子を通り、仮橋から下りて参上する。蔵人が下仕に付く。殿上人が付くこともある。

(クリックすると拡大)


 この詞書で、描かれた人物たちが理解できますね。以下、確認していきますが、その前に本文にあった仮橋について触れておきます。仮橋は仮設の橋のことで、五節では清涼殿と、その東北側にあった承香殿との間に渡されました。画面では描かれていませんが、右のほうにありました。その様子は『承安五節絵』五段に描かれていますので見てみてください。

清涼殿の童女 「童女御覧」は、詞書にもありましたように、[ア]童女は②清涼殿の東孫廂に参上しました。画面は、その折のことになります。童女は、その正装の汗衫姿で、第42回で見ましたね。文様のついた部分がⒶ汗衫の裾の表、ないのがⒷ裏で、Ⓒ長袴の裾とともに後ろに引かれています。袖口にはⒹ衵が重ね着され(重ね衵)、その下のⒺ単衣も見えます。肩の下あたりにはⒻ襟元が見えていますが、これは唐衣の襟のように外側に折り返して着ている様です。手には、飾りの総を垂らした豪勢なⒼ檜扇を持ってかざし、顔を隠しています。童女の顔をよく見たい時は、扇を下に置かせることもありました。どんなに恥ずかしかったことでしょう。

 詞書にありました下仕は、③三級の階の手前にある④石橋のさらに手前に控えていることになります。なお、実際には、石橋の下には御溝水(みかわみず)が流れていますが、ここには描かれてはいません。

若き殿上人 童女を承香殿から仮橋を渡ってエスコートしてきたのが、⑤高欄を背にして⑥簀子に坐る[イ]殿上人です。詞書には「末々の殿上人」とありました。「末々」は、年下、若輩の意味です。若々しく緊張した顔に描かれていますね。清涼殿に上がるには束帯姿が普通ですが、五節では冠直衣が許されたのでした。

大臣たち 舞姫の左側の⑦畳の上に坐っているのが、[ウ][オ]同じく冠直衣姿の大臣たちです。円座に坐るのが普通ですが、どういうわけか畳になっています。大臣たちは皆、童女を注視しています。どんな容貌なのかを見ているのです。

 大臣たちの序列は、この場合、[ウ]右側に坐る人が上位になりますので、詞書には「関白已下大臣」とありました「関白」になります。しかし、承安元年には関白は不在で、摂政太政大臣として当時二十八歳の藤原基房がなっていました。その割には絵の顔は老けて見えますね。承安二年の童女御覧の時は、摂政基房は天皇の側近く、御簾の内に控えていました。詞書は事実と違っていますが、この通りとしますと、残りの[エ][オ]二人が左大臣・右大臣・内大臣のいずれかになります。しかし、大臣ではない人も控えることがありました。詞書は後世の改作とされていますので、史実と照らし合わせて理解する必要はないのでしょう。ただし、絵の理解に役立つことは確かです。

童女御覧 この段の絵は、これで全体ですので、場面の構図は単純です。絵は横長になっていないのです。画面左側は、⑧棟瓦が置かれた⑨南廊で区切られますが、もしかしたら右側には他の童女が描かれていたのかもしれません。しかし、これは憶測になりましょう。

 童女御覧に、行事としての深い意味はあまりなさそうです。神への五節の舞奉納はともかくとして、この行事は男性貴族たちに舞姫や童女や下仕などの姿をあらわに見ることのできる機会を与えるだけであったようです。それだけに一層、彼女たちは緊張を強いられたことでしょう。そのあまりに気分を悪くしてしまう童女もいました。逆に他に負けまいと気負い立つ人もいたようです。

 男性の視線にさらされる行事でしたので、心ある女房などは批判的なまなざしを向けることもありました。その代表が紫式部です。『紫式部日記』には寛弘五年(一〇〇八)の五節に際して、彼女たちの容貌・衣装などが見られ、噂される存在であることを記しています。特に童女御覧の日の、「くもりなき昼中に、扇もはかばかしくも持たせず」にいる童女に、紫式部の深い同情が寄せられています。童女の気持ちになって、この段を見ることも必要なのだと思われます。

*2017年3月8日に一部、修正を行いました。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
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三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回からは、『年中行事絵巻』に戻り、紫宸殿から朝覲(ちょうきん)行幸に出発する場面を取り上げる予定です。ご一緒に絵の中の内裏の様子を見て参りましょう。どうぞお楽しみに。

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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第44回 『承安五節絵』六段の「殿上人の肩脱ぎ」を読み解く

2015年 12月 19日 土曜日 筆者: 倉田 実

第44回 『承安五節絵』六段の「殿上人の肩脱ぎ」を読み解く

場面:五節で殿上人が内裏を練り歩くところ
場所:平安京内裏弘徽殿と登花殿の西側
時節:承安元年(1171)11月中の寅の日

(画像はクリックで拡大)

建物:①弘徽殿 ②登花殿 ③中門 ④半蔀(はじとみ) ⑤下見板 ⑥御簾 ⑦几帳 ⑧野筋 ⑨格子状 ⑩石畳の壇 ⑪溝
人物:[ア][オ]肩脱ぎした冠直衣姿の殿上人 [カ][コ]烏帽子狩衣姿の供人(太刀二本) [サ][ス]烏帽子狩衣姿の供人(太刀一本)[セ][タ]衵姿の童女 [チ]女房
衣装等:Ⓐ冠 Ⓑ衵 Ⓒ浅沓 Ⓓ指貫 Ⓔ烏帽子 Ⓕ袖括り Ⓖ当腰(あてごし) Ⓗ尻鞘 Ⓘ太刀の鞘 Ⓙ元結 

絵巻の場面 今回は、第42回第43回で扱いました五節の行事を描いた『承安五節絵』を再び採り上げます。第43回の「五節の淵酔(えんすい)」に続く同日になります。「淵酔」はひどく酔うことで宴会の意でした。この場面は、淵酔が終わってから、参会していた殿上人たちが、舞姫の控所(五節所)となった常寧殿(じょうねいでん)まで練り歩く、その途中の様子になります。

絵巻の本文 
最初に今回の絵の説明になる詞書本文を確認しましょう。(画像はクリックで拡大)

 淵酔果てぬれば、肩脱ぎて、渡殿の間でおのおの沓を履きて、後涼殿の東より、朝餉の御前より御湯殿のはざまを出でて、弘徽殿の細殿の前、登花殿を巡りて、宣耀殿の反橋の西より上りて、常寧殿五節所の東の壇の上を巡るなり。
【訳】 淵酔が終わると、肩を脱いで、渡殿の間(ま)でそれぞれ沓を履いて、後涼殿(こうりょうでん)の東から、清涼殿の朝餉の間の前を通り御湯殿のはざまで地面に出て、弘徽殿の前や登花殿を巡り歩いて、宣耀殿(せんようでん)西側の反橋から常寧殿に上り、その五節所の東の壇の上を巡るのである。

 清涼殿の殿上の間で宴会をした殿上人たちが、常寧殿まで巡る道筋が記されています。殿上の間を出て沓を履いていますが、後涼殿や清涼殿の簀子を通ったようです。「御湯殿(湯浴みする部屋)」は清涼殿と後涼殿を繋ぐ渡殿に設けられ、その東側が切馬道(通行のための土間)になっていて、そこから地面に下りました。この夜は、再び清涼殿で天皇が五節の舞をご覧になる「御前の試み」が行われます。

弘徽殿と登花殿 それでは、建物から確認しましょう。絵巻には、①弘徽殿と②登花殿の西側が描かれていますが、線描では、左右をカットしていることをお断りしておきます。中央左寄りに、通路のようになっている所が境目の③中門になり、右側が①弘徽殿、左側が②登花殿です。中門の扉は内側に開き、奥は、壇(一段高くした所)になっています。

 二つの殿舎は、同じような構造で描かれていて、窓のように見えるのが、幾つも並んでいます。これには諸説がありますが、④半蔀と思われます。二枚格子の上部だけのもので、小蔀(こじとみ)とも、単に蔀とも言います。今は外側に押し上げられているのでしょう。下部は壁になり、絵では⑤下見板(横板張り)で描かれています。半蔀からは⑥御簾に添えた⑦几帳の綻びを通して、[チ]女房たちが覗いています。紐のように見えるのは、几帳の⑧野筋です。

 実は、両殿の西廂は細殿とも言い、外側には遣戸(引き違え式の戸)が幾つもありました。『枕草子』「内裏(うち)の局は」の段にも、登花殿と思われる細殿に「上の蔀」とされる半蔀と遣戸が出てきます。しかし、絵巻ではどうでしょうか。半蔀とした箇所を遣戸と見ることはできませんね。絵巻を見ると弘徽殿の中門寄りの部分だけが⑨格子状になっています。もしかしたら、ここが遣戸になるのかもしれません。そうしますと、他の半蔀どうしの間も遣戸であったのが、描き忘れたか、省略されたかと思われます。現存の『承安五節絵』はいずれも模写本で、他の本を見ても壁がすべて格子状だったり、逆に何の線も描かれなかったりして、まちまちです。模写の段階で、間違いが生じたのは確かでしょう。

 両殿西側には簀子がなく、建物外側の地面は⑩石畳のように描かれています。この石畳が壇になります。その手前は、雨水などを流す⑪溝です。

男たち 続いて男たちの様子を見ましょう。男たちは、[ア][オ]肩脱ぎした五人の殿上人と、それ以外の人に分かれますね。五人は、糊で強く張った強装束(第21回参照)のⒶ冠に直衣姿で右肩を脱ぎ、下のⒷ衵を見せています。Ⓒ浅沓を履き、Ⓓ指貫の両膝の上あたりをつまんで、歩きやすくしています。マッチョな姿恰好で、イケメンといった感じでしょう。
 

他の人たちは、この五人を目立たせるために、やや小柄に描かれています。皆、殿上人の供人でしょう。Ⓔ烏帽子に狩衣姿で、その特徴となるⒻ袖括りやⒼ当腰(狩衣に用いる帯)を見せ、いずれも太刀を佩いているようです。しかし、ⒽⒾ二本佩いている[カ][コ]人がいますね。江戸時代の武士ではありませんので、大小の二本差しというわけではありません。これはどうしたことでしょう。太刀はⒽ尻鞘と呼ぶ毛皮の袋に入れられているのと、Ⓘ鞘だけのがありますね。[サ][ス]一本だけの人のには、尻鞘があります。また、二本の人は五人見えます。もうお分かりですね。[カ][コ]二本を佩く五人はいずれもそれぞれの殿上人に従っていて、その主人の分を預かっているのです。

女たち 次は女たちです。まず③中門にいる[セ][タ] 三人を見てみましょう。扇で顔を隠すようなことはしていませんね。いったい、どういう女性でしょうか。顔かたちからは何とも言えません。しかし、上に重ねて着ているものは、袿などではありません。これは殿上人が肩脱ぎで見せていた衵と同じ語になる、童女の衣装のようです。髪もⒿ元結で束ねていて、これも童女の表現です。第42回で扱った童女は、この上に汗衫(かざみ)を着た正装でした。今回の宮中で下働きをする童女たちは、主人の前にいるわけではないので、衵姿で殿上人たちを見に来ているのでしょう。

 [チ]大人の女房たちは、姿を隠し、⑦几帳の綻びから大勢覗き見しています。①弘徽殿でも②登花殿でも同じようにどの④半蔀にも女房たちが描かれています。入内した后には、三、四十人の女房がつきましたので、大勢いてもおかしくはないのです。

 綻びからの女性の覗き見は、第15回の『年中行事絵巻』闘鶏の家や、第31回の『源氏物語絵巻』「竹河(一)」段などにも描かれていました。複数の絵巻に描かれていたことからすると、女性たちは物見高く、男性たちを品定めすることもあったのでしょう。この絵巻では、肩脱ぎした殿上人やその供人たちにイケメンがいないかとささやきながら覗いているのです。この段は、意気揚々と歩く殿上人たちと供人たちに、その姿を覗き見る女房たちを配して、五節寅の日の光景を印象深く描いているのです。

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『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
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絵巻で見る 平安時代の暮らし 第43回 『承安五節絵』五段の「五節の淵酔(えんすい)」を読み解く

2015年 11月 21日 土曜日 筆者: 倉田 実

第43回 『承安五節絵』五段の「五節の淵酔(えんすい)」を読み解く

場面:五節で殿上人が酒宴するところ
場所:平安京内裏清涼殿の殿上の間
時節:承安元年(1171)11月中の寅の日

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人物:[ア]藤原成実 [イ]高階仲基 [ウ]藤原範光 [エ]源惟頼 [オ]頭の中将藤原実宗か
建物:①殿上の間 ②・⑮壁 ③・④上戸(かみのと)の扉 ⑤落板敷(おちいたじき) ⑥扁額(へんがく) ⑦神仙門 ⑧小庭(こにわ) ⑨小板敷 ⑩沓脱 ⑪茵(しとね) ⑫倚子(いし) ⑬台盤 ⑭火櫃(ひびつ) ⑯柱 ⑰下戸(しものと) ⑱階段 ⑲立蔀(たてじとみ) ⑳主殿司宿(とのもづかさのやど)の屋根 
衣装等:Ⓐ銚子 Ⓑ・Ⓗ杯 Ⓒ束帯 Ⓓ・Ⓕ冠 Ⓔ緌(おいかけ) Ⓖ直衣 Ⓘ肩脱ぎ Ⓙ衵(あこめ)

絵巻の場面 前回に続いて五節の行事を描いた『承安五節絵』を読み解きます。この場面は、寅の日の「御前の試」に先だって清涼殿の殿上の間で行われた殿上人たちの酒宴となる「殿上の淵酔」を描いています。「淵酔」は深く酔う意で、正月の二日か三日などにも行われました。殿上人たちに対する内々の宴となりますが、ただ飲むだけでなく、それなりの余興がありましたので、後ほど紹介することにします。

殿上の間とその周辺

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 最初に会場となる殿上の間を確認しましょう。画面正面が①殿上の間で、ここに昇殿を許された四位・五位の貴族を殿上人といいましたね。ここは清涼殿の南廂になり、画面上部の②壁の向こうは母屋になります。画面右手が東になり、右端に見える戸が③④上戸で、両開きになっています。この戸は、第40回の「内論義」でも描かれていましたので参照してください。殿上の間の位置関係も理解できます。上戸の右が⑤落板敷でした。画面では省略されていますが、上戸の画面手前に右青璅門(みぎせいさもん)があることになりますね。これも第40回で分かります。この門から、⑥扁額がかけられた⑦神仙門までは⑧小庭と呼ぶ土間となり、ここに殿上の間に接して置かれるのが⑨小板敷で、紫の縁の畳が敷かれた坐る場所にもなります。神仙門の左側は、⑩沓脱です。

 上戸から殿上の間に入った所に見えるのが、⑪茵の敷かれた⑫倚子です。何のために置かれているのか、お分かりですね。清涼殿で倚子に坐れるのは、天皇だけでしたので、その出御に供えて常置されているのです。殿上の淵酔に天皇が出御する場合は、多く上戸の前に倚子を置いて内々に覗いたようです。この日は殿上の間に置かれたままなので、出御はなかったのでしょう。

 殿上の間の中央には⑬台盤(テーブル)が二つ置かれています。これも常置され、小さい切台盤(きりだいばん)も東側に添えられますが、淵酔のために撤去されているのでしょう。台盤の左側に見えるのは、⑭一双の火櫃です。四角の箱に火炉を入れて、採暖用にしますが、お燗にも使用しました。

 殿上の間の西側は⑮壁と、しっかり描かれていませんが⑯柱の向こうは⑰下戸(女官の戸)になっています。この下戸を出ると、正面に渡殿、左(南側)は⑱階段、右は西簀子になります。

 ⑮西壁の左には、目隠し用の⑲立蔀と⑳屋根が見えます。この屋根は主殿司宿になりますが、内裏図によっては描かれていない場合があります。「主殿司」は掃除・水・薪炭などに奉仕する後宮十二司の一つで、ここにはそれにあたる「下女」が住みました。

殿上の間と蔵人 殿上の間には、天皇近臣として天皇・宮廷にかかわる諸事を管掌する蔵人所(くろうどどころ)の蔵人が日常的に詰めていました。そのために、ここで公卿(三位以上の貴族)を招いた重要な政務の議定(ぎじょう。合議)や僉議(せんぎ。評議)がされても、上席には殿上人の蔵人頭(くろうどのとう)が坐りました。頭とは長官のことで、近衛府の中将を兼ねるのを頭の中将、弁官(べんかん。事務官)を兼ねるのを頭の弁といい、この二名の下に五位の蔵人・六位の蔵人が任じられ、さらに下級職員も配置されました。六位でも蔵人であれば殿上人になれました。殿上の間は蔵人たちが預かる場なのです。ですから、殿上の淵酔でも、蔵人頭が筆頭になり、他の蔵人たちが奉仕しました。画面でははっきりしませんが蔵人頭が描かれているようです。

殿上人たち それでは人物たちを確認しましょう。殿上の淵酔では、蔵人頭は、上臈が奥の座、下臈が端の座に坐ることになっていました。承安元年には、頭の弁に藤原長方31歳、頭の中将に藤原実宗26歳がなっていましたので、年若い実宗が上戸近くに坐っていることになります。この画面右側には五人描かれていて、四人には人名が注記されています。線描画では省略しましたが、これによりますと、Ⓐ銚子を持つのが[ア]藤原成実、Ⓑ杯で飲んでいるのが[イ]高階仲基、小板敷に控えるのが[ウ]藤原範光と[エ]源惟頼になります。いずれもⒸ束帯姿の六位の蔵人で、[ウ]範光を除いてⒹ冠につけるⒺ緌が見えますので武官を兼ねています。そうしますと、[オ]が実宗と思われます。『承安五節絵』では第一段にも二人の蔵人頭が描かれていまして、そこに見える実宗の顔だちと似ているように思われます。しかし、長方に似た人は、淵酔の場面には見当たりません。西壁の陰に坐っているのでしょうか。この五人のほかは、蔵人以外の殿上人でしょう。名前の注記はありません。いずれもⒻ冠にⒼ直衣の姿でいますね。

殿上の淵酔 次に酒宴の様子を見ていきます。五節の淵酔は、だいたい正午から午後四時くらいに、六位の蔵人の献杯で始められました。宴席の作法は、中世になって「式三献(しきさんこん)」という形で整備されましたが、平安時代でも一献・二献・三献と行われました。杯を順にすすめて膳を下げることが一献で、これを三度行ったわけです。場合によっては、五献に及ぶこともありました。この場面では、何献目になっているのでしょうか。画面から分かります。台盤の上にあるのはⒽ杯で、幾つもあります。この時代には、飲んだ杯を幾つもこうして置いたのでしょう。しかし、これでは何献かは分かりません。分かるのは、殿上人たちが皆、右肩の片袖を脱ぐⒾ肩脱ぎをしていることです。これは三献目にする作法でしたので、酒宴は大分進んでいたのです。肩脱ぎは、くつろいだ宴席になった時にするものですが、殿上の淵酔では恒例になっていました。肩脱ぎの下に見えるのは、表着と下着の間に着るⒿ衵(袙とも)で、原画では赤色に描かれていて、この色が基本になります。

 殿上の淵酔では、肩脱ぎの他に、一献ごとに余興がありました。一献と二献のあとには、朗詠がされます。ここでは『和漢朗詠集』に収められた漢詩による曲「嘉辰令月(かしんれいげつ)」や「東岸西岸(とうがんせいがん)」を謡うのが慣例でした。三献のあとには、今様と呼ばれる歌謡が謡われましたが、二献のあとにもされたようです。そして、肩脱ぎ、「万歳楽」という曲の奏楽に続いて乱舞がされました。拍子をとって殿上人たちが袖をひるがえして舞うことです。中には、⑬台盤の上でする者もいたようです。これが終わるとお開きになり、殿上人たちは肩脱ぎのまま身分の低い順に⑯下戸から出て、後涼殿西簀子から弘徽殿・登花殿・宣耀殿・常寧殿などの前めぐることになります。この様子は六段に描かれていますので、次回で扱うことにします。イケメンの殿上人たちを見ようと、女性たちが弘徽殿や登花殿から御簾越しに覗いている様子が描かれていて興味深いものがあります。

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【筆者プロフィール】

『全訳読解古語辞典』■文:倉田実(くらた・みのる)
大妻女子大学文学部教授。博士(文学)。専門は『源氏物語』をはじめとする平安文学。文学のみならず邸宅、婚姻、養子女など、平安時代の歴史的・文化的背景から文学表現を読み解いている。『三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員。ほかに『狭衣の恋』(翰林書房)、『王朝摂関期の養女たち』(翰林書房、紫式部学術賞受賞)、『王朝文学と建築・庭園 平安文学と隣接諸学1』(編著、竹林舎)、『王朝人の婚姻と信仰』(編著、森話社)、『王朝文学文化歴史大事典』(共編著、笠間書院)など、平安文学にかかわる編著書多数。

■画:高橋夕香(たかはし・ゆうか)
茨城県出身。武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒。個展を中心に活動し、国内外でコンペティション入賞。近年では『三省堂国語辞典』の挿絵も手がける。
※本連載の文・挿絵の無断転載は禁じられております

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【編集部から】
三省堂 全訳読解古語辞典』『三省堂 詳説古語辞典』編集委員の倉田実先生が、著名な絵巻の一場面・一部を取り上げながら、その背景や、絵に込められた意味について絵解き式でご解説くださる本連載。次回は、今回の酒宴のあと、参加者たちが清涼殿から舞姫の控え所まで練り歩く様子を取り上げます。お楽しみに。

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◆紙面例:おんやうじ(クリックで拡大)

【『三省堂 全訳読解古語辞典』について】
全国高校からの推薦数NO.1の学習用古語辞典『三省堂 全訳読解古語辞典』〈第四版〉では、ワイドな絵巻型の図版と絵解き式のキャプションを採用。文章からだけでは想像しにくい時代背景や古典常識などを、絵を通して、より具体的に深く学ぶことができます。

 

 

 

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